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猫澤
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今日はご機嫌ナナメのキミ
「〜〜今日という今日はもうガマンの限界だッ!」
さる休日。の、昼下がり。
オレ、天馬司は怒っていた。それはもう激おこだった。
「類のヤツ、これで何度目だ⁉︎ 脱いだら脱ぎっぱなしにするなと何度も何度も口が酸っぱくなるほど言ったというのに
……
!」
ぶつぶつと不満を垂れながら、床を埋め尽くす勢いで辺りに散らばっている服を片っ端から洗濯かごに突っ込んでいく。その最中、何かの部品らしいネジを踏みつけしゃがみこんだ回数数知れず。
怒り任せに洗濯物を洗濯機にぶち込み、ジェルボールを投げつけて、オレは勢いよく蓋を閉めた。
ガコン。ザザー、ザザー
……
と洗濯機が回る音を確認しながら、今度はキッチンへと降りていく。冷蔵庫を開けると、飲みかけのお茶のペットボトルが三本あった。どれもこれもひとくち分ばかり残して、飲み切るか捨てろと叫びたい気持ちとともにキャップを開けていく。
公演を間近に控える舞台の、ちょっとした強化合宿でほんの三日家をあけていただけでこの有様だ。
昨日はさすがに疲労困憊で、帰るなりさっさと寝てしまったが、今日になってまずキッチンを見たオレは頭がくらくらしてしまった。掃除だ。可及的速やかに、とにかく家中を掃除せねば気が済まない。久々のオフだが、四の五の言っていられる状況ではない!
「まったく
……
、不衛生にも程があるぞ! もう春先だというのにこれでは口にするのもおぞましいヤツらの格好の餌食になってしま
――
」
お茶をすべて捨てきり、手を洗ったオレは、ぶつくさと独り言と共にリビングを振り返って
――
目に飛び込んできた光景にぴたりとその場で硬直してしまった。
一カメ。二カメ。三カメ。
盛大なフラグを立てたのが悪手だったのだろうか。
あるいは怒りが沸点を超えたあまり幻覚を見てしまったのだろうか。切実に後者であってほしい。リビングのテーブルの上に留まっている
――
カメムシ? コガネムシ? ええいどっちだかわからん! わかりたくもない
――
奴との邂逅など、信じたくない。
しかし現実は非情だ。羽音をきっかけにようやく我に返ったオレは、反射的にヒュッと喉を鳴らしていた。あとはもう、きっとご想像の通りだろう。
「どっわあああああ〜〜〜〜〜〜ッッッッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
と、閑静な住宅街に悲鳴を轟かせたのであった。
*
「
……
なるほど
……
それで今日はご機嫌ナナメというわけだね?」
「
……
」
仕事の打ち合わせから帰宅した僕は、玄関で靴を脱ぎながら、おや、と首を傾げていた。
なんだか家の様子がいつもとおかしい。もう夕暮れ時で薄暗くなっているのに室内は暗く、オフだと言っていたはずの司くんの出迎えもない。出掛けているのか、とも思ったが、玄関には彼のお気に入りの靴が綺麗に踵を揃えていた。
不思議に思いつつも何気なくリビングの照明をつければ、あちこちに散乱した洗濯物。ソファーに並べたクッションも床に落ちている。まるで強盗でも入ったんじゃないかと疑うほどの惨状だ。
次いで、ソファーの隅っこで膝を抱えながら毛布を被っている司くんを見つけ、僕はさらに目を見開いた。
てっきり具合が悪いのかと思ったが、どうやらそうじゃないらしい。だるまのようにムッスリと口を結ぶ司くんを宥めすかして、根気よく話を聞くこと、およそ三十分。ようやく事態の全容が見えて冒頭の問いかけへと戻る。
さて
……
虫との邂逅は不運としか言いようがないが、元を辿れば僕のだらしなさがきっかけのようだ。ふむ
……
。
「司く〜ん
……
散らかしたままにしてしまったのは悪かったよ。だからそう拗ねないでおくれ」
すっかり置物のようになってしまった司くんに手を伸ばす。
毛布越しによしよしと背中を撫でると、耳元で喉を詰まらせた音が聞こえた。
「大変だったんだぞ。あの虫
……
逃がしてやろうにもちょこまかとすばしっこく飛び回るし
……
」
「うんうん」
「やっとの思いで外へ追いやったと思ったら、お前が育てているパンジーの葉に留まるものだからほんっとうに心底肝が冷えた。卵でも産み付けられたらどうしたものかと
……
」
「頑張って守ってくれたんだね。ありがとう」
ん、と司くんが小さく頷く。よほどこわい思いをしたのだろう。今の彼から普段の覇気は感じられず、いつもは大きく見える頼りがいのある背中もどこかか弱く見えた。
じわじわと冬が溶けてきた頃だ。今日なんて冬用のコートではうっすらと汗ばむくらいには気温が高かった。夜はまだ肌寒さを感じるけれど、そろそろ地中で眠っていた虫達が起き出してもおかしくはない季節だろう。
失敗してしまったなぁ、と内心で反省する。
司くんと同棲を始めて三年とすこし。僕が片付けできないタイプの人間だということは付き合う前から司くんもよく知っていて、綺麗好きの彼にはけっこう大目に見てもらっていた自覚があった。
