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千代里
2025-02-06 13:50:13
12713文字
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リーブラ14話
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リーブラの針は問う・14話・その39
老人の家の訪問が終わったその後も、ヒューイの往診は続いた。
里の半数以上の住民を訪ねているのではないかと思うほど、彼はほぼ全ての建物の戸を叩き、時に採血をしたり、検査の結果を伝えたり、その場で薬の調合をしたり、常備薬を補充したりと、実に精力的に動き回っていた。その間、彼は金銭を一切受け取っておらず、お礼の品として食べ物などを差し出されても断っていた。
「私に渡すよりは、皆さんの健康のために食べてもらえた方が食べ物も喜びますよ」
そう言って笑いかける彼の横顔には、一イルムの乱れもなく、この発言が嘘ではないのだろうと伺えるものだった。
ヒューイの後ろをついて回っていたノエは、技術的な手伝いはできなかったので、もっぱら雑務を請け負っていた。
この里には、男手が少ない。男性は皆、異端者
――
便宜上、今はそう呼ぶしかない
――
の活動に参加しており、残った女性や子供、老人たちだけでは力仕事の全てをこなすことができないのだそうだ。
雨漏りの修繕、戸棚の補修、隙間風が入らないように石組みを組み直すと、大工の徒弟のような仕事をこなしているうちに、里の者はノエへの警戒心を解いてくれたらしい。ヒューイの家に残されていた面々も、暇を持て余して、それとなく雪かきや薪の採取を手伝ってくれたからもあるのだろう。
彼らにとって、若い労働力はそれだけで値千金の価値があるらしく、何度か恐る恐るではあれど感謝の言葉をもらう場面もあった。
そうこうしているうちに、日は傾き始め、その頃にはようやくヒューイも本日の往診を終えていた。
「皆さんに手伝ってもらって、大変助かったと言っていましたよ」
帰路の途中、洞窟を潜り抜けた先、ヒューイが振り返りながら呟く。
「目に入った仕事を手伝っただけだ。第一、こちらが平穏を乱した側なのだから、礼を言ってもらう必要はない」
オランローの言葉にやや気まずさがあるのは、自分の姿を見て子供たちが驚いた姿を見てしまったからだ。
幸い、里のものたちは彼ら自身が異端者であるという自覚があるからか、サルヒやオランローの外見についてとやかく言うものはいなかった。それでも、本来なら静かな昼下がりを過ごしていた彼らの日常を壊したという点に変わりはない。
ヒューイは苦笑しつつ、「それでも助かったことに変わりありませんから」と肩をすくめる。
会話の片手間に、彼はルーシャンが解除した魔法を再度掛け直していた。目眩しの魔法はヒューイが仕掛けたものだったようだ。
「錬金術師の先生さんよ、ここにはそちらさんが仕掛ける前は、隠蔽の魔法とかはかけていなかったのか?」
洞穴の通り道が、魔法によってすっかり見えなくなる。その様子を見守りつつ、ルーシャンが尋ねた。
「この魔紋については、一からわたしが構築したわけではありません。元は、魔法について造詣の深い方が仕掛けを作っていたのですが、その方がお亡くなりになって、点検をできる人がいなくなってしまっていたんです」
わずかに見て取れる魔紋にエーテルを流すヒューイ。淡い光が幾何学的な模様を描き、現れた時と同じように薄れていく。
「私がこの場所を教えてもらっていなかったら、遅かれ早かれ、魔法が解けて洞穴の先にある集落に辿り着いていた人がいたでしょうね」
「それを思えば、見つけてくれたのがヒューイさんのような方で、里の方々は幸運でしたね」
