Ca(か)
2025-02-05 21:21:05
14566文字
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そしてまた鐘は鳴り響く

クリスマスやサンタクロースに思うところのあるカーヴェと、家族の話 (※とあこい3サンプル)


1


 雨林の冬はほかの国と比べるとあたたかく、雪が降ることもめったにない。それでもこの時期——ホリデーシーズンを迎えれば、スメールシティは色とりどりのイルミネーションできらきらと華やかに彩られて、道行く人々の心を浮足立たせる。世はまさにクリスマス一色だ。あらゆる国の伝統や風習が混ざった結果、クリスマスと言えば今やどの国においても「家族と過ごす最も大切な日」のひとつとして、あるいは「サンタクロースがいい子にプレゼントをくれる日」として知られている。もちろんスメールも例外ではなく、十二月に入る頃になると「いい子」認定をもらうべく奮闘する子どもたちの姿があちこちで見られる。家の手伝いをしたがる子や勉強に励む子、なかには今年こそサンタを捕まえるのだと意気込んで大きな網を編み始める子など、誰しもさまざまななかたちでクリスマスを心待ちにしている。そういったものを見るにつけ、その無邪気さについ顔がほころんでしまうのは、きっと自分が大人になったからだろう——と、カーヴェはイルミネーションの中を歩きながら思った。

 (今年ももう終わりか。あっと言う間だったなあ)

 今年もよく頑張った。理不尽なこともないわけではなかったが、報われたことやうれしかったことも多くあり、振り返ってみればいい一年だったと思う。となると少しくらい、自分にご褒美があってもいいのでは……と、頭の中の欲しいものリストに思いを馳せた。
 大人になり、サンタクロースが来なくなっても、たまの贅沢が許される大義名分としてのクリスマスはありがたいものだ。ごちそうを囲み、この時期だけの限定酒を心ゆくまで堪能したり、普段とは違う街のきらめきにそわそわしながら「まあ、クリスマスだし」と万能な呪文を唱えつつ、普段はなかなか手の届かない贅沢品を思い切って買ったりする。こういうものがアルハイゼンに見つかると厄介で、ホリデーを理由に無駄遣いをするのはうんぬんかんぬん……とねちねち小言を言われるに違いない。
 なので今年は先手を打つことした。小言を言う口は塞いでしまえばいいのだ。それも、とびきり特別なうまい肉で。

「やあ、カーヴェさん。今日はごちそうかい」

 グランドバザールの門をくぐってすぐ、馴染みの肉屋が声をかけてきた。いつもの白いエプロン姿かと思いきや、今日はそれに加えて頭に赤いサンタ帽を被っている。周りを見ればほかの店にもサンタやトナカイに扮した店員がいて、ズバイルシアターから聞こえてくる鈴の音と相まってクリスマスマーケットさながらの雰囲気だ。
 ここの肉屋はいつも気さくに声をかけてくれるし、肉の品揃えもいい。カーヴェが気に入っている店のひとつだった。

「こんにちは、おやじさん。クリスマスだし、やっぱりチキンは外せないかなってね」
「いいね、そう来なくちゃ! 丸鶏に骨付きもも、手羽元、どれも選び放題だ。なにがいい?」
「骨付きのもも肉を四つもらうよ。今年はローストチキンにするんだ」
「はいよ、四つね。食い出があるのを選んでやろう。ちょっと待ってな」

 そう言って店主は腰をかがめ、肉付きの良いもも肉を四つ選んで銀のトレイに載せると「これなんかどうだい」とカーヴェに見せた。トレイの上に並んだ肉はどれもハリがあり、にごりのないピンクの身の色つやも申し分ない。いいね、と笑顔で頷くと店主も笑顔で頷き返し、慣れた手つきで重さを測っててきぱきと包み始めた。分野は違うとは言え、店主の手さばきは紛れもない職人のそれだ。無駄のない所作は見ていて気持ちの良いものだなと思いながら、カーヴェは財布を開いた。
「いやあしかし、それにしても——」と、包み終わった肉を袋に入れながら店主はしみじみと話し始めた。

「いくつになってもクリスマスってのは心が浮足立つもんだなあ。まあ単純に肉屋の掻き入れ時ってのもあるが、それだけじゃなくてどうも子どもの頃のイメージが残っとるというか……なんとなく気もそぞろになっちまって、なんだか今日くらいはサンタ帽なんか被って店に出てもいいか、なんて浮かれちまうんだ」
「いいじゃないか。その帽子、似合ってるよ。まるで本物のサンタだ」
「フフン、だろ?」店主はおどけて色男ぶってみせた。「……ってことで、こいつはプレゼントだ。肉屋のサンタは肉を配るってね」

