猫澤
Public
 

planetarium


 たとえば、中庭のベンチで生姜焼きを頬張る君。
 授業中の真面目な横顔。笑った時に見せる白い歯。本読みの際の真剣な眼差し。舞台の上の、陽光スポットライトに照らされながら喝采を浴びる、その堂々たる姿。
 僕を求める声。差し伸べられた手のひら。
 君を好きになる理由なんて、それだけで十分だった。
「司くん。付き合ってほしい」
……
 前振りも、突拍子もなく。屋上のフェンスに凭れ掛かってパックジュースのストローに齧りつきながら。
 呟いた僕の声は、それはもう微かなものだったけれど、湿気を纏った風に攫われてどうやら無事に司くんの耳にまで届いたようだ。
 幼さの残る丸い瞳が僕を見上げる。プラスチック製の青色の箸を一度下ろして、彼は片眉を上げた。
 手作りと思われるお弁当は、既に半分が減っている。
 少し離れたところでは、えむくんと寧々が楽しそうにスマートフォンを翳しながらお弁当を広げていた。僕達のいるところからはよく見えないけれど、おそらくミクくんやリンくんが彼女達のランチタイムに花を添えているのだろう。
 ひとりぼっちが集まって、ワンダーランズ×ショウタイムになって。こうして昼のひとときを共にするようになって――二度目の初夏だ。
 清々しいほどの晴天。先日まで重たくこの地球ほしを覆っていた雲はどこへやら、太陽がもうあんなに近い。夏が迫っている。
 一筋の飛行機雲を目で追って、僕はまたストローを噛んだ。
 司くんは顎に手を当て、何かを考えるように静かに俯いていた。食事の際の彼はいやに静かだ。波打つ心臓を悟られないよう、僕は必死に彼から目を逸らす。
 彼が次に発する言葉を想像する。
 きっと好意を向けられることには慣れているから、感謝が二割。自惚れやさんなところがあるから、頓珍漢なことを言い出す可能性六割。あとの二割は、単純に僕の好意を受け取れないうしろめたさに対する謝罪。たぶん、大方、そんなところ。
 期待はしない。だって、司くんは僕を好きじゃない。
 仲間として、友人として傍にいるけれど、僕と同じだけの熱を、感情を、欲を持て余してはいない。それくらいわかる。それくらい、好きだから。
 それでも僕は感情を吐露せずにいられなかった。知っていてほしかった。僕が君をそういう目で見ていること。
 僕を見上げる彼の、少し開いた唇。喉ぼとけ。君のあたたかい手のひらに触れて、幼子のように安堵したい僕のわがままを、ただ、知っていてほしかった。
 ――だから。
「いいぞ」
「え。……本当かい?」
「ああ、もちろんだ!」
 薄くリップの乗った唇の、口角を持ち上げてにこりと笑う君に目を疑って。瞳が揺らいだ。
 思わずしゃがみこんで司くんと目を合わせる。無垢な眼差し。無知で愚かで向こう見ずな夢追い人かと思えば、存外周囲を見渡す視野をもつ彼もまた、まっすぐに僕を見つめている。
 とろりとした大きな眼に映る僕は、柄にもなく必死の形相で、それが少し滑稽で。
 こんな夢みたいなことがあっていいのだろうか。ああ、今なら信じてもいない神さまに祈りを捧げてしまいそうだ。
 喉元まで、感情が込み上げていた。
 ……結局、それを吐き出すことはなかったけれど。
「それで、どこへ付き合えばいいんだ?」
……
 視線を落とす。諦観のこもった吐息が零れて、僕は薄く口元を緩めた。
 わかっていたことじゃないか。一瞬でも期待した自分が馬鹿なのだ。いくら同性愛に寛容になりつつある世の中でも、イコール同性愛者が増えるわけじゃない。マイノリティの存在が許されただけ。
 彼と恋愛観について語ったことはない――僕がそれを避けてきた――けれど、大多数の人間はヘテロで、司くんだって、きっとそうで。
 いや、そもそも恋愛にまだ興味自体ないかもしれない。
 僕だってそうだった。一生、僕の恋人はステージの上にあるのだと思っていた。彼に出逢わなければ。春の雷鳴のように、恋にさえ落ちなければ。
 僕と彼は、同じ舞台にすら立っていない。今後も立つことはない。
 それならば。
 どうせ実らない恋ならば、一度くらい夢を見させてはくれないだろうかと――魔がさした。
