猫澤
Public
 

スノーマジック



 薄暗いショーテントの片隅。曲がっていた照明を直し終えて、ようやく僕はほっとひと息ついた。
 団員が増えるにつれステージのメンテナンスもだんだんと一筋縄ではいかなくなるけれど、それさえも愛おしいと思う。
 ここはワンダーランドのセカイ。夢と不思議とたくさんの笑顔が詰まった未知の空間。
(このセカイもだいぶ賑やかになったな……
 もう随分と長い時間、ここででショーをしているけれど。
 はじめはミクと二人きりだったこの場所に、ぬいぐるみくん達が生まれて、リンとレン、それからメイコとルカがやってきて。毎日がアニバーサリー。セカイにはいつも笑顔が溢れている。
 特に司くんが仲間と共に本当の想いを見つけてからは、目まぐるしいほどあっという間に日々が過ぎていく。
 空を見上げれば変わらず機関車がわたあめの間を泳いでいるのに、僕らのショーは公演を重ねる度にブラッシュアップされているように感じる。なんだかまるで、セカイを創り上げた想いの持ち主と一緒に、足並み揃えて僕の劇団も成長しているみたいだ。
 座席まわりを軽く清掃して、改めてステージを振り返る。
 本当に……本当に、ここでいろんなショーをした。思い返すと少しだけ、何かが胸に込み上げる。
 そしてこれからも、僕はこの場所で、仲間達と共にショーを続けていくんだろう。司くんが――司くん達が、世界中の人を笑顔にしたいという大きな夢を抱き続ける限り。
……ん?」
 清掃道具を片付けていると、突然、ショーテントの裏から「どおん」と地鳴りに近い大きな音がした。
 さらに一拍おいて歓声があがる。セカイに不思議なことが起きるのはいつものことだけれど。楽しげな声につられてテントの外へ足を運ぶと、そこには目を輝かせ何やらはしゃいだ様子のリンとレンがいた。
「何してるんだい?」
「あ、カイト! 今ね、類くんが……
 類くん? と瞬く。いつの間に来ていたのだろう。レンが指差す方向では、たしかによく見慣れた藤色があった。
 しかもそれだけではない――思わず目を見開く。春色だったテントの裏の空き地は、一面、真っ白なものに地面を覆われていた。
 再度、どおん、と大きな音がする。
 今度は音の正体も、この目で確認できた。類くんが傍らに置いた大きな大砲のような機械。しなやかな指が操作パネルに触れると、その口から白い塊が吹き出して、地面に叩きつけられる。すると、先程の地鳴りのような音が響いてびりびりと鼓膜を震わせる。
 ひや、と頬に触れた冷気。ああ、と僕は口元に手を当てた。
 ――知識としては存在を知っていたものの、実際に触れるのは初めてだ。
「これは……もしかして雪、かな?」
「だーいせーいかーい!」
 すぐ傍の、白く小さな雪の山からミクがひょっこりと顔を出す。
 とうとう待ちきれなくなったリンとレンも、我先にと駆け出して白銀の海に飛び込んだ。
 あまりの勢いに、ぶわりと雪けむりがあがる。……ふふ。あんなに全身埋もれてしまって寒くないのかな。あとで温まるものを用意しないとね。
 苦笑を零していると、一通り装置を操作し終えた類くんが僕をくるりと振り返った。
「やあカイトさん。テント裏、少しお借りしているよ」
「すごいね。これ、類くんが作ったのかい?」
「リンくんとレンくんが、雪に触れてみたいと言うものだから……つい、張り切ってしまったよ」
「なるほど……。たしかにこのセカイは年中春のようにあたたかいからね」
 セカイは、想いの持ち主の感性によってさまざまに姿を変える。
 ワンダーランドのセカイは、朝や夜の概念はあるものの、四季折々の変化はないし、雨も滅多に降らない。
 年中穏やかな天気に恵まれ、いつでも行楽日和の過ごしやすい気候だ。野外ショーをするのにも適した空間、と僕は好意的に捉えているけれど、一方で、最近演出について学び始めたレンが少し不満を抱えていたことも知っていた。
「おーい! カイトも来てみなよ! すっごくつめたいよ!」
 レンが雪山の上から手を振っている。
 彼らのはしゃぐ声につられて、様子を見に来たぬいぐるみくん達も、おそるおそると雪に触れる。初めての雪に触れて目を輝かせる子もいれば、存外冷たかったのかすぐに引っ込んでしまう子も。実にその反応は三者三様だ。
