猫澤
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When you wish upon a twinkle star.

リリックインスピレーション企画寄稿②
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 ――ぱちり。ひとつ、瞬き。
 片耳に当てたスマートフォン越しに、春に開く花のような、明るく爛漫な声が届く。
……オレ達の昔の宣伝ポスター?」
『うんっ!』
 えむの言葉をそのまま口頭で繰り返せば、間髪いれず肯定が返ってきた。
『きらきらステージの子達の参考になるかな〜って!』
「きらきらステージ……ああ、たしかフェニックスワンダーランドの敷地拡大で新しく建てたという……
 きし、とフローリングの床を踏んで、リビングから数歩先へと歩を進める。
 のどかな休日。郊外の住宅街に構えた自宅の廊下はルーフウィンドウから射す陽光に白く照らされ、その眩しさにオレは思わずすっと目を細めた。
 ――目まぐるしく月日は過ぎ去り、大人になって。ショーユニット・ワンダーランズ×ショウタイムはますます進化の道を突き進んでいる。
 オレと寧々は俳優として、類は演出家として。研鑽を重ね、気がつけば出会った頃よりもずっと大きく成長していた。
 えむもまた、兄達の背を見て学び、いまではフェニックスワンダーランドの経営にも積極的に関わるようになっている。
 きらきらステージ――とえむは呼んでいるが、正式名称はスターライトステージ――は、そんなえむが一から設立に携わった新たなショーステージだ。
 えむと、えむのガードマンである着ぐるみが監督となり、きらきらステージでショーをするならば。その「きらきらステージの子達」は実質、我がワンダーランズ×ショウタイムの後輩達と呼んでも不自然ではない。
 ふむ、と唇を結ぶ。
 当然、大事な仲間が困っているのだから力になってやりたいと思う。しかし、宣伝ポスター。宣伝ポスターか……
「まあ、保管しているとしたらおそらくうちの地下室だろうな。だが……あの足場のない空間から目当てのものを見つけ出すのはなかなかに苦労しそうな……
『ううっ、そうだよね。司くん、いまとっても忙しいもんね……。ほんとはあたしもすーっごくお手伝いに行きたいんだけど……!』
「待て待て。それを言ったら、お前だって忙しい時期だろう。それにあの惨状になるまで類を放っておいたオレにも責任はある! 時間は掛かるかもしれんが、このオレがしっかり探しておくから、えむは安心して監督業に勤しんでくれ!」
『つ、司くん〜!』
 ありがとー! と、うれしそうな声に笑みを零す。それからいくつかの他愛無い会話を交わし、やがて電話の向こうで誰かに呼ばれたのか慌ただしく通話が途切れた。
 沈黙したスマートフォンを後ろポケットに突っ込みながら、ひとつ、息をつく。……廊下の奥。地下の物置へと続く階段を見下ろして、苦笑。
「ここはひとつ、気合を入れて臨まねば……
 ――収入が安定し始めてすぐの頃に、オレは気の置けない関係の友、神代類と家を建てた。
 元々互いの自立のため、下積み時代も二人でルームシェアをしていたのだが――手狭になってきた部屋を手放す際に「それならいっそのこと、家を建ててしまわないかい?」と類から提案されたのだ。
 これまで長いこと二人でうまくやってきたのだから、今更急いで離れることもないだろうと。
 オレも異論はなかった。仮に今後どちらかが理由あって退去することになったとしても、シアタールームや防音設備にはこだわっているので仕事場や仮住まいとして置いておいて損はない。
 何より愛着があった。類と過ごす、穏やかでありながら刺激的な毎日に。
 ――さて。基本的に、これまでのショーで使用したロボや演出装置などは大きな倉庫を借りて保管しているが、ポスター含め、小道具関係は我が家の地下室で類が管理している。
 ここで問題になってくるのが。
「まったく。こんなことなら普段からしっかり類に片付けさせておくんだったな……
 足の踏み場もないほど散らかりきった空間を前に、思わずくらりと目眩で倒れそうになってしまった。
 見渡す限りの、部品の山。衣装に、小物に、昔の脚本まで。
 正直なところ――実家の類の作業部屋もたいそうな散らかり具合だったので、物置の管理を類に任せようものならこうなることは火を見るよりも明らかだった。完全にオレの監督不足だ。再度、深くため息をついて、すぐ近くのデスクに手を伸ばす。
 折り畳まれた紙類。片っ端から広げてみれば、類の筆跡で何かの走り書きが記されていた。達筆すぎて判読不能。なんだこれは、と眉を顰める。
 次。紙を広げる。今度は落書きのような謎の暗号。本当になんなんだこれは。ミミズが走った跡と言われればそうにも見えるし、「司くん、これはヒエログリフだよ」と言われても信じてしまいそうな……
「む。こちらはもしやネネロボの初期設計図か⁉︎ 類のやつ、こんなものまで保管していたのか……⁉︎」
 古びた設計図は色褪せ、やや皺が寄ってしまっていたが、真ん中にネネロボらしきイラストが描かれているのがわかる。意外と物持ちがいいな、と感心しきり、いや、そのせいでこの惨状が生まれてしまったのだと思い直した。
……ん、これは……?」
 そうして紙屑の海をひたすら掻き分けていると、不意にちくりと手の甲に何かが刺さった。
 さほど鋭利なものではなく、痛みは無かったが、いったい何だろうと視線を移す。
 一見は、紙飛行機。だが、中に何か描かれている……
 丁寧な折り目のついたそれを開くと、そこには謎の記号と線が無作為に描かれていた。ぱっと見た感じ、子供の落書きのようにも見えるが、簡略化した地図にも見える。すると右下のばつ印が目的地だろうか。……まるで絵本に出てくる宝の地図のようだ。
 しかしこんなもの、オレ達のショーで使用したことがあっただろうか。
 ふむ、と口元に手を当てて、過去のショーを思い返してみる。海賊がモチーフのあれか、はたまた世界を旅する勇者の冒険か……いいや、どれも違うな。なんせオレ自身まったく見覚えがない。
「ううむ……
 首を傾げる。上下左右、回転させたり、反転してじっくりとそれを眺めていると。
――おやおや。白昼堂々と宝探しかい、怪盗さん」
「ぬおっ……――帰っていたのか! おかえり、類」
 不意に声が掛かり、びくりと飛び跳ねた。
 地図にばかりすっかり気を取られているうちに、いつの間にやら類が打ち合わせから帰宅していたようだ。
 地下室の入り口を振り返れば、外行きの格好で佇んでいた類がふっと相好を崩す。
「うん、ただいま。今日は休みだと聞いていたのに、お出迎えがないから何事かと思ったよ。それでどうしたんだい、突然物置をひっくり返したりして」
「ああ、実はえむが――……
 事のあらましをかくかくしかじか伝えると、類は少しだけ考える素振りで「ふむ。ポスター……」と呟いた。
 地下室は大して広くないが、狭いと呼べるほどでもない。類が大股で五歩も歩けば端から端へと辿り着ける程度の広さだ。
 類は床に散らばった部品やら何やらを器用に避けながら、奥の棚の足元で屈んだ。たしかこのへんに……と迷いなく棚の引き戸を開けると、いくつかの筒がころりころりと飛び出す。
「ああ、あった。僕達がフェニックスワンダーランドの宣伝公演をしていた頃のポスターだ」
「何⁉︎ もう見つけたのか⁉︎」
「フフフ、管理者の記憶力を侮るなかれ」
 はい、と手渡された筒を開くと、動物達に囲まれピアノを弾く青年のシルエット。おお、と思わず声をあげる。懐かしい。『トルペ』のポスターではないか!
 もっと難航するかと思っていただけに、たいしたものだと呟く。類はほんのり得意げな顔で「まあ、任せておくれ」と頷いた。
「一見雑然としているようでも、どこに何があるかはすべてきちんと把握しているよ」
「ほう。素晴らしいな。して、オレにもわかるように整理整頓する気は?」
「ないねぇ」
 ……そこは嘘でもあると言ってくれ。
 悪びれずとぼける類の脇腹を肘でつつく。
「まったく……まあいい。目的のものは見つけたし、これで万事解決だ!」
「うんうん」
「そういえばもういい時間だな。昼、まだだろう? そろそろランチにするか」
「いいねえ。ところで、」
 不自然に区切られた言葉に顔を上げる。
 金糸雀の羽の色をした二対の瞳は、じっとオレの手元をまっすぐに見つめていた。
「司くんが先ほどから手に持っているそれはなんだい?」
「ん? ……ああ、これか?」
 そういえばデスクで見つけたこれを手に持ったままだった。口頭で説明するよりも実際に見てもらった方が早いかと、半開きにしたまま類に手渡す。
「何かの地図のようなんだが。どうもショーで使った覚えがなくてな」
「どれどれ。……ふむ。おや、この配置、どうやらセカイのようだね」
「な、何っ? セカイ……だと?」
「ほら、ごらんよ。ここがショーテント、ここが観覧車で……
 机の上にメモを置き、胸元のポケットから類がペンを取り出す。ペン先を紙に当て、くるくると丸を描くのを肩越しにじっと見つめて。じわりじわり、メモの解像度が徐々に上がっていく感覚に、オレは大きく目を見開いた。
「た、たしかに――! ではまさか本当に宝の地図だったというのか⁉︎」
 興奮で声のボリュームが上がったオレの横で、え、と声が零れる。
「宝? ……ああ……そうか。宝、かもしれないね」
「? 何か心当たりがあるようだな?」
「うーん……。フフッ、気になるって顔だね。そうだな……ところで司くん、午後の予定は?」
「家事だ。洗濯と風呂掃除が残っている。夕飯は類が当番だろう?」
 といっても、なんでも簡便にしてしまう類のおかげで、ここ数年間我が家の家事負担はほぼオートマチック。洗濯はロボが取り込んで畳んでくれたものを衣服棚に戻すだけだし、風呂掃除もロボの電源を押すだけだ。
 唯一、調理だけは交代制で行っている。類は「そうだね、」と小さく頷いた。
「それじゃあ僕も後で洗濯を手伝うから、少しだけ君の時間を僕に預けてはくれないかい。宝探しをしようじゃないか」
 そう言って類は口角を持ち上げ、悪戯っぽく笑みを浮かべた。掲げたスマートフォンの画面に映し出されたUntitled――セカイへ繋がる魔法のスイッチを、類の指先がぽんと叩く。
「た……、宝探し、だと――⁉︎」
 刹那、現れた光の渦。それは驚嘆の声ごとオレ達を飲み込み――そして。

