猫澤
Public
 

スターライトオレンジ

アイドルパロ


 司は激怒した。必ず、かの神代類をひっ捕らえなければならないと決意した。
「見つけたぞ神代類いいいい! 今日という今日は逃がさーん!」
 都立神山高校。その昇降口を抜け、中庭を駆け巡り、木にぶら下がったり降りたり、保健室の窓から校舎に侵入したり。そうして紫髪の男――神代類の背中を全力で追いかけながら叫ぶ。
 ぶっちゃけ恥も体裁も衒いもない。
 足を縺れさせ保健室を抜け出せば、なんだなんだと廊下をすれ違った生徒が司と類を振り返る。だがそれに構えばあの霞のような男はすぐに司の前から姿を消すだろう。
 天馬司の名において、連戦連敗の不名誉な称号は即刻撤回したかった。なんせこの一週間、類の姿を目視すると共にチャイムが鳴るまで追いかけっこをしているが、今のところ類の手を掴めた験しが一度たりとない。
 最初は司に追われることに戸惑いのあった類も、連日ともなればすっかり慣れたようで。今じゃ数メートル先、階段の手前でこちらを振り返り笑みまで浮かべている。
 ――腹立たしいほど余裕の表情だ。
「やあ司くん。今日も元気いっぱいじゃないか」
「ハーッハッハッハ! アイドルたるもの体調管理は常に万全……ってコラー! 何しれっと逃げようとしてるんだ!」
「うわっ、勘弁してくれないか!」
 こうなったら最後の手段。捨身の覚悟で類にタックルを決めた司は、がしりとその胴体に絡みついた。
 バランスを崩した類が慌てて手摺りに手を掛け、どうにか転倒を防ぐ。
 既に階段の中程まで上っていたが、司としてはこのまま諸共階下に落ちても構わなかった。頭にたんこぶくらいは出来るかもしれないが些末なことだ。それで類が手に入るのならば。
 ぜいぜいと互いに抱き締め合いながら弾んだ息を整える。暫しの静寂が校舎に訪れたが、先に口火を切ったのは類の方だった。
「っどうしてそんなに僕に付き纏うんだい、二年A組の天馬司くん!」
「どうしてだって? そんなもの決まっている!」
 そう、どうしても司は類が欲しかった。
 高い身長。透き通った声。整った容姿と、周囲の噂を物ともしない風変わりの個性。何よりこの天馬司に引けを取らない体力!
 ――この男なら、オレと並ぶに相応しい!
「神代類。オレはお前をアイドルに勧誘に来たんだ!」
……はあ」
「アイドルは楽しいぞ! 特にライブは素晴らしい! 歌って踊って観客とひとつになるあの一体感!」
……残念ながら、興味ないねえ」
「何故だ⁉︎」
 つれない態度を受けて思わず類のカーディガンの裾を掴む。
 ――司にとって、アイドルは大勢の人を笑顔に出来る誇らしい職業だ。
 ステージの上に立てる者は限られている。血反吐をはく努力をしたって日の目を浴びないアイドルはごまんといるが、司には才能がある。と自負している。
 この手を取れば名実世界を股に掛けるスーパースターになれるやもしれないのに、何故それを類が断るのか皆目見当もつかなかった。
 誰だって一度は憧れるものではないのか。テレビの中のエンターテイナー、アイドルに!
