二月四日の夜、ディナーに行くからと司に呼び出されたこはくは待ち合わせの場所であるESのロビーのソファーに座っていた。往来する人々と手元の端末に映る時間とを交互に眺めて息を吐く。
明日、二月五日は桜河こはくの二十歳の誕生日だった。記念すべき日を一緒に迎えたいから今日の夜を空けておいてほしいと、当主であり恋人でもある司に誘われて、断る理由は思い付かなかった。
とっくに頭に入っている明日の仕事のスケジュールを眺めて暇を潰していると。
「お待たせしました」
革靴の音が傍で止まると同時に降ってきた聞き慣れた声に、端末の画面に落としていた視線を上げた。
「……坊。おつかれさん」
額を見せたヘアスタイルにスーツという出で立ちは、いつもより大人びて見えて、心臓がきゅっと高鳴る。急いで来たのか、軽く肩で息をしている。ソファーから立ち上がって迎えるこはくに司は表情を綻ばせた。纏う雰囲気は多少違えど、向けられる表情の柔らかさは変わらず、ほっとするついでに心臓の鼓動を宥めることに努める。
「Dinnerはまだですよね?」
「坊が食べんと待っとれ言うたんやんか。おかげでお腹ぺこぺこや」
「私の言いつけを守って良い心がけですね」
上機嫌な司の横顔を見ながら、彼に続いてタクシーに乗り込む。腰かけたシートがやけに柔らかく感じて居心地がいい。司と共に過ごせることにそれほど浮かれているのだろうかと、少し気恥ずかしさを覚えた。
移動するタクシーの中で、司がホワイトデー特集の撮影終わりであること、ヘアセットはそのままに衣装だけを着替えてやってきたことを聞いた。
かっこいいでしょう? と得意顔を見せつけてくる司を素直に褒めるのはどこか癪で、いつもとは大違いやね、なんて可愛くない言葉で返す。それにもかかわらず、司は嬉しそうに目を細めるだけでそれ以上何も言わない。
やけに機嫌が良い。自分と一緒に過ごせるこの時間そのものが愛おしくて仕方ないという態度だ。何をしても許されているような甘い雰囲気にむず痒くなってくる。可愛げのない自分を振り返っていたたまれない気持ちになる。
二人を乗せたタクシーは夜の一等地を走り抜けていく。煌びやかな町並みの中でいっとう目立つ高層ホテルが目に留まる。天へと真っ直ぐに伸びる光の塔の中には一体どんなセレブ達がひしめいているのだろう。徐々に近づくそれをぼんやりと目で追っていると、あろうことかタクシーは塔の根元へと吸い込まれていった。
「なっ……!?」
帰るべき家に辿り着いたような自然さでホテルの裏手に停まったタクシーに、こはくは声をあげてシートから背中を浮かせた。どうやら民間のタクシーだと思っていたこの車はホテルの送迎車だったようだ。
「どうしたのですか、こはくん。降りますよ」
「ちょお、まって、ディナーってここ!?」
半ば引きずられるようにして、ドアマンが開ける扉の奥へと連れていかれる。白の壁と金の装飾と赤のカーペット。それらの眩いコントラストに目がちかちかとする。ドレスコードが求められそうな荘厳な雰囲気に、普段着でこの場にいることがひどく落ち着かなかった。
ほどなくして受付と思われるカウンターに辿り着いた司は慣れた様子でホテルマンと言葉を交わしている。伸びた背筋とその上にある横顔が凛々しく見えてぼうっと見とれた。
「ええ、案内はここまでで結構です。ご丁寧にどうもありがとうございます」
司が言うとホテルマンは恭しく一礼して奥へと消えていく。どうやらぼんやりしている間に受付を終えたらしい。
「行きましょう」
歩き出した司の後ろをついていく。豪華絢爛な装飾と眩いライティングが醸し出す高級感溢れる雰囲気に落ち着かず、きょろきょろと視線を彷徨わせてしまう。
進んだ先には金の装飾が施された鳥籠のようなエレベーターがひっそりと佇んでいた。司がカードキーを翳すとその籠は音もなく口を開いた。
「さあ、どうぞ」