   ⁑⭐︎⁑

 一瞬のうちに光彩が幾重にも重なり、弾ける。
 眩しさに伏せていた目を開くのと、賑やかなメロディーが鼓膜を震わせたのはほとんど同時だった。
 風を切って勇ましく駆けていくジェットコースターに逸る気分を抑え込む。優雅に廻るメリーゴーランド。果てない空へとくゆるわたあめの雲。どっしりと構える大観覧車――
――久しぶりに来たな、セカイ……!」
 その華々しい景観は、まごうことなき『ワンダーランドのセカイ』であった。
 この場を訪れるのは何年ぶりだろう。
 学生の頃は幾度となく足を運んでいたのに、大人になるにつれ、多忙と引き換えに機会が目に見えて減ってしまった。
 セカイの住人であるミクやカイト、他のバーチャルシンガー達は時折スマートフォンを通じてオレ達の様子を窺っていたようだが、最後に言葉を交わしたのは……
(オレが、アカデミーの新人俳優賞を授与されて以来か……
 つまり、もう二年は会っていない。
 皆、元気にしているといいのだが。先を歩く類の背中を追いながら、遠くに佇むテントへと視線を向ける。
 郷愁が込み上げる。懐かしいな……昔はよくあそこでショーをしたものだ。
「積もる話もあるし、帰りにテントを寄って行こうか」
「いまは顔を出さないのか?」
「うん。お宝は、僕と君のふたりだけで山分けにしたいからね」
……なるほど?」
「さ、こっちだよ」
 ずんずんと道を逸れて先を行く類に、小首をかしげる。
 歌う花達に見送られ、ふと小さな丘からセカイを振り返れば。相変わらず自然法則全無視のトンチキな世界だったが、何故だろう、記憶よりほんの少し窮屈になったような気がした。
 それにどことなくアトラクションが小さくなっているような……? 空に浮かぶ真昼の星も、手を伸ばせば簡単に届いてしまいそうだ。
 大人になると視点が変わるとはよく言ったものだが……もしや、オレ達が夢を叶えたから、か? セカイはオレ達ワンダーランズ×ショウタイムのメンバー達の想いで出来ている。個々人の内面が変われば、それに合わせてセカイも姿を変えるのだろうか……
……、」
――あった。ここだよ、地図の場所」
「む?」
 しばらくして。地図を見比べながら、前を歩いていた類が立ち止まった。
 ここ、と指先で示されたところは、何か目印があるわけでもなく。地続きの平坦な道のはずれで、少しだけ拍子抜けする。
……何の変哲もない普通の場所だな」
「何か変哲のある場所だと掘り返される危険性があるだろう?」
「ふむ。まあ一理ある」
 いったいどこに隠し持っていたのか、さあどうぞ、と鉄製のシャベルをひとつ手渡される。
 そのままその場にしゃがみ込んで、ザクザクと地面を掘り始めた類に倣い、オレもシャベルの先端を突き刺した。
 成人済み男性が二人、もくもくと地面を掘る図は側から見たらだいぶシュールだろうな……。しかし、ここまで来たら一目その宝とやらを見てみたい気持ちの方が膨れ上がってくる。
 さて、いったい何が出てくるのか。金銀財宝……はさすがにないだろうが、もしも貴重なショーの映像記録や市場に出回っていない脚本などが出てきたら、年甲斐もなく舞い上がってはしゃいでしまうかもしれん。
 期待を胸に、ひたすら無心で掘り進めていくと――やがて、シャベルの先に硬いものが触れた。
「むっ! 何か当たったぞ!」
 うっかり傷つけてしまわないよう、慎重に周囲の土を除ける。出てきた箱は思っていたよりも随分と小さく、手のひらに収まってしまうほどだった。
 軽く土を払い、類に手渡せば。類は目を皿のようにしてじっくりとそれを見つめ、薄く微笑んだ。
「懐かしいねえ。……うん、間違いない。これが宝箱だよ」
「ほう! 意外と小さいんだな。中には何が入っているんだ?」
「さあ? なんだったかな」
……そこは覚えていないのか⁉︎」
 ぽかん、と口を開けて類の顔を見つめる。かれこれ十数分、中身を知らずに地面を掘っていたというのか、オレ達は。
 類は続ける。どこか可笑しそうに、指先で小箱の蓋をつつきながら。
「そんなに気になるなら、開けてみるといいよ」
「む……
 たしかに、百聞は一見に如かずと言うが……
 促されるまま小箱の蓋を開けようと指先に力を込める。微動だにしない。ぴくりともだ。眉を顰める。
 よく見れば蓋は持ち上げるのではなく、面をスライドして開けるタイプのようだ。それならばと蓋を滑らせようとするが、やはり何かが閊えて開かない。
「ぬ、う、う、うう〜! っはあ、はあ、なんだこれは――!」
「フフフ」
 抉じ開けようと奮闘するオレを、類は面白そうに見つめるばかり。手伝う気は一切ないらしい。
 もしや開けるには専用の鍵が必要なのではないかと、改めて六面じっくりと鍵穴を探してみるが、残念ながらそれらしいものも見当たらなかった。
 開かずの小箱。軽く振るとからんからん、とたしかに何かが入っている音がする。
 顔を上げれば、対面する金糸雀色の瞳。すっと眼差しを細め、類はどこか愉しげな声色で歌うように言葉を続けた。
「はてさて……果たして怪盗ツカーサは無事宝箱を開けることが出来るのか? ……乞うご期待だね!」