しみじみと頷くノエ。ヒューイは外部の人間であるが、里の者から大層慕われているようだった。
漏れ聞こえた話によると、彼は異端者として活動をしているメンバーにも一目置かれているらしい。誰であれ、怪我と病は平等に襲いかかる。それを退け、癒す力を持つヒューイは、邪険に扱えない存在らしい。
「そういえば、皆さんに聞こうと思っていたのですが
……
ゲルダは、今はどのように過ごしていますか」
ヒューイの表情には、今まで見せなかった不安のようなものが混ざっていた。思いがけない形で再会した嘗ての患者は、そばにいない分経過も気になるようだ。
「ゲルダさんなら、健康そのものですよ。今日も、オデットの看病をしてくれています」
「処方した薬は、飲み続けてくれていますか」
「あんたから貰ったと、食後にいつも口にしているアレか。この前、追加の分を貰ったと話していたな。欠かさず飲んでいるようだぞ」
思い返しつつ、オランローが説明する。竜に育てられたせいか、世間知らずな振る舞いが目立ちがちなゲルダではあるが、存外に言われたことはきちんと守る人物でもあるのだ。
「
……
そうでしたか。体調に変化などはないでしょうか」
「いいえ。強いて言うなら、寒さに強いのは先生の薬のおかげかもしれない、とは言っていましたね」
流石に、これは冗談だろうと分かっていての発言だった。
だが、瞬間、ノエは違和感を覚える。
ノエの説明を聞いた瞬間の、ヒューイの表情。そこには、単なる主治医としてのやりとり以外の感情が覗いているように見えたのだ。笑みの裏側に隠された何かが、ふと浮かび上がったような。
だが、それも一瞬。彼はすぐに、今までと同じ微笑を浮かべていた。
「何か気になることがありましたか」
「
……
なにぶん、急ぎの処方でしたので、細かい副作用などの調整が追いつかなかったのではと、心配していたのです」
「そういうことでしたら、心配の必要はないと思いますよ。処方する前もあとも、彼女は元気そうにしていましたから」
「でも、ゲルダもいつまでもこの町にいるわけじゃない。町を出るときはどうするの」
サルヒの質問に、ヒューイは「それもそうですね」と思案の姿勢を見せる。
今まで薬の処方がなくても問題なさそうではあったが、医師としてノエたちが気にならない部分で気がかりな点があるのだろうか。
町に向かう途上で一度足を止めたヒューイに、何と声をかけようか。ノエが思案しかけたときだった。
「
――
!!」
一瞬耳に伝わった空気の振動。
遅れて、耳にも轟いた大音声は
――
生き物の咆哮だ。
「ドラゴン族か!?」
「竜が、町の近くに姿を見せたっていうのか
……
!?」
咄嗟に身構える一同。戦闘に慣れていないヒューイだけが、棒立ちのまま、呆然とした様子で空を見上げている。
ふ、と影が落ちて、一同を夕日とは異なる暗がりが一足早く包んでいく。山間の向こうに落ちていく日の光を塞ぐもの
――
それだけ巨大な存在が、頭上に突如姿を見せたのだ。
ばさりと羽ばたく轟音が、一同の耳を打つ。着地の音がしないのは、舞い降りてきた巨体
――
竜が、地面には足をつけずに様子見をしているからか。
だが、空を飛ぶ力もない一同にとって、竜の何気ない滞空がもたらす暴風ですら、脅威であることに変わりない。
「なんて強さの風だ
……
!」
表面に積もった柔らかな雪が、一度の羽ばたきで勢いよく巻き上がり、ノエたちの全身に霰の如く叩きつけられる。
雪の粒に重さはないものの、体の表面に吹き付けられて付着するほどの風圧だ。油断すれば、体ごと持ち上がりそうになってしまう。
風に負けじと、ノエは顔を上げる。剣を地面に突き立て、突如飛来してきた竜の姿を視界に収めんとして、目を瞠った。
(
……
なんて大きさだ)
これまでに、ノエは何度も竜を間近で目にしてきた。
