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千代里
2025-02-03 12:56:15
11476文字
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リーブラ14話
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リーブラの針は問う・14話・その38
「ノエさんは、異端者とは何だと思いますか」
話を終えて、ノエと共にヒューイは外に出る。往診に向かう道の途中で、ヒューイはそんな質問をノエへと投げかけた。
質問を受けた側の青年は、瞳を数度瞬かせて首を傾げる。質問の意味がわからなかったからではない。答えが、あまりに明白すぎたからだ。
「異端者とは、竜の血を飲み、竜の味方をする者
……
ではないのですか」
「一般的にはそう言われています。なぜヒトが竜の血を飲んで竜に変化するかについては、大変興味があるところですが
……
この里の件とは関係ないので、一度置いておきましょう」
口でそう言ってはいるが、学術的な興味はあるのだろう。瞳の奥に一瞬煌めいた好奇心の輝きまでは隠しきれていなかったが、ヒューイは軽く咳払いをして、どうにかそれを押し込める。
「では、質問を少し変えましょうか。騎士団の人たちを襲っている方々であり、この里の関係者でもある『異端者』のことを、ノエさんはどれくらいご存知でしょうか」
「どれくらいと言われましても
……
僕は、彼らとは話す機会すらほぼありませんでした。強いて言うなら、彼らは僕が以前立ち寄った隣の領地
――
ラペイレット家の領土にも姿を見せていて、ドラゴン族と結託して街を襲撃していました。その事件については、少しばかり詳しいと言えるかと思います」
異端者にとって、領土の境目はさして意味を持たないのだろう。やや長距離ではあるが、身内がシュガーグレイヴ近辺に住んでいるということは、ラペイレット領に姿を見せた異端者は、ノエの父がいた領地には『遠征』をしたのだろうと想像がつく。
「ああ、そういえば里の方もそんな話をしていましたね。ですが、彼らがなぜ異端者になったのかは知らないのでしょう」
ヒューイは一度足を止め、背後へと振り返る。それは、窓から恐々と二人の様子を伺う人々を安心させるためでもあった。
にこやかに笑顔を作り、手をふって見せるヒューイ。
ヒューイから説明を受けたのだろうが、彼らは日常を装いながらも、ちらちらとノエを見やるのを忘れていない。
ノエも小さく会釈をしつつ、先の質問を考える。
「なぜ、人は異端者になるか
……
」
言われて、遅まきながらノエも気がつく。
当然ながら、異端者は生まれた瞬間から異端者であるわけがない。異端者とは竜の血を飲むことで、後天的に『成る』ものだ。
コーディのように、竜の血を飲まされた被害者と事前に知り合っている場合は、個人と血を飲んだことの因果を切り離して考えられたる。しかし、会話をする機会がなかった者の場合は、彼らが以前どんな人物であるかなどと考える機会すらない。
そのせいもあって、ついつい敵対している『異端者』という括りで相手を見てしまっていた。その考え方は、良くも悪くもイシュガルドという土地に馴染んでしまったから生まれたものだ。
「これは、あくまで私が知っている範囲の
……
つまり、この地域に出没している異端者の話です。中には、他の理由から竜の血を口にして、イシュガルドに反旗を翻す者もいるでしょうから」
前置きを挟み、ヒューイは続ける。
「今でこそ他の方々も招き入れているので一枚岩とは言えませんが、シュガーグレイヴ近辺で活動する異端者の前身は、元はただの小さな村で暮らす住民たちだったそうです。ただ、ある日やってきた浮浪者を保護したことが、彼らの日常の崩壊に繋がってしまったのです」
「その方こそが、異端者だったのですね」