   ⁑⭐︎⁑

「お疲れ様です」
「おつかれでーす」
 和やかな声と雑踏がひしめいている。先ほどまで所狭しと糸を張っていた緊張が嘘のようだ。
 オレは稽古で汗だくのシャツを脱ぎ捨て、素早く私服に着替えて。貴重品の入った鞄を片手に稽古場の玄関口へと急いだ。
 外はからりとした晴天。眩しさに一瞬目を細めるが、すぐに周囲へと視線を配る。右、左、と首を動かしたところで、目的の人物が日陰でスマートフォンを弄っているのを見つけ、揚々と手を頭上へ翳した。
――寧々!」
 俯いていた顔を上げ、無機質なアメジストの双眸がオレの姿を捉える。ひとつに括られたゆるやかな癖のある後ろ髪がふわりと靡くが、寧々は顔色ひとつ変えず「ん」と相槌のようなものを零した。
「おそい」
「すまん、監督とつい演技について熱く話し込んでしまった!」
「だろうと思った。……駅前に新しく出来たイタリアン。司の奢り」
「ぐっ……やむをえん……
 午前の稽古でかなりカロリーを消費したし、正直昼はがっつりラーメンの気分だったが、遅れてきた手前強くも言い出せない。まあパスタもいいだろう。洋風のカッコいい名前の料理には、年を重ねたいまでも惹かれてしまう。
 厳しいオーディションを勝ち抜き、数ヶ月後に本番を控える舞台『ロックアイランド』。蓋を開けてみれば寧々や青龍院といった知古との共演が発覚し、喜んだのも束の間――記憶よりずっと磨きがかった凄まじい演技力に圧倒され、今日は久方ぶりに身慄いしてしまった。
 負けてられん、といつになく奮い立っている。
 いまやオレも、寧々も、青龍院も――演劇界にかなり名が広まっていて。まだまだ新進気鋭の枠の域は出ないが、実力と反響には実感が伴っている。
 きっとチケット争奪戦間違いなしだ。ふ、と口角を持ち上げた。むしろそうでなくては困る、この大スター・天馬司が主演を務めるのだから!
「しかしさすがに、昼時は人通りが多いな……
「ちょっと。迷子にならないでよ」
「ならんわ!」
 寧々と肩を並べ、人の波を縫って街中を歩く。
 すると偶然すれ違った女子高生の二人組が、ちらとオレと寧々へ視線を向け小さく飛び跳ねた。
「ねえ見た? いまの、天馬くんと寧々ちゃんじゃない⁉︎」
「うそお!」
 つい反射的に反応してしまいそうになったオレの尻を寧々が叩く。先を急げば、きゃらきゃらと黄色い声が遠ざかり――隣を歩いていた寧々はほんの少し唇を窄め、やれやれと大げさに肩を落とした。
「ばれてるし」
「やはりこの程度の変装ではオレの溢れるスターオーラは隠せんか……
「そういうのいいから」
 掛けていた伊達眼鏡の智を指先でつつくと、寧々は呆れた顔でオレの脇腹に肘を当てた。ばか、と捨て台詞まで飛んできたが、言葉の割に、寧々もあまり気にはしていない様子だ。
(そういえば――
 世間に注目され始めたばかりの頃は、寧々と(あるいはえむと)二人でいると妙な邪推をされることがあった。だが、それも最近は耳にする機会が目に見えて減っているような気がする。
「ま、こうして二人でいても騒がれないのは類のおかげもあるのかな」
……ん? 類?」
 首を傾げたちょうどその時、目当てのイタリアンレストランに辿り着いた。入店のベルと共に店員の歓迎の声を聞きながら、店内の奥へと歩を進める。
 店内はナチュラルなインテリアで統一されており、アイボリーを基調とした壁とウッドデッキを観葉植物が彩っている。
 一番奥の席に腰掛け、立てかけられたメニュー表に手を伸ばした瞬間、鼻腔を擽るトマトクリームの香りにくうと腹の虫が鳴いた。
「寧々はオーダーどうする?」
「ほうれん草のドリアとグレープフルーツジュース」
「それだけか? 役者は体が資本なのだからもっとしっかり食べて筋肉をつけたほうがいいのではないか?」
「はいはい、お父さんの胃袋と一緒にしないで」
「誰がお父さんだ!」
 寧々のことは妹分のように思っているが、さすがに父を名乗るほど老け込んだつもりはない。憤慨するオレをよそに、寧々は淡々とベルを鳴らして店員に自身のオーダーを告げた。
 司はどうするの、と問われ、逡巡。
……日替わりパスタの大盛りとカルパッチョ、生ハムサラダと帆立のバター焼きと……寧々、チーズフォンデュシェアするか?」
「いい。そんなに食べられない」
「わかった。では、以上で」
 かしこまりました、とにこやかに店員が去っていくのを見送る。その間にスマートフォンをチェックしていた寧々は、顔を上げ、少しだけ呆れた顔をしてみせた。
「ちょっと頼みすぎじゃない?」
「そうか? あの程度なら余裕で収まると思うが……。なんせオレの腹はすこぶる強靭だ!」
「鉄か鋼で出来てるわけ? もしかして、寝てる間に類に改造された?」
「お、おぞましいことを言うな……
 絶対に無い。……と言い切れんのがおそろしい。
 冷に口をつけ、胃に流し込む。窓の外を眺め、時折他愛ない話をしている間に、二人分の料理がテーブルへと運ばれる。
 再びくるる、と空腹を訴える胃を慰めるべく、早速フォークに手を伸ばせば。
「さっきの話だけど」
「むぐ」
 フォークに絡めたパスタを口に含むと同時に声を掛けられて、咀嚼と返事が半々くらいの声が出てしまった。
 ナプキンで口元を押さえるオレをちらりと見上げ、ほら、と寧々が言葉を続ける。
「司、もう長いこと類とルームシェアしてるでしょ。だからだと思う。わたし達が一緒にいても世間にあんまり騒がれないのって」
 ぱちくりと瞬きを繰り返した。
「それは……男同士で一緒に生活してるから、女の影など見当たらんという意味か?」
「それもあるけど……類の態度が結構、……。やっぱりいい。司が気づいてないなら、余計なお世話かも……
 寧々のか細い指で握られたスプーンが、焼けたホワイトソースの海を掬う。
 どこか煮え切らない中途半端な言葉尻に片眉を上げるが、そういえば元々寧々はあまりコミュニケーションが得意な方ではないことを思い出した。昔は友達ひとり作るのにさえ一生懸命になってしまう子だったのだ。勇気を出して声を掛けようとする姿を何度固唾を飲んで見守ったことか……
 ……って、これでは本当に保護者のようではないか。誰が父親だと言い返した舌の根もまだ乾いてないというのに……
――ああ、そうだ! 類といえば、先日妙なことを言い出してな」
「妙なこと?」
 誤魔化すように話題を変えると、長い睫毛に隠れていた瞳が丸くなる。
 大きく頷き、オレはあれから常に持ち歩いている小箱を鞄から取り出した。そのまま寧々に手渡せば、寧々は不思議そうに視線を落として箱の表面に指先を滑らせる。
「なにこれ」
「宝箱? だ。類に中身が気になるなら開けてみろと渡されたんだが、蓋の部分はぴくりともせんし、鍵穴も見当たらない」
「ふうん……
 しげしげとしばらく箱を検分し、やがて気が済んだのかそっとテーブルの端に箱が置かれる。
「これ、寄木細工かも」
「寄木……細工?」
「うん。むかし類がハマって作ってたの覚えてる。わたしも持ってるし……たぶん、実家だけど」
「ほう」
 なみなみ注がれたグレープフルーツジュースに口をつけてから、寧々は小箱の木目に沿って指を這わせ、ぐっと奥へと押し込んだ。
 するり。すんなりと動いた木片に思わず「おお」と声をあげる。
「これ、各面にスライドできるところがあって、順番通りに動かすことで開く仕組みになってるんだよね」
「順番があるのか?」
「そう。順番通りじゃなきゃ駄目」
 曰く、一度でも順序を間違えれば最初からリセットするしかないらしい。なかなかにシビアだな、と呟くと、寧々は「それくらい厳重だから、昔は金庫の代わりにされてたんだって」と頷いた。
 ヒントを得たところで、試しにかちゃかちゃと箱を押したり捻ったりしてみる。……が、仕組みがわかったところでそう簡単に開くはずもなく、ため息と共に肩を落とした。
 見兼ねて寧々もいくつか面をスライドさせてみるが、やはり途中で詰まってしまう。
「結構難しいんだな」
「ものによっては数回動かせば開けられるんだけど……類のことだから、ひょっとすると百回くらい動かさないと無理かも」
「ひゃ、ひゃく⁉︎」
 オレの声の振動に合わせて、テーブルの上のコップの水面が揺らめく。
 数回ならまだしも、百……。これは生半可な覚悟では到底開けられない代物なのではないか。途端にこの小さな箱がとんでもなく難解なパズルに思えてきた。
 そもそもオレは未だかつてルービックキューブを六面揃えられたことすらない。眉間に皺を寄せ、言葉を失うオレをよそに、寧々は悠々とドリアを口へと運ぶ。
「でも、司に開けてほしいんだよね、類は」
「開けてほしいというか、『フフフ、開けられるものなら開けてごらん』といった感じだったぞ」
「何それ、挑戦状? でも類がそう言うなら、やっぱり司なら開けられるのかも。……まあ、頑張ってみれば? 何が入ってるのか知らないけど……
「ううむ……
 それきり寧々は別の――今回の舞台の――話を始めたので、オレはそっと箱を鞄の中へと戻した。
 その際、からん、と箱の中からまた音が鳴る。よく耳を澄ませば、それ以外にもしゃらしゃら、かさかさと不思議な音は続き、ますます謎は深まるばかりだ。
 いったい何が入っているのやら――
 想像もつかないが、しかし、一度引き受けた手前中途半端に投げ出すのはオレのポリシーに反する。寧々のおかげで箱の正体がわかっただけでも一歩前進だ。
(『挑戦状』……か)
 フ、と口角を上げる。
 いいだろう。立ちはだかる壁は大きければ大きいほど、ぶつかり甲斐があるというもの。
 ――首を洗って待っているがいい、類よ! 必ずやこの天馬司、この難題を華麗に解き明かし、類をうわっとびっくりさせてやろうではないか……

