猫澤
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死亡フラグ回避の教え



――司、ココはネネロボがオトリニナリマス」
 凛、と。
 緊迫した空気の中、無機質な音声が耳に届く。
 司は信じられない気持ちで目を瞠った。
 ネネロボ。司がワンダーランズ×ショウタイムとして活動を始めてから六年間、片時も離れずずっと傍で見守ってくれていた掛け替えのない仲間。
 ロボ故にその表情は決して変わることはない。ない、が、肩越しに振り返るネネロボが、司には少し微笑んでいるように見えて。
 行く手に立ちはだかる門。のんびりしているような暇はない。ネネロボの言う通り、ここで別離することが最善の選択であると――司も頭では理解している。
 だが、……だからといって仲間を見捨てるような真似ができるものか!
……ッ! しかし、ネネロボ、お前……!」
……後ノコトは、頼ミマシタヨ。寧々と、皆を――守ッテクダサイ」
「ね、ネネロボォ――‼︎」
 咄嗟に手を伸ばす。しかし指先は空を掻き切るばかりで、その鉄の体に届くことはついぞなかった。
……、司。行こう」
 寧々が司の腕を引いて急かす。司はぐっと拳を握り締め、振り切るように前進した。ざわめきが聞こえる。光が射している。この先を抜ければ、きっと――


     ■


 さて、ここでいったん物語は五日前まで遡る。
「宇宙戦争?」
 鳳グループ経営ビルの上層フロア。会議室に呼び出された司は顔を上げ、ぎし、とデスクチェアを軋ませた。
 外光を遮断し照明を落とした室内を、プロジェクターの光だけが青く照らしている。シアターの前に立つチョコレート色の髪の男――鳳事業専務取締役・鳳晶介――は短く「ああ」と応え、上等な革靴の底をカツ、と鳴らした。
 晶介が手を掲げると、プロジェクターに映された画像が切り替わる。宇宙空間にデフォルメされた怪獣。司が事前に渡された資料の表紙にもあるイラストである。
「シームルグの冬公演は宇宙戦争をテーマにしたホンでいく。舞台監督、鳳えむ。演出・脚本、神代類」
「よろしくね」
「がんばりまーす‼︎」
 司の隣に着席していた類が軽く会釈し、向かいに座るいちご飴色の髪の女性――えむは元気よく片手を挙げた。
 フェニックスワンダーランド提携のオフィシャル劇団――シームルグ。伝承上、慈愛に満ちた鳥の王の名を称すこの劇団は、ほんの二年前に晶介、えむ、そして彼らの兄である鳳慶介の手によって創設されたばかりである。
 かつてフェニックスワンダーランドで活躍していたキャストが中心となって活動していることもあり、知名度は創設以後日々絶賛鰻登り中。エモーショナルなヒューマンドラマを得意とし、中高生から大人まで楽しめる劇団として広く愛されつつある。
 公演頻度は年に四回。これまでには計九回の舞台公演を重ね、実績を積んできた。
 舞台監督、鳳えむ。演出・脚本、神代類。そして劇場支配人に鳳晶介。さらに天馬司、草薙寧々、青龍院櫻子といった新進気鋭の役者陣。彼らが今日集まったのは他でもない、冬期公演の打ち合わせ兼、顔合わせである。
 晶介は脚本をぱらぱらと捲りあげ、その表紙を軽く指の背で叩いた。
「物語の流れはこうだ。宇宙の片隅、敵対している星々。海の星の戦士と大地の星の戦士が出会い、互いに戦争の意味を考え始める――
 青々としたエメラルドブルーの海の星と、草木茂るフォレストグリーンの大地の星は、かれこれ数百年もの間敵対している。
 元は互いに裕福な惑星であったが、長く続く星間戦争によって資源は枯渇してしまい、星に住む者も若くして徴兵されるため日々疲弊の一途を辿っている。
 海の星の戦士であるオルカは、生まれは孤児であるものの、常に冷静沈着、さらに非常に合理主義者であった。
 明晰な頭脳を持ち指揮官としての能力が評価される傍ら、戦士としての腕前と仲間の信頼もピカイチ。彼の高い戦闘能力の前では、かの星の戦士のだれも右に出る者はいない。
 一方、大地の星の戦士・サーペントは由緒正しい家柄の一人娘でありながら、幼馴染であり、星の姫である・タウスに仕えている。元は気弱な性格であったが、敬愛する姫の側近として訓練を重ね、あまり感情を表に出さない女性へと成長した。
 ある日のことである。姫を乗せ領宙の巡回を行なっていた大地の星の宇宙船が、故障により墜落してしまう。落ちた先、珊瑚の森で気を失うサーペントとタウスを救ったのは、海の戦士オルカであった。
 オルカが海の星の者であることはその尾ひれから一目瞭然。身分を隠しはじめこそ警戒していたサーペントであったが、タウスを献身的に看病するオルカの姿に胸打たれ、サーペントは少しずつオルカに対して心を開いていく。
 彼らは暫し穏やかな時間を過ごすが、しかし、オルカはタウスが敵対する星の姫と気づくや否やサーペントを問い詰める。あわや戦闘となるかとサーペントは身構えるが、タウスの傷もまだ完治していないこともありオルカはサーペントとタウスの両名を人質にとることにする。
 タウス達にとっては絶体絶命の大ピンチかと思いきや、オルカが大地の星へと声明を送る間際、突如海の星の宇宙船にけたたましいアラートが発生する。広大な宇宙を漂う宇宙モンスターが……
「待て、宇宙モンスターだと?」
「そうとも。ほら、表紙にも描いてあるだろう? やっぱり物語には緩急をつけるべきだと思ってね」
「登場が急すぎないか⁉︎」
「天馬、神代。人が説明してんだから私語は慎め。続けるぞ」
 ――宇宙モンスターが宇宙船に攻撃を仕掛けてきたのだ。
 応戦のさなか、致命傷を負うオルカ。しかしタウスの癒しの唄によって彼は一命を取り留める。
 ――不可解だ。何故敵対している私を救ったのですか。
 ――あなただって、わたしが敵と知っても殺さなかったじゃない。
 海の星では、大地の星の者は非常に浅慮かつ愚かで下等な人種であり、言葉が通じず星を統治するに相応しくないと教えられる。
 大地の星では、海の星の者は悪虐非道の限りであり、ひとたび目を合わせれば四肢を千切られ五体満足で生きては帰れぬだろうと教えられる。
 しかし、目の前にいる者はどうだ。生まれた星は違えど、同じヒトである。言葉を交わし、心を通わせることができる。救いの手を差し伸べ、笑いかけることができる。これが愚者であろうか。これが残虐な者であろうか。
 数百年の戦い。幾重もの世代を越え、いまや発端などだれも知らない。両者の間に疑問が生まれる。戦いなど無意味なのではないか。真の悪はだれであるのか。正義とはいったいなんなのだ。
 大きな葛藤に解を出すには、彼らはまだ幼すぎた。
 平穏が訪れた宇宙の片隅で、彼らは言葉を交わすこともなく、互いに背を向けそれぞれの帰る星へと立ち去っていく。
 きっとそう遠くない未来。今度は互いの身分を偽らずとも、また笑い合える日が来るだろうと信じて――
「むう。途中よくわからんモンスターが現れたのは、この際置いておくとして……。類が書いたにしては、あまり大団円とは言えんな」
 晶介の説明を一通り聞き終えた司は、音を立てて椅子の背もたれに寄り掛かった。
 そうだね、と隣の類が小さく頷く。
「根深い確執や戦争の傷は、そう簡単に無かったことにはできないからね。リアルを追求するならそこを蔑ろにしたくなかったんだ。それにこれはシームルグとしての舞台。ワンダーランズ×ショウタイムではできない味を、ここで出してみたくてね」
……そういうことならば、異論はない。そも、オレ達は演技の幅を広げるためにこの劇団……シームルグとの両立を選んだわけだからな」
