猫澤
Public
 

春風の吹く頃に


★》
 ――恋、を定義する。
 世界は総じて有象無象。少なくとも僕にとってはそうだった。
 大抵は僕の与り知らないところで、みんながみんな愛だとか友情だとか、一過性のものともしれないそれを大事そうに抱えて。共感しあって、支え合って生きていく。
 きっとそれはこれからも変わらない。所詮全部他人事で、人ひとりが抱えられるものの数も多くはなくて。
 でも、人との繋がりで僕たちは生きていた。
(ああ……
 歓声が辺り一面に響き渡る、この瞬間が好きだ。ステージの上で、左手を司くんに向けて差し出す。固く結んだ手。司くんはズレた王冠を手に取って、歓声へ向けて一礼した。
 僕達の後ろには寧々やえむくん、それから虎崎くんを筆頭に、ショーの手伝いをしてくれた演劇サークルの人達が立っている。
 舞台裏にはショーの告知に尽力してくれた玄武寺くんと衣装製作のアドバイザーとして関わった瑞希が。観客席をよく見れば、東雲くんと青柳くんもいる。ショーで使った楽曲はLeo/needのメンバーが活動の合間に演奏してくれたものを起用した。
 そして何より。今目の前にいる、笑顔の観客たち。
 こんなにも多くの人に支えられて、僕達のショーは、恋物語はようやく完成する。
 まだ息も弾む中、司くんは僕の手を引いた。左手の甲に司くんの唇が触れる。割れんばかりの拍手の中で、汗を滴らせる司くんを僕は見つめて。その眩さに目を細めた。
 ああ――輝いている。
 視線が合って、君が八重歯を見せる度に、僕の胸の鼓動は慌ただしくなることを知らないだろう。胸いっぱいの愛を。司くんという存在を。全世界に見せびらかしてやりたい気持ちになることを、君は知らない。
 僕達の関係を認めてくれる人も、認めてくれない人もいる。
 でも君が僕に手を差し伸べて、笑いかけてくれるなら。僕はきっと何者にでもなれる気がするんだ。何度だって、君の手を取って、世界に愛を語りかけるよ。
 さあ、司くん。――僕と君の恋をいま、定義しよう。


 カーテンの間から差し込む朝日。それがちょうど目のあたりに当たったようで、僕に抱き締められながら深く眠りについていた彼――司くんは、むずがるように身じろいだ。
「む……
「おはよう、司くん。よく眠れたかい?」
「おかげさまでな……
 掠れた声だ。寝起きなのもあるが、昨夜散々僕の下で声をあげていた名残だろう。司くんも違和感があるようで、顔を顰めて喉の調子を検めている。
 掛け布団から曝け出した肩。勢いに任せて付けた僕のしるしに指を這わせれば、司くんは大袈裟に驚いて僕を勢いよく振り返った。起き抜けで少し腫れぼったい両目。泣かせすぎてしまったかな。あとでしっかり冷やしてあげないとね。
 手を伸ばして手の甲で目尻から頬を撫でる。何度体を重ねて、何度同じ朝を迎えても、この瞬間はいつも司くんが愛おしくなる。
 そんな気持ちが表情にも出てしまっていたようで、司くんは僕の顔を見るなり唇をへの字に曲げて「そんな目で見るな、」とそっぽを向いた。
 開けっ広げな性格をしているようで、彼は時折照れ屋だ。たぶん、気を許してる僕にだけ見せる顔。そう思えば僕はまた司くんを照れさせてみたくなって、つい、彼を構いすぎてしまう。
 年が明けてもうじき一月経とうとしている。コンテストも兼ねたニューイヤーショーは先日ようやく華々しく千秋楽を迎えたところだ。
「昨日のショー、良かったね。お客さんもみんな笑顔で」
「と~~ぜん、だな! オレ達ワンダーランズ×ショウタイムのショーを見て、笑顔にならん観客はいない」
