猫澤
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with smile

とある合同体育の一幕

「おや司くん。こんなところで奇遇だねえ」
「奇遇も何もお前を探しに来たんだ、この馬鹿類!」
 ――灰色がかった空。肌を撫でる、冬の吐息。
 誰も気に留めないような中庭の片隅で機械いじりに勤しんでいた類は、頭上に落ちる影に気が付いて顔を上げた。
 天馬司。この神山高校に在籍する生徒で知らない人はいないと言われるほど、有名な『変人』の片割れ。そんな彼が類の目の前に立っている。秋色のグラデーションをひょこりと揺らして。
 どうやら彼は、怒っているようだった。理由に思い当たる節が無いこともないが、首を傾げてとぼけてみせる。
「何のことかな?」
「とぼけるな! 我がワンダーランズ×ショウタイムの役者兼演出家を名乗る以上、授業のサボりはこのオレが許さないからな!」
「ええー……。暑苦しいなあ。嫌だよ、何故好き好んでこの寒空の下校庭を走り回らないといけないんだい?」
「体力づくりのために決まってるだろうが」
「体力づくりねえ……
 背中を丸めて頬杖をつく。何を隠そう、今は昼休み明けの五限目。合同体育の授業中。
 とはいえ自由な校風ゆえに三クラス合同の体育は基本的に何をやっても良い。校庭ではチームを組んでサッカーをしている生徒もいれば、長距離のタイムを計っている生徒もいる。少し離れたテニスコートも体育館も開放されているし、類のように授業に積極的でない生徒は影で雑談に興じていたりもする。
 授業なんて名ばかりの、自由時間と言っても差し支えない。それなのに生真面目なこの男は、類の姿が見当たらないからわざわざ中庭まで来たというのだ。
 体の芯から湧き上がるむず痒さを表面に出したくなくて、類は嘆息で誤魔化した。
 呼気が白く浮かんで霧散していく。
「敢えて『ワンダーランズ×ショウタイム』の立場を盾にするなら、僕に求められているのは体力よりも頭脳の方だと思うんだけど、司くんはどう思う?」
「ええいやかましい。ごちゃごちゃ言ってないでさっさと来い!」
「はいはい、わかったよ。わかったからそんなに引っ張らないで」
 着るだけ着ていたジャージの裾を掴まれたかと思えば、ぐいぐいと引っ張られて慌てて立ち上がった。膝の上にいたドローンが重たい金属音を立てて落ちる。組み立て途中のパーツが転がっていく。
 ――まるで愚図る子供の手を引く母親のようだと言ったら、彼はどんな反応を示すだろう。
「どうせ引っ張るなら服より手を繋がないかい、司くん。どうだろう、白鳩を飛ばして僕達の登場を盛大なパレードにするというのは」
「どんだけ走りたくないんだお前は……。男二人が手を繋いで校庭を闊歩してたら薄寒いに決まってるだろ」
「黄色い歓声がわくかもしれないよ」
「だとしても学校ではやらん!」
 ……学校では、ね。
 思わずフ、と笑みが零れる。きっと彼は知らない。その何気ない一言に、多かれ少なかれ類が救われていることを。
「なら次のショーの演出に組み込もうか」
「そうまでしてオレと手を繋ぎたいか……?」
「繋ぎたいよ。……フフフ、白々しいね。君は僕の気持ちを知っているじゃないか」
 司の手を振りほどいて、その冷えた指先を握りこむ。類が目を細めると、一瞬呆気に取られていた彼ははっと目を見開いて類の手を払った。
 その頬は赤く上気して美味しそうだ。もしも今ここで類がかじりついたらどんな味がするのだろう。試してみようか。考えるだけで、自然と口角が上がる。
 天馬司という男にまっさらな興味が生まれてから、恋の色に染まるまで。そう時間はかからなかったように思う。
 良い意味でも悪い意味でも目立つ彼は、周囲の人間を惹きつける。素直で優しい人柄。おまけに面倒見もいいのだから、彼を慕う人間は意外と少なくない。