 フェニックスワンダーランドと同系列で劇団を設立する企画が持ちあがったとき、えむと晶介の兄である慶介は真っ先に司に声を掛けていた。
 司は当時まだ大学生であったが、かつてはフェニックスワンダーランドの宣伝大使として多く貢献した者のひとりである。実力は申し分なかったし、なにより司はまだどの事務所にも劇団にも所属していないフリーの役者であった。
 フェニックスワンダーランドはこれから世界に進出していく。大御所俳優の客演起用も多く予定しており、若手役者にとってはこれ以上なく成長の場に相応しい。
 君のスターになるという夢を、ぜひこのフェニックスワンダーランドで叶えてほしいという慶介の言葉が、いまもなお司の記憶に刻み込まれている。
 ありがたいことだ。司の等身大の実力を過大にも過小にも評価せず、伸びしろがあると見込まれ声を掛けてもらえるというのは。
 毎年ショーコンテストをするほどフェニックスワンダーランドは役者の育成に力を入れている。それに今後世界的に大きくなっていくことも合わせれば、悪い話では決してない。
 司は迷わず慶介の手をとった。
 えむと寧々、そして類とこれからもワンダーランズ×ショウタイムを続けていく。スターになる夢も叶える。
 いつかの日、仲間の笑顔とスターの道、その分岐点に立たされた司は、仲間の笑顔を優先した。しかし今度は違う。あの日ひとつしか選べなかった宝箱を、二つとも手にするチャンスが目の前にある。
 粛々と。晶介が、キャスト発表を始める。
――主演、オルカ役、天馬司。助主演、サーペント役、青龍院櫻子。タウス役、草薙寧々。三人がここに集められた時点で察しはついていたと思うが、メインキャストのキャスティングはこれでいく」
……
 ついにきた、と司は内心で思った。
 シームルグは基本的に実力主義がモットーだ。花形役者といっても、毎回司が主演につくわけじゃない。主演級の役者がこの劇団にはごろごろといる。
 メインの座を任されたのは実に去年の冬以来、つまり丸一年ぶりということになる。その間もワンダーランズ×ショウタイムとしてはもちろん、各メディアでの仕事に加え、演技力の研鑽に明け暮れてきたのだ。気合も、自信も十分。
 ただひとつ懸念することがあるとすれば。
「当て書きではないんだな」
「ああ。君達ならば、どんな役だって自分のものにしてくれると信じているからね」
「そう言い切られてしまっては、早々に弱音も吐けんな」
 ぱらぱらと脚本を捲る。オルカはセリフの節々から、冷徹で聡明な印象を感じさせる。いつかの日、自分とは真逆のキャラクターであるトルペを演じた際もかなり苦戦を強いられたが、こちらはこちらで己との共通点を見つけるのに苦労しそうである。
 さて、どう演じるのが吉か……
 頭をくしゃりと掻き混ぜる司の対面で、同じく脚本を斜め読みしていた寧々がふと顔を上げた。アメシストの瞳が、脚本家を兼任する類に向く。
「SFなのも、珍しいね。シームルグ、いままでは現代社会が舞台の群像劇が多かったから」
「ありがたいことに、うちは役者陣も裏方の舞台制作陣も粒揃いだからね。実力も知名度も十分にあるし、そろそろ別の角度からの切れ込みを入れたいと思っていたんだ」
「経営的にもそれがいいと判断した」と晶介が続ける。
「今よりもっともーっとたっくさんのお客さんに観てもらうために、いまとは違うことしたいねって三人でお話したんだ〜」
 そう言ってにこにこと笑うえむ。そういえば、彼女が舞台監督を務めるのも今回が初の試みである。
 監督、といっても、舞台監督は映画やスポーツチーム監督のように総指揮を執るわけではなく、その実態は雑用係に近い。しかし舞台全体を俯瞰し進行するという意味ではかなり重要な役割となる。
 えむは依然として、司達と共にフェニックスワンダーランドのキャストを続けているが、いつからか事業経営についても兄にくっついて学び始めていた。それは仕事としていうよりも、自分の夢を叶えるためにどうすればいいかえむなりに考えた結果、経営を学ぶのが最善という答えを出したためである。
 シームルグも同様、舞台を作りあげるプロセスを学ぶため裏方の役割を担うことが多かったが、舞台監督としてはまだまだひよっこである。ひとりで熟せない部分はそのあたりが器用な類に手を貸してもらうつもりのようだが……
 司はそっと腕を組む。
 キャストに経営に舞台監督。いくら好きでしていることとはいえ、底知らずの体力があるにしても詰め込みすぎではないかと、少し心配にも思う。
……オレがしっかり、見張っておかないとな)
 主演、ということは、座長として皆を引っ張っていかねばならんのだから。
 ちら、と隣に座る類へと視線を移す。
 類もまた、シームルグではあまり舞台に立つことはせず、演出や脚本の方に専念することが多かった。演技力があるのだから役者も兼任すればいいと司は進言したが、中途半端なことはしたくない、と取り付くしまもなかったのを覚えている。
 曰く、僕とえむくんの手で、君と寧々を輝かせたいんだよ、と。そう言われてしまってはそれ以上口を挟むこともできなかったのだ。
 概ね要項を読み終えた晶介は、ここでひと息ついて椅子にどかりと腰かけた。
「秋には記者会見もあるからな。各々しっかり準備しておけよ」
「あら。随分と力を入れてますのね」
「それだけこの劇団が世間から注目されてるってことだ」
 注目されている。それはそうだろう。
 公演を重ねるたびに実感する。着実にシームルグの名は世界に広まっている。そして同時に、天馬司の名も。去年の主演公演と相違点をあげるならば、掛けられる期待が段違いというところが大きい。
 そんな中でこのキャスティングである。
 類とは共に円満な生活を送っているが、今回の公演に関して一切話は聞かされていない。ともすれば、これはおそらく類からの挑戦状だ。
 むう、と眉を寄せて脚本を眺めていると、不意に類が頬を指でつついた。
「どうだろう。やれそうかい?」
 言外に、君ならやれるだろう? という信頼を感じる。
「無論、最善は尽くす! このオレが演じるからには最高の舞台にしてみせようではないか!」
「フフッ……それでこそ司くんだ。心強いね」
 司の言葉に類はすっと目を細めた。秋の満月の色をした二つの瞳は、そのまま向かいの席の櫻子を映す。
「青龍院くんはどうかな」
「天馬さんと同意見だわ。やるからには最高を作りあげます。……ですが……
……ですが?」
「それぞれの役も然る事ながら、舞台が宇宙というのが、一癖あるように感じられるわね。一般人が宇宙旅行をしたというニュースはたびたび耳にしても、まだまだ雲の上のお話だもの。観客にとっては非日常の世界。その分どれだけ舞台の世界観へ引き込めるか……純粋に、パフォーマンスの質が問われるでしょうね」
 ――ふむ、と類は頷いた。
 先ほど寧々も指摘していたが、シームルグの得意とする分野は群像劇だ。日常の一片を切り取った舞台が多かったこともあり、皆まで描写せずとも背景が観客に伝わるような演技をするのは比較的容易だった。
 一方、非日常の世界観を表現するとなると、演じることの難しさが跳ねあがる。台詞での説明では躍動感がなく、半端な演技では観客を置いてけぼりにしてしまう。どう演じるか。それこそが脚本家と役者の腕の見せ所だが……
 その点、アドバンテージは司にあるな、と類は思う。ワンダーランズ×ショウタイムではこれまで、むしろファンタジーを題材にしたショーが多かったから、役さえ掴めれば彼は得意の順応力で難なく自然に熟してしまうだろう。
