猫澤
Public
 

拝啓、愛すべき馬鹿へ



「ひ、暇だ……
 そう呟いた瞬間、そよそよと心地いい風が吹いて前髪がふわりと揺れた。
 フェニックスワンダーランド。その辺境に位置する我がワンダーステージの壇上は、照明を落としているため今日は少し薄暗い。
 オレは手にしていたモップの柄に顎を乗せ、ため息と共に大きく項垂れた。
 元々憩いの場として使用されていたのもあって、ワンダーステージは辺り一面を青々とした木々で囲まれている。
 澄み渡った空気。広々とした空。時折横切る小鳥の遊飛行を気の抜けた顔で見上げる。
 のどか。ああ、じつにのどかであった。
 客入り時の週末であるが、ワンダーランズ×ショウタイムは本日残念ながら休業である。
 つい昨日しがた九月のお月見ショーが終わり、今日から一週間は次のショーに向けたインターバルだ。余暇を楽しむもよし、学生の本分として学業に精を出すもよし。えむは家のことで何やら用事があるらしいし、寧々は久しぶりに部活に顔を出すのだと言っていた。
 そして残されたオレと類は。お互い特に予定もなく、かといってやりたいこともすぐには浮かばず、どうせ男手ふたり揃っているのならと――一日使って愛用しているステージの清掃をすることにした。
 普段ならば清掃は閉園後に行うのだが、いまは順路も封鎖しているためワンダーステージまで足を運ぶ客は少ない。というか、ほぼないに等しい。
 いつかに類が作った、高圧洗浄機つき獅子舞ロボの出番である。
 ここぞとばかりにそれを駆使して――時折頭を噛まれながら――ステージ全体をぴかぴかにしていく。せっせせっせと午前中のうちに頑張った磨いた甲斐あって、ランチタイムを挟んで午後の清掃に取り掛かる頃には、もうステージも客席も粗方綺麗になってしまっていた。
 さて。そうなると手を持て余してしまう。
 もう何度も擦ったところを意味もなくモップでごしごしと磨いて、むう、とくちびるを尖らせる。つい昨日まで慌ただしい日々を送っていた反動か、どうにもこののほほんとした平和な時間が物足りなくて仕方がない。
 ステージ磨きも無論大事なことだ。オレ達はステージがなくても輝けるが、より一層観客を笑顔にするためには欠かせない存在である。今頃類のやつも奈落の方でロボの点検をしているのだし、オレも頑張らねば……
 ああでも、いまいち身が入らん……
 今日ばかりは妙なことを仕出かすえむも、隙をついてサボろうとする寧々もいないので、座長として彼女達をせっつく必要性もなく。
 有り体にいえばそう、――とかく、暇だった。
 燃え尽き症候群とでもいうのだろうか。いや、少し違うかもしれない。だってもう、はやく次のショーの打ち合わせがしたくてたまらない。
 まるで体内を循環する血液のように。ショーに命を燃やす身としては、ショーマンとして舞台上に上がっている時間こそ、生命を実感できるひとときである。
 ふと顔を上げれば、すぐそこに観客席がある。オレ達のショーを観て笑顔になった観客の姿が、瞼を閉じれば浮かび上がってくる。
 ――はやく一週間後になってはくれないものだろうか。
 はあ、と贅沢なため息が零れた。口元を歪め浸っていると、ふとカタンと物音がした。奈落に続く扉がぱかりと開いて、ひょっこり顔を覗かせた――菫色。類だ。
「司くーん。そっちは順調かい?」
「見ての通りだ……
「おやおや……順調、というわけではなさそうだねぇ」
 いやいや。清掃自体は獅子舞ロボのおかげで順調も順調だとも。
 むしろもうほとんど終わっていると言っても過言ではない。しかし類はぴかぴかになったステージの壁と、モップを手にしたまま微動だにしないオレを交互に見比べて、やれやれと肩を竦めた。
「そっちはどうだ? ゾンビロボ達の調子は」
「ああ、多少ボディに錆びが見られるけど、稼働に問題はなさそうだ」
「おお。それはよかった!」
 ショーで使うロボ達は定期的に類が点検を施している。
 学習型AIを搭載した、おそらく神代類史上最高傑作であるハイスペックロボ――ネネロボ以外は、どうしてもショーによっては使用頻度の差に幅ができてしまい、時にはシーズンが過ぎるとダメになってしまうこともある。
 整備、あるいは新調が必要ともなると着ぐるみよりももっと上の人間に予算の申請を出さなくてはならないため、こうして事前の点検と確認が必要になるのだ。
