しゅらま
2025-02-05 20:05:50
8106文字
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キス禁止令

妖怪島国のキスにまつわるお話。
※この作品は はるの(@haruno_Lemon)さん考案の妖怪島国の三次創作です。当方の解釈・捏造を多分に含みます
 妖怪島国の素晴らしすぎる設定はこちら
https://x.com/haruno_Lemon/status/1848025879311704162?s=19

 春の縁側、月明かり。桜舞い散るその場所で、ひっそりと身を寄せ合う妖怪が二匹。
 黒の手袋が嵌められている角張った指が頬を撫で、焦点が合わないほどに端正な顔が近づけられた。額に彼の髪が当たる。吐息の熱を感じる。真紅の瞳がゆっくりと瞼によって閉ざされたのを合図に、互いの口唇が触れた。柔らかな感触と互いの熱を穏やかに伝え合う感覚が心地よく、まるで微睡むような接吻だった。けれども、だからと言って油断してはならない──眼前の男、アーサーはいつだって獣のような男なのだから。
 ほら、来た。
 男の手が後頭部に回る気配を密かに感じ取った菊は、もはや逃げ道はないことを悟り、せめてもの抵抗でアーサーの服をやんわりと掴んだ。別に彼の接吻が嫌というわけではない。ただ、アーサーの口付けはあまりにも良いから油断すると腰が砕けてしまいそうになるのだ。
 ざらざらとした舌が桜色の唇を軽く舐めると、僅かな隙間から菊の口腔へ侵入する。歯列をなぞり、上顎を擦り、舌を絡める。この男の手管によってすっかり口腔でも感じるようになってしまった菊は、荒い息を上げながら、どうにか意識を持ってかれまいと必死になって食らいついた。それでも与えられる快感にはどうにも抗えず、ほんの僅かな酸欠も相まって、段々と彼の意識がふわふわと夢心地になってきた──そのとき。
「!」
 ビリ、と刺すような痛みが走った。
 全身の毛が逆立つ。愛くるしい猫耳が後ろへ反り、二本の尻尾がぶわりと膨らんだ。菊は大きく目を見開くと、先刻までのアーサーに弱々しく縋り付いて息も絶え絶えながらの様子から一転し、凄まじい力で目の前の男を突き放した。事前に菊の異変を感じ取っていた(というかキスの間ずっと菊の表情を見ていた)アーサーは、持ち前の体幹もあって特によろけることなく菊を手放す。
?おい」
 けれどもその変化の要因は分からない。アーサーは眉根を寄せながら菊の様子を窺った。先程までの甘ったるい空気は既に霧散していた。
 ぬばたまの髪が月光で天使の輪を成している。初めは俯いていて表情の窺えなかった菊だが、やがてゆるゆると顔を上げると、みどりの瞳と目を合わせた。
「アーサー」
 真紅がきらりと閃く。
「暫く接吻禁止です」
は?」



「あーっはっはっ!」
 テノールの豪快な笑い声が室内に響く。
「だからアイツ拗ねてやんの!」
「髭」
「伴侶から拒まれた男の威嚇なんてちっとも怖くないな」
「フランシスさん
 たしたし、と金の毛並みの尻尾が不満げに床を叩く。それを見てまたフランシスが軽快に笑い、庭からは楽しそうに駆け回る二匹の狛犬の声が聞こえる。ぽかぽかと温かい春の日差しが障子から室内に入り込み、何かと愉快なこの社。概ねいつも通りの光景である。
 緑茶といくつかの菓子を乗せたお盆を持って、腐れ縁たちの応酬に苦笑を浮かべながら奥からやって来た菊は、縁側に座るフランシスに差し入れた。
「お、カステラじゃん。いいの?」
「ええ。いつもお世話になっておりますから」
「上げなくてもいいだろ」
「男の嫉妬は見苦しいなあ」
 フランシスはからりと笑い、添えられたフォークでスポンジ生地を丁寧に切り分け、一口。それから穏やかな微笑みと共に「美味しい」との言葉を零した。金糸雀の髪と藤の瞳、端正な顔立ちと上品な仕草。アーサーは言うまでもないが、この人も大概絵になるようなお方だ。
「浮気」