 そう言って店主はモラと引き換えに、ふたつの袋を差し出した。片方の袋には先ほどの骨付きもも肉が四つ入っているのが見えるが、突然現れたもうひとつの袋にもなにかが入っている。

「プレゼント? おやじさん、これは……
「骨付きもも肉、一本オマケだよ。カーヴェさんちなら、もう一本あったってぺろりだろ? それともやっぱり多いかい」
「いや、たしかにぺろっとなくなるだろうけど……ほんとうにいいのかい? こんな立派なの、おまけだなんて」
「いいのいいの! 今日はお得意さんにおまけするって朝から女房と決めてんだ。またご贔屓に、メリークリスマス!」

 白い歯を見せてにかっと笑い、店主がカーヴェに手を振った。思いがけないプレゼントにはにかみながら、カーヴェもありがとう、と手を振り返す。おまけのほうの袋にも大きな肉が入っていて、これはあいつも食べがいがあるだろうなと思った。
 たくさんの贈り物が行き交うこの時期、プレゼントをもらう喜びだけではなく、贈る楽しみというものも確かにある。ふと目に入った雑貨屋にもプレゼント用の包装紙やリボンが何種類も揃えられていて、クリスマスや新年を祝うホリデーカードも目移りするほど並べられている。先ほどの店主しかり雑貨屋で包装を選ぶ人しかり、みんな誰かの喜ぶ顔が見たいのだ。サンタクロースの夢から覚めて、クリスマスの見え方が少し変わっても、贈り物というのはやっぱり特別なものであり続ける。
 だからこそ、なかなか選べなくて贈れないということもあるのだけれど——……

「雑貨屋に用があるのか?」

 突然声をかけられ、はっとして振り返るとそこにはアルハイゼンがいた。片手にはボトル入りの袋を下げている。今日のために予約した酒で、仕事の帰りに酒場に寄って引き取ってくるように頼んでいたものだ。

「君、もう酒を引き取ってきたのか。早いな」
「今日みたいな日はテイクアウトが多い。本格的に混み始めるより先に行ってきた。それで、君はここで買い忘れでも?」

 カーヴェと同じように雑貨屋へ視線を向けたアルハイゼンが、そこで気づいたようにああ、と声を上げた。

「ホリデーカードを買ってくるつもりなら肉は引き取るが」
「え?」
「毎年贈るだろう、君の母親に。君は例年、ぎりぎりまで悩んだ末、クリスマスが過ぎてそろそろ新年がやってくるという頃になってやっと贈る一枚を決めている。今年のぶんを選んでいたのだろうと思ったが、違ったか?」

 ああ、うん……
 カーヴェは濁した。同時に、一週間前に母から届いたホリデーカードが脳裏をよぎる。
 フォンテーヌに住む母とは、頻繁ではないものの折に触れてやり取りをしている。ホリデーはその数少ない機会のひとつで、カーヴェはいつもどうにか選んだホリデーカードをささやかな贈り物に添えて贈っている。母は毎年クリスマス前に贈ってくれているし、今年こそクリスマスまでに贈れれば……とは、毎年思っている。思っていながら、まだ叶ったことはない。
 せっかくのホリデーカードを、肝心なクリスマスに間に合うように贈れない理由が単なる忙しさだけではないことは、自分がいちばんよくわかっている。
 だけどまだ——選べない。

 「いいや。なんとなく見てただけだよ」結局カーヴェはなんでもないふうに肩をすくめて、雑貨屋に背を向けた。「ほら、帰ろうアルハイゼン。夕飯が遅くなる」

 妙にはっきりしない態度に違和感を覚えたらしいアルハイゼンはなにか言いたそうな顔をしていたが、カーヴェが先手を打つように「チキンも仕込まなきゃいけないし」と言って肉屋の袋を掲げてみせると、少し考えるような顔をしたあとに大人しく歩き始めた。
 バザールを抜け、住宅のあいだを歩くとよそのキッチンの香りがする。ああ、ここは今日はステーキなんだな。こっちはタンドリーチキン、あっちはタフチーン。各家のごちそうの香りを胸いっぱいに吸い込むと、正直な腹がぐぅ、と鳴いた。今夜は我が家もごちそうだからと言い聞かせるように腹を撫で、ゆるやかなスロープを上る。
 帰ったらすぐにチキンを仕込んで、それからオニオンスープの準備に取り掛からなくてはならない。ほかに比べて温暖な冬だとはいえ夜はそれなりに肌寒くもあるから、くたくたになるまで煮込んだオニオンスープはきっと体を芯から温めてくれる。普段は本が読みにくいからと汁物を避けたがるアルハイゼンも、メインに置かれるのがローストチキンとなれば、はじめから本の持ち込みをあきらめて肉と向き合わざるを得ないだろう——つまり、大手を振ってスープを食卓に並べるチャンスなのだ。手がよごれがちなのは御愛嬌だが。