 さて、あえて本人とは真逆の性格にしたキャラクター達を、司と櫻子、それぞれがどう作りあげてくるのか。
 ふ、と人知れず類は笑みを零した。純粋に楽しみに思えるのは、彼らの実力を買っているからに他ならない。
「宇宙戦争ということは、我々はこう……アレか? 丸いフォルムのレーザー銃みたいなのを使って戦うのか?」
「ああ……。ふふ。レーザーの剣かも。ほら、映画とかでよくある……
「ぶいん! みょんみょんみょーんってするやつだね!」
「わ……かるがわからーん!」
「宇宙船や重力はどうなるのかしら? 神代さんの演出なら、当然リアリティも追求するのでしょう? 脚本を読む限り、彼らにとっての宇宙は週末のドライブくらい身近なもののように思えるけれど」
 亜麻色の髪を揺らして櫻子が類へ視線を向ける。類は机に肘をつき、コツコツとボールペンの先で脚本を叩いた。
「その点についてはいろいろと考えているよ。でも、現状はお財布と相談だねえ」
「予算、足りないのか?」
「いいや、慶介さんの計らいでこちらはかなり潤沢さ。ただ……
「ただ?」
 司と寧々が同時に首を傾げる。
 類はすっと目を伏せ、やや大げさに悲嘆を露わにした。
「やってみたい演出が山ほどあってね……! だって宇宙だよ、宇宙! 無重力空間を表現するために全員に浮遊装置を付けたいし、バトルシーンの臨場感を出すライティングもいくつか試したいし、今作は特に登場人物の感情の機微が繊細だからね、ひとつひとつ表現したいと思ったら、ああっ……キリが、ないんだ……!」
「あー……
「もはやシームルグの名物ね、神代さんの発狂は……
「程々に頼むぞ、程々にな……
 シームルグは鳳家がバックアップしていることもあって、金に糸目をつけずともやりたいことは大抵実現可能だ。
 だからこそ類は困っていた。この世には『自由』を苦痛に感じる人もいるようだが、その気持ちがいまなら自分も少しわかるような気がした。如何せんなんでもやっていいとなると、あれもこれもやりたくなってしまう。
 頭を抱える類を横目に、司は苦笑いを零した。とはいえ類が演出の部分に拘れば拘るほど、舞台に厚みが生まれるのはたしかだ。
 ふと、ぱちっと類と目が合う。特に意味のない交わりだったが、その一瞬ではちみつ色が蕩けだし、類はふわりと頬を緩めてそっと司に耳打ちした。
……ああでも。やってみたい演出はたくさんあるけれど、プライベートの時間は確保するから……そこは安心してほしいな」
「どういうことだ?」
「やだなぁ、司くんが言ったんじゃないか! 機械にばかり構ってたらヤキモチやいちゃうぞ〜って」
「バッ……‼︎ お、おまっ、……
 ぶわ、と顔に熱が集まるのを感じて、司は思わず声を張りあげた。その一瞬で、類と些細な喧嘩をした春先の記憶が雪崩のように呼び起こされる。
 たしかに言った。類が自分ばかり好きみたいだとか、頓珍漢なことを抜かすので、お前ばかりと思うなと牽制も込めて言ってやった。
 だが、だがっ……いきなりなにを言い出すんだみんなの前で――
 込み上げる羞恥でぱくぱくと口を開閉する司を、一部始終眺めていた寧々がわざとらしくため息をついて冷やかす。
「ちょっと。いま打ち合わせ中なんだから、そういうラブラブアピールは家でして」
「らっ、ぶらぶ、では、なーい!」
「うるさ……
 ふふ、と隣で愉快そうな笑い声が聞こえてくる。なにひとりだけ他人事のように笑っているんだと、司は無性にむしゃくしゃして。熱くなった顔を手で隠しながら類の脇腹を小突いた。
 このやろう、と内心で毒づく。帰ったら覚えてろ、今夜のごはんは野菜づくしにしてやる。料理は週交代の当番制だが、今週は司が担当だ。つまりイニシアチブは自分にある!
 水面下で復讐に燃える司はさておき、そういや、とそこで不意に晶介が思い出したように声をあげた。
「ライリードリームパークに宇宙空間をテーマにしたエリアが新しくできたんだっけな」
「スペースエリアですね。たしかあれも宇宙戦争ものがテーマだったはずだ」
「ほう? ぜひ役作りの参考にさせてもらいたいところだが……。しかしアメリカか……そう簡単に行ける距離ではないな」
 かつての、一世一代、今後の進退のかかった大舞台で。
 フェニックスワンダーランド全体で創りあげたナイトショーを、ライリードリームパークの創設者・ライリーが相当気に入ってくれたという縁があって司達はたびたびパークに招かれては施設を見学させてもらっていた。
 しかし個人的に海を渡るとなるとどうしても国内でなにかするよりフットワークが重たくなる。金銭面の心配ももちろん、司はなによりも空港でのやりとりが苦手なのだ。その分得られるものも大きいし、久しぶりにまた現地でのショーを観たいとは思うのだが……
 うーんと唸る司を見つめて、えむは不思議そうにキャンディのような瞳をまんまるにした。
「ほぇ? どうして? 行こうよ、アメリカ!」
「え?」
「みんなでびゅーん☆ ってライリーさんのところにまた調査隊しに行っちゃおう! ね、晶介お兄ちゃん! いいよねっ?」
「あー。そうだな。行くか、アメリカ」
「えっ」
 ぱちくり。事も無げに告げる晶介とえむを見る。晶介は割合、常識人寄りとばかり思っていたのだが、……いまなんて言った?
 さらに互いに顔を見合わせて、司達は声を張りあげた。
「え――⁉︎⁉︎⁉︎」
 ――その日人類は思い出した。
 普段何気なく接しているこのふたりが、日本有数財閥の子孫――つまりめちゃくちゃ金持ちであることを……


     ■


 ……そんな経緯があって、現在。話は冒頭へと戻る。
「ネネロボ――ッ!」
「茶番はいいから、さっさとパスポート出して」
 飛行機の搭乗時間が迫る中、見送りにきたネネロボと今生の別れとばかりに手を伸ばす司の襟首を、傍にいた寧々が容赦なく引っ張った。
 ――ネネロボ。普段は草薙家で寧々の妹分としてかわいがられている彼女(?)は、類によるこまめなアップデートの甲斐あって、近年ますますロボらしさがなくなっていた。
 Siri顔負けで対話できるし。司も寧々もこわくて聞けていないが、どうやら自己プログラミングもできる上に、車や船、果てはヘリの運転までできるらしい。もはやロボットというよりアンドロイドである。
「ていうか、むしろ司は類のこと止めてほしいんだけど。彼氏でしょ。ネネロボ連れてくるとかホンットありえないから」
 搭乗口までスーツケースをガラガラと引きながら、寧々が司をぎろりと睨む。
 気づけば類とえむ、晶介と櫻子はもう随分先の方を歩いていて、あわや置いてけぼりを食らうところだった。きまり悪く笑う。
「すまん……。今朝方類が『いまのネネロボなら海を渡るくらい朝飯前だよ』なんて言うものだから、つい好奇心が勝ってしまった」
「バカ?」
 かえす言葉もない。
 よよよ、といよいよ嘘泣きを始めた司を終始白々しく見つめていた寧々は、大げさにため息をついて肩を竦めてみせた。
「はあ……。なんか司、年々類に似てきた気がする」
「なに⁉︎ ……そう、か?」
 思いもよらない言葉に瞬く。自分ではまったく意識していないが、長らく類と幼馴染であった寧々に言われると妙に説得力がある。
 類のようになりたいと思ったことはさすがにただの一度もないとはいえ、類と生活を共にするうちに互いの態度や癖などが似通ってきているのだとしたら、それは、なんというか、結構。じゅ、熟年夫婦、みたいじゃない、か?
