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猫澤
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ゆめみるこひつじ
――
最近、繰り返し同じ夢を見る。
何の変哲もない、いつもの都立神山高校。僕は慣れた調子で屋上のドアを開けて、視界いっぱいに広がった突き抜ける青空に目を細める。
飛行機雲。小鳥の囀り。長閑な世界の中心で、一層輝く存在が僕を振り返って。そして慈しみと愛情を鍋にかけてじっくり煮込んだみたいな、暖かくて柔らかい眼差しで見つめてくるのだ。
隣のクラスの、天馬司くん。
夢の中で僕と彼は恋人同士で、僕達は毎日のように、屋上で秘密の逢瀬を愉しんでいる。
「好きだ、類」
頬を薔薇色に染めてはにかむ君が綺麗で、眩しくて、その痩躯を衝動のままに抱き寄せてしまいたくなって。
手を伸ばす。指先が彼に触れる、その間際。
……
暗転。
「
――
類?
……
るーいー?」
「
……
司くん?」
「お前どうしてこんなところで寝てるんだ
……
」
腹を躊躇いなく揺さぶる感覚と、耳元での呼びかけにふっと意識が浮上する。
目の前にはついさっきまで夢の中に出てきたその人。司くんが、僕の顔を覗き込んでいた。
重たい体をゆっくりと起こしてみれば、ここはどうやら神山高校の中庭で、僕はいつの間にかベンチで眠ってしまっていたらしい。
日光をこれ以上なく吸ってカーディガンが暖かくなっている。まだ周囲に談笑する生徒がいるところを見る限り、うたた寝していたのは昼休みのほんの数分であることが窺えるが
――
「ふ、
……
はは! 葉っぱついてるぞ」
「おや
……
フフ、恥ずかしいところを見られてしまったねぇ」
司くんの手が伸びて、髪についた木の葉を掠め取る。
――
一瞬、鼓動が跳ねた。そんな様子はおくびにも出さず、努めて冷静に、適切な距離感を意識して
――
僕はおどけてみせた。
毎日毎日同じ夢を見ている。司くんと恋人になって、睦み合う、そんな夢。そのうち嫌でも彼を意識するようになって、愚かな僕は夢の啓示で自分の本心を知った。
司くんのことを好きになってしまった。
僕はいつだって自分の感情に無頓着で鈍感で、遅れてその正体に気づくようだ。しかしこれが恋愛感情であると認めたところで、司くんに告げようとは到底思えなかった。
ショーが好きだ。これは生来から未来永劫変わることはない。ショーは僕の人生そのものであるとはっきり断言できる。
その中でも、司くんとするショーがとびきり好きだ。これは公言できる。僕は彼の誘いによって希望を見出し、彼の言葉で救われた。
けれど。恋と呼ぶには薄暗い、独占欲染みた感情をぶつけるには
――
司くんは空に輝く恒星のごとく明るく、まっすぐ過ぎて。
……
いや。単純に僕が臆病風に吹かれているだけだ。彼との関係が変わってしまうこと。彼が僕から離れていってしまうことを何よりも恐れている。
司くんは木の葉の茎を撫で、その辺にひらりと風に乗せて飛ばした。
滑らかなグラデーションの髪が靡く。その姿に見惚れる僕のことには気づかずに。
「それで? うちの演出家どのは一体いつから眠りねずみに?」
「実は最近夢見が悪くてね」
ふ、と息をついて、僕は体を猫のように伸ばした。
ぱきぱきと肩から背中にかけて骨が鳴る。司くんは腕を組んでそんな僕を見下ろしていたけれど、ふむ、と徐に唇に手を当て思案するような仕草を見せた。
「夢見?