 バチ、と蜂蜜色の瞳と視線が交わる。やはり美しい顔立ちをしている。やや髪が長く野暮ったい印象を受けるが、ばっさり切ってしまえば誰もが神代類の美貌に気がつくだろう。そしてそれは司が独り占めしていいものではない。
 類は長い前髪を揺らめかせ、眉を寄せた。司を映していた瞳がそっぽを向く。
「僕は音痴でね」
「なんだそんなことか。ハッハッハ、たしかにプロの道に怖気付くのも無理はない! だが心配するな! 天馬司オリジナルスペシャルレッスンを受ければどんな音痴だってたちまちオペラ歌手に早変わりだ!」
「へえ、すごいね」
「そうだろうそうだろう! だからお前もアイドルになってオレの相方に――っていない⁉︎」
 ――油断した。
 褒められて一瞬いい気分になった司は、つい、類から手を離してしまった。
 ダン、と大きな音がしたかと思い振り返れば、既に類が数段飛ばしで階段を駆け上がっている。咄嗟に伸ばした手は空を掴み、同時にチャイムが校舎内に響き渡った。
 ……時間切れだ。拳を握り、思わず吠える。
「お、おのれ神代類……! オレは絶対にお前をアイドルにするからな――!」
 神代類アイドルスカウト大作戦、連敗記録更新。

   *

 天馬司はアイドルである。名前はまだ売れてないが。
 司がアイドルを志すきっかけは些細なものだった。
 生まれたときから体が弱く、入院しがちだった妹の咲希。ある日両親に連れられて彼女の病室に見舞いに行った時、小さなテレビにアイドルのバラエティ番組が映っていた。
 歌って踊って、トークをして。番組全体が笑顔で溢れている。ふとベッドの上の咲希を見ると、咲希はキラキラと瞳を輝かせ、病への不安も忘れてにこやかに笑っていた。
 ――その時思ったのだ。オレもアイドルになって、咲希や、何らかの事情で笑うことを忘れてしまった人達に笑顔を届けたいと。
 それからというもの司は歌とダンスのレッスンに明け暮れ、ついに昨年、高校入学と共にアイドルオーディションに応募した。いくつかは書類選考で落ちてしまったが、とある少女の推薦で滑り合格した事務所が――ここ、フェニックスワンダー芸能事務所である。
 高く聳え立つビル。都内屈指の大きな芸能事務所はかの有名な鳳財閥グループが経営しており、アイドルからコメディアンまで幅広い事務所をいくつか抱えて成り立っている。
 とはいえアイドル事務所といってもピンキリで、評判の事務所からそうでもない事務所まで様々だ。
「つっかさくーん! 今日もアイドル活動おつかれさまっ!」
「のわああ! えむ! 後ろから急に抱きつくんじゃなあーい!」
 薄暗い廊下を歩いていた司は、突然背後から襲い掛かった少女――えむに向かって吠えた。
 桃色のショートヘアと、まんまるの純真無垢な瞳。小さな体躯は幼女そのもの――実際、彼女は司のひとつ下の年齢だ――だが、彼女も立派なこの芸能事務所の一員である。
「まったく。オレとお前はアイドルとプロデューサー! ちゃんと立場は弁えないと炎上してしまうぞ!」
「えんじょう?」
「嘘だろう? 炎上も知らんのかお前は」
 ――まあ、ウチのような弱小事務所に目を付けるマスコミもそういないだろうが。
 司が所属するのは社内でもカースト最下層のワンダーランズプロダクションだ。
 昨年発足したばかりの新進気鋭、といえば聞こえはいいが、今のところ大した実績もないぺーぺーの赤ちゃん事務所である。そしてえむ――またの名を、鳳財閥の末娘令嬢、そしてワンダーランズプロダクションの管理人兼プロデューサー。
 アイドルオーディションで司に目をつけ、司をアイドルに推薦したのもこの少女、鳳えむであった。
(最初はこんなところ、すぐに辞めようと思ってたんだがなあ……
 ぴょんぴょんと無邪気に跳ねるえむをいなしつつ、ビル内でも隅の方に追いやられた事務所のドアを開ける。