エレベーターの扉が閉じると二人きりの密室になる。途端、司の手がこはくの指に絡まる。どこに連れていかれるというのか、ぐんぐんと数字の大きくなっていくパネルを呆然と見つめる。途中で耳が詰まるような感覚がして、こはくは唾を飲み込んだ。けれどもエレベーターは減速する気配もなく、結ばれた手に力が籠る。
このまま空の上へ連れていかれるのではないかと不安になったところで次第に減速し始めたエレベーターが、ふたりの体を抱き上げるようにゆっくりと停止する。開いた扉の先から射し込む光の眩さに目を細める。
司に手を引かれて、再び目を開くとロビーのような開けた空間の中心で水を踊らせる大きな噴水が目に入った。陶器のような白く滑らかな肌に繊細な装飾が施されている。その頭上にはシャンデリアが吊るされていて、ネットやテレビでしか見ないような光景にまるで現実感を得られず目眩がするようだった。
足音も全て吸収してしまうような柔らかさのレッドカーペットを進み、噴水の奥にある扉に手をかける。ルームキーを読み取った扉が独りでに開いて奥へ招かれる。そこに広がっていた景色に足元から崩れそうになった。
壁は一面ガラス張りで、夜空と繋がっている。ベッドのような大きさのソファーに、司とこはくのふたりが全身を飲み込まれても余りあるほどの大きな液晶モニターなど、すべてのスケールが日常とかけ離れていた。
ホテルの一室と言われて想像できる範疇を越えている。屋敷の大広間、パーティー会場、その辺りが妥当だろうか。
「なに、ここ……?」
辛うじて口にできたのはその四つの音だけだった。
「今夜私たちが過ごす部屋ですよ。寝室はまた別にありますので、後で見に行きましょうね」
「えっ、わし、今日泊まるん? ここで? 夜空けとけってそういうことやったん!?」
「問題ありますか?」
「と、泊まりの用意なんかも持ってきとらんし」
「心配ありませんよ。手ぶらでも宿泊できるように設備もItemも揃っていますし。足りないものがあればHotel側から取り寄せますよ。多少の融通は利かせてくれるでしょうし」
「明日、仕事やってあるし……」
「ここはこはくんの明日の現場に近いですから、ゆっくりできますよ」
案の定スケジュールも把握されていて、次々と退路が塞がれていく。こんな身の丈に合わないような部屋で一夜を過ごすなんて気が引ける。けれどその一方で、司と同じ時間を過ごせることは甘美な誘惑でもあった。
「こはくんと少しでも長く一緒にいたいんです。ダメですか?」
真っ直ぐに告げられて、あっけなく陥落する。嫌とは言えるはずもなかった。
司の提案を受け入れると同時に、彼のコートのポケットが細かく震えだす。
「今夜は連絡しないようにと各所に伝えておいたはずなのですが……。仕方ありませんね。少し待っていてくださいね」
取り出した端末の画面を確認した司はひとつ息を吐いてそれを耳に当てた。
「朱桜です。お世話になっております。急ぎのご用件でしょうか。……はい。……あぁ、その件でしたら──」
甘く柔らかだった司の声から温度が削がれて当主としての毅然とした声音に一瞬で切り替わる。別人のように思えて息を呑んだ。
通話をしながら器用にコートを脱ぎ、ハンガーに吊るし終えた司は、先ほどくぐった扉から出ていった。
遠くなっていく声を見送りながらこはくは解放されたような心細いような心地でガラスの壁に体を預けた。
朱桜家当主とKnightsのリーダーの二足のわらじを履いた司はあいかわらず忙しい。今夜のスケジュールが噛み合ったのも奇跡みたいなものだ。
この頃、司とは直接会うよりも、街頭のモニターやテレビやネットなど画面越しで見かける時の方がずっと多かった。
こはくもこはくでCrazy:Bとしてライブやバラエティの仕事だけでなく、ソロの仕事も多々舞い込んできており、最近はモデルや俳優業にも力を入れている。お互いに忙しく、久々の体温と二人きりの時間に、どう振る舞えばいいのか困惑していた。
