猫澤
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【1】SOS , from ***

 例えるなら、そうだ。神隠しにでもあったのではないか。

 ふと気がつくと、ごうごうと燃えるような夕焼け――が、頭上一面に広がっている。
 類は瞬きを繰り返した。左から右へ。右から左へ。流れるように、平行に視線を動かしてみる。
 視覚から取り込んだ情報を分析するに。赤に染まるグラウンド、近くに聳える学舎、ふむ――おそらくここは学校なのだろう。
 おそらく、というのも、類自身いつこの場を訪れたのか、一体ここがどこなのか――経緯と呼べるものすべて、てんで全く記憶になく。
 気がついたら知らぬ間にここに立っていたのだ。神隠しのごとく。
 時折棒立ちのまま動かない類を嘲るように、カラスが此れ見よがしと空を横切っていく。
 黄昏。揺れる黒い木々。しかし産毛が逆立つほどに、世界には音がない。
 グラウンドにはぽつりぽつりと遊具があった。錆びた鉄棒。ペンキの剥がれた雲梯。ジャングルジム。それから、カラフルなタイヤが等間隔に並んでいる。その先には砂場も。
 ――ここがどこかの小学校であることは、理解した。
 気づいてみればたしかに、類のいるグラウンドはかなり狭いように感じる。しかし生徒の気配はない。どころか、フェンス越しに見える住宅街も、車道すら、視認できる限り通り過ぎるものはひとつもなかった。
……妙だな。まだ明るい時間帯だというのに、人っ子ひとり見当たらないなんて)
 そろりと制服の後ろポケットに手を伸ばして、そこで初めて愛用のスマートフォンの存在を知る。おや、制服――? ああそうだ、僕は今日もいつものように、己が在籍する都立神山高校に登校したのだった。
 そうしていつものように退屈な授業を受けながら、アルバイト先のステージや路上パフォーマンスで行うショーのアイディアを練って。青い時間を浪費していた。なにも、何一つだって変わり映えのない日常を。
 スマホを顔の前に翳せば、言わずともFaceIDが反応する。初期設定から変えていないデフォルトの壁紙。まもなく右上の電波にバツ印が浮かび上がり、類は思わず乾いた笑みを零してしまった。圏外。圏外かあ。
「これはまた今時珍しい。フフ……まるで異世界にでも迷い込んだみたいだねえ」
 異世界、と何気なく言葉にして、妙にそれが腑に落ちた。よくあるじゃないか、こういうの。ホラー映画とかで。
 本音を言えば、少し、わくわくしていた。
 類自身、イレギュラーな事象には強い方だと自負している。それどころかこういった非日常の体験は知らずと心躍ってしまう性分だ。
 果たして自発的にこの場所を訪れたのか、それとも何者かに連れて来られたのか。何が目的で、どういった手段で。一体ここはどこなのか? 疑問は湯水のように湧き上がり、自然、口角が持ち上がる。
 ……さて、こうして立ち尽くしていても仕方がないだろう。類は暫し思案して、まずは校門へと足を向けることにした。
 類の立っていた場所からそう距離はなく、冷たく閉まった黒門の柵の部分を掴む。「……」押して、引いて。前後に揺すれば音を立てて多少は動くが、しかし、施錠が解かれる気配はない。
「開かないか。飛び越えられない高さでもないけれど……
 不思議な感覚だ。
 何故だろう。飛び越えようという意思を持って校門に触れると、ぐらり、途端に平衡感覚を失ってしまう。自分の意思に反して体が門を越えることを拒絶しているような……。あるいは、まるで何者かに脳のコントロールを干渉されているみたいに。
……あながち間違いでもないのかもしれない)
 おかしな現象は他にも起きた。
 校門に掛けられた学校名を読もうと試みて、挫折した。どうにも文字がわからないのだ。
 決して判読できないわけではないし、識字能力の問題でもない。たしかに字が羅列されていることはわかるのに、その文字が何であるのか脳が「理解」することを阻害されている。
 こういった不可思議な体験には覚えがある。――セカイだ。
 司の想いで出来たあのセカイはあらゆる物理法則を無視している。草花が歌い列車が空を駆け、メリーゴーランドが宙に浮く、まさに異世界のようなところなのだ。
 はた、と思い当たり、類は再びスマートフォンに視線を落とした。
 セカイへ行く方法はただひとつ。このスマホでとある楽曲を再生するだけ。類の仲間である司と、えむ、寧々、そして類自身の想いが重なって生まれたあの曲を、だ。
 指を画面の下から上へ、素早く滑らせる。何度もあの場所を訪れたのだから、今更手順を間違えることはない。
 ない、のだが。
……『Untitled』に戻っている……?」
 かの楽曲――『セカイはまだ始まってすらいない』は、無機質な『Untitled』に姿を変えていた。
 じわり、焦燥の味を覚える。
 幾度となく再生したし、幾度となくあの不可思議なセカイでショーをした。秘密基地のようなものだった。僕達、ワンダーランズ×ショウタイムにとっては。
――、」
 思考が止まる。何故、が飽和している。
 己の感情を言語化しようと試みて、そうしているうちに耳慣れないチャイムの音が大きく鳴り響いた。
 スピーカーから流れる、半音下がった予鈴の音。暮れゆく世界をますます不気味に彩ってくれる。
 気味が悪い、で溢れかえっている。それもかなり、作為的に。
 振り返れば、待ち構えるように佇む薄暗い校舎が否応なく視界に入る。それを言葉なく見つめ、類はおもむろに、……じわじわと緩む口元を手で隠した。
「フフッ……なんだか面白いことが起きそうじゃないか」
 素敵なショーに招待された気分だ。
 砂利を踏み締め、ゆっくりと誘われるまま校舎の入り口――昇降口へと向かう。
 来るものを拒むように閉じられていたガラス戸は、類が軽く面を押しただけですんなりと侵入を許した。
「おやおや……随分と不用心なんだねぇ」
 類が校舎に足を踏み入れた途端に、けたたましく続いていたチャイムの音はぱたりと止み、鮮やかな夕暮れの赤ばかりが郷愁ただよう下駄箱に差している。
 無造作に突っ込まれた上履きの数々は、まるでほんのつい先程まで生徒達が駆け回っていたかのようではないか。
 隣接した事務室の窓は暗く、類のいるところから中は窺い知れない。
 うがい、てあらいをしっかりしましょう――掲示板に張り出されたポスターと対峙し、息を吐く。背後から外の風が吹き込み、どこからか枯葉がからからと類の足元へ転がり過ぎていった。
 ――ぱたん。
 音がして振り返れば、たしかに追い風であったにもかかわらず、昇降口の戸がひとりでに閉まっている。
……
 すぐに取手に手を掛け、開けようとする。しかし今度はピクリとも動かない。鍵は開いているのに――だ。
「なるほど、そういう魂胆かい」
 ――どうやら校舎に閉じ込められたようだ、と。
 もしも司がこの場にいたなら「何を暢気に言っているんだ!」と類を叱るのかもしれない。けれど、正直、不可思議な現象を前にすると恐怖の感情よりも好奇心が勝る。仕方がないのだ。こればかりは、そういう性分なものだから。
 一体何者にいざなわれているというのだろう。暴いてみたくなる。徹底的に、解剖して、観察して、解き明かしてみたくなる。
 退路は絶たれた。おそらく人為的に。となれば、だ。
 あとはもう、誘い込まれるまま、この校舎を見て回るしかない。――それが何らかのトラップであったとしても。
「いいねえ、面白い。――是非とも探索させてもらおうか」
 宵がにじり寄っていくさなか、類はひときわ、笑みを深くした。

