ほしのまなつ
2024-01-20 03:58:26
1935文字
Public :一郎×3世短編
 

🥞🎩3️⃣/真夜中の純潔

いちろうくん、暴走悪魔の子守りをする

はじめて「ソレ」に逢ったのは、
月のない夜だった。





「じぶんの名前は、わかるか」
「???」

研究所の痛んだソファのうえ。
安っぽい合皮をギシギシと軋ませながら、軽々しく一郎の膝に乗ってくる「ソレ」をしげしげと観察してやる。
新月が悪魔に与える影響はいまだ未知数だ。
より凶暴性が増すなどと勝手にのたまう民間伝承の類を、一郎は信じていなかった。

――分からないのか」
……?」

きょとん、と首をかたむけるだけ。
ハァ……と、わざとらくため息をこぼせば、沈んだ色のまるい瞳がぱちりと瞬く。
黒曜石を思わせる目の色は、つるりとした飴玉のようだ。
額の上部にある捻じれたツノが酷くアンバランスで、ただでさえ幼い容貌がきわだってしまっている。

厳密に言えば、この姿の状態の「ソレ」と逢ったのは、はじめてではない。
思い出したくもない魔界での一件で、嫌になるほど夢に出てくる。

「メフィスト」
「!」

名を呼べば、くちびるがゆるくほころんだ。
一郎にはまったく興味のない、値のはる紅茶をいれているときソックリだ。
――重なるのは、それだけじゃない。
幼さを過分に残した、ほそい身体。
膝のうえに乗ってくるあたたかな体温も、やわい肌も――

――最悪だ。

よりひとにカタチが近いのは、ここが魔界でないからなのか。
あの時とは違い、面影がありすぎる。面影――なんてもんじゃない。
ゲーム内の設定によくある、同一人物の「色違い」

いま、一郎の目の前にいるのは、
まちがいなく彼の悪魔だった。






もう二度と目にしたくない「ソレ」は、月のない夜に顔をのぞかせてくる。
じぶんを殺した相手のもとに、なんども、なんども――

――……おい、やめろ」

ぐりぐりと胸の辺りによせられた、人懐っこい頭を引きはがす。
見上げてくる黒いひとみから目が離せない。
これ以上はまずい。
ぞくぞくと込み上げるものの正体を、一郎はもう知っていた。
跳ねる鼓動を、舌打ちで抑え込む。


――おまえとはしない。ダメだやめろ」
「ぅ、」
「だから! お前とは……おい、遊びじゃないぞ」

くちびるをくっつけたがるのを引っぺがすと、けらけら笑いながらますますぎゅうぎゅうくっついてくる。
ガタン!っとハデな音がして、乱雑に積まれていた本が床にぶちまけられた。
最悪だ。この場でこれを片付けるのは、一郎の役目だ。

――は?」

その中の一冊が、ふよふよと表紙をのぞかせる。
今夜はこれをご所望らしい。

「ん!」
……おまえなぁ、言葉なんて分からないクセに」

手に取ってやった時点で、一郎の負けだ。
そもそも読んでやらないと、違う方の欲を出してくるからこうするしかないのだ。

――最悪だ、本当に)

まろい頬をゆるめて、一郎をじっとみあげてくるイキモノに抗えるはずがない。
普段ならぜったいにしない。
世話を焼くのは彼の悪魔の役目で、こんなことはありえないのだ。

……これが終わったら、寝るからな」
ソファのうえで、足のあいだにその小さなからだをぽすんっと収めてやる。
読みやすさに特化した体勢だ。
これがいちばん合理的だからだ……と、じわりと伝わるぬくもりに言い訳をする。
目のまえでゆれる小さな頭に、胸がくるしい。

「♪――ぅ、……――♪」
いったい何が面白いのか。
意味をもたないことばを歌うようにこぼしながら、絵本をひらく一郎のゆびを、細められた目がじぃっと追う。
残念ながら、一郎に朗読の才能はない。
ボソボソと面白味のない声音でつむぐ物語。ことばだって「ソレ」は理解していない。

――……、」

ふ、っと言葉をとめると、
きょとんと黒い双眸がまっすぐに見上げてくる。

(あー、クソ)

しってる。
こいつの知らない臨時収入で、家賃がすでに支払い済みだと知ったときとまったく同じ顔だ。

チャーシューが多い方のラーメンを譲ったとき。
洗濯ものをもう取り込んだ、と伝えたとき。
切れかけてた電球をじぶんで替えた報告をしたとき――

「~~~ぅ、???」

急にくっつけられたくちびるに、でっかい目がますます丸くなる。
だめだと言っていた一郎からの不意打ちに、この悪魔はほんとうに驚いているらしい。
ガラスのひとみを縁取るまつげが、ふるりとふるえてる。

一郎なんかに運命もいのちもくれておいて、
くちづけひとつで、こんなふうにちいさな肩を跳ねさせる。

「メフィスト、」

ああ、
ああ、

どうしたってこれは
おれのあくまなのだ。





(まるごと全部もらっちゃうことに躊躇のなくなった一郎のはなし)