 所長のデスクに接待用のテーブルとソファー。小さなロッカーとテレビ。それだけ。相変わらずみすぼらしいオフィスだが、これでも昨年の物置部屋状態よりはだいぶ良くなった方である。
 えむと二人三脚で始めた事務所経営も、所属アイドルが増えたことで軌道に乗りつつあった。
 思えばこの一年、それはもう大変な日々だった……路上パフォーマンスでなんとか日銭を稼ぎ、地道に知名度を上げ、ようやく今になって事務所として経営していけるところまで環境が整ったのだ。
 決して順風満帆とはいかない毎日。そして今もまだ司は別の危機に瀕している。
「そういえば司くんにちゅどーん! で、きゅるーん! なお仕事きてたよ! えっとー、あれれ? 書類どこにやったかなあ……
 がさがさとデスクの上の書類を掻き回すえむを後目に、司は小さく息をついた。
……えむ」
「? なあに? 司くん」
「すまん……今日には奴を事務所に連れてきたかったんだが」
「! それって、前に司くんが言ってた人?」
 こくりと司が頷くと、えむは悲しそうに眉を下げ俯いた。
「仕方ないよ。こんなちっちゃな事務所で、無理にとは言えないもん」
 ワンダーランズプロダクションは、弱小アイドル事務所である。
 今は事務所所長のカイト、広報のミク、会計経理のメイコを加え、アイドルユニット『ミラーズ』のリンとレン、『Mermaid』のルカと寧々とメンバーは揃いつつあるが。先日――えむの兄であり、フェニックスワンダー芸能事務所の専務である鳳晶介にある通達をされたのだ。
 生き馬の目を抜く芸能界。常に競争の世界で、司ほどの年齢の者がソロで勝ち上がるのは厳しい。せめてあと一人、司とユニットが組める男アイドルを採用しないのならば、司はワンダーランズプロダクションから別の事務所へと移籍させる――と。
 一年前の司であったなら素直に頷いていたかもしれない。だが今はもうこのワンダーランズプロダクションに愛着がある。アイドルとして一歩踏み出す足掛かりになってくれたえむに恩がある。
 晶介はえむの兄ではあるが、経営に関しては兄妹似付かず堅物だ。一度こうと決めたら梃子でも考えを改めさせるのは難しい。ならば晶介の提示した条件通り司の『相方』に相応しい人材を探してユニットを組む他ない。
 しかしその、相方探しが難航している。いや、正確には既に目星をつけているのだが、スカウトが上手くいかないのだ。
(神代類。やはりオレの相方はあいつしか……!)
 以前から神代類の噂は聞いていた。今年の春に、超名門校から神山高校へ転入してきた孤高の天才児。
 授業のサボタージュをはじめとして悪い噂もよく耳にするが、司は己の審美眼を信じている。あの男は間違いなく、人を魅せる側の人間だ。根拠はないが、勘がそう告げている。そして司の勘は往々にして当たるのだ。
「ごめんね司くん……あたし、やっぱりもう一度お兄ちゃんと話してみるよ!」
「いや、それよりきっとオレが神代を口説き落とす方が早い! 悪いがもう少しだけ時間をくれないか」
……うん! その間にあたしも今よりもーっといいお仕事もらえるよう頑張るね!」
 不安そうな表情から一変、にこ、と笑顔を見せたえむに司も口元を緩める。
 大丈夫だ。今までも数々の困難が押し寄せたが、ひとつひとつ解決に導いてきた。それに……
 ぎい、と音を立ててロッカーを開ける。その中にしまわれている小さな段ボール。束ねられた便箋は、司のファンを名乗る相手から送られてきた匿名のファンレターだ。
 筆跡からしておそらく全て同一人物だろう。ファンを名乗る割に内容は好意的なものばかりではなく、時にトークのダメ出しやダンスの振りの甘さを指摘されることもあった。
 だがその全てを司は真摯に受け止めている。
 天馬司のファン一号は妹の咲希であるが。アイドル天馬司のファン一号は、間違いなくこのファンレターの送り主なのだ。
 ふ、と笑みが零れる。司はそれを再び大事そうにしまって、静かにロッカーを閉めた。
「それで、その司くんがアイドルにしたい人ってどんな人なの?」
