何をするでもなく、ぼうっと布団の上でまどろんでいた水木は、ふと庭の方から聞こえてくる鳴き声に顔を上げた。疲れきった体を引きずるように、ささやかな庭に出る。植木に囲まれた猫の額ほどの、日当たりの悪い庭。そこに植えられた山茶花の根元に、黒い子猫がいるのが見えた。
「にゃあ」
子猫は水木の姿を見つけて声を上げた。水木は迷ったが、庭に出て茂みのそばにしゃがみこんだ。子猫も近づき、すりっと小さな頭を水木の足にこすりつけてくる。
「にゃー……」
甘えた声を出しているところを見ると、どうやら餌をねだっているようだ。
「なんだ、お前甘えんぼだな。ちょっと待ってろ」
水木は子猫の頭をなでると、立ち上がった。何か猫が食べられそうなものは、と考えたが、冷凍食品やレトルト食品ばかりだ。だが、冷凍庫の中にある冷凍のお好み焼き見てピンときた。中を開けると、思った通り、トッピング用のかつお節と青のりが入っていた。朝の残りのごはんの上にかつお節をまぶして小皿に盛り付け、子猫の前に置いた。
「にゃあん」
子猫は嬉しそうに鳴き、猫まんまを食べ始めた。
水木は、縁側に腰を下ろしてその様子を眺めていた。子猫の首には鈴付きの赤いリボンがついているから、この家の誰かが飼っているのかもしれない。子猫は皿を綺麗に舐めると、こちらを見上げて「にゃあ」と鳴いた。そして、膝の上にぴょんと飛び乗った。撫でてやると、気持ちよさそうに目を閉じている。
「……かわいいなぁ」
動物を飼ったことはないが、なんて可愛い生き物だろう。
「なあ、また腹が減ったら来てくれよ。ずっと一人で、寂しいんだ」
子猫はつぶらな金色の目でじっと水木を見上げていたが、しばらくしてから小さく「にゃあ」と鳴いた。
子猫の来訪は、この屋敷での生活にささやかな癒しをもたらした。
「お前、名前はなんて言うんだ?」
「にゃあ」
「飼い猫だろうし、勝手に名前をつけたら怒られるよな」
「にゃあん」
水木が独り言のように話しかけても、子猫はちゃんと返事をしてくれる。それが嬉しくて、水木は何度も話しかけたり撫でたりした。結局名前はわからないので、「ねこ」と呼ぶことにした。
「ねこは可愛いな。ほら、煮干しだぞ」
水木が魚の煮干しを差し出すと、ねこはすぐにそれにかじりついた。
「おいしいか?良かったな。いっぱい食えよ」
頭を撫でると、ねこは嬉しそうに鳴いた。食べ終えると、今度は水木の膝の上で丸くなる。
「ねこはあったかいな」
水木はねこを抱きながら、縁側に寝ころんで空を見上げた。そろそろ春とはいえ、まだ風は冷たく冷え込む。だが、ねこが触れているとぽかぽかと暖かくなった。このまま昼寝でもしようかと目を閉じた、その時だった。
ガサ、ガサッ。
茂みが揺れた。風に揺れたにしては不自然な揺れ方で、水木は驚いて身を起こした。
「誰かいるのか?」
すると、茂みがガサゴソといっそう激しく動いた。よく見ると、茂みの隙間から小さな手が見えた。
「……ふう」
茂みの中から這い出たのは、まだ幼い少年だった。学生服に黄色と黒のちゃんちゃんこを着ている。彼は、水木とねこの姿を見て、パッと目を輝かせた。
「ねこ!」
「にゃお!」
子猫はぱっと少年に飛びつき、彼の足元にすり寄った。
「心配したんだぞ。どこに行ってたんだ」
どうやら少年はねこを探しに来たようだ。ねこの頭を撫でてやっている少年を、水木は呆然として見ていた。少年は水木の方を見ると、ぺこりと頭を下げた。
「すみません、うちのねこが」
「君の猫だったのか。勝手に餌をやってしまってすまない」
「……それで最近、餌の時間になっても帰ってこなかったのか」
少年は納得したように頷いた。
「ご迷惑おかけしました」
言葉遣いといい、態度といい、礼儀正しい少年だ。だが、その幼い顔には見覚えがあった。大きな丸い目や小づくりな鼻、片目を隠した髪型など、髪の毛の色以外は生き写しなのだ。幽霊組の親分―――水木の夫である男に。そういえば、彼には奥さんとの間に子供が一人いたと聞いた気がする。結婚式では顔を合せなかったから、すっかり忘れていた。
「僕は鬼太郎といいます」
「あ、ああ。俺は水木だ」
「水木さん」
鬼太郎はきょとんとした顔をしていたが、やがて「ああ」と声を上げた。
「父さんの新しい奥さんの」
「ああ……」
水木は曖昧にうなずいた。『奥さん』と呼ばれるのがどうにも慣れなかった。
「父さんから話は聞いています」
「……そう、か」
いったいどんな話をしたのだろう。気になったが、鬼太郎は感情の読めない表情で、淡々と話を続けた。
「僕のことはお気になさらず。別にあなたのことをどうこう思っているわけじゃないですから。新しいお母さんだとも思わないので、あなたも僕を息子だと思わなくていいですよ」
「あ、ああ……」
水木は鬼太郎の勢いに押されるように頷いた。見かけよりもずっとしっかりした少年のようだ。
「じゃあ、失礼します」
彼はぺこりと頭を下げた。そして、思い出したようにくすっと笑った。
「でも、びっくりしました。水木さんがこの子のことを『ねこ』って呼んだから」
「あ、ああ……。勝手に名前をつけて悪かったな。嫌ならやめるよ」
水木が慌ててそう言うと、鬼太郎は首を振った。
「いえ。この子の名前『ねこ』っていうんです。まさか水木さんがねこって呼ぶなんて思わなくて」
ねこは自分が呼ばれたと思ったのか、「にゃあ」と嬉しそうに鳴いた。
「あはは。ねこ、良かったな」
鬼太郎は猫を抱き上げると、じゃあまた、と言い残して茂みの中に消えていった。
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