人が竜に変化した姿は、ドレイクのような中型の魔物と同等の大きさだった。飛竜は体こそ細身なものの、翼はノエの身長と同じほどの大きさはあり、全長はヒトという種族の何倍もの大きさを誇るだろう。
そして、ランドンはその中でも抜きん出た体躯を誇っていた。眼前の竜は、そのランドンと同じか、ひょっとするとそれ以上の大きさの体を、悠々と空に浮かべ、こちらを見下ろしている。どうりで、翼を一つ動かすだけで、ここまで激しく雪が舞い上がるわけだ。
「お前、は
……
まさか
……
」
竜の登場に凍りついていた思考を、ノエは強引に動かす。
この竜に敵意はないらしい。もしあるのなら、これだけ近距離にやってきて人を潰そうともせずに滞空している理由がない。
町の近くに飛来する竜。人を襲わない竜。そんな竜の存在に、全くの心当たりがないわけではない。
だが、予測を口にする前に、竜が言葉を発する。それは、ノエにとっては全く理解できない未知の発音だった。だが、そこに載せられた意思はノエたちにも伝わった。
『
――
私はお前の言うように、しばしの時を待った。だが、兆候はいまだ見られない』
「
……
え?」
『お前の言う『その時』はいつ訪れる? 私が、私の片翼に相見える時はいつだ』
竜に性別があるかはわからない。だが、強いて言うなら、この竜の声音はヒトでいうところの女性的なもののように聞こえた。
だが、竜の性別がわかろうと、その言葉に載せられた意味がわかるわけではない。
(一体、この竜は誰に向けて、何を話しているんだ
……
?)
風に負けないように、片腕で体を庇うようにしながら、周囲へと視線をやる。ノエの視線に気がついたのか、残りの三人が小さく首を横に振るのが見えた。
ならば、あとはもう残っているのは一人しかいない。
「ヒューイ、さん
……
?」
竜は一同を見下ろしている。その体があまりに大きすぎるため、竜が誰を見ているかまでは分からない。だが、ノエたちにこの竜との面識はない。ならば、竜が話しかける相手として考えられるのは一人しかいない。
果たして、ヒューイは体ごと吹き飛ばされそうな強風の中、ローブをはためかせながらも竜を決然と見つめていた。よく見れば、彼の唇がわずかに動き、何かを言っているのがわかる。
(何を、話しているんだ
……
?)
風が強い。ひゅうひゅうと唸りをあげ、耳元に聞こえる音の全てを薙ぎ倒していく。そのせいで、ヒューイの声も全て風が攫っていってしまう。
彼の唇の動きが止まる。竜はしばし一同を見下ろしてから、
『私の時は長い。だが
……
人の時は、そうではないらしい』
それは、誰かへの呼びかけではなく、呟きめいた一言だった。その意味を問うよりも先に、ばさりと竜が大きく羽ばたき、一同の元から影が遠ざかる。
そのまま飛び去ろうとしている竜に、ノエは一歩強く踏み出した。
「待ってください! 竜よ! あなたは、ゲルダさんの母親なのではありませんか!!」
風に攫われても構うものかと、喉から声を振り絞って叫ぶ。すると、竜は飛翔を中途で止めて、長い首をこちらに向けた。
『お前は
……
?』
薄く差し込んだ紅の日差しが、鱗の色を鮮やかに染め上げている。光のせいで色味が変わって見えているが、光の当たっていない部分の鱗はクルザス地方の凍土を思わせる凍てついた薄青だった。
「ゲルダさんは、ずっとあなたを探しています! なぜ、あなたが迎えにこないのかと! あなたがまだゲルダさんを探しているのなら、今すぐにでも僕はゲルダさんをあなたの元に連れて行きます!」
半ば確信を持って、ノエは吼える。だが、竜はすぐに回答をしなかった。
ノエは竜の表情が読み取れるような、鋭敏な感覚は持ち合わせていない。けれども、先だって、ランドンがノエとやり取りをしたとき、かの竜が見せた心の抑揚は、よく覚えている。
自分を裏切った旧友に会った喜び、悲しみ、怒り。それらの生々しい感情が、竜の声には色濃く宿っていた。