「なににやけてるの」
「いや……。存外、悪い気はせんなと思ってな……
「やめて。その鬱陶しいオーラ早くしまって」
「はは……
「頬染めないで!」
 染めたくて染めてるわけじゃないんだが⁉︎
 ずんずんと先をいこうとする寧々を追いかけて、司は密かに緩む口元を手で押さえつけた。
 ――しょうがないだろう、好きなんだから。
 うれしくなってしまうに決まっている。いくらプロの役者といえど、この気持ちばかりは簡単に蓋するのが難しいのだ。


 さて、日本からアメリカまでフライト十時間。そこからさらにジャンボタクシーで二時間移動して、緩やかな倦怠感が全身を廻っている。
 それでも煌びやかな正門を前にした途端、疲れなどどこかへ吹っ飛んでしまった。
 華やかなマーチング。四方八方をアトラクションが駆ける音。乾いた風が運ぶ甘くスパイシーな香り。
 五感で得られるすべての情報が、司を含め全員の心を掴んで離さない。
「来たぞ……ライリードリームパーク!」
 入場ゲートの中心。ショッピングストリートのど真ん中に立って、司は高らかに声をあげた。
 するとどこからともなく現れたライリーが、にこやかな笑みを浮かべて恭しく一行に一礼する。お忍びで来たつもりだったが、おそらく晶介かえむあたりが一報入れていたのだろう。
 記憶よりもやや顔立ちは老けたように見えるが、お元気そうだ。
「ようこそ皆さん。ライリードリームパークへ」
「ライリーさん! 今日は見学をご快諾いただき、ありがとうございます! よろしくお願いしますっ!」
「どうぞどうぞ。皆さんならいつでも大歓迎だ」
 ぺこりとお辞儀するえむに微笑みかけ、ライリーは全員に関係者用のタグを配った。チップにそれぞれの生体情報が組み込まれており、これがあればパーク内を自由に出入りできるらしい。
 ライリーと今後の提携について話をするからと別れた晶介を見送って、残された五人は賑わうショッピングストリートを抜け、パークのメインストリートへと進んだ。
 最近開発されたばかりだというスペースエリアはエントランスからそう遠くない。エリアを区切る橋を渡った先。見えてきた飛行場のようなアトラクションに、近くでえむが興奮した声をあげる。
 それなりに列も並んでいたが、関係者ということでファストパス扱いになるらしい。思ったよりも早く入場することができ、係員の案内で薄暗い通路を歩いていくと――拓けたステーションの中心で、ロケットが司達を待ち構えていた。
 係員に手渡された宇宙服にその場で袖を通す。ずんぐりむっくりとしたフォルムがなんともそれらしいなと、司は鏡の前でいくつかポーズを決めてみた。
 ……うむ。宇宙服を着ているときにするカッコいいポーズは、まだまだ研究の余地があるな。
「スペースエリアでは無重力体験ができるのだったか」
「そうだよ。アメリカでは数年前に宇宙ビジネスが始まって、以来多岐にわたってさまざまな取り組みが行われているんだ。無重力体験もそのうちのひとつらしいね」
「聞いたことがあるわ。当初は百万円近い体験料にも関わらず、予約はすぐに満員になったとか」
「それがいまじゃテーマパークのアトラクションで気軽に体験できるのだから、時代の進歩を感じるね」
「と、いうよりも、ライリーさんの企業努力の成果だろうな」
 宇宙服のせいで若干の動きづらさはあるものの、順路通り一行はロケットの中へと足を踏み入れていく。
 窓はモニターなのだろうか。覗き込むと外の発射台の様子が窺えた。
 前触れなく、無機質なアナウンスが機内に響く。
 スリー、ツー、ワン。……ゼロ。
「お、お、おおおお……⁉︎」
 窓に手をついて外を見ていた司は、もくもくとあがる煙に気をとられるうちに、ぷかりと体が浮くのを感じた。
 慌てて振り返れば他の皆も一様に宙に浮いている。この感覚を例えるなら、水中、だろうか。しかしまったく抵抗のない空間では上手く泳ぐことができず、近くの壁を蹴って勢いをつけるしか移動の手段がない。
 これはなかなか……慣れるのに時間がかかりそうだ。
 ふと気づけば、窓の外はあっという間に真っ暗な宇宙だった。
 ぷかぷかと空間を漂って、遠ざかる地球を見つめる。
 地球が青い惑星であることは、もうだれでも知っているような常識であるけれど。それでも、こうして紛い物の映像ですら感動してしまうのだから、実際に宇宙でこの光景を目にした人々の感動は測り知れない。
「すごい……ガンダムみたい」と寧々が感嘆の息を零す。
「ぷかぷかふわふわのぽよよ〜んだね!」
「フフ。あんまりぽよよんすると危ないよ、えむくん」
 徐々に無重力空間に慣れてきた類は、天井間近でぼーっと揺蕩う司の元へ行こうと地面を蹴った。
「司くん」
「む」
 ヘルメット越しに、司の瞳が類を捉える。貴重な無重力体験に、えむ同様もっと騒ぎ立てるものかと期待していたが、存外、司は淡々と重力のない世界を味わっているようだった。
「どうだい。無重力は」
「ううむ……、すまん、上手く言葉に表せん」
 おや、と類は瞬く。司にしては随分と頼りない声だった。
「しかしこの状態で敵と戦うのは、なかなかに苦労するな、とは思う……
「そうだねぇ……。とすると、武器はライトサーベルより光線銃の方が勝手がいいかな?」
「そうだな……
 ならばやはりあの丸っこい銃を使うべきか。そう言って、司は顎に手を当てようとして――そうしてようやく、ヘルメットの存在を思い出した。
……
 きまり悪そうな司に向かって、類がおもむろに手を伸ばす。腕を掴んでみても、宇宙服越しではその輪郭を感じられない。
 視線を下に向ければ、えむ達は外の景色に夢中のようだ。それなら、と類は体を起こし、ごつ、と司にヘルメットをぶつけた
「る、類……?」
「この距離、少しもどかしいね」
――
 こんなに近いのに、キスのひとつもできやしないし。
 抱き締めたって温もりを感じられない。司がいまなにを思って、なにを感じているのか知りたくて仕方ないのに、類と司を隔てる二枚の壁がそれを邪魔するのだ。
 宇宙って――孤独だ。
 視界の端でキラキラと星が煌めいている。ふたりで所在なく揺蕩いながら、それを見つめる。
 たまらなくなって、思わず司の体を抱き締めた類を司は咎めなかった。
 ごつ、とまた、ヘルメットがぶつかる。長い睫毛がしばたいて、はちみつ色の眼差しが絡み合った。
……おい。何故照れる」
「いやぁ……顔が近いなあって」
「い、今更だろうが……! やめろ、頬を染めるな、こっちまで照れる!」
「フフフ……
 キスができれば、目を瞑ってしまえるのにね。
 そう言って微笑む類を、司は不満そうに唇をへの字に曲げながら見つめ返した。
 すり、と触れ合わせた手の甲。春から夏へ、季節が移り変わったいまも、左手の薬指は空いたままだ。
 もどかしいだとか、そんなことを言うのなら。早く予約のひとつでもしてくれ、と内心思う。けれど、言わない。
 類の言葉で聞きたいから、待つと司は決めているのだ。
 結局ロケットが着陸するまでの間、ふたりはほとんどの時間を抱き締め合って過ごしていた。
 そんな姿を、まさか寧々達に「なにやってんだか……」「今日も仲良しさんだねえ」「そうね。羨ましい限りだわ」と微笑ましく見守られていたとは、知る由もなく。


――うおおお、か、体が……! 重い!」
「類、わたし達が演じる星の重力は地球と同じくらい……?」
「そのつもりだよ。つまりこれが、宇宙船から降りたときの感覚ということだね」
「ふーん……なるほど、ね……
 ロケットのアトラクションを降りるとすぐさまずしりと伸し掛かった重力に、司は大げさに前のめりになった。
 体が重すぎて真っ直ぐに歩けない。やっとの思いでスペースエリアを脱した司達一行は、ふらふらと近くのベンチに腰掛けた。
 すごいな、地球人は。とまるで自分は地球人ではないかのような口ぶりで司が話し始めるので、隣に座っていた寧々は思わずくすりと笑ってしまった。櫻子も肩を竦めて、小さく苦笑を漏らす。
「天馬さんとの殺陣は工夫が必要ね」
「同感だ。何度かそこ中心に稽古した方が良さそうだな……
 脚本の中では、オルカとサーペント、それから宇宙モンスターとのバトルシーンも見所のひとつとしてある。
 ――いまのうちに互いのスケジュールを擦り合わせておくか、と司が鞄に入れていた手帳に手を伸ばしたそのとき。
 ふと、ざわざわと喧騒が近くで起きているのに気がついて顔を上げた。
「なんの騒ぎだ?」
「向こうの方みたい。えむ、そっちから様子見える?」
……
……えむ?」
 返事がないのを不思議に思い、騒ぎの方をじっと見つめるえむを振り返る。
 まんまるで、好奇心が人一倍旺盛で、小さな子供のように世界は輝いていると信じて疑わない瞳。甘ったるいキャンディをそのまま嵌め込んだみたいな、そんなえむの二つの目は。珍しくどこかぼんやりとしていて、司は首を傾げた。
 いくらスペースエリアのアトラクションの直後とはいえ普段のえむなら、無重力体験の直後だろうと三半規管デッドエンドまっしぐらのジェットコースターのあとだろうと、ぴょんぴょん跳ねて跳ねて跳ねまくって元気を有り余らせているに違いない。
 それがいまはどうだ。寧々や櫻子ほどぐったりはしていないが、心なしか顔色が悪いようにも見える。
 司は寧々と顔を合わせて、そっとえむの顔を覗き込んだ。
「えむ、先ほどから静かだが大丈夫か? お前に限ってありえんと思うが、もし酔ってしまったなら
「えっ、ううん! なんでもないよ! 酔ってもないし、元気いっぱい!」
「そうか……?」
 はっとしたえむがぱっと笑顔を貼り付ける。勢いに気圧されて頷いてしまったが、その笑顔はどこか不自然だ。
 ぱち。と、頭の片隅でなにかが明滅する。
 ――大丈夫だよ、お兄ちゃん!
