猫澤
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ラプソディインブルー


 ほら、よく漫画とか小説とか、フィクションの世界でよくあるだろう。裏で暗躍するヒーローの話。
 いつもと変わらない日常、平凡で平穏でつまらない毎日。でもその背景で実は正義の味方が人知れず悪の組織と戦っていて、街の人たちは普段通りの生活を送れていたのだっていう真実の物語。
 ひょっとしたら案外今この瞬間にも、地球は滅亡の危機にあったりするのかもしれない。
 それに比べたらだいぶスケールの小さい話ではあるが、オレは今まさに、この神山高校を脅かす悪と真っ向から戦っていた。
 何故って。その時たしかに、チリッと前髪から熱を感じたからだ。
「類――! お前またもやオレの前髪を……! 今度という今度は許さーん!」
 オレの前髪を燃やした犯人である男――神代類。二年の中途半端な時期にこの神山高校――通称神高に編入してきた天才児は、やたらとオレを実験体にしたがる。理由を聞けば「だって司くんだからね」なんて。そんな言葉でオレが納得するとでも思っているのだろうか。
「あっははは! 捕まえてごらんよ司くん! このターボエンジン付きローラースニーカーのスピードに追いつけるものならね!」
「なッ……! 卑怯だぞ類いいい!」
 大変腹が立つことに、どうやら追いかけるオレから逃げる算段もしっかり用意していたらしい。類が穿いていたスニーカーの横についたダイヤルをくるくると回したかと思えば、それはもうえらい勢いで踵から気体を噴出し廊下を駆け抜けた。
 理解できるか? 一体どんな人生を送ってきたら、靴に自走の細工をしようと考えられるんだ。まったくわからん。意味がわからん。
 類の高笑いが校内に響き渡る。すれ違う生徒は唖然とその様子を見守り、教師は「またお前か」というような顔をしている。そう、いつものことだ。だからオレ達は校内で教師も生徒も関係なくこう呼ばれている。
 変人ワンツーフィニッシュ、と。
「コラー! 廊下を走、はし……飛ぶんじゃない神代ーッ!」
 あいつ、そろそろ特許の申請出した方がいいんじゃないか……

 これはそんな、神高きっての悪である類と正面きって戦うヒーロー(つまりオレ)の、涙ぐましい一端の物語である。


……うーわ、先輩達またやってる」
 頭上から呆れた声がして、ボクはスマホから視線を外した。絵名のSNSが更新されたから見ようと思ってたけど、それよりも友達の――杏の珍しく沈んだ声に興味をひかれたから。
 杏の視線の先。二階の教室の窓から一望できる中庭を全力疾走する、よく見慣れた顔ぶれ。類と司先輩だ。
 あまり登校しないボクは知らなかったけれど、あの二人はどうやら学校中で「変人ワンツーフィニッシュ」と名高いらしいね。一体どっちがワンでどっちがツーなのやらなんて、そんなことは些細なことなんだろうけど。
「これ、私も注意しに行った方がいいと思う?」
「いいんじゃないー? 杏が行かなくてももうセンセーに見つかってるし……あ、司先輩捕まった」
 ただでさえオレンジゴールドの髪色は目立つ。先生に捕まった司先輩は、何やら一生懸命事情を説明しているみたいだった。内容までは聞き取れないけど、張り上げる声がここまで聞こえてくる。
 ボクは行儀悪く机の上に肘をつきながら、杏が開けてくれたクッキーに手を伸ばした。ほろりと口の中で崩れたそれは、思い描いていた通りの甘さを舌に伝える。普通のクッキーだ。
 そう、これが普通。
 決まった枠の中に収まるものを、人は「普通」って呼ぶ。
 人間だってそうだ。「普通」か「普通じゃない」か、じゃあそれは誰にとっての「普通」だって言うんだろう。少なくともボクはこの学校では普通じゃない側の人間で、顔なじみの類も、そして多分、司先輩もそうだった。
「あの二人もよくやるよね。風紀委員としては頭が痛いけど……もはや神高名物って感じ」
「たしかに! ふふっ……
 おかしな二人だ。
 学校中から奇異の目で見られていること。ボクはそれが嫌で、本当に気が向いた時か、単位が危うい時にしか登校しないようにしてるのに。類達は気にもしてないみたいなんだもん。
 羨ましい、とは少し違う。ううん、でもやっぱり羨ましいのかも。
 淡い六月の色彩を纏って、類が愉し気に笑ってる。ひとりだったら、司先輩がいなかったら、ねえ類、そんな風に笑ってた?