ここまで来れば、話がどこに落着しようとしているかはノエも予想できる。果たして、ヒューイは静かに肯定した。
「五年前の寒冷化で、どの村も余所者に対する風当たりは冷たくなりました。その中でも、彼らは道徳を忘れず、流れ者の男を助けようとしたのでしょうが、その善意が結果的に仇となったのです。教会が指名手配していたその流れ者
……
すなわち、正真正銘の異端者は、助けてくれた村人たちの元から、事情も説明せずに立ち去りました。教会の者は、追跡していた異端者を匿った咎で、村人たち全員に異端の嫌疑をかけたそうです」
「その土地を治めている領主は、彼らの弁護はしなかったのですか」
尋ねつつも、ノエはすでに答えが予想できていた。
「異端者を逃してしまった責任は、領主にもあります。責任を逃れるためにも、彼らは新しい餌を教会に与えることにした。つまり、村人たち全員の異端の嫌疑に関して、教会の名において自由に処断してよいと許可を与えたそうです」
異端審問官とて、組織に所属する者であることには変わりない。彼らは目に見えた功績を上層部に提示したいと考えたのだろう。村人全員が異端者であり、彼らをまとめて処断したという実績づくりは、相応に魅力的に映ったに違いない。
「故に、彼らは村ぐるみで逃亡を余儀なくされました。当然ながら、そうなると益々疑いは強まります。近隣の村や町に、あの地域の住民は異端者であると噂が広まり、彼らは『異端者の集団』として活動するしかなくなった」
住む場所も食べるものも着るものも、共同体に所属しない人間たちが得るには困難なものだ。
中には、他の村に辿り着き、新たな生活を始めようとする者もいた。だが、寒冷化でただでさえ厳しい環境にさらされた人々は、余所者に対する視線も以前よりも厳しくなった。
何かと理由をつけて追い出されるか、また異端者のレッテルを貼られる結末を辿る者も少なくなく、最終的に仲間と行動を共にすることを選ぶことこそが、生き残るための最善の手段と考えるようになった。
「どこかで竜の血を得る機会を得て、彼らは本当に異端者の道を選んだようです。そのため、今ではノエさんの言うところの『異端者』と同じ立場となってしまいました。竜の血を飲むことで、個人が集った集まりから、『組織』としての統率を図ろうとしたのでしょう」
「
……
そういう理由があったのですね。だから、彼らは、ラペイレット領で異端者の仲間を増やすときに、貴族に左右されない新たな土地を目指すと謳ったのか」
ノエが思い出したのは、コーディ少年や他のさらわれた人々を助けに行った際に聞かされた話だった。異端者たちは、新たな生き方を示し、人々の関心を誘ったと聞いている。
それは決して耳障りのいい甘言ではなく、彼らなりの必死の決意表明だったのだろう。
一方で、竜の血を飲ませて、帰る場所を無理に奪うことでしか、仲間として迎えられないという危うさも彼らは抱えている。
畢竟、彼らは味方同士ですら完全に信用することができずにいるのだ。
「ノエさんたちが彼らに遭遇したときも、貴族の支配からの脱却を宣言していたんですね」
「直に話を聞いたわけではありませんが、彼ら話を聞いた方がそう話していました。彼らの主張は竜への帰属ではなく、既存の社会からの離脱であったようです。そのためにも、竜そのもののを利用して、仲間を増やそうとしていました」
言いつつ、ノエはあの時点の状況を思い返す。
ノエの父が避難させた難民たちの姿は、異端者たちにとっては、嘗ての自分たちと同じように見えたのだろう。家を失い、故郷を失い、新たな場所では白い目を向けられ続ける。
それぐらいなら、自分たちの方がよりよい待遇で迎えられる
――
そんな風に考えたのだろうか。
(そうだとしても、僕は、彼らの考えには賛同できない)
ノエには、彼ら難民たちを助ける力はない。住む家を失ったもの全員を守り抜く財力も、不当な異端審問を行う人間を裁く権力もない。
それでも、異端者の策略によって住む家を失った人がいることは見逃せない。帰る場所を無くした子供もいたのだ。