 脳裏に蘇る、鈴のような声。彷彿させられたのは、無理して笑う幼い妹の姿。
 司はほとんど無意識に眉間に皺を寄せていた。
――……、」
「天馬さん。あちらではなんだかトラブルが起きているみたいよ」
 櫻子がぽんと司の肩を叩く。示された方向へ視線を向けると、キャスト達が皆困った顔でアンプスピーカーのようなものを囲っているのが窺えた。
 鞄のポケットに突っ込んでいたマップを広げる。ここはちょうどスペースエリアとジャングルエリアの中間地点。子供向けのアトラクションやショーステージが集まる、キッズエリアの入り口だ。
「あー、め、メーアイヘルプユー?」
 困っているとなれば同業者として放ってはおけない。
 駆け寄って司がたどたどしく声を掛けると、振り返ったキャストのひとりが目を見開いて「OhMr.Tenma!」とぱっと顔を輝かせた。
 何故オレの名を? と司がまじまじとその顔をよく見れば、たしかになんだかどこかで見た覚えがあるような気がしてくる。
 これでも人の顔を覚えるのは得意な方なのだが……。記憶の糸をめいっぱいに手繰り寄せて小さく唸る。ううむ、この顔は、……そうだ、はじめてナイトショーを披露したときにライリーと共にフェニックスワンダーランドの視察に来ていた男だ。
 なるほどたしかに、ライリーの部下ならばライリードリームパークで働いていてもなんらおかしくはない。
――――……――
「ほうほうなるほど。……さっぱりわからん!」
 言葉尻を拾うに、彼は英語で状況を丁寧に説明してくれているようだが、如何せん流暢すぎて英検準二級が限界の司は頭上にハテナが飛び交った。
 こういうときは。つい癖で類を振り返ってしまう。
 透明な瞳と視線が合う。類は皆まで言わずとも任せておくれ、と一言頷いて、一歩、司達の前に出た。
「ふむ……。どうやらキッズショーで使う機材が一部動かない事件が発生しているようだね」
「なに! 類、どうにかできんのか」
「簡単に言ってくれるねぇ……。もちろん直せないことはないと思うけど、設計を見て修理して動作確認、となるとショーの時間までに間に合わせるのはさすがの僕でも難しいな」
「そうか……
 どうしたものか、と腕を組む。
 名を覚えてくれているということは、自分達のショーが彼の心にも響いたのだろうと司は推察する。つまり、彼はオレ達のファンも同然だ。そして目の前に困っているファンがいるならば、彼も笑顔にしてやらねばという使命感がふつふつと湧いてくる。
 ……だがしかし、どうやって?
 むむむと唸る司を横目に、類はふ、と相好を崩した。
 腕時計を見下ろせば、ショーの開演時間はもうまもなくのところまで迫っている。リペア業者はすでに到着しているが、機材修理が完了するまではおよそで見て三十分。
 その間、自分達にできることといったらもう、ひとつしかないだろう。
「司くん」
 なんだ? と振り返った司の眼差しは、ひどく透き通っていた。類を信頼し、類ならこの状況も打破できると信じて疑わない顔だ。
 その信頼に匹敵する実績を、類は長年かけて積み上げてきたと自負している。
 それはもちろん……いまだって。
「時間を稼ぐことは僕達にもできるよ。ほら……ライリーさんも、もうそのつもりみたいだ」
 類が示した先へ視線を向ければ、トラブルと聞いて駆けつけたライリーがにこやかな笑みを司に向けている。
 柔和でありながら、先のことまで見通しているかのような眼差し。目を細め、ライリーは司に向って手のひらを差し出した。
「君達を一流の役者と見込んでお願いしたい。機材点検が終わるまでの間、どうかこの場を繋いではくれないだろうか」
――!」
 きら、と司の瞳が輝くのを、類だけは見逃さなかった。
 昔からそうだ。逆境が舞い込めば舞い込むほど、我らが座長の持ち味は光る。
 司が、困ったときは類頼りになってしまうように。類達もまた、こういうときは司がなんとかしてくれると信じている。
「任せてください!」
 案の定声高に請け負った司に、えむは頬を紅潮させ、寧々と櫻子はやれやれと肩を竦めながらも、こうなることがわかっていたかのように口元を緩ませた。
 ――屋外ショーステージの裏に集まって、軽くショーの段取りを決める。
 時間は機材修理が完了するまで。およそ十分から十五分。その間、本命のショーを楽しみに待っている子供達を飽きさせないように、別のショーで場を繋ぐ。
 衣装はライリードリームパークのものを借りることにした。スペースエリアの近くだったので、どこか近未来風のヒーロースーツだ。
「類、いけそうか?」
 ばさりと。音を立てて白衣を羽織る類を、司が振り返る。
 突貫の、ほとんどアドリブで進行するショーだ。当然、緻密なシナリオは用意できないので、勢いでこの場を押し切るほかない。
 日本とは離れた異国の地。類のお手製のロボもドローン達もここにはないのだ。しかし司の心配をよそに、もともとある舞台装置をいくつか触りながら、類はにやりと口角を上げてもちろんさ、と頷いた。
 そもそも。ロボがいないだなんて、いったいだれが言ったんだい?
「司くん、僕はね……こういうこともあろうかと、常に余念なく準備をしているんだよ――言っただろう。いまのネネロボは、海を渡るくらい朝飯前だと!」
「な、なに……⁉︎」
「さあおいで! ネネンガーV!」
「なんだとおおお――⁉︎⁉︎⁉︎」
 高らかな類の呼び声と共に、司達の上に影が落ちる。
 慌てて全員が顔を上げると、なんと青空を背景にこちらへ飛んでくるネネロボの姿があるではないか!