……
ほう。話を聞いてやろうじゃないか」
曰く。仲間の不安を取り除くのも座長の務め、だそうで。
どこからかハンカチを出して彼はベンチにそれを敷いた。優雅に腰を下ろす姿を後目に、行儀悪く肘をつく。
変なところ上品というか、育ちがいい。普段の喚き散らす姿はあまり品性を感じられないのに。
……
喚かせているのは僕という事実は置いておいて。
隣に腰かけた司くんは、それで、と足を組んだ。
肩が、意図せず触れる。
「こわい夢でも見るのか?」
「うーん
……
。いや、別にこわくはないんだけど」
「なんだ、判然としないな」
「そうだな
……
。妙にリアルというか」
現実味を帯びているというか。
夢と現実が曖昧になるくらい、夢の中の風景は現実のそれと同じだった。司くんが僕と恋人同士であることを疑いもしていない一点を除いては。
挙句、目が覚めても夢の内容を毎回しっかりと覚えているものだから、四六時中起きているような気分で慢性的に寝不足気味だ。
陽だまりがスポットライトさながらに僕達を照らす。
今日はとくに、天気が良くて暖かかったから。眠気覚ましに散歩していた中庭で、気が緩んでそのまま眠ってしまったのだろう。
そしてまた同じ夢を見た。我ながら、一度夢中になると朝も夜もそればかりになってしまうのは、昔からの良くない癖だ。
「オレは普段あまり夢を見ないんだが」
「ああ、君は眠り深そうだよね」
「フフフ、まあな! こう見えて、一度寝たら朝までぐっすりだ!」
「うんうん。何も意外性がないねぇ」
くあ、と欠伸をかみ殺す。
「だが妹は夜中に起きてしまうことが多くて、そういうときは決まってオレのベッドに潜り込んでいた」
「
……
へえ」
少しだけ羨ましいと感じてしまった。司くんがではなく、司くんの妹さんが、だ。
外聞や体裁を気にせず司くんに甘えられる特権を、彼女は生まれながらに持っている。
ほんの一瞬。僕が司くんの弟だったなら、と夢想して、すぐに打ち消した。それは僕が求めている関係じゃない。
――
僕が、なりたいのは。
「なんだ、反応が薄いな。人肌は安心するらしいぞ?」
「一人っ子の僕に言われてもだよ。いいねえ、君には素直で可愛い妹さんがいて。僕は寂しくオーバーヒートで発熱したロボでも抱けばいいのかな」
「それは
……
暑苦しそうだな」
「というか、普通に火傷するね。良い子の司くんは真似しないように」
「誰がするか!」
しかし、人肌で安心するというのは科学的に立証されたれっきとした事実で。
人間同士触れ合うとオキシトシンが分泌され、副交感神経が優位になり心拍数と血圧が低下する。ハグでストレスが減少するのはそういう原理からだ。
僕はちら、と横目で司くんを見た。
「
……
それとも、司くんがなってくれる?」
「ん?」
「僕の抱き枕に」
冗談半分のつもりだった。きっと彼なら「馬鹿を言うな」とか「からかっているのか?」とか、そんなことを言って首を振るに違いないと思い込んでいた。
そもそも司くんを抱き枕にしたところで。体はリラックスできたとしても、今度は感情が高ぶって眠れそうにない。夢を見る以前の話だ。
だから、この話は司くんが断って終わり。そう思っていたのだ。
――
僕の予想を裏切って、司くんがこくりとひとつ頷くまでは。
「まあ、別に構わんが」
「
……
僕が言うのも何だけど、そこは構った方がよくないかい?」
「類、お前自分では気づいてないかもしれんが、相当酷い顔してるぞ。寝不足なんだろう。こわい夢でないにしても、嫌な夢なんじゃないのか?」
「別に嫌ってわけでもないんだけど」
むしろ、嫌じゃないから困ってるのだけど。
戸惑う僕を見て何を思ったのか、司くんは歯を見せて笑った。幼い子供にするみたいに僕の髪をわしわしと掻き混ぜて。大丈夫だ、と根拠もなく、自信だけはたっぷりに胸を張ってみせる。
「お前だってたまには誰かに頼るべきだ。それとも、オレが止まり木では心許ないか?」
「その言葉、そっくりそのままお返しするよ」
「オレは十分、お前に頼らせてもらってるぞ」
ああ、まただ。
また僕は、彼の言葉で救われてしまった。また、彼を好きになってしまった。
自分のつま先を見下ろして曖昧に笑みを浮かべる。
どうせ実らない恋ならば。彼が良いと言うのだから。そんな自分にばかり都合のいい理由を脳内に並べ立てて、僕は気づかれないように控えめにため息を零した。
据え膳、というか
――
