戸惑えど 4

なかなかくっつかない利こまの続きです。次で終わる予定です。
モブ男性が出てきます。

 


 もしも彼に出会うことがなかったら。
 会いたいけど会いたくないとか、彼の本音がどうだとか、僕がもっと強くてかしこくて立派なくのいちだったら選ばれていたのかとか、しょうもないことを考えなくてもすんでいたんだろうか。
 今までに利吉さんから、鈍くさいとかイライラするとか付きまとうなとか、色々言われてきた。少し前の僕なら、憧れの人に何を言われても全然気にならなかったのに。
 それは「憧れ」だったからだと思う。
 でも、利吉さんが傷だらけで学園にいらした日。珍しく自ら僕を部屋に招いて、一緒にお酒を飲んで、何やら意味ありげなまなざしで僕の頬にふれたときから。
 どうにもだめなんだ。
 あんなの、彼にしてみればちょっとの気の迷いだって分かってるのに。
 意識してしまう。ぞんざいな態度の彼が、ほんの気まぐれでも僕にやさしく接してくれる瞬間を心のどこかで期待してしまう。
 利吉さんはあのとき以来も相変わらずなのに、僕がこれじゃいけないと思った。だから。

「うわ、小松田くんその書類、一回で運ぶの?」
「あ、利吉さん。大丈夫ですよぉー僕慣れてますから」
 学園の廊下で行き合った利吉さんのお顔は運んでいた書類の山に遮られて見えなかったけれど、声で彼だと気がついた。左右どちらかに寄ればすれ違えると思ってとりあえず右にずれようとした。そしたら足がもつれてつまずいてしまう。
「わわわわわ!」
 書類は僕の手を離れ、転ぶと思った矢先、がっしりとした腕につかまえられて僕の体は利吉さんに支えられた。
「どうして君はいつもいつもそう不注意なんだ」
 崩れそうになった書類を元に戻してくれて、危ないからと半分ほど持ってくれたので、やっと利吉さんのお顔が見えるようになった。絵に描いたような仏頂面だ。
「ありがとうございます、でも僕一人で平気ですよぉ」
「一人で運べてなかっただろう、おかしなところで強がるんじゃない」
 そう言って利吉さんは結局、事務室まで書類を一緒に持って行ってくれた。
 これまでにも行きがかり上助けてくれることがあって、そのたびに利吉さんはイラついていて、僕は利吉さんと一緒にいられるのがただうれしくて浮かれていたけれど。
 今は違う。
「お手間をおかけしてすみませんでした。僕もう大丈夫ですから」
 利吉さんには迷惑をかけないように、あまり近づかないようにしようと決めて、心を整理した。この思いはしまっておこうと。
 彼は僕の態度を少し変に思ったみたいだけれど、何も言わずに踵を返して事務室を後にした。
 そう、これでいいんだ。

 気持ちを隠すのは、最初大変だった。だけどこれも利吉さんのためだしと思えば、ご迷惑にならないように頑張れた。今はお風呂で鉢合わせたって平気なくらいに、うまくやれていると思う。

 お休みの日、同じ京育ちの斉藤タカ丸くんと約束して町へ行こうということにしていたら、彼が用事で少し出発が遅れるというので先に学園を出た。待ち合わせにはしばらく時間があるから、ぶらぶらと通りを歩いて店の売り物を眺めたりして過ごす。前に来たときからこまごまと様子が変わっていて、どのあたりを見回しても飽きることがない。
 そうするうちにお腹がすいてきて、おだんごでも食べようかなあと通りかかった店の前で立ち止まったら、声をかけられた。
「すみません、ちょっとお尋ねしたいのですが」
 まったく顔に見覚えのない、若い男性だった。僕より少し背が高くて目鼻立ちが整っていて、墨を引いたような眉に長めの鼻梁。凛々しいという言葉が似合う佇まいだ。目立たない柄の、汚れていない服装からしても、こざっぱりとした印象を受けた。
 どうやら茶道具の店が見つけられなくて困っていたらしく、教えてあげると物腰柔らかに丁寧にお礼を言われた。そればかりじゃなく、せっかくですからとおだんごをご馳走になってしまった。
「なんだか、かえってすみません」
「いえ、このくらい、ほんのお礼の気持ちです」
 微笑むと目尻に一本線のような笑いじわが入るんだ、と相手を見てぼんやり思った。格好いいと言って差し支えない部類の造作だった。
「あの、もしよろしければ、この後茶道具を一緒に見立てていただけませんか」
「ほへ? 僕がですか?」
 初対面なのに何でまたと驚いたら、彼は恥ずかしそうに、一目惚れだと、まだ少しでも一緒にいてほしくて、とひそめた声で言ったのだった。
 いかにも性格の穏やかそうな好青年。礼儀正しくて、見た目もいい。そういう人物に出会うこと自体が人の多い町といえど珍しく、さらに言い寄られるなんてそうそう経験するものじゃない。
 何と答えたものか、受け入れていいのか悩んでいたら、すぐそばから「小松田くん?」と声をかけられた。
 その音色は冷ややかとも言える厳しさを含んでいた。
「利吉さん」
 振り向くと、偶然町を訪れていたのか目尻を吊り上げて何ともいえない表情の利吉さんがそこに立っている。
「彼に何かご用ですか」
 利吉さんは、思っていたよりずいぶん険のある声を放った。
「あ、いや、お連れさんがいらっしゃるとは……失礼しました」
と言って青年は僕をもう一度見つめると、名残惜しそうに去っていった。
 利吉さんに、彼は悪い人じゃないんですと事情を説明したら
「ふーん。でもあいつ、他のやつにも声かけて財布すったりしてるかもしれないよ」
「え……
「よく知らない人間を簡単に相手して餌付けまでされるなんて信じられない。君、忍者になりたいんだろ? だったらもっと用心しろよ」
「そんな、人に親切にするのとそれとは別ですよ」
「あっそ。じゃあ君の好きにすればいい。だけど、あれはただの町人じゃなかったよ」
 身のこなしや手の動きが滑らかすぎる。忍者でないにせよ盗人か何かだ。そう言われて、何を信じていいのか分からなくなったけれど、不意に僕の口をついて言葉が出た。
「でも、利吉さんには関係ないじゃないですか」
 不思議だった。通りがかりに僕を見かけて、声をかけてくれたのが。煩わしいなら放っておけばいいのだ、僕のことなんて。
 利吉さんは一瞬、虚をつかれたような顔をしてから「……それもそうだね」と言って、僕が待ち合わせをしていると知るとどこかへ行ってしまった。
 僕はいつから利吉さんに対してこんなにそっけなくできるようになったんだろう。まるで僕の方が利吉さんを遠ざけているみたい。
 心の奥にしまいこんだ恋心は、このまま二度と表に出ることはないんだろうか。

 しばらくしてタカ丸くんと落ち合い、流行りの柄の反物や手拭いを見てああでもないこうでもないと楽しく話したり、学園へのおみやげを選んだりしたけれど、さっきの人と利吉さんのことが頭に浮かんで離れなかった。
 どちらが正しいことを言っているかなんて、僕には分からない。ただ利吉さんが、現れたときからずっと傷ついたような目をしていたことが、いつまでも心にあり続けた。



(続)