そして、そんな人たちを守ろうとして
――
命を落とした少年のことは、今もしっかりと胸に刻まれている。
とどめを刺してしまったのが自分であるからこそ、尚のこと。
「ヒューイさんの話を聞いて、合点がいくところがありました。いくら身内といえども、異端者にとってこの里で暮らす人々は
……
言い方は悪いですが、足手纏いのはずです。なのに、なぜ彼らの面倒を見るのはやめようと言い出さないのか、真っ先に疑問に思っていました」
その逆もまた然りとノエは続けた。いくら周りが自分たちを排斥するとはいえ、村々に逃げ込む人がもっといてもおかしくないとも感じていたのだ。
「身内というのは、比喩ではなく本当の身内であるから。同時に、彼らを見捨ててしまったら、自分たちが嘗てされた仕打ちを繰り返すことになるから
……
そのように思っているからなのですね」
「私は当事者ではないので、『恐らくは』という言葉をつけなくてはいけませんが、ノエさんの考える通りかと思います」
他者を見捨てず、助けようとする矜持は立派だ。また、身内であるからこそ、見捨てることも裏切ることもせず、不便と知りつつもこの地に隠れ続ける人もまた、彼らなりの矜持を持っているがゆえの行動なのだろう。
どこか歪で、なのにどこか一本筋が通っているようにも思える。単なる依存関係と一蹴できない、複雑な関係があるように思えた。
「しかし、先ほども言いましたが、今は少し状況が変わってきているようです。
……
ああ、ちょうど着きましたね」
話をしつつ歩みを進めていたヒューイとノエは、一軒の家の前で足を止める。他の建物と同じように、半ば崩れかけた石組みを恐々継ぎ合せたかのような、廃墟一歩手前の建物がヒューイの訪問先のようだ。
「この建物に住んでいる方は、この里で最も高齢の方です。一時期は、若者たちの間に混ざって、活動に口を挟んでいた時期もあったようですが
……
今はこうして、この地で隠居生活を過ごしています。それでも、若者たちの様子が気になって、あれこれと話を聞き出しているようです」
他の住民は、身内であるがゆえに話せない内容もあるのだという。誰だって、自分の子供や妻、あるいは夫に『誰かを異端者の道に引き摺り込んだ』とは言いづらい。
しかし、元ご意見番ならばまた話も変わってくる、というわけだ。
「僕が、その方から情報を聞き出せたとして
……
それをピヌヌさんや他の仲間に伝えてもいいでしょうか」
「
……
私も全てを把握しているわけではありませんが、シュガーグレイヴに住んでいる方々に危害を加える内容であるのなら、私も止めることはできません。情報の入手元については、伏せていただきたいですけれどね」
ノエは約定の印として、一度ヒューイへと頷き返す。彼は「ありがとうございます」と返してから、コンコンと入り口の扉をノックした。
***
「さっきは二人がいた手前、ああ言ったが、異端者たちの関係者がここにいるのなら、騎士団に報告して『有効活用』するのが一番の良策なんだろうな」
ヒューイとノエが部屋を去った後、なんとも気まずい沈黙の中、唐突にルーシャンが言った一言。その瞬間、隣に座っているサルヒから鋭い一瞥が飛んできたが、彼は全く動じなかった。
「あの先生さまが言っていることも、ノエの発言も、人道的には正しいことだ。それにさっきの俺の発言も、別に嘘を言ったつもりじゃない。俺だって、無力な奴を蹂躙するような趣味はない」
だがな、とルーシャンは続ける。
「事実として、異端者たちの活動が単なる喧嘩の域にとどまってないのも事実だ。なら、打つべき手は先に打っておくって考えを完全に捨てるのもどうかとは思うんだ」
「抑止力として、この里の情報を握っているという事実は奴らにちらつかせる
……
という方法をとる、ということか?」
ルーシャンの言葉を、オランローは噛み砕きながら慎重に反復する。大筋は合っていたのか、ルーシャンは首肯を返した。
しかし、彼らの発言に、サルヒはゆっくりと立ち上がり、揃って二人を見下ろして、氷のように厳しい視線を送る。