ならば、眼前の竜はどうだろうか。
(
……
この竜は、本当にゲルダさんの母親なのだろうか)
今言葉を交わしている竜には、娘を探す母親のような感情は見られない
――
そんな風に思えてしまうのだ。ゲルダが母との思い出を語ってくれたからこそ、なおのこと、その差がはっきりと見えてしまうのかもしれない。
竜と人の情緒は大きく異なるから、そう思ってしまうのだろうか。だとしても、この態度はあまりに淡々とし過ぎてはいないか。
竜は二度ほど大きく羽ばたくと、
『まだ、その時ではない。あれが目覚めぬのなら、私は私の目的を優先する』
まるで謎かけのような一言を残し、今度こそ大きく羽ばたいて、竜の姿は見えなくなった。
残った風の残滓が、渦を巻いて通り過ぎていく。それは、あたかも、夕暮れ時の幻のような一幕だった。しかし激しく一同を嬲る風こそが、竜がそこにいたという証拠でもあった。
「
……
一体なんだったんだ。あの竜は」
背が高いばかりに風の影響を一番強く受けていたオランローは、屈んでいた姿勢からゆっくりと体を持ち上げ、かぶりを振って雪を払い落とす。彼の問いにすぐ答えられる者は、この場にはいなかった。
「ヒューイ。あなたは、あの竜と知り合いなの?」
サルヒの黄金色の瞳が、ちらりとヒューイに向けられる。風でずれたのか、彼は眼鏡を外して軽く位置を整えていた。
「
……
いいえ。特段親しい間がらではありません。何か話しかけてはきていましたが、私には何のことだか、さっぱりでした」
眼鏡を直す仕草はごく自然であり、彼の挙措に動揺は見られない。彼の言葉が事実ならば、竜は話しかける相手を間違えたのだろうか。
「それよりも、私も聞き捨てならない言葉を聞いたように思います。
……
ゲルダは、あの竜を知っているのですか」
「
……
まだ確信は持てませんが、恐らくは」
ヒューイは、異端者の集落の住人を守るために、これまで秘密を守ってきた人物だ。ゲルダと竜の話を聞いても、密告するような真似はしないだろうと踏んだ上で、ノエはゲルダの事情を掻い摘んで説明した。
話を聞いて、ヒューイは何度か素早く瞬きを繰り返したが、ノエが思った以上に驚きの表情は見せなかった。
「そういう事情があったのですね。しかし、あの竜はゲルダについて尋ねたときも、知っているようには見えたものの、迎える意思は見せなかった、と」
「竜の声を聞き違えていないのなら、俺にもあの竜が娘を迎えにきた母親には見えなかったな」
答えたのはルーシャンだ。彼は風にあおられて乱れたローブを片手で直しつつ、竜が飛び去った空を見つめていた。珍しく雲間から顔を覗かせていた夕日も、今はすっかり姿を消しており、紺色の夜空が天蓋を覆い始めている。
「
……
ノエ。このこと、ゲルダに伝えるの」
「今は伏せておこうかと思っています。母親が顔を見せたのに、自分を探しているわけではないと知ったら
……
ゲルダさんにとっては、ショックでしょうから」
サルヒも、ノエと同意見なのだろう。ゆっくりと首を縦に振って見せる。
出会った頃ならいざ知らず、今となってはゲルダもノエの仲間の一人のようなものだ。
母に強い執着を見せている彼女は、母竜の姿を見たと聞いただけで外に飛び出しかねない。雪原を彷徨って彼女が魔物に襲われるようなことがあったらと思うと、迂闊な発言で動揺を誘いたくはなかった。
「ヒューイさんも、すみませんがゲルダさんと母親の件は黙っておいてもらえますか」
「ええ、構いませんよ。そこは、持ちつ持たれつとしましょう。私も、皆さんに無理を頼んでいる身ですから」
特段の躊躇も見せず、ヒューイは頭を下げ、出会った頃と同じように淡い微笑を浮かべて見せる。
これ以上、この場に立ち往生していても仕方あるまいと、ノエたちはヒューイを連れて再び雪道を歩き始めた。