手元に落としていた視線を外の景色へ移す。眼下には都会の夜景が広がっていて、小さな淡い光が散りばめられて星のように瞬いている。随分と高いところに連れてこられてしまった。人々の営みが遠く足元に不規則に並んでいる。遠く向こうまで連なる光に、世界の広さの片鱗を改めて目の当たりにする。表に出て五年近く経つが、世界は果てなく広い。自由もまた然りだった。ひとり、ここに立っているとそれを思い出す。
どんなに高く登ろうと星空は遥か遠く、天も地も届かない中途半端なあわいで宙ぶらりんになって、地に足が着いていないような気持ちになる。
「そんなところでぼうっとしてないでこちらへどうぞ。Jacketをお預かりしますよ」
電話を終えたらしい司が手招いている姿がガラスに映る。宙に浮いたこの空間は静かで声がよく通る。こんな場所で二人きり。世界でふたりっきりになった心地になる。落ち着かなくて心が高揚に粟立って、司が差し伸べる手を握った。
「……? こはくん、Jacketを……」
首を傾げた司と目が合うと、彼は閉じた唇を微笑みの形にして片方の手をこはくの手に重ねた。柔らかな体温に包まれて、とくりと心臓が跳ねる。
「緊張してますか? 今夜はふたりきりなのでくつろいでくださいね」
そう言って美しいアメジストを楽しそうに細める。シャンデリアが降らせる光を反射して宝石のように煌めく。秘密基地に高揚する少年のような純粋なきらめきだとも思った。
吸い込まれるように見つめていると、ゆっくりとその色が近づいてきて、自然と瞼が降りる。唇に柔らかいものが触れて、すぐに離れていった。
「ふふ、何か欲しいものでもあるんですか?」
「別に、ほしいもんなんか、なんも……」
「そうですか? 何でも言ってくださいね」
くすくすと笑いながら司はこはくのコートを肩から外していく。
「ええって、服くらい自分で脱げる」
「おや。なかなか脱いでくれないので今日は私に甘えたい気分なのかと思ったのですが。でしたら早く脱いでくださいね。もうすぐDinnerの時間ですから」
司の言葉に空腹を思い出した胃袋がきゅうと切なげな音を鳴らして、いそいそと上着を脱いで司のコートの隣に掛けた。
扉の前で待っていた司に連れられて入ったダイニングルームは和室だった木材のテーブルの上には豪勢な御膳が二人分置かれている。
「……和食?」
「和食の方がこはくんの口に合うかと思いまして。好きでしょう、和食」
「好き、やけど」
ホテルの雰囲気からてっきりコース料理が出てくるものだと思っていたから、不意を突かれて言葉を失う。
手段こそ騙し討ちのような強引さだったが、こはくのことを純粋にもてなそうとしてくれていること感じて胸がじんと暖かくなる。
向かい合って手を合わせて御膳に手をつける。美味しい。上品な味付けと慣れ親しんだ和食の味に心と表情が緩む。
「美味しいですか?」
柔らかく煮られた人参を飲み込みながら、こくんと頷くと司が大層嬉しそうに顔を綻ばせるから、気恥ずかしくなって視線を逸らしながら次の食材を口に放り込んだ。
食事をする間に訪れる静寂は、室内に置かれたししおどしの小気味良い音が打ち消してくれて、風情な音色に心が凪いでいく。
「さて、そろそろDesertにしましょうか」
お互いに食事を終えたタイミングでうきうきとした調子の司が両手をパンッと合わせた。スキップでもしようかという足取りで一度部屋の外に出た司は手に大きなパフェグラスを抱えて戻ってきた。真っ白なクリームとふかふかのスポンジが何層にも丁寧に積み重なっていて、その合間やてっぺんには宝石のように艶やかなイチゴがふんだんに盛り付けられている。その鮮やかな色合いは苺のショートケーキを思わせる。
「ここでしか食べることのできないStrawberry Parfaitです! 選び抜かれた最高級の苺に牛乳や卵、すべての食材にこだわって作られたParfaitなんです。美しくて溜め息がこぼれてしまいますね」
饒舌に語る司にくすりと笑みがこぼれる。大人になってもスイーツへの情熱は変わらないらしい。
「まさか、これが食べたいがためにわしを口実にしたんとちゃうやろね?」
揶揄うと司が口を尖らせた。