 サンタクロースを信じていた子どもはすっかり大人になって、枕元にプレゼントが届くこともなくなった。しかし誰にだって平等にこの日はやってくるのだから、どんなかたちでも楽しんだもの勝ちだ。楽しめる余裕が出てきたのはここ最近のことだが、こんなふうに少しずつ変わっていくものがあるのはいいことだと思う。
 なんといっても人生は長いのだ——後悔は避けられないものだとしても、少ないほうがいいに決まっている。
 たとえばクリスマスを素直に祝えなかったこととか、サンタクロースを「諦めさせてしまった」こととか。



2


 誰にだって平等にクリスマスはやってくる。それは父を失った子どもにも、夫を失った妻にもだ。
 父親が砂漠に行ってしまったのは自分の何気ない一言のせいだ。自分がなにも言わなければ父親は学院祭に出ることも、失意に暮れることもなかったのだ——と、自分を責めていたあの頃。自分のそばにはもうひとり絶望の中にいる家族がいた。彼女は愛する夫を砂に飲まれ、深い悲しみの中、昇っては沈む太陽を他人事のように見つめながら、家のいたるところに色濃く残る夫の影に目を腫らし続けていた。食卓を囲めばぽつんと空いた席があり、食器棚にはあの日から動かない食器がある。脱いで椅子に掛けたままの父親の服は片付けられることはなく、彼の好物だった酒は、最後にはアルコールが抜けてしまった。
 日を追うごとに母親はしだいに涙を見せなくなった。しかしそれは家族の死を乗り越えたのではなく、ただ自分の前では強くあろうとしているだけなのだということを、幼いカーヴェは理解していた。

 だからその年の十二月——去年と同じように、母親に「今年はサンタクロースになにをお願いするの?」と訊かれたとき。
 カーヴェはあのね、と用意していた言葉を口にした。

——今年からは、サンタはもういいよ。

 それはなにより、母を思っての言葉だった。彼女ばかりに頑張らせてはいけないと、自分だけがいつまでも夢の中にいてはいけないと、十歳にも満たないカーヴェが懸命に考えた末に出した答えだった。父のぶんまで自分を守り、育てようと懸命に自分を奮い立たせている母の負担を少しでも減らしたくて、カーヴェは夢を手放すことを決めた。
 ほんとうはうっすら気づいていたのだ。サンタクロースは大人たちによる優しい夢だということを。どう切り出そうか、それとも知らないふりをして来年もプレゼントを枕元に置いてもらおうか——そんなふうにぬるま湯に浸かっていられたのは、ただ守られるだけの子どもだったからだ。自分のために身を削る母の助けになりたい。ふたりで支え合って生きていかなければならないのだから、自分だけがいつまでも子どもでいるわけにはいかない——そう考えたカーヴェは、それでもたしかに、まだ子どもだった。
 その言葉を聞いて母がどう思うかまでは、想像が追いついていなかった。

——……そっか。

 カーヴェの言葉に息を呑み、か細い声でその一言を絞り出したあのときの母の顔をカーヴェは今でも忘れることができない。ひどく傷ついたような、しかしどこか安心したような複雑な表情で彼女はどうにか笑ってみせ、それからカーヴェを引き寄せて強く抱きしめた。なにが起こっているのかいまいち飲み込めないままに抱きしめられていたカーヴェだったが、母が自分の肩越しに微かに漏らした嗚咽と、震える声で「ごめんね」と呟くのを聞いたとき、とてつもない罪悪感が胸にぶわりと湧き出した。

 母を傷つけてしまった?
 ……違う。
 母が背負おうとしていたものを——サンタクロースという夢を、ほかでもない自分が奪ってしまった。

 今にして思えば、もっと気の利いた言い方があったのかもしれない。むしろもう少しサンタクロースを信じているふりをしていたほうが良かったのかもしれない。しかしたらればをいくつ挙げたところで現実は変わらない。当時の家の中には依然として悲しみが深く根を張っていて、自分も母もどうにか日々を躱しながら生きていた。朝が来ても夜が来ても、ほんとうに帰ってきてほしい人はもう二度と帰ってこない。涙を落とす日が少なくなるからと言って、父がいない毎日に慣れていくわけではない。父がいなくても生きていかなければいけないだけだ。そんな毎日のなかで必死に自分を守り育てようとする母のことを、カーヴェもまた守ろうとした。あたたかなゆりかごの中で無邪気に笑っていられた子どもから、理不尽な世界でたったひとり戦う母親を守るために大人になると決めた。
 結果として、母から夢を奪うことになってしまったけれど。