「してません」
 そしてアーサーはやけに勘が鋭い。
 一反木綿たるフランシスは反物の商いを常としている。菊たちもまた彼の顧客の一人であり、今回は夏に備えて涼し気な反物を幾つか見繕ってもらっていたのだった。当のアーサーは畳の上に広げられた反物を吟味している最中である。まず初めに菊が選び、その後本当に必要かどうかをアーサーが選別するのだ。菊は欲しいものにあれこれ手を出しがちな傾向があった。
「あ!金平糖じゃないか!」
「勝手に食べちゃだめだよ
「いいえ、いいんですよ。あなた方の分ですから」
 金色の髪と犬耳が縁側の前でひょこりと揺れる。揃いの顔立ち、揃いの背丈。容姿で異なるのは藤と碧の瞳、あとは髪型ということくらい。近所の大社の狛犬たちは今日も仲良し。一緒に庭を駆けずり回り、今は目を輝かせながら金平糖を食べている。小さな二匹は星屑のような形をしたこの南蛮菓子がどうにもお気に入りらしかった。
「それで? 禁止令の理由は?」
「ああ大したことではありませんよ」
「頬の内側にできものが出来たんだってよ」
「舌が当たると痛いんです。もう治りかけではありますが、衛生面も考えて念の為」
 アーサーのざらざらとした舌なら尚のことだ──私も人のことは言えないけれど。
 へぇ、と。菊の言い分にフランシスは一度頷く。しかしすぐに首を傾げた。
「でもそれってさ、禁止令出すほどでもなくない? 舌入れなきゃいいんだからさ」
 菊が穏やかな笑みを携えながら一言。
「火車様がただの接吻だけで終わると思いますか?」
「ああ
「そちらだけを禁止しても、どうせなし崩しにしてしまうに決まっています」
「お前が痛がることはしねぇよ」
「どうだか。貴方は年中興奮していらっしゃるから」
「接吻だけですぐ発情するお前の言うことか?」
 あらあらまぁまぁ、仲のいいこって。
 緑茶の苦味を味わいながら、フランシスはどこか遠い目をしておしどり夫婦の会話を聞いた。きらきらの金平糖を頬張る狛犬たちもどこか呆れ顔である。
 初めに二人のこと──及び、アーサーの所業を聞き入れたときは「ああー、アイツまたやったか」等の感想を抱いたのみ。彼らが親密になり、それどころか穏やかな恋心を育むようになるとは思いもよらなかった。あの傍若無人なアーサーが、爺などと自称する男の歩みに合わせるようになるなんて想像もつかなかったのだ。
 つっけんどんな言葉は挟みつつ、けれどもその実互いのことをしっかりと思いやっている。どうしてこんな仲良くなったんだか。その疑問にはフランシスも狛犬たちも答えられない。答えを知るのは本人たちばかりのみ否、案外どちらも分からないのかもしれないし、もしかしたらないのかもしれない。最悪の出会いから始まった二人の関係性の転換点など。

「それ、どうしたの?」
「先程二人がくださいまして」
 二人、と菊が視線を投げたその先には、縁側で安らかに眠る狛犬たち。月明かりの下ですぴすぴと穏やかな寝息を立てている。昼間たくさん走り回った分よく眠れているようである。
 そして菊の手元にはひとつの桜。綺麗に薄桃色に色付いて、花弁も大きく五枚つけている。
「わざわざ自分たちの社から取ってきてくださったらしいんです。今年は綺麗に咲いたから、ぜひ私にも見て欲しいと。もちろん神主さんの許可も取って」
「へぇ、いいね」
「ええ。また後日お菓子で謝礼をせねばなりません」
 言葉を零す当人の目元はひどく穏やかだ。その理由はもちろん視線の先にいる狛犬たちなのだろうが、きっとそれだけでもないのだろう。
「菊ちゃんはさ」
「はい」
「どうしてアイツのこと好きになったの」
 ぱちくり、とひとつ瞬き。
「突然どうしました?」
「いや、前々から気になってはいたんだよ。お前らの出会いって最悪だっただろ? 確かアーサーが菊ちゃんの社の鳥居壊したとかで」
「ああ
「その後も小競り合いして、喧嘩して。すごく仲悪かったのにいつの間にかくっ付いてるし」
そうですね」