「私は、そのような考え方は好きじゃない。戦えない人たちがようやく得た静かな生活の場に、争いの火種に持ち込みたくない」
「サルヒ。あんたの意見に反対するつもりはない。オレも、異端者たちがこのまま何もせずに大人しくしているのなら、ここにいる者の生活を率先して脅かすつもりはない」
だが、ノエでさえも、大人しく首を縦に振っていいかは悩んでしまうような事柄だ。
ノエがいる手前、彼の判断に同意は示した。
特段、二人はノエに従属しているわけではない。だが、ノエのように真っ直ぐに生きようとしている者を前にすると、賢しい大人の知恵を捏ね回しているのが何とも浅ましく思えてしまう
――
そんな部分があるのは確かだ。
故に、里のものが密偵でないのならば、という確認や、街を去るときの確認などの妥協案があるのならと、二人もノエの意見には同意した。
けれども、彼らの中には、表に出さない
――
敢えて出さなかった考えも、依然として残り続けている。
「異端者は町の連中の生活を脅かしてもよいが、こっちはだめだというのは理屈が通らない。俺は、そういう風に考えちまうんだよ。だからって、今ここにいる連中をひったてて、異端者の仲間だから彼らに石を投げていい、などと言うつもりはないけどな」
先ほどのヒューイとの約束の件もある。すぐさま騎士団に駆け込んで、彼らを人質にするなり、尋問するなりして利用しろと言うつもりはない。
それは、横で聞いているオランローも同意見だった。
「だが、もし異端者の連中が本気でシュガーグレイヴを
……
この土地に暮らしている連中の生活を滅茶苦茶にするのなら、俺はそれを目の当たりにしたとき、この場所の存在を黙っていられる自信はない」
「旦那様は、ただの通りすがりの旅人なのに?」
「
…………
」
サルヒが暗に何を言いたいかは、ルーシャンにも分かっていた。
数日前、羊飼いの男に言われたことをルーシャンは思い出す。
ここを治めている貴族がどこの誰であろうと、何が変わるわけでもなしと、はなから期待など持っていないと笑っていた農夫の横顔を、彼は覚えている。
それでも
――
その『前の領主様』の関係者として、この土地に少しばかり思い入れがある者として。
異端者が好き放題暴れまわり、人々を苦しめていると分かってしまったら、目を瞑ることはきっと、ルーシャン・ミストという男には難しい。
「通りすがりの旅人でも、たまには正義の味方の真似事ぐらいしたくなるんだよ。いや、ここの連中を人質にとるのなら、異端者にとっては悪の手先かもな」
それぐらいがちょうどいい、といつもの皮肉まじりの笑みを浮かべるルーシャン。サルヒはそれでも納得しかねているようだったが、彼が何を危惧しているのか、その理由は分かっているのだろう。小さく嘆息してから、ルーシャンとオランローが手をつけなかったお茶を手に取り、窓の外へとそっと捨てた。
続けて、荷物に入っていた氷を取り出し、暖炉のケトルの中身を変えて湯を沸かし始める。ヒューイが用意した茶に一同が口をつけなかったのは、万が一毒が盛られている可能性を考えていたからだ。
「ノエがヒューイと交わした約束は、異端者がこの後、精力的に活動する気配がなかったら、という前の上で成り立っていることは分かってる。
……
だけど」
ケトルから湧き上がる白い煙を見つめつつ、サルヒは目を伏せる。
「子供や戦えない人がいると分かっていて、争いに巻き込むことは、私は反対」
「異端者は、戦えないコーディやクララ、マルコを攫った」
「
――
……
それも、分かっている」
ルーシャンの追撃に、サルヒは口をつぐむしかなかった。
これは、もう竜と人の争いの話ではない。人と人の戦争の話だ。
どちらが先に拳を振り上げたか、などというのは関係なくなっている。
異端者になった者たちにも相応の事情があるのだろう。竜が悪い、異端者が悪い、貴族が悪い
――
