有栖川
2025-02-02 23:32:17
8357文字
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きみのとなりでおやすみがしたい⑧/完

未来捏造if、記憶喪失でnoeg終了直後まで戻っちゃったkisが恋人を名乗る二十三歳の41と一緒に暮らす話
攻め記憶喪失のkiis
エピローグ!





08 きみのとなりでおはようがしたい






 ——長い、夢を、見ていた気がする。


 カーテンをめくる軽やかな音がして、朝の光が差し込んでくる。
 初夏を告げる心地の良いまぶしさに軽く目をつむり、瞬きをすると、カイザーはゆっくりと起き上がった。広い寝室には大きなベッドが一台だけ置かれていて、並べられた隣の枕には、だらしなく口を半開きにして寝こけている黒髪の青年が横たわっている。
 見慣れた家での、少しだけ見慣れてきた・・・・・・・・・・暮らし。
 その不可思議な感触にふうと息を吐き、ゆっくりと指を伸ばす。

……フッ、クソ間抜け面」

 珍しく……いや、二週間と僅かぶりに随分と朝早く目が醒めたせいか、それとも、単純に昨夜無理をさせすぎたせいか。ここのところずっと先に起きて朝食を作ってくれていたはずの男は、まるで昔に戻ったみたいにぐうぐうと子供っぽい寝息を立ててまだ寝込んでいた。
 ほのかに朱く染まった頬をゆっくりと撫で降ろし、布団に隠れている首筋に辿り着く。「見えるところはやめろ」と可愛らしい涙目で抵抗されたにも関わらずハッキリと色がついて主張している所有痕にほくそ笑み、まあ、あとで絆創膏ぐらいは貼ってやるか、とその場所をなぞる。

 思えばここに辿り着くまでに、随分、永く時間を掛けてしまった。

 恋をしていると気がつくのにほぼ五年。愛していると伝えるのにそこから二年。疑り深く他者を信じられない己の性格が最大限悪い方向に作用した結果だなと自嘲気味に息を吐き、指先を、首筋から鎖骨、そして肩口から腕を通った先の手のひらへと、静かに滑らせていく。
 そういえば、渡しそびれたモノがあったんだったな。
 世一の左指を柔らかく摘んで、ふと、そのことを思い出した。二年半前のクリスマス、勢いで用意するだけしてみたものの、時期尚早だと思って仕舞い直した、あの小さな小箱。
 どこに仕舞ったかほんの僅かだけ考えて、すぐに、あああそこか、と思い起こす。文机の横、ではなく、正面引き出しの奥に設えられたもうひとつの隠し扉。同じ鍵で開くその小さな秘密の中に、それは今でも眠っているはずだ。二年半ものあいだ——変わることなく、ずっと、ずっと、静かに息を潜めて。
 この家の殆どすべてが、世一がいなくなったあの日から、時を止めてしまっていたのと同じように。

「七年か……

 あの頃より幾分か大人びた横顔に、そっと、顔を近づけた。
 歳月は世界の全てを変え、潔世一を未来へ連れ去り、大人にした。ミヒャエル・カイザーは二十一歳の潔世一がどのようにして二十三歳の潔世一になったのかを知らない。それはこの家になかったもので、だからこの家も、カイザーも、過去に置き去りにされて、どこへも行けなくなり、最愛を失った世界は、色を失いひび割れてしまった。
 壊れた世界。いなくなったやつの歯ブラシとコップが化石のように留め置かれ、よく分からない匂いのする洗顔料が根を張っている。キッチンではつかいみちのわからない日本語の調味料が埃を被り、まったく趣味ではないクッションがソファの上で遺物になって、マグカップは骨董屋のアンティーク・ドールより青褪めてくすんでいる……
 時計の針を折られ、ネジを抜かれ、二度と動かなくなった世界は灰色を通り越してモノクロだ。白か黒の二色しかなくて、もう二度と美しかったあの頃を取り戻すことはないのだろうと、そんなふうに、漠然と思ってすらいたのに。

 
 ——でも、そのエゴが、世界とか救うこともあるかもね。アンタの世界はどう? 救われそ?