 燦然と輝くお星さま。誰かの名前がつけられてしまう前に、類だけのものにしてしまいたかった。けれど星を捕まえる方法なんてわからなくて、類にはこうして傍に引き留めることしかできなくて。今はまだ、司が情に絆されるときを待っている。
 多分、きっと、一生。僕は彼に囚われているのだろう。
「ずるいね。そうやって僕を弄ぶんだ」
「ずるいのはどっちだ! ちっちゃい子供じゃあるまいし、駄々をこねてオレを困らせるんじゃない」
「生憎、好きな子は困らせたい性分なんだよねえ」
「ああ……お前、結構イイ性格してるもんな……
 何を思い出したのか、遠い目をして立ち止まった司の背を追い越す。
 仕方がないから校庭までついて来たものの、縦横無尽にグラウンドを駆けるクラスメイトたちの輪に今更入るのも忍びない。とりあえず適当に走って適当に休もうと、類は重たい体を叱咤して長距離用のレーンに立った。
 吹き抜ける木枯らし。たかがゲームの点数に劈く歓声。よくもまあ、みんなこんな寒さの中はしゃげるものだと感心する。
 ――ショーの方がずっとずっと楽しい。
 せっかくだから靴底にローラーとエンジンを搭載して、どれだけスピードが出せるか実験してみようか。その方が有意義な気がする。実用性はともかくとして。
 類がターボ付きスニーカーをどうワンダーステージに活かすかまで思考を巡らせはじめたところで、秋の色づく木々を思わせる綺麗なグラデーションが視界の端で揺れていることに気が付いた。
 しれっと隣で屈伸する司の姿に首を傾げる。
「あれ、司くんも一緒に走るのかい?」
「ん? ああ……オレが見張ってないとどうせすぐサボるだろう?」
――
 咄嗟の言葉を失って。類はつい、ぽかんと馬鹿みたいに司を見つめてしまった。
 変人・天馬司は校内でも浮いた存在だが――友達やクラスメイトの輪に馴染めない男じゃない。類がいないことにさえ気付かなければ、きっと今頃はどこかで他の種目に勤しんでいたに違いなかった。
 校庭でサッカーをしていたかもしれないし、体育館でバスケをしていたかもしれない。卓球、テニス、エトセトラ。運動神経の悪くない司のことだ。可能性の話をすればいくらでも浮かんでくる。
 けれど、司は今類の隣にいる。他意はあれど、その他大勢より類が選ばれている。類の気持ちを知りながら、少しでも特別だと思ってくれているのなら――それは類にとって都合がいい。
 ……本当に、君ってやつは。
 にやける口元を手の甲で隠して。仄かに色づく頬は寒さのせいにした。
 そっちがその気なら、こっちにも考えがある。
「ふむ。それなら作戦変更といこう。しっかりついてきたまえ、ついてこれるものなら、ね!」
「は? ――あ、おい! お前……コンパスの差を少しは考えろ!」
 先んじて駆け出した類の背を追って、司も地面を蹴って駆ける。
 ……が、体格の差は勿論のこと、逃げ足の速さをとことん磨いた類に司が追い付けるはずもなく。どんどん互いの距離は離されてしまう。
 司に追い掛けられるのは、気分がいい。
 諦めが悪くて負けず嫌いな司を振り返り手を振ってみせれば、悔しそうに彼は顔を顰めた。
「司くーん。置いていってしまうよ。いいのかい?」
「よくない! よくない、が! おまっ……後ろを見ながら走るな! 危ないだろうが!」
「フフ、僕を誰だと思ってるんだい? 問題ないよ。実は僕が今つけているコンタクトレンズには細工をしてあってね、上空のドローンを通して背後の様子も見えるようになっているのさ」
「そうなのか⁉︎」
「もちろん嘘だけど」
「お前――――!」
 校庭に響き渡る彼の声になんだなんだと好奇の目が向けられる。けれどそれはすぐに「なんだまたあいつらか」と笑いに変わっていく。
 ――彼は気付いているだろうか。楽しくて愉快なショーの時間が始まっていることに。
 類はポケットに忍ばせていたスイッチを押して、大仰に腕を広げた。
「ほらほら司くん、早く走らないと後ろからゾンビロボットが追いかけてくるよ!」
「いやいやいや何故ここにハロウィンショーのロボットがいる⁉︎」