   +++++ +++++

 ざっくりと周囲を検分したところ、昇降口を中心として、校舎は二つの棟に分かれているようだ。
 向かって左の棟は、ここから視認できる位置に保健室と職員室がある。職員棟だろうか……
 逡巡し、類はひとまず左の棟を見て回ることにした。
 探索の目的はこの校舎からの脱出だ。校内は静寂に包まれているとはいえ、教師や職員がいる可能性は大いにある。運良く出会えるならそれに越したことはない。
(不審者と思われて司くん達に迷惑をかけるのもね)
 さて、突き当たり――辿り着いた保健室のドアには「せんせい おるす」と書かれたプレートが掛けられていた。であれば、施錠されているかとも思ったが、引戸はあっさりと開き類を迎え入れた。
 白を基調とした清潔な室内。そしてそれらを染め上げる夕焼け。窓からは先ほど類が立っていたグラウンドの様子が見える。
 ……少しだけ、懐かしさを覚える。
 類も小学生の頃はやんちゃで、今よりもずっと好奇心が旺盛な子供で、しかも舞台演出家に並々ならない憧れを抱いていたので。よく匙加減を見誤って怪我をしては、保健室のお世話になったものだ。
 もう当時の養護教諭の顔さえ覚えてはいないけれど、擦り傷にしみた消毒液の脅威だけはどうしてかいつまでも覚えている。
 最近じゃ保健室なんて専ら授業をサボる時くらいにしか利用しない。それも、司と出会ってからは頻度が随分と減っている。理由も結構、明白だったりする。
 瓶の並んだ薬品棚。特に怪しいところは見当たらず、どこにでもある普通の保健室だ――と、僅かばかり拍子抜けしていた、その時だった。
 ――ぐすっ……
……
 背後で。啜り泣く声がした。子供の声だ。
 ――誰かいるのかい?
 声を掛けようと息を吸い込んで、思いとどまった。
 ゆっくりと振り返れば、三つ並んだベッドのうち、一つだけ、カーテンでまるごと覆われているのが目につく。
 人影はない。だが、たしかにそこから子供が声を殺して泣く声がする。
 類は足音を消して恐る恐るベッドに近づいた。一歩、また一歩と近づくにつれ、啜り泣く声はハッキリと類の耳朶を生温かくなぞる。
 風もないのに揺らぐカーテンの、その裾に手を掛けて。
 勢いよく開けた。
――……
 ベッドは、もぬけの殻だった。綺麗に折り畳まれた掛け布団と、皺のない白いシーツがそこにあるだけ。念のためベッドの下なども確認してみるが、声の主らしき正体は見当たらない。
 聞き違いか、幻聴か、それとも……
 しゃがみ込んだまま、口元に手を当てる。その刹那、先程眺めていた薬品棚のひとつから、囂しい音と共に瓶がいくつか落ちて、割れた。
……っ」
 鼻をつく消毒液のにおいに、思わず眉を寄せる。
 無人のベッドから聞こえる啜り泣きと、ひとりでに割れた瓶。
「音で驚かせるのは、ホラー演出の定番だねえ……
 再びベッドに視線を落とすと、ちょうど人が横たわったら胸か腹があるあたりだろうか、……まっさらな白いシーツにじわりじわりと赤黒い染みが滲み出していた。
 そうだな――例えばここで、人を刺したら。腹部から血が溢れ出して、ちょうど、こんな感じの染みが出来るのではないだろうか。
 その上、先程からなんだか視線を感じる。じっとりとした、人を観察するかのような不躾な視線が、品定めよろしく、類の体に刺さるのだ。
 ゆらり。黄昏に伸びる黒影が、ゆらゆらと揺らめく。
 改めて周囲を見渡して、類は小さく肩を竦めてみせた。
「歓迎されている……のかな?」
 フフ、と笑みを零す。気分はすっかり、ホラーもののリアル体験ショーに巻き込まれた観客だった。
 しかし残念ながらキャストミスだ。類ではきっと期待通りのリアクションは望めないし、類よりも大袈裟に跳んではねて悲鳴をあげてくれるだろう人物を知っている。
 ああ、彼がこの場にいたならば、それは楽しい探検になっただろうに、……なんて。想像して、ほんの少し、ひとりが寂しくなった。
 カーテンを閉め、割れた瓶を一瞥したのち、保健室を後にする。
 ……保健室の隣は、やや広めの職員室だった。
 当然のように人はいない。
 適当な教師の机を覗いていく。大抵は閉じられたノートパソコンや教材が整理整頓されて置かれているばかりだが、ひとつだけ、冊子だけを置き去りにした机があった。
 冊子を手に取ってみる。どうやら教員日誌のようだ。
 捲る。…………
……また、だ」
 数ページ読もうとして、類は顔を顰めた。校門でそうだったように、また、文章の理解を脳が拒絶している。
 文字という記号が並んでいる、という情報だけを拾って、肝心の内容がひとつも頭に入って来ないのだ。
 おそらく、普通の教員日誌である、と思う。几帳面な教師なのだろう。丁寧で軟らかな文字が所狭しと綴られている。読めずとも計算されたスクールプランニングが記されているのだろうことは推測できた。
 しかし更に数ページ捲っていくと、突然、ぱったりと途中から白紙になっている。
 不思議に思い、類は最後の記述があるページを開いてみた。
『おいしい』
『この世のものとは思えないほどに、絶品だ』
『もう一度味わってみたい』
『もう一度』
 何故か。そのページだけ、書かれている文章が読めた。それだけならばよかったが、その後は『たべたい』の文字が無数に連なり、元々は白かっただろう紙は黒く塗りつぶされている。
(狂気的だ)
 内容も然る事ながら、筆跡も、同一人物の日誌とは思えないほど稚拙になっている。断定には及ばないが、この教師がなんらかの精神疾患を抱えていることが推察される。
 日誌をそっと机に戻し、他にめぼしいものはないかと室内を見てまわる。ふと、教頭と思しき卓の側の壁にキーボックスが掛けられているのを見つけ、すかさず類は駆け寄った。
 中を覗くと、いくつか並ぶ特別教室用の鍵と、普通教室の鍵。
 旧い学校なのだろうか。鍵の形状が少しばかり前時代的だ。そういえば、グラウンドの遊具もかなり錆びていたと思い出す。
 これならピンセット……いや、欲は言うまい。ヘアピンのたぐいでもあれば、類でもピッキングが出来そうだ。
 そうは言っても今手持ちにはスマートフォンがあるのみなので、鍵があるなら素直に拝借したいところだが――
 左上から順番に指でなぞって、ひとまず昇降口の鍵を探す。指先が二段目に差し掛かったところで、類はぴたりと動きを止めた。
 真っ赤な静寂の中、微かな旋律が類の耳に届いたのだ。
 ……ピアノ。ピアノの音だ。
……
 音に誘われるまま、職員室を出て廊下の奥を見つめる。
 棟の突き当たりの大部屋。防音のためだろうか、ドアについた小窓に黒いカーテンが掛けられたその教室は、どうやら紛れもなく音楽室のようだった。
 丁寧に『おんがくしつ』と書かれたプレートを見上げ、旋律に暫し耳を傾ける。
「『エリーゼのために』か……
 かの楽曲はベートーベンが心を寄せていた女性・テレーゼに贈ったバガテルであるが、今日日、何故かスクールホラーの定番になりつつある。繊細な音の流れが緊張感を生むのだろうか。
 ……まあ、たしかに。
 ここでたとえば、運動会でよく聴く『天国と地獄』や『ラデツキー行進曲』など演奏されては、せっかくの雰囲気が台無しではある。
 あるいはリストの技巧曲など弾かれてみた日には、感嘆を込めて奏者に拍手を贈ってしまうかもしれない。
「しかし毎度ピアノというのも芸がないね……僕が演出をつけるとしたら、そうだな……
 司くんにピアニカでも吹かせてみようか。
 実際に耳にしたことはないが、彼はピアノが弾けるというし、彼の母はピアノの講師であるらしい。それならば、ピアニカだってお手の物だろう。……たぶん。
 彼自慢のかっこいいポーズを合間に挟んで、ピアニカを吹き鳴らす姿はきっと見る人を笑顔にするに違いないと、想像してみては「フフ、」とひとりでに笑みが漏れる。
 少しばかり愉快な妄想に浸っていると、類の声を聞きつけたのか、ぴたりとピアノの音が止んだ。
 西陽の差す校舎に、再び静寂が訪れる。
 演奏の邪魔をしてしまっただろうか……。ふむ、それは申し訳ないことをしたね。などとひとりごちながら、これは機とばかりに類はそろりとドアの取手に手を掛けた。
 中はやはり、夕陽に染まりつつあるものの、至って普通のよくある音楽室だった。
 小学生向けであるからか、少しばかり小振りな教室という印象を抱く。その中で大きなグランドピアノと、ドレミファソラシと書かれた大きなおたまじゃくしが泳ぐ壁。黒板の上にはかの有名な音楽家の肖像画が並んでいるのが窺えた。
 バッハ。ベートーベン。ショパン。シューベルト。それからモーツァルト……そうだ、司くんにはモーツァルトを弾いてもらおう。彼の曲は明るいものが多いし、きらきら星変奏曲なんてぴったりだ。
……おや?」
 モーツァルトの肖像画を見つめていると、肖像画の目がぎょろりと動いた。モーツァルトは類を視界に収め、しばし見つめ合ったあと、ニイ、と目を細め隣の肖像画へと視線を移す。
 露骨な視線誘導に乗ってモーツァルトの瞳の先を見れば、ベートーベンが苦悶の表情を浮かべ、赤い涙を流しているではないか。
 一体何故、と疑問に思う前に。劈く鍵盤の音が類の鼓膜をビリビリと震わせた。
 ダン、ダン、ダン、ダーン。
 咄嗟にピアノの奏者へと目を向ける。また無人かと思えば、今度は誰か、いる。
 夕陽の逆光になっていて顔は見えない。しかし、その体躯から窺うに、男の子……だろうか。少年は感情のままに、あるいはこの血涙を流すベートーベンが乗り移ったかのように、力強く鍵盤を上から下へ、叩く、叩く、叩く。
 交響曲第五番。『運命』のリズムだが、どうも不協和音でくらくらする。
 内臓までも振動させる音の波。少年はぱっと顔を上げ、声もなく類を見つめた。
 やはり表情はわからない。笑っているのか、怒っているのか、それすらも。
「君は……
 どう、声を掛けるつもりだったのか。類はそれきり口を閉じて、その場に立ち尽くした。重力に従って甘く色づく髪の色が、ふと、よく知る誰かを思わせたからと言うのもある。
 少年は。すう、とたしかに息を吸い込んで、口を大きく開いた。
――起きろ、類――

