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離さないって約束してね(フォ学?オーカイ)

魔法舎軸で<大いなる厄災>にボロ負けし、フォ学軸に転生?した話。鬱展開ですが愛だけはある。頂いたリクエスト「死ネタ」を元に書いたもの。ありがとうございました!

※ 以下の描写が含まれます:主要登場人物の死、流血、身体欠損、石食い、モブに対する/からの暴力
※ 以下の言及があります(詳細な描写はありません):性行為、主要登場人物に対するモブからの性暴力
※ この話はフィクションの二次創作であり、実際の出来事とは関係ありません。



 カインの色違いの瞳が僕を見つめている。恋する者に特有の、甘ったるい陶酔を浮かべて。
 ぼんやりと脳の裏側に言葉が浮かぶ――夢みたいだ。悪い夢みたいだと言ってやりたいような気もしたし、この瞬間ぐらいは素直に認めてもいいような気もした。胸のなかを探っても苛立ちやモヤモヤはなくて、鼓動は高まっていて、歌いだしたいような、踊りだしたいような気分だと。
 悪くない。全然、悪くなかった。


 合併後の祝賀式兼オリエンテーションで、彼の姿を初めて見たときから気になっていた。というか、気に障っていたというのが正しい。
 単位を人質に取られ、しょうもない学校行事に無理やり出席させられた僕は、ずっとイライラしていた。退屈な来賓の挨拶、学園長の訓話という名の花火大会(馬鹿じゃないのか?)、それから新入部員勧誘の名目で繰り広げられる低レベルな学芸会。この学園の出資者である双子が生徒になりすまして同じ列に座っていなければ、僕は居眠りをしていただろう。
 舞台上にカインが立ったときも、僕は学帽を目深にかぶっていて、ほとんどそちらを見ていなかった。面の後ろからひとつに結った髪が覗いていることに気がついて、長髪の男が主将を務める剣道部など、暇な高校生たちのお遊びにすぎないと内心嘲笑っただけだった。
 模擬試合が始まった途端に、講堂は水を打ったように静まり返った。剣道のことなど何も知らない僕にもわかった。後輩の技を軽々といなして反撃するカインの動きには無駄がなく、舞っているように優美なのに、なにひとつ取り逃がさずに敏捷で……つまるところ彼は剣の天才だった。いつの間にか、その姿を食い入るように見つめていた。
 試合を終えたカインが面を外して気がついた――僕と同じ瞳の色だ。それを知ると、どうしてか腹が立ってきた。歯を見せて笑った顔も、「剣道に興味のあるやつは誰でも歓迎する」と言った朗々たる声も、勝利の余韻に揺れる赤い髪も。なにもかも腹が立った。
 その後、顔を合わせるたびに絡んで嫌味を言ってもカインはまったく堪えた様子を見せず、それどころか笑顔で話しかけてきて、挙句の果てに「俺たちって生き別れの双子なんじゃないか」なんて言いだすものだから、ますますムカついて仕方がなかった。
 ぜんぶが大嫌いで――


 カインが僕の頬に手を添える。よそ見をしていたことを咎めるようにちょっと唇が尖って、それから彼のほうこそ視線を逸らして軽くうつむいてしまう。頬が赤く染まる。
……シャワー、浴びるか?」
「いいよ」
 僕たちは、今日、初めてのセックスをする。
 一週間前にカインが「この日は親が飲み会で、家に帰るのが遅くなるらしい」と突然言ってきたからだ。その声も口調も表情も「だから俺とセックスをしてください」と伝えていて、付き合って三か月、童貞同士のカップルらしくじれじれと清い関係を続けてきたが、僕はその場でカインを押し倒したくなった。学園の屋上だったから、しなかったけれど。
「いいよってどっちの意味だ? 浴びるってことか? 浴びないってことか?」
「うるさいな。部活帰りの汗臭いままでおまえを抱いてやるって言ってるんだよ」
……やっぱシャワー浴びよう! 浴びさせてくれ!」
 わめく声を無視して、まだ片手で数えるほどしかしたことのないキスをすると、カインは黙った。僕は、掛布団が足のほうにぐちゃぐちゃと丸まったままのカインのベッドに、彼を押し倒した。鼻先をうずめた首筋からは汗と汗拭きシートの嘘っぽい「石鹸の香り」がして、僕はなぜだか泣きそうになった。
 夢みたいだ。