 嘘でしょ、と寧々が驚嘆を零す。まさかこんな形で空港でのフラグが回収されるだなんて思ってもみなかったのだ。
「フフッ、さあ、楽しいショーを始めようじゃないか! ――『大変だー! 怪人エムゥが現れたぞー!』」
 突然、前触れなく類が声を張りあげれば、観客席がつられてざわめき出す。その掛け声がショーの合図だった。
 もう始めるのか⁉︎ と司は慌てて自分のポジションへと急ぐ。心の準備もなにもあったものじゃない。
 ――まったく、後先考えないで開演するなんて。いったいだれに似たのだか!
 ふっ、と思わず笑みを零し、ゴーグルを装着する。
 ショーはすでに始まっている。持ち場についた司は一度きつく目を閉じ、ぱっと見開いた。
 ライティングされる舞台。突如ステージに現れ、自由に暴れ始めるえむに子供達はすっかり釘付けになっている。寧々と櫻子がステージの前へ立ち、英語で客席の子供達に呼びかけて。
「みんな、力を貸して! わたし達と一緒にヒーローを呼びましょう!」
「せーの、ヘルプミー! ペガサス・ザ・シャイニング!」
 四人の眼差しが司へと向けられ、司は不敵に笑みを浮かべた。
――ハーッハッハッハ! とぉッ! ハロー、エブリワ〜ン!」
 ネネロボと共に派手に登場した司が、そのまま大振りな動きで客席の視線を集めていく。
「世に蔓延る悪はこのオレ、ペガサス・ザ・シャイニングとネネンガーVがすべて成敗してくれよう!」
 びし! とえむを指差し、司もまた華麗にステージへと登って。えむを追い詰めようと追いかけるが、しかしなかなかすばしっこく捕まらない。
 ネネロボと共に挟み撃ちしようとしてみても、えむは軽々とそれを飛び越えてしまい、司とネネロボは派手に激突してしまった。
 ごちーん! 大げさなSEが場内に鳴り響く。音のタイミングはばっちりだ、さすが類である。傍にいなくても、いま、類と呼吸が、気持ちがひとつになっているのがわかる。
 ……これだからショーはやめられない!
「クッ、この怪人、強い……! みんな、オレがあいつに勝てるよう一緒に魔法の言葉を言ってくれ!」
「?」
――いくぞ!」
 すう、と息を深く吸い込んで。
 司は天高く、宇宙の果てまで届くほどに声を轟かせた。
「エビ、バディ、セイッッッ! わんだほおおおーい!」


     ■


――大盛況だったな!」
 夕暮れの道を並んで歩きながら、司は機嫌よくぐっと拳を握った。
 あのあと。機材トラブルが解消するまでヒーローショーを完遂した司達の周りにはいつの間にかちびっこ達が集まっていて、何故かペガサス撮影会が始まってしまった。
 もちろんその後のステージもボルテージ最大。過去一番の盛り上がりだったとライリーにも褒められ、気分はすっかり有頂天である。
 浮き足立ってホテルへの道を進みながら、ふと司はアメリカの街並みに視線を向けた。
 言語は通じないし、文化も歴史も日本とはまったくちがう国だけれど。パッションがあれば案外通じ合えるし、英検準二級だろうとどうとでもなるものだ。
 まあ……類くらいぺらぺらと英語がしゃべれたらカッコいいので、語学の勉強は引き続き頑張っていこうとは思うが。
 余程ショーが楽しかったのか、前を歩くえむの足取りも異様なまでに軽い。
 ………………。いや、なんだか軽すぎないか。ふわふわしているというか、軸がないというか。
「子供たちみーんな喜んでたねっ! えへへ……
 声は明るく元気だというのに、ふらふらと気を抜けばそこらへんの生垣に突っ込んでしまいそうな蛇行っぷり。
 類と司、そして寧々と櫻子が異変に気づいてそれぞれ顔を見合わせる。
 居てもたってもいられず、寧々が駆け寄ってえむの肩を軽く叩けば。
「ねえ、えむ、大丈夫?」
「ほぇ? 寧々ちゃんが……三人……
「え?」
 ふらりと。
 えむの体がゆっくり、傾倒していく。
――!」
 スローモーションに映るその光景に、司は目を瞠った。
 刹那、頭の奥底に眠っていたいつかの記憶がフラッシュバックする。
 ――大丈夫だよ、お兄ちゃん!
 そう言って無理やり笑った少女の声が震えていたのを、オレは、覚えている――
 ばたーんと大きな音と共にえむが倒れ、寧々はさっと顔を青ざめさせながらえむの元へと駆け寄った。
「えむ⁉︎ えむ、しっかりして! 司、えむが!」
 ものすごい勢いで倒れたが、幸いにも外傷はないようだ。けれど完全にえむは目を回しており、その頬はりんごのように赤い。
 寧々は内心焦っていた。どうしよう、こういうときどうすればいいの。なんだかえむの体、すごく熱い。これ、熱出てるんじゃないの。
 縋るように咄嗟に司を振り返る。けれど司は驚いたように茫然とえむを見つめるばかりで、微動だにしない。
――
……司⁉︎ 聞いてる⁉︎」
「ハッ……すまん! えむ、大丈夫か⁉︎」
 焦れた寧々が再度声を掛けると、ようやく我に返った司が動き出した。
 脳震盪を懸念して、こういうときはあまり激しく揺さぶらない方がいいだろう。しかし人通りは少ないとはいえ道の往来。このままでは通行の妨げになってしまう。
 司は類に目配せし、司は足、類に上体を抱えてもらって、せーのでゆっくりえむの体を端へと寄せた。
 ぺちぺちと頬を叩いて寧々と櫻子が呼び掛ける。一応意識はあるようで、ワンテンポの遅れたあとに、弱々しい声が喉から絞り出された。
「うう~……世界がぐるぐる〜ってしてるよぅ……
「バカ! ほんっとバカ! すごい熱じゃない! どうしよう、救急車……? アメリカでも119って繋がるの……?」
「その前に保険会社に取り次ぎの連絡をしないといけないね。海外の医療機関は日本とは勝手が違うから」
「もうホテルが目と鼻の先なのが、不幸中の幸いかしら……。とにかく一刻も早くえむさんを安静にできる場所へ。天馬さん、」
「ああ、すぐにえむの兄に連絡をとる。類、えむのこと背負えるか?」
「もちろんさ」
 類がえむを背負うのを手伝って、司はポケットに入れていたスマホを取り出した。
 ディスプレイが明るく光る。司の待ち受けは、いまも昔も変わらず家族写真だ。
 花のように笑う妹の姿を見下ろし、どくどくと嫌な音を立てる心臓をいなす。
……
 目の前で。幼い咲希が気を失う瞬間を、未だに鮮明に思い出せる。思い出せてしまう。……もう、随分と過去の話だというのに。
 知らない間に震えていた指先に気がつく。いつの間にかシャツがびっしょり濡れるほど汗をかいていたらしい。
 耳鳴りがする。
 はあ、と小さく息をついて、司はこめかみに手を当てた。
――……克服したと、思っていたんだがな……


     ■


「大丈夫かい」
 ホテルのベッドに大の字で寝そべり、ぼんやり天井を見ていた司に、類はそう声を掛けた。
 部屋のドアの閉まる音がする。
 司はゆっくりと上体を起こし、癖のついた後頭部を撫でつけた。
 部屋に射し込んでいた夕陽はすっかり宵に溶け落ちている。それさえ気づかないほど、考え事に耽ってしまっていたようだ。
 隣に腰掛ける類に、顔だけ向ける。
「えむは?」
「容態は落ち着いてるよ。ウイルス性の心配もなく、一過性のもののようだ。少しはしゃぎすぎてしまったのかもしれないね」
「そうか。よかった。……皆でこうして出掛けるのは久しいからな」
「お互い、いまは個人の仕事も忙しいしね」
 ――だから、君が気づかないのも無理ないよ、と。
 多分類はそう言外に含めていた。そのことに気づきながら、司はそれには答えず再びベッドに体を預ける。