   ⁑⭐︎⁑

――ああ、寄木細工に気がついたんだね。寧々の入れ知恵かな?」
「うわっ……突然現れてびっくりさせるな……!」
 草木も眠る深夜二時。
 食事と入浴を済ませ、作業があるからと自室へ戻った同居人を見送って。リビングのソファーで本読みをする合間に少し休憩していたときだった。
 手慰みに触っていた小箱。一筋縄では開いてくれそうもないそれを見下ろしていたところに、背後から突然声が掛かり飛び上がる。
(る、類のやつ……時々距離感がバグるな……
 深夜なのでトーンは控えめだが、その吐息混じりの囁き声がなおのことオレの心臓を縮み上がらせた。
 熱が走る耳朶を無意識に手で押さえる。振り返れば、思いのほか近くにある類の顔。
 ……危ない。あやうくキスしてしまうところだった。
「こんな深夜にリビングに降りてきてどうした?」
「それはこっちのセリフだよ。ずっとそれ弄ってたのかい?」
「うっ……いや、ずっとというわけでは……
 なんとなく、躍起になっていることを知られるのは憚れて、しどろもどろと言葉を濁す。
 類は横目に見つめ「ふうん」と零して、それ以上は特に気に留めることなく一人キッチンに向かって歩き出した。
 一緒に住んでいるのだから、勝手知ったる……というのも妙な話だが、当然のように上の戸棚を開けて物色を始める。程なくして類が取り出したのは乾麺だった。おなかがすいたのだろうか。こんな時間に、と思わなくもないが、深夜のラーメン。うむ、なかなか抗い難い魅力を感じる。
 IHコンロに水を張った鍋を置いて、ピッ、ピッと電子音。ぐつぐつ鳴り始めたら袋から開けた乾麺を落とし、さらに数分後に卵も投下。スープの素を入れたどんぶりにお湯ごと麺を注いで――その瞬間、リビングの方までふんわりと塩ラーメンのにおいが漂い始める。
……なんだかオレも腹が減ってきたな」
「少しお椀によそろうか?」
「いいのか?」
「もちろん。空腹はアイディアの敵だからね」
 味噌汁を飲むのに使っている椀をひとつ食器棚から出して、類が菜箸で器用に麺を分ける。
 ただ運ばれてくるのを座って待っているだけというのも申し訳なく、オレはすぐさま立ち上がって自分と類の揃いの箸を取り出した。
――それで、宝箱は開けられそうかい? 怪盗さん」
「いいやまったくだ……
 うっかり喉から出そうになったため息を飲み込み、苦い顔で首を振る。
 ――寄木細工。寧々に言われて初めて自分でも調べてみたが、どうやら相当昔の時代からあるギミックらしい。
 しかし、昔ながらにしてなかなかに厳重。もしかするとルービックキューブを六面揃える方が簡単かもしれない。……いや、オレはいまだかつて六面を揃えられたことはないので、真偽の程は定かではないが。
「それほど簡単に見られたくない中身ということか?」
「さてね」
 素気無い。むう、と唇を尖らせるオレには気がつかないふりをして、類はそっとテーブルに椀を置いた。
 中を覗き込むと、つやつやの麺が脂の浮いたスープに浸かり、掬われるのをいまかいまかと待っている。ごくり、喉が鳴った。先ほどから腹の虫もきゅうきゅう喚いて騒々しい。
 辛抱たまらず、大きく手を合わせた。いただきますの合図をするやいなや、箸先で軽く麺を解し啜る。
 熱い。けれどあっさりとした塩加減が、じんわり体内に染み込んでいく。
 深夜のラーメン……禁忌の味だ……
「熱心に取り組んでくれるのは嬉しいけどね。もう遅いからほどほどにするんだよ」
 ぽふ。ラーメンを啜る合間に、類の手が頭部に触れる。
 すぐにそれは離れたが、馴染みのない感触に驚いて顔を上げた。
 もしかして。撫でられたのか、いま。
……まさか連日夜更かしマンの類に忠告されるとはな」
 ショーの後などに、小さい子の頭を類がこうして撫でているのを何度か目にしたことがある。フェニックスワンダーランドは子連れの親子客も多く、ワンダーステージは特にそういった客層がメインターゲットだった。
 しかしそれをまさか大の大人の自分がされるとは……
 しかも同年代の男に。途端に気恥ずかしさを覚え、照れ隠しに視線を逸らすと、何がおかしいのか類はふっと表情を崩した。
「連日早起きマンの君のためを想って言ったんだよ。それに、大スター・天馬司が寝不足で体調を崩したとあってはね。ほら、世界の大損失だろう?」
「わ、わかったわかった! 食べ終わったら、今日のところは休むとしよう!」
 本当はこの後ももう少し役作りをしておきたかったが、類の言うとおり体を壊しては元も子もない。
 それに類の小言には正直助かっている部分もある。オレはどうにも、一度走り出したら止まれない性分のようなので。度々無茶をしがちなオレを諌める、そんなストッパーの役割は類にしか担えない。
 いままでも何度も類には助けられて――思えば、いつの間にか、こうして隣にいるのが当たり前の存在になっていた。
 正直なところ、ありがたい、と思う。オレも、類も、互いにもう自立した大人であるが、それでも折れそうになる日はある。支えがあるからこそ踏ん張れる。一直線に前を向いていられる。
 ――それから何気ない、他愛もないような話をぽつりぽつりと交わして。最後の一滴を飲み干すと、程よく空腹が満たされて笑顔が溢れた。
 食器を片付け、ついでに流しで歯も磨いてしまって――リビングの照明を落とし、薄暗い廊下をきしきしと音を立てて歩く。
 ふと、少し先を歩く類の背中を見つめた。よれよれの半袖のシャツ。部屋着に無頓着で、いつも同じ服を着まわしているから、結構皺が寄ってしまっている。
 しかし、ふむ……。こうして見るとなんだか、思っていたよりも広い背中だな。
 改めて考えると、類との付き合いももう随分長い。
 慌ただしい毎日の中で、類とは酸いも甘いも共有してきた。つらいこともあったし、でもそれ以上に楽しい日々だった。それこそこのまま、老後まで二人で暮らしていくのも悪くないと思えるくらいに。
 類も同じように感じてくれていると、オレとしてはうれしいのだが……
 小箱をぎゅっと握りしめる。
……だが……
 ――……そんなこと、ありえるのか?
 はた、と立ち止まる。当たり前のように走り続けて、気づけばもう二十代も半ばを過ぎた。ちょうど母がオレを身籠ったのと同じくらいの年齢ではないか。
 ずっとなどありえない。人は変わる。環境も、流行も、時代も、変わっていく。オレも、類も、きっと例外ではないはずなのに。
 どうしてか、それを寂しいと思っている自分がいる。
「る――
 顔を上げ、部屋の前に佇む類の名を呼ぼうとした。しかし、声は喉元に引っかかり、そのまま奥へと戻ってしまう。
 天窓から射す月明かりに照らされた類は、どこか青白く、そのまま闇夜に溶けて消えてしまいそうな儚さをはらんでいる。
 ……こんなにも近いのに、遠い。まるでオレと類の間に見えない壁があるみたいに。
 類の眼差しがゆっくりとオレに向けられて、数秒。
 オレ達は言葉もなく、じっと互いを見つめ合った。
――
 再び名を呼ぼうとして、唇を結ぶ。
 そも、呼んだところで……、オレはまだ自分の気持ちを整理できていない。このぐるぐると渦巻く感情も、謎に込み上げる焦燥も、寂しさも、ただの独り善がりだ。
「司くん?」
……なんでもない。おやすみ、類」
……? ああ、おやすみ。良い夢を」
 ドアを開け自室に滑り込み、息をつく。
 照明が消えたままの薄暗い室内で、ふと、手に持ったままの小箱を見下ろした。
 頑なに中身をはぐらかされ続けているが……類が箱の中身を知らないはずがないと、オレはにらんでいる。
 言えない理由はなんだろうか。サプライズ? それにしては、箱を埋めてから何年も経っているようだし、あの日オレが地図を見つけなかったら一生掘り起こされることはなかったかもしれない。
 薄々と感じていた。
 類は、本当は開けてほしくないのではないかと。
 この箱を……開けたら、オレ達の何かが変わってしまうのではないだろうか。根拠はない。だが、そんな予感がしてならない。
……
 はたして。
 オレは、この箱を、……開けてもいいのだろうか?