「失敬な。このParfaitが一目見たいと思っていたことは事実ですが、あくまで、こはくんに素晴らしい一夜を過ごしてもらうためのおまけに過ぎません」
「さよけ。見るだけやなくて味わったらええやん。ほら」
パフェを崩さないよう丁寧にスプーンですくって司の目の前に差し出すと、目を見開いて首を横に振った。
「いえいえ、こはくんが召し上がってください」
「こんな大きなパフェ、一人で食べきれへんわ。坊にじっと見つめられながら食べるんも落ち着かんし。つべこべ言わんと、ほら」
唇にスプーンを押し付けると、逡巡の後、観念した司はゆっくりと口を開いてパフェを舌に乗せた。もぐもぐと咀嚼するごとに瞳の輝きが増していく。言葉を発しなくとも伝わってくる美味しさに、それだけで心が満たされていく心地だった。
少しずつ司と二人きりの時間に慣れて、愛おしむ余裕が生まれてくる。
二人して極上のパフェを堪能した後、胃袋が落ち着いた頃にシャワーを浴びた二人はソファーに並んでくつろいでいた。
宿泊に必要なものは揃っていると言っていた司の言葉通りというかそれ以上だった。寝間着はパジャマだけでなく、バスローブや浴衣まで用意されていて、選択肢が豊富だった。司はバスローブ、こはくは浴衣を選んで浴室を出た。
ベッドのようなソファーにほとんど寝転ぶような形で腰をかけて、お互いの近況を報告し合う。仕事の話、最近見つけたおすすめのスイーツの話。この頃ゆっくりと話し込む時間が取れなかった分、話のネタは尽きることなくあふれてきて時間を忘れてしまう。
「──もうこんな時間ですか。こはくんといると時間が早く過ぎていきますね」
腕時計をチラリと確認した司がおもむろに立ち上がり、部屋を出る。突然取り残されて手持ちぶさたになるが、司はすぐに戻って来た。司が押す銀のカートには色とりどりのカクテルグラスがいくつも並んでいた。テーブルの近くまで戻ってくると、それらを並べてから再びこはくの隣に腰かけた。
「これ、なんなん?」
「Cocktailですよ。こはくんは初めてですよね?」
「おん、まだ飲まれへんからね……?」
「ふふ、では司がこはくんに教えてあげましょう」
いまいち意図が理解できていないこはくをよそに司は得意気に話を始める。
一足先に二十歳を迎えた司はKnightsの兄達に連れられてある程度酒を嗜んでいるらしかった。それとも、自分で調べたのだろうか。このカクテルは何と何が混ざっていて割合がどうだとか、どんな風味だとか、流暢な英語を交えながらひとつずつカクテルの特徴を説明してくれるが、聞き慣れない単語が多くていまいち理解ができない。意気揚々と話す司の楽しそうな表情の方によっぽど興味が惹かれていた。
「どのCocktailが気になりましたか?」
「え? えぇっと、う~ん……」
説明を終えたらしい司が訊ねてくる。これっぽちも解説が頭に入っていない。どれかひとつを選べと突然言われても困ってしまう。ずらりと並んだカラフルな液体たちを目線で何度か往復して、一番目を引いたガーネット色したカクテルを指差す。
にこにこと頷いた司がそのグラスを取って一口含む。選ばせたくせに自分が飲むんかい! とツッコミをいれかけたこはくに向かって司は目を細めた。
不意な視線と、色を濃くしたアメジストが放つ色気に心臓が高鳴る。
見とれるこはくのフェイスラインを、整った爪先が撫でて顎を持ち上げた。カクテルを口に含んだままの司はアイコンタクトで目を閉じるように促す。
言われるがまま目を閉じると、逸る胸の鼓動を一段と強く感じた。近づいてくる唇の気配に、自然と唇が薄く開いて受け入れる態勢になる。
息を浅く吸った瞬間、唇に柔らかい感触が訪れる。心地よさに胸がじわりととろけていく。
堪能するのもつかの間、顎に添えられた親指がさらに口を開くよう促して、言われた通りに歯列を開くと、するりと滑り込んできた舌と一緒に少量の液体が口内に流れ込んでくる。