 それからしばらく菊は黙り込んでいた。とうの昔にしまい込んだ記憶を取り戻すために深い思考の海に漂っていたから。けれどもそれらしい記憶を見つけることは出来なかったのか、どうしてでしょうね、とどこか気の抜けた返事をした後、言葉を続ける。
「ぶっきらぼうで、気性が荒くて、口も悪いし。夜伽のときはマセ餓鬼ですし」
 その情報はあまり知りたくなかった。
「その上に私の社を壊したというものですから。好きになる要素なんてこれぽっちもありはしない」
それでも好きなんだ?」
「ええ。困ったことに」
 それでも目元は柔らかく、口端は緩んで、紅玉の奥には確かな慈愛に満ちている。困った、なんてちっとも思っていない声色で、彼は続けて愛の言の葉を紡ぐ。
「社を壊されたときはどう苦しめてやろうかと思いました。その感情はきっちりと覚えています。それでもあの人が愛情深い方だと知ってしまった」
……
「愛情深くて、懐に入れた人には真っ直ぐに気持ちを伝えてくれる、可愛らしい方。そのことを知ってしまった時にはもう手遅れでした。慈しみが憎しみを上回ってしまっていた」
 自分の話をしているなんて全く気づいていない──もしくは敢えて無視している──様子のアーサーは、縁側で晩酌を嗜みながら、ぼんやりと月を眺めている。それから狛犬たちを横目で見遣ると、緩慢な動きで腕を伸ばし、アルフレッドの額に乗っていた桜の花びらを取ってやった。アーサーの掌の上に乗っていた桜は、風に攫われてどこかへ消える。
「そしてそんな可愛らしいお方が、こんな老い先も短い爺が良いと、手を取ってくださった。ならば。彼が傷だらけの私を愛してくださるその限り、私もその愛に報いたいと思ったのです、きっと。それは何らおかしいことではないでしょう」
そうだね」
 変化したのは二人の関係性やアーサーだけではないのだろう。菊の性格もきっと変わった。
 フランシスは菊との交流が昔からあったわけではないため、昔の菊の態度や性格を事細かに知ってはいない。それでも今よりももっと隙がなかったように思う。良くも悪くも。決してアーサーほど気性が荒かったというわけではないけれど、何人たりとも寄せ付けない気迫があった。そんな彼が今のような朗らかな性格になったのは、帰る場所と待つ相手が出来たことがきっと関係しているのだろう。菊の心の拠り所がアーサーになっているのなら、ただの顔見知りの妖怪でしかないフランシスも、それを喜ばしく思うのだ。
 菊の返答を聞いて満足したフランシスは、柔和な笑みを携えながらゆっくりと腰を上げ「アル、マシュー。帰るよ」と狛犬たちに声をかけた。穏やかな眠りを邪魔された彼らはまだ半分夢の中。何やら唸り声を上げていた。
「おや、お帰りになるのですか? てっきりお泊まりになるかと」
「まぁおしどり夫婦を邪魔するほど俺も野暮じゃないよ」
「とっとと帰れ」
「アーサー」
 菊に咎められても尚「ケッ」と悪態をつくアーサーに、フランシスは苦笑を零す。彼の体は既に(物理的に)薄く、その体の上に寝ぼけたままの狛犬たちを乗せていた。つくづく面倒見のいい男である。
「やっぱり俺はお前を可愛いとか思えないわ」
「はぁ? 俺も思われたかねーよ」
「あらまぁ」
 穏やかに微笑む菊はそれきり口を噤むばかり。フランシスはそれに一瞬意表を突かれたような表情をした後、アーサーの方へ顔を向けた。
「お前さあ」
「あ?」
「菊ちゃんのどこが好きなわけ?」
 アーサーは一拍ほど間を置いて口を開く。
「顔」
「あー
「用件済んだなら早く帰れ。邪魔だ」
「はいはい、邪魔者は撤退しますよ。それじゃあ菊ちゃん、今日はありがとう」
「こちらこそ素敵な反物をありがとうございました」
 フランシスの体が浮き、ふわふわと夜空を漂う。本当はもう少し速度を出せるが、まぁ子供たちが乗っているのだ、低速飛行で行こうじゃないか。アルフレッドは速度が出ている方を好むかもしれないけれど、まだ寝ぼけているし。
