猫澤
Public
 

猫、拾いました。



 小雨が降っている。
 いつから降り始めたのかは知らない。ただ、ふとぱらぱらと音がして顔を上げれば、雨粒がタクシーの窓を濡らしていた。
 滲んだネオンとイルミネーション。スマートフォンが光って、暗がりにディスプレイがぼんやりと浮かび上がる。
 俳優・天馬司。世間からそう呼ばれるようになって何年経ったか。
 芸能界での活動は日々目まぐるしく、慌ただしい。今日だって遅くまで映画の撮影が続いて、体力に自信があったオレもさすがに満身創痍となっていた。
 最悪現場近くのホテルに一泊とも思ったが、せっかくスタッフがタクシーを用意してくれたとあっては厚意を無下にもできない。元より枕が変わるとゆっくり眠れないのだ。気持ちばかりのため息を落として、オレは窓に額を合わせた。
 しっかりしろ、と内心で自分を鼓舞する。まだ道の半ばだ。そうでなければ、かつての仲間にも見せる顔がない。
――すみません、ここで」
 路肩にタクシーが止まる。運転手に紙幣を差し出して、荷物を軽くまとめた。受け取った釣り銭は上着のポケットに一旦しまって、降りかかる小雨を手で避けながらマンションのエントランスへと走る。
 帰宅してもすぐには休めない。映画の撮影はしばらく続くのだ。今夜も台本を読み込んで、自分なりの解釈をきちんと固めておかねば。こと今回は原作がある。原作からのファンをオレの演技で悲しませるようなことは絶対にしたくない。
 明日は何時に現場入りだったか。ああ、そういえば午後から雑誌のインタビューもあるのだった。週末には舞台稽古の顔合わせがある。名前が広まるにつれ天手古舞な毎日だが、やるしかない。スターたるもの、歩みを止めている暇などないのだから。
「ん?」
 ぱしゃ、と水たまりを踏む。エントランスロックを外そうと顔認証のカメラに近づくさなか、オレは眉を寄せて目を凝らした。
 誰かいる。……男だ。
 一瞬、たちの悪いパパラッチか何かかと思ったが。その割に身軽で、手にはカメラどころかスマートフォンなどのたぐいも一切ない。
 ただただ、その場に佇んでいるのだ。雨に濡れながら。亡霊のように。
 ぱっと見たところ年は若そうだ――二十代、いや十代後半だろうか。もうじき日付が変わる。明らかに面倒事のにおいがする。どうする、首を突っ込むべきか、せざるべきか。
 ずぶ濡れの未成年と、疲弊しきった己を天秤にかけ、オレは天を仰いだ。――放っておける、わけがない。
 一度は見ぬふりして通り過ぎてみたものの、オレはすぐに踵を返して。濡れた男の腕を掴んだ。
「おい、君――そんなずぶ濡れで立っていては風邪をひいてしまうぞ」
 月が――こちらを覗いた気がした。
……司くん?」
「は?」
 瞬く。聞き覚えのある声だ。むしろ聞き覚えしかない。オレは拍子抜けして、顰めていた顔をぽかんと呆けさせてしまった。
「お前……類? 神代類か?」
 ――神代類。腕のいい演出家だと界隈に名を轟かせる彼は、かつて共にワンダーランズ×ショウタイムとしてステージを彩ってきた仲間のひとりであった。
 紫陽花色の髪。溶かした蜂蜜のような瞳。雨で全身を濡らしながらも、オレを認識した類は表情を和らげて微笑みかける。
 彼は、たしかに神代類だった。
 類の名を呼んで以降言葉が途切れてしまったのは、なんということはない、オレの脳がバグを起こしたからだ。目の前に立つ男は紛れもなく類であったが、類は――高校時代からの友人でもあり、もう十年の付き合いになる男で――つまりもう大の大人である。
 在学中より多少身長も伸びて(それ以上縦に伸ばしてどうするつもりだと詰ったことがある。好きで伸びてるわけじゃないよと煽られた)、体格も大人のそれに見合った成長をしていたはずだった。
 なのに。
 目の前にいる男は。神代類は。