甘い味と鼻に抜けるアルコールの香りを感じる。慣れない感覚につい薄目を開けて訴えるが、司はゆっくりとした瞬きで答える。そのまま飲み込めと言っているようだ。その間も司の舌はアルコールを刷り込むように口内の壁を撫で回していく。与えられる刺激と強引な司に背中がぞくぞくと震えた。
「は、ふ、……っ、ん」
離れない唇と注がれた液体に溺れそうになりながら、何とか飲み込むと焼けるような感覚が喉を通って胃まで降りてくる。
飲み込んだのを確認して唇が離れるのと同時に、端末が震えて日が変わり目を告げる。
「こはくん、お誕生日おめでとうございます」
悪戯っぽく細められるアメジストと、舌に残る初めての甘さに高揚が指先までじんわりと広がっていく。
「日付変わる前に飲ませるなんて悪いおひと」
「ふふ。ほんの少し気が急いてしまいましたね。でも、知っているのは私たちだけですよ」
アルコールの残る吐息混じりに耳元で囁かれると、何も言い返せなくなってしまった。鼓膜を通って脳の表面にアルコールを注がれたようになって脳が痺れていく。
おそらく誕生日を祝うメッセージを受信して何度も震える端末を他所に何度も唇を重ねて、司の口内から注がれるカクテルを飲み込む。しだいに頭がふわふわとふやけていく。アルコールで酔っているのか、司の唇に酔っているのか分からない。
まるで親にエサを与えられる雛鳥のようだと錯覚しそうになる。カクテルを選ばせてくれたのは最初だけで、後は別のカクテルを試飲のように次々に口移しで注がれた。途中でどれが好みですか? と訊かれたがそんなもの覚えているわけがない。それほど量は飲んでいないはずなのに、鼻腔も口内も脳内もすっかりとアルコールに浸食されて思考に膜が張ったようにぼやけている。
アルコールと甘いアロマの香りに満ちたこの部屋の空気を吸い込む度にどんどん体温が上がっていくように感じる。
いつの間にかリキュールそっちのけでただ互いの唇を貪り合っていた。
「ん……ふ、」
唇の表面を擦り合わせているだけでも心地よくて、目蓋がとろんと重く降りてくる。
お互いに舌を出して唇の外で舌を絡み合う。舌の表面の凹凸をぴったりと重ね合わせるように擦り付けていくと、脳が痺れてぞわぞわと背中がわななく。
「ん……ふ、ぁん、む」
司の舌先から滴る唾液すらもったいなく思えて唾液ごと舌を掬いとってそのまま自分の口内へと導く。
鼻腔を通り抜ける甘いアルコールの香りが一層強くなって、頭がくらくらする。お互いの舌の全部をくまなく愛撫しあった後、息が続かなくなって唇を離した。
「ふ、はは。がっつきすぎ、坊」
「こはくんが、欲しがったんでしょう?」
紅潮した顔を突き合わせてしょうもない小競り合いを交わす。二十歳になっても変わらない温度感が可笑しくて、嬉しくて、どちらからともなく笑い声があふれた。アルコールが回って感情の栓が緩んでいるらしい。
「もしかして、もう酔ってきてしましたか?」
顔を覗き込んでくる司もまた頬がほんのりと色づいていて。
「坊こそ。もう酔っぱらっとるんとちゃう? わしより一足先に飲めるようになった割に耐性ないんとちゃうの?」
負け惜しみに近い虚勢を張ってしまう。ここで「酔っちゃった♡」なんて猫なで声で甘えることが出来れば可愛らしい恋人らしくあれるのだろうが、売り言葉に買い言葉で、そういう計算をする前に口が勝手に憎まれ口を叩いてしまう。
黙り込んでしまった司に気まずい罪悪感を抱いていると、その口の端がにやりとつりあがった。
「……そうですね。酔ってしまったかもしれません」
「あ、っ、ちょっ……!」
悪戯っぽく笑った司にソファーへと押し倒される。覆い被さってきたその姿は天井の灯りを背負い、逆光の中から艶めく紫の視線が強調されて降り注ぐ。いつも凛と透き通った中に慈しむような光を放つ瞳が今は、ギラギラと高揚する欲望を湛えていて、背筋がゾクリと震えた。
「離れんか! この酔っぱらい……!」
「酔っぱらいなので聞こえませんね」
軽口を叩いた司の唇が押し付けられて口を塞がれる。押さえつけられるようにより深くなる口づけに後ずさって和らげようとするが、よく沈むソファーの座面に拒まれて叶わない。