「ん? ああ、実は――
 口を開きかけた刹那、事務所のドアが開く。えむと司が条件反射で振り返ると、神山高校の制服を纏った少女――草薙寧々が爪先を揃えて立っていた。
「おはようございます。……ってなんだ、司とえむだけか……
「あ! 寧々ちゃんだっ!」
「おお、お疲れ、寧々。遅かったな」
 寧々もまた、このワンダーランズプロダクションのアイドルである。
 昔はキッズアイドルをしていたらしいが、とある事件がきっかけで長らく業界から離れていたところをえむに拾われ――否、捕まったと言う方が正しい。ほとんどごり押しでこのワンダーランズプロダクションに在籍することになったのだ。
 内気な性格に見えて毒舌、更に仕事は顔出しNGときたもので(今は顔出し解禁しているが)、初めは打ち解けるのになかなか苦労した。
「HR長引いて……。ていうか司、アンタそんな悠長にしてていいわけ? 事務所追い出されるかもって聞いたけど」
「まあ何とかしてみせる。アテはあるしな!」
「アテって?」
 ソファーの端にスクールバッグを置いて、寧々が司を振り返る。
「隣のクラスに顔のいい奴がいてな。今のところ勧誘には断られているのだが……オレの相方はあいつしかいないと思っている!」
「ふーん。ずっとソロでやってきたアンタがそこまで言うなんてね」
 寧々の言葉に司は少しだけ自嘲した。
 ソファーに腰掛け、背もたれに体を預ける。天井でゆっくりと旋回するシーリングファンを見つめて、そう遠くもない過去に思いを馳せた。
 ちょうどこの事務所に寧々が所属したばかりくらいの頃である。司と寧々の間には、些細な不信から小さな対立が生まれていた。手を組み一丸となるべきところで互いに手を離してしまった。
 決して自分一人でどうにでもなると思っていたわけではない。だが、己の能力を過信していた時期は確かにあって、司は仲間よりも観客の声を優先した。情けないが、それを件のファンレターに指摘されたことでようやく司は己の過ちに気がついたのだ。
 足を引っ張る存在は要らない――とは、思わない。仲間にはそれぞれ得手不得手がある。
 だからこそ、神代類が本当に音痴であることを気にして勧誘を断っているのなら、司は本気で手を引いてやりたいと思っている。もちろん、口から出まかせの方便である線もまだ疑っているが。
「なんて人? 二年B組に知り合いいるから、少しは手伝えるかも」
「手伝ってくれるのか?」
……一応アンタは同期だし。同じ事務所の仲間とは思ってるから……別に助けるくらいフツーでしょ……
「ね、寧々……!」
「うわ、やめて、その暑苦しい顔で近寄らないで」
 相変わらず寧々の毒舌は絶えないが、寧々なりに不器用に心配してくれているのはちゃんと伝わっている。
 曲がりなりにも共に戦ってきた仲間だ。不器用という点はある種、自分も似たようなものであるので、司は困ったように眉を下げ話を続けた。
「コホン。それでだな、そいつの名は――神代類って言うんだが」
………………え?」

   *

 快晴の空に、うっすらと白い雲。
 神山高校の屋上で。フェンスに指を掛けながら、寧々は一人空を見上げていた。
 屋上は寧々にとって数少ない心休まる空間だ。
 いかんせんキッズアイドルとしての経歴と、現役アイドルとしての名前が売れつつあるので、教室にいると好奇の視線がどうしても刺さる。図書室か、保健室か、屋上は絶妙に人の入りが少なくて一人で過ごすのに都合がよかった。
 けれど。今日寧々が屋上に立っているのは、ひとときの安らぎのためではない。
 ぎい、と金属が擦れる音を拾って振り返る。そこにはスマートフォンを片手に持った幼馴染――類が立っていた。
「やぁ、寧々。珍しいね、君が僕を呼び出すなんて」
……
 本心を言うと、出来れば学校で類と言葉を交わしたくなかった。