 死体が転がっていた。二十体の死体が。
 正確には、目の前に転がっているのは鉱物のように薄青く光る石だった。その山が十九あって、僕は数える前から十九あると知っている。
 そして僕は、それを二十体の死体だと頭のどこかで知覚する。
 全身が痛かった。僕もひどい傷を負っているのだ。この状況についてちょっとでも論理だてて思考しようとすると、「痛い」「苦しい」「もう死んでしまいたい」「死んでしまえばいいのだ」という考えが波のように襲ってきて、論理は溺れてしまう。なにも考えられなくなる。
 ただ、いくつかのことがわかっていた。
 今度ばかりは――というのが、どういう意味かはわからないが――死んで生き返ることはできないということ。
 目の前に転がっている死体のなかには、カインの死体もあるということ。
 カインの石は、ほかの石と比べて大きいわけでも量が多いわけでも輝いているわけでもなかったけど、僕にはそれを見分けることができた。目にしたとき、胸のうちに湧き上がる感情の強さで。
 僕は痛む身体で、自由の利かない身体で、その山に向かって這っていく。地を掴もうとする指は何本か欠けていて、肉体はやけに軽い。腹から下を失っているからだ。ずるずると引きずっているのは名残りのようにくっついている、ちぎれた臓物。
 血を多く失ったせいか、痛みのためか、目が霞んできてよく見えないけれど、なんとかカインの山にたどりつく。そのそばには別の山がある。
 僕はカインの山のなかからとりわけ大きな石をひとつ掴み取ると、口を開く――そこで、目が覚める。
 僕はいつも、これが夢であることも知っている。


 飛び起きた勢いで、狭いシングルベッドが揺れた。隣で眠っていたカインもハッとして目を覚ます。慌てて枕元のスマートフォンを掴み――「だめだ眠いちょっとだけ」と色気なく呻いて寝落ちる寸前にセットしたアラームがまだ鳴っていないことと、両親から帰途につくと告げるメッセージが届いていないことを確認して――ふう、と安堵の息を漏らす。
 それから甘やかすような目をして僕のほうを向く。その顔がサッと曇って、しかし適量の気遣いのみを表に出して、「どうした?」と尋ねる。
「悪い夢でも見たのか?」
 僕はよっぽどひどい顔色をしていたんだろう。瞬時に「悪い夢」と断じるとは。震えを抑えるために自分の二の腕を掴んで、「別に……」とつぶやいた。
 それで話を終わりにしてしまえばよかった。
 カインが手を伸ばして、僕のこめかみに流れる冷たい汗を拭った。目が合って、「ん?」と促すように、やわらかく笑む――彼の指先には、たしかに温度があった。
「生きててよかった」
 思わずこぼした言葉に、カインは予想外の顔をした。怪訝な顔でもなく、下手な冗談を聞かされて苦笑を浮かべた顔でもなく。驚いて、納得して、わずかに怯えていた。
「まさか、おまえも……?」
 尋ねると、カインは語り始めた。僕と出会ってから、恐ろしい夢を繰り返し見るのだと。
 大勢の仲間たちとともに、得体の知れない強大な敵と闘う。次から次へと仲間はたおれ、その死体は青く輝く石になる。
「笑わないでくれよ……その夢のなかで俺は騎士で、自分の剣で守らなければならない主君がいるんだ。その方を庇って俺は死ぬ」
 夢のなかでな、とカインは付け加える。その瞳が、部屋の片隅に立てかけられた竹刀袋を捉える――どこか誇らしげな色が浮かぶ。
 僕は笑わなかったけれど、そんな顔をするなと言いたくなった。死ぬことを誇るなと。けれど、カインと同じように誇らしい気持ちも湧いてきて、わけがわからなくなった。
 カインは僕とふたたび目を合わせると、恐怖をごまかそうというよりも、その明るさをもって夢の輪郭をきちんと捉えなおそうとするように、笑った。
……おまえの夢のなかには、僕もいた?」
 答えがノーであればいいのにと思った。僕の見る夢と、違う夢ならばいいのに。
 カインは無意識の暗がりに逃げ込んだビジョンを捕えようと、目をぐるりと巡らせる。
……いたよ」
 記憶のなかに僕の姿を見つけたようで、ふ、と微笑む。
「最後まで生き延びたのは、おまえだったんだな」
 さっき考えたことも忘れて、じんわりと胸があたたかくなる。
「そんなに強いのかな、夢のなかのおまえは。剣道三段の俺よりも?」
「喧嘩に資格は要らないだろ。まぁ、なんかチート設定があるとか? 僕がファンタジー世界に行くなら、そうする。それで無双してやるの、楽しそうじゃない?」
「はは、……
 カインは突然、笑いやみ、まばたきをした。
 目を見開いた状態で。
 ぱちん。一拍おいて、ぱちんぱちんぱちん。二拍おいて、ぱちんぱちんぱちんぱちん。
 まばたきとともに「あ゛あ゛あ゛」と喉の奥から濁った音が漏れ聞こえ始める。まるで首を絞められている最中みたいに、きゅうううと狭くなった気道を空気が通る音も。
 様子がおかしい。なにかの発作だろうか? ギョッとしながらも僕の頭は変に冷静で、彼のことを誤作動を起こしているサイボーグかなにかみたいだと思った。
 馬鹿げた思考を押しやって、無理に身体を動かして、僕はカインの手を握ろうとする。正気づけるために。あるいは、肉体から抜け出ようとする魂を、この世に繋ぎとめるために。
 けれど、それは叶わなかった。
 パキン。
 高い音がして、僕の目の前、掛布団がぐちゃぐちゃに丸められたままのベッドの上で、カインは光る石になった。