 ――どう見ても十代の頃の姿をしていたのだ。

  ◇◆◇

 がたん、と浴室のドアが開く音がして、オレは齧りついていた台本から目を離して顔を上げた。
「すまないね、司くん。シャワーを借りてしまって」
「気にするな。ちゃんと体は温まったか?」
「おかげさまで」
 タオルで髪の水分を拭き取りながら、類がフローリングの床を踏む。ふわりと嗅ぎ慣れたはずのシャンプーの香りが妙に落ち着かず、オレはつい目を逸らしてしまった。
 やはり見た目は高校生の頃の類だ。どういう経緯でそんな姿になったのか皆目見当もつかないが、面倒事であることだけは確かだった。案の定というかなんというか、やっぱりむやみに首を突っ込むべきじゃないな、とため息をつく。
 しかし、心なしか血色の良くなった肌色には安堵した。先ほどまでの類は顔色が真っ青で、部屋に連れ込むために手を引いたが、体温も恐ろしく低くて。本当に生きているのか不安になるくらいだったのだ。
 オレにとって。神代類は旧知の仲であり、あるいは親友と呼んでも差し支えない程度には親密な相手だった。
 高校を卒業しそれぞれの道を歩み始めても関係が途絶えることはなく、どころか、つい先日だって忙しさの合間を縫って会っているし、近々また会う約束もしている。
 いつだか類がうちに忘れていった服をそのまま置いておいてよかった。類――ややこしい。今目の前にいる十代の類のことだ――が着ていた服は洗濯して乾燥機にかけているが、乾くまでまだ時間がかかる。そして非常に腹立たしいことにオレの服はサイズが合わない。高校生の類が相手でも、だ。
 なんだか本当に腹が立ってきて、オレは仏頂面で「それで?」と口を開いた。
「今度は一体どんな実験をして、お前はそんな姿になってしまったんだ?」
……実験?」
「どう見たって若いだろう、十は下に見える」
 二人掛けのソファーの半分を類に明け渡して、オレは静かに足を組んだ。
 類が実験で何かやらかすのはもはや日常茶飯事で、思えばオレはいつもその被害者だ。
 学生時代はよく前髪を焦がされたっけ……というか、今思い返してもやっぱりあの時火薬を使ってたよな……。あの頃の類は頑なに火薬は使ってないと言っていたが。だったらなんで前髪が焦げるんだという話だ。類はあれで結構、平然と嘘をつく。
「そうかい? 自分では実感がわかないけれど……フフ、でもたしかに司くんは大人っぽく見えるね」
「はあ……。その、『司くん』って呼び方もわざとか? 怒らないからきちんと若返った経緯を説明してくれ」
「経緯。経緯か……
 ふむ、と類が顎に手を当てる。これは、思案するときの類の癖。
 可能性のひとつとして、この男は類に激似の誰かさん――という線も考えていたのだが。ここまで口調も仕草もオレがよく知る神代類そのものだと、その線はだいぶ薄いだろうか。
 壁掛けの時計の音が五回ほど鳴ったところで、類はひとつ頷いた。
「司くん。固定概念にとらわれず、現状を正確に分析するに……君も思っている通り、僕は恐らく君にとっては約十年前の――十七歳の神代類なのだと思うよ」
「は?」
「実は理由にも思い当たる節があって……いやあ、僕としたことがちょっと実験に失敗してしまってね! そのはずみでどうやら体ごと未来へ飛んできてしまったようだ」
「はああ?」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまって、オレは慌てて口に手を当てた。すっかり失念していたがもう深夜一時をまわっている。防音設備の整った部屋でなければ危うくご近所迷惑になるところだった。
 類は類で、「見知らぬ土地で途方に暮れていたから司くんに会えて助かったよ」と呑気に笑っている。いやいやいや、笑ってる場合か。能天気にも程があるだろう!
