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桐子
2025-02-02 16:31:14
3611文字
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美しい傷⑨(父水♀️)
目を覚ますと、知らない老人の顔が見えた。
「おお、目が覚めたか。薬が効いてよかったのう」
老人はそう言って微笑んだ。そして、水木の額に手を当てた。
「熱も下がってきたのう」
「あの
……
あなたは?」
見知らぬ老人が寝ている間に部屋に入ってきていたのだ。悪い人間ではなさそうだが、警戒をにじませて尋ねた。
「安心せえ。こやつは元は医者じゃ。助平爺じゃがワシがちゃんと見張っておる」
奥から現れたのは着物の老婆だった。彼女には見覚えがある。水木に花嫁衣裳を着付けてくれた人だ。その時は無言で仏頂面をしていたからよく覚えている。
「ワシはここで家政婦頭をしておる。さ、起きたならこれを食え」
顔は怖いが、水木を抱き起こすのを手伝ってくれる手付きは優しい。布団の脇に置いた盆の上の小鍋の蓋を開けると、中は雑炊だった。ふわりと出汁の香りが漂い、ここ数日なにも食べていない腹が、くぅと小さく鳴った。
「ゆっくり食べるんじゃぞ」
取り分けてくれた雑炊の中には、小さく刻まれた野菜や鶏肉、卵がたっぷり入っていて、とても美味しかった。
「おいしい
……
」
水木はあっという間に器を空にした。そして、おかわりまでしてしまった。
「ごちそうさまでした」
「食欲があるようでよかったわい」
水木は恥ずかしそうに頬を染めた。だが、本当にお腹が空いていたから仕方ない。それにこの雑炊はとても優しい味がした。
「ほれ、薬じゃ。これを飲んだらまた寝ておれ」
老人が薬を持ってきてくれた。水木は素直に受け取り、水で流し込んだ。
よく見ると浴衣も着替えさせられている。汗をかいていたのに、べたべたしていない。きっと、誰かが体を拭いて着替えさせてくれたのだろう。
水木は布団の上に座り直した。そして、老人に頭を下げた。
「あの
……
助けていただいてありがとうございます」
老人は笑った。
「なに、礼なら親父さんに言うてくれ」
「あんなにあんたのことを怒っておったくせに、看病してくれと頼まれてな」
「え?」
水木は驚いて二人の顔を見た。親父さんというのは、親分のことだろう。彼が水木の看病をしろと頼んだ?あんなに水木のことを嫌っていたのに。
「あの
……
本当に?」
「本当じゃよ。元気になったら直接確かめればええ」
老婆は食器を盆に乗せて、立ち上がった。
「それじゃあワシはこれで。薬を飲んでも一日二日はまだ熱があるじゃろうから、無理せんでゆっくり休むんじゃぞ。明日、また食事を持ってくるからの」
そう言って二人は部屋を出て行った。
いつの間にか部屋は綺麗にされ、部屋のすみには水木の着ていた服が洗濯され畳まれていた。
水木は布団に横になった。まだ少しだるさが残っているが、ひさしぶりにまともな食事をして、体が楽になっていた。
何がどうなって、こんなに急に優しくなったのか。狐につままれたような気持ちになった。
それでも、体が弱って心も弱っていたのだろう。なんだか泣けてきて、布団に頭まで潜り込んだ。
老人たちは次の日も来てくれた。名前を聞きそびれたので、水木は心の中で彼らを砂かけ婆と子泣き爺と呼ぶことにした。
「熱は下がったようじゃの」
子泣き爺は、水木の額に手をあて、それから脈を測った。
「じゃが、抵抗力が弱くなっとる。あと数日は安静にしておくとよいぞ」
「さ、これを食え。婆の特製ゼリーじゃ」
苺やキウイ、バナナなどがたっぷり入ったゼリーを渡された。見るからにおいしそうだ。スプーンで一口すくって食べると、果物の甘さと冷たいゼリーのぷるりとした食感が口の中に広がった。
「おいしい
……
」
水木がそう言うと、強面の砂かけ婆がにっこり笑った。
「ワシの特製ゼリーは親父さんも好きなんじゃ。特にさくらんぼ入りがな」
「あんな顔してさくらんぼが好きなんて、何回聞いても笑えるわい」
はっはっは、と子泣き爺も愉快そうに笑う。確かに親分のあの恐ろしげなたたずまいと、さくらんぼという可愛らしい果物が結びつかず、思わず水木も笑ってしまった。
「
……
お嬢さん、親父さんも悪い人ではないんじゃ。ただのう、岩子があんなことになってしもうて、荒みきっておってな」
砂かけ婆の言葉からは、深い後悔と悲しみが伝わってきた。