 その年以降、母と子のそばにサンタクロースはいなくなった。とはいえクリスマスまでなくなったわけではない。毎年やってくるホリデーシーズンはほかの家々と同じようにごちそうを食べ、ツリーを飾り、指折り数えて新年を待つ。欲しいものは枕元に届かないかわりに、一緒に店へ買いに行った。どこの親子もきっとそうだろう。サンタクロースの正体に気づいた子どもは、次の年からは欲しいものを家族に直接願うようになる。教令院に通うようになって、ホリデーの贈り物について友人と話すときにも、特別変わっている部分はなかった——表向きは。

 母から夢を奪ってしまったあの日から、カーヴェはクリスマスを思うと胸がちくりと痛むようになった。とびきりのごちそうはおいしいし、素敵な音楽を聞けば顔がほころぶし、イルミネーションで飾られたきれいな街並にはつい足を止めたくなる。
 それでもふとしたときには、あの母の泣きそうな笑顔が脳裏を過ぎる。クリスマスではしゃぐ友人たちと一緒にいても、自分だけが一歩下がって眺めているような気持ちになるのは、あの日からずっと変わらない後ろめたさがあるからだ。そんな自分に気づいていたのだろう、離れて暮らす母が贈ってくるホリデーカードにはサンタクロースは描かれておらず、自然と自分の選ぶものもそうなって、そのまま現在に至っている。

 クリスマスを楽しめる余裕が出てきたのはつい最近のことだ。それでも今だどこか他人事でふわふわした心地でいる。メリークリスマスという決まり文句もしっくり来ずに、まるで異国の呪文のように思えてしまう。
 とはいえもとは異国の文化なのだから、そういうものと言われればそうなのかもしれないけれど。



3


「乾杯!」

 気味良い音を立てたグラスをそのまま口に運び、待ちに待った美酒を含む。舌に載った瞬間に華やかな香りが広がり、上品な甘みと酸味に思わず口端が上がった。こくりと飲み干せば酒の熱で喉が温まったような感覚があり、ため息すらおいしく感じる。まぎれもない美酒だ。ひとくちで切り上げるのは惜しくて、カーヴェはもう一度グラスを傾けた。

「ん、はあ……さすがのアカツキワイナリー、文句なしにうまいな。予約開始日に酒場に駆け込んで良かった。次の日に行ったらもう枠はなかったんだってさ」
「その言い方だと、さも君が酒場に行ったかのように聞こえるな。実際に酒場に駆け込まされたのは俺だ」
「細かいことはいいだろ。それを言うなら君はあの日、駆け込むどころか普通に歩いていったじゃないか。真顔でのしのし歩いていくものだから、てっきり監査とかそういう重要な用事だと思ったほかの客が自然と道を開けたって聞いたぞ」
「日頃の行いだな。俺の勤務態度が良いばかりに、君はこうして安心して美酒が飲める。感謝してくれていい」
「ああ、はいはい……君はほんとうに偉いな。態度が」

 付け加えた一言になにか言ったか?と眉を上げるアルハイゼンに対して、カーヴェはさあ? と肩をすくめてみせた。
 開けたばかりのワインボトルと大皿に乗ったローストチキンが鎮座するテーブルには、ほかにもガラスボウルにたっぷり作られたポテトサラダ、被せられたチーズがこんがりと焼き目をつけているオニオンスープ、チキンを焼いたあとの旨味たっぷりの油でローストされた野菜などが並べられている。さすがに作りすぎたか? とも思われたが、こうしてテーブルにずらっと並べてみるといかにも特別な日のディナーという感じがして心が踊る。やはりこうでなくては。普段は味が良ければあとはこだわらないとのたまうアルハイゼンも、テーブルの上のごちそうたちを前にしてはさすがに姿勢を正し、さらに先々のチキンに備えてかグローブを外して横に置いた。

 さて、こいつはなにから食べるかな。
 ふたくち目のワインの余韻に浸りながらアルハイゼンを見ていると、どうやらまずはポテトサラダをよそっておくことにしたらしく、小椀に山盛りにして盛り付けはじめた。それもう小椀の意味ないだろ、と言いたいところだが、せっかくのホリデーディナーだ。広い心で受け入れてやろうと言葉を飲み込んだ。