「ハアッ、ハアッ、ハッ……
 目が覚めた。
 起きていたはずなのに、僕は目を覚ました。
 吐き気を堪え、全身を濡らす冷たい汗に震え、自分自身の荒い息を聞きながら、僕は天井を見つめていた。安堵と混乱が頭のなかで渦を巻く。
 すぐには身体が動かなかった。どうか、と祈るような気持ちで首を横に巡らせた。
 そこに、カインの姿はなかった――青く光る石もなかった。
 ゆっくりと起き上がって、部屋をぐるりと見まわす。僕の住んでいる学生寮の部屋だ。いつの間にか朝になっていた。
 夢だったのか、と思う。最悪の夢。
 けれど、どこからどこまでが夢だったのか? ……カインと抱き合ったことも、まさか?
 僕は「くそ」と吐き捨てて、ベッドから飛び出した。


 朝の六時半。こんな早い時間に登校するのは初めてだった。そのせいか、学園までの道に人影はまばらだ。カインの所属する剣道部は早朝から朝練をしているはずだけれど、さすがに早すぎただろうか?
 門に到着してもかたく閉ざされていて、中に入ることはできなさそうだった。いや、それ以上に……なにかがおかしかった。
 私立フォルモーント学園は、近隣の三つの高校を力技で合併して作られた学園だ。膨大な生徒数を収容するために、校舎も新築されている。その建物全体が、養生シートで包まれていた。外壁塗装工事だろうか。聞いた覚えはないけれど、僕はそもそも学園のことに関心がない。
 こうしていても埒が明かない。行き違いになるかもしれないとは思ったけれど、僕はカインの家に向かうことにして電車に乗った。
 直接、顔が見たかった。カインの顔を見て、抱きしめて……安心したかった。


