地球には寿命があって、いずれ燃え尽きてなくなってしまう──家にある図鑑の端っこに小さくそんなことが書いてあるのを見た。その日の夜、研磨は恐ろしさのあまり目が冴えて眠ることができなかった。恐ろしさだけではなく、何か底知れない寂しさや悲しみも感じていた。
今生きている自分や家族、友人、その他の知らない人、動物や昆虫、植物、そしてこれから生まれる新たな命も、いつかこの宇宙から全て消えてしまうのだ。なんて恐ろしく、悲しい事実なんだろう。このことを知っているであろう大人たちは、どうして平気な顔で過ごせるのだろう。どうして、いつか終わると知っていながら今を生きていられるのだろう。恐怖と疑問がぐるぐると頭の中を巡る。
地球はどうやって死ぬのだろう。線香や花火のように火がついて、燃えた部分が煙と灰になって散っていくのだろうか。それとも、爆発して木っ端微塵になる? もしくは、虫や動物の死骸のように、地球の形は残っても、心臓や呼吸が止まって動かなくなってしまうとか? どれも嫌だ。考えたくないのに、考えてしまう。研磨は頭まで布団をかぶって無理やり目を閉じた。
次の日の朝の目覚めは、いつもよりずっとひどかった。研磨は母親に起こされても布団から出られず、結局、「鉄くん来たよー」という声が聞こえるまで、起き上がることができなかった。
浅い眠りだったせいか、目の下のくまはひどい。寝癖を直す時間もなくて、着替えて洗顔と歯磨きだけして家を出た。
「クロ、おはよう。ごめん、遅くなった」
「おはよー。なに、寝坊?」
黒尾はいつもどおり寝癖のままランドセルを背負って研磨を待っていた。すっかり見慣れてもう変だと思うこともなくなった自由な毛先が、5月の風に小さく揺らされている。
涼しい朝の通学路を歩いていると、眠れなくてぐちゃぐちゃだった頭の中が少し落ち着いてきた。そうだ、黒尾に打ち明けてみよう。黒尾なら、何かいい答えをくれるかもしれない。研磨はそう決心して、隣を歩く少年に話しかける。
「……地球っていつか、なくなるらしい」
「どういうこと?」
黒尾は怪訝な顔で聞き返す。
黒尾と研磨はそれぞれ小学2年生と1年生のときに出会って、それから3年が経つ。5年生と4年生になった今、仲良しといってもいいほどに打ち解けたふたりだが、性格や考え方は異なる部分が多く、テレビやゲームなどの共通の話題を除けば、互いに突拍子もなく感じられるテーマを話に出すことがよくあった。
今日は研磨がその意外なテーマを掲げる日だったようだ。研磨はランドセルの肩ベルトをぎゅっと握りしめて、恐る恐る話を切り出した。
「地球もおれたちみたいに生きてて、いつか死んじゃうんだって」
「へえ……? それって、あと何年くらい後なの」
研磨の真剣さに、黒尾もつられて体をこわばらせる。ふたりの間を吹き抜けるわずかな風が異様に冷たく感じられた。
「30億年から、50億年くらいあと」
想像もできないほどの大きな数字を聞いた黒尾は一瞬だけ目を丸くして、すぐにあはは、と声をあげて笑った。
「そっか、それは確かにこえーなー!」
予想外の反応に、今度は研磨が目を見開く。黒尾は研磨の肩をやさしく叩きながら、にこにこと告げる。
「でも、大丈夫、50億年先って、俺たちが死んだずーっと後だよ」
目から鱗だった。あっけらかんと言われ、思い詰めていた自分が救われるような、急に息がしやすくなるような、頼もしい気持ちになった。
自分たちが死んだ後だとしても地球がなくなるという事実は変わらないのだが、黒尾にそう言われると、不思議と気にする必要はないように思えてくる。おれは誰かに大丈夫だと言ってほしかったのかもしれない、と研磨は気がついた。
「ずっとあと……」
「そう! ずーっと先の話。それに比べたら俺たち、あっという間に死んじゃうし。地球は大先輩なんだぜ、もう46億歳なんだって。でもまだその倍くらい生きるんだろ? 長生き、ダイオージョーってやつじゃん」
研磨は黒尾の話に耳を傾ける。そっか、地球はもうそんなに生きてるんだ。帰ったらまた図鑑を見てみよう。
