桐子
2025-01-29 19:20:41
2318文字
Public
 

美しい傷⑥(父水♀️)


それからも、鬼太郎とねこはたびたび水木のもとへやって来た。
ねこに煮干しをやりながら、水木は気になっていたことを鬼太郎に尋ねた。
「あまりここへ来ない方がいい。お父さんは知ってるのか」
「知らないと思いますよ」
そう言って、鬼太郎はねこを抱き上げた。
「父さんは僕に興味がないから。ーーーー昔は優しかったんですよ。母さんが生きてた頃は、よく一緒に遊んでくれたけど」
……そうなのか」
鬼太郎の母親が殺された時、彼はまだ5つか6つか。とにかく、水木が両親を失ったときよりも幼かったはずだ。
「でも、別にいいんです。僕はひとりでも平気だから」
「にゃあ」
ねこが抗議するように鳴いた。鬼太郎はくすっと笑うとねこを抱き上げた。
「そうだな。お前がいるからひとりじゃない」
そう言うと、ねこは機嫌良さそうに鬼太郎の手に頭をこすりつけた。
さみしくないはずがない。母を失い、父に顧みられぬ子どもが、平気なはずがない。さみしいから、こんな得体の知れない自分のような女のもとへやってくるのだ。
……おやつにしないか。今日はいいものを用意してあるんだ」
「いいもの?」
水木は縁側から立ち上がると、台所へあるものを取りに行った。
「これだよ」
鬼太郎は水木が持ってきたものを見ると、目を丸くした。
「ホットケーキ?」
「ああ」
数日前にねずみ男に頼んで買ってもらったものは、ホットケーキミックスだった。
「君が嫌いじゃなければ、今から一緒に作らないか?」
「はい」
鬼太郎は頷いた。
2人で台所に立ち、ホットケーキを作った。ホットケーキミックスと牛乳をボウルに入れてよく混ぜた。卵はないが、なくてもおいしくできると書いてあるのでなんとかなるだろう。
「よし、次はこれを焼くんだ」
温めたフライパンを布巾の上に置いて、生地を流し込む。じゅうっと小気味良い音がした。弱火でしばらく焼いていると、表面にぽつぽつと気泡ができてきた。
「そろそろいいかな」
箸で勢いをつけてひっくり返すと、こんがりと焼き色がついた綺麗な円形のホットケーキができた。
「さあ、あともう一枚だ」
二枚目は先ほどより少し形が崩れてしまった。それでも鬼太郎は嬉しそうに出来立てのホットケーキを眺めていた。水木は綺麗な形のものを鬼太郎の前においた。
「あいにく、バターはないんだ」
箱の中に入っていたホットケーキ用のシロップをかけてやると、鬼太郎は恐る恐るといった様子で一口かじった。
「おいしい」
そう言ってくれたので、水木はほっと息をついて自分の分を一口食べた。子どもの頃に食べたのと変わらない味だ。
「君がなにを好きか知らないから、俺が子どもの頃に一番好きだったやつを作ってみたんだ。口に合ったなら良かった」
「はい……すごくおいしいです」
鬼太郎はホットケーキを夢中になって食べていた。

『おいしい!みずき、お母さんのホットケーキがいちばん好き!』

そう無邪気に笑う自分の姿と、嬉しそうな母の顔が、ふいに頭をよぎった。幸せだった遠い日々。水木にはもう誰もいないけれど、この子にはまだ父親がいる。
……今度、お父さんとも作ってみるといい」
水木が言うと、鬼太郎の手がぴたりと止まった。
「父さんは……きっと喜びませんよ」
そう言って彼はホットケーキに視線を落とした。表情が陰っているのは気のせいではない。
……そんなことないさ」
水木はそう言って笑ってみせた。
この子の母を奪った一族の自分が口出しする権利はない。でも、なにか力になってやりたいと思わずにはいられなかった。


春先だというのに冷たい雨のせいで底冷えがする。水木は薄い浴衣に包まれた体を震わせた。素足の足元が冷たい。
「早うきんしゃい」
一反木綿に急かされて、水木は慌てて彼のあとをついていった。こんな日も親分に呼ばれ、週に一度のお務めに向かわねばならないのは憂鬱だった。
寝室に入ると、彼は随分と機嫌が悪そうだった。いつも以上に空気がピリピリしている。
彼は水木の顔を見るなり、冷ややかに笑った。
「わしが駄目なら倅を籠絡しにかかるとは、さすが龍賀の女じゃな」
鬼太郎のことを言っているのだとすぐに分かった。
「倅と久しぶりに顔を合わせたら、ほっとけーきを作ろうと誘われてな。よくよく聞けば、お主とともに作ったなどと言いよる。……お主、倅になにを吹き込んだ」
水木はぐっと唇を噛み締めた。
「なにも言ってません。ただ一緒に作っただけです」
「ふん、どうだか」
親分は水木の言葉を鼻で笑った。そして、水木の顎を掴むと、ぞっとするほど冷たい目で睨みつけてきた。

「鬼太郎はわしと妻の大事な息子じゃ。お主のような薄汚い傷物が触れてよい子ではない。ーーーー金輪際、倅に近付くな」

吐き捨てるようにそう言うと、親分は水木の体を突き飛ばした。
「今日はやめじゃ。気分が悪い。早うわしの前から消えろ。鬼太郎も鬼太郎じゃ、こんな得体の知れん女に気を許して」
相当怒っているらしい。水木は黙って立ち上がると、彼の部屋を出ようとし、足を止めた。
余計なことだと分かっていた。彼の機嫌を損ねることは得策ではない。でも、どうしても言わずにはいられなかった。
「あの子は、得体の知れん女の所に来るくらい、寂しい思いをしてるんだ」
「ーーーー何じゃと?」
親分はぎろりと水木を睨みつけた。
「もっと一緒にいてやってくれ。多分、あの子は、父親に甘えたくて仕方ないんだ」
水木がそう言った途端、親分の顔色が変わった。今までも、彼の怒りに触れることは何度かあった。だが、そのどれよりも激しい怒りが、彼の全身から立ち上っていた。