 寧々と類は家が隣同士で、家族ぐるみでも仲がいい幼馴染である。……二年前までは。類が都内名門校へ進学したあたりから、……いや、それよりほんの少し前くらいから、ちょっとずつ、寧々と類の間の歯車は噛み合わなくなっていた。
 ――三年前、キッズアイドルであった寧々はあるドラマの主役に抜擢された。
 けれど撮影中どうしても緊張が表に出てしまい、うまく演技が出来ず監督に見放された。以来寧々はカメラ恐怖症となり人前に出るのを恐れるようになってしまったのだ。
 そんな寧々を救ってくれたのは類だった。
 工学知識に明るい類は、ネネロボというAIロボットを開発した。当時中学生の類が作ったとは思えないほど高性能で、ネネロボを介してなら、寧々はあがり症を克服し思うままに演技が出来る。
 かつてはアイドル、そして俳優を目指していた寧々にとって、これ以上心強い味方はいなかった。
 ――ネネロボと出会って、あの日、寧々はたしかに救われた。
 だから。
 類が挫けた時、本当は力になってあげたかったのだ。
 今日類を呼び出したのは、司のためでもある傍らで、かつて年上の幼馴染を支えられなかった寧々自身の小さな罪滅ぼしでもある。
 司が類とうまくやっていける確証はない。だけど確信はあった。この一年、司と一緒にアイドル活動をしてきた寧々だからこそ、今、類の背中を押せるのは自分しかいないのだと。
「ちょっと……見てほしいものがあって」
「見てほしいもの? ふむ……君のカメラ恐怖症は克服出来たのだし、ネネロボはもう必要ないのではなかったかな」
……そんなこと、ない。ネネロボには今も……。ううん、そんなことはどうでもいい」
「うん?」
 こて、と首を傾げる類を見上げて、寧々は小さく息を吸い込んだ。
「単刀直入に聞くね。……類、アイドルに興味はない?」
……君もそれか」
 途端に類の表情から色が抜ける。心底うんざりしているかのようなネガティブな顔色に思わずぞっとするが、ここで怯めば何も変わらないし、変えられない。
 寧々はぐ、と唇を噛み締めた。
「ああそうか、寧々は司くんと同じ事務所だったね。大方彼に頼まれて僕を説得しようとしているのだろうけど……。いくら寧々の頼みだろうと、僕はアイドルになるつもりはないよ」
「どうして? 類、今もアイドル好きじゃない」
……
 類の瞳が僅かに開かれたのを確認して、寧々は言葉を重ねた。
「わ、わたし知ってるんだから……! 類がいつも、司の歌を部屋で流してること……!」
……!」
 ――類は昔から、俗に言うアイドルオタクだった。
 といっても類が好きになるのはいつも男性アイドルばかりで、それでも寧々の見た限り、小学生の頃まではまだ友人と楽しく好きなアイドルの話をしていたように思う。
 中学生になってからだ。少しずつ類の周囲が変わっていって……男が男のアイドルオタクをしているのは変だって、もう類とは一緒に楽しくおしゃべりできないって、みんな勝手に類から離れていった。
 孤独になった類は塞ぎ込むようになった。
 そんなことないよ、誰が誰を好きになってもいいんだよって本当は言ってあげたかったのに。
 以来、類はアイドルオタクであることを『隠して』生活している。だけど家が隣である寧々は、類が未だに男性アイドルのファンを続けていることを知っていた。
 司にいつも届いているファンレター。あれだって、筆跡を見たら誰が書いたかくらい、わかる。
 寧々だけは。ちゃんとわかっていたのだ。
「ねえ、好きなんでしょ、アイドル! なら……!」
「ち、ちが……違うんだ寧々、それとこれとは、……っとにかくダメなんだよ」
 僅かに類の頬に朱が走ったのが見えて、尚のこと推測は確信に変わっていった。
 類が今でもアイドルが好きなら、司とアイドルユニットを組むことにだってメリットがある。類は好きなアイドルを間近で見られるし、司はワンダーランズプロダクションでこれからもアイドルを続けられるのだ。
 ただ類が頷いてくれさえすれば、それだけで万事上手くいく。