 ベッドのスプリングが司の体重を受けてぎしりと音を立てた。
 ……忙しい、だなんて言ったって。
 フェニックスワンダーランドが今後世界的に大きくなるならば、幼い頃からの夢であったスターにもまた近づけるというもの。そのための忙しさならまったく苦にはならない。宣材の撮影だって、広告塔だって、なんだってこなしてみせよう。
 だがえむは大学に通い、かつフェニックスワンダーランドのキャストもしながら、兄について回って経営も学んでいる。そのうえシームルグの舞台監督も任されているのだ。
 知識があれば、ああしたいこうしたいを実現させられるからと。ずっと類の手を借りていたけれど、自立もしたいのだと一丁前なことを言っていた彼女の姿は、司の記憶にもまだ新しい。
 子供の巣立ちは早くて、あっという間に手がかからなくなる。頑張る彼女の意思を尊重したかった。モチベーションを折るような真似はしたくなかった。言い訳なんていくらでもできる。でも……、明らかに、オーバーワークだっただろうが。
 えむなら大丈夫とすっかり慢心していた自分を殴りたい。そんなはずはないのに。あの小さな体で、抱えられる量なんてたかが知れているのに。
 それを、自分は、だれよりもわかっているはずだったのに。
「さてと。ふたりきりだよ、司くん」
……
「僕相手に隠し事はなしだろう? えむくんが倒れたとき、なにを考えていたんだい」
……やはりバレていたか」
 苦笑した。類だけではない。あの時咄嗟の判断が遅れてしまったことを、きっと寧々と櫻子も訝しんでいた。
 類が長い脚を組む。これは、徹底的に話し合おうとするときの類の癖だ。表面上は優しく微笑んでいても、これで結構頑固なヤツだから、司が折れて話すまで類は姿勢を崩そうとはしないだろう。
 司の瞳が揺らぐのを、類が見逃すはずもなかった。
「少しは僕に甘えてくれてもいいんだよ。そんなに頼りないかな?」
「そういうわけでは……
……
「類にはいつも、助けられている。十分甘えさせてもらっているつもりだ」
 うん、と類が先を促す。
 嘆息し、司はゆっくりと体を起こした。
 類の手に自身の手のひらを重ね合わせる。指を一本ずつ開き、絡めると、何故だか呼吸が少し楽になる気がする。
 温度の低い類の手が好きだった。華奢な見た目でありながら、意外とごつごつしていて骨張っているのも、浮き出る血管も、機械を扱う過程でできたであろうマメも。
 この手が生み出す魔法に、司はいつも土壇場で助けられる。だからだろうか。心のどこかで、類がいれば大丈夫、類ならなんとかしてくれると――そう、思ってしまう瞬間もたしかにあって。
「むしろ、これ以上お前に甘えたら……ダメな大人になってしまいそうでな」
「へえ」
 何気ない相槌に、僅かに喜色が混じるのを感じる。
 類の手が司の腰を這って。引き寄せられれば、自然、ふたりの距離が近くなった。
 そっと不器用に類の肩に額を乗せる。呼吸の音が近くなる。類が身じろぐと、髪が触れ合って、それが少し、こそばゆい。
「それはぜひとも、なっておくれよ」
「嫌に決まってるだろう」
「どうして?」
 司の頬を指先で優しく撫でて、類が眉を下げる。どうして、と聞かれても。情けないからと言うほかない。
 えむも寧々も櫻子だって日々前進している。天馬司だってそうだと、彼女達に胸を張れる自分で在りたい。それは司にとっての矜持だ。
 類は暫し逡巡する様子をみせて、ふ、と表情を緩めた。
……司くん、春に言っていたことを覚えているかい?」
「春?」
「ぼたもちくんをうちで預かっていたときのことだよ」
 瞬く。
 ぼたもちは――春に一か月と少し家で預かっていた、彰人の同僚の犬だ。彼女はとても人懐こくて、世話はそれほど苦ではなかったが、あまりに司がぼたもちばかり構うので類が拗ねて一悶着あったのだ。
 忘れるはずないだろう、と頷けば、類はそうかい、と口元に笑みを浮かべた。
「僕はもう、司くんがいないと生きていけないのに。君は僕に寄り掛からなくても生きていけるなんてフェアじゃないと思わない?」
「そ、そういうものか……?」
「そういうものさ。持ちつ持たれつ、僕達は一連托生だろう? 思う存分にダメになるといいよ。そのくらいの愛情を、僕は普段から君にもわかりやすいように向けているつもりだよ」
 ふに、と類の唇が頬に触れる。
 乾燥したそれが皮膚に触れるとちょっぴり痛くて、司は舌を伸ばして湿らせてやった。
 ふ、と息が漏れる。お返しに軽く唇を舐め返されて、むず痒くなった。
 類は甘えるのが上手い。毎回これに絆されてしまう。自分も、類のようにできたなら――
 ――「なんか司、年々類に似てきた気がする」
……あ)
 そうか。……類の真似を、すればいいのか。
「好きだよ、司くん。君の不安は僕が全部取り除いてあげたいほどにね。だから……教えておくれよ、君のこと」
 少しずつ。
 体重を掛けられて、迫る類に特別抵抗しないまま、司はゆっくりベッドに沈んだ。
 ふかふかのベッドは簡単に類と司を飲み込んでしまう。
 司の上にのしかかる類を見上げて、その柔らかい眼差しを、降り注ぐ愛情を受け止めれば。強張っていた気持ちがほぐれていく。
 ぐっと唇を噛み締めて、司はらしからぬか細い声で、小さく、胸のうちのわだかまりを吐露した。
……昔の咲希を思い出していた」
 えむが倒れた瞬間、複雑な感情が入り混じって咄嗟に動けなかった。
 久しく忘れていた感情だった。司にとって死の概念はあまりに身近過ぎて、本当なら忘れてはいけないものだったのに。そのくらい、いまが幸せだったから――すっかり頭の片隅にしまいこんでしまっていた。
 努力せずして成功は成しえないが、努力が必ずしも実るわけではないことを、よく知っている。
 掴んだ手を離せば、大切なひとがどこか遠くへ行ってしまうんじゃないかって、そんなおそろしさがいつまでも影のように追ってくる。
 それは明確に、司の弱さだった。
 いまは咲希もすっかり快復して、幼馴染と組んだバンド活動を楽しそうにしている。プロを目指して、インディーズとして活躍もして、幼馴染達も咲希が無理をしないよう司の代わりに見てくれている。
 だからあれはもう、ありもしない幻影だ。それでも、司は神様を信じていないから。運命を信じていないから。祈ったところで、簡単に人は死ぬから。
 うっすらと瞳に膜が張る。だから、見逃しちゃいけない。どんな些細なサインでも、見落とすわけにはいかなかったのだ。オレだけは。
 胸中を渦巻く感情の正体は、たぶん、自責だった。
「まあ、なんだ……兄バカですまん」
「いいじゃないか、兄バカ」
「ぐえ」
 類は眦を和らげ、司の上に圧し掛かった。自分より体格のいい男に押しつぶされ、司の喉から潰れたカエルのような声が出る。
 るい、とその名を呼べば、類の手が伸びて司の髪を優しく撫でた。
 まるで幼い子供にするみたいな仕草に、少しだけ、涙腺が緩んでしまう。
「僕は、君のそういう……一途で優しいところに惹かれたからさ」
……
「君はいいお兄さんだよ。きっとえむくんと寧々も同じように思ってるんじゃないかな。……欲をいえば、僕にだけはお兄さんじゃない司くんを見せてほしいと思うけれど」
……あげただろう、それは、もう」
 首を逸らして。類の手を取って胸に当てれば、類の喉が不自然に上下した。
「オレの情けない姿まで、全部。見せてやっただろう。お前には」