 (あ、そういえば……胡椒がいるかな)

 たまたま手元に来ていた胡椒の瓶が目に入り、カーヴェははたと気がついた。
 ポテトサラダが食卓に並ぶと、アルハイゼンはいつも胡椒をたっぷり挽いて食べる。今日もそうするだろうと思っていると、盛り付け終わったアルハイゼンはやはりなにかを探すようにテーブルの上を見回した。「お探しのものはこれだろ」とカーヴェが胡椒の瓶を差し出せば、アルハイゼンは「ああ」と返し、手を伸ばした。

 そして、ちょうど瓶がカーヴェの手を離れるとき——
 パシャッ、と横から軽やかな音がした。

……え?」
「ピッポ!」

 音のしたほうを見れば、メラックが写真機を構えて浮かんでいた。いい写真が撮れたと言うようにディスプレイの表情を笑顔に変えて、左右にゆらゆらと揺れている。

「メラック、僕らを撮ったのか? あいにく映えるような場面じゃなかったと思うけど」
「ピポピ? ピッポ」

 メラックはカーヴェの言葉に首を振るように身を揺らしたあと、ゆっくりと寄ってきた。撮った写真を見て欲しいと言うように写真機を差し出して、排出口をじっと覗き込んでいる。写真が出てくるのを待っているのだ。
 テーブルの向かいでは、片手に胡椒瓶を持ったままのアルハイゼンがその様子を興味深そうに見ていた。

「メラックが写真機を持つとはな」
「ふふ、慣れたもんだろ? 花神誕祭で旅人たちと写真を撮ってから、なぜか写真機に興味津々でさ。自分でも撮ってみたがるから試しに持たせてみたら……これがなかなかうまいんだ」

 そう話しているあいだに写真機はジジ、と小さく音を立て、やがて数枚の写真を吐き出した。どれどれ、とふたりとひとつが覗き込むと、そこには先ほどのやりとりのほかに、ボウルいっぱいの芋をつぶしているカーヴェや料理をつまみぐいするアルハイゼンの姿などが捉えられていた。

「あ、これ料理中の……って君! こんなにがっつりつまみぐいするやつがあるか! 夕飯前だぞ、夕飯前」
「この程度は味見の範疇だ。ふむ……この一枚はなかなかいい。芋に負けそうな君のひ弱さがよく撮れている」
「おい、そんなこと言うなら次からマッシュ担当は君だからな。君が顔を真っ赤にして芋をつぶしてるところをメラックに撮ってもらうからな。頼んだぞメラック」

 ピッポ! と跳ねるように返事をしたメラックは、ふたたび写真機をホールドして浮かんでいった。フィルムの残りはあと十枚ほどになっていたが、おそらく今日中にすべて撮り終わるだろう。
 そろそろアルバムを買わないとな。せっかくよく撮れているのだから、ちゃんと仕舞わないともったいない。
 どうせなら表紙は自分で描いてもいいなとカーヴェが考えていると、写真を手にとって眺めていたアルハイゼンが口を開いた。

「写真を撮るのが好きなら、撮影機能を付けてやったらどうだ」
「そう思うだろ? でも、メラックはあくまで写真機で撮りたいんだってさ。不自由を愛するなんてロマンがあると思わないか? さすが僕が作っただけはある」

 「不自由」と「ロマン」が結びつかない様子のアルハイゼンは眉間にシワを寄せたが、カーヴェは知らないふりをする。

「やりたいことがあるなら、なるべくやらせてやりたいよ。いつも僕らを助けてくれているし。なにより——

 あの子も、かけがえのない家族なのだし。
 ベストショットを求めてふわふわ移動するメラックに視線をやれば、視界の端のアルハイゼンも同じようにメラックを見ていた。喉の奥からわずかに聞こえた「うん」という短い返事は静かであたたかい。それがうれしくて、カーヴェの口元はゆるく弧を描いた。
 ふたりぶんの視線に気づいたメラックが、そこですかさず写真機を構えた。あ、また撮られるぞ——と笑った瞬間にシャッター音がして、メラックはまたうれしそうに飛び回る。今回もきっとうまく撮れたのだろう。
 今の写りも気になるところだけれど、そろそろ焼きたてのチキンの味も確かめたいところだな。
 撮った写真を見せてもらうのは食後のお楽しみにして、カーヴェは取り皿とトングをアルハイゼンに手渡した。