 寧々がさらに言葉を重ねようと口を開く。対抗しようと、類も口を開く。しかしその瞬間、屋上のドアが勢いよく叩き開けられて――
――神代類ー! 今日という今日は首を縦に振ってもらうぞ!」
――僕が今好きなのはアイドルじゃなくて、司くんなんだから……!」
 ……

「ん?」「えっ」「……はあ」

 屋上に響き渡った二つの声に、ぴしりと空間が固まる。
 類の体越し、乱入してきた金髪に目を遣って寧々は思わず息を吐き出した。相変わらずといえば相変わらずなんだけど、司って本っ当〜に空気が読めない。
……ほよよよ?」
 ――ていうか、なんで他校生のえむまでここにいるのよ。

   *

 さて、ここで類の身の上話をしよう。
 神代類はたしかにかつてアイドルオタクであった。
 正確にいえば、アイドルが魅せるライブに心底惹かれた少年だった。アイドル本人の人となりはともかくとして、テレビの中の彼等がお披露目する歌、踊り、パフォーマンスのたぐいに、類はいつも釘付けにされていたのだ。
 そしてその思いは徐々にエスカレートし、いつしか「自分だったらどうパフォーマンスするだろうか」と自らをプロデュースする域にまで到達していた。
 今思えば結構……かなり、黒歴史に近いものがあるのだが。中学時代に校則を無視して髪を一部染め、ピアスホールを開けたのはその延長線だ。
 少しでも理想のアイドルに近づきたい。時折アイドルの真似をして、家のリビングで密かに歌ったり踊ったりもしてみたこともある。途中で両親が帰宅してそれはもう恥ずかしい思いをしたので、以降はやってないけど。
 しかし世間一般的にいうアイドルオタクとは、類のような者のこと指す言葉ではないようだ。
 周囲との間にズレを感じ始めたのもまた中学時代だった。
 同じアイドルオタクだと言っていた友人達の、思春期まっさかりな会話に類は微塵も興味を抱けなかった。それよりも理想のアイドルを追求する類は、次第に周囲から浮いた存在になっていたのだ。
 類なりに歩み寄りの努力をしたこともある。話題のグラビアアイドルを調べ、友人の話に合わせたことも。だが結局はハリボテの知識に過ぎず、いつしか類の心は疲弊しきってしまっていた。
 いっそのこと、孤独を受け入れてしまおう。
 人付き合いというものを諦めてからは生きるのが少し楽になった。
 生来の地頭の良さを存分にふるって、類は同中の生徒が通えないような超名門校に進学した。
 しかし類を待っていたのは勉強漬けの娯楽も刺激もない灰色の日々。
 ついに嫌気がさして、進級のタイミングに合わせ、都内でも自由な校風として名高い神山高校へ編入することにしたのだ。
 そしてめくるめく運命の出会いを果たす。――それが、アイドル天馬司のとの邂逅である。
 司との出会いは偶然だった。幼馴染の寧々のために製作したネネロボの、パーツをいくつか買い揃えるために街を歩いていたときのことだ。
 たまたま通りかかったスクランブル交差点。楽しげに路上パフォーマンスをする司を見て、類の心は久方ぶりに踊った。
 天馬司。当時は無名のアイドルだったが、彼は類にとって理想そのもので。
 堂々たる振る舞い。伸びのある歌声。粗削りだが、無駄のない精錬されたダンス。そして極め付けはいついかなるときもファンサービスを欠かさないこと。
 アイドルを推す――その本当の意味を、その時ようやく理解した。
 それからというもの、類の生活は一気に華やいだ。
 司のことを調べれば調べるほど、類は司に興味がわいた。大好きになった。応援したい気持ちがおさまらず、ついにはファンレターを送るほどまでになっていたのだ。
 類にとって天馬司は救世主であり、高嶺の存在。偶像。そしてかけがえのないスターなのである。
――というわけで、ファンの心情として推しとの距離感は適切に保っていたいんだよ。わかるかい? 司くん」
「なるほど……だから今お前はオレから十メートル離れたところでドローン越しに話をしているのか。フム……って納得できるか――! なんだこのドローンは! どこから出てきた⁉︎」