 ぼんやりと車窓から外を眺めていた。いや、眺めていたと言っても、ほとんど何も見えていなかった。僕の目には、あの血なまぐさい夢と、昨日のカインの媚態と、それから目の前で石になる瞬間のカインの恐怖にひきつった顔が、交互に映っては消えていった。イライラと指のささくれをむしり、爪を噛んだ。幼いころの悪癖が戻ってきてしまうぐらいに、僕は混乱して苛立っていた。
 だから、気づくのが遅れた。電車は、カインの家までまだ何駅かある、乗換え駅に止まっていた。発車ベルが鳴り、扉が閉まりかけたところで――僕は扉に手をかけ、無理に開かせて、ホームに降り立った。
 懐かしい気さえする、チェック柄のブレザー。背でしゃらしゃらと弾むひとつに結んだ赤髪。カインの姿があった。僕は安堵のあまり、大声で笑いだしたくなった。
 「無理に降りないでください!」と駅員の苛立った声がスピーカー越しに響く。その声に、カインがこちらを振り向いた。どうやら元気そうだ。あれは夢なんだから、当然だけど。
 駆け寄って抱きしめたかったけれど、僕は我慢した。そんなのはと思えるぐらいには冷静になりつつあった。人目を気にする余裕も生まれた。
 僕は深く息を吐いて、彼のほうへ向かう。しかしカインは竹刀袋を背負いなおすと、こちらに背を向けて歩き出してしまった。僕だと気づかなかったのだろうか。
 「カイン」と名を呼ぶ。カインは足を止めて、ゆっくりと振り返った。
 目と目が合う――彼は怪訝そうに首をかしげた。
……ええと、知り合いか?」
 人当たりのいい笑顔だけれど、それが愛想笑いであることは知っていた。
 おかしいと思っていた。今朝、スマートフォンのメッセージアプリから連絡を取ろうとしたけれど、カインのアカウントが消えていたから。
 画面をバリバリに割っても使い続けていたけれど、ついにバグったか、くそスマホ。こんなときに……とイライラしながら再起動を繰り返したけれど、なにも変わらなかった。それならばとカインが持っているはずのSNSのアカウントから連絡を取ろうと検索しているうちに、充電が切れてしまった。
 直感的に辺りを見回すと、駅前のビルに掲げられたデジタルサイネージが目に入った。移り変わる広告の下部に、今日の日時と、現在の気温が表示されている。
 そこに示されている年は、僕の記憶の、一年前だった。


 ふらりとよろめいた僕をカインは支えた。「顔色が悪いぞ、だいじょうぶか?」と言って、駅員を呼ぼうとするのを必死に制した。「なにも覚えてないの?」と絞り出すようにして尋ねると、カインは真剣な顔で「すまない」と謝った。
 それから困ったように「その制服、来年合併する不良校のやつだよな。あの学校に知り合いはいないと思うんだが……」とつぶやいて、「いやでも、今あんたと知り合ったな! あんた、名前は?」と笑いかけてきた。さっぱりとした笑顔だった。かつて僕に向けた嫌悪も、許しも、陶酔も、どこにもなかった。
 僕は彼の腕を振り払って、逃げ出した。
 信じたくなかった。誰かが僕を騙そうとしているのかもしれないと思った。そういう悪趣味なドッキリをテレビでやっていたのを見たことがある。けれど、その日も、翌日も、その翌日も、状況は変わらなかった。日付は一年前のまま、月日だけが流れる。僕は合併前の不良校の生徒で、カインとはまだ出会っていなくて、宿敵でもなければ友人でも恋人でもない。無関係の、他人だ。
 次第に僕は、こちらが現実で、今までのすべてが長い夢だったのかもしれないと受け容れ始めた。だって、これまでの世界は僕に都合が良すぎた。罵って嘲笑って侮辱して、それでもなお、学園一の人気者から好意を向けられるなんて、あるはずがない。まさしく童貞の妄想みたいだ。どうかしている。
 やがて一年が経って、私立フォルモーント学園が誕生した。