 不意に、つい昨日、蜂楽廻に言われたばかりの言葉を思い起こした。
 ああ、クソ忌々しいことに、あの男の言葉は認めなければいけないだろう。そうだとも、世界は確かに救われた。潔世一という男の底なしのエゴが、ミヒャエル・カイザーのエゴを叩き起こし、信じられないほどの化学反応を起こして、——確かに世界は、救われたのだ。
 記憶喪失になってからの日々の中で、いつの間にか、調味料の配置が変わっていた。置きっぱなしになっていた洗顔料と歯磨き粉のチューブがすこし萎んだ。玄関にあいつの靴が増えた。ベッドには黒い抜け毛が落ちていて、朝方の枕には、カイザーのものとは違うかたちのへこみが残っている。
 きっとこういうのを、幸せと、そう言うのだろう。
 そのことを、今のカイザーはちゃんと知っている。

…………ん、あれ? カイザー……?」

 素肌をなぞる指先の温度につられるようにして、寝ぼすけがこちらに寝返りを打ち、ぼんやりとまぶたを擦った。「いま、なんじ……?」訊ねる声は妙なほどに舌っ足らずで、まだ、半分以上夢の国に片足を突っ込んだままであることをうかがわせる。「あさごはん……つくんなきゃ……」それでも健気にそんなことを口にするのは、この二週間あまりそれをルーチンにしてしまったからか、それとも、まだ自分の事を「十九歳よりは年上の二十三歳」だと思っているからなのか。
 きっとそのどちらもなのだろう。ピッチ上ではクソを通り過ぎて度のつく暴君のくせして、私生活ではそういう年相応の姿や背伸びしたがるような素振りを見せるのが、なんだかちょっといじらしいなと思うようになったのは、……そういえばちょうど七年ぐらい前だったような気がする。

(本当に惚れた弱みというやつはクソだな)

 知りたいことがたくさんある。記憶を失っていた頃も、今も。
 お前を愛しているからお前のそばでその全てを知っていきたい。あの日一度は手放してしまった願いを、今日ならもう一度口に出来ると思った。今日だけじゃない、明日も、明後日も、これからずっと、——潔世一との想い出のすべてを、過去未来現在すべての世界と世一おまえと自分自身から、奪って、我が物にして、抱きしめて眠りに就きたい。
 だから二十六歳のミヒャエル・カイザーはそのためにまず、愛しい恋人の頬へそっとキスを落として、おはようの挨拶を世界に送る。

——おはよう、世一。今日のコーヒーは俺が淹れておいてやるから、お前はもう少しゆっくりしていろ」

 コイツは俺のものだぞと大声で言いふらす代わりに、静かに、優しく、穏やかに。


 

◇ ◇ ◇




「えっ、記憶全部戻ってたの!? いつ!?」
「お前にキスハメのおねだりされて結腸に射精したあと」
「〜〜〜〜〜ッ、バッカじゃねーの!?」

 その日の午後。
 ロッカールームの片隅で思い出したようにそう告げると、世一がボソボソと小声で罵りながら思いきり肘で小突いてきた。——何堂々と言ってんだよ、ここは公共の場所! 顔に思いっきりそう書いてあったが、一応小声にはしてやったし、クラブの他の連中は気を遣っているのか遠巻きにしかこちらを見ていない。まず聞かれてはいないはずだと思うのだが。

「あー、もー、お前のそーゆートコ嫌い。七年経っても変わんねーなーカイザーは」

 世一は完全に拗ねてしまい、眉間に特大の皺を寄せながらぷいと顔を背けた。その表情が機嫌を損ねた小型犬のように見えて、カイザーは余計に気分を良くするとニコリと完璧な笑みを浮かべる。

「お褒めにあずかり光栄だ」

 すると世一の表情はさらに盛り下がってゴミでも見るような目に変わった。

「似非王子スマイルやめろ。ってかそーだ、そんなことより蜂楽には諸々連絡しとかないと」
「おいなんでだよ話を変えるな。お前の好きな男のこの上なく素晴らしいスマイルだぞ」
「だってお前の作り笑顔ってなんか初対面の時のクソうぜー演出家気取りだった頃思い出すから……
「は?」

 そのうえ何か過去の行いに苦言まで呈され始めた。なんなんだよ。
 つーか本来ならタダで配り歩くもんじゃねーんだよ感謝しろ全力で。身勝手な感想を抱きながら舌打ちと共にスマホを弄り始めた世一の肩を小突く。するとメッセージ画面に何かを打ち込んでいた世一の顔がふっと揺らいで、ちらりとこちらを見る。
 覗いた頬は、ふわふわと膨らんで、……そして少し赤かった。

