2025-01-28 20:26:47
4286文字
Public 小説(pixiv公開済)
 

黒い狐 白い狐

地方の町で、狐にちなんだお祭りに紛れ込む了さんと百さん。つきあってる了モモの、夢語りめいた一夜。

了モモwebオンリーのワンドロワンライ企画のお題「お祭り」にて書かせていただいたお話に加筆修正しました。
大筋は変わらないまま、ディティール&ボリュームをアップしています。

シリーズは自分内で了モモを書く時の世界線として切り分けています。
長編や続きものではありません。

 畳敷きの部屋に入り、広縁の障子を大きく開け放つと、窓の外になだらかな山稜が見えた。ふもとから尾根まですっかり赤と黄に覆われ、秋色に染まっている。
 薄く雲のたなびく空の色は、夕暮れを宿して群青に沈みつつあった。窓を開け放ち、けれど人目に立たぬよう、顔は出さずに深く息を吸い込む。
 それから振り返って、黙したまま背後に立つ人にオレは笑いかけた。
「やっぱり、都内っていうか関東とは空気が全然違うなあ。おいしくて、つめたくて」
……随分と、早かったね」
「新幹線と在来線の乗り継ぎがさ、すごくうまく行って!」
「そういう意味じゃない」
 憮然とした表情のまま、了さんはぼそりと呟いた。言いたいことはわかってる。

『ちょっと遠出してるんだけど。暇だったらモモも来る? 面白いものが見物できるかもね』

 収録後の楽屋でラビチャを受け取り、即座に行く! って返事をして、返信のかわりに宿の位置情報が送られてきたのがおおよそ五時間前。そのままタクシーに飛び乗り、オフの午後に入れていた予定すべてに車内からキャンセルの連絡を入れ、駅に駆け込んだ。ぶっちゃけ、了さんの見込みより二時間は早く着いた自信がある。
 そもそも、あんな煽るような誘いで、オレがこんな即断即決で来るとも思っていなかったのだろう。旅館の三和土に立つオレを見て珍しく驚いた顔をした了さんに、笑顔で手を上げながら、ちょっとだけ得したような気分になったのがさっきのことだ。
「弾丸旅行って感じで楽しかった! あと、ひとりきりでこれだけの長距離を移動するのは久しぶりだったから、なんかこう、今からオレ、失踪する? みたいな気分になっちゃってさ」
 へえ、失踪。と繰り返した口調は、どこか物憂げだった。二歩、三歩。畳を踏みしめて、長く伸びる影のようにオレの斜め後ろに立つ。
「このあたりには、神隠しの言い伝えがあるんだ。いまふうに言うなら、一種の失踪かもね。それとも、失踪の一種が神隠しかな」
 思いがけない言葉に、なんとなくぞわりとした首の後ろを抑えて、窓からの景色を眺める。山に抱かれた、鄙びた町だ。単線の駅には、一時間に一、二本しか電車は止まらない。低い家の屋根、土埃の色をした道。どこからか、ひそやかな騒めきが耳に届いた。山沿いの秋らしくひんやりとした風が、頬をそっと撫でていく。
……神隠しに遭った人って、どうなるんだろう」
「さあね。神域で幸せに暮らすのか、人里に帰りたいと泣くのか。いずれにせよ、身内を奪われる里の者はたまったものじゃないから、いつからか鎮めの祭りを行うことになったそうだ」
 そういえば、と思い出す。降り立った駅の小さなロータリーをふちどるように、白地に金と赤ののぼり旗が並んでいたっけ。
「もしかして、今日がそのお祭りの日? 面白いものってそれ?」
 了さんがゆっくりと腕を上げて、窓の外、とある方向を指し示した。おぼろに暮れゆく街並みに目を注ぐと、小さな赤い光がひとつふたつ、ふたつみっつと灯り、やがて網の目のように広がっていく。街路灯。防犯灯。家々の軒先にも。
 提灯だった。赤い提灯が町じゅうを照らしている。
 二区画ほどむこうの通りで、提灯の一群がわらわらと動いて整列した。大きな光、小さな光。高く掲げられた光。
 隊列――行列を作っている。
 目を凝らしてみると、行列の真ん中にかしずかれて、純白の衣装が見えた。赤い提灯の光を映してなおきよらに白く輝く、花嫁衣裳。
……え?」
 白いのは、衣装だけではなかった。顔もまた白く塗られ、白い面を被っている。
 狐の面を。
 まだ明かりをつけていない宿の部屋の中、街路の提灯にうっすらと赤く照らされた了さんが、目を眇め、口の端を上げた。見慣れすぎた、笑っていない笑顔だけれど、今夜だけは、どこか異界めいていて。そう、あの面のように。
「狐の行列。飛び入りの参加も歓迎だそうだ」

