シノハラ
2025-01-30 12:59:49
6613文字
Public アベンシオ
 

Therapy Doggo

友達のアベンシオがVR睡眠に挑む話

「眠れていないな」
「あれ、バレた?」
 隠し立てしてもよかったが、所詮はリモート通話で物理的に干渉できない彼には渋面を作るくらいしかやることがあるまいとたかを括っていたのだ。一応は隈も隠していたはずなのでぱっと見では分からないはずだったが、画面越しで分かるくらいに化粧がよれているかもしれない。今日はもう外に出る仕事はないものの、今後の隠蔽スキルの向上のためにも確認しておかなければならないだろう。
「君の部門が繁忙期に入っているとも聞いていないが?」
「実は虚無の浸食のぶり返しが来ているんだ。結構あることで程度としてもかわいいものなんだけど、どうしても心が油断していたみたいで寝入りが悪くなってしまってる」
 なるほど、とレイシオは少々目を伏せながら相槌を打つ。混沌医師の説明とレイシオが持つ知識には何かを指摘するほどに乖離はないらしく、彼がアベンチュリンの話の続きを待っている気配があった。つまるところ、何かしらの改善に繋がる対応を予定しているかアベンチュリンから聞き出したいらしい。
「睡眠導入剤を足してもらおうと思ってる。ぶり返しの期間はそう長くないらしいから、少なくともそれが納まるくらいまで」
「通院予定は?」
……今週末」
 彼の機嫌を大きく損ねるとしたらこの一点だけだった。できる事なら今すぐ休みを取って通院するのがベストだろう。アベンチュリンだって出張で毎日他社の本社に足を運んでちまちまちまちまちまちまとギャンブル性の欠片もない細かい調整を数十カ所こなすくらいなら、半日休んでオンライン検診を受けて処方された薬で熟睡したい。
 けれど、今回のスケジュールが客先の都合で組まれている手前、さすがに寝付きづらいくらいで休みを取るわけにもいかないのだ。事情を説明しても素直に受け入れてもらえるか微妙なラインだと思いながら、事実上のセカンドオピニオン先に仕方がないと思わせられるような話運びを考える。
……VRをやったことはあるか?」
「VR? 仕事の打ち合わせとかでならあるけど」
 そうしてアベンチュリンが口を開く前に、レイシオが口火を切ったので思わず目を丸めてしまう。プロジェクトのキックオフなどの顔を合わせておきたいときだったり、コンペティションで使う青写真を実感したいときによく使う技術だった。難しい顔をしていたはずのレイシオが口にするには少々違和感のある言葉に首を傾げながら応じると、話が早いと告げられた。
「VR睡眠を試すのはどうだろうか」
「なにそれ」
 VR即ち、バーチャルリアリティー。仮想現実とも呼ばれる技術は劣化版のピノコニーの夢境のようなもので、情報を摂取するためのものだとアベンチュリンは認識している。それと組み合わせるには睡眠は余りに静の行動すぎやしないだろうか。
「読んで字の如く仮想空間に接続しつつ眠る行為だ。二人から複数名で行われるのが大半で、遠隔で添い寝をする事を目的とする」
「なんというか……色んな文化があるんだね」
 夜な夜ないい大人が寄り集まって、すやすやと眠ろうと言うわけである。名前が付けられている時点で何らかの文化と捉えて良いのだろうが、大分妙な光景に思えてしまってどれくらいの温度感で扱って良いのかアベンチュリンには分からなかった。
「睡眠に対して精神的な不安を感じる場合に効果が出ることが多い。他者の存在を感じることによって気が紛れるようだ」
 いや、レイシオの様子を見る限り、意外と真面目な話なのではないだろうか。そう、アベンチュリンは考え方の軌道を修正して真面目に聞くつもりになった。
 彼がここまで説明するのであれば、どこかの誰かが既に研究して論文に仕上げている情報なのだろう。もちろん合う合わないは強く出て、眠りが浅くなってしまう人もいるらしい。
「なるほど……分かる気がする。僕も家にいるときはお菓子達をベッドに招待して寝ることもあるから」