 トン、と類がステージに足を下ろす。ふと、またほんのり涼しい風が吹き抜けて――オレは客席を振り返った。
 もう十月も中旬である。そして数日後には、今年のハロウィンショーが待っている。
 去年披露したショーの再演を望む声も多くあり、今回はそれをさらにブラッシュアップした――名付けて、デラックスリバイバル公演!――をする予定だ。……まあ、そうはいってもまだおおよその骨組みが決まっているだけなのだが。
 いまになって思い返してみれば、うっかり奈落へと落ちて怪我をしてしまったのもいい思い出である。類とは少々揉めてしまったが……類がオレの身の安全を最優先に案じてくれたからこそと思えば。
 それに。あの程度の怪我など、どうということもない。類の方がよほど痛そうな顔をしていた。
 ……あの頃はまだ想像もしていなかったな。
 てこてこと長い脚を交互に動かして、オレの隣りに立った類を見上げる。レモン色の瞳と視線が交わって、ふ、とオレは表情を崩した。
 ――まさか、オレ達が恋人同士になるなんて。
「早いものだな。あれからもう一年か……
「そうだねえ……
 風のいたずらで類の前髪がふわりと浮くのを見つめる。
 類は作業がひと段落ついたのもあって、ステージの端に腰かけ少しのんびりするつもりのようだ。それならば、とオレも意気揚々と類の隣りに腰を下ろした。
 ちちち、とどこからともなく小鳥のさえずりが聞こえてくる。木々のさざめき。ああ、本当に。じつにのどかな時間である。
……お掃除はいいのかい?」
「一旦休憩だ! リフレッシュも大事だろう? ……ん〜〜っ!」
 大きく伸びをして、そのまま体を背後へと倒せば。くすりと横で小さく笑う声がした。
 見上げると、類が口元を緩め微笑んでいる。メンテナンス中に擦ったりでもしたのだろうか。頬には煤けた跡が残っていた。
「はあ……。しかし参ってしまうな。つい昨日までショーをしていたというのに、もう次のショーがしたくて仕方ない」
「僕もだよ」
 ごろん。類もその無駄に大きな体を倒して、オレの横に寝っ転がった。
 指先が伸びて、オレの鼻をつんつんとつつく。まったく、いたずら好きめ。こちらが構うとスンとするくせに、こっちが意図しないタイミングで戯れつくのだから、まるで猫みたいなやつだ。
 こら、と手を撥ねのけると、何が可笑しいんだか、類はけらけらと年相応に嬉しそうな顔をした。こいつの、こういう顔を見ていると不思議と胸が温かくなる。恋をしているからだろうか。そうに違いない。
「君が僕を見つけて、諦めないでくれたから――おかげで僕の人生は毎日が薔薇色だ」
「ハーッハッハッハ。この天馬司と共にいて退屈などさせんぞ!」
「そういう君は、現在進行形で退屈そうだけどね」
「ぐっ……揚げ足を取るんじゃな〜い……
 仕方ないだろう、と呟いた。人生に退屈はつきものだ。
 そりゃあ、より刺激を求めてしまう気持ちもわからんでもないが。起伏あってこそ人はそのありがたみをより実感できるのだ。よく言うだろう、幸福を知るのは不幸な人間だけなのだと。真に幸福な人間は、幸福がどういうものであるか知らない。
 あるいは。オレがこんな風になってしまったのはお前のせいだぞ、と半ば責任転嫁をする形で類をじとっと睨む。類はオレと出会って薔薇色だというが、オレは類と出会ったことで人生が輝かしい虹色になったのだから。
 赤色でも、青色でも、オレは舞台の上では何者にもなれる。
 そんな可能性を知ってしまって、オレは、以前よりもっとショーが楽しくなってしまった。だから類にはその責任をとってもらわねばならない。ひとまず、可及的速やかに、この退屈を打破する妙案を。
 ふむ、と類は顎に手を当て、そうだ、と何やら閃いた様子で上体を起こした。
「そんなに暇なら、僕と少しゲームをしないかい?」
「ゲーム?」
「そうとも。ルールは簡単、『大好き』と言って相手をドキドキさせた方が勝ちだよ。退屈しのぎになって、刺激も味わえる。一石二鳥だろう?」
――乗った!」
 勢いよく体を起こして類と向かい合う。きょとんとした表情に、しめた、と片頬を持ち上げた。ふふん、この天馬司をなめるなよ。愛の告白など朝飯前のラジオ体操より軽い!