   ⁑⭐︎⁑

 青々とした晴天。頭上をコースターが風を切って滑空する。
 遠ざかる悲鳴を視線で追いかけている間に――所用が済んだらしい――えむがステージから客席へと降りて、ぱたぱたとオレめがけて一直線に駆け寄った。
「司くんおまたせー! ごめんね、わざわざ来てもらっちゃって……!」
「む……
 昔は勢いのまま頭突きやタックルをかまされていたものだが――なので一瞬、身構えてしまったが――大人になって少しは落ち着きというものが身についたらしい。えむは足取りこそ軽快ながら、体当たりの一歩手前でしっかりブレーキを踏んだ。
 しかし花が綻ぶような笑顔のあどけなさは相変わらずだ。気にするな、と一言添えて、持っていたポスターを手渡す。すぐさま広げたえむから歓声が上がった。
「参考になりそうか?」
「うんっ! あの子達きっといっぱい喜ぶよ〜! ありがとう!」
 あの子達、の言葉と共にステージ上へと目を向ける。
 男女四人で構成された高校生ショーユニット、『スターライト・ドリーム』。四人ともプロの役者志望で、えむ曰く、まだまだ粗削りではあるが向上心は一人前らしい。「みんな、昔の司くんみたいだよ!」などと紹介されると、青臭さの残る時代を思い出して居た堪れない気持ちになってしまうが……
 壇上で真剣に台本の読み合わせをしている彼らを見つめ、目を細める。
 ――役者の道は、想像以上に険しい。オレ自身も何度も壁にぶつかって、砕けてしまいそうになった。いまのオレがあるのは、掴み取った運と、支えてくれた仲間達のお陰が大きい。きっと彼らも、オレと同じか、それ以上の壁にぶつかる日がくるのだろう。
 ……どうにか踏ん張って、乗り越えてほしいものだな。
 オレに似ているというならば尚のこと。
……司くん、やっぱり最近お仕事忙しい?」
「ん? まあ……程々にな」
 不意に掛けられた声に小首を傾けながら答えると、えむはわかりやすく眉尻を下げて悲しそうな顔をした。
「そっかあ……だからかな? おめめの下にくまさんできちゃってるね……
「ああ、これか……
 目の下の隈の存在には、今朝方鏡越しに気がついている。コンシーラーで上手く隠したつもりだったが、えむの目は騙せなかったか。
 とはいえ連日の睡眠不足は決して仕事のせいではない。
 見てもらった方が早いな、と、オレは元凶である例の小箱を取り出し、えむに見せた。
「これを解くために、近頃は少々夜更かし気味だ」
「これって、箱パズル?」
 頷き、類にそれを託された日のことを簡潔に伝えると、えむは真面目な顔をして小箱をじっと見つめた。
「ふむふむ……じゃあこの箱の中には類くんのとっても大切な宝物が入ってるんだね」
「宝物かどうかは不明だが……。まあ、そうなのかもしれん。しかしまったく開け方がわからん! もう何度匙を投げてしまいそうになったことか……
「うーん、でも……
 えむが眉を下げる。
「類くんは、司くんなら開けられるって思ってるんじゃないかな」
「寧々にも言われたが、なかなかの難題だぞ……
 なんと言ってもかれこれ数日、それこそえむにポスターの件を頼まれた日からずっと解錠を試み、失敗し続けている。
 幸い、触っているうちにスライドの順番と規則性は少しずつ見えてきているけれど、開く兆しはいまのところない。
 寧々が言っていた通り、もしかすると百回くらい動かす必要があるのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。しかもそのうちひとつでもミスしてしまえばふりだしに戻る、だ。
 ぬう、と低く喉を震わせて、苦い顔でため息をつくと、弾かれたようにえむは顔を上げてオレの腕を掴んだ。
「でもでも! 類くん優しいから……
「ん?」
「絶対に解けないような、いじわるな問題は出さないと思うんだ」
 まるい、澄んだ瞳が心配そうにじっとオレの顔を見つめる。
――……
 ふと、昔からえむと類はどこか通じ合う部分があったことを思い出した。幼心を大切にする傍らで、大人になりきれない、新芽のような柔らかさが二人にはあった。
 腕を組み、顎に手を当てる。
 もしかして、と思う。類とシンパシーを感じる彼女なら、何かヒントとまでは言わずとも、類の視点に寄り添った発見があるのではないか。
「えむ。この箱にいったい何が入っているのか見当はつくか?」
「うーん、うーん……わかんない!」
「わかんないか……
「わかんないけど、えっとね、えっと〜……。こないだね、おいしいケーキたべたの! すっごくおいしくて、あたし、司くん達と今度一緒にたべたいなあって思ったよ!」
「ケーキ?」
 突然降って湧いた話題に瞬く。えむは勢いよく何度も頷いて、さらに言葉を重ねた。
「あとね、海で綺麗な貝殻を見つけたときは、ミクちゃん達にも見せてあげたいなあって思ったし、夕焼けがとーっても綺麗だったときはお兄ちゃん達に見てほしくて、写真撮って急いで送って――
「えむ……
「大切なものとか、宝物とか、だいすきな人とはんぶんこできたら、うれしくてぽかぽかふわふわ〜ってなっちゃう。たぶん、類くんも一緒じゃないかな⁉︎」
……!」
 思わず息を飲み込んだ。
 宝物。
 そうだ、これは……。これは類の宝箱で、この中には類の大切なものが入っている。
 おいしいケーキを切り分けるように。思い出を語るように。綺麗な景色を共有するように――類が、オレとそれを分かち合いたいと思っているのだとしたら。
「だいすきな人、か……
 微笑む類の姿が脳裏に浮かぶ。
 妙な誤解を受けることもあるが、類が優しい人間であることはオレも十分承知している。あいつの作った演出装置で空高く飛ばされたとしても怖くないのは、ひとえにあの男を信頼しているからだ。
……そこまで言われてしまっては、オレも簡単に投げ出すわけにはいかんな!」
「うんうん! ……あ! 見て、司くん!」
――む?」
 えむが指差し、空を見上げる。
 刹那、真っ青な快晴の空を彩る赤が目に飛び込んだ。
 ハートの形をしたバルーンがいくつも空を舞い、遠いどこかへ、あてもない旅路を漂う姿を見つめて。
「きれーだねえ……
 ぽつりと呟くえむの声に、ああ、と短く頷く。
 今日はネオフェニックス城でブライダルイベントがあったから、そこでの演出のひとつかも、とえむは呟き、にこやかに頬を持ち上げて勢いよくオレを振り返った。
「司くんにここで問題です! ジャジャン! どうしてあの風船は赤いのでしょーか!」
「ん……? ハートといえば赤だからじゃないのか?」
「ぶぶー! ざんねーん! ……あのね、赤色はだいすきの色なんだよ!」
「だいすきの色?」
「そう! だいすきだな〜って、お胸がぽわぽわ〜、ぎゅぎゅぎゅ〜ってなるとき、ほっぺた赤くなっちゃうでしょ? ……だから、だいすきをいっぱい空に飛ばして、みんなにおすそわけしてるんだ〜」
……
 だいすき、か……
 幼い頃は何も気にせず、大好きだと言葉に出来ていたはずなのに。いまはなんだか少し、口に出すのが照れくさい。
 不思議なものだ。大人になるにつれ、好意を口にすることに慎重になっていく。それが好きなものであればあるほど、気恥ずかしさを覚えていく。何も、恥などどこにもないはずなのに。
 ショーが好きだ。ワンダーランズ×ショウタイムも好きだ。この、フェニックスワンダーランドも、ワンダーランドのセカイも、オレの好きな場所。
 両親が好き。妹のことも好き。えむと、寧々のことも好きだ。じゃあ、あいつは?
 神代類のことは。
――……
 じっと神妙な面持ちで箱に視線を落としていると、再びえむが「あー!」と大きな声をあげた。
――お兄ちゃんの書斎に、箱パズルの本があったの思い出した!」
「なに⁉︎ その本、参考までに借りることは……
「もちろんいいよ! 待っててね、ばびゅんとお兄ちゃんに聞いてくる!」
「いや、何もいますぐじゃなくても――
 えむの言う『お兄ちゃん』がどちらの兄を指しているのかはわからないが、どちらだったとしても多忙を極めているだろうことは想像に難くない。さすがのオレも、私的なことで時間を割かせるのは申し訳なさが先立つ。
 しかし、待て、とえむを静止しようとした瞬間、えむは身軽に身を翻して。
――ポスターのお礼だから、気にしないでっ!」
 ぶんぶんとポスターを握った手をそのまま左右に振るばかりか、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねるので。空に咲くお日様よりも眩い笑顔を見せられては、伸ばしていた手も下ろさずを得なくなってしまった。
……まったく、相変わらず人の話を聞きやしない……
 やれやれ、と首を振り、嘆息する。
 遠ざかる桃色。軽快な足取り。
 いくつになっても小春日和の空が似合う少女のままで、羨ましい。