自分からネギと鍋背負ってやってきた自覚、あるのかなあ。
……
ネギは勘弁してほしいけど。
「
……
じゃあ、よろしくお願いしようかな?」
「ああ、任せろ!」
◇◆◇
我ながら奇妙な提案をしたものだ。
ひとつ。学校では落ち着かないので、添い寝をするのは放課後、フェニックスワンダーランドでシフトが入っている日に、シフトインの直前まで。
ふたつ。えむと寧々がシフトインしたら、必ず類を起こすこと。
そのふたつの条件つきでオレは類に体を貸すことになった。
今日もワンダーステージ付近のキャストルームで、類の体重を肩に感じながら、腰に巻きつく類の腕を撫でている。
最初はなかなか寝付けなかったようだが、どうやらオレは類よりも少し体温が高いらしく(新陳代謝がいいからな!)慣れてくるとすぐに類は睡眠の淵に立つようになった。
「
……
類ー?」
ためしに声を掛けてみるが、返事はない。
それなりに深く眠れているのか、すう、と落ち着いた寝息が耳殻を擽る。
起こさないようにそのままゆっくりと類の体をベンチに倒す。その隣に寝転んで、オレは類の前髪をさらりと撫でた。
添い寝をするようになってから、多少、顔色がマシになってきたように感じる。
――
胸をつく安堵。ここ最近の類は本当にいつ見ても青白い顔をしていたから、普通に心配だったのだ。
眠っているときは意外とあどけない顔をしていると知れたのは発見だった。オレが知る類はいつもショーの演出について語りながら目を爛と輝かせていて、かと思えばときどき、全てを見透かしたような視線を向けてくるから。
それでも、オレは類が優しい男だということをよく知っている。
どんな無茶ぶりを要求してきたとしても、役者の身を危険に晒すことは絶対にしない。それはそれとして
……
縄で吊るされたり、予定より空高く打ち上げられたり、妙なロボットに追い掛け回されれば恐怖で悲鳴が出てしまうが。信頼はしているのだ。類は優しい。
――
いつの間にか、オレはこの神代類という男が気になりだしていた。
眠る類の唇を指でなぞる。薄く開いた唇から、類の規則的な呼吸が漏れるのを、ただじっと無感情に見つめる。
「お前は
……
オレの下心を知ったら幻滅するかもしれないが
……
」
こうして触れるのはオレだけの特権でありたいと願ってしまうのを、どうか許してほしい。
この感情を形容するなら、多分、恋というのが一番近いのではないかと思う。
素晴らしいショーを見たときの高揚とも似ているが、ショーは独占するものじゃない。感動を共有し分かち合うものだ。
でも、オレにとって類は。
「
……
好きだ、類」
ぽつりと零れてしまった感情に、返事はない。なくていい。
実らぬ恋に芽が出たところで、踏み潰されてしまうだけなのだから。
◇◆◇
今日は司くんが学級委員の仕事でバイトに遅れるというので、僕はひと足先にキャストルームで演出の案を練っていた。
練っていた、はずなのだが。
「
……
類。寝てるのか?」
「
……
。おはよう、司くん」
瞼を開いた途端ドアップの司くんがいて、一瞬思考が停止した。ガタン、とベンチが音を立てる。散らばる演出案。どうやらいつの間にかうたた寝をしていたらしい。
司くんが添い寝をしてくれるようになってから寝不足は解消されつつあるものの、あの夢は依然として見続けている。
「夢見の方は相変わらず、か」
「すまないね。自宅で脳波のチェックをしてみたりもしたんだけど
……
」
「自宅で脳波チェックと聞いても驚かない自分に驚きだ」
寝起きでぼんやりしている僕に、司くんが苦笑を交えて未開封の水を差し出す。僕は遠慮なくそれを受け取って、キャップを開けた。ぱき。小気味良い音が響く。
冷たい水が喉を通って寝ぼけた脳をクリアにする。
寧々とえむくんはまだ来ていないようだ。僕が司くんを見上げると、当然わかっていると言うように司くんは僕の隣に腰を下ろした。
引き締まった男の脚に後頭部を預けて目を閉じる。そうすれば司くんは優しい手つきで僕の前髪を梳いてくれる。幾度も繰り返されたやり取りだ。
「しかし困ったな。睡眠の質はすなわちパフォーマンスの質だというし
……
類、お前本当に悩みとかないのか。聞くぞ? このオレが。聞いてやるぞ?」
「どうして上から目線なのかなぁ
……
。何度も言っているけど、無いよ。悩んでる暇があったら解決策を考える方が建設的だろう」
別に、夢に嫌気がさしてるわけじゃない。