「あんたのことも、龍賀の人間だからとあまりにひどい扱いをしとった。許してくれとは言えんが、本当にすまんかった」
砂かけ婆は頭を下げた。水木は慌てて首を振った。
「そんな、謝らないでください」
彼らのせいではないのだ。龍賀の家が彼らにしたことは決して許されることではない。彼らは多分、水木のためというより親分のために頭を下げているのだ。
「看病してくださって、ありがとうございます」
「お嬢さんは優しいのう」
砂かけ婆は微笑んだ。
2人は他愛のない話をしてから、養生するようにと言って帰っていった。それと入れ替わりに、今度はまた別の客が顔を出した。
「水木さん、起きてますか?」
ドアを開けて入ってきたのは、鬼太郎だった。ねこもいる。
「鬼太郎」
「寝込んでると聞いてお見舞いに来たかったのに、うったらいけないからって止められてたんです。もう具合はいいんですか?」
「うん、だいぶよくなったよ」
水木が答えると、鬼太郎はほっとした顔をして中に入ってきた。
「あ
……
」
しかし、そのあとに続いて入ってきた人物を見て、水木は声をもらした。
親分だった。
彼はいつもの青い着流しに白い羽織を羽織って、不機嫌そうに腕を組んでいる。水木は慌てて起き上がり、布団の上で姿勢を正そうとした。
「寝ておれ。病人が無理をするな」
「は、はい」
親分に不機嫌そうに言われ、水木は緊張で身を硬くしながら、また姿勢を戻した。彼は水木の布団のそばに座って、顔も見ずに尋ねてきた。
「具合はどうじゃ?」
「
……
熱はもう、ほとんど下がっています」
水木の答えに、彼は「そうか」とつぶやいた。そうか、彼は水木の健康状態を確かめに来たのだ。何かあれば龍賀が黙っていないだろう。
「元気になってきたなら、これ、食べられそうですか?」
鬼太郎が持っていた風呂敷包みをほどいた。中から出てきたのはホットケーキの箱だ。
「今から作ってあげます。練習してきたんですよ」
「ああ、ありがとう」
気遣いが嬉しかった。鬼太郎は台所へむかうと、さっそくホットケーキを作り始めた。
水木はちらりと親分の方を見た。こちらの様子を確かめたのだから、もう用事はないはずなのに、一向に帰る気配がない。
何か話があるのなら早くして欲しい。こんなピリピリした雰囲気の中、一緒にいるのは居心地が悪い。しかし親分は何も言わず、ただ不機嫌に腕を組んでいるだけだった。
ホットケーキが焼ける甘い匂いが漂い始めた頃、ようやく彼は口を開いた。
「
……
しばらくの間、閨はよい」
「えっ」
「養生しろ」
それだけ言うと、彼はまた黙り込んだ。
閨はいい、ということはつまり、しばらくは彼の部屋に行かなくてもいいということだ。どういう風の吹きまわしかと困惑しているうちに、鬼太郎が皿を持ってこちらへ来た。
「水木さん、焼けましたよ」
はちみつとバターがたっぷりかかったホットケーキは、とてもおいしそうだ。
「いただきます」
鬼太郎に促されてナイフを入れると、ほかほかの湯気があがった。狐色に焼かれたホットケーキはふんわりしていて、口に入れるとはちみつの甘みとバターの塩気が広がって、幸せな気持ちになった。
「おいしいよ」
「よかった!」
「でも悪いな。全部は食べきれないよ。よかったら鬼太郎も食べてくれ」
水木が皿を鬼太郎に渡そうと押しやると、鬼太郎はぱかっと口を開けた。
ーーーー食べさせてほしいということだろうか。
水木はホットケーキを一口大に切ると、鬼太郎の口元へ運んだ。
「あーん」
ぱくっと鬼太郎がホットケーキを口に入れた。幸せそうに咀嚼する表情が子どもらしく可愛らしい。
「おいしいです。父さんも食べてくれますか?」
男は不機嫌そうに黙っていたが、息子に話しかけられると「そうじゃのう。いただこうか」と応えた。こんな優しげな声で話すのを、初めて聞いた。水木が驚いて男の方を見ると、彼は水木と目があうなり、ぱかっと口を開けた。
ーーーーこれは、食べさせろということだろうか。
鬼太郎の方をみると、何の疑問も抱いていないようでにこにこ笑っている。水木はホットケーキを切り分けると、鬼太郎の時と同じように彼の口元に運んだ。
男はホットケーキをぱくりと食べた。そのままもぐもぐ口を動かしている。
「ね、父さん。おいしいでしょう?」
「ああ。将来はほっとけーき屋になるとよいのう」
親子の会話は和やかだ。
何がどうなっているか分からないが、親分の態度がほんの少し軟化したのを感じる。水木はほっとして、甘いホットケーキをまた一口食べた。
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