「類! 大好きだ!」
「ありがとう。僕も大好きだよ」
 ……んん?
 先手必勝と、類の手をとって揚々告げた告白は、見事なまでにあっさりと流されてしまった。
 類がにこりと微笑む。対照的に、オレはむむむと眉を寄せた。
「ドキッとしている態度ではないな……
「どうだろうねえ」
「もっとシチュエーションを凝った方がいいのだろうか」
 この勝負、相手をときめかせた方が勝ちならば。
 おそらく小手先でどうこうしても通用しないだろう。相手は類だ。類の想像を遥かに超えて奇を衒っていかなくては。
 類がときめくシチュエーション、ときめくシチュエーション……。腕を組みううむと唸る。
 いや、めちゃくちゃ難易度高くないか?
「司くん」
「ん?」
 不意に名前を呼ばれて振り返る。類はにんまりと口を緩め、おいで、とオレを手招きした。
 特になんの疑問も抱かずに類に近寄る。耳を貸せとジェスチャーするので、どれ、と片耳を類に向ければ。
……大好きだよ」
 内緒話をするみたいな。こそこそとした、小さな声。
 ドッ、……と心臓が暴れた。
「あ。今のはちょっとドキッとした顔だね」
「う、うぐぐぐ……囁くのはずるいだろう!」
「いやいや。囁くのが反則だなんて言った覚えはないよ?」
 たしかに反則技についてはなんの言及もしていなかったが!
 熱をもった耳を手で押さえて、ぐう、と類を睨み付ける。オレとしたことが類に先手をとられてしまった。何か早急に手を打たねば、このまま類に勝ち逃げされてしまう。
 ぬううう……。類がときめく……類が喜ぶ……? 頭を抱えてぐるぐると思考を巡らせる。好きな……愛らしい……――はっ、そうだ!
 ばっと類を振り返り、胸元で手を握る。ぴょんぴょんと体を弾ませ、ほんのりと頬を赤らめながら、満面の笑顔で。
――るいお兄ちゃん、だいすきっ」
「へ」
 オレが出せる最大限媚びた声(ヒント。我がフェニックスワンダーランドマスコットキャラクター・フェニーくん!)で愛を囁けば、類はぱちくりと目を丸くして固まってしまった。あ、アレ〜……
「ぬあ⁉︎ また外したか⁉︎ 咲希の愛らしいポーズを真似してみたのだが……
「あ、ああ……咲希くんの……
 この世でもっとも愛らしいものといえば、無論、妹の咲希に決まっている。
 健気で努力家で優しくて、どこにお嫁に出しても恥ずかしくない出来た妹だ! ……は? 嫁だと? そんなの咲希にはまだ早すぎるが? 交換日記から始めた清い交際じゃないとお兄ちゃん許さんが⁉︎
 メラ……と、実際に存在するかもわからん架空の相手に若干の敵意を抱いていると、ふと、類がそわそわと落ち着かない様子でそっぽを向いていることに気がついた。
 頑なにオレと目を合わせようとはせず、オレが回り込もうとすると器用に体を捻らせる。
 ……? なんだこの反応は。
「もしや類、じつはグッときて……
……ないよ」
「嘘だ! それならなぜこちらを向かない⁉︎ こら、オレの目を見ろ――!」