「こんなこともあろうかと何体かは学校で待機させていたんだ」
「どんなことがあると想定していたんだ……!」
 周囲の生徒を観客にして、すったもんだの逃走劇。
 やはり彼は期待を超えてくれる。司はいくつものゾンビロボットを振り切って、その頃にはすっかり慢心していた類をも追い抜き、いち早くゴールテープを切った。
 喝采、とはいかなかったけれど、疎らな拍手が鳴り響く。その中心で肩で息をしながら、司はくず折れるように膝をついた。
「ぜい、ぜい……くそ、無駄に体力を使った……
「お疲れ様。やっぱり体力づくりが必要なのは君の方ではないかな?」
「なんだと――……、ん?」
……っ」
 息を整えて。司が顔を上げた、その瞬間。視界に飛び込む黒い影に、類は思わず目を見張った。
「司くん……!」
 軌道を大きく外れたサッカーボール。司の頭を目掛けて飛ぶそれに、刹那、脳内を占める思考は全て吹き飛んだ。――考えるよりも先に、体が動いていた。
 鈍い音。
 ぐ、と眉を寄せる。司を庇ってボールが当たった腕は時間差でじわじわと痺れ、熱を持ち始めた患部を摩る。
「る、るい、」
……
 すぐさま司が物言いたげに類の腕を掴む。類は微笑みだけ浮かべて応えて、目を逸らした。
「悪い、神代! 天馬くんも、怪我ないか?」
「大丈夫だよ。でも気をつけてくれ。彼はうちの大事なスターだからね」
「はは。お詫びに今度ショー観に行くよ」
「おや、それは嬉しいね。どうもありがとう」
 ボールを蹴ったのは類のクラスメイトだった。手を合わせて謝る彼を責めるつもりはなく、大したことないように振る舞う。腕はまだ痺れているが、骨に響くような大した負傷でもない。
 ただ、利き手だから少しばかり不便を強いられるかもしれない。仕方がない。目の前で司が怪我するよりは、こっちの方がよっぽど心臓に優しい。
「類」
「ん?」
「こっちに来い」
……
 けれど。司にとってはそうじゃなかったらしい。
 険しい表情をした司が類の指先を温かい手で包み込む。二人とも校庭を走り回った後だから、ぬるい体温が溶け合っていく。
 このまま肌の細胞がくっついて、ひとつになってしまえたら。そんな馬鹿みたいなことを考えながら、類は笑みを浮かべたままの口を開いた。
「男同士で手を繋いだら薄寒いんじゃなかったかい」
……
「それにまだ授業は終わってないよ。サボってしまっていいのかな」
 司はずんずんと校舎に向かって大股で歩いていたが、不意に立ち止まって類を見上げた。その瞳は類を映して揺れている。
 それは、類の負傷を悲しんでいるようにも、悔しがっているようにも見えて。
……手当てを、させてくれ」
 落ち込ませてしまった。下がる肩を見下ろして、小さく息をつく。
 うん、と頷く以外、許してはくれなさそうだ。

 ◇◆◇

「やはり赤くなってしまっているな……。馬鹿。無理な体勢で庇うからだ。……いや、オレが言えた立場ではないな。すまない」
「いいんだよ。僕が勝手にしたことだ」
 手を引かれるままたどり着いた保健室は、養護教諭の不在で静かだった。
 喧騒が遠い。ショーの終わりはいつだって寂寥感に包まれる。
 夢から醒めて突きつけられる現実。まるで心にぽっかり穴があいてしまったみたいにどこか物足りなくて、その穴を埋めるために僕達はまたショーをする。
 悲しい顔をさせたいわけじゃなかった。観客も仲間も笑顔にするのが、ワンダーランズ×ショウタイムの信条だ。
 だから――観客はいないけれど、ショーのアンコールをしよう。役者は二人だけの寸劇。とある不毛で純粋な恋の物語を。
……念のため、湿布を貼っておく。骨にひびなど入ってないといいが――
「司くん」
 つとめて平坦に声を掛ければ、司は眉を寄せて唇を噛み締めた。
「こっちにおいでよ。今は二人きりだからいいだろう?」
……
 類がベッドに腰掛けると、湿布を握りしめたまま司も隣に腰を下ろす。
 ――ねえ、下を向いてる君は、君らしくないよ。