 けれども、寝坊助わんこたちはいつの間に目を覚ましていたのか、フランシスの背中の上で何やらこそこそと話し合っていた。議題は「先程のアーサーの発言について」である。
「顔だけって最低じゃないか?」
「照れ隠しじゃない?」
「あのアーサーが?」
 フランシスに言わせれば、菊のあの態度もアーサーの発言の真意も単純明快である──お前に語ることは無い。この人魅力は私だけが分かっていればいいのです。
 あーあ、結局似た者同士かよ。
「(好きなだけ独り占めしとけ)」


「顔だけですか?」
「マセガキな上に可愛いって?」
「地獄耳」
「口軽爺」
 軽い応酬もほどほどに、二匹は縁側で月見酒を始めた。春の夜の冷風が酒で火照った体の熱を奪っていく。黒真珠の髪を揺らし、長い睫毛がふるりと震える。頬を僅かに朱色に染める菊の様子を覗き見た後、アーサーはお猪口を軽く仰いだ。しかし唇に何やら当たる感覚がして、傾けるのをやめ、お猪口の中を見る。いつの間に入り込んだのだろう。日本酒の水面の上に、桜の花びらが一枚浮いていた。
 それに気を取られた。
「アーサー」
「あ? 何──
 くい、と袖を引っ張られて、顔を横に向けて。そして迫る顔と口唇に柔らかな感触。ぴくりと体を少し揺らした後、アーサーは忍ぶように手を動かして。
「今舌入れようとしたでしょう」
 すかさず体を引かれた。
「してねぇ」
「しました」
「してない。そもそも先に誘ってきたのはお前だろ。接吻しないんじゃなかったのか?」
「火車様からの接吻を禁止しただけで、私からのものを禁止した覚えはありません」
「屁理屈」
「普段の火車様が得意としていることですね」
 菊は僅かに嘲るように笑って、日本酒で口元をほんの少しだけ濡らした。あまり一気に飲むと傷に染みる。
「口寂しそうでしたから、おつまみが必要かと思って気を遣ったのに」
「足りない」
「おつまみは量が少ないからこそおつまみなんです」
 アーサーの尻尾が不満げに揺れる。彼の尻尾は菊のものよりも長く太いため、たしたしと床を叩く様は程々に迫力があった。それでも菊は余裕綽々といった様子で柔らかく笑う。
「火車様、接吻したら必ず舌を入れてくるから嫌なんですよ。傷に染みるでしょう。私に痛い思いをさせたくないのでは?」
「傷口を避けることくらい簡単にできる」
「それはまぁ。随分な自信ですね」
 舌を入れることは否定しないらしい。
 菊だって嫌で接吻を禁止しているわけではないし、アーサーとの触れ合いの時間が削がれるというのは、ほんの少し心細くもある。何よりも彼との軽い接吻──外つ国ではバードキスと呼ぶらしいそれは、微睡みのような心地がするし、菊も存外好んでいる。何も口寂しいのは菊だけではない。せめてアーサーの舌を必ず阻止できる策があれば
 ポン。菊はひとつの案を思いついた。ピクリと猫耳が揺れる。
「火車様、ちょっとじっとしていてくださいね」
それは」
 狛犬たちにほんの少し申し訳ない気持ちもあるけれど。
 菊は懐からひとつの桜を取り出した。昼間アルフレッドとマシューからもらったもので、相変わらず綺麗に色付いている。その桜をアーサーの唇に当てた。僅かに残っていた茎の部分を彼が咥えることになったために、おしゃぶりみたいになってしまって、ちょっと笑ってしまう。怪訝な顔をしている火車様には絶対に言えないことだ。
「これなら大丈夫ですね」
 そして菊はゆっくりと顔を近づけた。
 絹のような濡鴉の髪がさらりと揺れる。長い睫毛がふるりと震える。薄桃色の唇が桜の花弁にふわりと触れる。体感にして一分ほど、時間にしてほんの数秒、もしかしたら一秒にも満たなかったかもしれないそのとき。
「──」
「っは、な!?」
 菊が体を離そうとしたその刹那、アーサーが菊の後頭部に手を回した。
 嫌な予感がしたときにはもう遅い。
 アーサーは桜ごと菊の唇を食んだ。眼前の男が何やら声を上げようとしていてもなんのその。傍若無人たるアーサーは菊の抵抗を知らんぷり。あっという間に自らの領域に引き込んだ。