 がしっと肩を掴んで無理矢理にでも顔を合わせようとすると、類は両手で顔を覆ってやだやだと駄々っ子のように首を振った。いや、だからなんだその反応は――
「やだ、司くんのえっち!」
「エッチ⁉︎⁉︎⁉︎ ふ、不名誉なんだが⁉︎」
 しかし、類の耳がわずかに赤くなっているのは見逃さなかった。
 そうかそうかなるほど。類お前、意外と俗っぽいところあるんだな……
 我ながら聞くに耐えない裏声だったと思うのだが、スターの素質だろうか。
 これで勝敗はドローである(類は頑なに負けを認めようとしないが。それを言ったらオレだって先の一戦は納得がいってない)。
 さて、次はどんな方法でアプローチを仕掛けるか……。ふむ、と顎に手を当てていると、突然、類がオレに覆い被さってきた。なんだなんだと目を瞠る。見上げれば、類は少し不貞腐れたような表情で、こつん、と額同士を合わせて。
……だいすき」
「っ、……
……フフ、ドキッとしたかい?」
「ち、ちが――う! ちがう! 息がくすぐったかっただけだッ」
「やれやれ。素直じゃないねえ」
「〜〜〜〜ッ! だったらオレにも考えがあるぞ!」
 ほとんど売り言葉に買い言葉で、咄嗟に類の胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「え」
 目を見開いた類が逃げてしまわないように。
 その両頬をべちん! と両手で押さえ込んで――オレはむっとくちびるを尖らせ、その薄いくちびるに押し当てた。
 体感にして一秒。顔を離した拍子に、小さくちぱ、とリップ音がしたのが妙に恥ずかしくなって、じわじわ顔に熱が上ってくる。
…………だ、いすき……
 若干尻すぼみになりながら、小さく零す。視線だけ持ち上げて類を見上げると、類は僅かに笑みを浮かべたままひくりと喉を引き攣らせていた。
 この涼しい気候のなか、首筋に汗が浮かんでいる。
 ……ははーん。
「いま! 照れただろう! 類! ときめいてしまったんだな⁉︎ この天馬司に!」
「いやいや……そういう君こそ。仕掛ける側が照れてどうするんだい」
「ぐうう……
 返す言葉もない……
 無論、オレの脳内シミュレーションではもっと華麗にかっこよく、余裕のある感じに類のくちびるを奪う予定だった。
 しかしかなしいかな、こういったことはとことん不慣れで――ましてやキスなんて、オレの十八年の人生でも片手で数えるくらいしかしていない。それも相手は全部類なのだから、たかが知れている。
 にわかに熱くなった体をぱたぱたと手で扇ぐ。類も暑いのか、着ていたパーカーを脱いで細く長く息を吐き出した。
 ちちち、と相も変わらず小鳥がワンダーステージの上を横切っていく。沈黙。
「どうやらこの勝負、引き分けのようだね」
……いいや! まだ決着はついていない。後日延長戦だ!」
 引き分けというか、むしろちょっとオレが負け越している気がする。それではこのスター・天馬司の名が廃るというもの!