 純粋に僕を大切な友人として扱ってくれる君の好意を利用して、僕はこのときはじめて、僕のためだけのショーへと君を誘うことにしたのだ。
「そうだね、じゃあ――
 夏が迫っている。
 空を分断する飛行機雲は、いつの間にか薄くなっていた。


 施設の前の看板を覗き込んで、司くんはその文字を口に出した。
「プラネタリウム」
……嫌いだったかい?」
「まさか! 星は好きだぞ」
 振り返った司くんはぱっと顔を明るくして、早く入ろう、と僕の袖を引いた。
 そんなに急がなくても上映時間まではまだ余裕がある。
 週末である上に有名な天文台だから、中はそれなりに賑わっていたが、席の予約も事前にとってある僕に抜かりはなかった。
 左腕の時計を見遣りながら、先を歩く彼を見失わないよう手を伸ばして。下心なんて感じさせないよう細心の注意を払いつつ、その細腕を掴む。
……それは、君がスターだから?」
「ハッハッハ! 面白いことを言うな。確かにオレはスターになる男だが!」
 順路に従って通路を進む。映画館のような重たいドアを開ければ、薄暗い空間に座席が淡く照らされた光景。
 司くんは照明の下でチケットの席を確認しながら、気持ちばかり慎重に一歩踏み出した。
 真後ろに立つ僕にその表情は見えなかったけれど、不思議と彼の姿がいつもより少し小さく見えた気がした。
「たとえ離れていても、空を見上げれば同じ星が見えるだろう。だから好きだ」
……
 誰と同じ星をみたかったの、なんて聞くだけ野暮だろう。
 司くんは、僕の柔らかい心臓をナイフとフォークで切り分けるのが上手だ。僕は決して彼の一番にはなれないのだと、無慈悲にトドメを刺してくる。
 どうせなら、切り分けた心臓のひとかけらでもその口に入れてくれればいいのに。
 そうしたら僕の恋も少しは報われるかもしれないのに、なんて、馬鹿げているのはわかっているけど。愚かな僕は願わずにいられない。
「しかし……何故よりによってカップルシートなんだ。他にもあっただろう、いい席が」
「フフ。いいじゃないか。それとも僕とカップルじゃ不服かい?」
「そういうわけではないが」
(否定するなよ、そこは)
 言葉を濁して、ふわふわの雲のような席に腰を下ろす。寝そべるとまだまっくらなドーム状のスクリーンが視界いっぱいに広がる。
 館内アナウンスが流れるまで、司くんは妹くんと――妹くんの幼馴染であり、バンドメンバーでもある彼女達の話をぽつりぽつりと零していたように思う。
 彼女達がまだ幼い頃、四人で星を見に行くと言い出したときは本当に心配で仕方がなかっただとか、穂波くんは星に詳しいのだとか。
 彼の幼少時代の話は興味深かったけれど、それよりも、触れそうで触れない指先が気になってしまって。僕は曖昧な相槌で誤魔化した。
 司くんに気づかれないように。そっと、小指の先を動かしてみる。
 ちょん、と微かに触れた指先。触れる面積は微々たるものなのに、伝わる体温にぎゅっと胸が締め付けられる。
 もし。もしも、このまま手のひらを重ねたら、君はどんな反応を見せてくれるんだろう。驚くだろうか。嫌がるだろうか。それとも……少し照れて、しょうがないなって言って握り返してくれたら、最高だ。
「お、始まるみたいだな」
 こて、と首を僕の方へ傾けて、司くんがこそりと耳打ちする。いつもより少し抑えた声。内緒話をするみたいな、ひそひそと吐息の混じった声が耳朶に触れて擽ったい。
 大きなスクリーンに映し出される満天の星空の映像を眺めながら。
 僕はふと呼吸がしづらくなって、少しだけ息をとめた。
 触れる肩。彼の呼吸が聞こえる。じわりと湿る左手はぎゅっと握りしめた。願わくば、この鼓動の音までは君の耳に届きませんように。
 こんなにも暗い空間でも、司くんの存在が照らされて見えるなんて、つくづく恋は感覚と感情のバグだ。
 僕の道標。僕のスター。
 ああ、なんて浅ましいんだろうね。空に浮かぶ星々の軌跡よりも、君のことばかり目で追ってしまう僕を、いっそ笑い飛ばしてはくれないだろうか。
「楽しみだな、類」
 ――うん、なんて。
 当たり障りのない返事しか出せない自分が情けないから。