「? どうしたの、瑞希。嬉しそうじゃん」
「べっつにー? たまにはこういう騒がしいのも悪くないなって思ってさ」
「ふーん?」
 ボクはうるさいのよりも、静かな方が好き。何も話さなくても、ただそこに居場所があるだけで満たされる。類と過ごした中学時代は、そんな、どこか物寂しくて静寂に浸った屋上を気に入ってたつもりだったけど――今となっては多分、そこに類がいたから気に入ってたんだって思う。
 心配してたんだよ。本当にね。ボクと類は、似た者同士だから。
 大人になることを拒んだ者同士だったから。
「さては学校、楽しくなってきちゃった?」
「それとこれは別〜」
「えー? あーあ、瑞希がもっと登校してくれたらなあ……
「ゴメンて。ま、でも来年は今より多少はね〜?」
 杏は根がマジメだから、不登校(どちらかと言えば自由登校)気味なボクのこともすっごく気に掛けてくれる。
 家に帰ってナイトコードを開けば、奏がいて、まふゆがいて、絵名が――ニーゴがいる。
 点けっぱなしだったスマホのディスプレイ――SNSでは、絵名の自撮りが上がっていた。音もなくハートをタップして、小さく笑みを零す。
 大丈夫。ここがボクの居場所だって、胸を張って言える。類が知ったら驚いちゃうかもね。ううん――安心する、かな。
 中庭では結局類も先生に捕まって、司先輩と並んでお説教をくらっていた。俯く司先輩は誰が見ても反省のポーズをしてるけど、類はふと視線を上げて――窓から見下ろすボクに気づいて小さく手を振っている。
……あはは!」
 お説教されてるのに、楽しそうなんて。やっぱり羨ましい。
 あーあ。――あの姿、見せてやりたいな。屋上で寂しそうにしていたいつかの類にさ。


 言うほど焦げてないように思うんだけど。
 校内で騒いだ罰として命じられたプール掃除。司くんはさっきの実験で飛び火した前髪をしきりに気にしているようで、プールサイドの鏡を覗いて、ああでもないこうでもないと何やらポージングに勤しんでいた。
 ブラシの柄に顎を乗せてため息をつく。
 大袈裟だなあ、ちょっと火花が散っただけじゃないか。当然、火薬のたぐいは一切使っていない。いつだって僕は被験者の安全第一に実験を行っている。
 そもそもこの僕が、ワンダーランズ×ショウタイムの座長であり大事な役者である司くんに怪我なんてさせるわけがないだろう?