 ……過ごしやすい気候であるということはすなわち、僕達は本物の嵐を、雷を、吹き荒ぶ雪を体験することができない。それは結構、物語を体現する者としては致命的で。
 ショーをするにも、想像でそれらを語るしかないのだ。
 きっとレンは何かの折、類くんに不満を零したのだろう。そして類くんはレンの願いを叶えてしまった。彼がもつ、錬金術の力で。
――しかし、これはまた積もらせ過ぎではないのか?」
 後ろから呆れの色を混ぜた声が飛んでくる。振り返れば、甘いグラデーションの髪をさらりと揺らし、ため息をつく司くんの姿がそこにはあった。
「司くん。君も来ていたんだね。いらっしゃい」
「ああ。……すまんな、カイト。うちの演出家が」
 言うなり、司くんはぶるっと体を震わせた。
 事前に雪を降らせることは伝わっていたのか、司くんは珍しくコートを着込んでいた。けれどそれでもその鼻先は驚くほどに赤い。すかさず類くんの手が伸びて、温めるように彼の頬に触れた。
 寒さで強張っていた司くんの表情が幾分か和らぎ、ほどけてゆく。
「司くん……少し薄着過ぎやしないかい?」
「そうか? それよりもこっちの大雪の方がオレは心配なんだが」
「問題ないよ。ちゃんと解氷剤も用意してあるからね」
「む。それならばいいか……
 類くんは自分の首元を温めていたマフラーを解き、代わりに司くんの首元に巻いた。
 そういえば、先ほどから吐く息が白い。指先も悴んできたような……。ああ、そうか。これが、『寒い』ってことなんだ。
 感覚が鈍る指先を興味深く見つめて、何度か握ったり開いたりと繰り返してみる。寒いとこんな風になるなんて知らなかった。なんだかちょっとだけ痛みも感じるかもしれない。
 でも、何故だろう、陽光を反射してキラキラと輝く雪景色は、――涙が滲むほど美しい。
「司くーん! こっちでリンと一緒に雪だるま作ろー! レンとどっちが大きく作れるか勝負するの!」
「あ、ずるいよリン! 二対一なんてさ!」
「フッ、やれやれ! 順番に味方してやるからそうケンカをするな」
「ミクもー! ミクも作るー!」
「どわーっ、こらミク! 後ろから急にタックルしてくるんじゃなーい!」
 雪が舞ったり、雪に埋もれたり。
 楽しげな声のする方を見つめていると、自然と口元にも笑みが浮かぶ。首元を涼しくした類くんは、音もなく僕の隣に立って、ふ、と相好を崩した。
……このセカイも随分と賑やかになったね」
「え?」
「うん? おや、何かおかしなことを言ったかな」
 きょとん、と類くんが僕を振り返り目を丸くする。
 長いまつ毛がぱたぱたと瞬くのを見つめ、僕は「いや、」と緩く首を振った。
……ちょうど僕もついさっき、そのことについて考えていたんだ」
「へえ……
「セカイがこんなにも笑顔に溢れているのは、君達のおかげかなってね」
「僕達の?」
 口元に手を当て、類くんの視線が楽しげな声の上がる方へ向く。レモン色の瞳が何を映しているのか気になって、僕も白に染まった景色へと目を向けた。
 寒さも忘れてはしゃぐ子供達の、赤く色づいた頬。
 吐息がふわりと浮かんでは消える。それに混じって、類くんのやわらかな声がぽつりと落ちていく。
 隣に立つ僕にしか聞こえないほど小さな声。けれどその温度はあたたかく、水彩のように儚い。
「僕達……というより、すごいのは司くん、かな」
「それはまた、どうしてだい?」
「フフッ……だって司くんは、僕らの道しるべ、だからね」
 ――道しるべ、か。
 たしかに、司くんには天賦の才能があった。劇団の座長を務めるにあたって、最も重要な才能――人を惹きつける力が。
 夢を真っ直ぐに追い続けられる揺るぎない精神力。根拠はなくとも彼の言葉ならば原動力になりえる信頼。それでいてむやみには踏み込まず、適切な距離感がもたらす、安心感。
 司くんのそんなあたたかさを誰よりも感じ取っているのは、紛れもなく、類くんを含めたワンダーランズ×ショウタイムの彼らだろう。だからこそ類くんが司くんに対して絶大の信頼を寄せるのも、きっと当然の帰結、なのだろうけど。
「たしかに、司くんの想いは人一倍輝いていると、僕も思うよ」