……でかいな」

 トングで肉を持ち上げようとしたアルハイゼンが目を見張る。

「だろ? 肉屋のおやじさんがいいのを選んでくれたんだ。あ、君のぶんは今日、三本だぞ。おまけで一本付けてもらったからな」
「おまけ?」
「なんでも、お得意様へのクリスマスプレゼントだってさ。これだけ持って帰ってもうちならぺろりだろ、なんて言われたよ。君の健啖っぷりはバザールにも知れ渡ってるみたいだな」

 野菜のローストを取り分けながら、カーヴェはにししと歯を見せて笑った。
 ほんの一年前であれば、同じことを言われても慌てて取り繕っていただろう。けれど最近ではそれほど困ったことでもない気がしている。借金云々の部分は相変わらず隠しておきたいところではあるものの、そういったところを除いて、アルハイゼンとの同居についてゆっくり考えてみたとき——これもまた家族のありかたのひとつだと思うようになった。それからというもの、今の生活について他人に知られては恥だとか、沽券にかかわるだとかそんなふうには思わなくなった。
 だいたい家を出入りするのにドアスコープから人通りを確認したり、通行人の隙を伺ったりするのは大変なのだ。泥棒でもあるまいし。

 それに——
 カーヴェは街の人々を思い返す。肉屋の店主、酒場のオーナー、カフェの店員。そのほかにも多くの人が、自分たちが同じ家に住んでいることを知っており、ふたり(と、ひとつ)の暮らしを当たり前のように受け止めている。他人同士が一緒に暮らすことについて、学術家庭を築くことが珍しくないスメールだからこその懐の広さなのかもしれないし、もっと単純な話、人は自分の人生を生きることに一生懸命で他人の人生には実はそれほど興味がないのかもしれない。
 いずれにせよ、今のこの生活をカーヴェはいとおしく思っているし、そのことを周りに隠さなくても良くなってからはまた少し息がしやすくなった。よく考えてみれば隠さなければとドタバタしていたのは自分だけだった気がしないでもないが、人生は最短距離ばかり進んではいられない。あれはここに至るまでに必要な回り道だったのだということにしよう——カーヴェは小さくひとつ咳払いをして、目の前の料理に向き直った。

「君の呑兵衛っぷりに比べれば、俺など取るに足らないよ」

 大げさにのたまったアルハイゼンはいよいよローストチキンにかぶりついた。白い歯が肉に食い込んで、ぱりり、と皮が音を立てる。大きなひとくちの印が残るチキンを口元からゆっくりと離し、アルハイゼンは満足げにむぐむぐと咀嚼した。

 (いやほんと、うまそうに食べるなあ)

 毎度ながら作り手冥利に尽きる食べっぷりだ。アルハイゼンをよく知らない人は、彼のことをものごとにあまり興味を持たない冷たい人間だと思っている部分があるが、それは誤りだとカーヴェは考える。多くの人と同じく、興味のあるものとそうでないものへの姿勢が違うだけであり、アルハイゼンの興味のあることが大多数にとってはそうでなかったり、あるいは表に出にくいものであるだけだ。なかでも食についてはもっとも顕著なもののひとつで、昔から——ふたりが教令院で学んでいた頃から、カーヴェが議論のお供にと持ち寄ったピタにかぶりつく、アルハイゼンのひとくちの大きさには驚かされてきた。
 普段は読書の妨げになりそうなメニューをいやがるアルハイゼンも、ローストチキンは手づかみで食べるのがいちばんうまいからと迷わず素手で挑んでいる。家だということもあってか外食よりも思い切った食べ方をしていて、こんなに夢中で食べてもらえると丁寧に仕込んだ甲斐があるというものだった。
 よしよし。先にフライパンで表面を焼いてから、オーブンでじっくり中に火を通すのは正解だったな。
 そんなふうに思いながらアルハイゼンの食事風景を見ていたカーヴェだったが、そこでアルハイゼンが何気なく、親指の先についたソースをぺろっと舐め取ったのを見た瞬間——背筋がびくり、とわずかに反った。

……どうした」

 突然姿勢が良くなったカーヴェを不審がってアルハイゼンが視線を上げた。

「あ、いや、なんでもな……えっと、そう! くしゃみが途中で止んじゃってさ。ハハハ」

 下手な言い訳で誤魔化したカーヴェのことを、当然アルハイゼンは怪しんだ——ものの、ひとまず気にしないことにしたらしい。ふたたびチキンにかじりつき、肉の旨味をじっくりと噛みしめて味わっている。
 そんなアルハイゼンの口元から一旦は目を逸らしたカーヴェだったが、うろうろと落ち着かない視線はまたアルハイゼンの口元へと吸い寄せられていく。