   +++++ ++++

「すぅ……起きろ〜〜ッ!」
「うわっ……つ、司くん」
 ――あお。青だ。澄み渡る青を背負って、目を見開いた類の視界の大部分を占領したのは、類にとっては友人であり、掛け替えのない仲間である天馬司だった。
「やっと起きたか! まったく、じきに予鈴の時間だぞ!」
 ふわふわと冷えた風が優しく二人の髪を撫でて過ぎゆく。冬と呼ぶにはまだ暖かくて、けれど秋と呼ぶには底冷えの気配のする、微妙な季節。
 ここは学校――神山高校の屋上だ。
 赤色の古びたそれとは違う、まだ真新しさの残る校舎。夢の余韻か、トクトクと些か早く鼓動する胸を押さえ、静かに呟く。
……僕は眠っていたのかい?」
「ああ。ランチの途中でぱったりとな! 全く微動だにせず眠っているものだから、おかげでしばらく気付かずひとりで喋ってしまった!」
 いいショーの案が浮かんだというのに〜、と恨めしげな視線を向ける司に微笑み返して、類は痛む体を労りながらゆっくりと起き上がった。
 ――どうやら知らぬ間に、僕は深い眠りに落ちていたようだ。
 司の話を聞いていれば、自然、眠りに落ちる前の記憶が蘇った。
 もうじき冬休みが来る。すると間もなくして、地元のテーマパーク――フェニックスワンダーランドは繁忙期に入る。
 クリスマスから年末年始とステージショーの予定は詰まりに詰まって、アルバイトの時間での打ち合わせでは到底足りず、このところ毎日類と司は暇を見つけては顔を突き合わせ、ああでもないこうでもないとミーティングを繰り返していた。
 今日も、ランチタイムを兼ねて作戦会議と洒落込んでいたところだ。空になった昼食の抜け殻と、広げたノート。はらい、止め撥ねのしっかりした司の字が罫線をはみ出して踊っている。
 これは幼馴染の寧々曰くの話だが。僕は電池が切れたように眠りに落ちるらしい。
 知れずとパワーオフになった自分の隣で延々とショーについて熱く語る司を想像して、勿体無いことをしたなと過去の自分を悔やんだ。
 だってそんなの側から見たら絶対面白いじゃないか。そこらじゅうに飛ばしたドローンのどれかが記録していたりしないだろうか。……後で確認しておこう。
「すまなかったね」
「構わんが……どうせお前のことだ。また明け方まで作業をしていてろくに眠っていなかったんだろう。しみじみ世の不公平を恨むな。ろくに寝んわ野菜も食わんわでよくもまあそこまで身長が伸びたものだ。公平を期すために三十センチほどオレに寄越すべきだと思わないか?」
「僕だって伸びたくて伸びたわけじゃないさ」
「ぬあ〜〜」
 ぷくー、と。河豚よろしく、膨らんだ司の頬を笑いながら両手で包み込む。溜め込んだ空気を抜くように圧迫すれば、ぷすう、と気の抜けた音と共に萎んだ。
 そうしてひとしきり笑った後、類はフェンスに背を預け空を見上げた。
 澄んだ青を、薄い雲が滲んでいる。刹那、フラッシュバックした――燃えるような赤。
 いやにリアルな夢だったと思う。夢だとわかってしまえば、ところどころあった不自然な出来事も、まあ、納得できてしまう。
……何か、寝言は言ってなかったかい?」
「ん? いや、何も。なんだ、夢でも見ていたのか?」
「ああ……まあ、他愛ない夢だけれど」
 あれは世間一般でいう怖い夢というやつなのだろう。夢の中の自分はいかにも自分らしく、あの状況を楽しんでいた節があるが。
 ランチボックスを丁寧に片付けていた司は、ぱっと目を輝かせて一歩分類に体を寄せた。出会って当初は司のパーソナルスペースの狭さにいちいち動揺していたものだが、人は慣れる生き物である。
「お前がみる夢に少し興味があるな。どんな愉快な夢だったんだ」
……司くんにピアニカ吹いてほしいな〜って、考える夢だったよ」
「それはショーの演出でか⁉︎ ピアニカなど久しく吹いてないが……そもそも家にまだあるかもわからんぞ。……いや、咲希のと一緒に物置にしまってあるかもしれんな……
 ぶつぶつと呟く司を横目に、類は自販機で買ったペットボトルのお茶に口をつけた。
 ピアニカなら、たしか自分の家にも探せばあるはずだ。
 ああ、でも司くんは、友人と言えど他人のピアニカを吹くのは抵抗があるだろうか。そうでなくても彼はそのあたりの衛生管理をしっかりしている。体育の後の水の回し飲みすら断るのだから。
「ではオレはピアニカを吹きながらするカッコいいポーズを考えておくとしよう!」
「おや、結構乗り気じゃないか」
「当然だっ! お前が考えるショーはいつだって最高だからな!」
 きらり。歯を見せて笑う司につられて、類もフと相好を崩す。
 司のこの芯の真っ直ぐさを、類はそれなりに好ましく思っていた。良くも悪くも裏表がない。歯に衣を着せない純粋さは、今時珍しい天然記念物だ。
 そこまで手放しに褒められると照れてしまうね、なんて類が返すと、気を良くした司は大仰に手を掲げて言葉を重ねた。
「そして演出家の期待に応えるのが――いや、その期待を上回って演じるのがオレ達役者の務めだ! いずれスターになる男ならばッ! 当然、何だって熟してみせよう!」
「フフッ……頼もしい限りだ」
 スラックスのポケットに突っ込んだスマートフォンに手を伸ばす。何気なく開いた音楽アプリの再生リストには、『セカイはまだ始まってすらいない』が何食わぬ顔で並んでいた。
 この曲が――今更『Untitled』に戻るなんてこと、あるのだろうか。
 用向きがあってもなくても、僕らは気軽にセカイと現実を行き来している。故にこそ、そんな日が来るなんて到底想像もつきそうにない。
 司が広げていた昼食を片付けて立ち上がる。それに倣って、類もまた荷物を纏めて司の背を追った。
 ふと立ち止まり、屋上を振り返る。一面の青。司と出会ってから、類は屋上で、地上よりも空を見上げることの方が多くなった。
……
 冬が来る。
 今年はPWL宣伝大使として各地で活動していたこともあり、類も司も、既に大学受験は推薦で難なく通過済みだ。
 程なくして迎えるだろう卒業式をもって、僕達はこの学校を巣立つ。そうしたら、この屋上ともおさらば。
 それが無性に――寂しい、だなんて。小学校、中学校と卒業を経験してさえ、今までちっとも、思ったことがなかったのに。
 ――先を行ったはずの司が、言葉もなく類の隣に立つ。類はぱちりと瞬いて、小首を傾げながら――努めて、寂寥を隠して、声を掛けた。
……授業、始まるよ?」
「なんだ、わかってるじゃないか。ちなみに言うと次は移動だし、山下先生だから遅刻すると大目玉を喰らう」
「ああ。山下先生、厳しいよね。僕もよく反省文を書かされるよ」
 書かされていた、ではなく、書かされる、だ。現在進行形。
 社会科担当であり、生活指導である山下教諭は、これまで多くの教師が匙を投げた僕達の素行にもとことん付き合う変わり者だ。彼に捕まれば説教アンド反省文のフルコースは免れない。それはこの僕が言うのだから間違いなかった。
「なら早く行かないと。お説教は嫌だろう?」
「同じ台詞をそのまま返してやる。まさか午後の授業をサボる気じゃないだろうな?」
……
「る〜い〜?」
 じと、と目を据わらせて、司は無遠慮に類のカーディガンの袖を掴んだ。
「ほら行くぞ!」
 腕を引かれるまま、慣性のまま。歩き出した司を問答無用で追いかける形になって、つい、類は目を白黒させる。屋上と校舎の線引き。それもあっさり飛び越えて、一段、また一段とやや縺れるように階段を降りていく。
「司くーん、そんなに引っ張るとカーディガンが伸びてしまうよ」
「ならもっときりきり歩かんか――!」
……フフ、なんだか君、僕のお母さんみたいだねえ」
 踊り場まであと数段、というところで、ぴた、と司は足を止めた。
「お母さんだと?」
「ああ、そういえば以前カイトさんもママと呼ばれていたよね。ひょっとして何か関わりが――
 ぱ。
 てろてろになったカーディガンの袖が解放される。おや、と考える間もなく、司はカーディガンの奥に隠された類の手のひらを暴いた。
 触れた手のひらは、なんの意外性もなくあたたかい。
 ただ、どうして今、彼と握手をしているのか。それだけがわからなくて、司の頭頂部をじいと見つめる。
……司くん?」
「類、オレはお前のお母さんではない」
「うん。それは勿論、わかっているよ? 君の股から生まれた覚えは僕にもないさ。みたいだって話で……気を悪くしたかい?」
 褒めたつもり……だったのだが。悪手であっただろうか。
 司は、豪胆に見えて意外と繊細だ。人をよく見ているから些細な変化に気がつくし、人柄も愛情深い。たまたま……神代家の母親がそういう人物であったがために。そして類自身、そんな母を尊敬している部分もあったが故に、そう彼を形容しただけだった。揶揄の意味は少しもなかった。
 困った。どう弁解するべきだろう。手のひらの確かなぬくもりをなぞって、ぐるぐると考える。
 そしてどうやら、ぐるぐる考えていたのは司も同じようで。
「オレは、……いや、違う。違うな……こんな形で伝えるのはスマートではない。ううむ……そのつもりはなかったんだが……
……?」
「いや! この際だ。類、よく聞いてくれ。オレは――
 類が結論を出す前に、司がぱっと顔を上げて口を開いた。
 意を決した真剣な表情に気圧されるが、同時に、スピーカーから聴き慣れた予鈴が学校中に鳴り響く。
 つい、司の顔から血の気が引いていくのを間近に見てしまった。サア、とまるで音が聞こえるかのようだ。
「ああ……チャイム、鳴ってしまったねえ」
「〜〜マズい、こうしている場合ではない! 急ぐぞ類!」
「おっと」
 今度は勢いよく手を引かれ、崩れたバランスをどうにかやり過ごしながら、一段飛ばしで階段を駆け降りる。
 走るリズムに合わせて、司の後頭部の髪がぴょこぴょこ跳ねている。伸びたカーディガンの袖は徐々に降りて、いつの間にかすっぽり彼の手まで覆ってしまっていた。
……ねえ司くん、結局何だったんだい、さっきの話は……
「いずれ話す! 今はとにかく走れ!」
 男二人がどたどたと騒々しく駆ける音が、静かな午後の廊下に木霊する。
 ――ああ。
 こうして彼の背を追いかける時間が一秒でも長く続けばいいのに、と、願わずにいられない。
 この先季節を何度巡っても。出来るだけ近くで、彼のころころと変わる表情を見ていたい。モラトリアムのジレンマだ。