 立ち上がり、宣戦布告とばかりにオレは類に拳を突き出した。
「見ていろ類。必ずやオレは、お前をドキッとさせてみせようではないか!」
「なんだか火がついてしまったようだねえ。どうぞお手柔らかに」
「フン。余裕ぶっていられるのも今のうちだ!」
 きっと。
 この場に寧々などいようものなら、「何やってんのあんた達……」と呆れた声をあげていたに違いないが。
 幸か不幸か、次のショーまでのインターバル。えむも寧々も不在のため、オレ達のこの奇妙なゲームを止める者はどこにもいなかったのである。

 さて、ここからはかわいい我が後輩、東雲彰人が受けたある日のちょっとした災難へと話は変わる。

   ***

 ――オレが通ってる神山高校には、ちょっとウザい名物があった。
 片やド健全、能天気を地でいく声デカ脳内お花畑ナルシストの司センパイと。
 片や歩く危険人物、数多くの実験を校内で繰り広げるあまりマッドの噂が絶えず、実際何考えてんだかわかんねえし頭の中覗きたくもねえ神代センパイ。
 こいつらふたりが揃うとたいていろくでもねーことが起きるっていうのは、もはや神山高校全生徒全職員の共通認識だ。なんの比喩でも例え話でもなく、マジで平日昼間の学校で爆発が起きたりする。いまだに死傷者ゼロなのが奇跡に思えるくらい。
 誰が言い出したんだか知らねえが、つけられた呼び名は『変人ワンツーフィニッシュ』。この学校じゃこいつら以上の変人はいねえよって意味だ。ちなみに司センパイがワンで、神代センパイがツーらしい。これはマジで心底どうでもいい情報だったな。
 んで、なんでオレ――東雲彰人――が、こんなこと急に語り出したかっていうと。いままさに、その変人ワンツーにうっかりばったり遭遇してしまったからである。
――類! 大好きだ!」
「ありがとう。僕も司くんが大好きだよ」
 廊下のど真ん中。通行人(オレ)の行く手を阻みながら、自信満々に仁王立ちする司センパイと、にこにこと表情を変えず微笑み続ける神代センパイ。
……んだ、アレ……
 そんなふたりを見て、オレはがっくしと肩を落とした。
 この学校で出会ってはいけない人物ランキング堂々のワンツーフィニッシュ。あばよオレの平穏、と諦観込めて呟く。購買で競争率の高い焼きそばパンをゲットしちまったのが運の尽きだったかもしんねえ。
 つうかなんであのふたりは堂々と道端で愛を語り合ってんだ。隠れろ少しは。恥じらいっつーもんはねーのか。ねえな。あったらこっちも苦労してねえし。
「今日も司先輩と神代先輩は仲睦まじいな」
「いや、仲睦まじいとか以前にもはや公害だろ」
 そしてオレの人生最大の不幸は、最高の相棒である冬弥が何故か司センパイが関わると頭のネジ三本くらい吹っ飛んでしまうことだった。なんでよりによって、こいつとならRAD WEEKENDを超えられる! って思えた相手の幼馴染が司センパイなんだよ。世間狭いってもんじゃねえだろ。
 いや百歩譲って司センパイはまだいい。まだマシだ。芋づる式に神代センパイがくっついてくるのが解せない。
 はあ、と肺の底からありったけの二酸化炭素を吐き出す。
 司センパイに絡まれるのも面倒だけど、それ以上に神代センパイと直接関わり合いになるのは、出来れば避けたい。それだけでオレの昼休みがのどかで穏やかなものになる確率がぐっと上がる。
 あいつの、ショーに対する想いだとかは、まあ、理解できる部分もなくはないが……『君の考えていることはお見通しさ』みたいな、すかした態度はやっぱり気に入らない。
 凡人は凡人なりに苦労して、夢を掴むために努力してる。そう簡単に理解されてたまるかよって話だ。
「この教室、入るぞ」
「しかし、先輩方にご挨拶しなくては……
「いいから!」
 冬弥の腕を半ば無理矢理引っ張って、手近な教室へと避難する。
 だってあのまま近くにいたらうっかり爆発に巻き込まれるかもしれないだろ。繰り返すが、オレはのどかで穏やかな昼休みを過ごしたい。
 扉を閉めきってもなお、司センパイの「類――ッ」という声が板を突き破って轟く。あいつの声帯どうなってんだ? 喉に拡声器でもついてんのか? 唖然と立ち竦んでいると、隣りで「お元気そうで何よりだ」とうんうん冬弥が頷いた。うそだろお前。いまの、お元気そう、で済むのかよ。