留めていたチョコボたちの方向へと向かう一同。その背中を見送りながら、ルーシャンは雪に溶け込みそうな白いローブを纏った、錬金術師の男を見つめる。
(
……
竜があそこまで近くにいたのに、あの先生さんは全く動じなかったな)
イシュガルドで育った者として、ルーシャンは竜に対して本能的な恐怖を覚える。イシュガルドという国で生まれた者なら、一度は竜の咆哮に眠れぬ夜を過ごし、竜により家族を奪われた者を目にするはずだ。
眼前に姿を見せずとも、もはや本能のように恐怖が刷り込まれる。だというのに、ヒューイは竜を前にして、慌てふためくどころか、堂々と相対していた。
(単に肝が据わっているのか、それとも竜を間近に見た経験が多くて慣れているのか
……
)
今考えても、答えが出るようには思えない。微かな思考の引っ掛かりは、一度胸に留めておき、彼もまたノエたちの背中を追って歩き始めた。
***
本日の騎士の巡回任務は、大変濃密なもの且つ、大っぴらにできない秘密をいくつも抱えるものとなってしまった。
異端者の関係者がひっそりと住まう集落。そこで病人や怪我人の治療をしている、シュガーグレイヴ在住の錬金術師。おまけに、帰路ではゲルダの母親である竜が来訪するという始末だ。
幸い、竜の咆哮こそ町まで届いていたようだが、その姿は木々が上手く隠してくれたようで、町に戻っても『竜が近くにきた』という話を耳にすることはなかった。竜の咆哮が轟いたと囁き合うものはいたが、その程度の変化はイシュガルドでは日常の一幕に過ぎない。
寧ろノエが目にしたのは、それとはまた異なる意味で見過ごせない異変だった。
「
……
随分と人だかりができているな」
「ああ。それに、空気もどこか落ち着かない」
オランローの呟きに、ノエも短く首肯する。
町に到着したあと、ルーシャンとサルヒは予定していた通り、ヒューイの家にて錬金薬を買い付けに行くためにノエたちと別れて、別行動をとっている。代わりに、ノエとオランローは詰所に巡回の報告に行こうとしていた。
その途上で、二人が目にしたもの。それは、教会に詰め寄る、何やら物々しい気配に包まれた人だかりだった。
「礼拝が終わった後
……
という感じでもなさそうだね」
シュガーグレイヴには、イシュガルド正教の礼拝堂を有する教会が存在する。ノエの父がいた街ほど大きくはないものの、人々にとって祈りの場となる重要な施設であることに変わりあるまい。
なお、孤児院は教会の管理する下部組織に属するが、建物自体の距離は離れている。この物々しい喧騒に子供たちが晒されずに済んだのは、不幸中の幸いだろう。
「司祭様、どうか我々の話を聞いていただけませんか!」
「お願いですっ、貴族の連中に司祭様からも話をしてください!」
「司祭様なら、あいつらに会うのもそんなに難しいことじゃないだろ!?」
わあわあと響く喧騒の中から、断片的に聞こえてきた声。それらを取りまとめると、どうやら彼らは貴族への陳情の仲裁を、教会にいる司祭に頼もうとしているらしい。
「税のことだけじゃないんだ! 騎士団が異端者に襲われたんだろ!? だっていうのに、いつまであいつらは高みの見物を決めこんでやがるんだ!?」
「この町を治めるっていうんなら、異端者どもをやっつけるために何かしてくれよ!!」
陳情の形態をとった訴えから、中には貴族本人に向けた言葉まで、津波のような人々の間をうねり、轟いている。気弱な者がこの場にいたら、場の空気に圧倒されて具合が悪くなるのではと思うほど、その場の空気は負の感情に包まれていた。
「
……
異端者が騎士を襲撃したってことが、町の連中に漏れたのか。ピヌヌは、その手の漏洩を許すような隊長には見えなかったが」
オランローの言葉には、僅かながら困惑が混じっていた。彼は彼なりに、この数日の間でピヌヌという騎士団を率いる人物の人となりをじっくりと観察していた。それゆえに、彼女らしくない『漏洩』という失態に疑問を抱いたようだ。