その一言だけではもはや片付けられない、複雑に絡まり合った糸の塊が、終わりのない坂道を転がり落ちているようなものだ。しかも、転がりながらも、更に因果の糸を絡め取り続けている。
「この件、ヤルマルやオデットには話すのか」
主従の行き詰まった空気を察して、オランローが話題を変える。
「下手に隠し事をすれば、ヤルマルは必ず勘付くだろう。オレは、所在は伏せるにしても概要は話しておいた方が良いと思っている」
「その辺りはノエとも相談が必要だろうが、俺もオランローの意見に賛成だ。それに、あの若人は隠し事が下手そうだからな」
にやりと笑うルーシャン。以前、イシュガルドの貴族の関係者ではないかと鎌をかけたとき、あっさりと馬脚を表してしまったことを彼は思い出していた。
「ノエについては同感。それに、隠し事をしているって態度を見せて、これ以上オデットの心配の種を増やしたくない」
「若人なら、お嬢ちゃんに詰め寄られたら三十分ともたないだろうさ」
「
……
流石に、守らなきゃいけないと決めたことなら、守ると思うけれど」
そう言いつつも、オデットに詰め寄られてたじたじになるノエの様子は、すぐに思い浮かんでしまうサルヒだった。
***
「
……
っ」
勢いよく飛び出しそうになるくしゃみを察して、ノエは口に手を当てる。さすがに人の家の只中で派手なくしゃみをするような真似はできない。
ヒューイに案内された家には、一人の老人が暮らしていた。「まだまだ元気」と本人は息巻いているが、よる年波には勝てないのか、動きにはどことなくぎこちなさが目立つ。
茶を用意しようとする老人を、ヒューイは慣れた様子で宥めて、寝台へと連れていき診察を始めた。持病があるようで、その経過を診る必要があるとのことだった。
その代わりに、ノエは片付けきれていない食器を洗ったり、汚れている家具の清掃などをしているのである。一人暮らしの老人ともなると、どうしても手が回らないところが出てきてしまう。診療の役に立たないのならせめて、と思ってのことだ。
「少し間が空きましたが、風邪などはひいていませんか」
「風邪などというのは、軟弱な連中がかかるもんだ。剣をふるい、地道にしっかり働いてればそんなことにはならん」
どうやら、この老人は運動さえしていれば病にはかからないという考えの持ち主らしい。実際、病には伏せっている様子はないが、ヒューイが少し困っているような気配は何気ない声音から伝わってきた。
「まったく、この先生は心配性でいかん。そうは思わんか、そこの若いの」
「えっ。あ、いえ
……
ですが、見えないところで具合が悪くなっているという場合もありますから、心配性なくらいがちょうどいいと思います」
「はんっ、そういうもんかね。ことあるごとに血を採って、一体何を調べてるのやら」
「ご老体、毎回私が血を抜いてるように言わないでくださいよ。ノエさんのいうように、見えない部分で病にかかっていないか調べているんです」
老人の憎まれ口も、すっかりお馴染みになっているのだろう。ヒューイは慣れた様子で、見慣れない器具を使って、血を採取している。ノエもあまり見たことはないが、錬金術師の間ではよく使う道具なのだろう。
憎まれ口こそ叩いているものの、老人の言葉に言葉通りの怒りは見られない。どうやら、どこか怒っているふうに話してしまう癖があるだけの人物のようだ。
「そっちの助手は、なんだかひょろひょろして頼りないな。俺の若い頃といえば、剣をふるって、村にやってくる竜どもを薙ぎ倒してやったもんだ」
「確か、前もお話しされていましたよね。ドレイクをお一人で退治されたのは、確かになかなかできないことだと思います」
「そうだろう、そうだろう。近頃の若いもんは、ちょっとばかし竜が出てきたぐらいで狼狽えよる。根性がないんだ、根性が」
ドレイクは竜ではないが、と言いたいのをノエはグッと抑え込む。
この老人は、近頃の異端者の動きについて、何か情報を握っているという話だった。ならば、下手に機嫌を損ねるようなことは言わない方がいい。
「若い者といえば、ご同輩の若い方が何かあれこれと活動しているようですね」