 カインが僕を探していると言ったのは、ミスラだった。生徒会の活動でカインと知り合って、訊かれたそうだ。「不良校に俺と同じ目の色の生徒はいるか」と。
「それってあなたのことですよね? ほかにそういう目の人っていましたっけ?」
 ぼんやりと尋ねるミスラをよそに、僕は席を立った。教科書も筆記用具も入っていない薄い鞄を持って、足早に教室を去る。
 遅かれ早かれ、こうなることはわかっていた。でも、どうすることもできなかった。僕は奨学生として寮に住み、高校に通っている。学校を辞めたり転校をしたりは現実的じゃなかった。野垂れ死ぬ気はないから。けれど、そうも言っていられないかもしれない。
 溜息を押し殺して電車に乗り込むと、スマートフォンが鳴った。相変わらずひび割れたままの画面を見て、息を吞んだ。
 通知に、カインのアイコンが表示されていた。
 僕は震える指で通知ダイアログをタップする。
『ミスラにアカウント教えてもらった! あの日からずっと心配してたよ。元気だったか?』
 そんなような文面だった。僕はきつく目を閉じた。
 懐かしかった。これまでふたりで交わした、くだらないメッセージをいくつも思い出した。
 カインはコンビニで新作のスイーツを見つけるたびに、自分は興味もないくせに、いちいち報告してきた。それから、友人たちと遊んでいるときに、楽しそうな写真とともに、こっそりと「今度はふたりで一緒に来ような」というメッセージを送ってきたこともあった。
 付き合って二か月が過ぎると、「おやすみ」のメッセージのあとに必ず「好きだよ」と一言付け加えるようになった。
 その言葉に、「僕も」と返したことはなかった。言わなくても伝わっていると思っていた。
 だって、こんなに――
 目を開いた。僕はトーク画面の右上の詳細メニューを開くと、カインのアカウントをブロックした。


 カインはしつこかった。アカウントをブロックされたのに、昼休みには僕の教室を訪ねてきた。僕が昼食を取る場所を屋上に変えれば屋上に、中庭に変えれば中庭に追いかけてきた。休めば学生寮にまで見舞いだと言ってやってくる。
 僕は、ありったけの罵詈雑言を彼に浴びせた。はっきりと近づくなとも告げた。そうすればそうするほど、カインは意固地になるようだった。一年前の――存在しない、一年前の――再現のようだった。
 やがて僕の意思が揺らぎはじめた。悪夢を見たことだけを理由に、彼を遠ざけるのは現実的ではないと思うようになった。この学校を辞めることも、寮を出ることもできない以上、彼を避け続けるのは無理だとも思った。
 全部、言い訳だ。
 中庭の草むらを踏んで、傍らに立つ人の気配がした。僕にわざわざ近づこうとするやつは、そういない。学帽の庇を引き下げる。
「隣、いいか?」
 やっぱりカインだった。僕は無視をする。カインはそれを承諾と取って、にこっと笑って腰をおろす――間違ってはいない。これまでだったら、はっきりと「駄目に決まってるだろ」「死ね」などとひどい言葉を浴びせていたからだ。
 カインが購買で買ってきた茶色の弁当を開けて、おいしそうに食べ始める。変わらないな、と思う。茶色の弁当も、なんでもおいしそうに食べるところも。カインが僕の視線に気づいて、目が合った。
 彼はとろけるような目をして微笑んだ。胸がぎゅうと締め付けられた。
……なんだよ、その顔」
 思わず、つぶやいていた。カインは驚いたように「え? 俺、変な顔してたか?」と尋ねたあと、「へへ」と照れたように笑った。
「おまえがなんか幸せそうな顔してるから、うつったのかな」
 ときどきおまえが俺を見てそういう顔をするから、どんなにひどいことを言われても気になってた。カインは、重大な秘密をささやくように言った。


 その半年後に、僕たちはキスをして、その二時間後に、カインは石になった。



 剣道部は潰すことにした。そうすれば、カインが石になるまでの期間が半年から数年長くなるとわかったからだ。
 最初は学校に繰り返し脅迫メールを送りつけて廃部に追い込もうとしたが、威力業務妨害として通報されそうになってやめた。かわりに部員を脅して部活を辞めさせ、部が成立する最低人数を下回るようにした。合併前までに工作を済ませてしまえば、私立フォルモーント学園に剣道部が創設されることは、まずなかった。
 元々、芸能校にはスポーツコースと芸能コースがあり、カインはスポーツコースに推薦入学していた。高校最後の年に学生生活のすべてをかけてきた剣道部が廃部になると知ったカインは、ショックを受け、落ち込み、わずかな期間だけやさぐれるが、最後には必ずなにかしらの代替物を見つけ出した。だいたいはダンスに落ち着いたが、今回はギターと歌だった。
 これまでの僕の認識では、彼に楽器の経験があったり、歌が得意だったりということはなかった。だからこそ、僕は今のこの世界が気に入っていた。
 僕は学校を辞めた。カインが石になるタイミングにはまだ法則性を見出せていなかったが、カインが剣道をやっていないほうが長く生きるということは、あの夢との共通点が少なければ少ないほうが長く生きるのではないかと仮定した。実際、カインが石になるのは、いつも僕と一緒にいるとき――それも恋人同士として想いを交わしたり、触れ合ったりしたあとだった。
 だから学校を辞め、カインとの接点を持たないようにした。
 最初に学校を辞めたときは恐ろしかったけれど、辞めてしまえばなんとかなるものだった。なにせ僕には、この世でほかの誰も持っていない「予知能力」がある。繰り返す世界で、世間の流れはおおむね変わらなかった。不良校の生徒をゆすって得たわずかな金をデイトレードで五十倍に増やし、人並みの生活はできるようになった。


