猫澤
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きみはプリン



……な、なんだこの惨状は……
 突然、類から「新しい舞台装置が完成したから家に来てほしい」とメッセージが届いたので、それならばと駆け付けてみれば。敷地内に置かれたガレージの扉を開けてオレは愕然とした。
 右を見れば、よくわからない図面やら数式やらが書き連なった、おそらく何かの設計図の束がドン、ドン、ドンとデスクいっぱいに積まれ。左を見れば、足の踏み場もないほどネジやロボの部品が散乱しているという荒れっぷり。
 類の性格を知っていなければ、一見、空き巣にでも入られたのかと勘違いしていたかもしれない。締め切った室内はいささか埃っぽく、空気を入れ換えるために換気扇のスイッチを押す。押した。押したはずだった。しかし換気扇は回ることなく、代わりに天井からぼたぼたとぬいぐるみの山が落ちてきたので、早々にオレは換気を諦めるはめになったが。
 金属の部品で出来た海をざばざばを掻き分けていく。して、部屋の主人は一体どこにいるんだ。きょろきょろと見回してみてもそれらしい影は見当たらない。
「ぐっ、そこらじゅうにロボが転がっていて前に進めん……! 類! る――い!」
……つかさくん……?」
 声を張り上げて名前を呼べば、なんとも弱々しい声が床の方から聞こえてきた。よく見るとぬいぐるみの山に埋もれて人の手らしきものが見える。手はふらふらと探るように周囲を叩き、ぬいぐるみの雪崩を起こす。その中心からのそりと起き上がったそれは、その人は、まさにオレが今探していた人物そのもので。
「類! そんなところにいたか!」
……
 いくつかのロボを跨いで駆け寄れば、類はまだ覚醒しきっていないのか、ぼんやりと宙を見つめていた。その目元にはうっすらと隈が見える。
 先日シーズナルショーの公演が終わり、次のショーまで我がワンダーランズ×ショウタイムは休演期間となっている。脚本は既に完成していて、この脚本ならこんな舞台装置を作ってみたい、と類がオレに打診してきたのはつい三日前。思わずため息をつく。いやに連絡が早いなと思っていたんだ。どうやらまた寝てないらしい、この男は。
 青白い顔を見下ろして眉を寄せる。夢中になると寝食を忘れてしまうのは、類のよくない癖だった。裏を返せばそれほどショーに対して熱心であるということの証明ではあるが、座長として、友人として……少し、放ってはおけない。
「まったく……夢中になるのは構わんが、あまり無理はしないでくれ。心配になるだろう、ほら」
「ん……
 うつらうつらと今にもふねを漕ぎそうな類に手を差し出す。二対の月を宿した瞳がゆるりと見つめ、そっと手を重ねた。ひんやりと冷え切った指先。どうせこいつのことだから、まともに食事もとってないのだろう。さて、寝かせてやるのが先か、食わせてやるのが先か――
 思案していると、ふと類はオレの手の形をたしかめるようににぎにぎと握りしめ、まだ微睡んだ眼差しでオレを見上げた。
……プリン……
……ん?」
…………おなかすいた……
「うおお――っ⁉︎」
 急に腕を引かれ、目を白黒とさせているうちに勢いよく引きずりこまれる。咄嗟に床に膝をつくと、今度は類が覆い被さって、ぎゅう、と隙間もないほど抱きしめられた。
「お、おいっ、類……! くっ、力が強い! ……いだだだだ⁉︎」
 引き離そうと藻掻くうちに、頬にふに、と柔い感触がして、思わず口をあんぐりと開けてしまった。あむあむ、と明らかに食む仕草。な、何をしているんだ類は。いや、待て、こいつさっきプリンと言ったか⁉︎ ――まさかオレをプリンと間違えているのか⁉︎
「こら――! お、オレはプリンではなーい! 類! 離せ! 離さんか――‼︎」

 ***

「ん……あれ。いつの間にか寝てしまっていたみたいだ。ふぁ……
 ゆっくりと意識が浮上する。重たい瞳を抉じ開けると、ガレージを改良した僕の自室はすっかりオレンジ色に染まっていた。遠く聞こえるカラスの声に、ああ、またやってしまったな、と苦笑する。
 一度面白い舞台装置を思い付くと、昔からよく周りが見えなくなってしまいがちだった。これが完成したらより良いショーが出来る。観客の驚く顔が――そして、司くんの笑顔が見られると思ったら。いてもたってもいられるはずがなかったし、どうせ横になったところで装置が気になって眠れなくなるのはわかりきっている。だから、寝る間も惜しんで作業に没頭するのは苦ではなかったし、完成と同時にスイッチが切れるのは最早僕にとっては日常茶飯事。
 ただ今日ばかりは、いつもと違うことがひとつ。
 指先に柔らかいものが触れ、視線を落として。ぱち、と一度だけ瞬いた。甘いカスタードのような、艶やかな髪色。このところ常に僕の心中を占める人物、――司くんが、僕の隣で寝そべっている。
「つ、司くん?」
 上擦った声が、夕焼けに溶けていく。
 規則正しく上下する胸元を見て安堵するのも束の間、何故司くんが僕の部屋にいるのか、僕はこめかみに手を当て朧げな記憶を辿った。……そういえば、うっすらと装置の完成と同時に司くんにメッセージを送ったような気がする。はやく司くんに見てほしくて、笑ってほしくて、……よくやった、って、褒めてほしくて。
 今は閉じられた瞼の奥のカラメルが、とろりと綻ぶのを、どうしても見たかった。彼の眩しそうに細められた眼差しが、いっとう、僕は好きだったから。
 それにしても、急に呼び出してもちゃんと来てくれるなんて、彼も随分とお人好しだ。きっと彼にとっては何でもない、正真正銘の善意なのだろうけど、欲深い僕はその中に少しでも特別がありやしないかと縋ってしまう。
 うにゃむにゃと声がしてその寝顔を見下ろす。健康的な肌色。柔らかそうな頬に指先が引き寄せられていく。
……フフッ」
 ふに、と触れた頬は、想定通り柔らかかった。クッションを枕に、起こさないようにゆっくりと司くんの体を抱き寄せる。ブランケットを掛けてその髪に口元を寄せると、お日様のにおいがした。春の柔らかい、慈愛に溢れた優しい香りが、彼からはする。
「あったかい。……そうか。君は生きているんだものね……
 そんな当たり前のこと、今更確認することでもないけれど。機械からは感じられないあたたかさに、無性に愛しさがつのってゆく。
 今だけだ。今だけは、このあたたかさを独り占めしても、きっと誰も怒らないから。
……好きだなぁ」
 ぽつりと呟いた声もまた、夕陽に溶けていくのだと、思っていた。
 