……ああ。だから僕にはなにも隠さなくていいってことだよ。君のカッコ悪いところも、弱いところも」
 類の言葉にどう答えるべきか。迷った末に、結局司は口を噤んだ。いまはなにを言っても泣き言になってしまう気がして、それを素直に晒すのはまだ憚られた。
 それでも、司の緊張した心の大部分は類によって融かされていて、ズキズキと傷む胸も、嫌な記憶も、不安も、一緒くたに滲みだしているのを感じている。
「いま僕にどうしてほしい? 君の望みなら、なんだって叶えてあげよう」
……なんでも?」
「もちろん! だって僕は、君のための錬金術師だからね」
 これはまた、随分と懐かしい役を持ち出してきたものだ。
 司はふっと笑って、そうだな、と小さく頷いた。
 ――類の言う通りだ。司が類の期待に応え続けてきたように、類もまた、決して司の期待を裏切らない。
……。なら……抱き締めてはくれないだろうか」
「おや、想像以上にかわいいお願いをされてしまったな」
「だれかさんに感化されたんだ。……茶化すならいい」
「フフッ……まあそう拗ねないで」
 衣擦れの音がして、宇宙服では感じられなかった体温に、じわりと心が溶け出していく。
 ――不思議だ。類の腕の中はどうしてこうもほっとするのだろう。
 瞳が揺らぐ。目の奥が熱くなる。全部、ぐっと飲み込んで、司は類の胸元に擦り寄った。
……こうしていると……
「うん」
「類の鼓動が伝わってきて、安心するんだ」
「うーん……それはなんだか筒抜けで少し恥ずかしいような気もするけれど……
 類が苦笑しながらあやすように司の背を叩く。――とん、とん。早すぎず遅すぎない、一定の速度が心地いい。
 わがままだって、ゆるされるような。そんな気がしてくる。
――……類。オレを差し置いて、星にはなるな」
「!」
 司の言葉を正しく受け取った類は、はっと目を見開いて。ふわり、いとおしそうに表情を緩めた。
「約束しよう」
「え」
「君を独りにはしないって誓うよ」
――
 今度は司が目を見開く番だった。
 荒唐無稽な話だ。類がどう頑張ったって、人の寿命までは変えられない。変えられない、はずだ。……だけど。
……そうか。類が言うなら、本当に現実になりそうだ」
 ふにゃりと頬が緩む。これまでだって類は思いもよらない方法で窮地を切り開いてきた。だって、あのネネロボが空を飛んで、海を渡ってきたんだぞ。思い出して、小さく笑い声が漏れる。
 類が言うのだから、それは、それだけで、信じてみる価値がある。
 神様にだってなれるやもしれん、と、思えてしまう。
 類は薄く微笑んで、司の頬に唇を寄せた。額、眦、鼻先と順番にキスの雨を降らせる。そのたびに司はきゅっと目を瞑って、むっと唇を尖らせた。
「口にはしてくれないのか?」
……うーん、これ以上は抱きたくなってしまうからね」
「なに! それは困る」
 すぐ隣の部屋ではえむが休んでいるし、寧々と櫻子がいまも懸命に看病してくれているのだ。司は慌てて類を引き剥がした。
「オレのことは日本に帰ったら存分に堪能してくれ!」
「おや、甘えたモードはもうおしまいかい? フフ……僕の恋人は待てが上手で困るねえ」
 ――そんなこと言って、全然困ってないくせに。
 射し込む月明かりから隠れるように、類が部屋のカーテンを閉めきる。
 ふたりでひとつのベッドに潜り込んで、体温を分け合って。互いの呼吸がひとつになる頃、司はゆるやかに意識を深い底へと手放した。
 大丈夫だよ、と声がする。あたたかくて優しい声だ。
 それだけで、朝日の昇りがいつもよりもずっと待ち遠しく感じた。


      ■


 さて、翌朝にはすっかり全快したえむに、ほっと胸を撫でおろすのも束の間。
 元より突発的な旅行だったため――今日は予定通り日本へ帰国すべく、現在はジャンボタクシーで空港までの道のりを移動中である。
 先ほどまでは全員でトランプゲームに興じていたが、あまりに晶介と司の泥試合が続くのですっかり飽きてしまった。
 読書に、携帯ゲームに、ご機嫌なハミング。各々が好き勝手過ごす中で、流れる景色を窓越しに見つめながら、司がぽつりと呟く。
「しかし……何度来ても勉強させられてしまうな、ライリードリームパークには」
「そりゃあ世界屈指のテーマパークだからね」
 司の隣で類が頷く。
 一方でゲーム機を触っていた寧々も、司に同意するように小さく口を開いた。
……ちょっと悔しいかも。わたし達も確実に成長してるのに、その間にライリーさん達はもっともっとすごい舞台を作ってるわけでしょ」
「ならばオレ達も、もっともっとすごい舞台を作るまでだ」
「そんな簡単に…………ううん。そうだね」
 まだまだ上には上がいるけれど。歩みを止める気はさらさらないのだ。
 窓の外を見つめる司の口の端が吊り上がる。
 過ぎ行く街の人々は司に見向きもしない。……いまはまだ、司の名を知らない者の方が多くても。子供達が元気よく「ペガサスー!」と呼んでくれるのなら、司はこれからも何度だって夢に挑戦し続けられるのだ。
「あ、た、し、も――‼︎」
「わっ、ちょっとえむ、急に抱きついたら危ないでしょ。一応病みあがりなんだから……
「あたしもっ! あたしももっともっといーっぱいがんばる!」
「!」
 きらきらと瞳を輝かせてえむが高らかに宣言する。
 頬の紅潮は、きっと病みあがりのせいではないだろう。春の日向のような柔らかい笑顔を見つめ、司も類も、寧々も、櫻子も、えむの次の言葉を待つ。
「がんばって、がんばって……みんなでがんばれば、地球だってびっくりにっこりしちゃうようなすっごいショーができちゃうよね!」
 ――地球だってびっくりにっこり、か。
 ふふ、とだれよりも真っ先に類の口元が愉しげに緩む。なにも言わずとも、きっとその頭の中はロマンチックでエキサイティングな演出案に染められているのが、手に取るようにわかる。
 えむは身を乗り出して前の席の櫻子の顔を覗き込んだ。ガタンと車体が揺れ、じっとしろ、と晶介の怒号が飛ぶが、気にする素振りはない。
「ね、ね、櫻子ちゃん! いっぱいがんばろーね!」
「ええ、そうね。まずは次の舞台、頑張りましょう」
「おー!」
 まったく、つい昨日倒れたとは思えんほどの元気っぷりだ。……頑張りすぎて熱まで出したというのに、それだけじゃへこたれんのがえむらしい。
 背もたれに背を預け、息をつく。
 途端に欠伸が込みあげて、司は口元を手で覆った。
……司くん? 眠いのかい」
「んー……空港に着いたら起こしてくれ……。肩、借りる……
「いいよ。任せて」
 肩に乗る重みを感じながら、類はそっと脚を組み直した。
……えむくんが元気になって安心したのかもしれないね)
 笑顔に囲まれると安心して眠たくなるのは、まるで司のうちなるセカイに住む彼女のようだとも思う。
 ショーを観た人達をひとり残らず笑顔にしたい。そんな司の想いは、セカイは、いまも色褪せることなく存在している。きっと今頃、あちらのセカイの彼女も、すやすやと心安らかに眠れていることだろう。
……、」
 類はそっと司の手を取って、指を絡め合わせた。
「次の舞台、必ず成功させよう。……なにはともあれ、お疲れ様」
 首を傾けて、司の額に唇を寄せる。キスをしたかったけれど、体勢的にちょっと届きそうもなかったので――代わりにちゅ、とリップ音を鳴らせば。
………………〜〜っ寝かせろ、ばか類……
「フフ。おやすみ」
 いじけた声に、愛しさはいっそう、積もっていくばかりだ。