 今、僕がカインの姿を目にするのは、スマートフォンの小さな画面をとおしてだけだった。
 フォルモーント高出身ということのみをプロフィールに記載したROM用アカウントを作って、彼のSNSをフォローしている。活動用の公式アカウントと、身内用の私的なアカウントとふたつ。後者は公式アカウントのフォロワーが千人を超えたころ鍵垢になった。
 学園在学中にフォロワー100万人超の有名インフルエンサーとなったカインは、卒業後すぐにミュージシャンとしてデビューした。とはいえ僕に言わせれば音楽の才能はあやしいもので、デビューシングルののち、配信限定曲を二曲だけ発表すると、その活動内容はタレントかモデルかといったものになっていた。けれど剣道のかわりに歌を歌って生きると決めた彼は未練が断ち切れないようで、ときおりSNSでのライブ配信も行っている。
 16時。市場が閉まったあと、フードデリバリーで注文した新作のフラペチーノと期間限定のドーナツを堪能していると、カインの新規投稿通知があった。
 リア垢からの投稿で、今日はうまい肉がたくさん食べられる、ということが手を合わせる絵文字とともに記載されていた。詳細は書かれていなかった――書くことができないのだろうが、仕事関係の食事会があるのだろうと僕は考えた。それも、いい肉を食べさせてくれるような、目上の人物との。
 その日、カインからの新しい投稿はなかった。ふたつのアカウントのどちらからも。そして翌日の昼ごろに、カインのリア垢は削除された。


 豚だと思った。金属バットで叩きのめした男の肉体は、中年にしては引き締まってスリムに見えたけれど、地にあるものすべてを食い散らかすのは醜い豚のすることだ。権力を笠に着て、肥え太った豚。
 血まみれの豚はうめきながら、死にかけの虫みたいに光のほうへ這い出ようとする。暗い路地裏から、少しでも人通りのあるところへ出ようと。その顔面をバックスイングでぶん殴ると、豚は顔を押さえて泣き叫んだ。仰向けの胸を、虫ピンを打つみたいにして踏みつける。
「おい、こっちを見ろよ」
 豚が瞳に反抗的な色を滲ませ、こちらを見上げる。しかし僕と目が合った瞬間に、サッと恐怖の色に塗り替わる。
「おまえ、あいつの兄弟か?」
 九割九分の確信が事実に変わって、目の前が真っ赤に染まる。カインの魂を傷つけることができるのは僕だけだ。いや、僕にさえ、そんなことはできなかった。こんな有象無象に許されるはずがない。殺してやりたい。殺してやりたい。
 だけど、それを決めるのは僕じゃなかった。
 僕はカインから剣を奪った。せめて、生殺与奪の権くらいは残してやるべきだ。
「数日以内に週刊誌から報道が出る。おまえがレイプでしか興奮できない変態性欲者のお友だちにを見せて回ってるメッセージのスクショ付きで。それが嫌なら弁護士でも使って被害者に連絡を取れ。あいつの言うとおりにするんだ」
 警察に言うな――とは伝えなかった。この豚にもそれぐらいの分別はあるだろうし、もはや警察に捕まったところで構わなかった。刑務所に入れば、かえってカインと出会う心配がなくていいかもしれない。もし、もし彼がこのまま芸能界で活動し続けることを選ぶのなら、所内のテレビで彼の姿を見ることもできるだろう。甘いものをめいっぱい食べられなくなることだけは、惜しいけれど。
 しかし、数日が経過しても週刊誌の報道はなかった。カインの公式アカウントも沈黙を続け、男の所属会社のサイトに何度アクセスしても誰かが懲戒処分を受けたというプレスリリースはアップされなかった。
 そして、僕のもとに現れたのは、警察ではなかった。