…………ふは、お前、そーゆーコトかよ」

 その愛らしいにも程がある反応に思わずぷっと噴き出してしまう。人が特別に笑顔を振りまいてやってるときに別の男の名前を出した不敬も、差し引きトータルで今回だけ不問にしてやっていい。
 だって、その顔、そういうことだろ。
 ミヒャエル・カイザーのコトが好きすぎるから、ツンツンしたふりしてねーとデレデレしちゃって困るんだよな、やっと正真正銘両想いになれて幸せいっぱいの潔世一くんは。

「痩せ我慢は身体に良くないぞ、世一ぃ♡」
「うひゃ!」

 完全に気を良くしてわざとらしい手つきで首筋をなぞってやると、絆創膏越しでも鋭敏に熱を拾ってしまうのか、世一がびくりと肩を震わせてと小動物みたいな鳴き声を上げた。
 色気があるようでない声音だったのは、まだ昨夜の余韻が残っている中、どうにか、TPOを弁えようと咄嗟に努力したその名残なのかもしれない。クソ無駄な足掻きでクソ滑稽。いじらしくて涙が出そうになる。まったく、だからお前はクソ愚かで愛おしい。

「あーもー、うるせーな! あんま調子乗ってると移籍の話止めるぞ!」

 と、そんなカイザーの思考を、隠し切れないニヤケ面から汲み取ったのだろう。
 察しのいい世一が双葉を揺らしながらギャンとそんなことを吠えた。

「あ? 俺と離れて耐えられるのかよお前。……つーか移籍の話はブラフじゃなかったのか?」

 そういえば、記憶喪失になった最初の日のうちに、「所属がレ・アールになっているが?」と聞いたらそんなことを言われたような気がしないでもないが。
 だが世一がたまたま訪独した先でこの件に巻き込まれたという経緯を考えると、移籍の話が動いているのは些か不自然だ。とはいえその場合それはそれで、余所の選手がクラブ棟に出入りしてるのは、カイザーのケアという大義名分を差し引いてもどうなんだよという話も残るのだが。
 では実際のところどうなのか? それを顎をしゃくって促すと、世一がまだほのかに紅い頬を拭って小さく息を吐く。

……それなんだけど。実はさ、本当に、正式に移籍する方向で話まとめてるトコ。元々ラブコール自体は貰ってたし、てかドイツに来たのも元々その打診がきてたせいでもあったんだけど、とにかく記憶喪失のお前と一緒に暮らすって決めたときにこっちも決めたんだ」
「はぁ?」

 そうして告げられた言葉に、カイザーは、昨日あれだけ驚き尽くしてそんな感情全部使い切ったと思っていたのにまた新鮮に驚かされてしまい——クソほど間抜けな声を漏らしてしまった。

「お前マジで俺の記憶が戻らなかったり俺がお前を好きにならなかったらどーするつもりだったんだよ……

 そんなさっさと移籍を決めたとして、最悪の場合、どうしようもならなくて喧嘩別れした状態で同じチームに所属し、プレーしなきゃならなかったかもしれないんだぞ。
 それに……そこまで険悪にならなかったとしても、叶わぬ気持ちを抱きかかえて横で笑っていなくちゃいけないパターンだって有り得たわけだ。実際、記憶喪失になる前のカイザーは、それが嫌で無理矢理世一を追い出したわけで。
 なのにこの男は自らその過酷な状況を作り上げようとしていたというのだから、もう、心臓に太すぎる毛が生えているとしか思えない。

「ん? そこはまあ、信じてたから」

 なのにこの最低最悪のエゴイストときたら、相も変わらずあっけらかんとした調子で、そう宣ってみせるではないか。

「ハッ、何をだよ? ミヒャエル・カイザーの好みのタイプは潔世一みてーなちんちくりんでクソ生意気でイカれてる自己中エゴイストのサッカーバカらしいって?」

 だから半ば自嘲するように(だって事実そうだったのだ、世一にそこを指摘されたらさしものカイザーといえど逃げ道がない)そう言い棄てると、世一はとても穏やかに、静かに、しかし確かな決意と、七年前によく見せたような狂気をその瞳に宿し——