 だんだん胃痛を感じてくる。せめてこの場に杏がいてくれたらよかったのにな……
 胸元を摩りながら、空き教室の窓辺の席に腰掛けると。ふと、窓から中庭の色づいた木が見えた。
 もうじき秋も終わって冬が訪れる。
 そうしたら、神山高校名物のあいつらも、あっという間に卒業だ。
(ちゃんと今年卒業するんだろうな……? 留年して同学年になりました〜とか最悪過ぎる。勘弁しろよ……
 ふたりの進路を直接聞くほど仲がいいわけでもないから、あいつらが進学するのか就職するのかもわからねえ。そもそも、この神山高校を卒業して、社会人としてやってくふたりのビジョンがまったく見えてこない時点で、だいぶこの環境に毒されているような気もしてくる。
 焼きそばパンの封を開ける。鼻腔に漂う、ソースの香り。ここの購買の焼きそばパンは人参が入ってないから最高だ。ちゃんとわかってんな。
「なんか、あのふたりいま勝負してるらしいよ〜?」
「うわ。神出鬼没だなお前……
 どこからともなくにょきっと現れた暁山にも、もはや驚きさえ感じない。どうせ昼休み前に登校してきて、空き教室で暇を潰してたらオレ達が来たとかそんなところだろ。気にせず焼きそばパンに齧りつくと、代わりに黙々と昼食を広げていた冬弥が口を開いた。
「勝負とはどういうものなんだ?」
「大好きってお互い言い合って、ドキドキさせた方が勝ちなんだって」
「くっ……だらね……
 思ってた以上にくだらなかった。なんだそれ。ただのバカップルじゃねえか。
 いつからだったか。あのふたりが付き合いはじめたっていうのもまあ、神山高校の間では常識だったりする。
 変人同士お似合いだよね、とかクラスの女子が噂してるのを聞くと、頭沸いてんのかって思うけど。ここにきて認識を改めることにした。沸いてんのはあいつらの方だ。
 今時思春期の付き合いたてカップルでもそんなことしねえよ――、と、オレが内心吐き捨てていると、突如前触れなくドカーン! という大きな爆発の音と共に教室が揺れた。
「な……
 音がした方向に目を向ける。距離はそう遠くなさそうだ。階段の方か……? ほらみろ、やっぱ爆発したじゃねえか!
「るい――ッッッ‼︎‼︎‼︎」
「あははっ! 司くん、大好きだよ!」
「大好きで誤魔化すな――‼︎ オレも大好きだ――‼︎」
「こら――‼︎ 天馬先輩も神代先輩も、イチャイチャしてないでどうして爆発が起きたのか説明してくださ――い‼︎‼︎‼︎」
 ほどなくしてそんな声が校舎中に響き渡る。かわいそうにな。いまだけは、風紀委員としてあの問題児を追いかけなくちゃならない杏の胃を労ってやりたい。
 一気に騒々しくなった校舎。ドタバタと足音を聞きながら額に手を当て言葉を失ったオレとは対照的に、暁山がけらけらと楽しそうに笑う。
「あー、ほんとおっかしー! ね、せっかくだから三人で賭けしない? ボクは類が勝つに一ポテト大盛り〜」
「なら俺は、司先輩が勝つ方に一……一パスタ大盛りを賭けるとしよう。彰人はどうする?」
「なにしれっとお前まで賭けに参加してんだよ」
 んでなんで大盛り縛りなんだよ。
 大体そんなの。あのふたりは永遠に決着つかねえだろ。賭けなんてするだけ無駄だ。
 どうせオレ達がとやかく気を揉んだって、あいつらは笑ってこの学校を巣立っていくし、卒業後も変わらずああして馬鹿やってるに違いない。
 空を羽ばたく鳥のように。なんの柵もなく前へと突き進んでくれなきゃ、オレ達も追いかけ甲斐がないってもんだ。
 これから先も、ずっと。
 
 ――あいつの、何かの装置だろうか。ふと外へ視線を向けると、ひらひらと花びらが降っていた。
 木々は赤く紅葉しているというのに、季節外れの桜だ。綺麗、と耳を掠めた呟く声に、思わずふっと口角を上げてしまう。
(あーあ。やっぱくだらねえよ)
 こんな風に。死ぬまであいつらは周囲に笑顔の花を咲かせ続けるのだろう。
 そういうのがお似合いなんだよ。愛すべき馬鹿な、オレ達のセンパイは。