猫澤
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林檎とこころの因果論



 恥ずかしい話――この年になってはじめてできた、心からの友達。それが僕にとっての司くんだ。
「ハーッハッハッハ! この正義のペガサスマンがいる限り! 世界は決して悪に染まらん! とうっ!」
 セカイの中心に聳えるサーカステント。そのさらにど真ん中のステージで張り上げられた声は、たとえこのセカイの片隅にいても聞こえてくるようで、ふ、と口元が緩む。
 視線だけ舞台に向ければ、声の主、司くんの周りでリンくんとレンくんが楽しげに縺れあっている。――「見よ! これがチームゴールデンによる究極合体技!」「きゅうきょくがったいわざ〜⁉︎」――対する悪の組織役、えむくんとミクくんも彼らの組体操をわくわくと目を輝かせて見守っていた。
 今日はワンダーステージの点検日で、フェニックスワンダーランドではショーの打ち合わせが出来ないからと皆でセカイに来たわけだけれど……途中から脱線に脱線を重ね、いまはすっかり各々が自由気ままに過ごしている。
 ルカさんはメイコさんの膝の上で気持ちよさそうにお昼寝しているし、カイトさんは直接司くん達のショーには参加しないものの、彼らにスポットライトを当てたり、それらしいSEや音楽を流して盛り上げている。
 まったく、収拾がつかないからと一旦休憩時間ということにしたのは司くんだというのに、息抜きといって彼自身があんなにも生き生きとショーを始めてしまうのだから、彼のショー好きも余程のものだ。
 きらきらと燦然輝く陽光のような笑顔。
 その満面の表情を目にすると、不思議と胸があたたかくなる。口の端を上げ、煌びやかに光り輝くステージに釘付けになりながら、隅で工具を弄っていた僕はつい、ふふっ、と笑みを零した。
「今日も司くんは絶好調だねえ」
「そうだね。……ちょっと元気すぎるくらいだけど」
 PvP系のソシャゲに最近ハマっている寧々は、スマホの画面を注視したまま、苦笑をまじえて僕の言葉に同意を示した。
(だけどもう、この騒々しさがないと落ち着かないな。僕も……寧々も)
 工具箱からいくつか部品と工具を見繕って、ネネロボの背面パネルを開き、タブレットをケーブルで繋ぎ合わせる。
 つるりとしたモニターを数度指先で叩き、もうすっかり手に馴染んだ管理者用パスコードを打ち込めば、ネネロボは駆動音をやや落として動きを止めた。
「寧々もスーパーペガサスマンのショーに混ざってきたらどうだい?」
 黒い画面に立ち並ぶ蛍光緑のプログラムを解き明かすさなか、ぽつりと呟いたのは親切心だった。
 彼女のことは子供の頃から面倒を見ていたから。ちょっと内気な年下の女の子の背中をぽんと軽く叩くような気安さで、司くんなんかに言わせたら、あるいはそれを兄心とでも呼ぶのかもしれなかった。
「わたしはいいかな……ネネロボの調子も気になるし」
 そうかい、と短く返す。
 寧々曰く、最近ネネロボのボイスに僅かにノイズが入るらしい。おそらくは先日、無人島に漂着したときの浸水が原因ではないかとにらんでいる。
 直後にメンテナンスはしたつもりだったが、日を跨いで開けたシステム盤はわずかに錆がこびりついていた。
 雨風の耐水性には心血注いでいるけれど、さすがに海辺の潮風や海水を真正面から浴びればただでは済まされないようだ。無論、そのあたりも想定した上で設計しているので、修理はそこまで難しくない。
 幾重にも絡まった内部の導線の具合をひとつひとつたしかめる。……ああ、あった。やっぱり断線してしまっていたみたいだ。
 錆びて損傷したコードを引っ張り出して、パチン、とニッパーで切り取ってしまう。すぐさま新しいコードで繋ぎ合わせれば、それでおしまい。これできっとネネロボも今まで通り流暢に言語を操ってくれるはずだ。
 ついでに。今度のショーで使いたい演出のひとつ、司くんが高所から飛び降りて大着地を決めるシーンでネネロボが司くんをサポートできるよう、いくつかこの場で改良しておこう。