   ⁑⭐︎⁑

 転機。人生の岐路。あるいは運命。
 そういったものは往々にして、雷が落ちたかのような衝撃が走るものとばかり思っていたが、現実はそうでもないらしい。
 カシャン、と小気味のいい音がした。不思議に思って手元を覗くと、箱が開いていた。前触れもなく、呆気なく。
「あ……
 もう何度目の試行か数えてすらいないが、えむの兄から借りた本も参考にしつつ、仕事の隙間時間や寝る前にもひたすら動かし続けてようやくだ。
 散々、幾度も匙を投げそうにもなったが……ああ……ついにか。
 ――諦めなくてよかった。
 目頭が熱くもなる。やはり何事も積み重ねが肝心だな。
 逸る気持ちを抑え、蓋をゆっくりと滑らせる。やや厳重な作りだったのもあり、中の空洞は思ったよりも小さく、顔を出したのは瓶に入った黄色いの砂のようなものと一枚の手紙だった。
 瓶の中の砂を近くでよくよく観察してみる。どうやら砂は砂でも、一粒一粒が星の形をしている。
 ――星の砂。
 星形の砂粒と小さな貝殻を見つめながら、そういえば幼い頃、ピアノの発表会のついでに立ち寄った海辺の土産屋で似たようなものを購入したことがあるのを思い出した。
 たしか……咲希も一緒に発表会に出る予定だったが体調不良で出られず、せめて土産をと手に取ったのだったか……
 込み上げる懐かしさに表情を和らげ、そっと箱に瓶を戻す。もうひとつ、一緒に入っていた白い封筒。そちらは封はされておらず、開くと丁寧に折り畳まれていた一枚の便箋が現れた。
 宛名はない。一瞬の躊躇ののち、オレは便箋を抜き取った。
 誰に宛てたかもわからない手紙を盗み読むのはと思ったが、元よりこの箱は類本人に託されたものだ。中身をオレが見ることも承知の上だろう。
 紙面にはこう綴られていた。

『君のことが好きだった』

 たった一行、それだけ。
……?」
 あまりに質素かつ簡潔すぎるそれに、思わず裏面なども確認してみるが何もない。なんだこれは。何かの謎解きか? もしや火で炙ると文字が浮かび上がるとか? はたまた鉛筆で擦るタイプか?
 ……いや。
……直接聞いた方がはやいか)
 なんせすぐ隣の部屋に本人がいるのだから。
 長時間小箱と対峙していたからか、立ち上がるとぱきっと骨が鳴った。ふらふらと自室を飛び出して、そこではじめて、心音が妙に逸っていることに気がつく。理由は大体わかっていた。――焦燥だ。
 静まり返る、住み慣れた我が家。
 親元を離れて、ふたりで生計をたてて。慣れない生活に苦労もあったが、朝も昼も夜も、ひどい時は夜通しショーについて語り合ったりもして――共に心地よい倦怠感の中白む世界を迎えたこともある。
 類とはたくさんの感情を共有してきた。ショーを通じて。日常を通して。友人として。家族として。
(それを、いまさら)
 いまになって。この手に、知らない類がいる。
「類――‼︎」
「わ」
 勢いよくドアを開けば、類の気の抜けた声が飛んできた。どうやら何か機械を組み立てているところのようだ。
 机の上には螺子とボルトが数本ずつ。類の手元には謎の光源装置がある。
 手にしていた部品を置いて、類は椅子越しにオレを振り返った。
「どうしたんだい、こんな夜更けに」
「どうしたもこうしたもない。いったいどういうことだこれは‼︎」
 ずい。目の前に小箱を差し出す。類は二、三度瞬きをして、どこかわざとらしく片眉を持ち上げてみせた。
「ああ、開いたんだねえ、それ。すごいじゃないか」
 目を細め、おめでとう、と続けるその白々さに眉を寄せる。
 オレが納得していないことを察したのだろう。類は少しだけ困ったような顔をして、小箱の中から封筒を抜き出した。
「君が気にしているのは、これかな。どうもこうも、ご覧のとおりお宝さ。わかりやすく言えば、ファンレターだね」
「ラブレターではなく⁉︎」
「おや……受け取り方の違いかな?」
……。いいや、これは間違いなくラブレターだ」
……断言するね」
 ――無論、当てずっぽうに言っているわけではない。
 寧々やえむの助言を信じるならば、類はこの箱をオレに開けてほしいと願っていた。
 聡明なこの男のこと。当然、類自身が箱の開け方を忘れてしまったとは思えない。箱の中身だって覚えていたはずだ。
 意味なく無駄なことをさせるような男でもないし、わざわざオレに託したことにはかならず理由がある。
 ……大体、ファンレターひとつしたためるのに、こんな手の込んだ細工をする必要があるか。
「だがひとつ不満がある。何故過去形なんだ」
……
「類」
……そのままさ。僕は昔、君のことが好きだった」
「いまは好きではないということか?」
「いいや。良き友人としては、もちろん好ましく思っているとも」
 ……意味が、わからん。
 類の好意を受け取って、驚きこそあったものの。オレ自身にネガティブな感情はなにひとつ浮かばなかった。
 むしろ……うれしかった、と思う。オレにとって、類の存在は当たり前に大切になっていたから。大切な友人だから。仲間だから。家族だから。
 再度口を開こうとしたその瞬間、遮るように類は声を被せた。
「でも、それだけだ」
……!」
 ……それだけ?
 それじゃなんだ。つまり、もう、恋心は消えたとでも言うつもりか?
「まさか本当に、開けてしまうなんてね」
……開けてほしいのではなかったのか?」
……開けてほしかったよ。でも、開けないでほしかった」
 嘆息し、類は器用に、その細い指で小箱をくるくると回転させた。
 金糸雀色の瞳が伏せがちにオレを振り返る。
……司くん。君が開けたのは、パンドラの箱だよ」
「パン……?」
「蓋をしておかないと、僕にだって制御できるかわからない。それほどおそろしいものなんだ、この気持ちは。だから鍵をかけてセカイに隠した。はじめから、無かったものにしようと思ってね」
 ギッ、と軋む音がした。椅子から立ち上がった類は立ち尽くしたままのオレの手を取り、そっと小箱を握らせる。
 部屋の照明が、類の白い顔に陰影を落とす。
 下がる眉尻。薄く浮かべた微笑み。それは、見慣れた類の顔であるはずなのに。まったく知らない別人のようにも見えて――
「そんなものを渡されたって、君は困ってしまうだろう?」
「それは……
 咄嗟に口を開くものの、何も言葉は紡げなかった。
 何故、と疑問が脳内をじわりじわりと占有していく。
 たしかにオレは困ってしまうのかもしれない。類がオレに向ける恋情を持て余してしまうのかもしれない。だが、心のどこかでは、困らせてほしいと思っている自分がいる。困らせてほしいだなんて絆されすぎにも程があるが……
 でも、オレ達は。寄り添って、支え合って生きてきただろう。ずっと。
――開けてくれてありがとう、怪盗くん。その箱は君の好きに使ってくれて構わないよ。結構厳重だから、宝物を隠すにはぴったりだ」
「類」
……すまないね。いま忙しいから……夜も遅いし、……おやすみ」
 最後に見た瞳の色は、拒絶を宿していた。
 ぱたんとやわらかく閉まるドアを呆然と見つめる。怒りを感じるよりも、悲しみを感じるよりも、ただただ理解が及ばない現状に首を捻る。
……おや、すみ……
 声が漆黒に溶けていく。有耶無耶に濁された重たい空気の中を、ゆっくり、ゆっくりと、深く沈んでいくように。