「クッ……やはり焦げている……
「大丈夫、気にする程じゃないよ」
「お前は少しは反省しろ! そして掃除をサボるんじゃない!」
 サボっているのはどっちだか。
 まあ、言ったところで火に油。ぷんすかぷんと憤る司くんをいなすのはもう慣れっこだ。
 司くんと過ごした時間。その時間の長さだけ、僕は天馬司という男に惹かれていく。
 彼はどうも感情を隠すのがあまり上手ではないようだ。嬉しい時は全力で喜ぶし、怒った時は声を張り上げ、悲しい時は眉を下げる。
 感極まって涙を零すことにもあまり抵抗がないようだった。いつだって自分の感情に、感性に素直だ。
「まったく、今日がワンダーランズ×ショウタイムの活動日ではなかったからいいものの、年長のオレ達がこの調子ではえむと寧々に笑われてしまうぞ」
「心配には及ばないさ。君が思っているほど彼女達は僕らを年上として見てないようだからね」
「なにー⁉︎ それはそれでどうなんだ……!」
 拳を握りしめて嘆く司くんをおいて、僕はこの無駄に広いプールを見渡した。
 年に数回、それも夏の期間だけ開放されるプール。神高の体育は自由選択制で、プール授業か室内バスケか選べるので、利用者は更に限られる。
 というかそもそもこの秋の時節にプールを利用する人なんていないんだから、僕達がせっせと掃除をしたところでまたすぐに枯れ葉やら何やらで汚れてしまうのに。教師達はどうにかして僕達に罰を科したいらしい。
 非常に無意味でなんの生産性もない行為だ。頭が痛くなる。
「こんなに広いのにたった二人でプール掃除だなんて非効率的にも程があるね……
「お前がくだらん実験でオレの前髪を焦がさなければこんなことにはならなかったんだが」
「そうだ、たしか倉庫裏に自走式ロボットを隠していたはずだ。司くん、ちょっとここで待っていてくれるかい? すぐにプール掃除ロボに改良してこよう」
「待て待て待て待て?」
 ぐい、と司くんの手が僕の腕を掴んだ。
 思わずその手を凝視してしまう。司くんはれっきとした男の子だ。けれどその手指は男のそれにしては華奢で、繊細で。触れればちゃんと血が通っている。体温がある。
 生きた人間に触れるという経験を、これまで豊富にしたことがなかったから。だから、たったそれだけで僕の呼吸は僅かに乱れる。
「あいにく僕は非効率的なことはしない主義でね」
「そういう話をしてるんじゃないんだが⁉︎」
 鈍感を地でいく司くんは、僕の変化には全く気づいていないようだった。それもそうだ。彼はとんと、周囲からの好意に疎い。
 いや、疎いとは違うか。彼はきっと、悪意や嫌悪に浸ったことがないんだね。好かれて然るもの。愛されて当然だと考えているのが透けて見える。
 それ自体が悪だとは思わない。事実、彼は愛されるべき人間だ。愛された分だけ、誰かを愛することができる人間だ。だから彼の周りには人が集まる。みんな彼の言葉に耳を貸す。
 それが、僕がこれまで観察し、考察してきた天馬司の人となりだった。
「はあ……御託はいいからさっさと手を動かしてくれ。このままでは日が暮れてしまう」
「だからロボを――、はいはい、わかったよ。……仕方がないね。それならいっそのことプールに時限爆弾を設置して存在ごとなかったことにしてしまおうか」
「さらっと恐ろしいことを言うな! もれなく警察沙汰だそれは!」
「なら差し詰め僕と君は共犯者ってところかな? 死なば諸共だよ司くん!」
「お前と心中はしたくないんだが――⁉︎」
 元気な声が神高中に響き渡る。
 君と心中か。それも悪くないね。なんて、つい微笑んでしまって――ゴン、と額をブラシの柄に打ち付けた。