 息継ぎをしようとしてもまた口を塞がれる。口腔を蹂躙する舌がその余裕を与えてくれない。まるで溺れているようだ。呼吸が出来ないという意味でも、そして快楽という意味でも。
 暴力的なまでの快楽に脳が揺さぶれるような思いだった。ざらざらとした舌が上顎をなぞり、またひとつ体を戦慄かせる。どちらのものかも判別のつかない唾液で傷が染みる。口から零れた唾液が顎を伝い、菊とアーサーの服を僅かに濡らす。ふわふわと夢心地になってきた思考の中で、必死に理性を手繰り寄せ、菊はアーサーに負けじと食らいつく。けれどもやはり叶わず、眦に生理的な涙を浮かべながら、菊は床に押し倒され、そこでようやく唇を解放された。
「あ、あなたねぇっ」
 菊の抗議の声は喉奥に消えた。僅かにはだけた自らの着物の胸元から男の手が入り込み、何やら不穏な動きを見せ始めたから。節くれだった指が胸の飾りをかすめ、悲鳴のような声を飲み込んだ後、菊は頭上の男を睨みつける。
「待ってください、まさかここで」
「まぁたまにはいいだろ」
「貴方はいいでしょうけど、わたしはっ……!」
 その続きはまたもや飲み込まれる。今度はアーサーの唇によって。何とか保っていたぐらぐらの理性も、こう何度も襲撃を受けてはまともに維持できるはずもない。次に唇を離した時、菊の理性は既に溶け、代わりに真紅の瞳は欲で濡れていた。紅潮した頬、半開きの濡れた唇、はだけた着物。扇情的な番の姿に、アーサーはニヒルに笑う。
「煽ったお前が悪い」



「えーっ!食べちゃったのかい!?」
「本当にごめんなさい。全ては私と悪食のあの男が悪いのです」
「大丈夫、桜はまだあるからでも、お腹壊しちゃうかもしれないから、食べるのはもうやめておいたほうがいいと思うよ
 数日後。
 菊はアルフレッドとマシューに桜についての謝罪を行っていた。もちろん、教育に悪いので事の経緯の説明は省いて。
 しかし恋愛専門家のフランシスは何が起きたのか大まか察したらしい。意地の悪い笑顔を浮かべながらアーサーを見遣る。
「それで。禁止令が延長になってまた拗ねてんだ?」
「ええ。自業自得です」
「ざまぁないな」
「殺すぞ」
 フランシスに噛みつきそうになったアーサーをまたもや菊が窘める。さらに「禁止令って?」と何も知らない狛犬たちも宥めた。世の中には知らない方がいいこともあるんですよ、と。
 それにつまらなそうな顔をしたアルとマシュー。これは変に追及されそうだ、と勘づいた菊は、人好きな笑みで彼らに話しかけた。
「そういえば。今なら火車様が遊んでくださるそうですよ」
「え!」
「はぁ!?」
「私はどこかの乱暴な猫のせいで体を動かせないのでよろしくお願いしますね、アーサー」
「っテメ」
「隠れんぼしよう!俺が勝ったら君たちのおやつ全部くれよ!」
 元気な子供たちに引きずられていくアーサーを見て、菊が上品に笑みを零す。本当に嫌ならもっとちゃんと抵抗するだろうし、案外気にしているのかもしれない。全く素直じゃない人だ。
「本当に可愛らしい方」
 と、言葉を零したのを。耳をそばだてていたフランシスは確かに聞いた。外から見ればどちらも可愛らしいものである。
 禁止令を延長したところで、この二匹はどうせまた同じことを繰り返すのだろう。そして彼らはそのことに心のどこかで気づいていて、しかしそれを敢えて無視している。それは最早命令の意味を成していない。結局「禁止令」なんて彼らにとっての一種の戯れに過ぎないのだ。
 けれど、それを指摘したところで何にもならない。それどころか猫神に睨まれて連鎖的に火車にも噛みつかれるのがオチである。ならば一介の一反木綿のできることは、「禁止令」を黙認し、彼らの戯れを温かく見守ることのみである。
「お前ら本当にお似合いだよ」
 最初じゃ到底想像できなかったその言葉。同じくフランシスの様子を窺っていた菊は、その言葉を拾って一瞬目を丸くした後に、ちょっぴりこそばゆそうに微笑んだのだった。