猫澤
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コマンド入力 アクアリングと彗星



 海の星、軍事基地中央司令部。
 深夜まで続いた査問会がようやく収束し――錠を外されたオルカは独り、住処としている寮への道を泳いでいた。
 濁った視界に白い水泡が広がる。珊瑚の森を抜け、コポ、とオルカの口から吐き出された呼気が、水泡に混じって海面へと昇っていく。その軌跡をなんとはなしに見つめていると、ふと、背後に気配を感じた。
「オルカ。お前、変わったな」
 ウルサン大佐。あの赤い森と同じ色をした瞳の男は、オルカの直属の上司であり、また――孤児のオルカを拾い育てあげた親のようなものでもあった。
 オルカに理詰めの戦法を教えた張本人でもある。オルカは嘆息し、ウルサンに体を向けた。海の星は縦社会。育ての親といえど、立場のある相手に話しかけられてしまった以上、無視することはご法度である。
 こぽり。水泡がまた、淡く輝る空へ昇る。オルカは極めて静かに口を開いた。
……変わった、とは?」
「大地の星の連中と和平協定を結ぼうだなんて、昔のお前だったら口が裂けても言わなかっただろう」
……
 捕虜にした大地の星の姫とその側近。オルカは彼女達を人質とし、大地の星の者に我々がこの戦争において有利になる条件を突きつけるつもりだった。しかし宇宙モンスターの襲撃により作戦は失敗し、捕虜には逃げ出され、指揮を取っていたオルカは責任を問う査問へと掛けられる始末。
 実に長い間討論が続いたが、結局のところ、ウルサンの進言もあってオルカの判断にミスは無かったとされた。
 宇宙モンスターはオルカひとりでは撃退が難しい怪物である。宇宙を漂い彷徨うだけの、知性のないバケモノを相手に……そして資源が枯渇している現状、生きることを優先した戦士を責める者はいなかった。なにより、オルカの戦士としての腕前はピカイチである。些末事でその命を喪う事態は、星にとっても不利益といえた。
 しかし、ならば何故深夜まで査問会が続いたのか。それはひとえに、オルカ自身が発した言葉に因る。
 この戦争に意味はあるのか。大地の星の者と、和平を結ぶ方針には変えられないか。星はもう限界まで疲弊している。それは向こうとて同じこと。
 ――我々は同じ宇宙で繋がった、対等であるべき人種なのではないか。
 これまでの歴史をも覆す発言は、上層部を大きく揺るがしたのだ。
 ……ウルサンは黙り込んだオルカを一瞥し、咥えた煙藻にパチ、と電流を走らせた。ぷかり、口から濁ったアクアリングが吐き出される。
「そんな顔するな。俺は心配しているんだ。先の査問会、お偉方がこぞって恐い顔していたのを見ただろう」
「笑止。恐ろしくなどありませんよ。ただ椅子に座って踏ん反りかえっているだけのヒトデに、私が力で負けるはずありませんから」
 は、とオルカは鼻を鳴らした。だれも彼も前線を退いた老獪ばかりだ。そんな戦場の勘も忘れた連中に、オルカが負けるなどありえない。
 それはもちろん、ウルサンとて例外ではない。オルカが光のない瞳で見つめる。
 時間にして、十秒か、一分か、それ以上か。長い沈黙の末に、ウルサンはまた煙藻を咥え、ぷかりとオルカにアクアリングを吐きつけた。
 げほ、とオルカが咽せる。苛立って睨みつければ、ウルサンは珊瑚色の目を細め、神妙な面持ちで言葉を続けた。
……忘れたのか。お前の両親は戦争で死んだ。大地の星のやつらに殺されたんだ」
「もちろん。忌々しい記憶としてよく覚えておりますよ」
「なら何故」
……何故、ですか」
 言葉を区切り、口を一字に結ぶ。
「どうしてでしょうね」
 オルカとて、少し前までは。大地の星の者は忌むべきものと信じて疑っていなかったのだ。
 ――オルカ。あなたの強さ、見事なものだわ。
 ――私達、生まれた星が違えば良き友人になれたのかもしれないわね。
 ――そう、どこか遠い星。大地と海が共存するような……青い星で生まれていたなら。
 この濁った星では見たことのない、綺麗な色の髪の姫の言葉が、別れたいまもなお耳の奥にこびり付いている。
(そんなもの、夢物語だ)
 そう一蹴してしまうのはあまりにも簡単だったが、不覚にも一瞬、オルカは想像してしまったのだ。大地と海が共存する星。青い星で、手を取り力を合わせ、星のために尽くす自分達を。
 そんな星が本当に存在するかもわからない。
 けれど、もしもそんな、奇跡の星がこの広大な宇宙のどこかに存在するのなら。
 あの者達と違った出会いをしていたならば。
 それが戦争のない、平和な惑星であったならば。
 ――きっといまとは違った人生を送っていたに違いない、と、思ってしまった。
……
 生まれたときから、命を守るために戦い続けてきた。いまやこのオルカに敵う者など、この星には存在しない。だというのに、何故だろう。この星はひどく息苦しく、どこにいても孤独で……目も霞むほど濁り切っている。
……メーデー、遠いどこかの星の君。良き友人の君。ここは……少々息が詰まる)
 戦争でどれほどの者が命を落としただろう。オルカに友と呼べる者はもういない。弱い者から淘汰される、そんな残酷で無慈悲な世界。
 どこかで負の連鎖を断ち切らねば、この星に未来はないのだろう。ただ衰退していくばかりだ。目の前に立つ養父も。自分も、いつか。
 脳裏に、薄く微笑む姫達の表情が鮮やかに記憶されている。
「運命なんて信じちゃいませんが……あるとするならば、その分岐点はいまこの瞬間であると私は思うのですよ」
……。愛国心を忘れたか?」
「愛国心? 父上はおかしなことをおっしゃる」
 くつりとオルカは一笑し、尾ひれを大きく翻した。夥しいほどの水泡がウルサンの体を包み込み、濁った視界が白で埋め尽くされる。
「そんなもの、最初から持ち合わせてはおりませんよ。いつだって私は――生きるのに必死なだけです」
 そして。人は、独りのままでは到底生きられないのだと、悟ってしまっただけだ。