「まさかお前、十年前からタイムリープしてきたって言うのか!?」
「まさにその通りだよ! 信じられないかい?」
「当たり前だ! そんなの信じられるわけが……
「でも君の目に映る僕は、紛れもなく十年前の僕だろう?」
「ぐっ……
 暴論に近しく、果てしなく現実味がないが、事実として十年前の類がそこにいる。たしかに固定概念にとらわれず、現状を正しく分析すると――類の言い分に破綻した矛盾は感じられないのだ。
 違和感はあった。呼び名だ。出会ったばかりこそ類はオレを「司くん」と呼んでいたが、ここ数年はずっと呼び捨てにしている。つまり、今ここにいる類は「出会ったばかりの」、……高校時代の類で。
 ――いっそのこと質の悪い冗談であってくれ。
 思わず頭を抱える。というか、類の立場からすればここは焦るところなのではないだろうか。それどころか類はキラキラと目を輝かせている。そうだった、類はこういうヤツだった。マイペースなのだ、良くも悪くも。
 そして彼はイレギュラーこそ愉しめる、そういう男でもある。
「僕からしてみればこの世界の方がずっと信じ難くて興味深いよ。十年……ということは、司くんは今二十七ということになるね。見たところ単身、ないし二人用くらいの部屋に見えるけれど、一人暮らしかい?」
「ああ」
 頷くと、類は「へえ」と不躾に室内を見渡した。我ながら特に面白みのない部屋だろうと思うが、類にとってそうかはわからない。
 ミニマリスト、と言うには大袈裟だが、オレは基本的に自室に必要以上の家具を置かない。理由は至ってシンプルだ。虫が出たときに対処に困るから。以上。その一点に尽きる。
 かつて天馬家に襲来した黒い古代生物が、家具やインテリアに隠れて仕留め損なったとき――オレは一晩生きた心地がしなかった。後輩の彰人には「まだ克服してなかったんすか」とよく呆れられるが、克服も何も生理的に受け付けないのだから仕方がない。
 必要最低限の家具と、多少の娯楽で人は豊かに人生を送れる。シンプルに片付いた室内を一通り眺めて、類は「ふうん」と気のない声を漏らした。
「結婚はしてないのかな。恋人は?」
「していないし恋人もいない。作る予定もない、……今のところは」
……今のところは?」
「さすがにそれなりの歳になったら家庭を築いて……と思うが、今はまだ仕事を大事にしていたい時期だからな」
「なるほど。司くんらしいね」
 世話焼きな親戚や業界の知り合いがお見合いを勧めてくることはままあるが、仕事を理由にすべて断っている。実際今は何をしても仕事が最優先で、きっと今家庭をもっても疎かにしてしまうだろう。
 オレは多分、幸せな家庭環境で育てられた身だ。仲のいい両親、心優しい妹。そして不自由のない暮らし。父を尊敬する。同じだけの家庭を作る自信は、ない。ひょっとしたら、今後も。
 立ち上がってコーヒーメーカーのスイッチを入れる。こぽ、と音を立てる様を見守って、オレは腕を組んだ。
「しかし……。お前が本当に高校二年生の類だとして、未来である今のことをどの程度話していいものか……
「それについては気にしなくてもいいと思うよ」
「何故だ?」
「だって司くん、過去の僕から一度でも聞いたことがあるのかい? 未来の話をさ」
……無いな」
「だろう?」
 フフ、と得意げに類が笑う。
「おそらく過去・現在・未来の因果律に影響をきたすようなことは出来ないはずだ。ひょっとするとしようとも思わないかもしれない。時間という大河の流れは個人の力でどうこうすることは不可能だからね」