 着地点には衝撃緩衝マットを敷く予定だけれど、それでも万が一予期せぬところでワイヤーが切れてしまったら軽い事故では済まされない。
 カバンからワイヤレスのキーボードを取り出して、カタカタとネネロボのプログラムを書き換えていく。ゲームの対戦で勝利した寧々も横から画面を覗き込んで、並ぶコマンドの羅列にぐっと眉を寄せた。
「そんなにネネロボに負荷かけて大丈夫?」
「これくらいなら全然問題ないよ。メモリも十分だし、いざというときのバックアップも完璧だからね。……それに、僕達の大切な座長に何かあってからでは遅いだろう?」
 万が一、とは言ったけれど。万に一つだって、司くんを危険に晒すようなことがあってはいけない。
 いかなるイレギュラーにも即座に対処する。先の先を見据えて足元を盤石に整えておく。これは演出家としての僕の矜持だった。
「僕自身も舞台に立つ以上、ショーの間のアクシデントをカバーするのには限界がある。ネネロボはいわば、僕の分身でもあるのさ」
 レンチでボルトを締め、息をつく。
 ネネロボしかり、ショーの機材しかり、こうして手ずから丁寧にメンテナンスを施す瞬間に僕は生を実感する。僕が手間暇をかけた分だけ、司くんは輝きを返してくれると、確信しているからだ。
 ぱた、と背面パネルを閉じてロックする。さあいざ再起動だ、とタブレットに手を伸ばすと、不意に、それまで僕の作業を静かに見守っていた寧々が口を開いた。
「類、変わったよね」
……うん? そうかい?」
「自分で気づいてないの? 変なの」
 小鳥の囀りのような澄んだ声で、寧々が控えめに笑う。
(変わった……か)
 自分ではあまり変化に実感が湧かないけれど、旧知の仲である寧々が言うのなら、ひょっとするとそうなのかもしれない。
 なにせもう、司くんと出会う前の自分を思い出せない。
 信念だとか、夢だとか、自分の中に確固としてあるものは何ひとつ変わっていないはずなのに、僕はもう司くんがいない未来を想像できなくなってしまっている。万雷の喝采と脚光を浴び、力強く壇上に立つ司くんが、はっきりと僕には見えるのだ。
 それに、きっと。この先僕達が道を違え、自分の夢に向かって歩き出したとしても――
……
「おーいお前達ー。ネネロボの調子はどうだ?」
「あ、司。ショー終わったんだ」
 噂をすればだ。
 にゅ、と後ろから僕の手元を覗き込む司くんの、パーソナルスペースの近さに一瞬ドキッとして、僕は密かに息を飲んだ。
 彼の距離感には度々心拍を上昇させられる。
 これに関しては、もはや僕がどうこう言ったところで変わるものでもないし、如何せん彼自身が無自覚なのだからどうしようもないのだけれど。
 どきどきと早鐘をうつ心臓は悟られないように、努めて平静に、僕は言葉を返した。
「メンテナンスならもうじき終わるよ。新機能を実装したから、以前よりもパワーアップしたネネロボを楽しみにしていてくれたまえ」
「ほう、さすがは類だな! 一体どんな機能を追加したのか知るのが少々恐ろしくもあるが……類のことだ。きっと観客をあっと驚かせる構想あってのものだろうし、その様子なら次のショーも大成功が確約されたも同然だ」
「フフ……そう褒められると照れてしまうね」
「なに、照れることなどひとつもないぞ! 何故なら類、お前はオレ達の自慢の演出家なのだからな!」
 それは、喩えるなら――真正面から投げられたボールを顔面で受け止めたみたいな衝撃だった。
 面食らって動けないでいる僕を、彼は感動のあまり言葉もないのだと受け取ったらしい。「フッ、決まったな」「さすがオレ」などと自画自賛の言葉をぽろぽろとこぼし、得意げな顔をしている。
 黙りこくってしまった僕の心境なんて、汲み取れるのはこの場に寧々しかいなかった。ちらりと視線を向ければ、寧々は呆れたような素振りでため息を零し、小さく肩を竦めた。
……よくもまあ、ああもストレートに他人を褒められるよね」