寝不足で集中できなかろうが、元々学校の授業は退屈でサボりがちだし、ショーさえ始まれば開演中は自然とアドレナリンが放出されて目が冴える。むしろくたくたになるほどはしゃいだ方が夜は泥のように眠れるような気さえするくらいだ。
僕は司くんがいなくても眠れるし、生きていける。
ただ。多分に。未練があるのだと思う。不毛な恋など諦めてしまえばいいのに、日ごと司くんを好きになる。ありもしない期待を抱いて、その幻想が夢に出てきてしまうのだ。
その度に、僕は現実に失望している。
「ちなみに、どんな夢か聞いてもいいか?」
「悪いけど、それに関しては黙秘権を行使するよ」
「どうしても?」
「どうしても」
頑なに口を閉ざせば、司くんはむうとむくれた。
何だいその顔は。かわいいなあ。とろとろと忍び寄る眠気で脳が惚けている。
暫くむくれていた司くんだったが、不意にハッと目を見開いた。何を思ったのかじわじわと司くんの頬が赤く染まっていく。
「
……
もしかしてあれか、あの、あれだ、あー
……
えっ、ちなやつか」
「げほっ」
咳き込まずにはいられなかった。
「
……
司くん」
「すまん。踏み込みすぎた。忘れてくれ」
「嫌だよ。というか今それを否定しなかったら司くんの中ではそういうことになるだろう?」
「気にするな。類も男の子だものな
……
」
「否定しているんだよ僕は」
思わず起き上がって司くんの頬を抓れば。痛いだのなんだの喚いて、司くんが暴れる。
僕は頭を抱えた。大体もし本当に僕がいやらしい夢を見ていたとして、寝不足になるほど毎日見るってどれだけ欲求不満だと思われているのだろう。
あらぬ誤解をされたまま、というのも気が進まない。
「
……
君が、出てくるんだ」
「オレが?」
僕がしぶしぶそう言うと、司くんは僅かに表情を喜色に染めた。
ぱっと輝いた瞳に何を考えているのか不安になる。決して君が喜ぶような夢の内容じゃないというのに
――
胸に重くのしかかるこれは罪悪感だ。
「そう。リアルな夢だって言っただろう? だから余計に夢と現実の境目が曖昧で、眠っているのに起きているような気がする」
「なるほどな。しかしそうか。他人の夢に出てしまうほどとは
……
おのれのカリスマ性が恐ろしくなってしまうな?」
「そうだね、僕も君があまりに通常運転で恐ろしいよ」
適当に頷いて、飲みかけの水をまた口に含んだ。
外から夕方のパレードの音がする。華やかなトランペットと腹の底に響くドラムロール。カーテンは閉め切っているが、隙間からは外の光が薄暗い室内に差し込んでいた。
司くんは相変わらず嬉しそうだった。歓びに満ちた表情で、僕の腕をしっかりと掴んでいる。
「だが、夢に出てくるのがオレならばちょうどいい。夢の中のオレに頼ってみるというのはどうだ?」
「
……
つまり?」
「夢の中のオレもお前の抱き枕にしてしまえばいい! 夢と現実の境目が曖昧ならば、夢の中でもお前が眠れば全て解決だ!」
さすがオレ、名案だとばかりに鼻息荒く司くんが口角を上げる。僕はいい加減頷くのにも疲れてしまって(眠かったのもある)、何も言わずに再び司くんの膝に寝転んだ。
見上げれば、誇らしげな笑みを浮かべる司くんが僕を見下ろしている。投げたボールを拾ってきて、褒めてほしそうな柴犬みたいだ。
えむくんと寧々が来るまでまだ時間はある。
司くんの指先が、物言いたげに僕の頬を撫でるのを感じながら。僕はひとり、また微睡みの中へと身を投じることにした。
「司くん」
「ん? どうした類。オレのあまりの天才的な発想に言葉も出ないか?」
「おやすみ」
「
――
おい待てせめて何かリアクションしろ! オイ! 寝るなー!」
◇◆◇
どれくらい夢の狭間を彷徨っただろう。
「お前が好きだ、類」
夕日に照らされながら、司くんは僕に向かってはにかんだ。
ああ。また、この夢だ。
僕の薄暗い感情が作り出した都合のいい幻想。夢の中の司くんはすっかり僕に恋した瞳で、僕が聞きたい言葉を舌にのせて届けてくれる。
こわい夢? 嫌な夢? とんでもない。
きっとこれはおそろしいほどに幸せな夢だ。ずっと見ていたいと思うくらいの、やわらかい真綿のような夢。
僕はこのふわふわしたものに埋もれて、いつか窒息してしまうのだろう。
飛行機雲。小鳥の囀り。長閑な世界の中心で、一層輝く存在は僕の返事を待っている。薔薇色に頬を染めて、熱に浮かされた眼差しで。
――
夢の中のオレに頼ってみるというのはどうだ?