「ううん、潔世一は、絶対に、ミヒャエル・カイザー好きになったやつを振り向かせるって方」

 そう言った。
 ……開いた口が塞がらなくなるとはこのことか、と、本当、今更だが、そう思わされた。

「は、おま、ほんっと、…………狂気ブッこわれてる…………

 さっきまで妙な恥じらいを見せたり笑顔ひとつで顔赤くしたりしてたくせに、肝心要のトコではいつもこれだ。
 本当に潔世一というやつは狂っている。けれどだからこそ、コイツのそばは心地が良い。
 喜べよ二十四歳のミヒャエル。お前は自分が普通じゃないからと身を引いたが、結局、世一はお前と同じぐらい普通じゃないイカれてるんだ。お似合いじゃないか——なあ、そうだろ?

「だったら、まあ、アレにはここで結末オチを付けるべきかもな」

 ふっ、と息を吐き、コートのポケットに突っ込んでいた小さな包みをこっそりと手の中に滑り込ませた。そして握った左手を後ろ手に隠すと、代わりに息を吸い込み、右手を拡声器のように口元に添えると、部屋中に聞こえるように大きな声を出す。

——おい、聞け! 記憶なら全部戻った、もう俺にクソつまらん隠し事なんぞするなよ!」

 そこから先は、自分でやっておいてなんだが、言葉にするのも嫌になるぐらいの大騒ぎだった。
 それまで一定の距離を保って様子見していたはずの連中が、その叫びを聞いた途端、次々と好奇心いっぱいの表情でこちらに群がってくる。「あっ、やば、隠し事させてたのバレてた?」クラブの連中に嘘の片棒を担がせていた主犯が若干しおらしい仕草で苦笑いをしていたが、それを追及する暇もないぐらい、ガヤガヤとした喧騒がふたりの周囲を覆い尽くす。付き合いの長い連中も、そうでない連中も、今や世界を代表する超英雄スーパースターとなったふたりのゴシップには興味があるようで、「手伝ってたぶん」と言わんばかりに寄ってきやがるのだ。

「えっ、いつ!? いつ戻ったのカイザー!?」

 なかでも一番に駆け寄って来て一番に手を掴み一番に口を開いたのは、当然の様に、記憶喪失の最中も幾度となく意味深な言葉を投げかけてきていたネスであった。

「ああ、まあな。昨日の夜くらいに色々あって……
「くぅ……! 七年前のスレてるけどまだ若干ピュアな感じのカイザーももう見納めなんですね……

 しかしながら続いた言葉は、カイザーが想定していた類のものから若干ズレていて。
 コイツはコイツでマジで拗らせてんなと内心カイザーも世一もそう思った。

「おいネスお前今までそんな目で俺のことを見ていたのか」
「だって! だってこの二年間というもの、試合が終わるといつも魂が抜けたみたいにぼーっとして世一の名前ばっかり口にしてたキミの姿ばかり見せられていたから……あの元気いっぱいな頃の姿が見られただけでちょっと感動しちゃっててですね……
「おっと〜? ピュアの定義が俺の思ってたやつと若干違うんだけど。なぁカイザー、ネスって昔からこんな感じなの?」
「いや………………こんなではなかったような……
「自立したんです〜! キミが新しい王を探せとか抜かすから! でもそれはそれとして僕はカイザーの一番のファンなので、フフン」

 胸を張って鼻を鳴らす仕草は愛らしいと言えなくもない。が、このまま付き合ってるといつまで経っても話が終わらなさそうなのでふたりして顔を見合わせやんわりとトークを止めようとしていると、ひょこりとゲスナーが顔を出して、お得意の下衆トークをかまそうとしてくる。

「で? 潔とはどうなったんだよカイザー」
「ああ、そのことだが——ふむ、そうだな。それについては直接見せた方が早いか」

 いつもならただ下品なだけで聞くに堪えないと斬り捨てがちなゲスナーの軽口も、今日に限れば待ち望んでいた援軍だ。
 下準備は整った。カイザーはふっと唇の端に笑みを浮かべると(視界の端で「おっやっちまったか?」という顔になるゲスナーと何故か蒼白になるネスなどが見えた気がしたが無視した)、背中に隠していた左手をそっと正面に戻す。そしておもむろに世一の前に跪くと、きょとんとした様子でアホ面丸出しにしている恋人の前へと恭しく頭を垂れる。