 そんなバッドエンド、観客は望んでいないだろうに。寧々やえむくんだって悲しむだろうに。僕は司くんに出会って、ひどく利己的な感情に振り回されるようになってしまった。
 蛇口と繋いだホースから水を撒く司くんの後ろ姿を盗み見る。
 僕は。
 僕はね、君とならどこまでも、宇宙の果てでも、暗い深海の底でも、行ってみたいと思うんだよ。
 たとえ息ができなくなって、窒息してしまったとしても。


 図書室の、窓際の席を陣取って。オレは机をトントンとリズムよく叩いた。
 最近、冬弥の図書委員会の仕事がなくとも、静かなところで過ごしたい時は図書室を訪れている。オレは紙のにおいが落ち着かないが、冬弥は本に囲まれているとリラックスできるらしい。
 耳にヘッドホンを当てていた冬弥だったが、ふと窓の外を見てヘッドホンを外した。とんとん、とオレの肩を控えめに叩いてくる。
 何かと思って振り返れば。
「彰人、司先輩だ」
「あ? あー、何やってんだあの人達……こんな季節にプール掃除?」
 図書室の窓からじゃ遠目にしかわかんねえけど、たしかにプールサイドで司センパイと神代センパイがブラシ片手にあっちこっち走り回っていた。
 掃除してる、っていうより、なんか……ブラシ振り回してねえか? あれ。追いかけっこでもしてんのか。
「つか、さっき中庭の方でばかすかやってたの、やっぱ先輩達だったんだな」
……『ばかすか』?」
「ああ、冬弥は新曲のデモ聴いてたからわかんねーか」
「良い曲だった」
「だろ。こはねと杏にも早く聴かせてやりてーわ」
 先日出来上がったばかりの新曲はラップあり英語詞ありのクソ難易度で眩暈がするが、ベースのきつい低音が効いためちゃくちゃカッコいい仕上がりになっている。
 特にオレと冬弥のデュオで煽りに煽ってから、Vividsの二人の突き抜けた高音が混ざってくる部分は実際に歌ってみるまでもなくわかる。最高で、最強で、最上級に盛り上がるってな。
 早く歌いてえ。そんで、会場を沸かせてえ。昨日外注先からデータが届いたとき、すぐに他のメンバーに送らなかったのは生の感想が聞きたかったからだ。絶対、みんな気に入る。その自信があるし、確信もしてる。
 ヘッドホンから流れる音漏れを気にしてか、冬弥はスマホに手を伸ばした。「しかし……」と難しい顔をしてオレの顔を窺う。
「先輩方二人だけでプール掃除は大変だろうな。俺達も手伝った方がいいだろうか……
「いやなんでオレ達が」
 呆れ半分にオレが答えるのと、ほとんど同時だったと思う。
 神代センパイが司センパイからホースを奪って、ばしゃ、と勢いよく水を噴出させたのは。
「あ」「あ」
 オレと冬弥は顔を見合わせた。
「あーあ、頭から被ったなアレ」
「大変だ、司先輩が風邪をひいてしまう……! 彰人、急いで保健室からタオルを借りてこよう」
「うへえ、結局巻き込まれんのかよ……
 真っ青になった冬弥をひとりで行かせるのも気が引けて、オレは嫌々重たい腰を上げた。
 ――ひとつ上の学年の、「変人ワンツーフィニッシュ」は。神高で知らないヤツはほとんどいないんじゃないかってくらい有名だ。
 外面良く生きてきたオレはそんな悪名高い連中と顔見知りになんてなりたくなかったけど、まさか相棒がその片割れを崇拝レベルで心酔してるなんて思わないだろ。こればかりは運命を呪うしかない。
 そうは言ってもまあ。別に悪い人達じゃないってことは、わかる。
 司センパイのショー? に対する熱意とかは、オレ達がしてる活動とも似通うところがあるし、尊敬できる先輩かどうかはともかくとして……意外と行動力のあるヤツだ。
