猫澤
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ふっかつのじゅもん



 なんでだろう。体がすっごく熱い。
 ふう、ふうとベッドの中で浅く呼吸を繰り返していると、不意に額にだれかの手のひらが触れた。
 前髪を梳く手はやさしくて、まだちっちゃい頃にお熱を出して苦しんでいたときに、姉のひなたが撫でて看病してくれたのを思い出す。思わず「ひなたお姉ちゃん……」と呟いて、ぬるくなったベッドの中を身じろいだ。
 そっと目を開ける。ぼんやりとした人影。記憶の中の桃色の髪がぼやけ、若葉色へと変わっていく。
「えむ、大丈夫?」
「ほぇ……ねねちゃん……?」
 その声を聞いた瞬間、自分の頭を撫でる手は寧々の手だったのだと気がついた。
 発熱のせいか、視界が潤んで輪郭が薄れている。ゆっくりと視線を動かせば、その後ろには櫻子もいて、心配そうに自分を覗いていた。
 ――ああ、そっか。倒れちゃったんだ、あたし。
 うっすらだけど思い出せる。ライリードリームパークの、ロケットのアトラクションから降りたあたりから、だんだん体がふわふわしてきて。あれ、おかしいなって思ったけど、みんなとするショーが楽しくてすっかり忘れてて、ショーが終わって安心した途端、力が抜けちゃった。
 お熱を出すなんて久しぶりだなあ。へにゃり、気が抜けたように笑うと、寧々は呆れ交じりに嘆息して、手に持っていたガラスのお皿を持ち上げた。
「これ、りんごすりおろしたやつ。風邪ひいたときウチではよくこれ食べるから」
 食べれる? という声に、うん、と頷く。
 喉はぴりぴりするし、お熱でふわふわ~ってしているけれど。寧々がスプーンですりおろしりんごを口元まで運んでくれるから、なんだか幸せな気持ちになる。
……おいし……えへへ、しゃりしゃりのしゅわしゅわ~」
 口のなかでやさしい甘さがとほどよい酸味が広がって、ふにゃりと頬が緩んだ。あんまり食欲がなくても、これならいくらでもぺろりと食べれちゃいそうだ。
 もう一口をねだる。すると亜麻色の髪をさらりと靡かせて、櫻子が小さく口を開いた。
「少し、無理をしすぎじゃないかしら」
「んゆ?」
「わたしもそう思う。えむが頑張ってるの、わかるけど……
 寧々と、櫻子と。ふたりの顔を交互に見つめて、こてん、と首を傾げる。
「あたし、無理なんてしてないよ?」
「それはえむに自覚がないから――
……うーん」
 たしかに、昔に比べたら。自分が携われるお仕事がぐんっと増えて、それに比例するように、発言の重さも大きくなって。ちょっとずつ、一歩ずつ……兄が住む世界に近づいていってるなあって、そんな実感はあるけれど。でもそれはえむ自身が望んだことだ。
「あのね、あたし……類くんみたいになりたいんだ」
……類?」
「類くん、みんなが困ってるとき、いろんな方法でしゅばばッ! って解決しちゃうでしょ? あたしもね、そういう風になりたくて」
 類の手は魔法の手だと、えむははじめて類と出会ったときから信じている。
 彼にかかれば、自分では到底思いつかないような角度から、あらゆる手段で理想を現実に塗り替えてしまうのだ。
 ビビッドもパステルも自由自在。そしてそれは、類自身がさまざまな分野に興味を向けて学んできた積み重ねがあってこそのことだと、えむは知っている。
 えむも、そういう力が欲しかった。
 夢を追うだけじゃなくて。こうなったらいいな、ああしたいなを実現できる力が。
「司くんや、寧々ちゃんや、櫻子ちゃん。慶介お兄ちゃんに晶介お兄ちゃん。あと着ぐるみさんと、ひなたお姉ちゃんと……もちろん、類くんも! みーんなが困ってるときに、なにかちょっとでもお手伝いできたらって、思って……それでね、それで」
 体を起こしたえむは、もじ、と指先を遊ばせる。
「あたしにできること、いっぱい増やして……みんなに笑顔になってほしいんだ」
「えむ……
「そのためのお勉強だって思ったら、毎日楽しくてどっかーん! だよ!」
……それ、爆発しちゃってるじゃない」
 くす、と櫻子が笑う。つられたように寧々も口元を緩めて、持っていたスプーンをお皿の上に乗せた。
「だけど、えむ。アンタが頑張りすぎて、今日みたいに倒れちゃったら……わたしは悲しいよ」
「寧々ちゃん……
「類みたいになりたいのは、いいけど。類みたいに、不摂生するのは、ダメ」
 わかった? と念を押す寧々に、えむはぱちぱちと瞬いた。
 たしかに、ひとつのことに夢中になって他のことが一切手がつかなくなる類を、司がよくぷんぷんと怒っていたなと思い出す。そう思えば、いまの寧々はまるでそのときの司のようで――、ほわ、となんだか胸の奥がぽかぽかあったかくなっていく。
 えむは途端にうれしくなって、ぱっと表情を輝かせた。
「はい! 今後は気をつけますっ」
「うん。えらい。……じゃあ早く元気になって、司達を安心させてやって」
……司くん、心配してた?」
「すっごくね。でもいいの。あいつは人のために生きるのが生き甲斐みたいなヤツなんだから、勝手に心配させておけば」
 ふかふかのベッドに横になると、また、寧々の手がえむの額をやさしく撫でる。その体温が心地よくて、少しずつ、瞼が重たくなっていく。
 そっと瞼を下ろすと、視界が遮られた分、今度は寧々と櫻子の呼吸が近く感じた。湖畔のように静かで、日向のようにあたたかい寧々の声が、いろんな雑音を打ち消して、すっとえむの耳元へ届く。
「よく寝て、しっかり休んで……それで、明日元気になったら、いつもみたいに『わんだほい』してやって」

 ――……

「あ! つ、か、さ、く――ん‼︎‼︎‼︎‼︎」
「えむ! もう調子はいいのk……どわ――ッ‼︎‼︎」
 ――翌日。ホテルの部屋から出たタイミングで、ちょうど隣の部屋からスーツケースを引いた司の姿が見えた瞬間。いてもたってもいられなくなったえむは全力で司の背中に飛びついた。
「えむー‼︎ 急に抱きつくと危ないともう何度も言って……
「司くん! わんだほい!」
「は?」
 廊下をふたりで転げまわって、えむの勢いを諫めようと両肩を掴んだ司に。えむは両の手のひらを開き、にっこりと花の咲く笑顔をみせた。
 きょとん、と司が目を丸くしている。
 思っていたものと違う反応に、えむもまたきょとんとした顔をする。
「およ? 聞こえなかった? もう一度~……わんだほいっ!」
……お前は……
 司はぐっと眉を寄せ、はあ、と脱力したように大きく息をついた。えむの顔が覆われてしまうくらい、大きな手のひらが、ぬっとえむの目の前に迫る。
 ぐわし、ぐわしと。頭を撫でられて。
――元気なわんだほいでよろしい!」
「えへへっ」
 ふにゃりと顔を綻ばせたえむを、快晴の空が見下ろしていた。