 だけど、多分。これが――のちに続く、僕の悪夢の始まりだった。




 【2】リアル/リアライズ

 ……薄闇に月明かりだけが射し込んでいる。
 はた、と類はひとつ瞬いて、瞳だけをぐらりと左、右へ動かした。
 音楽室。……音楽室だ、紛うことなく。壁に張り出されたおたまじゃくしと、黒板の上に掛けられた音楽家の肖像画。側には漆黒のグランドピアノ。
 類が身動ぎすると、ゆらり、月明かりに照らされて影が揺らめく。
 何故、
 ――何故、こんなところに?
 僕はどうしていたんだっけ。額に手を当て、直前の自分の行動を遡る。
 そうだ、見知らぬ小学校の校舎に閉じ込められて。脱出するために校内を探索していて、それから――
 物言わぬモーツァルトを見上げる。何か、忘れているような気がする。けれどそれが何なのか、記憶の断片がぼやけて掴めない。
 空に昇る月と、同じ色の双眸が揺らぐ。
 ――ガタッ。
「!」
 弾かれたように類は顔を上げ、音のした――音楽室の入り口を勢いよく振り返った。
 この教室の入り口は一箇所しかない。引き戸の窓には黒いカーテンが掛けられていて、こちらから外の様子は窺い知れなかった。
 ……ガタ、ガタガタ。建て付けの悪さからか戸は暫し閊え、ひとりでに音を立てている。
(誰か……いるのか)
 風のいたずらにしては意思のある断続的な音が、類の呼気を細くする。
 緊迫の糸が張る中、やがて突然引っ掛かりが取れたようにそれが開かれた。うおぅ、とどうにも気の抜けた声と、雪崩れ込むように乗り込んで来た存在に、類は僅かに目を見張る。
「む? おお、類じゃないか!」
……司くん?」
 身構えた類の前に現れたのは。
 毛先に向けてマーマレードをグラデーションした髪、くるりとした眼、大きく笑う口元。類が見間違うはずもなく、我らがワンダーランズ×ショウタイムの座長にして、類の数少ない友人――天馬司だった。
 どうして。
……
 司はきょろきょろと珍しそうに教室を眺めながら、やや早足で類の元へと駆け寄った。
 見れば見るほど、司そのものだ。類同様に神山高校の制服を身に纏い、彼お気に入りのカーディガンの上に指定のブレザーを着たその姿。今日にも目にしたばかりだと類は記憶している。
 思わず手を伸ばして、彼の頬を抓ってみる。司はすぐさま「いひゃいぞ!」「あにすゆんら!」と眉を吊り上げた。
「いや、僕の幻覚かと思ってね……。うーん、いまいち確証に欠けるな。本物の司くんなら、次のショーで火の輪くぐりの演出を入れたいと言っても喜んでOKしてくれるはずなのだけど……
「危険な演出はNGだと前から言ってるだろうが――!」
「そんなっ……! 僕が君に危険なことをさせるはずないじゃないか……っ」
「ぐ……っ、あ、安全性に保障があるとしても、火は駄目だ、火は!」
「そうかい仕方ないね。それなら電気は」
「いいわけがあるかー!」
 鼓膜をびりびりと震わせる声のボリューム。うん、この感じ、間違いなく司くんだ。
 類は薄暗い音楽室の中を一瞥し、ほかに誰が聞いているというわけでもないが、声を潜めて司に問いかけた。
……それで、何故君がここに? ここがどこなのか知っているかい」
「いいや、知らん。オレも気づいたらここにいたんだ。……なんだ、類もわからないのか……
「力になれずすまないね」
 落胆を感じ取り素直に謝れば、司ははっとして左右に首を振った。類を責めたかったわけではない、と慌てて取り繕う。
 セカイかと思ったんだ。――そう、司は呟いた。
「セカイ?」
「こんなわけがわからん場所、そうあってはたまらん」
「それもそうだ。その口振りだと、君も何か不可思議な体験を?」
「と、いうか……嫌な予感がした。悪寒と言うべきか」
 それきり司は口を閉ざした。何を思い出しているのか、その眉間にうっすらと皺が寄る。
 類はふと傍らのピアノに視線を向け、口元に手を当てた。薄闇の中佇む無人の席。ここに誰か――座っていた気がするのだが。そっと椅子に触れてみても、なんら温度は感じない。
 そもそも、この教室はこんなに暗かったか。類の記憶では、もっと――気味が悪いほど鮮やかな夕焼けに染められていたような……
「だが早めに類と合流出来たのは幸いだった」
 顔を上げる。司は目を細め、類に視線を向けていた。
 そうだね、と静かに返す。
 独りには慣れているけれど。なんとなく、ここに司がいればいいのにと心のどこかで思っていたのは事実だ。
 彼とならどんな困難も乗り越えられる。他でもない司に影響されてしまったのだろうか――そんな根拠のない自信が不思議と湧いてくるのだ。
……いや、)
 どちらかといえば……僕自身が、司くんの期待を裏切りたくない、……のかも。
「ここに来るまで司くんはどこにいたんだい?」
 む? と司が小首を傾げる。
「オレか? オレならば上の階をぶらぶらとしていたぞ! ひとまず家に連絡しようと思ったんだが、スマホが圏外でな……。仕方なく事務室か職員室の電話を借りようとしていたところだ!」
「賢明だね」
「ハッハッハ。そうだろう。だが階段を降りていたら急にピアノの音が聞こえてきて……旋律に引き寄せられるままここを覗いたら類がいたというわけだ。驚いたぞ。お前、ピアノ弾けたんだな」
「え?」
「? 弾いていただろう? エリーゼを」
 エリーゼ。その名を耳にした途端、ツキリとこめかみが痛んだ。
 ベートーベンの代表作のひとつ。あの繊細な出だしの旋律が脳をリフレインしている。壊れたラジオのように、何度も、何度も。
 決して馴染みのある楽曲ではないが、たしかについ最近、それを聴いた――気がする。
 なにか……
 何か、わすれてるんじゃ、ないか。暮れゆく赤に染まった世界で。
 喩えるなら、真っ白なミルクパズルを延々と嵌めているような、故意に記憶を封じられているような。……僕は、この教室で――何を見たんだっけ。
 ピアノを弾いていた『彼』は……
 ……
 類は不自然なもやを払うように、僅かに首を振った。
「空耳じゃないのかい?」
「そんなわけあるか! この耳でハッキリと聴いたぞ」
「なら、亡霊の仕業かもしれないね」
……ぼ、亡霊だと……?」
 サッと、暗がりでもわかるほど司の顔色が悪くなる。
「そんなものいるわけないだろう」
「おや、司くんは幽霊を信じていないのかい? では、人は死んだら魂はどうなると思う? 肉体と共に死ぬ? それとも消滅する?」
……て、天国に……行くんじゃないか?」
「フフッ、天国か。フフフ……可愛らしい回答だね」
「〜〜バカにしてるだろう!」
「まさか」
 死生観なんて。いくら話したところで、解はこの世の誰にも知り得ない。それは死者だけが得る特権で、だからこそ生者は畏れ、あるいは期待する。命の灯が消えた、その後の世界を夢想する。
 類は幽霊を信じてはいなかった。魂という不確かなもの自体の、実在性を疑っていた。
 ――そして人が死んだ先に待っているのは、無だ。
 心も感情も知能も知識も、魂と呼べるものはすべて心臓ではなく人間の脳に宿るものであり、肉体が死ねばそれで終わり。そう、類は死を定義している。
 きっと司は違うのだろう。
 司には病弱だった妹がいる。おそらく類よりもずっと何度も人の生死について考えたはずだ。その度にどう結論づけて――恐怖を納得させてきたのか、少し、興味があった。
 人は死ぬと星になるという思想が古来からあるように。天国を信じ心を慰める姿はあまりにも無垢だ。
「だけど本当に、僕じゃないよ。僕にはせいぜい『猫ふんじゃった』くらいしか弾けないしね」
「むう…………ならばオレが類の気配を感じ取ったのかもしれんな」
……僕の気配?」
 想定外の返しに、ぱち、と瞬く。
 司は力強く頷いて、得意げな笑みを浮かべながら。思い出したようにスマホのライトで音楽室を照らした。
「この場に類がいたらいいと、ずっと考えていた。心細さもあったが、やはりお前は頼りになるからな。フ、そうしたら本当に類が現れたから驚いたぞ!」
「頼りにしてもらえて嬉しいよ。僕も、ちょうど君が恋しいと思っていたから」
「ハッハッハ! そうだろうそうだろう。オレ達二人ならば百兆馬力だ! すぐにでも華麗な脱出を……、」
 豪快な笑い声を上げていた司であったが、ふと、不自然にそれが途切れる。
 何かと類が司を見れば、司はスマホのライトを黒板の上――肖像画に当てたまま、ぴしりと石のように固まっていた。
「司くん?」
……類。このモーツァルト、なんだか……目が、動いてないか?」
「ああ。そうなんだよねえ。いやあ、実に不思議だ」
 ……
 …………
 ……………………
「ッそうなんだよねえ、ではな――い‼︎‼︎‼︎」
 ライトに照らされたモーツァルトの両目がぎょろぎょろと忙しなく回るのを、司とふたり、暫し見つめていたかと思えば。司はぐわしと勢いよく類の腕を掴んで一目散に駆け出した。
 建て付けの悪い戸を無理やり開けて、近くの階段をぐんぐんと駆け上る。
 静まり返った校舎に響き渡る、司の大袈裟な息切れ。それがあまりにも苦しそうだったので、類は苦笑混じりに司の背を撫でた。
 あの程度でここまで取り乱すなんて、司くんは意外と怖がりなんだね、とどこか他人事に思いながら。
「はあ、はあ……おおおお前! 気づいていたなら早く言え!」
「特に害はないようだったからさ」
「害はなくても不気味だろうが――!」
 掴みかかる司を笑って躱しつつ、二階の廊下をスマホのライトで照らす。
 薄暗く伸びる廊下。物々しい雰囲気のせいだろうか。木製の床板に散る黒い模様が、なんだか妙に意味のあるようなものに思える。
「この階には何が?」
「ん? ああ……たしか放送室、校長室、図書室と……会議室のような小部屋があった。一応前置くと中には入っていないぞ。放送室と校長室は鍵も掛かっていたしな」
 どうやら音楽室のちょうど真上に位置する教室が図書室のようだ。そっと引き戸に手を掛けると、それは難なくがらりと開かれ、少し古臭さも感じる紙のにおいが漂ってきた。
「なるほど……。図書室ならこの学校のことが少しはわかるかもしれないね」
「い、行くのか? 図書室……
 無意識にだろうか、司は咄嗟に類のカーディガンの裾を掴んだ。あちこち嗅ぎ回る猫の首根っこを掴むみたいな仕草に、踏み込もうとした足を戻して。司の顔を覗き込む。
「こわいのかい?」
「そういうわけでは……。だが、その、寧々が」
「寧々?」
 何故この場で幼馴染の名前が上がるのか。
 不思議に思って繰り返すと、司はどこか青褪めた面持ちで小さく頷いた。
「寧々が勧めてくれたフリーゲームに、図書室で……鬼に追いかけられるシーンがあってな……
……あー、ああ……あれか」
 類の幼馴染である寧々は、いわゆるゲーマーだ。ソシャゲからアーケードまで出来るジャンルは幅広く、また対戦もそこそこに強い。
 何がきっかけだったか――ショーの練習の合間に、寧々と司が顔を突き合わせてPvP(対人ゲーム)に勤しむ姿を度々目撃していたことを思い出す。
 司が戦犯する度に寧々の毒舌が炸裂していたが、幼馴染の贔屓目を抜きにしても最近の寧々は楽しそうで。類としては微笑ましささえ感じていたものだ。