 ◇     ◇     ◇

 遠目からは幽玄を思わせた行列だけれど、近づいてみれば町内会の無骨なテントが立てられて、賑やかにお喋りをする人たちがたむろしていて、ぽつりぽつりと屋台も出て、普通に町のお祭りだった。ちっちゃな子狐に扮した園児の群れが、きゃあきゃあと騒いでいるのがかわいい。
 なんとなくほっとした気持ちで眺めていると、了さんが腕を引いた。
「飛び入りはこっちだって。好きな装束を選べる」
「いやいや、さすがにオレはだめでしょ」
 変装、仮装と言っても限度がある。顔、声、ピアス、爪。なによりもこのメッシュの髪。
「ゆったりした和装で、髪が見えない装束を選べば大丈夫じゃない?」
 そう言いながら了さんがちらりと視線を流した先を見て、オレはちょっと、かなり、固まった。確かにそれなら、髪の毛は見えない。けど。

 ◇     ◇     ◇

 派手なメッシュを覆い隠す、綿帽子。
 知られすぎた顔を覆い隠す、狐の面。
 艶やかに光る爪を覆い隠す、白無垢。

 真白き狐の花嫁。

 付き従うのは巫女と女房、大傘持ちに提灯持ち。行列の誰もが狐の面を被り、顔を白く塗って、しゃんしゃんと錫を鳴らし歩いていく。
 花嫁行列は、小さな町をゆっくりと東回りに練り歩き、やがて中央にある公園の広場で、西回りに練り歩いてきたもうひとつの行列――花婿行列と邂逅する。


 周りに合わせてしずしずと歩を進めながら、オレの頭のなかは???って疑問符でいっぱいだった。
 綿帽子、視界が狭いし。狐面、さらに狭いというかよく見えないし。白無垢なんて、いちおう裾は引かない長さに整えられてはいるものの、帯は苦しいわ、袖はばさつくわ、草履は意外と踵があるわで、もう何がなんだか。
 なんでこんなことになってるんだろう。っていうか元凶の了さんはどこに行ったんだ。着付けの途中、気がつけばふらりと消えてしまった。
 神隠し、なんて思わない。神様が隠せるようなひとじゃない。
 では、何に隠されてしまったのか。

 その疑問は、町の中心で解き明かされた。
 黒の紋付羽織袴を身に着けて、黒い狐面を被った、もうひとつの行列。付き従うのは幣束持ちの露払い、それに旗持ちと提灯持ちが続く。
 花婿の扮装をした黒い狐たちが、皆で一歩進み出て、ずらり一列に並んだ。
 オレのいた行列の白い狐たちも、向かい合わせにずらり並ぶ。

 黒い狐が探す。白い狐を。
 白い狐が探す。黒い狐を。

 列が崩れる。歩み寄って、面の下からたがいを確かめ合い、声をかけ合ううち、厳かな雰囲気は、風に散らされる霧のように薄れ消えていった。
 つがいとなった狐たちは、照れたり、笑ったり、少し怒ったり、戸惑ったり。
 最後はふたり手を繋いで、祭りの明かりのもとへと去っていく。