 神代センパイは何考えてるんだかよくわかんねえけど、司センパイをやたらと気に入ってるみたいだった。
 なんだってこんな、揃いも揃って自称スターに惹かれるんだか。
 オレには司センパイの魅力っての? 全然理解不能だけど。声がデカくて虫が死ぬほど苦手で、あとなんかやたらポーズ決めたがる変人としか思えねえんだけど。冬弥が。あいつをやたらと褒めるから。
 司センパイはすごい人だって、手放しで褒めやがるから。
「こういうの、日常になりつつあんのがなんかヤダわ……
「何か言ったか? 彰人」
「お前は司センパイのことになるとネジ三本くらい外れんな、って話」
「? よくわからないが、尊敬する先輩だからな」
「へーへー、そうかよ」
 なんか、悔しくて。粗を探してやろうって思うのに。あいつ、根っからの善人なんだもんな。
 うちのチームにもそういう、悪意に染まらない純粋なヤツがいるから。すっかり毒気が抜かれてしまっているのを、いい加減認めざるを得ないかもしれない。
 ときどき考える。もし、もしもオレの方が先に冬弥と出会っていたら――オレは司センパイのように冬弥の手を引けただろうか。冬弥の逃げ場になってやれただろうか。わかんねえ。そんな、イフをいくら考えたって、答えなんて出るわけないし。
 馬鹿ばかしいや。今こうして手を組んで、相方になった今が一番いい未来に決まってる。ふと冬弥を盗み見れば、ぱち、とグレーの瞳と目が合った。その瞳には、未来に対する不安とか、迷いは一切感じられない。それが全ての答えだ。
 だから、先輩達は先輩達で、勝手に幸せになってくれればいい。オレ達とは違う、どこか遠くの光り輝くステージで。
 また司センパイが神代センパイのせいでずぶ濡れになったら。その時は、まあ、駆け付けてやってもいいくらいには、オレも絆されてあげるんで。


 オレは怒っていた。それはもう、カンカンに怒っていた。
 戯れに類に向けられたホース。あ、と思った瞬間には勢いよく水が噴出し、おかげでオレの制服は上から下まで全身ずぶ濡れ(だが幸いブレザーとカーディガンは脱いでいたので無事だった)。
 役者に風邪を引かせてはたまらないとばかりに手を引かれ(お前のせいなんだが?)、訪れた保健室には後輩の彰人と冬弥がいて、どうやら事の顛末を見ていたらしい冬弥には自分の制服を貸すとまで言われ――何故か類がそれを丁重に断り(再度言うが原因は類である)(まあオレも断るつもりだったが……)今に至る。
「悪かったと思ってるよ。本当にね」
……本当に思ってるのか?」
 彰人達に持ってきてもらったオレの鞄。ジャージを取り出し、着替えながら類を睨みつける。類は何か物言いたげにしながら、「してるとも」と両手を上に挙げた。
 降参のポーズをされてもな。袖に腕を通して、長いため息をつく。
「今日だけでオレはお前に前髪を焦がされ全身水浸しにされ、貸した教科書には悪戯され楽しみにとっておいた食後のケーキまで奪われているんだぞ!」
 大体なんだ、この飛び出す絵本仕様の教科書は!
 鞄から悪戯された歴史の教科書を取り出して開いてみせる。開いた瞬間偉人達が次々に起き上がり飛び出す仕様だ。ご丁寧に吹き出しまでついている。
「渾身の出来だよ」
「ああ素晴らしい出来だとも! 他のところでその才能を発揮してもらいたいものだがな!」
 類が手掛ける演出は素晴らしい。それはもう、非の打ちようがない。ワンダーランズ×ショウタイムのショーだって、類の奇抜な演出見たさに訪れるファンだっているほどだ。まあ一番の目的はオレだろうがな!