 ひょっとしてチェイス(鬼ごっこ)の練習だとでも言って勧めたのだろうか。図書室で鬼に追いかけられるフリーゲーム、と聞いて、すぐさま頭に浮かんできた青い鬼の顔に、思わずくすりと笑ってしまう。
「フィクションだろう?」
「今まさにフィクションみたいな出来事に遭遇してるだろうが」
「たしかにね。だけどまさか、怪物なんているわけがないよ。もしも本当にいるのならお目にかかりたいくらいさ」
「お前それ、そういうの、フラグって言うんだからな……?」
 そうは言いつつも、軽口を叩いたことで多少は緊張が解れたらしく、司はそっと類から手を離した。
 改めて一歩図書室へと踏み込む。ライトで室内を照らすと、手前に閲覧用のテーブルと席。奥にいくつか背の高い本棚が並んでいるのが窺えた。別段特筆することもないような、ありきたりな図書室の風景だ。
「ごらんよ。普通の図書室じゃないか」
「む……
 司も中を覗いてほっとしたのか、おもむろに手近にあった小棚の絵本を手に取った。少し埃被ったそれを軽く払って、中を開くのを後ろから見つめる。
……懐かしいな。この本、よく咲希と冬弥に読み聞かせたものだ」
「読めるのかい?」
「絵本くらい読めるに決まってるだろう」
 ばかにするなと呆れる司をちらりと見て、再びその手の絵本に視線を向ける。
 絵本くらい読める、ねえ……
 ひらがなの羅列があるだけのそれを見下ろして、類は口を一字に結んだ。どうやら文献のたぐいが読めなくなっているのは類だけのようだ。
 しかしなんとなくそれを司に伝えるのは憚れて、類はそれ以上絵本について言及するのをやめた。
 判読できないものが多数とはいえ、職員室で見た教員日誌のように中には読めるものもある。読める、読めないのその基準は定かではないが、少なくともおかしくなってしまったのは自身の脳よりもこの世界である可能性は高い。
 類と司はそのまま二手に分かれて、図書室内の文献を片っ端から見てみることにした。
 子供向けの絵本。童話。図鑑、知育関係の本。辞典。偉人の伝記。どれもが巻末に貸し出しカードを挟んであり、この学校に通う生徒の名前が記されている。
「ん? 類、ちょっとこっちに来てくれ」
 司が指したのは、奥の棚に並んでいた地元新聞のバックナンバーだった。ファイリングされた記事には、でかでかと見出しが載っている。
「新聞の切り抜きなんだが……『児童四名行方不明』、なんだか不穏じゃないか?」
「この学校の記事なのかい?」
「そのようだ。読み上げるぞ」
 内容を要約すると、こうだ。
 ――十年前、この学校の児童が四名行方不明になった。
 四人は幼馴染で仲が良く、いつも一緒に遊んでいるのを当時のクラスメイトも教師もよく見かけていたそうだ。
 しかしある日、放課後にかくれんぼで遊んだきり、一人だけ児童の行方がわからなくなってしまった。
 先に帰ったのかもしれないと、暗くなる前に残りの三人は帰路についたそうだが、翌日もその子は学校に現れなかった。
 次の日も。その次の日も。
 学校の裏には小さな林があり、そこで迷ってしまったのではないかと警察や家族、教師が血眼になって探したが、成果はなく。
 するとそう日を開かずして、今度は別の児童が行方を眩ませた。その翌日に、またもう一人いなくなってしまった。
 捜索隊の懸命な努力も虚しく、更にはそのおよそ三日後、最後の一人も忽然と姿を消した。
 彼らの間で争いがあった形跡はなく、本当に仲のいい四人であったと彼らを知る者は証言している。
 なお、彼らの遺体は、今もまだ確認されてはいない――
「無事だといいんだが」
……どうだろうね」
 難しい表情で読み上げた司は、絞り出すようにそう呟いたきり黙り込んでしまった。
 もう十年も前の事件だ。まだ彼らが見つかっていないとしたら、無事であるとはとても言い切れない。
 しん、と重たい静寂が二人にのしかかり、俯く。
……?)
 ふと。
 耳慣れない音がして、類は顔を上げた。
 ぺた、ぺた。
 ゆったりとした間隔で聞こえるそれは、まるで……素足で歩く足音のようで。咄嗟に傍にいた司の腕を引いて本棚の影に隠れる。
 あんな記事を読んだ後だからだろうか。なんだか不吉な予感がした。ぺたぺたという音は徐々に近づき、順当に、この図書室に向かってきている。
 そっと二人分のスマホのライトを消すと、司が困惑したように類の顔を見上げた。
「類?」
……、静かに。誰か来たみたいだ」
 しい。口元に指を当てれば、耳を攲てた司にも音が聞こえたのか、ひゅ、と喉を鳴らして息を潜めた。
 ……人ならば、いい。
 もしも音の正体がこの学校の職員であるなら、事情を話して学校から出してもらえないか交渉したい。しかし、……普通の人間が、ぺたぺたと素足で廊下を歩くものだろうか? ……こんな時間に?
 類は靴を履いたままだが(司は律儀に脱いで靴を持ち歩いている)、大抵、校舎は上履きやスリッパを履いて歩くものではないだろうか。であれば、足音は「コツコツ」か、もしくは引き摺る音がするはずだ。
 司の口元が引き攣る。ましてや僕達は、ぎょろりと動くあのモーツァルトの絵を見ているわけで。
 ぺた、ぺた。
 足音はいよいよ図書室の入り口まで来て、類はそっと本棚の影から様子を窺った。
――!」
 男だ。
 しかし、その姿はあまりにも異形であった。男は目算でも二百センチは超えた大男で、頭がぱっくりと割れている。そこからぼたり、ぼたりと血が滴り、垂れる黒い髪は血を吸って艶がない。
 その手に握られた包丁を目にして、類と司は無意識にごくりと喉を鳴らした。月明かりを反射してきらりと光るそれにも、よく目を凝らせば血が滴っているように見える。
 顔を、目を、合わせてはいけない。間違いなくあれは生きた普通の人間じゃないと、脳が必死に叫んでいる。
 ――ドクン、ドクン。
 乱れそうになる息と心臓を、司の体ごと押さえ込んで、とかく音を立てないように大男の動向を窺う。大男は暫しその場に立ち尽くしていたが、やがて踵を返して再び廊下をぺたぺたと戻って行った。
 司と目を見合わせる。もう安全だろう、とお互い確認し合って、ようやく、ほとんど止まっていた息を吐き出した。
「なん、だ……アイツは……。明らかに異常だったぞ」
「わからない。けれど、凶器を持っているのが見えた……。危険と見て間違いはなさそうだ」
……。この場にえむと寧々が居なくて良かった。どうやらあまり洒落にならん状況のようだしな……
……そうだね」
 あの大男と鉢合わせたら最後、穏便に済むとは到底思えない。生身でやり合うのはあまりにも危険すぎる。せめてネネロボがいたなら対策のしようもあるだろうが……
 あれが徘徊しているとなれば、今後は移動も慎重にした方がいいだろう。いずれにしてもずっとここにいるわけにはいかない。類が立ち上がると、司も少し縺れながらどうにか腰を上げた。
 じと、と司の瞳が物言いたげに類を見る。
「お前がフラグを立てるから」
「僕のせいかい? 心外だなあ」
「冗談くらい言わせてくれ。……まだ心臓がドキドキしているんだ」
 司がはあ、と疲れた溜息を零した瞬間、ガタガタッ、と下の階から音がした。どうやら階段を降りて音楽室にいるようだ。一階には職員室と事務室もあるが、電話は一旦保留にするのがよさそうだ。
「とにかく、こっちの棟は危険だね。渡り廊下からあっちの棟へ移ろう。向こうに教室があるなら、非常用の出口もあるはずだ。避難訓練、したことあるだろう?」
「ああ」
 どこの学校だって、有事に備えて避難経路が用意されているものだ。非常階段でも避難はしごでもいい。それらが見つかれば外にも出られるかもしれない。
 ふと司を見ると、その肩が少し震えているように見えた。いつも自信満々で、頼もしいその背中が。今はなんだか――小さい。
「歩けるかい?」
「無論だ。オレを誰だと思っている」
 天馬司。きっといつか、この世界でその名を知らない者はいないほどのスターになる男だ。少なくとも類は、司ならそんな星になれるのではないかと思っている。
 信じている。
 顔を上げた司はもうすっかり恐怖を振り払った表情で、危なげない足取りで歩き出した。
 なるべく足音は立てないように。ライトも遠くまでは照らさないように。先ほどまでとは打って変わり、極力音を消して暗い廊下を並んで歩く。
 幸い、渡り廊下には窓から月明かりが射していて、明かりがなくても足元がよく見えた。
 窓からは中庭が見える。太い幹の木が真ん中に立ち、その周りを囲むように花壇が並んでいた。
 夜空に星はない。月だけが浮かぶ漆黒がただそこにあるだけだ。
 ほどなくして類と司は向かいの棟に辿り着いた。やはりこちらは教室棟のようで、一番近くの教室には『三年一組』とプレートが付いている。
「奥にあるのは……よく見えんが、理科室のようだな」
「理科室といえば、学校の怪談でよくあるよね、夜な夜な校内を彷徨う人体模型……
「やめろやめろこんな時に! まったく! 何を考えてるんだお前は! ……とりあえず適当な教室に、」
 入るぞ、と司が戸に手を掛けて。
 ――開けた瞬間、だった。
 影が。
 司の頭上に、落ちる。
……は?」
 間の抜けた声。ひゅ、と息を呑んだのは、司か、それとも類か。
 教室の入り口には、類の身長すらも超える大男――さっきの男だ――が、音もなく立っていた。ぼたぼたと割れた頭から黒い血を流し、ほとんど白い目が、顔が、ゆっくりと下に下がる。
 警鐘が。頭に響いている。ぶわりと汗が噴き出す。何故ここに。いや、それよりも。
 まずい。――まずい、まずい、目が合った、合ってしまった、――司くんが!
 大男はぐわりと巨体を、太い腕を、人の頭ほどある大きな手を伸ばし、力のままに司の首を掴んだ。
「ぐ、…………
「っ司くん!」
「るっ……来、…………!」
 苦しそうな声で、司は懸命に類に「来るな」と訴えている。
 そういうわけにはいかない、とどれほど声を張り上げたかったか。
 引き攣った喉。どうすれば。どうすればいい。相手は凶器を持っている。あの肉切り包丁を振りかざされたらひとたまりもない。だけど。今も司は苦しんでいる。助けないと、助けたいのに!
 ――どうして体が動かないんだ!
 ぎり、と奥歯を噛み締める。金縛りにあったみたいに、指先さえも、ぴくりとも動きやしない。消化器のひとつでも掴んで大男に攻撃できれば。隙のひとつでも作れれば。それだけで、勝機は見出せるのに。
 司の体が浮いて、ぶらぶらと両足がもがく。時折大男の腹に司のつま先が当たってもなお、大男の力が緩む気配はない。
 は、は、と取り込んだ酸素をすぐに吐き出して、汗の滲む手をきつく握りしめる。
 ――嫌だ。
 いやだ、駄目だ。やめてくれ。頼む――
 司の抵抗が少しずつ弱々しくなる。反比例するように、司の首を掴む大男の腕には筋が浮かび上がった。
 ああ、……ああ……
「つ、かさくん、……ッ司くん! やめろ、それ以上は……!」
 …… ゴキッ。
 何かが、折れる、音がして。
 目の前で、司の四肢がだらりと――力なく下がる。
…………つかさ、くん?」
 うそだ。
 嘘だと、言ってくれ。
 だって、――彼は。
 司くんは。
 全身から血の気が引いて、頭が真っ白になって。
 類はその場に崩れ落ちた。
 怪物が声もなく笑っている。その姿を最後に、類の視界は黒く塗り潰され――ふつりと、意識が途絶えた。