 けれど、その中に、オレの黒狐は居なくて。

 ◇     ◇     ◇

 黒い面は被ったまま、広場の外れ、暗い灯の下に、了さんは立っていた。
 なぜだかこの街路灯にだけ、提灯が飾られていない。ほんのりと赤い光に満ちた町の中、唯一の色のない光が、明かりのはずなのに不思議と仄暗さを感じさせる。
 崩れかけたおからげの裾を引きずらないように、鼻緒ずれした草履を引っかけないように、ゆっくりゆっくりと歩いていく。最後はつんのめって危うく転びかけたところを、了さんがうまく受けとめてくれた。肩にもたれかかりながら、目の端でさらりと流れた黒羽織の袖の動きが美しくて、ああ、この人、こういうのも着慣れているんだなってぼんやり思った。
「ねえ、了さん。このお祭りってさ、狐の、なんだっけ? なに行列?」
 面の隙間から、金に光る瞳だけがちろりと動いてオレを見下ろす。
「オレ、女の人じゃないし、家には入らないよ。家事も出来ないしさ」
 女が家に入って、嫁。オレだけじゃなくて、ちょっともう、いまの時代そのものにそぐわない言葉だ。まあ町のお祭りに、っていうより怪異の伝承に、野暮なことは言わないけれど。
「ひとつ、教えてあげる」
 了さんは姿勢を変えず、表情も変えず、平坦な声のまま言った。
「この地方では、狐も人間も、嫁に入るとは言わない。嫁に取る、と言う」
「へえ、そうなんだ。じゃあお天気雨とかも狐の……
 狐の嫁入りならぬ、狐の嫁取り――嫁獲り。
 思い浮かべていた絵物語が裏返る。物語の主役は、たおやかな白い獣ではなく、かどわかす黒い獣。
「月のない夜、闇に紛れた黒い狐が、白い狐を取っていく。取られた白い狐の行方は、杳として知れない」
……それが、神隠しの言い伝え?」
 黒狐の面の下、了さんがうっすらと笑った。
「この祭りは、黒い狐の渇望をかりそめの祭式で満たすために生み出されたものだそうだ。騙すために、と言い換えてもいいかもね」
「ふうん。なるほどね」
 騙されるのは……嘘を吐かれるのは、なんだかちょっとかわいそうだ。そんなことを思いながら、すっかりと暗くなった空を見上げる。新月の夜だ。月は出ておらず、雲もかかっていない。こんな闇夜に、黒い狐は現れるのだろうか。白い狐を求めて。
 と、見上げる視線を遮って、漆黒の狐の面が眼前を覆った。
 オレはこのまま、神隠しに遭っちゃうのかな。失踪旅行になっちゃうのかな。

 ――そんなわけ、なかった。

 だったら、あんなふうに声をかけては来ないだろう。偶々ぽっかりと空いた午後オフ。切り詰めた二時間。普通に到着していたなら、この祭りだって遠く宿から眺めることしか出来なかったはずだ。宿に着いた時の、驚いた顔を思い出す。了さんは、本当は、オレが来るとは思っていなかった。オレに来てほしくなかったんだ。
 手には取れない高みの葡萄。嫁には取れない白い狐。
 了さんが、ゆっくりと狐の面を取る。露わになった表情は、微笑とも渋面ともつかなくて、なのに、なんだかとてもたくさんの感情が揺れ動いているようだった。
 オレも額に引っかけていた狐の面を取って、ついでに綿帽子も脱ごうとしたところで、手首を掴んで止められる。
……もう少しだけ、そのまま被っていて」
 なんで、って聞かなくてもわかった。
 綿帽子の陰に、黒い狐がひそやかに忍び入り、白い狐の唇を食む。


 月の無い夜、暗い町の片隅で。神は隠さず、狐は取られない。
 けれど確かに、黒い狐と白い狐は、ひとときだけ、ひとつとなって、そこに在った。
 ただ一夜かぎりの、御伽噺のように。



〈終〉