だからこそ僕なりに共用のスペースには私物を持ち込まず、荒らすのは自分の部屋だけと心掛けてもいたのだけれど
……
。
「すまないね。司くんが一生懸命僕のお世話をしてくれるのが嬉しくて、つい甘えてしまっていたよ」
本音をいうと、たびたび、見かねた司くんが僕の部屋まで片付けてくれているのをちょっといいなと思ってしまっていた。
けして彼のことを使用人や家政夫のように扱っていたわけではない。僕はあまり、自分のテリトリーに他人を呼ぶことを快く思わないたちの人間だから、
……
うん、そうだ、面映さがあったんだ。愛されているなあって、嬉しさのあまり、その愛の上に胡座をかいてしまっていた。
これは猛省しないといけないね。謝罪の気持ちをこめてまんまるの司くんを抱きしめていると、不意に司くんが毛布からひょっこりと顔を出して、僕の耳元に囁いた。
「
……
シューアイス」
「ん?」
「バニラのやつだ。それで許してやってもいい」
僕の脳裏に、最近我が家の冷凍庫でよく見かけるようになったパッケージが浮かぶ。
そういえば
――
サクサクのシュー生地に包まれた濃厚なバニラアイスが癖になるのだと熱弁していたのを先週にも聞いたっけ。ハマっているんだなあとは思っていたけれど、それひとつで許してもらえるなんて、それほどあのシューアイスがすごいのか
……
いや、ここは司くんの懐が大きいのだということにしておこう。
「わかったよ。急いで買ってくるから、少しだけ留守番を頼めるかい?」
たしか近くのコンビニにも売っていたはずだ。これで司くんが笑顔になるならお安い御用だと、僕はシューアイスを買いに行くために立ちあがろうとした
――
が。
「
……
おや。司くん?」
「
……
」
ぎゅう、と僕の腰に抱きついたまま。一向に離れようとしてくれない司くんに、困ったな、と眉を下げる。
無理やり剥がすわけにもいかないし、かといってこのまま司くんを担いでコンビニに行くわけにもいかないし。
どうしたんだい。努めて優しく問いかけてみても、司くんは僕のお腹に顔を埋めたままうんともすんとも言ってくれない。
……
もしかして僕と離れたくないのだろうか。ちょっと僕に都合がよすぎる仮説だが、そうだったらいいなの気持ちを込めて訊ねてみる。
「
……
一緒に行く?」
「行く」
……
、即答じゃないか。
彼が顔を伏せた先が僕のお腹でよかった。胸元だったら心音から僕の動揺が司くんにバレてしまっていただろう。
司くんは何かと僕のことを甘え上手だと言うけれど、僕からしてみれば司くんにこうして甘えられる方が余程破壊力抜群だ。動揺を気取られないうちに、細く息をついて心を落ち着かせる。
――
ずり落ちた毛布から覗く金の髪。癖っ毛のわりにさらりと指通りがいい。
頭を撫でると気持ちよさそうに目を細める司くんを見るのも好きだった。司くん曰く、甘えるよりも甘やかす方が性に合っているらしいが、セカイのぬいぐるみくん達が甘え上手なところを見るに、少なからず司くんにもその気質はあるのではないかと思う。
だって僕達のすべてのはじまりであるあの場所は、司くんの底知れない『想い』が生み出したものだ。
「他には何か無いのかい?」
そっと静かに問いかけると、そこではじめて司くんはそろりと顔を上げて、瞳を揺らした。
「ほ、他にだと
……
?」
「もっと僕に甘えてほしいなあって思ってね」
「むう
……
」
形の整った眉をわずかに寄せて司くんが俯く。
静かなリビングに微かな衣擦れの音。たっぷり十五秒ほど待ったあと、控えめに低い声が零れ落ちた。
「
……
なら
……
スターロードの続編が、観たい」
スターロード。五年前、付き合いはじめてのデートで観に行ったハリウッド映画だ。星を追放された王子様が、宇宙を旅する中で掛け替えのない仲間と出会って友情を育む物語。
去年の秋頃から続編が上映していたことは知っていたけれど、日々の忙しさを理由に結局一度も観に行けていなかった。
「へえ、もう配信始まったんだ。もちろんいいとも。帰ったら一緒に観よう」
「
……
あと
……
風呂も、一緒に入りたい
……
」
「いいねえ。せっかくだから今日は泡風呂にしてみようか。フフ、久しぶりにお風呂あわあわくんDXの出番だね」
「
…………
それから、寝るときも一緒がいい」
「
……
仰せのままに。なら今夜は君の部屋におじゃましちゃおうかな?」
腰を曲げて司くんのやわらかい頬にキスをする。土色だった司くんの肌はみるみるうちに赤らんで、あっという間に鮮やかに息を吹き返した。
「寝るだけだぞ。えっちなのはダメだ」
「わかっているよ。ほら、まだ夜は肌寒いから上着を着ておいで」
「
……
ああ!」
ぱっと離れてしまった体温を惜しいと感じるも、振り返った恋人の表情に明るさが戻っているのを確認してしまえば。多少の寂しさなんて、ほんの些細なことだ。
とにもかくにも司くんの機嫌がなおってよかった、と肩を撫で下ろす。今後はすこし、自分の部屋の扱いにも気を遣わなければね。
怒ってる顔もかわいいけど、やっぱり笑顔には代えられないのだから。
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