 ――……

「司くん。そろそろ空港に着くよ」
…………
 穏やかな揺さぶりに、ゆっくりと意識が浮上した。
 すぐ間近に捉えた類の端正な顔。秋の月のような優しい色合いの瞳を見つめ、司は小さく身じろいだ。
 高速を走っていたはずのジャンボタクシーはいつの間にか減速しており、窓の外には大きな空港が司達を待ち構えているのが見えた。
 いったいどれだけ眠っていたのだろう。類の肩に埋めていた片頬が僅かに熱をもっている。
「なんだかぼんやりしているね。夢でも見ていたのかい」
「夢? ……ゆめ……
 ジャムのように煮詰めた杏を細め、唸る。たしかに、なにか夢を見ていた気がする。
 しかしその断片は朧げで、どんな夢だったのかまったく思い出せない。楽しい夢ではなかった気がするが、どうにも現実感のない――……
……くあぁ」
 その正体を掴む前に、つい、大きく口を開けて欠伸を漏らしてしまった。長時間同じ体勢でいたせいか、全身が信じられないほどばきばきに固まってしまっている。
 ぐっと伸びをして筋肉をほぐしていると、前の方の席に座っていたはずの櫻子が司を振り返って呆れた声を出した。
「大きなあくびですこと」
「むっ、……すまん。はしたなかったな」
「構わないわ。フェニックスワンダーランドでは互いに競い合うライバルでも、シームルグのあなたは心強い仲間。良き友人だもの」
 良き友人、……
 なんだか妙に引っ掛かる。無論、司とて櫻子のことはライバルとも、仲間とも、友人とも思っているが……なんだろう、つい最近にもその言葉をどこかで耳にしたような、そんな気がするのだ。
……別に友人でも仲間でもライバルでもいいけど、搭乗時間迫ってるから早く準備してよね」
 司が考え込んでいると、寧々がひょこりとドアから顔を覗かせる。いつの間に停車していたのか、隣にいたはずの類もさっさと駐車場に降りていて、皆の荷物をおろす手伝いをしているようだ。
 思わず櫻子と顔を見合わせて、慌ててジャンボタクシーを降りた。
 スニーカーで砂利を踏む。顔を上げれば、快晴の空に、飛行機がまっすぐ一本の雲を作りあげている。あの雲よりももっと先に、広大な宇宙が広がっているのだと思うと、無性に自分がちっぽけな存在に思えてくる。
 ……しかし。だからこそ、歩みを止めずにいられる。
……、)
 ……いま。あと一歩のところで、オルカを掴めそうな気がして。司は空にまっすぐ手を伸ばした。
 遠い星の君。果てしない彼方の君。紺碧の世界へ、青い星から、親愛を込めて。
 この手でお前の孤独を癒してみせよう。
……
「司くん――?」
――いま行く」
 先を行く類が振り返って不思議そうに司を呼んでいる。ふ、と司は頬を緩ませ、愛する仲間と恋人の元へと、一歩、また一歩――歩き始めた。