「あれ、類の発明品」
「発明品⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
 屋上の対角線上に向かい合って立ち、機械越しに話をする自分達は傍目から見たらさぞ滑稽だろう。
 念の為ドローンを校舎のあちこちに隠しておいてよかった。マイク内蔵のコントローラー越しに話を終えた類は内心で胸を撫で下ろしていた。
 司は知るよしもないだろうが、司に理由もわからず追いかけ回されたこの一週間、それはもう生きた心地がしなかった。
 先日の、階段から落ちそうになった司を抱きしめたときなど、緊張とときめきで類の思考回路はショート寸前、どころか既に何箇所かショートしていたくらいだ。
 ……いいにおいがした。あたたかくて、柔らかくて、喉から吐き出してしまいそうなほど心臓が高鳴った。
 不本意とはいえ最推しとあんなにも接近できたのだ。我がドルヲタ人生に一片の悔いなし。だから本当に、彼にはもうこれ以上構わないでほしかった。
 しかしそんな類の心境など知る由もなく。司は頭上のドローンをじっと見つめ、やがて静かに息をついた。
「フッ……だがファンであるならば話ははやいな! えむ!」
「あいあいさー!」
……!」
 司の合図を受けて、桃色の髪の少女がどこからともなくスピーカーを取り出した。
 少女がスマートフォンをポチ、と押すと、何度も耳にした音楽が流れ始める。あの日路上パフォーマンスでも披露していた、天馬司の原点であり頂点であるアイドルソングだ。
「この曲は……司くんの……
「お前も踊れるだろう!」
 司はえむから受け取ったマイクを手に持ちながら、ずんずんと類へと歩み寄る。その動きに迷いはない。
 歌声が神山高校の屋上に響き渡る。
 真っ直ぐに類を見据えた、たったひとりのファンへ送る、特別ライブ。
 体温が上昇する。司の一挙手一投足から目が離せなくなって、類は呼吸すら忘れてその姿を焼きつけた。
 一秒たりとも視線を逸らしたくはなかった。耳朶を撫でるなめらかな声も、軽やかなステップも、笑顔も、そのどれもが眩しくて、心がふるえて、泣きそうになってしまう。
「神代類。オレはお前と初めてすれ違ったとき……オレの相方はお前しかいないと肌で感じた! お前は間違いなく、トップアイドルになれる逸材だ! ……オレの次にな!」
 間奏に差し掛かり、司が二本目のマイクを類へと向ける。
「オレの手を取れ! 類!」
――っ」
「最高の景色を見せてやる。……オレとするライブは楽しいぞ!」
 ――きらきらと。
 眩しいほどの光が、手を差し伸べている。
 震える手が。考えるよりも先に、彼の手へと引き寄せられる。掴んだ刹那、手渡されたマイク。歌もダンスも、たしかに知っている。覚えている。何度も聴き込んだし、何度も動画を見返したのだから。
 声を合わせたラスサビ。パズルのピースが嵌まるみたいに、類は心地いい一体感を覚えた。
 ――楽しい。そうだ。多分僕は、ずっとこうしたかったんだ。
 音楽が鳴り止むと同時に類はその場にしゃがみ込んだ。
 動悸が治まらない。かつてないほどに昂っていた。心の高揚を抑えることができないくらいに。
「類。司はああいうヤツなの。アイドルとか、ファンとか関係ない。きっとあいつなら……類のこと、一人にしないよ」
 寧々を見上げて唇を噛み締める。
……ずるいな……推しにここまでされて、嬉しくならないファンはいないよ」
「では……!」
……
 快晴の空に、うっすらと白い雲。
 司を振り返り、今度は類の方から司へと手を差し出した。
「よろしく頼むよ、僕のスーパースター」

 *

 そんなわけで司の神代類アイドルスカウト大作戦は、幾度の敗戦ののち、無事大成功をおさめ閉幕した。
 さて、ここからは後日談であるが、天馬司と神代類によるアイドルユニット『1'2→finish』……通称ワンフィニは、結成後驚くほどに人気が爆発した。