   ⁑⭐︎⁑

 オレは恋を知らない。
 する必要がなかったとも言えるし、することができなかったとも言える。
 家族や友人に恵まれ、愛された人生を送っていると自負している。だからこそ、たとえ特定の特別な誰かがいなくても心は常に満たされていた。
 夢を追いかけ続けて、恋に気を取られる余裕がなかったのもある。
(だが類は……おそらく、相当昔から恋を知っていたのだろうな)
 小箱に入っていた白い封筒は、しわくちゃでとても状態がいいとは言えなかった。いったいどれほどの長い間、セカイの片隅で眠っていたのだろう。
 類は……どんな思いでこの恋文を綴ったのだろうか。
(まったくわからん……
 稽古場の壁際で、水筒の水を口に含みながら眉を寄せる。
 ――昨夜、あれから。類とは結局、腰を据えて言葉を交わせていない。朝になればいつも通り共に朝食を摂るかと思いきや、今日は午前から装置のシステム調整があるからと早々に家を飛び出して行ってしまった。
 見送ったあいつの顔は、いつもと変わらず飄々としていたけれど……
……
 神妙な面持ちのまま水筒の蓋を戻す。
 類が、いま、オレのことをどう思っているのか、全然わからなくなってしまった。
 友人としては好きだと言っていた。それに関しては疑いようもない。では、恋は? 閉じ込めて、蓋をして、無かったことにできるものなのだろうか。
「ぬうう……
 そして何よりも不可解なのは、オレ自身の感情だった。
 類がもう恋を過去にしたと聞いて、一番に胸中に浮かんだのは戸惑い、そして後悔だった。
 こんなに近くにいながら類の内面に気づけなかった不甲斐なさと、無かったことにされた憤りと。そして、諦めたくないという気持ち。
 オレは、類ほど想像力が豊かではない。でも、だからこそ理解することを諦めたくない。
 ――類のことを、もっと知りたい。
 大事な友だから。仲間だから。家族だから。――いや、それだけじゃない。
……
 どく、どく、と皮膚の下で心臓が鼓動している。
 脳裏に浮かぶ類の表情。喜びも悲しみも、怒りも興奮も分け合った。とっくに、オレにとって神代類という存在は誰よりも特別になっていた。
 熱を帯びる。
 ――好きに、なっていた。神代類という男にオレは恋をしているのだと、今更になって気づかされた。
 類はもうオレに恋をしていないというのに。……手遅れになってしまったというのに。
……本当に、今更なのだろうか)
 波に攫われた砂の城は、もう元には戻せないのだろうか――……
――さん、……天馬さん!」
「ぬあーっ」
 突然背後から声を掛けられて、すぐさま我に返ったオレはびくりと肩を震わせた。
「ちょっと集中が乱れているのではなくて? らしくないじゃない」
「青龍院……
 振り返れば、亜麻色の髪を束ね、練習着を身に纏って立ちはだかる青龍院の姿。怪訝そうに眉を吊り上げ、腰に手を当ててじろりと睨まれる。
「すまない。午後からは気を引き締めて――
「何か悩み事かしら」
……!」
 ぴしゃりと言い当てられ、うっ、と固まる。やはり、ばれてしまうか。流石の観察眼としか言いようがない。
「お前に隠し事はできんな……
 肩の力を抜き、観念したように呟くと、青龍院は切れ長の瞳をちらとオレに向け、澄んだ眼差しで口を開いた。
「この私に相談のひとつもないってことは、役者としての悩みではなくプライベートなことなのかしらね」
「その通りだ。……実を言うと、付き合いの長い友人との関係がよくわからなくなってしまって……
「友人。そう……
 相槌を打ったきり、青龍院は考えるような仕草で俯き、やがて音もなく顔を上げた。
「それなら、やっぱり私からあなたにアドバイス出来ることはほとんど無いわね……
「そんなことは」
「あら、ネガティブな意味じゃないわよ。だってあなた、昔からそうだったもの。きっかけさえあれば必ず掴める。だから一見無茶でも、無鉄砲でも、あなたを信じてみようという気にさせられる」
……
 凪いだ声。それでいて芯の通った力強さに、思わず目を見開く。
 青龍院とは同じフェニックスワンダーランドでショーキャストをしていた、いわばかつての同僚であるが、互いに切磋琢磨をした関係ではない。
 あの頃は青龍院の方が当時のオレの百歩も千歩も先を進んでいた。高飛車な態度に反感を抱くこともあったが、その態度に見合うだけの実力の持ち主だった。
 彼女が不死鳥であるならば、オレは生まれたての雛だった。……だけど。
「はじめはただ声が大きいだけの人って思っていたけど――大切なフェニックスワンダーランドを守ってくれたあなたの意気込み、私はこれでも買ってるの」
 青龍院の声が、言葉が、胸の内で痞えていたものをすとんと落としていく。
「若気の至りだなんて言わせないわ。あの頃から、あなたには人を勇気づける何かがあった。あなたの強い想いに触れて、皆、笑顔になっていくんですもの……同じ役者としてはちょっと悔しかったくらいよ」
 肩に掛かった亜麻色の髪を払い、不敵に笑う。
 そんなところで挫けるあなたではないでしょう。そう、言外に含まれた言葉が、まっすぐに伝わってくる。
「凛としなさい。迷いがあるなら、断ち切りなさい。たとえ砕けてもぶつかりなさい。下を向いて悩んでいるより、真っ直ぐ突き進む方があなたにはお似合いだわ」
――……!」
 こころに、火が灯る。
 熱く滾る想い。燃え盛る炎。ぐっと胸の前で拳を握り、オレは大きく息を吸い込んだ。
 そうだ。ひとりでうじうじ考えるのは性に合わない。
 後のことはぶつかってから考えようではないか。たとえ粉々に砕け散ってしまったとしても、オレはきちんと類の気持ちと向き合いたい……
……ありがとう、青龍院! おかげで気持ちの整理がつきそうだ!」
「礼には及ばないわよ」
 そう言って青龍院は琥珀の瞳を細め、頬を持ち上げてみせた。
「この借りは、しっかり舞台で返してもらうから」

   ⁑⭐︎⁑

 夕食を終え、入浴も済ませ、パジャマ姿でリビングへと戻ると。類はぼんやりとソファーに腰掛け週末のロードショーを観ていた。
 城を抜け出した王女と町の記者の、泡沫のラブストーリーだ。いつだったか学生の頃にも、類の実家で肩を並べて観たことがある。
 観終わった後はいつものように、ふたりで映画の感想を言い合って、自分にはなかった視点で聞く感想が新鮮で面白くて――
 ……類とルームシェアをしたら、こんな風に毎日ショーの話をして過ごせるのではないかと最初に思ったのも、あの日だった。
「類。少しいいか?」
……いいとも」
 固い声。
 言葉もなくオレが静かに歩き出せば、類も口を結んだままオレの背中を追いかける。やがて地下へと続く階段に足を掛けると、そこではじめて類がぽつりと声を零した。
……呆気ないな」
「何がだ?」
「僕は結構、いまの生活を気に入っていてね。君と過ごしたこの数年間は本当に居心地がよかったよ」
「ああ、オレもだ! だからこそ、うやむやにすべきではないと判断した」
……
……これ」
 地下室の扉の目の前で。握っていた類からのラブレターを目前に翳す。
 類は金糸雀色の瞳を細めるばかりで何も言わない。
「大事なものなんだろう」
……
「宝物なんじゃないのか、類にとっては」
「それ、は……
 言い淀む類を一瞥して、オレはそっとドアノブに触れた。キイ、と音を立てて、地下室の扉が開かれる。
 少しだけ埃っぽいが、たくさんの思い出が詰まった秘密基地。オレの、『だいすきな場所』のひとつ。
――……
 オレは拳を握り、勢いよく類を振り返った。
――類! いまから怪盗ツカーサがとあるマジックを披露してやる。刮目せよ!」
「え……
 目を見開く類を後目に、おもむろにポケットから小瓶を取り出す。
 ――昨日、青龍院に喝を入れられて、稽古の後すぐにオレは電車に飛び乗った。記憶を頼りに訪れた海辺の街。その土産屋で購入した、紫色の星の砂が入った小瓶。
 コルクを抜き、中身を作業台の上にばら撒く。
「見ろ」
 さらに、その上に。類の宝箱に入っていた黄色い星の砂を振りかけ、手のひらで満遍なく混ぜる。
 紫色の砂と黄色の砂。二色が混ざり合い、濁った赤色になったそれを「どうだ」とオレは得意げに見せた。
――だいすきの色だ!」
……だいすきの色?」
 きょとん、と目を瞬かせて、類がオレの言葉をそのまま繰り返す。
「これは……随分と濁った『だいすき』だねえ……
「ぐっ……仕方がない。そこは、オレもお前も大人になってしまったからということにしてくれ。――だがな、類よ。大人になったからこそ! オレ達は子供の頃にはできなかったことができる!」
 類が、どういう思いで恋心を無かったことにしようとしたのか。それは、一晩考えてもわからなかった。
 きっとオレよりも一手二手と先を読むことが出来る男だから、そうすることが最善と当時の類は導き出したのだろう。オレに対する引け目だとか、そういうものもあったのかもしれない。
 夢を追いかけるオレは、青くて、幼くて、急いで大人になることに夢中だった。……だけど、いまは。
「友と秘密基地を建てることもできるし、親の目を盗まずともショーを朝まで語り明かしたっていい。夜更かしして深夜にラーメンをたべることも許される。何故なら、大人だからな! ……それに」
 手を伸ばし、だらりと垂れた類の細い手を握り締める。
「オレは夢を叶え、スターになった。もう何にも気兼ねすることはないんだ、類」
……!」
 少しだけ、冷たくなった類の手。触れ合ったオレの手指から徐々に熱が伝播して、じんわりと温かくなっていく。
 ――ひゅ、と類の喉が鳴った気がした。
……、」
 瞳が揺れる。息を吸い込む音。互いに視線は逸らさず、見つめ合う。
 ほんの数秒の逡巡が待ちきれないほど長く感じられて、オレははやくはやくと逸る心臓を喉奥で押さえ込んでいた。一分一秒さえも惜しい。類の言葉が、待ち遠しい。
…………、まいったな……
 しばらくして。零れ落ちたのは途方に暮れた声。
 じわりと類の目尻が染まる。オレに握られていない方の手でくしゃりと前髪を掻いて、類は、観念したように口を開いた。
「宝物なんてとんでもない。僕は、この想いを……断ち切るつもりで、箱にしまったんだ」
……ああ」
「君のことが好きだった。夢に向かってひたむきな君が、大好きだった」
……
「隣に立っていたい。一緒に夢を叶えたい。そう思うのも本心なのに、恋を自覚した途端に……みっともなく君に縋ってしまいそうになる自分が、おそろしくなって」
「類……
「君が僕から離れていく未来が、こわくなった」
 言葉尻を震わせる類を見上げて、今度はオレが口を噤む。
 ――なんだ。それなら、オレと同じではないか。
 類の大きな体躯が、何故だかいまはとても小さく感じられて。無性に、抱きしめてやりたくなって。
 心臓が締め付けられる。
 こんなにも長い時間を共に過ごしてきたのに、類はずっと打ち明けられない孤独を抱えていた。見抜けなかった不甲斐なさと、しかし打ち明けてもらえた安堵と喜びが胸中で綯い交ぜになる。
 ようやく見せた氷山の一角。しかし、姿を現したならばなんてことはない。
 あとはただ。溶かすだけだ。この熱を以て。
……この物置、いつになっても片付かんな」
…………
「類が、どんなものでも大切にとっておくから……いつまでも物に溢れている」
「そう、だね……
「でもこいつらだって、オレ達にとってはガラクタじゃない。宝の山なんだ」
――
「どれも、これも、オレ達が共に駆け抜けてきた軌跡で、そしてそれは色褪せることなく――次の世代に引き継がれていく」
 過去になる日は、きっと来ない。
 だって。これから先の未来だって、類には隣に立っていてほしい。他でもないオレ自身がそう願っている。
 この男が愛しいと、こころが叫んでいる。
 ……薄暗い地下室に沈黙が訪れる。類は、確かめるようにオレの手を握り返して、そっと眉尻を下げてみせた。
「司くん……そのラブレター、ひとつ、訂正させてほしい」
 視線で先を促す。類はひとつ、深呼吸して。まっすぐにオレの目を見つめ、息を吸い込んだ。
「まだ――君のことが好きだ」
……そうか」
「欲張って、手を伸ばしてみてもいいと思うかい? 僕は」
 熱い指先がおそるおそる頬に触れる。手を重ね、頬を寄せて。どうせなら、と声を零した。
「はんぶんこするのはどうだ?」
 オレと、類。二人分のこれからの人生と、だいすきを。
 そっと踵を持ち上げる。
 近づく距離。意外と長い睫毛の奥で、類の瞳孔が微かに縮む。
 息を飲んだ類にちいさく笑う傍らで、白い壁に映し出された二人の影は――音もなく、ひとつに重なった。