 だが。だからこそオレは類の実験に巻き込まれても、実験体にされても、文句……は言うが、受け入れてきた。
 繰り返すが、類の演出は本当に素晴らしい。オレが輝くには、類は欠かせない。否。類がいてこそ、オレは従来の何万倍にも輝ける。
 だから――だから、いいのだ。類がショーのためになるというのなら、それで。オレにはさっぱり理解ができなくても、仲間が、類が、みんなが笑顔になるならオレはいくらでも体を張れる。何故ならオレは、スターになる男だからだ。
 でも、違うだろう。今日のそれは、演出とは関係のないことばかりだろう。
「まったく一体何が気に入らないんだ」
「気に入らない?」
 ぱちくりと類が目を瞬かせる。
 オレはタオルで髪の水分を拭き取りながら、ああそうだ、と頷いてみせた。
「何か気に入らないことがあるからこうしてオレを困らせているんだろう?」
……ふむ」
 口元に指を当てて、腕を組むのは類の考える時の癖だ。
 類は考える時、そして自分の感情を隠したがる時、腕を組む。自分で気づいている癖かは知らないが、少なくともオレが気づくほどには類と長い時間を過ごしてきたつもりだ。
 不満があるにしろないにしろ、オレにはどうも類がオレにちょっかいを掛けたがっているようにしか見えないのだ。高校生の、それも同学年の類相手にこう形容していいものかわからんが、幼い子供が親の興味を引こうとしている、みたいな。
「そうだな――。うん。司くん。まず前提として、僕は君に不満があるわけじゃない」
「ほう」
「勘違いしないでほしいんだけど……司くんといるとどうにも脳が刺激されてね。次から次へと演出のアイディアが浮かぶものだから、片っ端から試したくなってしまうんだよ」
「ふむ。まあ、このオレが傍にいるのだから、類の創作意欲を掻き立ててしまっても不思議はないな」
「そうだろう?」
 頷く類を後目に濡れたタオルを丁寧に折り畳む。家で洗って返そうと鞄にそれをしまいながら、ふと類の言葉を反芻する。
……いや待て。その説明だとケーキを奪われた理由にはならなくないか?」
「おや、バレてしまったか」
………………
 我が最愛の妹咲希よ。これから罪を犯すお兄ちゃんをどうか許してくれ。
「類――‼︎」
「あははは!」
 拳を振り上げたオレを見て、類は大きな口を開けて破顔した。ああ、もう――くそう、楽しそうな顔をして!
 勢いに任せ、類の胸倉を掴んで引き寄せる。一瞬驚いて目を見開いた類に気を良くしながら、ぺち、とデコピンを一発かませば。赤くなった額を押さえて、類はへにゃりと頬を緩ませた。
「フフッ……冗談はさておき。僕が君を困らせるのには、勿論理由がある」
「ぬう……一応聞いてやる」
「ありがとう。ほら、よく言うだろう?」
 類の手が伸びて、するりと指の背でオレの頬を撫でた。
 指先の体温を直に感じて、僅かに眉を寄せる。くすぐったい、と形容すればいいのだろうか。類の煮詰めた蜂蜜の色に、オレの姿が映っている。
 類はそれらしく勿体ぶった「間」を提供しながら、すっとその両の目を細めた。
 時に視線は、言葉よりもずっと雄弁に心情を語る。
――好きな子ほど困らせたいって」
 オレは類の眼差しから、その時たしかに愛情を感じてしまった。


 秋の風が吹く屋上で、フェンス越しに学校を見渡す。
 いい天気。雲ひとつない、とは言わないけど。髪を靡かせる風がほんの少しだけ冷たいくらい。平凡。平穏。そんな二文字がぴったりな午後――
「類――‼︎」
……うるっさ……
 ――だった。