 主に中高生を中心に話題を呼び、その人気はあのフェニックスワンダー芸能事務所専務・鳳晶介をも唸らせるほど。当然司の移籍の件は白紙となり、それどころかワンダーランズプロダクションでの活動予算も大幅に改善された。
 順調だ。自分で自分が恐ろしくなるほど、順調すぎる。……だが。
「類……ひっつきすぎじゃないのか……?」
 相変わらずビルの片隅の狭いオフィス。だがいくら狭いといっても、三人掛けソファーにぴたりとくっついて座るほどではないのではないだろうか。
 腰に巻きつく類の腕をぽんぽんと叩き、それとなく離れるよう視線で訴えてみる。しかしにこにこと上機嫌な類はどこ吹く風で、頬を寄せますます密着する体たらく。
 どういうことなんだ一体。先日の、推しとの距離感は適切に〜だとか言ってたアレはなんだったんだ。
 体格差もさることながら、類は華奢でありながら存外力が強い。司も負けじと筋力は鍛えている方だが、こうもがっちりホールドされると振り解くのも一苦労なのだ。
 ……あとなんか、いいにおいするし。男相手に妙な気分になってしまいそうで落ち着かなくて困る。
 フフフ、と類は意味深に笑った。
「営業だよ司くん。女の子は男同士でいちゃいちゃしてるのを見るのが好きだからね」
「いちゃいちゃ……だと?」
 うん、と頷きながら、類が司の首筋に鼻先を寄せる。
 髪と吐息が触れてくすぐったいな、だとか思っているうちに、どんどん体重をかけられて司の体はソファーに沈んでしまった。
 なんだか大きな犬に戯れつかれている気分だ。犬にしては大きすぎるが。
「そういうものか?」
「そうとも」
 だがたしかに類のセルフプロデュース力は並々ならず、ユニットを組んでからというもの事務所の売り上げは鰻登りだ。
 えむの頑張りもあって、来月には単独ライブも押さえているし、ラジオにCM、雑誌の表紙に握手会と先のスケジュールは日に日に埋まる一方で。ひょっとすると遠からず芝居のオファーも受けれるかもしれないという話まであがっているほど。
 いつか見た咲希のように、より多くの人に笑顔を届けるという司の夢がいよいよ現実味を帯び始めている。そしてそれは司にとって大きなモチベーションになっていた。
 とどのつまり、類と密着してファンが喜ぶというのなら、司にやらない選択肢はないのだ。
「フッ……ハーッハッハッハ! ファンの期待に応えるのもアイドルならば当然! 思う存分いちゃいちゃとやらをするがいい! 類!」
「フフ、ではお言葉に甘えて」
 ふ、と頭上に影が落ちる。司が見上げると、類は顔を寄せて――司の頬に唇で触れた。
 ――ちょっと待て。なんだ今のは。
……今はファンの前ではないぞ?」
「うん? おやおや、いるじゃないか。ここに、君の古参ファンが」
「何を言ってる。類はアイドルだろう?」
 ――そして、オレのパートナーだ。
 当然のように首を傾げれば、類はぱちぱちと瞬いて――表情を綻ばせた。
「む……
 そう嬉しそうな顔をされると調子が狂ってしまう。ただでさえ類は顔がいいのだ。同じアイドルである司ですら見惚れるくらいには。
 司が頬を赤らめるのとほぼ同時に、事務所のドアが無遠慮に開かれる。ハッとして振り返るとそこにはランチ帰りのえむと寧々が立っていた。
 ソファーの上で縺れ合う司と類を目にするなり、寧々が大仰にため息をつく。
「ちょっと……事務所でいちゃつかないでよね。ここ共有スペースでしょ」
「えへへ、司くん達、今日も仲良しわんだほーい☆ だねっ!」
「わんだほい?」
 耳慣れない言葉だ。なんだそれは、と司が聞き返せば、えむはにこりと破顔して「あのねっ!」と身を乗り出した。
「あたし達ワンダーランズプロダクションの合言葉だよっ! ほらほら司くんも類くんも寧々ちゃんもみんな一緒に! せーの!」
「「「「わんだほーい!」」」」
 今日もワンダーランズプロダクションは平和だ。