   ⁑⭐︎⁑

 漆黒の夜空に、いくつもの光の大輪が咲いている。
 煌びやかな照明と華やかなメロディー。きらきらステージ観客席の端で立ち見をしていたオレは、ショーのクライマックスに向けて盛り上がりを見せる舞台に「おお……!」と小さく感嘆を零した。
「なんというか、フレッシュだな……
「僕達にもあんな時代があったと思うと、感慨深いねえ」
「ちょっと。司も類もおじさんくさいこと言わないで」
 おじっ……。寧々が繰り出す鋭い非難にこころを抉られる。まだ二十代も折り返しだ。たしかに最近すこし運動不足を実感することが増えてきたが……いやでも……
 頭を抱えるオレの隣でえむがわっと歓声をあげる。
 沸き起こる拍手の渦。無事スターライト・ドリームのナイトショーは終演を迎え、初公演は見事大成功をおさめた。
 カーテンコールで演者達が一礼するのを見届けて、人知れず表情を緩める。
 いい舞台だった。技巧の拙さはあれど、それをカバーして余りある情熱があった。伸び代を感じるし、このように観客に次を期待させるのはそう簡単なことじゃない。
 ……やはり、大きくなってほしいと思う。たとえ険しい道でも。仲間を信じ、自分を信じて突き進めたなら、かならず切り拓かれていくはずだから。
 スピーカーから着ぐるみによるアナウンスが流れ、徐々に観客達が散り散りになっていく。
 閉園まではまだ時間があるし、四人でこうしてフェニックスワンダーランドに集まるのは随分と久しぶりだ。せっかくなら少し散策して帰るか――と提案しかけたその時、突然、突拍子もなく類がふらふらと近づきオレに伸し掛かった。
 郷に入っては郷に従えの精神で猫耳カチューシャをつけて可愛こぶってはいるが、体格の差もあり体重までかけられるとひとたまりもない。バランスを崩しかけて、こら類、と叱るが本人は甘えた様子でどこ吹く風だ。
「司くん♪ 君が手に持ってるそのチュロス、僕もひとくち食べたいな」
「お前……さっき散々フードコートで肉を食べていただろうが」
「デザートは別腹だろう?」
「そんなこと言ってるとあっという間に中年太りしてしまうぞ」
 後ろ手に類の腹をむに、とつまむ。知ってるか。つまめる肉はすべて贅肉らしいぞ。ふふん、と鼻を鳴らすと、類は面白くなさそうな顔をして小さく頬を膨らませた。
……司くんのえっち」
「何故そうなる⁉︎ ……あっコラ、しれっと人のチュロスを齧るんじゃなーい!」
 皮肉に対する嫌がらせか、一口で半分以上齧られたチュロスを握り締め地団駄を踏む。くっ……そんなに食べたいのならまた並べばいいだろうに。以前、オレの分まで夜食のラーメンを作ってくれたあの甲斐甲斐しさはなんだったんだ!
 大げさにため息をついていると、一部始終を見守っていたえむがくすくすと肩を震わせて笑顔を浮かべた。
「司くんと類くん、今日もラブラブだねえ」
「ほんと。カップルよりカップルみたいなんだから」
「え」「む……
 カップル。ドキッ、と心臓が跳ねる。
 突然不自然に硬直したオレと類を、えむと寧々が怪訝そうに見つめる。ちらり。類に視線を向ける。類もまた、意味ありげにオレを見つめ返した。さて、二人にはどう打ち明けようか……
「え、なに?」
「えっと……実は、付き合い始めたんだ、僕達」
「え」
「「――ええ〜⁉︎」」
 二人の驚く声を聞きながら頬を掻く。てれてれと二人揃ってもじもじしていると、寧々が頭を抱えて憤慨した声をあげた。
「な……なんでそんな大事なこともっと早くに言わないわけ⁉︎」
「お、おめでとわんだほいだー⁉︎ みんなにも教えてあげなきゃ! えっと、えっと、……着ぐるみさーん!」
「待て待て待て待て! 落ち着け!」
 こころを通わせたといっても、オレ達はまだ付き合い始めて一週間も経っていない。
 キス……はしたものの、清い関係であるし、いまは絶賛、家の中限定で『意識して触れ合うようにしよう』月間の真っ最中だ。
 ご覧の通り早速類には家の中限定のルールを破られまくっているが……、まだまだ、オレ達なりの歩幅でようやく進み出したところなのである。
 なので、つまり……まだ少し、類との関係を他者に知られるのは照れくさい。
 無論、いつかは公表も視野に入れているが……恋人としての顔の類は、わたあめみたいに甘くてふわふわで、到底他人には見せられないような、見せたくないような、そんな感じなので。あまり話を大きく広げられると困ってしまう。
「と、いうわけで。しばらくオレ達の関係は他言しないように!」
「いや、無理だと思うけど」
「何故だ⁉︎」
「わたし達がわざわざ言いふらさなくても、どうせすぐ世界中に知れ渡るでしょ……
「うんうんっ、司くん達、仲良しでゆーめーだもんね!」
「た、たしかにオレはいまを時めく大スターだが……⁉︎」
「そういう意味じゃなくて」
……フフフッ……
「る、類も笑ってる場合では……まったく………………、ははは!」
 なんだかつられてしまって笑みを零せば、えむと寧々も顔を見合わせてふわりと微笑んだ。
「おめでとう、司くん、類くん!」
「おめでと。お祝いにご飯でも行く? 司の奢りで」
「あっ、じゃあじゃあ! スタドリのみんなも呼んじゃおうよ!」
「いいねえ。ぱあっと打ち上げといこうじゃないか」
「〜〜ああもう! お前達! 少しは座長の懐に遠慮せんか――!」
 懐かしいような。いつもと変わらないような。そんなやりとりを交えるオレ達の頭上で。一筋、星が瞬き、流れる。
 誰かの願いを乗せて、今日も、明日も。……未来も!
 ――ぱちり。