猫澤
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LUCKY STAR


 ――リビングのテレビから聞こえる、女性タレントの陽気な声。
 昼のバラエティ番組に夢中になっている咲希の後ろを通り過ぎて、司は玄関口に荷物を置いた。衣装よし。小道具よし。万が一の裁縫セットからハンカチまで準備万端だ。
 今日は午後からリハーサル。そして夜にはついに本番のナイトショーが待っている。一ヶ月も前からワンダーランズ×ショウタイムの皆と温め、準備してきたショーをようやくお披露目する時が来たのだ。当然、気合いもやる気も意気込みも十分に漲っていた。
 昼過ぎとはいえ秋冷えで涼しい玄関で。少し悩んでから、司は験担ぎも兼ねてとびきりお気に入りの革靴をおろした。勝負下着ならぬ、勝負靴だ。
 無論鬼才の大スターになる予定の身としては、全てのショーで手を抜くつもりはないが。やはり初披露の日は気分が昂揚して、ワクワクする。
 どうしても、たとえ天地がひっくり返って地球が半分に割れたとしても、今日のショーは大成功させたい。観客のあっと驚く顔が、笑顔が見たくてうずうずしてしまう。
 ――いかんいかん。気を引き締めないとな。
 ぱん、と両頬をはたいて。司は出掛ける前に咲希に声を掛けようと振り返った。
 気配を察してか、ぱたぱたとフローリングをスリッパで駆ける音がする。ゆるい部屋着とペガサスの大きなぬいぐるみを抱いた愛らしい妹――咲希は、オレを見るなり慌てたように髪を乱して声をあげた。
「あ、待って待ってお兄ちゃん! もうアルバイトに行く時間?」
「ああ。そうだが……
「じゃあこれ! お兄ちゃんにもお裾分け!」
 お裾分け?
 ぱちくりと瞬いて、咲希に手渡されたそれを受け取る。
「む……絆創膏じゃないか。……ハッ! まさか咲希、どこか怪我を……⁉︎」
「もー! ちがうよ!」
 くすくすと笑う声をよそに、貰ったばかりの絆創膏を眺める。
 ピンクの星柄のカワイイそれは、おそらく女児や……女児ではないが、えむあたりが喜びそうなデザインだとぼんやり思う。
 ところで、無論、司はどこにも怪我をしていない。ああ、いや……しいていうなら右手の人差し指にささくれがあるが、入念にハンドクリームを塗ったし、然程痛むようなものでもない。
 では何故咲希はオレに絆創膏を?
 首を傾げると、咲希はどこかふんぞり返った様子で――ふふんと得意げに鼻を鳴らしながら、こう告げた。
「ふっふっふ……じゃじゃーん! 今日のおうし座のラッキーアイテムなのだ!」

     ★ ★ ★

 さて。オレ、こと天馬司は、ただいま絶賛ミラクルの大連発記録更新中である。
 たとえばフェニックスワンダーランドへ向かう道すがら一万円札を拾ったり(さすがに近くの交番に届けた)。
 たまたま犬の散歩中の花里に出会って飼い犬をモフモフさせてもらったり(たいへん癒されたぞ!)。
 ゲーセンの前で冬弥を待っていた彰人と、成り行きで一戦対戦ゲームをしてみたら、これが見事に必殺ワザが決まって圧勝してしまったり(彰人とは負け越しだったのでスカッとしたな)。
 何よりワンダーステージでのリハーサルでは、歌、ダンス、音響、照明、その全てが綺麗にカッチリとはまった。こればかりは運ではなくオレ達の実力と努力の賜物だが、リハのチェックをしていた類の嬉しそうな顔を思い出すと、やはりこちらも嬉しくなるし、にやにやしてしまう。
 ――今日のオレはかなりツいている!