(
……
)
少し。心が、揺れた。
これは夢だ。明晰夢だ。だから自分でコントロールできるし、自由に世界を塗り替えられる。
頼れと言ったのは君なんだ。ならば思う存分頼ろうじゃないか。夢の中でくらい君を愛したって、現実の君は知る由もないのだから。
「司くん」
「ん?」
「僕も好きだよ」
ずっとその、柔らかそうな唇に触れてみたかったんだ。
◇◆◇
「僕も好きだよ
……
」
「へ
……
」
寝息に交じって、類の喉が震えた瞬間。オレは全身の血がさっと引いていく音を聞いた。
「る、類、お前起きて
……
?」
「
……
んん
……
」
「
……
るわけ、ないか
……
」
再び寝息を立てる類の姿にほっとしながら、どこかがっかりしている自分もいることに気がつく。
一体どんな夢を見ているのやら、
……
好きだ、なんて。耳元で囁かれたら心臓に悪い。
熱が集まる頬を手の甲で冷やして、嘆息。まったく本当に、やめてほしい。
――
妙な期待をさせてくれるな。
一時期の寝不足で真っ白だった類の顔色は、もうすっかり血色良くなっている。夢は変わらず見るようだが、
――
思うに、このあたりがおそらく潮時だろう。
ただの友達はこんな風に添い寝なんてしない。
類だってわかっているはずだ。この行為が健全なものではないことは。いや、不本意ながら変人だとか言われるオレ達に今更健全か不健全かなんて些末時ではあるのかもしれないけれど。
類のためだとか言って。結局オレは、オレの欲求を叶えていただけに過ぎない。
幸せな夢をみたかっただけなのだ。一時でも、類とこうして触れ合えたら、それだけでこの恋は墓場まで持っていける気がした。
(好き
……
だった。類。だからこれで最後にしよう)
類の肩を揺さぶる。オレ達は、そろそろネバーランドを飛び立って夢から覚めなければ。
「
……
司くん?」
「起きたか。おはよう、類
――
」
秋の夜長にぽっかりと浮かぶ月のような。あるいは、暗闇に光る猫の目のような鋭さを携えて、類の瞳がオレを捉える。
オレはすぐさま類の上から起き上がろうとした。
けれど腕を掴まれて、世界がぐるりと回転する。背中を打った痛みに一瞬眉を寄せて、再び見上げれば。類がじっとオレを見下ろしていた。
感情の読めない目だ。ぐ、と手首を掴む類の手に力が入って、そこでようやくオレは類に押し倒されたのだと気が付いた。
「
……
類? おい、どうした、近い
――
」
いや、マジで近い。
少しずつ寄ってくる類の顔から逃げるように顔を逸らす。が、空いている方の手で顎を掴まれて、無理やり視線を合わせられる。
睫毛
……
長いな。それに、瞳が綺麗だ。
悠長なことを考えている余裕などないのに、類の端正な顔立ちから目を逸らすことができない。
鼻が触れる。思わず呼吸を止めた。
ふに、と呆気なく唇が触れて、離れていく。
一瞬だった。
「
――
は
……
」
ファーストキス。だったのだが。奪われた。類に。
ぐるぐると混乱するオレを見下ろして、類は数回瞬いた。なんだ、そのきょとんとした顔は。きょとんとしたいのはこっちだ。ああ、かわいいな、くそ、人の気も知らないで!
「
……
、
……
え? 現実?」
「
…………
」
がばっと勢いよく類が体を起こす。その顔はあっという間に蒼白になっていて、オレ以上に状況に混乱しているようだった。
よく自分より緊張している人間を見ると緊張がほぐれるというが、あれは本当かもしれない。オレはこの十七年の人生で緊張したことなどほとんど無いに等しいが。
生まれて初めてのピアノ発表会ですら堂々とした振る舞いだった。なんせオレはスターになるべくして生まれてきた男なので。
――
閑話休題。距離をとろうとする類にオレはとにかく腹が立って、その腕を強く掴んだ。
「類」
「ごめん。忘れてくれないか」
「断る。というか、今うやむやにしたらお前今後一切絶対にこの話に触れないつもりだろう!」
「当たり前だよ。僕は君と良き友人でいたいんだから」
しれっと言い切る類に、人間、ここまで腹が立つものかと驚いた。
友達でいたいだと? キスしておきながら?
