猫澤
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ラブの隠し味


 まあ聞いておくれよ司くん。これにはマリアナ海溝よりも深い深ぁい『わけ』があるんだ。まずは順を追って話そうじゃないか。
 ここ数日、君はとても忙しかっただろう。僕達ワンダーランズ×ショウタイムの舞台稽古はもちろん、ドラマキャストのオーディションにCM撮影、合間にレッスンと打ち合わせを挟んで、家に帰ったら筋トレと役作り。君の体力底なしっぷりはもちろん僕もよく知るところで、感服するばかりだけれど、人間誰しも休息は必要だからね。ほらよく言うだろう、集中力を持続させたいなら適度に脳を休ませた方が結果的にパフォーマンスが良くなると。人間という生き物はそういうふうに設計されているんだよ。人間だけじゃない、ロボットだっておんなじさ。フルパワーで二十四時間稼働なんてしたら、ただただ寿命が縮むばかりだろう? クールタイムが必要なのさ、何事にもね。
 でも君は、今や国民的スター。休めと言ったところで簡単には休めないじゃないか。ああいや、わかっているとも。君なりに無理のないスケジュール管理をしていて、決して無茶をしているわけではないことは。これは君の頑張りを否定しているわけではなくて、うん、そうだ、目標に向かって寄り道せずに突き進めるのは君の美点だと僕も思っている。誰にでもできることじゃないよ。それに、オーバーワークにならないよう調整するのは僕の役割で、だから、頑張りすぎないでとか、そんな陳腐な説教をしたいわけではないことはわかってほしい。
 僕は僕なりに、君の役に立ちたいと思っていてね。
 君とこの家で暮らし始めて、もう何年が経つだろう。三年? 四年目か。早いものだね、なんだかもうすっかり実家よりもこの家の方が『我が家』と呼ぶのにしっくりくるよ。今じゃ君のことも家族だと思っているし……フフ、こうして改めて言葉にしてみると、なんだか面映ゆい気持ちになるね。……え? 司くんも? 僕を家族同然だと思っているって? それはそれは。光栄なことだね、とても。いやほんとだよ、本心でそう思っているさ。
 でも、恥ずかしい話、僕は家事がてんでダメだろう。やろうと思えばできないこともないけれど、タイパコスパと叫ばれるこのご時世、時短の選択肢は山ほどある。君もよく知っているとおり、非合理的なことは極力したくない主義でね。ほどよく衛生的で、ほどよく健康を維持できて、ほどよくお腹が満たせるならば僕はそれで満足なのさ。
 とはいえ同じ屋根の下で暮らす者同士、そして愛し合う者同士……ある程度の譲歩と助け合いの精神は必要だというのも理解しているつもりだよ。もう互いに親元を離れた立派な社会人なのだから、いつまでも君におんぶに抱っこ状態というのも締まりがない。先の通り君も今は多忙を極めていることだし、料理はまあ、科学の実験に通ずるところがあるからそこまで相容れないこともないかなと、挑戦してみることにしたんだよ。……ん? その心意気はすばらしい? フフ、君はこんなことで褒めてくれるんだね。いや、うん、……悪い気はしないな。ありがとう。
 でも、ここで大きな壁が僕の前に立ちはだかった。千里の道も一歩からというし、何事もはじめは初歩的なものから……と、ひとまずネットで『簡単 料理 レシピ』で検索してみたのだけれど、驚くことに上から下までずらりと並ぶんだ。え? 何がって? 今ここで調べてみてごらんよ。ほら。材料のところさ。たまねぎ、にんじん、ピーマン、だいこん、トマトにアスパラガス……。おそろしいよ。正気の沙汰じゃあない。僕はもっと、焼くだけステーキとか、煮るだけ具なしカレーとか、そういうものを求めていたのに。何だって? 『親元離れた立派な社会人は好き嫌いしない』? 司くん……何度も言っているけれど、僕は何も野菜が憎いわけではないんだよ。相性が悪いのさ。それはもう磁石のN極とS極並みに――いや、これではくっついてしまうな。今のなし。
 ともかく。世に溢れるレシピはとてもじゃないがあてにならない。であれば、初心者には少々荷が重いけれど、創作料理というものに手出ししてみようと考えるのは自然なことだと思わないかい?