 彼らのような温かさがなかったとしても、傍に意志の疎通が叶う誰かがいると思うと安心できるのだろう。なんだか急にホームシックに陥りそうになり、膝の上で眠る彼らの重さと温かさを思い出してしまった。
「ふむ、なら効果はありそうだな。君が今いる星の名前と惑星内の時差は?」
「あれ、手伝ってくれるの?」
「提案しておいて後は勝手にどうぞともいかないだろう」
 星の名前は当然分かるが、時差までははっきり認識していなかったので検索してからレイシオに伝えた。アベンチュリンのちょっとした驚きにレイシオは呆れたように返してきたけれど、そういうことは今までにもいくらでもあったように思える。彼なりに明確な基準はあるのだろうが、アベンチュリンからすれば日頃の行いを棚に上げているようにしか思えない。
「僕がいるところと夜の時間はそう変わらないな……夜になるまでにアカウントの登録とアバターの選択を済ませておいてくれ。器具はホテルで貸し出していることが多いから調べてみてほしい」
「ありがとう。助かるよ……うん、借りられるみたいだ」
 ホテルのサービスをホテルの備え付けの端末で確認しているうちに、いくつかURLがチャット欄に送られてきていた。アベンチュリンが早速サイトにアクセスする気配を察したのか、レイシオは集合時間だけ告げてさっさと通話を切ってしまった。
 一人になってからアカウント登録すると、アバターの選択画面に遷移する。初期アバターの選び方は二種類あって、自分の写真を送ってアバターに起こしてもらうものと、技術者が作成しているアバターを選ぶものがあるらしい。とりあえず写真を送りながらも、ずらりと並ぶアバターに目を通す。
 写実的なものからアニメチックなものまで幅広くあるが、どちらかと言うとアニメ調のものの方が人気なようだった。いくらかページをめくっているうちに、その上所謂美少女系が圧倒的に多いことに気がつく。
 サイトを見ているうちにランキングのページにある事に気がついて覗いてみたが、そこでもやはり可愛らしい女の子のアバターが並んでいる。せっかくのバーチャル空間なのだから、自分とは全く違う何かになってみたいという気持ちが働いた結果なのかもしれない。
 レイシオも添い寝に付き合うのであれば、男よりも可愛い女の子の方が良かろうとアベンチュリンは一番人気を選択した。設定をするとボイスチェンジャーも勧められたので、これまた可愛らしいものを設定しておくことにする。
 それからアベンチュリンは端末をスリープモードにしてゆっくりと背を伸ばしてから、夜に向けた準備を始めた。明日に使う資料を読み込んで、少し遅い時間になってからルームサービスで夕食を頼む。
 腹八分目になった胃を意識しつつレイシオからすれば烏の行水だろう時間で風呂に入ってから、ビスケットを摘まみながら少しだけノンアルコール飲料を飲んだ。本当は寝酒の代わりにしようと思ったのだけれど、レイシオに気がつかれたらしっかり眠るつもりがあるのかと文句を言われそうだったので折衷案である。
 約束の時間が来るまで経済ニュースを中心にネットサーフィンをして時間を潰し、ベッドの上に寝転がる。二つある大きな枕の片方を自身の隣に置いたのは、送られてきたURLの中にあったVR睡眠入門記事でおすすめされていたからだ。添い寝している感じが強まって良いらしい。
 アベンチュリンがベッドの上で通話アプリを起動すると、既にレイシオがアクセスしていたらしく彼の姿が液晶に映し出された。彼も当然寝る予定なので、パジャマらしきものを着込んでいる。
 その姿を見て、自分がそこそこの程度の確率でレイシオが裸で寝る手合いの可能性があると思っていた事に気がついた。この思い込みは墓まで持って行こうと思う。
「アカウントは作ったか?」
「うん」
「アバターの選択も?」
「選んだよ。この子にした」