ノエの思いを察したかのように、ヒューイが老人へと、気になっていた話題について振ってくれた。老人は眉間に寄せた皺をますます深めて、
「うむ。俺はもう関係者じゃねえって締め出されてしまったが、何やらあれこれ賢しい知恵をつけて動き回ってるらしい。近頃は、町に住んでいる若いやつに頼まれて話をしたとかどうとかな」
「町から来た方と、ですか?」
異端者は公的な集団や組織に属さない
――
属せない者たちの集まりのはずだ。なのに、なぜ町の住人が彼らに頼み事などをするのか。
ノエの中に疑問が生まれ、つい言葉となって飛び出る。
「詳しいことは俺も知らん。町の連中といやあ、我が身大事に外から来た連中は締め出してる、頭でっかちな奴ばかりだってのによ。そんな奴らが一体何を今更頼んできただか」
「そういえば、町の外で騎士団の方が異端者に襲われたという話を小耳に挟んだのですが、襲撃者の中には町に滞在している人も混ざっていたそうです」
あくまでさりげない風を装い、ノエは気になっていた内容について問いかける。
老人はやれやれと首を横に振り、
「おおかた、町の連中とつるんで騎士の連中を追い回して、良い気になっているんだろうよ。あの騎士は町の連中も、あまり好かれてないんだろ。なあ、先生」
「そういう風に話をしている人もいる、というだけですよ」
「一人が噂してるってこたぁ、百人が噂してるってことだよ。とにかく、俺たちの目指してるもんは、そういうもんじゃねえっていうのによ」
「では、皆さんの目指しているものというのは何なのでしょうか」
こちらは情報収集ではなく、純粋な興味もあってノエは『異端者』のご意見番へと問いかける。
すると、老人は鼻の穴を膨らませ、朗々と告げた。
「貴族なんていうよく分からねえ連中が、俺たちの作ったものを取り上げることのないような場所を作る。そいつが、俺たちの目的だ。ただ生まれた家がちょっとばかり違うからって、偉そうに振る舞って、何もかもを毟り取っていきやがって。頭にくるだろうが」
なあ、と話題を振られて、ノエは苦笑いをこぼす。
確かに、貴族や一部の教会関係者の中には、権力を笠に好き放題に振る舞う者もいる。税の徴収を不当だと感じる者もいるだろう。
しかし、良き統治者であろうと奮闘している実の父親や、身寄りのない子供のために奔走したミラベル司祭のような人物を知っていると、老人の言葉の全てに同意することもできなかった。
(ともあれ、異端者が町の人と手を組んでいるのかもしれない、という情報は気になるな。アンディさんの父親は流浪者という話だったから、元から密偵として町に潜り込まされたのかと思っていたのだが
……
そういうわけじゃないんだろうか)
もし、生粋のシュガーグレイヴの住人が異端者と手を組んでいたとしたら、その理由はなんだろうか。
この地域の異端者は、竜への信奉から異端者になったというわけではない。元を糺せば、彼らは貴族への反発から異端者という『抵抗組織』へと変化していったのだ。
ならば、貴族へ不満を抱くという共通点から手を組んだとも、考えられるだろうか。
(そうだとしても、騎士団は町を守る要でもある。そんな人たちを襲って、一体何の得があるというんだろう)
ノエが思考に疑問符を散らしている間にも、ヒューイは老人の愚痴めいた話や武勇伝を聴きつつ、診察を進めていた。
この手の患者の扱いも慣れたものらしく、彼の動きは実に速やかであった。助手という名目で同行したノエは、ただ横で見ていることしかできなかったほどだ。
「貴族ってやつは態度だけはでかい上に、碌なことをしない。俺の近所にいた爺さんの話、知っているかね、先生。娘を貴族の家に奉公に出したら、そこの若えのに気にいられちまって、奉公をやめても付き纏われたんだとよ」
「たしか、その娘さんがご結婚された後に、病でお二人とも早逝されて、その娘さんを元雇い主の貴族の方が引き取ったとかいう話ではありませんでしたか」