 僕が思うに、料理は掛け算だ。どんなにおいしい素材でも、マイナス素材を掛け合わせればたちまちマイナス、つまりおいしくない料理になってしまう。――だけど逆にいえば、おいしいものとおいしいものを掛け合わせればおいしさ二乗みんなハッピーわんだほーいというわけだよ。よくあるじゃないか。焼きそばパンとか。グラタンコロッケとか。ほらね。
 ではおいしさの定義とは何か。僕と司くんの味覚はそれぞれ違うとはいえ、唐揚げとかハンバーグとか、おいしいと感じるものにそれほど大きな乖離はない。うんうん、僕達お肉だいすきだもんねえ。なら、それぞれの好物を掛け合わせるのがきっと最適解に違いないと、僕の頭脳は結論を導き出した。――うん、ご明察。それがこちら、じゃじゃーん、名付けてラムネの生姜焼きです。斬新で、かつ僕達らしい新たな創作料理だ!
 ……いや、皆まで言わないでほしい。わかってるんだ。どうかしていたと。思いついた瞬間は稀代の大発見だと思ったんだけどねえ……。考え詰めるうちに方向性を見誤ってしまったようだ。せっかくの食材を無駄にするのはしのびないし、これは後でちゃんと僕がたべるから安心してくれ。そういうわけで今夜の君の晩ごはんはコンビニのおにぎりとカップスープだよ。食後のデザートにアイスも買ってきたから許してくれるかい……。え? 徹夜? してないよ。司くん、君ね、僕が奇行に走るのは睡眠不足のせいだとでも思っているのかい? 昨晩はしっかり七時間寝たよ。一昨日? 一昨日は……朝方に寝たような気がするけども。
 ……あれ。司くん? 急に立ち上がってどうしたんだい。もしかして怒ってる……
 それは……インスタントラーメン? なんだって? 『コーンくらいなら食えるか』って? まあ、とうもろこしは甘いし青くささもないからたべられる方ではあるけど……。へえ、コーンの缶詰なんて我が家にあったんだね。ふうん、缶詰とか防災食はこの棚に入ってるんだ。おや、この乾パン、来年賞味期限だって。ひょっとして僕達が暮らし始めてすぐくらいに買ったのかな。有事の際に困らないように? 天馬家では常備してる? ……そっか。すばらしいことだね。
 うん。鍋にお湯を沸かして。具材と麺を茹でるんだろう? えっ、もやし? もやしはちょっとシャキシャキ感が……ううん……わかった。たべるよ。ヤツは野菜界でも最弱だからね。しっかり茹でればなんとか……うん……。味噌味ならたまごは二個がいいな。……いい香り。なんだかお腹がすいてきたよ。あ、……フフ、お腹の音聞こえちゃった? ああもう、わざわざお腹に耳を当てて聞こうとしないで。恥ずかしいじゃないか。『類も照れるんだな』って? 当たり前だろう。好きな人に情けない姿はあんまり見せたくないんだよ。ましてや君は、いつもカッコいいしね。……おや? 今のは、司くんのお腹の音かな? フフ、フフフ、そうだね、はやく食べよう。麺が伸びてしまうからね。
 ――……うん、おいしいよ。そうだね、どうして気づかなかったんだろう。インスタントラーメンなら簡単だし、すぐにできるのに。思えば、僕は君のあっと驚く顔が見たかったのかもしれないな。ショーマンのさがだよねえ。何よりもサプライズと笑顔を最優先事項として物事を考えてしまう。いろいろと御託を並べてみたけれど、結局のところ僕がおいしい料理を振る舞ったら、君はいったいどんな反応をしてくれるのかただ見たかっただけなんだ。
 君の野菜抜き料理のレパートリーの多さには感服するよ。はじめからそうだったわけではない? 僕と暮らし始めてから覚えた? えっ、母さんにわざわざレシピを聞きに? なんだいそれ、聞いてないよ。いや、悪いとかではなくて……うーん、弱ったなあ。その、嬉しくて。茶化さないでおくれよ。……君の特別になれて嬉しいんだ。僕を家族と言ってくれるのも。君はとても……とても、家族思いな人だからね。
 フフ。母さん直伝レシピを、司くんが僕に伝授してくれるのかい? なんだか不思議な話だけれど……ありがたくお願いしようかな。いつか僕も今日のリベンジがしたいし。腕に縒りを掛けて、とびきりおいしい野菜抜き餃子を作ってみせるよ。もうメニュー決まってるのかって? いやあ、ラーメンたべてたら餃子もたべたくなってきちゃって。司くんも? わかるとも、ラーメンと餃子ってどうしてあんなにおいしいんだろうね。
 ごちそうさまでした。食器は僕が洗うよ。おにぎりとスープは明日の朝ごはんにしよう。ラムネの生姜焼きは――あっ、司くん、たべてもおいしくないから――……『独特な味だが類の愛情を感じる』? 君ね、…………ああもう、僕の恋人は本当に褒め上手で参ってしまうな。