 (やばい、見ちゃだめだ)

 そう思いながら、しかしどうしても目で追ってしまうのは——アルハイゼンのくちびるからちらりと覗く、赤い舌だった。
 
 自分はあの舌を知っている。
 これまで何度もあの舌に絡め取られ、ねぶられ、辿られてきた。
 主張も反論も難なくこなす器用な舌は、言葉を載せないときでもカーヴェを上手に煽ってやまない。怖気づいて引っ込んだカーヴェの舌を、アルハイゼンの舌は誘い出して絡め取る。じゃれて付いた歯型をなだめるように、あるいはさらに押し付けるように舐める。ふくらんだ胸の突起をくすぐるようにつついては、さらに勃ちあがるようにと横から撫で上げる。ペニスの裏筋をなぞっていき、鈴口の割れ目に舌先を潜り込ませようとする。
 次々に脳裏に浮かび上がる舌技は振り切ろうとしても止むことがなく、顔がかっと熱くなった。
 カーヴェが体を固まらせているあいだにも、アルハイゼンは肉に歯を立て、ひとくちを頬張り、むぐむぐと咀嚼してごくりと飲み込む。そしてまた口の端についた肉の油を、あわいから覗いた舌がべろりとさらっていく。
 別段変わったところもない、見慣れた食事風景だ。きっと誰もがチキンを食べるとき、同じようにして食べるだろう。
 ただ、カーヴェが勝手に思い出してしまっただけだ——自分が味わわれる夜を。

 (これはまずい)

 ほんのり兆しかけている愚息を心のなかで叱咤しながら、カーヴェはぶんぶんと頭を振った。
 なにを考えているんだ。食事中だぞ。欲求不満でもあるまいし——
 それから気を取り直してグラスを傾けた。うっかり火照ってしまった体の中を、飲みごろに冷やしたワインがすべり落ちていく。ワインが食道を通りながら余計な熱をこそぎ落とし、正しく温めなおしてくれるような感覚がありがたかった。
 そろそろグラスの中身を飲み干そうかというところで、アルハイゼンがおもむろに口を開いた。

「カーヴェ。プレゼントはどうなっている?」
「プレゼント? ああ、メラック宛てのやつなら、食事のあとに渡すつもりだけど」
「そうか。では俺のぶんは」
「ええ? なにを言い出すかと思えば……このチキンじゃ不満か? もとは君のリクエストだろ」

 大皿のチキンを指さしながら言えば、アルハイゼンはむ……と口を小さく曲げた。それではご不満らしい。これはこれでうまいが、プレゼントというくくりではないと言いたそうな顔をしている。
 アルハイゼンの収入なら、人にプレゼントをせがまなくてもたいていのものは買ってしまえるだろうに。

……なんだ、君、なにか欲しいものがあったのか? 聞くだけなら聞いてやるぞ」
「欲しいもの」
「言うだけならタダだぞ。誰にだって夢を語る権利はある」

 カーヴェとしてもできる限り用意してやりたい気がないわけではないが、ゼロが十個並ぶような稀覯本がほしいと言われても困る。
 アルハイゼンはふむ、とそこで考える素振りを見せ、少ししてなにか思い当たるものがあったのか顔を上げ、カーヴェを見た。

……
……? おーい、アルハイゼン? どうしたんだ」

 手をはたはたと振って見せても、アルハイゼンは黙ったまま視線を外さない。
 まるで「俺がなにが欲しいか当ててみろ」とでも言うような顔だ。
 そうでなければ、あるいは——


 (まさか、欲しいのは……僕、とか?)


……ふ」

 じっとカーヴェを見つめていたアルハイゼンが、そこで小さく笑った。

「な、なんだよ。人のことをじっと見たかと思えば笑って」
「いや、なに。君は考えていることが顔に出やすいな、と思っただけだ。隠しごとには向いていないよ」

 考えていることが、顔に出やすい?
 言葉の意味を正しく理解した瞬間、かっと頬に熱が集まった。やましいことを考えたのがばれたことも恥ずかしいが、やましいことを考えています、という顔を晒していたのも同じくらい恥ずかしい。
 しかしそうなると、ばれていたのはひとつではないことになる。