 あれからの数日、僕はできるだけ外出しないようにして生活していた。つまりは、まあ、いつもどおりだ。PCの前に座って株取引をして、市場が閉まったらストリーミング配信されている映画でも観て、必要なものは通販で買って、食事はフードデリバリーで頼む。
 その日、配送オプションで置き配を希望しているのに、インターホンを鳴らされた。たまにこういうことがある。なにもかもうまくいかない。僕は苛立ちを隠さずに応答した。
 すると、「玄関を開けてほしい」と言われた。注文したドリンクを配達中に倒してこぼしてしまったから見てほしいと。僕が直接確認しないと、交換も返金も対応できないらしい。こんなのはさすがに初めてで、素人かよと舌打ちが出た。
 扉を開くと、二人の男が立っていた。
 インターホンには一人しか映っていなかった。反射的にドアノブを引こうとするが、開いた隙間に足を入れられてしまう。ぐいと勢いをつけて向こうからドアを引かれ、隙間が大きくなる。
 僕はドアノブから手を離すと、トイレに向かって駆け出した。そうしながら尻ポケットに入れたスマホを探る。ない。テーブルの上に置いたままだ。
 くそ、と叫びながら、滅多に感じたことのない感覚に腹の底が冷える――敗北の予感だ。
 僕はなにか硬いものに後頭部を殴られて気絶した。


 男たちに捕まった僕は、そのまま部屋で暴行を受けた。繰り返し殴られ、蹴られながら、僕は無理に思考しようとした。この場から考えを逃がすことで、肉体が感じる苦痛を軽くしようとした。
 トイレじゃなくてキッチンに逃げればよかったんだ。そうすれば包丁で一太刀ぐらいは浴びせられた。それでも一対二で不意打ちを食らった以上、勝ち目はなかっただろうけど、なにも反撃できずにくたばるよりはマシだ。次は高校時代にミスラから複数人相手の喧嘩の方法を教わることにしよう……
 そこまで考えて僕は気づいた。次? 次があるのか?
 時間が巻き戻るのは、いつもカインが石になったあとだった。僕が先に死んでしまったら、どうなるのだろう。本当にしまうのではないか。ざわざわと胸が落ち着かなくなってくる。殴られた頭が、蹴りを入れられた腹が、今さら強く痛みはじめる。
 しかし、暴力はやんだ。
 僕に反撃する力も立ち上がる力も残っていないことを確かめると、男たちは猿ぐつわを噛ませた。さらに、壁のハンガーにかかっていた上着を雑な手つきで取ると、頭から被せられる。足元と、周囲をうごめくぼやけた影しか見えなくなる。
 両脇を抱えられ、僕はマンションの外に連れ出された。横づけされていたらしいバンの荷台に転がされる。そのまま車は走り出した。
 山奥にでも連れて行かれて殺されるのか。そのまえに臓器でも取られるのだろうか。だからあの場で殺されなかったのか? 陳腐な想像で痛みをごまかそうとするけれど、楽になるはずもなく、僕は猿ぐつわの下でずっと呻いていた。
 車は、体感で二三十分走ったあとに止まった。バンのバックドアが開いて、雑踏のざわめきが聞こえてくる。確証はないが、ターミナル駅の繁華街で聞くような賑やかな音だった。
 僕は猿ぐつわごしに叫ぼうとしたけれど、すぐに馬鹿馬鹿しくなった。まだ外は明るいし、これだけ人の気配がして誰も道にいないということはないだろう。僕の姿は周囲に見えているはずだ。それでも誰も助けてくれないということは、誰も助ける気がないということだ。
 今さら冷笑も浮かばないまま、男たちに引きずられていく。僕らは、おそらくは雑居ビルの非常階段をのぼりはじめた。数階のぼると、先導する男が錆びついた裏口を開く音がする。
 打撃音と、短い叫び声があがった。
 僕はバランスを崩してその場に倒れる。片側を支えていた男が倒れたからだ。状況を理解するよりも先に、「なんだ!?」という怒鳴り声と、もう一度、打撃音。
 一瞬の間ののちに、視界を覆う上着が取り去られた。
 ――色違いの瞳が、こちらを見ていた。
 なんで、という声は言葉にならなかった。カインは「だいじょうぶか?」と尋ねたあとに、僕の顔を見てちょっと目を丸めた。
「珍しいな」
 同じ目の色のことだろう。この世界のカインは僕のことを知らない。まあ、知っていたとしてボコボコに殴られた顔で判別がつくかは怪しかったけれど。
 カインの片手には鞘に入ったままの日本刀があった。カインは僕の視線を追って、こんなときには不釣り合いの照れたような笑みを浮かべる。
「あ、これか? こいつらの事務所で見つけたんだ。俺、昔、剣道やってて……
 って、そんな話をしてる場合じゃなかった。カインはひとりでうなずくと、僕の瞳をじっと覗き込んだ。画面越しに見るのとは違う、透き通った瞳に僕の姿が反射している。
 彼は真摯な口調で言った。
「単純な説明をしよう。俺はあんたの仲間だ。突然拉致されて、ここに連れてこられた。どうやらヤバいやつらを怒らせちまったらしい。あんたもなんかそんな感じだろ? とりあえず事務所にいたやつらは全員やっつけたけど、応援が来る前にここから逃げないと」
 それから僕に向かって手を差し出す。
「きついかもしれないけど、走るぞ。俺の手を離さないでくれ」
 遠くで高い音が聞こえた気がした。石の割れる、高い音が。
 だけど、僕は彼の手を取った。懐かしい体温が伝わってくる。
 そのぬくもりを感じた瞬間、絶対に離さないと思った。もう二度と、絶対に、離さない。