「フフッ……そこが司くんのいいところだけれど……ちょっとくすぐったいような気もするね」
 くすぐったい。でも、その裏にあるのはたしかな歓喜。
 司くんはそれが意図的なものであれ無意識のものであれ、どうにも――人を喜ばせる才能があるようだ。さらには裏表のない言動がなおのことその信憑性を裏付ける。
……まるで麻薬だ)
 彼に褒められる歓びを、快感を、一度味わってしまったら。
 すぐにまた次が欲しくなる。君も好きだろう、もっと刺激がほしいだろう? と。あれよこれよと手ぐすね引いてこまねいて、中毒患者にでもなったようじゃないか。
 僕の心は彼に依存している。とすると、やはり、寧々の言うとおり僕は変わってしまったのだろう。
 生まれてはじめて出来た、心からの友人に。気を許すななんて、土台無理な話に決まっていた。
 採れたての蜂蜜のような滑らかな髪も、力強い瞳も、声も、そのすべてが僕の視線を捕らえて離さない。
 ああ、司くん。君はまさしく、スターになる男だよ。
 そうでなければ。僕は僕の体の薄い膜の下で、じくじくと熟れる心臓の説明をつけられそうにない。
 次から次へと褒め言葉をほいほい吐き出す司くんを正面から受け止めるには少し、こそばゆさが勝って、僕は手慰みに工具を片付け始めた。
 レンチ一本。サイズ違いのペンチ二本。それからマイナスドライバー。細かい螺子はすべてジップロックへ。
 ふと、じっと司くんの視線が僕の体に向けられていることに気がついて、小首を傾げる。どうかしたのかい、と僕が口を開くまでもなく、司くんはひとつ、納得したように頷いてみせた。
――類の長所をあげればキリないが……。こうして見ると、お前もなかなかいい体つきをしているな。オレよりも背が高いのは少々癪だが……ほら、ここなんて意外と筋肉が……
「うわっ」
 突然直に腕に触れられて、僕は大袈裟に体を跳ねさせた。
 咄嗟に飛び出た声を手で押さえて、顔を上げる。
 ステージの上ではぬいぐるみくん達と愉快にはしゃぐミクくんとえむくんがいる。リンくんとレンくんがいる。カイトさんも、ルカさんも、メイコさんも――隣には寧々とネネロボだって。
 だというのに、司くんの指は、熱い手のひらは僕の二の腕をなぞり、するすると肌の上を滑っていくのだ。
 顔にこそ出さなかったが、僕の心は爆発寸前だった。
「つ、司くん……
「む? おお、類の手、意外とあたたかいな。それに、こうして手のひらを合わせると……
 様子がおかしい僕のことなど気にも留めずに、司くんはおもむろに僕の手をとって、自身のそれにぴたりと合わせた。
 短く切り揃えられた爪。ピアノ奏者の側面も併せ持つ司くんの指は、豆も節もなく、細く、綺麗だ。
「うむ。やはりだな。同性としては多少悔しい気持ちもあるが……見ろ、類のほうが少し大きい」
………………う、ん……
 司くんの指の感触。皮膚のやわらかさ。その下を巡る血液の熱。
 指の先から、全身の血液が凄まじい勢いで顔に上っていく。ポンプの役割を担う心臓はもう喉から飛び出してしまいそうなほど暴れ回っていて、勘弁してくれ、と茹だる脳みそが警鐘を鳴らしていた。
 じりじりと迫る歯痒い感情。果たしてこれは正解なのだろうか。
 愛すべき友人に向ける態度として、正しいものなのか。
「類? 顔が赤いようだが……ハッ! もしや熱があるのではないだろうな!」
「え……
 一瞬の間をおいて、司くんは僕の腕を力強く引き寄せた。
 勢いの割にこつんと優しく額がぶつかる。ふ、と吐息が唇をくすぐって、睫毛の下に隠された瞳に気がついた瞬間、僕の体はますます沸騰した。
……、」
「ぬあ⁉︎ どういうことだ、ますます赤くなってしまったではないか――!」
 不可抗力。まったくそうとしか言いようがないよ。
 ちらと横にいたはずの寧々に視線で助けを求めようにも、寧々は我関せずと再びソシャゲに夢中になっている。
 司くんはいったい何をどう勘違いしたのか、ここぞとばかりに僕の上に馬乗りになって、肩を大袈裟に揺さぶった。