「む……
「例えばの話、今司くんがこの場で僕を殺めてしまったとして、そうすると君と歩んできたはずの十八から二十七までの僕の存在に矛盾が生じてしまうだろう? それは絶対に起きてはいけないことなんだよ」
「タイムパラドクスか。急にSFな話になってきたな」
「つまるところ、普通に話せることなら影響はないってことさ」
 そういうものなのだろうか。類が言うと妙な説得力がある。昔からその謎の説得力であれよこれよと言いくるめられ続けてきた身としては、少々身構える部分もあるが。
 来客用――というか、ほとんど類用になっているマグカップにコーヒーを注いで差し出す。香ばしいにおいが室内に広がる。時計の長針は既に半周過ぎていたが、今夜はまだまだ話が長くなりそうだ。
 類は受け取ったマグに口をつけて、ちらとオレに視線を向けた。まなじりが下がる、人好きのする笑みだ。
「それでね? 司くん。お願いがあるんだけど……
……類のその顔には覚えがあるぞ」
「フフフ……。それなら僕が言わんとしてることも、君ならわかってくれるはずだよね?」
 おそらく次に出てくるであろう言葉を予想して、オレは天を仰ぎ額を押さえた。
 蜂蜜色の瞳がオレの顔を下から覗き込む。やめろ小首を傾げるな。あざといヤツめ。……昔から本当に、類は甘え上手だ。いや、オレが長男ゆえに甘え下手の頼られたがりなだけかもしれんが。
「僕が元の世界に戻る手掛かりを見つけるまで、ここで匿ってくれないかい?」
 おおよそ予想通りの台詞に、溜め込んでいた息を吐き出した。
「仕方がないな……他に行く当てもないんだろう」
「ありがとう司くん! やっぱり君は頼りになるね!」
 実際。話を聞いたときから、頼まれなくてもそうするつもりではあった。
 外はまだ雨が降り続いている。外気が肌を刺す冬の季節に、行く当てのない類を放り出そうとは思えない。知った仲だ。遠慮する理由もないだろう。
 ひとつだけ気がかりなことがあるとすれば、オレはこの家を不在にしがちで、今まさに仕事の忙しさがピークを迎えているところという点だ。
 撮影、インタビュー、舞台稽古。詰まりに詰まったスケジュールを思い出してうっと顔を顰める。いや、ありがたいことだ。ありがたいことなのだが。
「仕事であまり構ってはやれんぞ」
「気にしないでいいよ。僕も日中はあちこち見て回ってるだろうし……そうだな。猫でも拾ったと思ってくれれば」
「こんなにでかい猫がいてたまるか……
 猫を自称するにはでかすぎる。「そうかい?」と類は首を傾げて、口元を緩めてみせた。
 錯覚しそうになる。昔に戻ったみたいだ、なんて。
「それじゃ、しばらくの間よろしく頼むよ、司くん」
 差し出された手のひらを見つめ、オレは嘆息した。握り返した手はもう冷たくない。
 こうして、オレと類の――奇妙な同居生活は幕を開けたのだ。

  ◇◆◇

 さて。自称猫との生活は順調な滑り出しを迎え――るはずがなかった。
 何故なら相手は猫ではなく類であり、そしてこいつはオレ限定でめちゃくちゃなトラブルメーカーだ。
「る〜〜い〜〜!」
 浴室のドアを勢いよく閉めて、リビングで寛ぐ類を大声で呼ぶ。
 類はといえば革張りのソファーに寝そべり、オレが特集された雑誌を読むのに夢中になっていた。それはいい。互いに遠慮する仲でもないのだから、存分に寛いでくれて構わない、が!