……なあ、もしかしてだけど……さっき君がチキンを食べてるのを見てたのも、気づいてたか?」

 さすがにそれは知らなかった、と嘘でもいいから言ってくれ。
 そんな願いも虚しく、アルハイゼンはふん、と鼻を鳴らして、

「あれだけ熱心に見つめられて、気がつかないほうがおかしいと思うが」

 言うが早いか、べ、と舌先をわずかに覗かせた。

 もういっそ、埋めるなりなんなりしてくれ——
 そう叫びだしたくなるほどのいたたまれなさに、カーヴェはごちんとテーブルに突っ伏した。こんなとき、普段なら呑んで忘れてしまおうという気にもなるが、今手元にあるのはあの名高いアカツキワイナリーの限定酒だ。やけっぱちで呑んでしまうにはあまりにもったいなさすぎる。
 これこそ恥だ。食事中に欲情したり、「自分を抱きたいのかも」なんて思ったり、まるでそっちの期待しかしていないみたいじゃないか。正直そういう展開もやぶさかではないが単にやりたいだけではない。アルハイゼンはもちろんわかっているはずだが、そうでなくても年上として男として、格好悪いところはなるべく見せたくないのだ。

——待っている」

 言葉にならないうめき声を上げるカーヴェの向かいで、アルハイゼンは呟いた。

「プレゼントは枕元に届くものだ。だから、今夜は部屋で待っていることにするよ」
……それ、いい子に限った話だろ」

 まだ頬の赤いカーヴェが、もそりと身を起こした。

「もうすっかり大人の——それも、遅くまで起きてるようなやつのところに来てくれる酔狂なサンタがいるって?」
「寝ているほうが都合がいいならそうしよう」アルハイゼンは眉を上げてこくりと頷く。「経緯はどうあれ、明日の朝、枕元に届いていればいい」

 それって——。カーヴェは目を見開いた。

 明日の朝を同じベッドで迎えたい。
 アルハイゼンの欲しいものとは、つまりそういうことだ。

 いや、やっぱり合ってたんじゃないか! と、そう言いたいのをぐっと飲み込めば、「別に違うとは言っていない」とでも言いたげな涼しい顔のアルハイゼンと目が合った。プレゼントをせがむ側とは思えないふてぶてしさにはもはや呆れを通り越して驚嘆するまである。もしもテイワットふてぶてしいグランプリなんて大会があったとすればこいつは間違いなくスメール代表だし、なんなら優勝だって目じゃない。どう考えても恋人に獲ってほしい栄誉ではなさすぎるが、たぶんこいつなら、なにも頑張らなくてもいい線行ってしまうだろうという確信がある。
 でも、まあ——仕方がない。アルハイゼンはそういうやつなのだ。
 カーヴェは短いため息のあと、わかったよ、と頷き返した。

「プレゼントのない朝は寂しいからな。届けてやるから、ちゃんと待ってるんだぞ」

 カーヴェの言葉に、アルハイゼンは満足そうに目元をほころばせて「ああ」と返した。
 その様子に胸の奥が甘くきゅう、と鳴るのを感じながら、カーヴェはうっかり緩みそうになる口元を固く引き結んで誤魔化した。

 結局、僕はこいつのわがままに弱いんだよな。
 思わず歯茎をむき出しにしたくなるような皮肉も、呆れてしまうような詭弁も、「仕方がないやつだな」の一言で流せてしまうのはこのやっかいな可愛げのせいだ——と、カーヴェは思う。それを言った途端、どんなに親しい友人であっても「アルハイゼンに可愛げを見出しているのは君くらいだよ」と砂を吐きそうな顔になることを考えると、これもまた惚れた弱みのひとつなのかもしれない。けれど、アルハイゼンに対して明確に恋心を抱く前から——カーヴェのあとをちょこちょこと付いてきては、抱えている不相応に分厚い本を「今日はこれについて話したい」と見せてきた学窓の日々の中にも、その片鱗はたしかにあった。
 ようはずっと可愛いのだ。からだや態度が大きくなっても、向ける気持ちの種類が変わっても、自分だけにもっともむきだしの純粋な部分を見せるアルハイゼンのことが。
 そしてアルハイゼンもまた、カーヴェがそれに弱いことを知っている。

 難儀なものだな、とカーヴェがやっとチキンに手を付けようとしたとき、アルハイゼンの皿のチキンがすでに骨だけになっていることに気づいて思わず目を剥いた。見ればアルハイゼンはまさに今二本めを取ったところで、心なしか先程よりも食いつきがよくなっている。夜の約束をしたあとにこうもがつがつ食べられては、まるでこれからに備えて腹ごしらえをされているかのように思えてなんだか身構えてしまう。

 今夜、僕はどうなっちゃうんだ。
 アルハイゼンに歯を立てられるチキンにこれからの自分を重ねながら、カーヴェはごくりと唾を飲んだ。