「人の口を完全に塞ぐことはできないから、噂に尾鰭がついて真実に辿り着いたという可能性もある。だけど
……
どちらにしろ、あまり良い空気じゃないな」
群衆の最後尾から様子を眺めていたノエは、警戒の視線を込めて最前列へと視線を送っていた。
彼らが相対しているのは、如何にも人が良さそうな面差しの老齢の司祭だ。ヒューラン族であるその司祭は、寄る年波もあってか、幾分か小柄な体躯をしている。白い髭を蓄え、その姿は御伽噺に登場する好々爺のようだ。
だが、いくら穏やかそうな見た目の司祭であっても、群衆の熱狂を抑えられる力があるわけではない。彼は戸惑いを浮かべながら、しばらく身振り手振りで人々を宥めすかそうとしていた。
「皆さん、どうか、どうか、落ち着いてください。感情的になり、怒りのままに武器を振るうことは、戦神ハルオーネのしもべとして恥ずべき行いですよ」
言葉自体はもっともな内容だったが、その程度の説法で不満を爆発させる民衆を抑えることなどできるわけがない。
まして、司祭は貴族と繋がりが深い者も多い。この町の警備に神殿騎士団が従事しているなら、目の前の司祭もまた貴族と繋がりがあるように思われるのだろう。下手に抑圧するようなことを言えば、貴族の尖兵と見做された司祭自身の身が危うくなる。
民衆の方にどれだけ正当といえる理屈があっても、彼らは集団としての暴力の形に変容しつつある。暴動の気配を感じ、ノエは嫌な焦燥を覚えていた。
「まずいな。止める兵士がここにはいない」
オランローの呟きの通り、ここには司祭を守る兵士がいない。もし剣や槍を持つものが前に立ち塞がれば、人々への抑止力になったかもしれないが、それも望めそうにない。
人々が詰め寄り、司祭が後ずさる。雪に足を取られたのか、その体が一瞬傾いだのが見えた。その瞬間、ノエは既に一歩を踏み出していた。
「
――
すみません!! そちらにいらっしゃるのは、イシュガルド正教の司祭様でしょうか!!」
隣にいたオランローが驚くような大音声が、ノエの喉から発せられる。
人々のうねりのような言葉の渦とは異なり、一本芯の通った意味のある言葉の槍は、人々のざわめきを貫いて司祭の元にも届いたようだ。
群衆の視線が、一斉にノエに向く。それに臆することなく、彼はごく自然な風を装いながら片手をあげ、
「旅のものですが、これまでの旅程を無事に終えたことへの感謝と、この先の安寧を戦神様にお祈りしたいのです。すみませんが、道を開けてもらえませんか」
まるでこの状況を理解していないかのような無知を装い、ノエは笑顔を群衆に向ける。
事情を知っているオランローには白々しい態度にしか見えずとも、人々にとってノエの態度は「旅人が祈願を所望している」ようにしか見えないはずだ。
ノエが声を張り上げた意図を、司祭も察したのだろう。強めにパンパンと手を叩き、音を出して注目を自分に集める。
「さあさあ、みなさん。戦神の導きを望む迷い人の祈りの道を、塞ぐようなことがあってはなりません。道を開けて、彼らを通してください」
貴族への不満はあれど、彼らもまた敬虔なイシュガルド正教の徒ではあるからだろう。あるいは、ノエやオランローが武具を携えた冒険者であると気がついたからだろうか。
まるで海が割れるように人々は道を開き、それを皮切りに集まりは少しずつほうぼうへと散っていった。
既に日はほとんど暮れてしまい、街灯が灯る時間帯だ。この様子なら、ノエたちがいなくなっても再び集まるようなことはないだろう。
声をかけた手前、そのまま立ち去るわけにもいかず、ノエは人々が作った道を通って司祭の元に近づく。人々の怒号を一身に浴びたからか、司祭は疲れ果てた顔でノエたちを出迎えた。
「旅の方、先ほどはありがとうございました。外は寒いでしょうから、まずは中へどうぞ」
「ありがとうございます。その
……