   +++++ +++

 ざわめきに混じって、きゃあきゃあとはしゃぐ声が聞こえる。
 柔らかな陽の香り。ふわりと風に舞うカーテンの影が動く気配。ひときわ冷たい冬の風が流れ込んで、伏せていた類ははっと目を覚ました。
 勢いよく顔を上げる。ぶわっと両腕、首裏、背中から腰にかけて汗が噴き出している。
「は、は………………?」
 連日の機械弄りのせいもあって、やや皮膚の割れた手のひら。じわり。汗が滲む額に手を当て、類は細く、細く、息を吐いた。
 目が覚めてしまえば、状況を飲み込むのは早い。ここは都立神山高校の図書室。番号札のついた白い本棚が立ち並ぶのを見遣って、徐々に起き抜けの脳が覚醒していく。
 ――自由登校となった今日び、三年の教室と自習室は専ら進学先がまだ決まっていない大学受験組の溜まり場だ。
 類はもう進学先が決まっているので最早登校する理由もないのだが、それでも類がこの学び舎へ足を運ぶのは、惰性のようなものだった。
 朝から図書室で時間を潰し、今後のショーに役立ちそうな動画を探しては、アイディアをルーズリーフに書き留める。
 神高の名物であり有名人と化した類と司の共通点といえば、やはりショーで、今となっては類達がわざわざ言わずとも全学年全職員に知れ渡っている。そのおかげか、あるいは図書委員であり司を心から尊敬している後輩の彼が融通しているのか、うちの図書室はショーに関する資料が結構豊富だ。
 先ほどまで類が伏せていた机の上には、いくつかの戯曲と、イヤホンの挿さったタブレットと、類の汗で皺の寄った白紙のルーズリーフが一枚。
 ドクン、ドクン、と心臓はまだ早鐘を打っている。
 ――ひどい夢を見た。
「おはようございます、神代先輩。……大丈夫ですか? 魘されていたようでしたが……
……青柳くん」
「酷い顔色だ……。何か飲みますか? 俺、買ってきます」
 冬弥はそう言って、返却の途中なのだろう、持っていた本の山を机に下ろした。
 時間の有り余っている類と違って、冬弥はまだ午後にも授業のある身だ。そして今は貴重な昼休み。流石に申し訳なさが勝り、今にも自販機まで駆け出しそうな彼を手で制した。
「いや、いいよ。お気遣いありがとう」
……いえ」
 もご、と冬弥の口元がもごつくが、結局何も言わずに彼は仕事に戻って行った。
 冬弥はあまり表情に感情が乗らない男であるが、眼差しから純粋な優しさが伝わってくる。――後輩に心配をかけるなんて、僕もまだまだだ。
 はあ、と肺の底から息を吐き出して、類はパイプ椅子の背もたれに体を預けた。
 ――またあの夢を見た。
 それも、前回見た夢の続きだ。目の前で司が息絶える瞬間を見た絶望と、恐怖と、生々しさに。何度か手を握ったり開いたりしてみるものの、引いた血の気が戻らない。
 だのに心臓はばくばくと鼓動して、無理やり血液を循環させているような気持ち悪さと、胃のむかつき。
……司くん……
 首の折れた司がフラッシュバックして、嫌な汗が背中を流れ落ちる。
 居ても立っても居られなくなった類は、放り出していたスマホに手を伸ばした。得意げな表情の司のアイコンをタップして耳元に当てれば、すぐに電波は司の元へと飛んでいく。祈るような気持ちでコールを聞く。
 ………………。なかなか出ない。焦燥感に、痺れを切らす、その直前。ようやくぷつ、とコールが切れた。
……類? どうした、電話なんて珍しい』
 司の声を聞いた瞬間、なにか、あたたかいものが喉元に込み上げた。人知れず小さく息を吐き出す。安堵が胸中に広がっている。
……やあ、司くん。今どこにいる?」
『オレか? 購買の側で偶然暁山に会ってな。少し立ち話を――
「購買だね。すぐに行くよ」
『は? おい、類⁉︎』
 どうしても、今すぐに会いたかった。
 一方的に通話を切って立ち上がる。目が合った冬弥に片手だけ挙げて、類はやや早足気味に図書室を後にした。
 中央階段を下りれば、購買はすぐだ。電話口で言っていた通りそこには司と瑞希が立っているのが見えて、思わず階段を数段飛ばす。
「司くん!」
「類! お前な、いきなりなんだあの電話は! むぐぅ⁉︎」
 そのままの勢いで、ぶに、と司の両頬を手のひらで挟み込む。唇をつんと尖らせて司の顔が変なことになり、傍で見ていた瑞希が爆笑するが、類にとっては些末事で。
 ……あたたかい。
 血の通う肌を指の腹でなぞる。一瞬呆気にとられていた司はぱちぱちと瞬いて、眉間に皺を寄せながら「なんらというんらー!」と締まらない声を上げた。
 なんだと言われても、この無性に湧き上がる焦りや不安を説明するのはどうしても難しい。実際、滑稽な話ではある。怖い夢を見たから、君の無事を確認したかった……なんて。
……やあ瑞希、今日は学校に来ていたんだね」
「ちょっと出席日数ヤバくてさ〜。担任に脅されちゃった」
 話題を逸らすつもりで傍にいた知古に声を掛ければ。瑞希は緩くウェーブした薄桃の髪をさらりと靡かせて、てへ、とおどけて舌を出した。けれどすぐに澄んだ赤色の瞳で、じっと心配そうに類を見上げる。
「それより類、なんか顔色悪くない?」
「そうかい?」
「ぬう、言われてみればたしかに……。何かあったのか?」
 力強い、真っ直ぐな視線。ああ……。類は、司のこの芯の強い眼差しがいっとう好きで、同じくらい、苦手だった。
 司に見つめられると、自分の薄汚れた部分まで見透かされてしまうような気持ちになる。
 天馬司という男はことごとく清廉潔白で、純粋で、どこまでも真っ白だったから。視線が突き刺さる度に無性に居心地が悪くなるのだ。
……こんな顔をさせてしまったら、ますます言えないな)
……何もないよ」
 静かに首を振ると、司が表情を翳らせる。
「ホントだろうな?」
「司くんてば、僕を疑うのかい? よよよ……
「ええい、嘘泣きはやめろ!」
 憤慨する司を見て、フフ、と自然と笑みが零れる。よかった。今度はちゃんと笑えている。
 ありもしない非現実に消耗するよりも、こうして司と言葉の応酬をする方がずっと有意義で、楽しい。
……
 類を見つめていた司が口を開く。けれどその前に、ちょうど中央階段を降りてきた黒髪の少女――風紀委員の白石くんだ――が司の声を遮った。
「あ、いたいた。瑞希ー、榊原先生呼んでるよー」
「あ〜。補習受けなきゃなんだった……。二人ともじゃあねー」
 肩を落として杏を追いかける瑞希の背中を見送る。
 ぽつんと、二人きり。購買の前に残された僕達は。少しの間だけ、自然な沈黙に甘えていた。
 自由な校風が売りの神高は、朝も昼も放課後も活気が溢れている。今だって廊下を騒がしく駆ける男子生徒の声や、好きなアイドルの話で盛り上がる女子生徒の嬌声で周囲はざわついていた。
 そんな喧騒が、今は無性に心地いい。
「なあ類、ホントのホント〜〜に、何もないんだな?」
「もちろんだとも。僕は君に嘘はつかないよ」
「舌から生まれておいてよく言う……。なら具合でも悪いのか? 保健室、行くか?」
「おや、随分と気にかけてくれるんだねえ」
「当たり前だろう! 今日の類は妙にしおらしいというか……とにかく調子が狂ってしまう!」
 ぬ、と視界いっぱいに影が広がったかと思えば、司の手が伸びて。類の額にぺたりと触れた。
 熱はないようだが、と司が唸る。鼻腔に触れたハンドクリームの香り。司の手が額から離れ、類の手を引く。
「ほら、行くぞ」
……
 行くって、どこに?
 そう尋ねたかったが、聞くのも野暮な気がして、類は口を閉ざした。類を気遣ってか、司の歩調はせっかちな彼にしては随分とゆっくりで、類もまた、そんな緩やかな歩調に甘んじてとろとろと歩いた。
 前を歩く司の背中を見つめ、密かに視線を落とす。
 繋いだ指先。絡む指の一本一本の感触が、類にとってはどこか新鮮で、それでいて懐かしい。
 意外と細くて繊細な指をしているんだな、とか。僕の手、今荒れてがさがさだから、気にならないかな、とか。
 ……あったかいな、とか。
 司は気にしていないようだけど、昼休みの校内ともなれば当然、生徒達の目がある。予鈴間近だった以前とは違って、通り過ぎる生徒達の好奇の目が、手を繋いで歩く類と司に刺さるのだ。
 類は、決して嫌ではなかったけれど。もしも司が気がついたら、嫌な思いをするのではないかと、そればかりが気になって、気が気じゃない。
……
 それでも、どうしても、やっぱり司の手はあたたかかったから、類には振り解く勇気が起きなかった。
 ――そうして司に連れて来られた保健室。ドアを開けて、二人で中を覗く。
 こぢんまりとした室内にはベッドが二つ。先生用のデスクがひとつ。薬品棚がひとつ。養護教諭は不在のようで、ホワイトボードを見るとちょうど今は会議に出席しているようだった。
……先生は不在か。まあ他に利用者もいないようだし、勝手にベッドを使っても怒られはしないだろう。ほら類」
「司くん、僕は別に具合が悪いわけでは……
「わかっている。皆まで言うな、類。どうせ寝不足なんだろう? お前の様子がおかしいときは大抵そうだからな!」
……ん?」
「フッ、あまりお前達の座長を甘くみないことだ! 団員のことなら全てまるっとズバッとお見通しだぞ!」
……
「安心しろ、類! この天馬司が、類をぐっすり快眠へと導いてやろうではないか!」
 …………
「いや、遠慮させてもらうよ」
「なにぃ⁉︎ ペガサススペシャル快眠朗読劇が聞きたくないとでも言うつもりか⁉︎」
「絡むねえ」
 そりゃあ、その「ペガサススペシャル快眠朗読劇」とやらを拝聴できるのなら、当然興味があるし、お聞きしたいものだけど。
 あまりに司が急かすので渋々ベッドに体を横たえてはみるものの、先ほどまで眠っていたのもあって眠気は寄ってこない。それに……。類は視線を逸らして、口の端を結んだ。
 それに、今眠ったら……あの夢の続きを見てしまいそうな気がして。
(なんて、ちょっと子供っぽいよねえ……
 いくら司にでも、少し気恥ずかしくて言いたくない。
 類は大袈裟に溜息を零して、ふかふかの枕に頭を預けて目を閉じた。眠るふりでもすれば司も満足するのではないかと思ったのだ。
 静寂に包まれた保健室の中。喧騒が遠くなる。まるでこの空間だけ別の場所に切り取られてしまったみたいな。
 司と二人きり、違う世界にいるような。
……
 ぽん、ぽん、……と。
 不意に、掛け布団の上から、司の手が優しく類の腹を叩いた。
……司くん?」
「咲希がな」
 閉じていた目を開け、ベッドの傍に座椅子を置いて腰掛ける司を見上げる。
 司は類を見つめてはいなかった。カーテン越しに外を見ているようで、たぶん、彼はいつかの過去を見ていた。
「夜眠れない日は決まって、オレのベッドに潜り込んでくるんだ。オレは昔から体温が高いから、ひっついてると温かくて眠くなるのだと」
「微笑ましい兄妹愛じゃないか」
「そうだろう? だからというわけでもないが、寝かしつけには自信があるんだ」
 ぽんぽんぽぽぽん、と今度はリズミカルに類の腹を叩き出して、くすりと笑ってしまう。まるで太鼓を叩くみたいにご機嫌だ。これではどうにも可笑しくて、眠るどころではなくなってしまう。
 だけど。
 類を見つめる瞳が、慈愛に溢れている。
 司は、根っからの兄気質だから。こう見えて結構世話焼きだし、座長としての立場もあってか、よく気がつく。
 だからいつも甘やかされてしまうし、甘えてしまう。
 自分よりも背が低い彼が、時折とても大きなものに見えることがあるのを、類は嬉しくもあり、歯痒くもあるのだ。
 ごろん、と寝返りを打つ。司の秋色の瞳が類を映す。
 類が知る限り、司の瞳はいつも綺麗だった。去年の春、共にショーをしようと手を差し伸べられたあの日からずっと、輝きと自信に満ちていた。
 類を日向へと連れ出す、その手を。今度は類の方から握りしめる。
……眠りたくないんだ、僕」
 それだけ呟いた類を見下ろして、ふむ、と司は口元に手を当てた。
「別にそう焦らなくても、ショーの話し合いは順調だ。役者は体が資本なのだから、しっかり休息もとってくれ」
「そうじゃないんだけど、ねえ……
 窓から射し込む柔らかな陽光。あたたかい手。相も変わらずぽんぽんと規則正しく寝かしつけられ、安堵感からだろうか、徐々に瞼が重たくなっていく。
……類。オレは……
 司が何か言っている。のに。意識がとぷんと沈み、落ちる。
――
 とても優しい声で――いま、なんて言ったんだろう。