「風呂場があわあわなんだが!? お前だろう、類!」
「ああ、そういえばオフロソウジくんのスイッチを切り忘れてしまっていたな」
「オフロソウジくん⁉︎」
 しれっと答える類にわなわなと体を震わせる。昨晩何やら工具を使って得体の知れない物体を作っているなと思ってはいたが、まさかあれか。
 想像してみてほしい。シャワーを浴びようと浴室のドアを開けた瞬間、視界を埋め尽くすほどの泡がオレに襲い掛かってくる絵面を。おかげで「パイ投げでもしたんですか?」ってレベルで全身が泡だらけのもこもこだ。
「期間限定の同居生活とはいえ、何もしないでただ居候するのもと思ってね。いろいろと家事に役立つロボを作ってみたんだ。オフロソウジくんはその名の通りスイッチを押せば界面活性剤が噴出して浴室を綺麗にしてくれるロボットだよ」
 起き上がった類がタオルでオレの髪についた泡を拭う。バスローブを羽織って、オレは痛くなるこめかみを指先で押した。
 家事を手伝おうという気持ちはありがたいが(実際類自身はことごとく家事が苦手だ。学生の頃から変わらず部屋は散らかりっぱなしだし、料理はしないし、とにかく悲惨である)、浴室を綺麗にするどころかオレ自身まで泡だらけにされたんじゃ目も当てられない。
 さすがに多少は反省しているのか、類は眉尻を下げてしょんぼりとしている。……いや、類は普段から眉が下がっていたな。多分何も考えていないと見た。よし訂正だ。
 ちなみに類が作った発明品はオフロソウジくんだけではなかった。キッチンにいつの間にかしれっと置いてあった機械を見遣り、恐る恐る指さしてみる。
「爆発でもするんじゃないかと触れずにいたが……あれもお前の発明品だろう? なんなんだ、あれは」
「ああ、あれは瞬間冷凍マシンだよ。あらゆる食材を一瞬で凍らせることができるんだ」
「これは?」
「おさかな三枚おろしくん。頭から魚を突っ込むと、三枚におろして出てくるよ。なんとマグロから小魚まで対応済みだ」
「じゃあ……こっちのホットサンドメーカーみたいなのは……
「ホットサンドメーカーだね。ちなみに僕のおすすめの具材は卵とチーズとハムだよ」
「急に普通じゃないか……
 ともかく。類と生活を始めて、オレの人生は一気に賑やかになった。腹の底から声を上げる機会も多くなったし、忙殺されるあまり死にかけていた感情が蘇ってくる。
 仕事は変わらず忙しいが、拾ったその日に言っていた通り類も日中はほとんど出掛けていて不在にしているようだった。なんなら朝はオレよりも早く起き、帰りはオレより後に帰宅してくるくらいだ。
 気を遣っているのかと聞けば、そうではないと類は首を振った。
 どうやら十年後の世界が面白くて仕方ないらしい。そりゃあ十年もすれば科学や機械の技術も進歩するし、オレにとっては普通のことも好奇心の塊である類にしてみればびっくり箱、いや……宝箱みたいなものだろう。
「それで? 元の時代に帰る手がかりとやらは見つかったのか?」
 オフロソウジくんのスイッチ――洗濯機でいうところの洗いモードのみ稼働していた為、すすぎと脱水モードを開始したとかなんとか――を切り替えてきた類は、オレの言葉にほんの少しだけ悲しそうな顔をした。
「それがさっぱり。でも変装して外を出歩くのはなかなか楽しいよ。十年経っても意外と神山通りの景観は変わってないんだね」
「まあそういうものなのかもしれないな」
 街並みといえば、この十年で閉店した店舗もあれば開店した店舗もあるが、建物自体は再利用で区画の大きな変更もない。強いて言えば空に道路ができたことくらいだろうか。
 技術の進化はあれど、街のインフラまで十年そこらで急激に変わることはないだろう。空を走る自動車が開発されても、民間に広く普及はしておらず、結局人は未だにみな地に足をつけて移動している。
「変わったといえば、学生時代お前とよく行ったゲーセンは潰れてしまった」