「うちのひいばあちゃんも、ちょっと前に死んじゃったけど、88歳で、ダイオージョーだったんだよ。俺はそのとき初めてお葬式に行って、死ぬってことがすげえこわかった。誰かが死ぬのもこわい。もう会えなくなるし」
「うん」
「今も、もちろんこわいよ。でも、こわいままでいいんだって。親戚のおじさんがそう言ってくれたんだ。みんなこわいんだ、って。大人もちゃんとこわがってるのを知って、俺はちょっと安心した」
黒尾は朗らかな声色でそう続ける。研磨は友達の知らない一面を見たようで、ドギマギしながら黙っていることしかできなかった。
黒尾の右目にかかった前髪が朝日に照らされて茶色く透けているが、表情はよく見えない。一体どんな顔をしてこんな小難しい話をしているんだろう。研磨が黒尾の顔を覗き込もうとした瞬間、黒尾も研磨の方に顔を向けたので、ぱちりと目が合った。研磨は思わず前を向き、少し俯いて視界を狭める。
黒尾は気にせず話を続けた。
「でも、そればっかり考えてたら、何もできなくなるから。いつ死ぬかは分からないけど、生きてる間に何がしたいかも大事にしなさい、って言われた」
「何がしたいか……」
研磨がぽそりと返すと、黒尾は勢いよく研磨を覗き込んで、元気よく言い切った。
「研磨はゲームだろ! おれもゲームしたいけど、バレーもしたい!」
「そういう話なの?」
研磨は拍子抜けした。なんだかもっと、大きな使命の話かと思った。黒尾は研磨が呆れているのを見て、ケラケラと笑う。
「俺たちまだ子どもだぜー? 細かいことは気にせず遊んでていーの! ……っておじさんが言ってた」
「そっか、おれ、ゲームならやりたいやついっぱいある……!」
「お、いーじゃん。何したいのー」
それから、やりたいゲームや見たいテレビの話をしているうちに学校に着き、下駄箱で別れてお互いの教室に向かった。研磨が昨日の夜に感じていた恐怖は引いて、教室の席に着いた今は早く帰ってゲームしたいという気持ちと、今日は授業中寝ちゃうだろうなという不安だけが胸に渦巻いている。
終わりがあることが悲しい。
それは地球に対してだけではなく、ゲームに対しても同じだった。
ゲームに関しては、クリアしてしまうことだけが悲しいのではなく、その世界があくまでそこにしか存在しておらず、現実とは何らつながりが感じられないことが寂しくて仕方なかった。
マップの外側には行けないこと。世界の続きがないこと。自分が夢中になっているのは誰かが作った箱の中の出来事だ、と実感する瞬間がたまに訪れる。まるで夢から覚めるように、世界の底を知るタイミングがある。
それでも、その寂しさを紛らわせるために別のゲームを続けていく。やめられないのは、終わりを見たくないから。やめたくなるのは、終わりが来ることを知っているから。
登校中に黒尾の話を聞いた数日後、ひとつのゲームをクリアした研磨はまた失意に沈んでいた。終わりへの恐怖は軽減されても、完全に寂しさが消えたわけではない。黒尾もこわがったままでいいと言っていたし、この気持ちを否定する必要はないとは思っている。
こればっかりは、どうしようもない。終わりの設定されていないゲームもあるが、それでもフィールドには限界があり、何かをコンプリートしてそれ以上集めるアイテムがなくなったり、レベルマックスになってレベル上げの必要がなくなったりして、壁の向こう側が用意されていないことを知る。
終わりがあっても、終わりまでを楽しめばいい。分かっていても、やはり虚しく感じることはある。
「けんまー」
研磨の返事を待たずに子ども部屋のドアが開いて、黒尾が顔を覗かせる。
「ありゃ、今度はどのゲームクリアしたの」
ベッドに突っ伏している研磨を見て、黒尾が察する。
「まー、研磨の気持ちも分からなくもないかも」
「え?」
「ゲームってやってるときは楽しいけど、壁登れなかったり海泳げなかったりして外の世界に出られないと、やっぱり作り物なんだーって思ってちょっと悲しくなったりする」
「……」
「あれ、これ俺だけ? 研磨が落ち込むのはそういう話ではない?」
研磨は自分と同じ感情を抱える人間が自分の他にいることに驚いていた。黒尾は、地球の終わりに対する自分の憂鬱は大丈夫だと一蹴してくれたが、この件に関しては共感を示したのだ。つくづく他人とは難しい。