   +++++ ++

 所狭しと並べられた、小さな机と椅子。カラフルな掲示物に、空いたロッカー箱。ここは――小学校の教室だ、と頭が理解した途端、類ははっと顔を上げた。
……っ! 司くん!」
「ん? 呼んだか?」
……え?」
 さわさわと。夜の風に金糸を靡かせながら、ベランダからひょこりと顔を出したのは。まさに今類が呼んだその人、張本人――天馬司だった。
 司はなんてことない顔をして、ちょいちょいと類を手招きする。
 類は視線を落として、司の足元を見た。立っている。しっかりとその足で。顔色も普通。目も、真っ直ぐに類を見ている。
 生きている。
 至極当然のはずなのに、どうしてそんなことを確認したのだろう。額に手の甲を当てる。何か――思い出したくないことが、あったような。
「救助袋を見つけたんだが、ダメだ。開けられん。これ、類の怪力でもダメそうか?」
……
 そう言う司の元へと、恐る恐る歩を進める。
 ベランダに足を踏み出すと、生ぬるい風がそよそよと二人の間を抜け、いたずらに髪を混ぜっ返した。
 胡桃色の瞳が類を見上げる。口数の減った類に対して、少しだけ心配そうに。
「類? 急に黙り込んでどうしたんだ。疲れてしまったか?」
「いや……
……?」
 類は首を傾げる司を通り過ぎて、救助袋に触れた。
 救助袋とは、火事などの緊急時に可及的速やかに外へ脱出できるよう、人が入れるくらいのサイズのホースを地面に垂らして降りる避難器具の名称だ。避難訓練などで使い方は簡単に教わるが、大多数の人は実際に使う経験なく人生を閉じるのがほとんどだろう。
 類もまた、仕組みは知っていても、直接これに触れたことはなかった。
 軽く見たところ鉄製の箱の蓋を開けるとホースの入り口になる骨組みが組み立てられるようだが、肝心の蓋を留めている金具のバネが随分と硬くなっている。
 カチャカチャと何度か指を引っ掛けて開閉を試みてみるものの、結果は惨敗。何か道具が無いとこじ開けるのは難しそうだ。
 様子が気になるのか、うろちょろと類が調べている背後で落ち着きなく手元を覗いていた司を振り返る。
「一見錆びているようには見えないけれど……ここのバネがうまく動かなくてハッチが開けられないようだね」
「そうか……。ということは別の脱出口を探さねばならんな。非常階段はないだろうか?」
 よいしょ、とベランダの手摺から身を乗り出した司を見てぎょっとする。そこまで風が強いわけでもないが、一歩間違えるとそのまま司が落ちてしまうんじゃないかと、嫌な妄想が脳裏を過ぎる。
 ショーの練習とはわけが違う。落ちてしまったら、下に安全マットはない。地面に叩きつけられ、首の曲がった司の姿が何故か頭に浮かんで、つい、類は司に手を伸ばした。
「司くん、あんまり乗り越えると危ないよ――、」
「あ! 類、見てみろ! こちらの棟、一階の渡り廊下がプールに繋がっているようだ!」
――プールだって……?」
 結局類も司に倣うようにして、手摺から司が指し示す方向を覗き込んでみる。
 位置的には、校門のあった方角だ。なるほど、類が初めにいたグラウンドからは、職員駐車場、体育館と挟んでいて窺い知れなかったが、その裏がプールになっているようだ。
 一階から続く細い渡り廊下はおそらくプールと、ここからは見えないが体育館に繋がっているのだろう。
 プールにはなみなみと水が張られていて、この距離でも月明かりが反射して波打っているのがわかった。
 ふと塩素のにおいを想像して口を閉ざす。泳ぐのは苦手ではないけれど、かといってプールの授業が好きだったかといえば、答えはノーだ。泳ぐよりも浮力の計算をする方が余程類の性に合っている。
 ……そよそよ。さわさわ。
 依然として、夜風は類の頬を撫で、過ぎていく。それに合わせるように、プールの水面がきらきらと、月明かりを映す。
…………?)
 水が、張られている。
 染みのような違和感。眉を顰める類に気づく間もなく、不意にあっと司が声を張り上げた。
「待て! 誰か溺れてないか⁉︎」
 言われて目を凝らせば、たしかに微かに水柱が上がっているようにも見える。
………………
 この季節に?