 どこにいるのか知らないけど、屋上にまで聞こえるってどんな声量してんの、あいつ……。顔をしかめたわたしの後ろで、神高に懲りずに侵入していたえむがぱっと顔を輝かせる。
「わあっ! 今の声司くんだ! 類くんと一緒にいるのかなっ?」
「多分ね……あの二人、大体いつも一緒にいるから……
「そうなんだぁ! えへへへ、仲良しわんだほいさんだねえ!」
 あーあ、そんなにゆるゆるのほっぺたしちゃって、そのうち取れちゃったらどうしよう。
 えむを見てるとときどき心配になる。きっとえむはわたしが思っているよりもずっと、周りのことを気にして、えむなりに考えて行動してるんだろうけど。なんか、全然、悩みとかなさそうに見えるから。わたしが注意して見てないとって思っちゃう。
 えむの名前の由来は「笑む」からきてるって、前に教えてもらったことがある。その名前の通り、えむには笑顔が一番似合ってる。
 だから、神高に侵入するのは――もうこの際何も言わないけど、言ったって聞かないんだろうけど、せめてわたしに連絡くらい入れてほしい。そうしたら校門まで迎えにいくのに。廊下を歩いてて急にえむと遭遇するのはだいぶ――心臓に悪い。
「ていうかえむ、あんまり大きい声出すと先生に見つかる」
「ほぇ? でも前に司くんに会いに来た時は大丈夫だったよ?」
「それは司と類がえむを隠してるから……。わたしの体じゃえむのこと隠せないし、見つかったら、その……
「その?」
 きょとんと目を丸くして、えむが首を傾げる。
 喉元まで出掛かった言葉が、なんだかすごく恥ずかしいことのように思えて、わたしは言葉を詰まらせた。
 えむと違ってわたしは全然素直じゃない。類はこんなわたしのことも、「寧々は素直だよ」って言ってくれるけど、全然、わたしはそうは思わない。
 だってえむのことを大事な友達だって言うのすら、ものすごく勇気が要る。えむに限ってそんなこと絶対あり得ないのに、もしえむはわたしのこと友達だって思ってくれてなかったらどうしようって、そんなことばかり考えちゃう。
 たくさん、たくさん、逡巡して。喉に言葉を引っ掛けながら、どうにか言葉を、紡いで。
……えむと遊ぶ時間……なくなっちゃうでしょ」
「! はわああ寧々ちゃん……! わかった! しずかにするね! ギュ〜!」
「わっ、ちょっと、急に抱きつかないで」
 勢いよく抱きつかれて、鼻先を掠めたえむのシャンプーの香りに、わたしは顔を綻ばせた。
 類も結構、友達の距離感がわかってないみたいだけど――ううん、もしかしたら類にとって司は「友達」じゃないのかもしれないけど――えむもえむで、大概だ。
「えへへ! 寧々ちゃんだーいすき!」
……もう、声大きいってば…………まあ、ありがと」
 ふにふにのほっぺたを両手で包み込む。思った通りおもちみたいで柔らかかったけれど、わたしが触ってもえむのほっぺたは取れなかった。
 これまでつらいこともたくさんあったけど――えむを見てると、それも必要なことだったのかなって思える。
 類に誘われて仕方なく始めたショーキャスト。どうせすぐに飽きるでしょ、って思ってたのに、いつの間にか類よりわたしの方が夢中になってた。えむと出会えて、一緒にショーをして、わたし、本当に楽しかったんだ。
 司も案外悪い奴じゃないし。声は大きいし、言ってることめちゃくちゃだけど、結構……頼りになる、し。
 類も、毎日楽しそうだし。
「おょ……? 寧々ちゃん、ニコニコしてる〜! なんで? どうして?」
「秘密」
 こんな毎日がこれからも続いていくなら。もしかしたらそれを、人は幸せって呼ぶのかも、なんて、思っちゃったりしてるよ。
 ――ね。類もそうでしょう?