「これはまた大きく出たねえ」
「事実だろう」
 随分きっぱりと言ってくれる。そうだね、と頷いて、僕は開いていたタブレットを閉じた。
 司くんが起きるまで眺めていた、僕達のショーの動画。有志がアップロードしたそれは瞬く間に全世界へ広がって、じわじわと再生回数が伸びている。
 着実に、司くんは夢への一歩を踏み出している。……僕も。
「司くん。……玄武寺くんのこと、それから大学でのこと、黙っていてすまないね」
「そのことか。別にオレはなんとも思ってないぞ?」
「おや。少しは心配してくれてもいいじゃないか。本当に僕のこと好きなのかい? 司くんの愛を疑ってしまうなあ……よよよ……
「ええいウソ泣きはやめんか! 大体、……! ……!」
「ん?」
 変なところで言葉を区切った司くんを訝しんで顔を覗き込む。司くんは瞳をゆらゆらと揺らめかせて、きゅっと眉を寄せた。不自然に息を吸っては、吐き出さずに止めている。
 目尻をうっすらと赤らめて、やがてそろりと視線を下へ向けた。
「なんだい、司くん」
……昨晩、散々……言っただろう……。す、好きだと……
……フフ。そうだったね」
 たくさん愛を求めたし、たくさん愛した。
 僕と司くんの恋物語。『The spring thunder to Rainbow』――春雷から虹へ。はちゃめちゃで、愉快で、けれど真っ直ぐに突き進む僕達をありのまま描いたそれは誰かの目にどう映っただろう。
 不安は尽きない。
 でも、今出来ることの最大限を尽くした。司くんとの恋が決して誰かに後ろ指さされるようなものではないことを、僕はどうしてもショーで証明したかったから。
 ――その結果が、リビングの棚に飾られたトロフィーなのだとしたら、やはりどうしても浮かれてしまうに決まっている。
「何回でも君の口から聞きたいんだよ」
「少しは信用しろ」
「してるさ。でもそれとこれとは別だろう?」
 司くんの体を腕の中に閉じ込めて、その髪に頬を寄せる。互いにまだ生まれたままの姿だ。人の体温がこんなにも心地良いものなのだと、僕は彼に出会って初めて知った。
「オレは……
 彼にしては小さな声で、司くんは呟いた。
「男だからな」
「うん」
「類に寄り掛かられたって、潰れたりはしない」
「うん」
「だから遠慮なく頼るときは頼っていい」
「ああ、わかってるとも。君は本当に、頼りになる男の子だよ」
「そうだろう。そうでなければお前達の座長は務まらん!」
 顔を上げた司くんは、その瞳に力強い光を宿していた。
 本当に。本当に、僕達は司くんに感謝している。最初はひとりぼっちが四人集まって、ただショーが好きという、それだけの気持ちで繋がった僕達をここまでまとめ上げてくれたのだから。だから僕達は司くんが大好きだし、僕は彼に恋をしたんだ。
 彼のあの広大で、底抜けに明るく、ハチャメチャで。それから――優しいセカイは。僕が分析するに、司くんの愛で出来ている。
「じゃあ僕は、こう言い改めるべきかな。……司くん。僕を信用してくれてありがとう」
「類……
「それから君は僕らの座長だけど……、今は僕の恋人でもあるんだ。たまには僕にも甘えてほしいな」
……十分甘えさせてもらっている」
「そうかい? まだ足りないくらいだよ」
 こめかみにキスを落とす。そのまま唇にも口づけようと顔を近づけたら、寝起きは嫌だと口を手で覆われた。仕方なく、その手の指のひとつひとつに唇を当てていく。
 司くんを甘えさせるのは、存外簡単だ。いや、簡単だったと言うべきかな。なんせ僕もつい最近この方法を知ったばかりだから。