【3】電気羊解体SHOW

――お、開いたぞ! 類!」
「おや」
一階の渡り廊下 ドアが開く
「どうやら鍵が壊れてるみたいだねぇ」
「悠長に言っている場合か! プールはこの先のようだな」
溺れてる人影を見つけた
ガチャガチャ 開かない
「くっ……そう都合よくはいかないか」
「たしか職員室に鍵があったはずだよ。取りに戻るかい?」
「一刻を争う事態だが仕方ない。蹴破れればいいんだが……
「蹴破る……

「どうかしたのか?」
「うーん……このタイプの鍵なら、細いツールがあればピッキング出来るかもしれない」
「本当か!」
細いもの……細いもの……
「ぬあ!」
「うわっ……急に大声をあげないでくれるかい」
「すまん! 類、これならどうだ? いけそうか?」
「うん……?」
裁縫セット
「よく持ち歩いていたね」
「どこかの誰かさん達がしょっちゅう衣装を解れさせるからな」
「おや、フフッ、どこの誰だろう?」
「白々しいぞ」
カチ
「開いた」
「でかした! 行こう、類!」
プールサイド

「誰もいない……な」
「ねえ、司くん。妙だとは思わないかい?」
「妙?」
この時期にプールに水を張ることあるだろうか
「たしかに妙だが……学校のカリキュラムに因るんじゃないか?」
「そうだとしても、こんな真夜中に……
ちゃぷ
「!」
不自然な飛沫
「だ、誰かいるのか?」
……司くん、あまり近づいたら危ない――、」
ざぱ
――!」
手 手だ 司の足首を掴む
「うお! る、類ッ……
「司くん……ッ!」
手を掴み損ねる
ざぱん
「司くん! 司くん……!」
「かはっ、る、ごぼ、……来、なッ、がば」
「何言ってるんだ!」
故意に沈められている 首の曲がった司がフラッシュバック
……ッ嫌だ」
飛び込む 冬だのに冷たさを感じない
「司くん、司くん……っ」
息を吸ってもぐる 手が司の足首をきつく掴んでいる
外そうとしても離れない 司の抵抗が弱まっていく
酸素 とにかく酸素を司くんに
焦点が薄れゆく司 咄嗟に唇を塞いで息を送り込む
司の手が類の袖に縋り付いて、離れていく
司に絡みついていた手が離れる
「っぷは! 司くん……! しっかりしてくれ……!」
息をしていない
「司くん! 司くん……!」
心臓マッサージ 人工呼吸
いくらしても息を吹き返さない
「つ、かさ……くん……、頼むよ、起きて……
真っ白い顔が月明かりに照らされている

   +++++ +

……類? 聞いてるか?」
――…………。つかさくん」
「お前……。その様子だとまったく聞いてなかったようだな」
やれやれ
ワンダーステージ ショーの打ち合わせ中
夢をみる またあの夢だ
夢の中では不思議とこれが夢だとは思っていなくて、ただデジャブや悪い直感のようなものがある
「いいか。来たる三月に披露する『プロジェクトリリー』はオレ達ワンダーランズ×ショウタイムの、活動休止前の最後の晴れ舞台だ! 『プロジェクトワンダー』に次ぐ大舞台になる予定なので、類が張り切る気持ちはようっくわかる!」
うんうん、と寧々とえむ
「だが肝心なところでボンヤリしているようでは、到底プロとは呼べんぞ」
「耳が痛いねえ」
……類、寝てないの?」
寧々が心配そうに見る
「寝てないわけではないよ。寝つきが悪いだけさ」
「少し休んだら? 話し合いはそのあとでも出来るし。ね、司」

「ん、まあそうだな……
前なら回り道したがらなかった
「じゃああたし、着ぐるみさんに言って毛布もらってくるよ!」
「待ってくれ、」
……類くん?」

「僕のことなら気にしなくていい。自分の体調くらい、自分で管理できるよ」
……だがお前、先日だって保健室に……
「司くん」

……わかった。が! くれぐれも無理はしてくれるな。お前は我がワンダーランズ×ショウタイムの大事な演出家。替えのきく存在ではないのだからな」
「フフ……期待には応えてみせるとも」
「まったく……

「それで、『プロジェクトリリー』の大まかな流れだけど……
「ああ。オレ達がこれまで演ってきたショーからモチーフをそれぞれ引っ張ってきて、集大成のようなショーに出来ればと思っている。主役は無論、このオレだ!」
「はいはい」

「ストーリーはこうだ。海賊に囚われた人魚姫を勇者のオレが救い出す!」
……つもりが、人魚姫は実は秘薬で無敵のロボに変身することができるんだよね」
「だけどさすがのネネロボも、ゾンビ相手には手も足も出ない」
「待て待てどこからゾンビが出てきた⁉︎」
「だいじょうぶっ! お師匠に教わった魔法で、あたしがぜーんぶニッコニコの笑顔に変えちゃうからっ!」

「舞台は海かな?」
「そのつもりだ。類は水の演出に長けているからな」
……え?」

「気づいていたのかい?」
「まあな。どれだけお前を見てきたと思っている」
……

「『プロジェクトリリー』ではワンダーステージに限らず、フェニックスワンダーランド内のショーステージ、及びえむの兄が指定したアトラクションなら使用していい許可も貰っている。たしかその中に……『スプラッシュ☆フェニー号』があったはずだ」
「ああ、あの絶対びしょ濡れになる船みたいなコースター……
「たしかに、あそこでなら水上バトルの臨場感は表現出来るだろうね」

「あとは……プールとか」
ぎくり
「サウスエリアにあるだろう、『フェニックスウォータープール』だったか?」
「えっ! プールも使っていいの⁉︎」
「お前の兄が言っていたぞ。むしろシーズンオフ中は閑散としてるから使えるなら使えと」
「ホント⁉︎ やったあ! あたしあのプールだいすきなんだ〜!」
どくんどくん
「類……大丈夫?」
「え……?」
「顔、真っ青だけど……
……

「そうと決まれば下見に行くぞ!」
「おー!」

……類、やっぱり体調悪いならここで休んでてもいいよ」
「いや、僕も行くよ」
……

「ここだな! む、滑り台もついてるではないか」
「えへへ! こっちは流れるプールで〜、あっちは滝のプールなんだよ!」
「滝のプール⁉︎」
「そう! 上から下に、ざっぷーん! ってするの!」

「深さはどのくらいだ?」
覗き込む
思わず司の手を掴む類
……類?」
「あ…………あまり近づくと落ちてしまうよ」
「ハハ! まさか落ちるわけが――
「あ、司。足元に蜘蛛」
「ぎょえあええああ⁉︎⁉︎⁉︎ ……あ」
「あ」
ざぱー
「っ……司くん!」
「え、類⁉︎」
ざぱざぱ
「イテテ、オレとしたことが尻餅をついてしまった……。ん? なんだ類、お前まで入ってきたのか?」
脱力
……どこか、怪我は?」
「ないぞ! 思いのほか浅くて尻を打ったが、この通りピンピンしている!」

「温水で助かったな。冷水だったら心臓が止まっていたかもしれん」
「笑い事じゃないよ……
「ん。……類、どうした。震えてるのか?」
……

……

「えむ、寧々。すまんがタオル取ってきてくれないか?」
「わかった」
「すぐに取ってくるね!」

「司くん、やっぱり……プールを舞台にするのはやめよう」
……どうしてだ?」
「水の演出なら、他にもやりようがあるよ。ミストや、シャボン玉を客席に向けて噴射したりしてさ」
……

……懐かしいな」
「え?」
「去年の今頃も、お前……オレに遠慮していただろう」

「言ったはずだぞ。オレに遠慮はいらない。類が思う一番の演出で、オレを誰よりも輝かせてほしい」
……
「オレは、類、お前を独りにはしない」

「無論えむと寧々も――
「わからないだろう」
――……?」

「わからないよ。例え君が今それを本気で望んでいたとしても……
「わかるぞ」
「わからない」
「わかる! 何故ならオレは、……むぐ」
手で塞ぐ
……聞きたくないよ」

…………意気地なしめ」
「どうとでも言ってくれ」

「司くーん! 類くーん!」
「タオル、持ってきた」
「ああ、ありがとう!」

「類」
「なんだい?」
「オレは、お前の演出を信じている」

「お前を信じてるよ。神代類」
……
うれしくなってしまう
はあ
……わかった。王様の君に従うよ」
にかっと笑う キラキラ この輝きがいっとう好きだった

   +++++

夢を見る
水面に自分の顔が映っている
…………こんな顔をしていたらまた心配をかけてしまうな)

「類」
……司くん」
「更衣室の方を確認して来たんだが、やはり誰もいないようだ」
「そう」
うーん
「まあ、考えても詮無いか。とにもかくにもこの学校から脱出せんことには」
「そうだねぇ……
「向こう、体育館だよな? 外に通じる出口はないだろうか」
「行ってみようか」
ガラガラ 真っ暗な体育館
「なんだか妙な感じだ。高校の体育館に比べて随分と小さく見える」
「昔はあんなに広く感じていたのにねえ」

「こっちは体育館倉庫かな」
「見ろ、類。一輪車だ。懐かしいな」
「乗れるのかい?」
「当然だ! よっ……と」
ジャンプもできるぞ!
「フフ、上手じゃないか。君にそんな特技があったなんてね」
「ハッハッハ! 演出に活かせそうか?」
スイスイ
ドアは開かない 南京錠が外から掛けられているようだ
「司くん、こっちの出入り口は開けられそうにないね。そっちの方は……

……司くん?」
しーん
一輪車が横たわっている
ドクン
「司くん、悪い冗談ならやめてくれないか。これでも僕、……今は結構、いっぱいいっぱいでね……
ドクンドクン
「君を失うのが……怖くてたまらないんだよ」
パッ ステージが明るくなる
………………どうして」
天井から伸びるワイヤー
吊るされた司
どうして、死んでしまうんだ
また守れなかった
……また? またってなんだ
僕は

司くんの死を 繰り返し見ている