大丈夫ですか。どこか怪我などはしていませんか」
「ええ、なんとか」
小声で言葉を交わしつつ、ノエとオランローは司祭と共に教会の中へと入る。重たい扉を閉じたら、外の喧騒は嘘のように消えて、静謐な空気が三人を包んだ。
「申し遅れました。私はハンフリーと申します。先ほどは呼びかけていただき、ありがとうございました」
名を名乗った司祭に、ノエとオランローもそれぞれ短く自分の名を告げる。双方の名を告げ終えた後、ハンフリーは慎重に周りの様子を伺いながら、恐る恐るといった調子で、
「やはり、先ほどの皆さんの様子は、外から見ても尋常ではない様子でしたか
……
」
「町に入った時から、ただならぬ気配は感じていました。あのままでは、いつ誰が暴れ始めるか分からないと思ったのです」
「助かりました。私一人の言葉では、皆さんを鎮めることは到底叶いませんでした」
項垂れるハンフリー司祭に、ノエは「仕方ありません」と首を横に振る。
いくら宗教が人々の心の拠り所といえども、暴徒と化した者の心全てを鎮静化するような、魔法の如き力を持っているわけではないのだ。
「他に、手伝いの者はいないのか」
オランローが、礼拝堂の中を見渡しながら尋ねる。石造りの室内はがらんとしていて、静けさに包まれていた。
「いないわけではないのですが、今は他の集落に派遣しております。大きな教会というわけでもないので、私一人の方が切り盛りがしやすいのですよ」
ハンフリーのいう通り、ノエたちの立つ礼拝堂は、以前滞在していた街の教会に比べるとずっと小さい。
ハンフリー曰く、町がまだ村だった頃に建てられたものをそのまま使っているので、町の規模に反して随分と小さい建物しかないとのことだった。
(そういえば、この町の司祭は孤児院の手伝いすらしてくれないと、ミラベルさんは言っていたけれど
……
)
せっかくだからと、司祭にすすめられ、形だけとはいえノエは礼拝堂の奥で祈りを捧げる。
イシュガルド正教の教えには詳しくないオランローは、壁にもたれてその様子を眺めていた。司祭には一緒にどうかと誘われたが、無宗教を旨とする帝国軍の占領下で育ったので、今ひとつ宗教的な畏敬の念を理解できずにいたオランローは丁重に断ったのだった。
説法のための一段高くなった舞台にハンフリーが立ち、教典の中にある旅の無事を祈る言葉がノエへと送られる。思えば、このような形で略式とはいえ礼拝堂で祈りを捧げたのはいつぶりだろうか。祈りの言葉が終わり、立ち上がると同時に、思わず感慨深げに周りを見渡してしまう。
「旅の方、今のシュガーグレイヴは随分と物騒になっています。もし滞在されるのなら、いつも以上に気をつけた方がよいかと」
「あの騒ぎの様子を見る限り、貴族を出せと求めていたようだが」
「この町の管理者であるルグロ家の者に、直に陳情をしたいと訴え出ているようでしてな。最初は騎士団の詰め所に押しかけていたのですが、彼らを説得させられないと思ってこちらに来たのでしょう」
「ハンフリー司祭は、ルグロ家の方と親しいのですか?」
ノエの質問に、ハンフリーはゆっくりと首を横に振る。
「全く知らぬ仲ではありませんが、親しいというほどでは。私も
……
まあ、貴族の端くれであった人間ではありますからな。多少はやりとりしたことがありますが、その程度です」
どこか乾いた笑い声は、彼が貴族として後を継ぐのではなく、司祭として一生を教会に閉じ込められて過ごすことになったことへの自虐も混ざっているのだろう。そこは触れない方がよかろうと、ノエは話題を逸らす。
「先ほど、異端者に襲撃されたという話がありましたが
……
」
「二、三日ほど前からですかね。そのような噂を、教会に訪れた方々がちらほらと口にしているのを聞いたことがあります。内容が内容だったものですから、大袈裟に話をされる方も多く
……
私も礼拝堂では静かに過ごすように、何度か注意をした覚えがあります」