酸欠に陥りそうになって、しかめた目を開くと高揚で濡れたアメジストと目が合って、体の中心がぞくぞくと疼いた。司が自分とのキスで興奮しているのだと分かって、喜びがからだの奥から溢れだす。込み上げてくる幸せにじわりと視界に水膜が張っていく。
「んっ、ふ……ぁ、にいはん、っ、まって……っ、あっ、ん」
口から離れた唇が頬や耳、顎先を伝いながらどんどん肌を下っていく。鎖骨に口付けられて淡く歯を立てられると腰が浮いた。
自分の口から飛び出す甘ったるい声に耳を塞ぎたくなるが、司の手が両肩を掴んでいて可動域が制限された腕ではそれもできない。アルコールが入ったからか、皮膚の感覚が鋭くなっている気がして唇で触れられる度に熱をもった吐息があふれてくる。
司の唇から与えられる愛撫になすがまま身悶えていると、体の中心に熱が集まってくる。
「ん……っ、なぁ、つかさ、はん」
二人きりの時ですらほとんど呼ばない名前で誘うと司の動きがぴたりと止まった。体を起こして見下ろす司の肌がみるみる赤く染まって、動きがたどたどしくなる。
「え、と、あの、桜河、やりすぎました」
「は、はぁ!?」
お手上げというように両手を上げ、これ以上進む意思がないことを示す司に思わず声を荒げる。
「やるためにわしをホテルに連れ込んだんと違うんかい!」
「そんな邪な気持ちでは……! 夜更かしを楽しむためにGameなども色々用意していたのに……っ」
顔を覆って弁明をする司だったが、指の隙間から覗き見たこはくの上気した肌にごくりと喉を鳴らす。けれど、すぐに燻る熱を振り払うように首を振った。
「こんなのまるでケダモノではないですかっ」
「わしがええっち言うとんやから、ケダモノでも何でもなったらええやろ!」
体を起こし、残っていたカクテルを掴んで口内に含み、そのまま司の手を剥がして唇に噛みつく。舌で液体を送り込むが上手く入りきらなかった分が口の端から零れていく。
「ん、んん……っ、は、ぁっ、こはくんの、乱暴者……!」
眉をひそめて抗議する司の上品な肌がカクテルの色で艶やかに汚れているのが背徳をそそってぞくりと背が震える。アルコールが回り始めた脳が恍惚にとろけて、奥の方にあった欲望が綻ぶ心の隙間から溢れていくのを自覚しながらも、それを止める理性も矜持もすべて機能しなかった。
「坊も心に素直に従ったらええんとちゃう? 乱暴に、ケダモノみたいに」
司の唇を啄むように口づけて、温度の高くなった頬を司の首筋に擦り付けると、息を呑む音がすぐ傍で聞こえた。酩酊した体を押し付けて、乱れた夜へ誘い込む。
温かな司の体温が心地よく、寄りかかって目を閉じていると、体が引き剥がされて再び覆い被さられる。欲望で膜を張った瞳に射貫かれてどくどくと心臓が暴れるように鼓動を鳴らした。噛み締めた唇から彼の葛藤が窺い知れて、紳士的な振る舞いを崩さないところに嬉しさと寂しさとまどろっこしさと敬愛があふれて、笑みがこぼれてしまう。
もうあと一押しの感触と、火照ったからだの暑さに我慢ができなくなって、するすると自分の浴衣の帯をほどいていく。しゅるりと帯が引き抜かれる音もこの空間では際立って聞こえる。はだけた布を見て、司は目を見開いた。
この胸の高鳴りはきっとアルコールのせいだけではないけれど、いつもよりうんと大胆に踏み込めるのはそれの力以外に考えられなかった。
「な、しよ? にいはんが、ほしい」
誑かすように囁くと、司が勢いよく立ち上がった。
「──っ、分かりましたから! Bedに行きますよ!」
覚悟を決めたらしい司に腕を引かれてソファーから引きずり出されてしまう。
「ええ~、もうソファーでええやん」
「ダメです! 絶対に優しくして差し上げますからっ」
酔っぱらっていても意地っ張りで負けず嫌いな彼が可笑しくて愛おしくて、けらけらと笑いがこぼれる。
ずんずんと力強く進んでいく背中に後ろから飛び付いてぎゅうっと抱き締めた。
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