 開いたままだったブラウザからURLを送ると、レイシオが露骨に嫌な顔をされてしまった。少なくとも彼はアベンチュリンがこういう選択をするとは思っていなかったらしい。
「一番人気の子だよ」
「悪辣な言い回しを選ぶな」
 何が気に食わないのかと情報を足したところ、レイシオの眉間に追加で皺が刻まれる。
「男と寝転がるよりかは良いかなと思ったんだけど」
「少女と添い寝をする方が社会的にまずいだろう」
「中身は成人男性なのに?」
 そこら辺の少女と添い寝するのもそうだが、会社の同僚と添い寝する方も問題があるのではないかとアベンチュリンはチラリと考える。少なくとも社内の同僚同士がそういうことをしていると聞いたら、即日忘れて聞かなかったことにしようと努めるだろう。
「僕は教職にも就いているんだ。余計に敏感にもなる」
 溜め息交じりで説明されて、アベンチュリンはようやく納得した。彼の倫理観の話だけではなく、就労環境にも要因があるらしい。
 彼が未成年の女の子と接する事も少なくない事を考えると、そもそもそういう要素を近づける事自体問題があるということだ。下手をしたら一発アウトで除籍になる可能性もあるだろう。
「分かった。選び直すよ」
「そうしてくれ」
 やや安堵したらしい声を聞きながら再度アバターがずらりと並ぶページを表示すると、ひとまず女性型を対象から除く。そうすれば一気にアバターの数が減って、アベンチュリンはまじまじとその数字を見つめてしまった。
「それにしても、随分女の子のアバターが多いんだね。VRって女の子の方が良く使ってるのかな?」
「いや? 大体七割が男性とも聞くな」
「なるほど?」
 それってつまりと続けると、そういうことだと答えが返ってくる。
「なるほどねえ……
 自分もせっかくだしくらいの気持ちで選んでしまった手前あれこれ言いづらいのだが、つまるところVR上ではみんな可愛くなりたいのだ。その結果がはっきりと出たリストを眺めながら、アベンチュリンは悩ましい声を上げる。
「うーん、どれにしようかな。リクエストとかある?」
 画面を共有しながら男性のアバターを表示していくが、なかなかピンと来るものはない。もちろん大体のアバターは見目が整った美青年ではあるのだけれど、見目が綺麗だなくらいの感想しか浮かばなかった。
「デフォルトで何か問題が?」
 せっかくなので一番アバターの姿を見ることになるはずのレイシオの意見を聞こうと思ったが、相当非協力的な態度を示されて今度はアベンチュリンが眉を上げる番だった。
「最初に写真を上げて作ったやつ? それだと意外性がなくてつまらないかなと思ったんだけど」
「添い寝に意外性は求めていないが……まあ君が変えたいと言うなら勝手に選んでいれば良い。僕は先に入室しておく」
 本当に添い寝する相手の外見にこれっぽっちも興味がないらしいレイシオが宣言するやいなや、アベンチュリンは数時間前と同じく通話に一人取り残される。思わず唇を尖らせてしまいながらもしばらく画面をスクロールしていたが、結局アベンチュリンはこれと言ったアバターを見つけられずにレイシオに言われたままデフォルトのアバターを選択した。
……あれ?」
 視神経に干渉して疑似空間を映し出すVR装置をこめかみ辺りに装着してから、渡されていたトークンを入力すればホテルとは異なる私室が視界に投影された。ぱちぱちと瞬きをしながら周囲を見渡してみたが、レイシオどころか誰の姿も見えない。
 思わず首を傾げると少し下が見えて、部屋の中心に長毛の大型犬がいることに気がついた。ゴールデンレトリバーかとちらりと思ったが、そもそもアベンチュリンは余り犬種に詳しくない。
 正確に言うと、大きくて毛が長い犬をゴールデンレトリバー以外にろくに知らないと言うのが正しい。確か白くてふわふわの大きい奴もいたはずだが、これは美味しそうな食パンに少し焼き色を付けたような色をしている。
「レイシオ?」