 こうして司くんに愛を囁いて、瞳がとろとろになるくらいキスすればいい。甘えるのが苦手な司くんも、こうすれば猫なで声を聞かせてくれる。
「っ、お前はオレを骨抜きにする気か」
……!」
「やめろその『閃いた!』って顔! 嫌な予感しかせん!」
「いやあ、想像が膨らむねえ」
「膨らませるな――!」
 くすくすと笑い合いながら、ベッドの下に落ちた服を拾い上げて。
 カーテンを勢いよく開ける。長閑な朝日が部屋に射し込む。くあ、と欠伸をかみ殺してパンツを穿いた司くんは、日の目を浴びた僕の部屋を振り返って、「やっぱり汚いな……」と諦観混じりに呟いた。
「そうだ、類。今度パーティーをしないか?」
「パーティー? なんの?」
「もうすぐ春だからな」
 リビングに下りてコーヒーメーカーの電源を入れる。こぽこぽと沸騰する音を聞いていると、手で寝ぐせを直していた司くんが「ほら」と続けた。
「オレ達が一緒に暮らし始めて一年だ」
……ああ、なるほど」
 もうそんなになるのか。テレビ台の上の卓上カレンダーを覗き込めば、間もなく桜の咲く季節だ。
「ではえむくんや寧々も呼ぼうか」
「いいな。それなら咲希と一歌達も呼んでいいか? あいつらの進学のお祝いも兼ねて」
「もちろんだとも。東雲くんと……青柳くんも呼ぼう。ああ、瑞希も誘ったら来てくれるかもしれないね」
「なんなら虎崎達も呼ぶか? せっかくなら大勢でぱーっと派手にやるのもいいだろう」
「こっそりミクくん達も呼べるといいねえ」
 春が来る。その足音は、もうすぐ傍までにじり寄っている。
 きっとこれからもっと忙しくなるだろう。大学も二年次になればゼミが始まるし、寧々が戻ったワンダーランズ×ショウタイムの活動も、それから劇団での新たな活動もある。
 時に走って、時に躓いて。その度に僕は手を引かれて、少しずつ日向へ踏み出していく。吹き荒ぶ嵐のあとの綻びのように、柔らかくて、あたたかい、春の木漏れ日の下へ。
 社会の歯車から逸脱した僕のほんの一欠片を奪った彼が、僕を笑顔の中心へと導いてくれるから。僕は今日もショーをする。この、ちぐはぐで愛おしい世界の片隅で。
「ねえ、司くん。こんなにもたくさんの人に支えられて、僕達は生きているんだね」
「どうした? 類にしては感傷的じゃないか」
「フフ……幸せだなあって思ったんだよ」
 そう、幸せだと思ったんだ。
 二人分のマグカップにコーヒーを注いだ司くんが、何か考えるように口を噤む。けれど上手い言葉が見つからなかったようで、少し困ったように眉を下げながら僕にカップを手渡した。
「人は独りでは生きていけないからな」
 ふわりと優しい香りが鼻腔を掠める。カップの縁に口づけて、彼は言葉を続けた。
「だからオレは、類に出会えてよかった。言うのが随分と遅くなってしまったが……オレを好きになってくれてありがとう、類!」
……、君は、本当に……、」
 じわり、と。
 マグカップの中のコーヒーに波紋が広がる。僕は意図せず両目から溢れたそれを好きにさせて、口の端を吊り上げ不器用に微笑んで見せた。
「僕を泣かせるのが『上手』だねえ」
「ハ――ッハッハッハ! 存分に泣くといい。胸ならいくらでも貸してやるぞ!」
 マグカップをキッチンテーブルに置いて、司くんが僕の体を抱き締める。
 僕は彼の髪に口元を埋めて、すう、と息を吸い込んだ。
 どこか遠くで呑気な小鳥が歌っている。春の訪れの祝福を。
「雨の後、空は必ず晴れるだろう? そして大きな虹が架かる。オレはいつか、お前と二人でその麓を目指してみたい」