——世一、このクソしみったれた世界で唯一の輝きを放つ俺の潔世一、お前に贈りたいものがある。……二年半越しの正直だ、どうか俺の愛を受け取ってほしい」

 そうして有無を言わせぬ完璧な所作で青いベルベット生地に覆われた小箱を開き、きらりと光るシルバーの指輪を差し出すと、周囲から、隠しきれない程のどよめきが沸き起こった。

「告白だ!」
「あのカイザーが公開プロポーズだと!?」
「俺イサギ選手に憧れてたのに! BLTVの時からファンだったのに!」
「カイザーあの時買った指輪まだ渡せてなかったの!? いやでも確かに渡せてたら世一もあーなってないよね……
「なんつーかカイザーのくせにピュアでキモい」
「喜びとは……常に驚きや失望と表裏一体……賭け事が吉と出るか凶と出るか……緊張感が悲しく……身悶えする……

 約数名……いや翻って全員クソ失礼極まりないが、今はどーでもいいので聞き流す。そんなことより、問題は世一だ。
 二年半前と違って、今は、諸々覚悟を決めた上で両想いなのだと分かっている。このプロポーズを拒まれる理由などどこにもないが、まあ物事には万が一ということがある。

——世一、返事、は……

 それで恐る恐る、顔を上げる。
 すると世一は——あの大きな宇宙の色をした瞳を熱ににじませ、感極まったように頬を染め、潤む眼差しで一生懸命にカイザーを見つめてきていた。

……っ、く、ぁ……
……え? 泣いてる……のか?」

 啜り泣くような——予想だにしなかった声音に、プロポーズを仕掛けたほうのカイザーがぽかんとした声を漏らしてしまう。「バカ、こんなの泣くだろ」世一はそれにふるりと首を振った。「だってさ、こんな、衆人環視の真ん前でやられて、俺、自分の性格考えたらさぁ、絶対恥ずかしすぎて嫌で仕方ないはずなのにさぁ」震える吐息はいじらしく表情は愛らしいのに口先では思いっきり悪態をついて、そうして、ゆっくりと屈み込む。

「なのにこんなに嬉しくて仕方が無い。お前がずっと俺のこと想ってとらわれてくれてたことがハッキリ形になって残ってて震えるぐらい嬉しい。……ありがとう、カイザー」

 膝をついてケースを差し出すカイザーの手のひらに向かって、世一が指先を伸ばした。右手がそっと小箱に収まった指輪をつまみあげて、そうして、穏やかな手つきでそれを填め込んでいく。
 指輪は綺麗に世一の左手薬指に収まった。
 その指でカイザーの頬をなぞって、世一が笑う。

「しょーがないから、もう一回、みんなが見てる前で教えてやる。——好きだよカイザー。……ううん、俺のミヒャエル」

 だから、今度こそ、ふたりでずーっと幸せになろうな。
 そうして耳元でそれきを囁くと、世一はカイザーの頬にちゅっと触れるだけのキスを落とし、その身体に思いきり抱きつく。

——ああ。その言葉、生涯忘れるなよ、世一」

 もう二度と離れないと誓う代わりに抱きしめあい、キスを返した。
 瞬間、ロッカールームに、悲喜こもごもあらゆる感情を詰め込んだ激しい歓声が響き渡った。W杯決勝アディショナル最後の争いを制した瞬間とタメを張れるほどの大声援に、今日このときばかりは文句を付ける気にもならず浸っていると、がらりと外への扉が開いて、事情を知らない仏頂面の男が入ってくる。

「何を騒いでいる? そろそろグラウンドに出る時間だが——

 ノアだ。ノアは騒ぎの原因が抱き合っている教え子ふたりだと気付くと、いつも変わらぬ何考えてんだかさっぱりわからない鉄面皮のままツカツカと近づいて来て、けれど——カイザーの背に回された世一の左手薬指の煌めきに気付くと、何故かこくりと頷いて見せる。

「なんだ、お前たち、七年もかかってやっと素直になったのか」

 そうして当たり前のように告げられた言葉に、カイザーと世一は、お互いに顔を見せ合うと腹がよじれるほど笑って、最後にもう一回、じゃれつくようにキスをした。