 もしかしたら入力したトークンを間違えていて別の部屋に入室している可能性もあったので、とりあえずアベンチュリンは犬に呼びかけた。けれど、ふんすと鼻息が一つあるだけで、人の言葉を喋ってくれる様子はない。状況的にそれ以外あり得るのかと言われているようでもあって、いかにも彼が言いそうなことでもあると確信を深めながら大型犬の元に近づいてみる。
 しゃがみ込んで近くで見ると、かなり作り込まれたアバターなのが分かった。毛の一本一本がモデリングされていて、寝室の薄明かりの捕らえてきらきら光るのが見て取れる。白目のない真っ黒な瞳がじっとアベンチュリンを見返してきているのも愛らしくて、自然と顔がほころんでしまった。
「かわいいね。撫でても良いかい?」
 そう問いかけても距離を取られなかったので、おそらくその態度こそが許可なのだと判断する。表面を撫でるようにしても感覚こそないと思いきや、何かに触れている感覚が指先に伝わってくる。
 このVRはどうやら視神経だけではなく、触覚にも影響を与えてくれているらしい。さすがに温度や細かい触り心地までは再現できないものの、さらさらと犬の毛が動くのが見て取れる事もあるせいかかなり満足感が高かった。
「君、なんで犬になっているんだい? 僕がうちの子達と添い寝するって言ったから合わせてくれたのかな。でも犬なのは君の趣味? ご実家の子がモデルだったりして」
 夢中になって額や顎、首の辺りを撫で回しながら、アベンチュリンはレイシオとおぼしき犬に話しかける。幸い犬は嫌がる様子もないままアベンチュリンのされるがままになってくれていた。
「それとも君もかわいくなりたかった?」
 世の男共がかわいいアバターを被りたいと思っているのであれば、レイシオがそう思っていても不思議な話ではない。ただ、そのかわいいには幾通りものベクトルが存在して、レイシオが思い浮かべるかわいいの形がこの犬だったと言うだけの話である。
 そう勝手に結論づけようとした瞬間、犬の上にひょこんと吹き出しが飛び出した。思わず小さく声を上げてしまってから、アベンチュリンは吹き出しにでかでかと表示されている文字を見て声を上げて笑ってしまった。
「ごめんごめん、そうだった。僕らはここに寝に来たんだから早く寝ないと」
 アベンチュリンが立ち上がると、寝ろと書かれた吹き出しを引き連れたまま犬が大きなベッドに移動していく。この流れで寝るように指示してくるのはレイシオ以外にいるまいと、アベンチュリンは素直に彼に従ってベッドに上がる。
 ベッドの中央よりも少しずれた位置に犬改めレイシオがぺたんと座り込んだので、その隣に横向きで寝転がれば彼の腹がゆっくりと上下しているのが見て取れた。普段の彼の体ならともかく、今のレイシオはそれはもうかわいらしい大型犬なのである。
 堪らずがしりと抱きつくと、さすがに予想外だったのか吠えるとまではいかない鳴き声を一つ上げられた。完全に犬の鳴き声だったので、人の言葉を紡げないように設定しているらしい。
 更に吠えられたり威嚇されたりした場合は諦めようと思ったが、レイシオはアベンチュリンの快眠を優先することにしたのか許容するつもりになってくれたようだった。VRは質量まではもたらしてはくれないようなので、現実にも横向きに寝転がると用意していた枕に抱きついて視界と腕の感覚を合わせるように調整する。
「おやすみ、レイシオ」
 なんだか目を閉じるのももったいないような気がしていたが、腕の内にある犬はアベンチュリンを眠らせるためにここにやってきたのだ。その善意には応えなければならないだろうと、アベンチュリンは自身を説得して瞼を落とす。
 今日も悪夢を見るのだろうか、と暗闇の中でアベンチュリンは考える。見るのかもしれないが、なんとなくその可能性を楽観的に捉えられた。心臓を跳ね上げながら目覚めたとして、アベンチュリンの腕の中にはふわふわの犬の姿をした彼がいてくれているのだ。
 寄ってきた眠気に抗わずふわりとあくびをすると、レイシオが微かに身じろいだのが分かる。その体にすりすりと頬ずりして、アベンチュリンは深い呼吸をしたのを最後にゆっくりと意識を手放していった。