「うむ。やはりたまにはこういったものを観るのもいいな! 星の逸話や神話は特に興味深い。ショーにも取り入れられそうじゃないか?」
「いいね。それなら来月の七夕のショーは星に纏わる脚本にしよう。アルタイルは君。ベガは寧々。織姫と彦星の物語なら、きっと小さい子にもわかりやすい構図が作れる」
「すばらしい! 期待しているぞ、演出家!」
「任せてくれたまえ」
 都内をぐるぐると走る箱は、僕達を乗せてがたんごとん、音を立てて進んでいく。
 目まぐるしく変わる窓の景色。電車の中はそれなりに混んでいて、ヘッドフォンから微かに音を漏らしながら参考書を眺める学生や、ぱりっとしたスーツに身を包んだサラリーマン、そして僕達同様行楽帰りと思われる老若男女で席が埋まっている。
 僕達は手摺りの傍で時折揺れに身を任せながら、互いに同じ外の世界を眺めていた。
 がたんごとん。不規則に発する車輪の音。平坦な車内アナウンス。
 ひとつ、またひとつと駅を通過する度に、終わりの時間がにじり寄ってくる。――まだ、もう少しだけ。僕だけの君を独り占めしていたいのに。
 夕日に染まる金糸。黄昏の街を映す胡桃の瞳。機嫌よさそうに吊り上がる口角。雑音に時折混じる、鼻歌。
 明日になれば彼はもう、みんなの司くんだ。
……まだ帰りたくないな」
「ん? どこか行きたいところがあるのか?」
 ぽつりと零れた僕の声に、司くんはぱっと顔を上げた。
 無邪気な表情で「乗り換えるか?」と前髪を揺らしながら彼が尋ねる。
 僕は小さく首を振った。過ぎたことは望まないと決めている。
「いや、違うんだ。君と遊ぶのがあまりに楽しくてつい感傷的になってしまっただけだよ」
「むう。別に構わんぞ、もう少し遊ぶくらい。妹と違ってオレはだいぶ自由に育ててもらっているからな! 無論、補導されない時間まで、だが」
「司くん……
 肩に掛けていたトートバッグを持ち直して、司くんが車両のドアに凭れ掛かった。僕を見上げる瞳が蠱惑をはらんで細くなる。時折、司くんは僕の心を見透かしたような顔をする。
「それに、オレもちょうど名残惜しいと思っていたところだ!」
……
「はは。困ってしまうな。類とのデートは、いつも楽しいから時間を忘れてしまう」
 かと思えば一変、子どものようなあどけなさで笑うんだ。
 きらきらと。眩しいほどの光を纏って、過ぎゆく景色のひとつひとつを大切そうに、噛み締めるように。見つめる君が、あまりに綺麗で。
 期待、してしまう。諦めの悪い僕の心は、感情は、どうしても彼が欲しいって幼児のように泣きわめいてしまう。
「僕も、困ってしまうよ」
 司の腕を掴む。決して華奢ではない。けれども線の細い彼の腕に、心がざわめいてどうしようもなくなってしまう。
 今すぐにでもこの体を抱き締めて、僕の腕の中に閉じ込めてしまえたらどんなにいいだろう。
「困るよ、君、本当は全部わかってるんじゃないのかい?」
「む?」
 ショーは、楽しい。今は司くんがいて、ワンダーランズ×ショウタイムがあって、尚のこと楽しい。ショーの演出を考えているとき、僕はどんな時よりも僕らしくあれる。
 君を想うと。
 僕は、僕でいられなくなる。駄々をこねたくなってしまう。甘えたくなってしまう。好きだと言って、同じだけの好きを返してほしくなる。
 愚かで、浅ましくて、ひょっとしたらどこかの物語の主人公みたいに――ひとりの人間になってしまうんだ。
「類? どうした、顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」
 司くんの手のひらが伸びて、僕の額に触れた。
 僕は笑おうとして唇を持ち上げてみたけれど、上手く頬が上がらなくて失敗した。
 がたんごとん。幾重もの影が僕らの間を通り過ぎていく。
……司くん、もしも、もしもの話さ……
 額に触れる司くんの手を掴んで、するりと手首を親指で撫でた。
 手のひらの皺をなぞって、指を絡める。
 夕日は好都合だった。熱に浮かされて馬鹿みたいに茹だる思考も、膜を張る瞳も、全部夕日のせいにしてしまえる。
…………もしも、僕が君を……好きだといったら……どうする?」
「好き? 類が? オレを? ……ファ、」