「よく言うだろう? 好きな子ほど困らせたいって」
 ざあ、と。開け放たれた窓から吹き込む風で、保健室のカーテンが大きく靡いた。
 司くんの琥珀色の瞳が揺らぐ。僕は彼の頬を撫でていた指を離して、ふ、と口元を緩めて見せた。勿論、強がりだ。心臓は今にも口から飛び出してしまいそうなほど、バクバクと鳴りやまない。
「その理論でいくと、類はオレを好きということになるな」
「好きだよ」
「ああ、オレもお前のことは好きだぞ。だがオレ達の『好き』は友愛のものであり、お前が言う相手を困らせたい『好き』とは毛色が違うだろう」
 目を細める。
「どうして毛色が違うものだと思うんだい?」
「む。どうしても何も」
 少しだけ訝し気に司くんの眉が吊り上がった。
 きっと彼は、考えもしていなかったんだと思う。同性の僕からそういう意味で好意を寄せられること。その他大勢が彼に向ける眼差しと、僕が彼に向ける眼差しはこんなにも熱量が異なるのに。
……『どうしても何も』?」
……
「僕はちゃんと伝えたよ。君が好きだ。友人としてだなんて、一言も言ってない」
「は……?」
 二、いや、三回。ぱちぱちと瞬きを繰り返して、司くんは俯いた。
 次に続く言葉が拒絶ではないことを祈りながら、永遠にも思える静寂を享受する。言うつもりはなかったけれど、隠し続けられるものとも思っていなかった。司くんは意外と人を見ているから、きっと遅かれ早かれ僕の気持ちには気づいていたはずだ。
 おかしいなって思っていたはずだ。友達の距離感を、僕は故意に飛び抜けていた。
 けれど。顔を上げた司くんが零した言葉は、あまりにも間抜けなものだった。
……もしかしてオレは今人生初の告白をされているのか?」
「そうかもしれないね」
「何故他人事なんだ……
 司くんは僕を喜ばせるのが上手だ。
 君の人生で、初めてを彩る男になれたのなら、それだけで十分嬉しい。あわよくば、それを受け入れてほしいと思うけど。こればかりは演出を受け入れるのとはわけが違う。
 彼らしくもなく、司くんは随分と寡黙になってしまった。じっと僕の言葉の真意を探るように見つめている。僕は少し、視線を彷徨わせて、震える口元を叱咤した。
「さて、どうしようか。僕は繊細だから、いい返事がもらえなかったらプールと言わず学校ごと爆破してしまうかもしれないねえ」
「さっきの言葉は撤回する。さては告白ではなく脅しを受けているな?」
「フフフ……
 呆れた声。それでも、その声に拒絶の色は見受けられない。普通、嫌悪感を抱かれてもおかしくないと思うんだけど。いや、普通じゃないか。僕も、君も。
 だって僕らは「変人ワンツーフィニッシュ」だ。
「司くん。好きだよ」
……そうか」
「おや? 顔が真っ赤だ。もしかして君、ストレートに迫られると弱いのかい」
…………
「これはいい情報が手に入ったな」
 調子に乗って司くんの体を抱き寄せる。少しでも嫌がる素振りを見せたら離すつもりでいた。本当だよ。でも彼は全然、そんな様子を見せないから。
 これで自意識過剰になるな、なんて。土台無理な話だ。
「司くん、好、」
「えぇい! 皆まで言うな! わかっている! 十分だ!」
 口元を手のひらで覆われる。覗き込んだ司くんの顔は、首や耳まで真っ赤に染まっていた。ものすごく失礼なことを言うけれど、君、羞恥心があったんだねえ。
「がっ、学校を人質にとられてしまっては、ここは未来のスターとして、教職員と全生徒の命を救わねばなるまい!」
「うんうん」
「スターは万人に愛されるものだからな! 類がオレの輝きに惹かれてしまったのもやむなしだ!」
……
「だから、……喜べ類! お前の熱意に免じて、お前をオレの最初の恋人に――
「司くん」
 指を、絡めれば。
 司くんの視線が僕に釘付けになる。いいね、そのまま僕のことだけ見ていてほしい。勿論、世界から稀代の大スターを奪う気はないとも。二人きりの時だけ。僕に、君を独り占めできる権利をくれないかな。
 がちがちに固まる司くんに小さく笑って、そっとその唇を奪う。
 一瞬だった。本当にただ触れただけの、子供みたいなキス。
…………ッ! ……‼︎」
「素直に君も僕が好きなんだって言えないのかい?」
…………………………す、……すきだ……
「うん」
 ぼくもだよ。司くんの耳元から、きっと真っ白になっているであろう脳まで確実に届くように吹き込む。
「君の可愛さに免じて、学校を爆破するのはやめておいてあげよう」
……
「最後の恋人も、僕にしてね?」
…………照れ隠しに決まってるだろう」
「フフフフ……
 さて。こうして、神山高校の平和は人知れず守られた。
 ヒーローと悪だって恋をする。そんな陳腐な物語の続きは、
 ――これから彼と二人で紡いでいこうか。