 これは今夜のナイトショーの反響も期待がもてるな、と、にんまり緩む口元を押さえながら、うきうきと司はランド内を歩いていた。
 シルバーウィークに突入したのもあって、ランド内は家族客がほとんどだ。通りすがり、両親と手を繋いではしゃぐ兄妹を見かけてフと心が暖かくなる。スターへの道をめくるめく突き進む司にも、かつてはあのようにはしゃいだ時期があったものだ。
 それにしても、今日は不自然なほどに強運だ。休憩時間に寧々とランド入り口にあるフェニーくん型自販機で飲み物を買ったら、当たりが出てもう一本お茶が出てきたし。失くしたと思っていたペンはステージ横で見つかった。
 はた、と立ち止まる。
 ひょっとして。もしや、咲希がくれた絆創膏のおかげか……
 すっかりお守り気分で後ろポケットに入れっぱなしにしていたそれを取り出す。少しよれてしまったが、そう思うと途端にこの星柄の絆創膏がきらきら輝く特別なものに見えてきた。
「ラッキーアイテムもなかなか侮れんな……
 指の腹で皺を撫で、今度は丁寧に胸ポケットにそれをしまう。
 ナイトショーの呼び込みがてら配っていたチラシも早々に手持ちの分は最後の一枚まで捌けてしまった。ううむ……。追加分を取りにワンダーステージへ一度戻ろうと踵を返せば。ちょうどお手洗いから帰るところらしい、類とばったり鉢合わせ、互いに顔を見合わせた。
「やあ司くん。今日はいつにも増して絶好調だねえ」
「フッ……わかるか類! その通り、今日のオレは絶好調も絶好調だ!」
 どこからか木枯らしが吹き抜け、自然と身を合わせるように司は類と肩を並べた。
 パレードの音の波を掻き分けて、ちょうど近くのバイキングから風を切る音と嬌声が上がる。広場ではピエロが子供達に風船を配っている。いくつか子供の手を離れたカラフルな風船は、空を舞って。
 フェニックスワンダーランドはいつも、まるでおもちゃ箱の中みたいだ。
……なんだか、今なら類のどんな無茶ぶりでも叶えてやれそうだな」
「言ったね? ではご期待に応えてナイトショーでは演出プランB……空中ブランコからのスリル溢れるハイジャンプはいかがかな⁉︎」
「そ……れはいかがなものか⁉︎」
 空中ブランコ⁉︎ ハイジャンプ⁉︎ オレ達のショーはサーカスや大道芸ではないんだが⁉︎
 だが、一見どんなに奇抜で十人中九人が首を横に振りそうなものだとしても、類が考える演出案はぐうの音が出ないほど面白い。
 観客は勿論のこと、役者のオレ達だってだんだん楽しくなってしまって、カーテンコールには皆すっかり類の演出の虜だ。
 座長として。共に演じる役者として。仲間として……
 類にはガンガン好き勝手演出を考えてほしいと思うのも、また本心で。しかし一方でホイホイ空を飛んだり地面に埋まったり転がったり跳んだり噴射されるのは、まあ、なんだ、心の準備というものもさせてほしいわけで。
 ぶつぶつと司が葛藤していると、隣を歩いていた類が可笑しそうに声を漏らして綻んだ。
 類の身動ぎに合わせて右耳のピアスがきらりと陽光を反射する。
「フフッ……冗談だよ。こちらはまだ安全対策が万全ではないからね。残念だけれどまたの機会にするとしよう」
「そんな機会は永遠に訪れないでいてほしいんだがなあ……む?」
 ちょうど、キッズ用ジェットコースター『ゴーゴー! フェニーくん』の前を通り抜けたところだ。ふと道端に落ちている何かが目に入り、司はぴたりと立ち止まった。
 近づいて拾い上げると、それはどうやら黒猫のぬいぐるみのようだった。少し土がついてしまっていたが、手の甲で払ってやればすっかりきれいに見える。余程持ち主に大切にされているのだろう。
「ぬいぐるみだ。子供の落とし物だろうか」
「本当だ。ナイトショーまで時間はあるし、センターまで届けに行こうか」
――あっ、それ! あっくんの!」
 喧騒を掻き分けるほどの、ひときわ大きな声がして。
 類と二人振り返れば、そこには未就学児だろうか、歩き方の覚束ない男の子が懸命に司達に向かって駆け寄って来るのが見えた。