「ファンとか、友達としてとかじゃなくて」
 言葉を切って、司くんから目を逸らした。
……れんあい的な、意味で……
 息を飲んだのは、僕か、それとも司くんか。
 彼の視線は僕の頬を無遠慮に突き刺して、あろうことか目を合わせようとこちらを覗き込もうとする。
 顔なんて合わせられるはずがなかった。今すぐにでも煙に巻いてしまいたい気持ちがこんなにも押し寄せてくるのに。
 昔から、他人との距離を測るのは得意じゃない。人間は機械のように一辺倒ではないから、コミュニケーションひとつとっても正解と不正解が無数にある。
 僕はいつも、司くんの正解を探っている。
「ふつうに、驚くな」
「ああ……そう……。そうだよね」
「だが嬉しいと思う。……あー、……
 不自然に言い淀む司くんが珍しくて、僕は視線だけ司くんに向けた。
 箱の揺れに身を任せる彼の頬が、夕日の色に染まる。
 今度は司くんの方が僕から目を逸らして、何か言葉を探しているようだった。
 気まずい空気に、困らせている自覚があった。忘れてくれ、と言いかけて。口を開こうとした僕を、司くんの手のひらが遮る。
……オレ、も、そうだ。だから、嬉しい」
「え?」
 がたん、ごとん。一瞬が酷く長い時間のように思える。
 彼に切り分けられた心臓はちぐはぐに動き出して、喉から飛び出るほどに僕の体内で暴れまわっている。
「え? ええ? 司くん、それは一体どういう、」
「あ〜〜〜〜知らん! たとえ話で予防線を張る意気地なしには教えてやらん!」
「待ってくれ、司くん!」
 そっぽを向く彼の肩を掴んでこちらを向かせる。我ながら必死だとは思う。それでも、君が見せたヒントを、尾を、今掴まなければ。一生後悔すると思ったから。
「本当に困る。期待してしまうよ。ねえ……
「すればいいだろう! ええい、お前ショーの演出では散々好き勝手してくれる癖に、何故こういうときは遠慮しいなんだ!」
「君が大事だからに決まってるだろう!」
 思わず声を荒げた僕に、司くんは驚いたみたいに目を丸くして。
 はっとして、車内に目を向ける。学生もサラリーマンも杖をつくおばあさんも皆が僕達を見ていて、それに気づいた司くんは「声がでかい!」と負けじ劣らずの声量で僕を小突いた。
 まさか司くんに声の大きさを指摘される日が来るなんて。
 居心地の悪さを感じた僕達は荷物を持って隣の車両へと移動した。存外そこも風景は変わらず、こちらも前の車両同様にたくさんの人達が思い思いに過ごしている。
 隅の方で体を寄せ合いながら、司くんの耳元へ唇を近づける。鼻腔を淡く擽る甘いシャンプーのにおいに目眩がしそうだ。
「脈があるって……思ってもいいのかい」
「そういうお前はどうなんだ。……またたとえ話か?」
 すっかり臍を曲げてしまった僕達の、いや、僕の王様は。僕の心を探るみたいにじっと大きな瞳を見上げて、不機嫌そうに唇を尖らせてみせた。
 夕日の赤に染まっているかと思えたその頬は、依然として薔薇色のまま。指先でなぞると、中央に寄っていた眉が解けていく。その口元はゆっくりと殊勝な笑みを湛えて。
 まるでフォトタクシス。どうしたって吸い寄せられてしまう。惹かれてしまう。欲しくなってしまう。
「司くん。僕と、付き合ってください」
「フフ。ああ、いいぞ! ……あっ」
「『あっ』?」
 何かに気づいたようにはっとする彼に首を傾げる。
 司くんは少しだけ気まずそうに眉を下げて、へにゃ、と年相応に顔を緩めた。
「もしかしてこの間の……告白だったか?」
「今頃気付いたのかい……
 人目に触れないようにこっそりと影に隠れて、司くんの腰を抱き寄せる。司くんは一瞬もの言いたげに僕を見たけれど、首までその白い肌を赤に染めても、僕の手が振りほどかれることはなかった。
 それがたぶん、彼の答えだ。
「でも、僕達らしいね」
 追いかけて、追いかけられて、遠回りして。臆病になる僕を明るい日向へと導いてくれる君。
 類、と。
 僕を求める声。差し伸べられた手のひら。
 君を好きになる理由なんて、それだけで十分なんだ。
 そうだな、なんて、君の当たり障りのない返事さえ愛おしくなってしまうくらい。