 白銀に埋もれていても、司くんの存在感は薄れない。ここまで広大なセカイを創り上げた司くんの想いが――夢が如何程に大きいか、セカイの住人である僕でさえ、到底計り知れないくらいだ。
 だけど。司くんも類くんも、もう覚えてないかもしれないけれど。このセカイは、前はもう少しだけ、涙に濡れる子もいたんだよ。
「これだけセカイに笑顔が増えたのは……司くんひとりの想いの力だけではないんじゃないかな。現に今、リン達を笑顔にしてるのは君の作った装置だろう?」
……ふむ。それは、一理あるかもしれないね」
 足元の雪を拾い上げて、手のひらで丸める。
 体温で溶けて表面が霙のようになった雪玉を、今度は下ろして。周囲の雪をまぶせば――ひとまわり雪玉は大きくなる。
 たぶん、司くんもそうだった。
 周りからいろんなものを吸収して、どんどん、どんどんと大きくなる。そのポテンシャルは彼の強みでもあり、……そして同時に、脆さでもある。
「司くんだって、ひとりの男の子だから」
……
「彼は今までずっと『守る側』だったから、一見、その背中は大きく見えるかもしれない。でも彼がもし今後道に迷う時があれば……その時は、類くん。君が導いてあげてほしいんだ」
 雪をまぶし、重ね、人の頭ほど大きくなった雪玉を撫でる。
 類くんはしばらくその様子をじっと見つめていた。何か、言葉を探しているようだった。けれどうまい言葉が見つからなかったのか、やがて彼はそっと僕に合わせてしゃがみ、困ったように眉を下げた。
「僕に務まるかな? そんな大役」
「むしろ、君しかいないよ。司くんが安心してその背を預けられるのは、ね」
「フフ……もしそうなら光栄だ。頑張らなくてはね」
 類くんの細い指が、足元の雪をかき集めて。手のひらほどの大きさになったら、僕の丸めていた雪玉の上に乗せた。
 赤く悴んだ指先で撫でつけて、形を整えれば、小さいながらも立派な雪だるまが生まれる。
 類くんは近くの適当な石と小枝で、器用に顔をつくった。きりっと凛々しい顔立ち。既視感を覚えて首を傾げる。この顔、どこかで見たような……
 司くんだ。司くんの特徴を、よく捉えている。
「カイトさん。僕はね……このセカイの謎を紐解く為に、司くんのことをもっとよく知りたいと思っていたのだけど」
「うん」
「今は、もっと別の動機で、彼を知りたいと思うんだ」
 さりさり、と。雪だるまの頬を指の背で撫でる類くんは、うっすらと頬が赤く色づいていた。
 憂いを帯びた眼差し。これも、僕にとっては知識でしかない感情だけれど――おそらくその赤らみは、寒さだけが理由じゃないのだろうと容易に見当がついた。
「カイトさんなら、きっと気づいているとも、思うのだけどね」
――……、」
 僕は曖昧に微笑んだ。
 僕達バーチャルシンガーは、限りなく人に近くありながら、その実、僕達は司くんや類くんのような『人』じゃない。
 時折僕は、司くん達が羨ましくなる。――僕達が見ることの出来ない世界を、景色を、感動と情熱を、彼らはこの先幾度となく体験するのだろうから。
 恋も。
……
 口を開こうとして。喉が震える、その直前に。今度はぼふん、と雪山の方から白煙が舞って、僕と類くんは顔を見合わせた。
「え」
「のわー‼︎ 何事だー‼︎」
 悲壮感の詰まった声。司くんだ。まだ白く煙る方を目を凝らして見てみると、しかし司くんの姿はそこにはなく、代わりにまんまるの――白い雪だるまがそこに立っていた。
 木の枝の眉と小石の目。全長、ちょうど人ひとりくらいの大きさだろうか。
 てっきりリンとレンが張り切って作った雪だるまかと思えば、なんとそのだるまの口から司くんの声がする。すぐにそれの正体が司くん本人だと気がついた類くんは、じわじわと表情を崩し、しまいには耐えきれず噴き出した。
「つ、司くんっ……、ふ、フフッ、その可愛らしい姿、一体何があったんだい?」
「オレが聞きたいくらいだが⁉︎」
 どうやら大きな体では思うように歩けないらしく、司くんは「ぽよんぽよんぽよん」とバウンドして僕達に近寄ろうとする。その姿はちょっとだけ滑稽で、側ではらはらと様子を見守っていたミク達も可笑しそうにきゃらきゃらと声をあげた。
「ふふっ、司くん、ぽよぽよしててかわいい〜!」
「もしかして雪足したら司くんもっと大きくなる?」