 余程焦って戻ってきたのだろう。少し離れたところから、この子の両親と思われる夫婦が慌てて子供を追いかけてくるのが窺える。子供の体力は凄まじいからな、と、どこかのセカイで駆け回るぬいぐるみ達を思い浮かべてつい苦笑しながら、司は黒猫のぬいぐるみを子供に差し出した。
「この子は君のお友達か? 見つかって良かったな、今度はちゃんとギューってしてやるんだぞ?」
「うん! あいがと!」
 自分の体ほどもある大きなぬいぐるみを懸命に抱きしめ、男の子はにぱ、と花開くような笑みを見せて再び駆け出した。
 けれど両親の元へ向かうさなか、ふと男の子が立ち止まる。不思議に思ってその背中を見つめていると、子供はまた司達の元へと戻り、小さなポケットから取り出したそれを力一杯握りしめて、司へと向けた。
「おにーたんこれあげう!」
「おお! これはこれは、どうもありがとう!」
 今度こそ「ばいばい」と去っていく子供に手を振り返す。手のひらに感じる包みの感触。興味の色を瞳に乗せた類が、ひょこりと肩口から司の手元を覗き込んだ。
「何をもらったんだい?」
「飴だ」
 ピンク色の包みを解くと、中から出てきたのも同じくピンク色をした飴玉だった。口に含めば、歯に当たってカロンと軽快な音がする。……昔懐かしのいちごミルク味だ。
 よかったじゃないか、と類が笑う。
「今日の君はさしずめラッキースターだね」
「ハッハッハ! 幸運の女神に見つけられてしまったな! ……というのは冗談で、たぶん、咲希にもらった絆創膏のおかげじゃないかと思っている」
「絆創膏だって?」
「かわいらしいだろう?」
 そう言って司は、胸ポケットにしまっていた星柄の絆創膏を類に見せびらかした。
「おうし座のラッキーアイテムらしい」
「へえ……、君達は本当に仲がいい兄妹だね」
「ん? そりゃまあ――目に入れても痛くない大事な妹だからな!」
「そうかい」
 ……ときどき。
 類はこうして、目を細めて優しい眼差しを向けてくる時がある。
 それは決まって妹や、司が好きなもの、大切にしているものの話をしている時ばかりで、その度に司はなんだか類と宝物を共有しているみたいな気持ちになるのだ。
 まるで類も一緒になってそれを好きだと言ってくれているような。あるいは、こそばゆさが混ざり合う、春の陽射しのあたたかさのような。
 少し、頬が熱って。この涼しさだというのに司は手で顔を扇いだ。恥ずかしい、とも違う。神代類という男は詭弁家であるくせに、目が何よりも雄弁だから困ってしまう。
 オレのことが好きだというのが、筒抜けなのだ。それを本人も隠そうともしないのだから、なんだろう、この気持ちは。くすぐったい――? 照れくさい――
……む?」
 ――ぐすん。
 ふと、どこかから湿った声がして、司は類から視線を外し周囲をきょろきょろと見渡した。フェニックスワンダーランドに似つかわしくない――子供の泣き声だ。職業病か、身に染み付いた癖か……こういう時はつい使命感に駆られて、考えるより先に体が動いてしまう。
 すぐに声の主は見つかった。コーヒーカップの側のベンチ。膝を抱えて俯く少女の姿を捉え、居ても立っても居られず駆け寄る。
「どうしたんだ君、ここはみんなが笑顔になれるフェニックスワンダーランド! 悲しい顔をしていてはもったいないぞ」
「う……ひっく、ぐす、……あし……
「足?」
 見ると、少女のスカートの裾から覗く片膝が、擦りむけてじわりと赤が滲んでいた。
「転んでしまったのか。ううむ……よし、大丈夫だ。お兄さんがヒミツのおまじないを教えてあげよう!」
「おまじない……?」
「そうだ! いいか? こうやって手を広げて……わんだほーい! 君もやってごらん」
「わ、わんだほーいっ?」
「上手じゃないか!」
 涙で潤んだ瞳を丸くしながらも、少女は司を真似て手を大きく広げた。
 少女が肩から下げるポシェットにはフェニーくんのマスコットがついている。フェニーくんはこのフェニックスワンダーランドのオリジナルキャラクターだ。まんまるのペンギンみたいなシルエットに、左頬のピンクの星がトレードマーク。