「ゲーセン?」
「ああ。ほら……バイトがない日などに行っただろう。お前、ゲームは下手だとか言ってたくせにめちゃくちゃ上手くてオレが不貞腐れた……
……えーっと……
……? あ、すまない。今のお前にとってはもう少し未来の話だったかもしれん」
 自分の記憶では高校時代の思い出のひとつであっても、よくよく思い返すとあれは三年生の頃の出来事だったかもしれない。
 何がきっかけだったか思い出せないが――妹の咲希や後輩の冬弥とよく遊んでいたゲームセンターに類を誘ったのだ、たしか。
 ゲームなんてあまりしたことがないと言うから、類に手取り足取り教えてやろうと思って意気込んでいた。事前に冬弥のレクチャーも受けていたし、きっと類は「司くんすごいね!」などと言ってオレを褒めたたえるだろうと思っていたのだ。
 普通に考えて、類の傍にはゲーマーの寧々がいたのだから、大変浅はかな考えだったと今となってはわかるが。
「ゲーセンに行くんだね、僕達」
「たまにな。今思うとそれなりに高校生を満喫していたぞ」
「そうか……
 結局類の方がハマって――というか、多分負けて悔しがるオレを見るのが楽しかったんだろう――フェニックスワンダーランドでのアルバイトがない日は二人でゲーセンに通い詰めることになったんだった。
 ソファーに腰を下ろして、類が先ほどまで読んでいた雑誌を拾い上げる。
 いつかの舞台の対談記事。この頃のオレはまだ若くて経験も浅く、インタビュアーの求める回答とはズレた発言ばかりしていた。実際に上がった記事を読んでみれば当たり障りのない回答に書き換えられていて、ひどく憤慨した覚えがある。
 それでもオレがこの記事を捨てられないでいるのは、この記事でさえもオレの歩んだ軌跡のひとつであるからだ。
「今の時代の僕は、何をしているんだい?」
「立派にステージディレクターやってるよ。近頃じゃ演出家としての腕も世間に認められて、元座長のオレは鼻が高い」
 類に雑誌を返せば、類はぴくりと指先を震わせた。
……司くんは?」
「オレは……ようやく俳優業が板についてきた、というところだ。まだまだ志半ばだが」
「ちゃんと夢に向かって前進しているんだ。……安心したよ」
「おかげさまでな」
 オレがここまで来れたのは、類を筆頭にワンダーランズ×ショウタイムの面々がいてくれたからといっても過言ではない。
 今は――もう、あの面々でショーをすることはなくなってしまったが。それでもオレにとってあの場所は――ワンダーステージは、魂の拠り所だ。
「えい」
「のわあっ⁉︎ お前っ……急にのしかかるな!」
「フフフ……今の僕は司くんの猫だからね」
 高校生とは言っても、タッパのある類にのしかかられれば自然と押しつぶされてしまうんだが。
 ソファーの上に二人揃って寝転んで。オレは首筋にかかる類の息がくすぐったくてつい笑い声をあげてしまった。
 擦り寄る猫――類の髪に手を伸ばす。
「なんだなんだ。甘えたい気分なのか?」
「にゃーん」
 そういえば。こうして誰かと触れ合うのも、久しぶりな気がする。
 実家を出てから、それなりに華やかな人生を送っていると思う一方で、オレの世界はどこか色あせていた。足りない色があった。それを――類は思い出させてくれるような。そんな予感がしている。
「おい類、寝るならベッドで……って聞いてないな」
 オレの上を陣取って、図々しくも寝息を立てはじめた自称猫。苦笑を零して、オレは類の髪を梳いた。
 仕事の疲れも忘れるくらいに癒されている。きっとあと数日もすれば、類は元の時代に帰ってしまうだろうに、離したくないと思っている自分がいる。
 類は親友だ。それは今後もずっと変わらない。
 でも。できれば、もうしばらく、あと少しだけ。オレのささやかな未練を慰めてくれないだろうかと願ってしまうのだ。
 この頃の類は、まだ可愛げがあるので。