「そうとも。先生さんも、ひでえ話だって思うだろう? 夫妻が病で亡くなったって聞いたら、急にやってきて、まだ赤ん坊だった娘を人攫いみたいに攫っていっちまった。一体どんな理由があれば、赤ん坊を攫っていい理由になるっていうんだ。なあ?」
貴族の横暴な振る舞いの一例として、強烈な思い出となっているのだろう。老人は声を荒らげながら主張していたが、痰が喉に絡んだのか、途中で何度も咽せてしまった。ヒューイはそんな老人の背中を何度か撫で、「まあまあ」と宥めている。
彼らのやり取りを横目に、ノエは何でもない顔を装いながら、箒を使って部屋の埃を外へと追い出していた。
(この人の言うように、世間的には貴族の内情は見えないから、横暴な振る舞いをしているように見える場合もあるんだろう。僕の母親のことも、もしかしたら同じように噂されていたのかもしれない)
母の人生は、貴族である父によって狂わされた
――
そのように一概に言っていいものではないと、ノエはもう知っている。
ノエ自身の人生ですら、誰か一人のせいで悲惨なものになったとも言えなくなっているのだから。
人生という織物は、あまりに複雑な糸が絡まり合って織り上がっており、一言では言い表せないものなのだ。先日の一件で、そのことを嫌と言うほど思い知った。
(ルーシャンさんも、元は貧民街の出身だけれど、貴族の父親に拾われて育てられたって言っていた。ルーシャンさんは養父の方のことを慕っているようだったし、全ての貴族が悪いとは言えないのだろう。だけど、不満に思う人たちにとって貴族は全員が敵なんだ)
あれほど人々のために心を砕いていたノエの父
――
ベルナールでさえ、人々の不満の全てを解消できたわけではなかった。中には、行方しれずとなった兄のフィリベールの方が優秀だったと噂する者もいた。
貴族だから悪であると一言で言い表すのは、あまりに乱暴なまとめ方だとノエは知っている。ちょうど今、異端者であれば全て悪だと言い切れないと、ヒューイに教えられたのと同じように。
そうこうしている内に、診察が終わったのだろう。ヒューイが鞄を片付け、留金を嵌めるパチンという音が響いた。
「では、また数日後に様子を伺いに行きますので。ちゃんと薬は飲んでくださいね」
「分かっているよ。全く先生は心配性なんだからよ。なあ、そこの若いのもそう思うだろ?」
「えっ
……
えっと
……
はは、そうですね」
自分でも愛想笑いだと思う笑みが、ノエの口の端を引き攣らせる。男は何度か頷いて見せると、
「皿の片付けと部屋の掃除、やっておいてくれて助かった。悪かったな、手伝いに来てるのに小間使いみたいなことをさせてしまってよ」
「
……
いえ。これも、助手の仕事ですから」
これまで、貴族について悪し様に罵る老人の姿を見て、ノエの中には、彼に対して苦手意識が芽生えていた。それが、今の何気ない一言でぐらりと揺らぐのがわかる。
(
……
教典のお話のように、正義と悪がはっきりと別れていれば、こんな風に思わずに済んだのに)
異端者も、竜も、貴族も、教会も。全ては黒でも白でもなく、灰色に溶け合って混じり合っている。
その灰色は、どれだけ深い雪が降っても隠れることはないのだろう。
押し留めるヒューイを無視して、老人は寝台から立ち上がり、部屋の隅にある小さな壺から何かを取り出し、ノエに押し付ける。
「これは
……
?」
「駄賃だ。俺は甘いのは好かん。若いのは、こういうのが好きなんだろう」
渡された干し果物の砂糖漬けは、きっとこの集落で手に入れるには難しいもののはずだ。好かないはずなのに、わざわざそれを持っているというなどということはあるまい。
その意図を汲み取った上で、ノエは静かに頭を下げる。
「
……
ありがとうございます。大切に食べさせていただきます」
甘そうな砂糖漬けとは裏腹に、心の片隅によぎるどうしようもない苦みは、当分消えそうになかった。
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