「二、三日ほど前
……
」
随分と早い、とノエは口の中で呟く。
ノエたちが町に帰還したのと、異端者に襲われた騎士たちが帰還したのは、ほぼ同じ時期だ。そして、到着からさほど間を置かずして、異端者の襲撃の報せがここまで正確に伝わっている。
「ただの情報管理のミスとは思えないな」
「町の中に異端者の密偵がいるのなら、彼らが人々の不安を煽るために流布した可能性もあるけれど」
小声でオランローと言葉を交わすノエ。ノエの言うように、民衆を煽るために敢えて異端者の内通者が襲撃を露見させたという可能性もある。
(だけど、それなら何故そんなことを? 仮に、この陳情が通って貴族が町にきたとして、異端者に一体何の得があるというんだろう)
思案を巡らせていると、オランローにとんとんと肩を叩かれる。軽く顎でしゃくってみせた先にあるのは、出入り口の扉だ。考え事をするなら、帰ってからにしろということである。
「長々と滞在してすみません。ハンフリーさん、先ほどは祈りの言葉をありがとうございます」
「いえ、これが私の仕事ですからね。先ほども言いましたが、今の町は不穏な気配に満ちています。夜道に気をつけてお帰りください」
「暴徒だけでなく、近頃は子供も姿を消している、ということでしたからね。十分気をつけるようにします。そちらも戸締りなどは
……
」
月並みな別れの言葉を口にしかけたノエは、そこで言葉を区切る。目の前にいたハンフリーの顔が、わずかに青ざめているように見えたからだ。
「どうかされましたか?」
「
……
子供が消えている? 旅の方、どこでその話を?」
「孤児院に滞在しているミラベル司祭様からです。孤児院で目をかけていた流民の子供が、これまでも何人かいなくなっているそうで
……
」
「なんと
……
そうでしたか。あの男が、そのようなことを」
動揺が見えたのは、ハンフリーが子供たちの失踪について知らなかったからのようだ。ミラベルも、流民の子供ばかりが消えているため、町にいる誰も気にかけようとしないと憂えていた。ハンフリーもまた、知らずに日常を過ごしていた者の一人だったようだ。
「ハンフリー司祭。子供たちの失踪に関する情報がわかったら、ミラベル司祭に知らせてもらえますか」
「え、ええ。勿論です。たとえ流れ者の子供といえども、幼き命に貴賎はありませんから」
子供の無事を祈るかのように、胸に手を当てるハンフリー。彼に改めて別れの挨拶と一礼を残してから、ノエたちは今度こそ教会から外へと出た。
夜の空気は、昼にも増して冷たい。まるで鋭い刃物で斬りつけるかのような冷風に、上着をかき抱くようにして、二人は宿への道を急ぐ。
先を行くオランローの暗い赤毛を見つめながら、ふと思う。
(そういえば、ハンフリー司祭は、ミラベルさんの名前だけを聞いて、よく男性って分かったな)
ほんの数ヶ月前まで、ノエはミラベルの名前だけを聞いて、すっかり彼を女性司祭だと勘違いしていた。孤児院にも顔を出せないほどに忙しくとも、ミラベル司祭の姿形ぐらいは遠目に見たことがあるのだろうか。
視線を前に向けると、ちらちらと雪が舞っているというのに、家にも入らず立ち話をしている人々が目立つ。
町に到着したばかりの頃の鬱屈とした気配とはまた異なる、熱狂の残滓を思わせるようなやりとり。隠しきれない棘が混じった声音が話す内容は、やはり貴族への不満なのだろうか。
(
……
オデットはああ言っていたが、彼女の体調が落ち着いて、ミラベルさんと十分に話ができたならすぐに町を去った方がいいかもしれない)
まるで、大量の火薬を詰めた箱を前にしているような、言葉にできない不安と緊張。ノエの胸をじんわりと侵食していくそれは、もはや気のせいとは言えなくなっていた。
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