 痛まない方の手を伸ばしてその体を抱き締める。存外すんなり司は類の腕の中に収まって、それどころか類の肩に頭を預けてくれる。
 相変わらず唇は一字に結ばれているけれど。あやすように背を撫でても、その体が強張ることはなかった。
……機嫌、悪いね。怒ってるのかい」
「怒ってはいない、が……自分の不甲斐なさに腹を立てている」
「本当に、君が気に病むことはないんだけどねえ……
 むしろこうして抱き締められてくれるなら、ラッキーだとさえ思ってしまう。
 少しだけ体を離して顔を覗き込む。赤く腫れた類の腕を見て揺らいだ瞳。ひょっとしたら零れてしまうんじゃないかって、そんな非現実的なことを考えて、類は司の目尻に唇を寄せた。
「類が」
「うん」
「類が、オレに怪我をさせたくないって思うのと同じくらい……オレだって、お前に怪我なんてさせたくなかったんだ」
 熱をもつ患部に、冷たい感触。遅れて鼻をつく湿布のにおい。
 落ち込む彼が、妙にしおらしいものだから。
……フフ」
「笑うな! 今笑うところだったか⁉︎」
「いや、ごめん……随分嬉しいことを言ってくれるなあって……
 きっと僕達は、どんなに惹かれあっても互いに互いの唯一の存在にはなれない。類には妹のように可愛がっている寧々がいて、司にも溺愛する妹がいる。彼女たち以上に比重の大きいものは、二人の世界に存在しない。
 けれど。それでもこうして、傍にいることを許し、許される関係になれたなら。それはまごうことなく愛であると、類は考える。
「ありがとう。今度は気をつけるよ」
「ああ。……オレも、気をつける」
 ふ、と司の体から力が抜ける。腕の中で大人しくしている彼に調子づいて、甘く色づくその髪に口元を寄せれば。だんだんと我に返ったのだろう――司はじわりと頬を染めて、目をキッと吊り上げた。
「ところでお前! いつまでひっついてるつもりだ⁉︎」
「司くん。二人きりの保健室だよ。ベッドの上ですることといえばひとつしかないじゃないか」
「残念だが添い寝ならしないぞ! そもそもお前は怪我人であって病人じゃないだろうが。ほら、もうすぐチャイムが鳴ってしまう。教室に戻ってさっさと着替えよう」
「やれやれ……真面目だねえ、司くんは」
 期待していたわけではないが、あからさまに避けられるとそれはそれで悲しくなってしまって。
 苦笑を浮かべて立ち上がる。そんな類を、司はじろりと見上げた。
 むすりと尖った唇も上目遣いも惚れた欲目で可愛いけれど、何故僕は突然好きな人に啖呵を切られているのだろう。類が首を傾げると、司はあーだのうーだの低く唸った。……あれ、もしかして威嚇されている?
……。類。少ししゃがんでくれないか」
「? これでいいかい?」
 少しだけ膝を追って司と目線を合わせる。こほん。わざとらしい咳払い。
「た、……助けてもらった礼がまだだったからな。これくらいは――まあ、許されるだろう」
……え」
 ふに、と。
 頬に柔らかい感触がして思わず目を見張る。
 呆気にとられる類の顔がよっぽど面白かったのだろう。耳朶まで鮮やかに染め上げながら、司は誇らしげに顔を綻ばせた。
……フフン。オレがいつまでもやられっぱなしだと思うなよ」
……はぁ」
 これだから、類は初恋を諦められない。確信犯じゃないのならその罪は重すぎる。
 口付けられた頬を手で押さえる。逸る鼓動も、立ち上る熱もお互い様なのに、彼はすっかりいつもの調子だ。それがなんだか悔しくて、先を歩くその背を早足で追い掛けた。
「放課後になったら覚えておいて」
「何のことかわかりかねるな! ハーッハッハ! ……っておいやめろなんだその怪しげなスイッチは!」
 縺れあいながら、少しずつ、二人の歩調が合っていく。
 恒星は分け隔てなく、世界を明るく照らす。いつのまにかその明るさにつられて、笑顔にさせられてしまっている。
 君には敵わないね、とひとりごちて。類は窓越しに空を見上げた。
 いつのまにか曇天に陽が差している。