 深いキスを解いて、カインの身体がベッドに沈みこむ。汗に濡れた裸の胸が、激しく上下に喘ぐ。カインは身体の内側にまだくすぶっている熱を味わうようにつぶやいた。
「し、死ぬかと思った……
 僕は思わず笑う。彼の唇の端に浮かんでいるうっとりとした笑みのことだけを考える。カインはわざと拗ねたような声で「本当に初めてなのか?」と尋ねる。
「初めてだよ」
 嘘だ。
「おまえしか知らない」
 これは本当。
 カインは「信じてるよ」と微笑んで、また腕を伸ばしてキスを求めてくる。唇と唇を重ねて、そのあたたかさとやわらかさに、僕は深い安らぎと恐怖を同時に覚える。
 カインが喉の奥で笑う。
「でも、それならおまえって本当に上手いんだな」
 自分の目の前にいるのが、何千回も抱き合った男だと知らないままに。
 ふと、いつかの世界で読んだ本のことを思い出した。カインが妙なことを言ったせいだろう。
「フランス語では、性的絶頂のことを『小さな死』って言うらしい」
「へえ」
 カインはさほど興味がなさそうな、というよりは、よくわからない、という顔をした。それからニッと得意げに笑う。
「俺の恋人はセックスも上手いし、頭もいい」
 おまえが馬鹿なんだろと言おうとして、口をつぐんだ。カインは決して愚かではないし、僕も賢くはなかったはずだ。ただ、たくさんの本を読んだだけのことだ。彼を救うための手立てを探して、この世界の仕組みを少しでも知ろうとして。
……もしこの世界が、誰かが見ている長い夢だとしたらどうする? 僕らがたまに見る夢のほうが現実で、この世界は誰かの見ている夢なんだとしたら?」
「あ、それは知ってるぞ。高校の授業で習った。なんとかの夢ってやつだ」
 カインは茶化そうとしたけれど、僕と目が合うと黙った。そこにある切実さを見て取ったのかもしれない。
 そしてカインは、ほころぶように笑った。
「それでも精一杯生きるだけだよ。友だちと笑いあって、歌を歌って、恋をして」
 もう一度、ゆっくりと彼の唇が近づいてくる。吐息がかかるほどの距離で、ささやく。
「幸せだな」
 高い音がして、僕の唇に冷たい石が触れる。
……そうだね」