 ***

――そういう台詞は、相手が起きてる時に言わんか」
……え」
 腕の中から声がして、僕ははっと目を開けた。恐る恐る視線を落とすと、僕の胸に手を当ててむすりと不機嫌そうに顔を顰めた司くんと目が合う。つん、と突き出された唇。寝起きで少しだけとろんとした瞳。じわり。司くんの体温の分まで、僕の体が熱を持ち始める。
「お、起きていたのかい……?」
……
……
 無言はすなわち、肯定だった。
 ふい、と視線を背けられて、心臓が嫌な音を立てる。告げるつもりはなかった。内に秘めておくつもりだった。君を困らせるつもりは、なかった、なんて、――そんな言い訳、通用するだろうか。
「あー、……その、……
「類、オレに何か言うことはないか?」
「えっ」
「あるだろう、何か」
 逸らしていた視線をゆっくりと僕に向けて、司くんが静かにそう呟く。
 そうだった。司くんは簡単に、過去をなかったことにはしてくれない。はく、と喉が意味をなさない音を立てる。心臓がどくどくと鼓動して、胸が詰まって、それでも、もう、なかったことにはしないと君が言うのなら。
………………君のことが好き、です」
「ちっっっが――う‼︎」
「ええ⁉︎」
 叶うなら、せめて友人のままでいてくれやしないかと、懇願の声はあっという間に掻き消されてしまった。
 司くんは「ちがう」と眉を吊り上げている。違うって何のことだ、もしかして告白の駄目出しをされているのだろうか。……いや、たしかに、ムードとか演出とか何も考えていなかったけれど……
 僕が戸惑っていると、痺れを切らした司くんはますます表情を険しくさせて、「ん!」と左の頬を指差した。先程触れた右の頬同様に、柔らかそうな肌が眼前に差し出される。
「これを見ろ‼︎」
……ん?」
 困惑しながらも司くんが指差すところをよく見ると、うっすらと何やら凹んでいるような……。顔を近づけてよく検分すれば、それはどうやら人の歯形のようだった。
 何故こんなところに歯形が? 首を傾げて、ふと、そういえばプリンをたべる夢をみたな、と思い至る。思い至って、僕は気がついてしまった。
 ……司くんの髪の色も瞳の色も、……プリンによく似ている、気がする。そこから導き出される結論は、つまり。
「お前という奴は……! プリンと間違えてオレのすべすべのまろい頬に噛み跡をつけるとは一体どういう了見だ!」
……や、やっぱり……いや! それよりも、そっちなのかい……
……フン!」
 ぽす、と。司くんが僕の肩に顔を埋める。視線を落とすと、甘ったるい髪の隙間から真っ赤に染まった頬と、耳朶が見えて。
……類がオレのことを好きなことくらい、とうの昔にお見通しだ」
 ぽつりと届いた呟きに、震える。
……オレだって、……類のことが、好き、だからな……
「それは、……恋愛的な意味で?」
……わかるだろう! 皆まで言わせるな!」
…………ふふ」
 まさか、まさか。
 ああ――こんなこと、あっていいんだろうか。
 腕の中に大人しく収まる司くんを抱き寄せて、深く息を吸い込む。肺いっぱいに満たされる彼のにおい。声。体温。
「司くん、……好きだよ」
……うむ」
「好き。大好き……噛んじゃってごめんね」
 お詫びも兼ねて、微かに凹凸している頬をぺろりと舐める。司くんは大袈裟に肩を揺らし、何か言いたげに僕を睨んでいたけれど――その手はぎゅっと僕の服の裾を掴んでいたから。可愛い照れ隠しだな、と、自然、笑みが零れた。
「君に傷をつけた責任、ちゃんととるから……許してほしいな」
……仕方がないな」
 少しは野菜を食べること。ちゃんと部屋の片付けをすること。今後はあまり無理をしないこと――約束するなら許してやってもいいとのお達しに、僕はまたふにゃりと頬を緩めるのだった。