「お前というやつは、具合が悪いならそうと言え――! 少し横になるか? クッション……はルカがすべて使ってしまっているな……。ええい仕方ない、オレの膝を貸してやろう!」
「ちょっ、と、司くん」
「遠慮することはないぞ、類! オレの太腿はすこぶるふかふかだ!」
 すこぶるふかふかな膝って何かな……
 口に出す隙すらも与えず、司くんは僕の頭をぐわしと掴んで、膝の上に無理やり乗せた。
 ぐるり。世界が回る。高い鉄骨の屋根と、眉を吊り上げながらも、ほんの少しだけ心配そうに覗き込む司くんの顔。膝は……うん、残念ながらふかふかではない。
「どうだ?」
…………硬いね……
「なんだと⁉︎ クッ……修行が足りてなかったか……!」
 ふかふかではない――けれど。
……
 じわ、と熱が上る頬を腕で隠す。むしろ、彼の膝は筋肉質で硬いくらいだというのに、どうしてか心地よさを感じてしまう。
 司くんの指がさらりと髪に触れ、流れに沿うように滑っていく。むずむずとした感覚に、いっそ腹の底から叫びたい気持ちになった。いまにも暴れ出してしまいそうな体をぎゅっと抱きしめていなす。自身の大きな体躯を、これほど持て余す日がくるなんて。
「しばらくは休憩時間だからな。眠ってしまってもいいぞ。このオレが責任をもって起こしてやろう」
……これは、ちょっと……眠れそうにないかな……
「なんだとー⁉︎」
 だって。こんなにドキドキと心臓が脈打っているのに、眠れるわけがないじゃないか。
 火照りが全然治まりそうにない。時の流れは規則正しく、誰にでも平等であるというのに――いやに、かつてなく一分一秒が長く感じる。それなのに心のどこかではずっとこのまま、この時が続けばいいだなんて――おかしな二律背反だ。
 ぱたぱたと軽やかな足音。僕と司くんの上にぬっと落ちた黒い影の気配を感じ、顔を隠していた腕を退けた。
 桃色の髪。爛ときらめく、司くんとは別ベクトルで素直なまんまるの瞳。えむくんだ。……彼女は不思議そうに、僕の顔をじっと覗き込んでいた。
「類くん、どうしちゃったの?」
「具合が悪そうだったので休ませている。だからえむ、あまり騒ぐんじゃないぞ」
「ええー⁉︎ 類くん具合悪いの⁉︎ だだだ大丈夫? 背中よしよしーってする⁉︎ 痛いのとんでけーってする⁉︎」
「だから騒ぐなと言ってるだろうが――‼︎」
「司の声もうるさいんだけど……
 混沌だ。
 ところで、人間、自分よりもパニック状態の相手を見ると逆に冷静になれる場合があるという。すっかり慌てふためくえむくんに僕は苦笑を漏らして、心配は無用と軽く首を振ってみせた。
「大丈夫だよ、えむくん。そこまで大げさなものじゃないんだ」
……ほょ?」
「えむくん?」
 ぱちくりと。僕と目を合わせて、大きな瞳が瞬く。しかしすぐさまえむくんは表情を綻ばせて、へにゃりと頬を緩めた。
「よかったぁ……なんだか類くん、ほわほわどきどきズッキュンなお顔だねっ」
「え、」
「ほわほわどきどきズッキュン? ……とはなんだ?」
「さあ……
 司くんがむうと眉を寄せ、寧々と首を傾げ合う。けれど、僕は。僕だけは、彼女の伝えたいことが十全わかってしまって、じわりと汗が滲む手のひらを人知れず握りしめた。
 ……なんということだ。
 司くんはこの年になってはじめてできた、心からの友達で。
 大切な仲間で、頼りになる座長で。
 それ以上でも、以下でもない――ずっとそう思っていたけれど。
…………参ったな……
 全部全部君がはじめてだったから、気づくのがこんなにも遅れてしまった。この鼓動の高鳴りが向かう人物なんて、考えてみれば後にも先にもただひとりだけだったというのに。
 再び熱がぶり返した顔を手で覆って、僕は喉から声を絞り出した。それは呻き声のようでもあったし、悶絶しているようともいえた。
 だってそうだろう。まさかと思うだろう。
……僕、司くんのことが……
 すきだったんだ、……なんてさ。