「認められるかー‼︎」
「うわっ」
類のネクタイを引っ張って引き寄せる。
類はわかっていない。オレがどれだけお前に焦がれて、どれだけお前のために自分の気持ちを押し殺そうとしたのか。全然何も、わかってない。
ぐ、と奥歯を噛んだ。
当たり前だ。オレはまだ類に何も伝えられていないのだから。類も大概愚か者だが、オレも愚か者だ。
だから。もしかしてオレ達、愚か者同士結構うまくやれるんじゃないか。
どくどくと心臓がうるさいくらいに脈打っている。酸欠で頭がくらくらする。熱に浮かされているのかもしれない。それでもオレは、救いを求める手は絶対に離さない。お前の、類の手ならなおさらだ。
「オレは、お前と、こっ
……
こ、ここ、恋人になりたい、んだ、が⁉︎」
「
……
逆ギレしながら告白する人初めて見たよ
……
」
「返事は!」
「あくまでも続けるんだね。参ったな。
……
本気にしていいのかい?」
類の眉が下がる。頬が薄く色づいている。揺らぐ瞳は少し水っぽい。
類、と名前を呼ぼうとして、それより先に体を抱き寄せられた。
肩に類の重みがある。何度も、添い寝と称して抱きしめ合った。けれど今日は、今は、類があまりにも必死に頬を摺り寄せるから。
「もちろん
……
よろしくお願いするよ」
「
……
うむ」
「フフ。どうしたんだい。抱き締めた途端に随分と大人しくなるじゃないか」
さすがのオレも、この状況で暴れ出すほど空気が読めないわけじゃない。
揶揄する類を少しだけ睨んで、その背中にそろりと腕を回した。
類の体温。類のにおい。
……
類の声が、触れたところから染み込んでくるみたいだ。
遠く、パレードの音が聞こえてくる。軽やかなクラリネット。轟くシンバル、歓声と拍手喝采。そのすべてが、想いを通わせたオレ達を祝福している。
「夢は願望の顕れというけれど、本当にそうかもしれないね。僕は多分、ずっと君にキスがしたかった」
頬をするりと撫でて、類が目元を和らげる。
「
……
え、えっちな夢、みてたんじゃないか
……
」
「いや、断じてエッチな夢ではなかったよ」
「キスしたかったんだろう?」
「そうだねえ」
「えっちじゃないか!」
「司くんの中でキスはアウトなのかい?
……
前途多難な予感がしてきたよ」
類は首の後ろを掻いて、困ったように笑ってみせた。
きゅ、と心臓が縮む。どうしてオレはこの恋を生涯隠し通せると思ったのだろう。一分一秒、この手をとっているだけで。それだけで、好きがどんどん膨らんでしまうのに。
「類の夢を責めてるわけじゃない。夢は自分じゃどうしようもないからな。だから
……
」
「うん」
「別に、えっちな夢くらい見てもいいぞ
……
相手はオレに限るが」
「
……
それはそれは。熱烈だね」
恥ずかしいことを言ってしまった気がする。後から羞恥が追いついてきて、オレは思わず目を逸らした。
類の手が頬に触れる。促されるまま顔を上げれば、すぐ触れてしまいそうな距離で。
類の呼吸と、オレの呼吸が混ざり合う。
「でももう、あの夢を見ることはないかな。現実の君がいるから」
ちゅ、と。掠めとるようにセカンドキスも奪われて、オレは言葉なく赤面してしまった。
熱い。でも、途轍もなく離れがたい。
オレが知ってる恋とは、もっとふわふわして、どきどきして、甘酸っぱいものだったはずなのだが。この感情はもっと苛烈で、刺激が強い。くらくらと目眩がしそうだ。
「君、真っ向から攻められると弱いね」
「
……
悪かったな、慣れてなくて」
「いいや
――
フフ、僕も浮かれているのかな。困ったなあ
……
」
類が頬を緩ませる。へにゃ、と擬音でもつきそうなほどに、オレのことが好きで好きでたまらないって顔だ。
そんな表情、今まで見たことなかった。一体どこに隠していたんだ。こんなにもずっと傍にいたのに、まだ知らないところがあるなんて、そんなの、
「ますます好きになってしまったと言ったら、
……
笑うかい?」
――
こっちの台詞だ、バカ。
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