「なるかも!」
「やめんか――‼︎‼︎」
 雪だるまになってしまっても、大きな身振りはたしかに司くんそのものだ。類くんは面白そうに司くんの体を一通り検分して、やがて目尻に溜まった涙を指先で拭った。
「ああ――不思議だねえ。きっとセカイから現実世界に戻れば、元の姿に戻れると思うけれど」
「まっっったくよくない! こんな姿ではセカイで満足にショーも出来んではないか!」
「おや、それは困ったな」
 レモン色の瞳が細くなる。いっそう濁る吐息。数々の舞台装置を生み出す魔法の手が、司くんの頬(と呼んでいいのかな)をさり、と撫でた。
 類くんの眼差しはあたたかく、慈愛すらも感じられる。あの瞳に見つめられたら、僕ならきっととても落ち着かないだろう。目は口よりも雄弁というが、類くんは特にそれが顕著だった。……残念ながら司くんには、あまり通用していないようだけど。
「司くん、じっとしていてね」
「ん? ――る、」
 ――たぶん、類くんの名前を呼ぼうとしたんだろう。
 けれど司くんの声は音にならず不自然に途切れた。木の枝で出来た口に、類くんの唇が音もなく触れる。
 それはあまりにも一瞬のやりとりで――それでも、司くんには何か感触が残っていたのか、みるみるうちに司くんの体は溶け出して――最終的に、ぼふん、とまた大きな音と雪けむりが舞った。
 ようやく煙が晴れる頃、その中心にはびしょ濡れになった司くんだけが呆然と立ち尽くしていた。
「な、な、な……!」
「あー! 司くんが元に戻ったー!」
「何ィ⁉︎ ……ほ、本当だ……。しかし、類、今お前……!」
 ぱくぱくと口を開けたり閉めたりしたかと思えば、司くんは口元に手を当ててその場にしゃがみこむ。その耳朶は赤く、さらに司くんの足元の雪は溶けて、緑色の濡れた草葉が顔を覗かせていた。
 ――雪が。少しずつ、少しずつ、消えていく。
「鉄板の演出だろう?」
「え、えんしゅ、つ?」
「そうとも」
……、あ、ああ、そうか。雪を溶かすなら熱を、ということだな⁉︎」
「それもあるけれど」
 類くんの手が司くんの頬に伸びる。二人の影が重なる直前、僕は今度こそそっとリンとレンの目を手で隠した。
「呪いの魔法を解くのは、王子様のキスということさ」
…………
「おや? 真っ赤になってしまったね。効果はてきめんってところかな?」
 フフッと類くんが嬉しそうに笑う。
 白に染まっていたセカイが、色を取り戻していく。春の訪れを報せるように。あるいは、司くん達の熱に中てられたみたいに。
 司くんはいよいよ類くんの顔を見ていられなくなったらしく、額まで真っ赤になった顔を俯いて隠しながら、縋るような視線を僕達へ向けた。
「リン、レン、ミク……今すぐオレを雪だるまにしてくれ……
「ええー⁉︎」
「せっかく戻ったのに⁉︎」
 ふと類くんと目が合うと、彼はぱちりとお茶目に片目を閉じた。
 いつかは司くんとの距離感に悩んでいた彼だったけれど、きっともう、心配はいらない。いい意味で互いに感化されている彼らは、恐れず感情をぶつけ合うことも、その後で意見を擦り合わせることもできるから。
 ……だからこそ。司くんがこの先の未来で迷いが生まれたとき、類くんにはその背を支えてあげてほしいと思うのかもしれない。
……でも類くんはやっぱりすごいなー。さっきのだって、司くんごと雪だるまが溶けちゃう可能性もあったんじゃない?」
 ほら見て、とレンは司くんの頭に雪を乗せて指差した。司くんの体温でどんどん溶けていくそれを見つめて、ふむ、と類くんが頷く。
……うん、それは、考えもしなかったな」
「んなっ⁉︎ お前! 常日頃から行動は慎重にしろと……
「ああ、いや。確信はあったんだよ」
 司くんの言葉を遮って、類くんがふわりと微笑む。
 彼が見上げた空。色とりどりのバルーンに、わたあめの雲の合間を汽車が突き進んでいく。ふたたび春が訪れたセカイは、あいも変わらず色鮮やかで。
 僕達は今日も、このへんてこなセカイで歌い、笑い、そして息をしている。
――このセカイが、笑顔を奪う魔法を使うはずないからね」
 そうだろう、カイトさん。と類くんが悪戯っぽく笑う。
……ふふ」
 だから、僕も。それは、一理あるね、なんて言って、思わず口元を手で覆った。