いまさら
2024-05-15 17:07:46
2899文字
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運命じゃなくても

中学時代捏造の研クロ。書き手がアニメと映画視聴済み、原作漫画は履修中なので原作で既出の設定と齟齬があったらすみません。

 中学に入ってから何回目かの練習試合は現地集合で、その日、おれとクロは家から少し離れた他校の体育館までバスで向かうことになっていた。おれが外に出ると既に家の前に立っていたクロはおはよう、と挨拶をしてきて、ふたりでバス停まで歩き始める。
 早朝の少し冷たい空気がゆるやかに意識を覚醒させていく。バス、座れたら落ち着いてゲームできるかな、なんて眠い目を擦りながら考える。ああ、でも少し眠りたいような気もする。
 なぜかいつもおれの数歩後ろを歩くクロは何を考えてるのか今日は静かだった。普段からうるさいってわけでもないけど。でも他の友達といるときは賑やかだ。
 バス停に着いて、目的のバスを待つ。時刻表の時間よりずいぶん早めに着いていた。どこか落ち着きなく隣に立つクロを見て、もしかしてこのひと緊張してるのか、と思い至る。たぶん、練習試合に対してではなく、これから乗るバスに対して。
 クロが中学一年生のとき、試合の帰りに別方向のバスに乗ってしまったことがあったのだ。電車なら乗り慣れていたけど、バスでの移動はあまり馴染みがないので仕方がなかった。疲れて寝てしまって、目が覚めたときに全く知らない街に辿り着いていたというそのときのクロの心境を想像すると、こちらまで胸の中心がきゅっと冷たくなるような不安に襲われる。
 結局、運転手に乗り換えを聞くこともできないまま、焦りにまかせて次のバス停でバスを降りてしまったクロは、携帯で父親に連絡して迎えにきてもらったようだ。まだ寒い春先の夕方、日が暮れていく中で知らない土地に取り残されるクロ。これは後から聞いた話で、おれは実際その場にいたわけではないのに、不安そうに身を縮めて立っている少年の姿と、その瞬間に彼が味わっていた心許なさは容易に思い浮かべることができた。
 おれももっと小さい頃はよく迷子になっていたし、親とはぐれてしまったときはどうしようもなく不安で、そういうときは周りの大人に助けてと言えばいいのは頭では分かっていても、声をかけるのもかけられるのもこわかった。その心細さを知っているから、余計にそのときのクロに共感したのかもしれない。
 クロはそのことが嫌な思い出になっているのか、多分、一年経った今でもバスに乗るのに少し怯えているらしい。
「あ、来たよ。あれじゃない?」
 おれが声をかけるとクロは小さく頭を上げて、手元のメモとバスの行き先とを見比べている。行き先が合っていることを確認するとほっとしたように頷いて、おれの後に続いてバスに乗り込む。ICカードをタッチして、空いている席に並んで腰を下ろす。おれの隣に座ると同時にふ、と安堵の息をついたクロを見て、おれももう大丈夫かな、と肩の力が抜ける。いつのまにかこっちにも緊張がうつっていたみたい。
 日曜日の早朝のバスは人もまばらで、席もたくさん空いている。走行音はするけど、人の声はせず、静かな空間だったので、おれたちも何となく押し黙っていた。鞄からゲームを取り出す気分でもなくて、窓の外を流れていく街並みを眺める。クロは本当は、今日の試合のこととか話したかったりするのかな、と隣を見やると、向こうもこちらを見る。前髪がかかった右目、いつも邪魔そうだなと思う。
「今日の相手、どんなだろうね」
 クロは少し驚いたように目を丸めて、それから嬉しそうに笑った。バレーの話をするときのクロは本当に楽しそう。
「去年試合して勝ったことある。俺がバスを間違えたときの試合」
……それ、関係ある?」
 周りが静かなので、自然と小声になるが、ひそひそと今日の練習試合についての会話が始まる。あれ試してみたい、とか相手のチームにどんな奴がいた、とか。中学ではクロがいるからってだけでバレー部を選んだけど、今のところまあまあ楽しんでいる。少なくとも、友達のいない教室にいるよりもクロのいる放課後の体育館の方が楽しい。
 バスが進むにつれて、乗客が増えていく。もう少しで目的地に着くから、降車ボタンを押すのを忘れないようにしないと。そんなことを考えているときだった。大きなクラクションの音と同時に前に揺さぶられる強い衝撃があった。おれは前の座席にぶつかりながら、咄嗟にクロの右手を掴んだ。
「クロ!」
「研磨、大丈夫か!?」
 おれとクロはほとんど同時に声を上げた。他の乗客も驚いていて、叫び声のようなものも聞こえた。車内が騒然としている。アナウンスで、バスの前に乗用車の割り込みがあったために急ブレーキをかけたことが分かった。ということはおそらく、事故ではない。
 状況が分かっても、驚きと恐怖で心臓がバクバクとうるさかった。掴んだ右手の輪郭が確かであることに落ち着きを取り戻しかけたとき、すぐにその手が離れていく。
「大丈夫ですか」
 クロは席から立ち上がって急ブレーキの衝撃で転倒してしまった客に駆け寄っていった。客は大丈夫、と返しながらゆっくり立ち上がろうとするが、足元がおぼつかない。クロが無理に立ち上がらない方がいい、と言うと近くの乗客が転んだ客に席を譲る。バスは停車して、運転手が乗客の安全確認のために後ろに歩いてくる。全てが夢のように現実味のない光景に思えた。
 あの、クロが。運転手に行き先も聞けなかったはずのクロが、真っ先に動いた。知らない大人に躊躇なく声をかけて、安否を確認した。
 おれは変に冷静になって、目の前で起きていることを眺めていた。でも、考えているのは別のことだった。
 それからどうやって試合会場に辿り着いたのかあまり覚えていない。運転手はおれたちの服装で部活だと察したのか、降りる先と怪我の有無を聞いて、それならここで降りて歩いていけば間に合うだろう、と下ろしてくれた……ような気がする。記憶が曖昧だ。
 試合にも集中できなかった。終わった後でクロに謝ると練習だし、あんなことがあったし、俺も上手くできなかった、謝るなよ、と困ったように眉を下げていた。
 帰りもまたバスに乗らないといけない。体育館の近くのバス停に着くなりクロが言う。
「俺はもう多分、間違えない」
「ふふ、多分なんだ」
 朝はあんなに緊張していたくせに、今は自信たっぷりだった。別に間違えてもいいのに。今はひとりじゃないんだし。そう思ったけど、声には出さなかった。

 家に帰って、テレビゲームをつけてみるけど、どうにも集中できない。バスの中でクラクションの音がした瞬間からずっと同じことを考えている。
 あのとき、大げさだけど死ぬかもしれない、と思った。その瞬間に思い出したのは、考えたのは、クロのことだった。どうしてかはよく分からない。隣にいたからかもしれないし、おれが唯一ずっと仲良くしてる友達だからかもしれない。
 画面の中の敵は強くて、少しも倒せない。仕方なくテレビを消して、布団にもぐる。
 クロは、死ぬときにおれのことを思い出してくれるかな。思い出してくれたらいいな。そんなことを考えながら目を閉じた。その日見た夢の中で、おれは飽きもせず何度も何度もクロにトスを上げていた。