 司は微笑んで、胸ポケットにしまっていた宝物を取り出した。
「素敵なわんだほいが出来た君には、ご褒美にこの絆創膏をプレゼントしよう!」
 傷口を軽く水で洗い流して、清潔なハンカチで拭ってやる。そして今朝に咲希からもらった絆創膏をぺたりと貼り付けると、たちまち少女に笑顔が戻っていく。
……かわいい……! お星さまだ!」
「そうだろう? さあこれで君もフェニーくんとお揃いだ!」
「えへへっ……ありがとう、王子さま!」
 ほっぺたを赤くして。少女はベンチから降り、司達に手を振りながら駆け出して行った。
「良かったのかい? 咲希くんから貰った絆創膏なんだろう?」
「何を言う。あの絆創膏は、今あの子に一番必要なものだった。ならばこうするのが最善で、最良だ」
……優しいね」
……。それに幸運は、皆に均しく平等であるべきだろう?」
「フフ。まったく君には頭が上がらないよ」
 たぶん。咲希にもらった絆創膏は、この為にあったのではないかと思う。きっとあの絆創膏に宿った幸運はこれからは少女の元で、またその本領を発揮するだろう。
 だからこれでいい。誰かの笑顔を奪ってまで、得たい幸運も幸福も司にはないのだから。
 ――それにいずれスターになる男なら! 幸運だって己の手で掴み取ってみせる! ……そう意気込みながら、気を取り直して司は大きく一歩踏み出してみせた。
 なんなら。
 華々しいスター街道に一片の曇りなし!
 ……と、大声で言いたいところだったのだが。
 しかしそんな司を嘲笑うかのように、踏み出した一歩は綺麗にぬかるみへとゴールインした。泥水がはね、司は思わず「げっ」と眉を顰める。
……どわっ、な、なんだ⁉︎ 水溜まりだと……‼︎」
「ああ……ここだけ舗装が凹んでいるみたいだ。先日のアトラクション改装の際に一部崩れてしまったのかな」
「〜〜っこのままでは危険だな! ワンダーステージに戻ったら念のため着ぐるみの耳に入れておこう」
「それがいい」
 白が基調のショー衣装に泥がつき、僅かばかり気分が下降する。
 さっそく降ってかかったアンラッキーに溜息を零しそうになるが、ここまでラッキー尽くしだったのだ。これぐらいがむしろ丁度いい、と思い直して、司は首を振った。
 ワンダーステージへと続く手作りの看板。少し辺鄙な場所にあるステージ故に、みんなで導線を作った日も最早懐かしい。
 けれどやはり、ショーの時間外ともなるとこのあたりは閑散としている。途端に静かになった道の途中で、肩を触れ合わせ一緒に歩いていた類は急に足を止めた。
「司くん」
「ん?」
 どうした、と顔を上げると。
 類の、白い手袋越しの指が司の頬をくすぐる。影が落ちる。類が屈んで、近づいて、――ただそれを呆然と見つめていたら、ぴと、と唇が触れた。
……――⁉︎」
 すぐにそれは離れたけれど、柔らかな感触が頭と唇にこびりついて離れない。間抜けにもただ唖然と固まっている司の胸ポケットに、類のいたずらな手が伸びる。
「僕からも君に幸運をプレゼントだ」
……は?」
 至近距離で吐息がかかって、くすぐったさに身を捩らせた。類の僅かばかり染まった頬をぼうっと見上げる。その赤は、寒さのせいか。それとも。
「何の変哲もない普通のものでは大したご利益はないかもしれないけどね。……いちご味、ごちそうさま」
 ぺろり。唇を舐めて。
 そう言ったきり、類は司を置いて先を歩き出した。
 後ろ姿を見つめ、ぺた、と胸ポケットに手を当てる。中に入っていた――肌色の、至って普通の絆創膏を取り出せば。
 むずむず、むずむずとどうにも胸のあたりがこそばゆい。
 類のせいだ。
 類のせいで――一体どんな顔をすればいいのか、すっかりわからなくなってしまった。
 ただひとつ、わかることもある。
…………何がご利益はない、だ」
 さっそく幸運が舞い込んできたじゃないか。
 冷たい風が吹き抜ける。熱った体を冷ますのに、それは随分と司にとって都合のいいものだった。