「ゲーム終わったならバレーしよーぜ」
「あ、うん」
研磨は頷いて黒尾と外に出ていく。バレーのレベル上げには上限がないことを思い出して、心が和らぐ心地がした。自分は、ゲームの他にも楽しいことを知っている。生きている間にやらなければならないことは多分たくさんあるのだ。
ふたりの少年が初夏の日差しの中で屈託なくはしゃぐ声と、ボールを打つ音が響いている。
◇
その翌年、研磨が小学5年生の夏だった。
『冥王星が太陽系の惑星から除外され、準惑星に』
そんな話題が朝のニュース番組のトップを占めたのは、夏休みが終わる1週間ほど前のことだった。確か、一学年上の黒尾が一学期の終わりに「すいきんちかもくどってんかいめい」と謎の呪文を唱えていたように思う。テレビでは、その呪文から「めい」が消えると話している。よく分からないが、星に関する何かのグループから何かが外されるようだ。
どのチャンネルもその話題ばかりなので、ぼんやりとニュースを見ていると、太陽系の惑星、というグループがあって、「惑星」がどんなものかを示す条件がなかったのでいま一度決めたところ、冥王星という星はその条件に当てはまらなかったからはずれた、ということらしい。
なんだか寂しいな、と研磨は思った。今まで仲間とされていたものが急にそうではなくなった、という話のように受け取れた。
その日は朝から黒尾と夏休みの宿題をして、それから遊ぶことになっていたので、研磨はもそもそと朝ごはんを咀嚼しながら、宿題終わったらクロと何のゲームをしようかな、と考えていた。
「あ、鉄くん、いらっしゃい。研磨、鉄くん来たよー」
「お邪魔しまーす!」
研磨がリビングでゲームをしているところに黒尾が来た。テレビではまた冥王星のニュースが流れている。黒尾はそれを見て「すいきんちかもくどってんかい、になったなー」と呟いた。
「なんか、仲間はずれみたいで、かわいそう」
研磨がそういうと黒尾はたしかに、と頷いたが、何かを思い出したように、顔を上げた。
「でも、星って人類が勝手に色々決める前から宇宙にあるから、星は寂しがってないよ」
「?」
「それに冥王星には、大きな惑星……あ、冥王星の周りを回ってる星のことなんだけど。カロンっていう惑星があって、お互いずっと同じ面を向け合ったままぐるぐる回ってるんだって」
「クロ、なんでそんなに詳しいの」
「理科の先生が言ってた。天体が好きなんだって」
「ふーん」
冥王星に関する会話はそれきりで、そのあとはテレビの消えたリビングで静かに宿題をしていたが、研磨は妙に黒尾の言ったことが印象に残った。
仲間はずれにされた星はひとりきりではなく、別の星とともに宇宙を回っている。そもそも仲間というのも、人間の都合上、勝手にグループ分けされただけのものである、と。それは、なんだか安心できる話のように思えた。
向かい側に座って鉛筆を走らせている黒尾を見て、研磨は自分には黒尾がいてくれてよかった、と密かに思う。
研磨の抽象的な不安も、言葉足らずな感情も馬鹿にせず聞いて、助言をくれたり、共感を表してくれたりする友人。他の人──といっても、他に友人と呼べるような仲の他人もいないので比較はできないが──に言えば笑われるようなことであっても、黒尾になら打ち明けられる。何かヒントをくれるのではないか、と思う。
実際に助けてほしいわけではないのだ。解決方法が間違っていても構わない。ただ、黒尾の声で「大丈夫」と言われるだけで救われたような気持ちになることがある。
「クロはさー」
「ん?」
「なんか、気をつけなよ。色々」
「え、いきなり何?」
「クロに言われたこと全部そんな気がしてくるから。その気にさせるようなことを言って、刺されるかも」
「……研磨、昨日サスペンス劇場の再放送見ただろ」
「うん。刺されてた。口の上手い人が」
「ひどい」
算数の問題を解きながら軽口を叩き合って、遠い宇宙のどこかにある星と星とに思いを馳せた。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.