宮本伊織やヤマトタケルのマスターである藤丸立香は台車を押しながらストームボーダー内を走っていた。台車にはカゴいっぱいの種火。勢いがあるせいか、カゴから種火がいくつも落ちていく。それを拾いながらついて行くのは最近カルデアにやって来たロウヒ。普段は雪国にいるような厚着の彼女は今は軽装のワンピース姿だ。
「ムッコ、さっきから落としてるんだぁよ」
「ごめんロウヒ。ありがとう」
ようやく立ち止まった立香にロウヒも足を止めて扉を見た。
「誰かの部屋か? そんなに大量の種火を与えたいサーヴァントがいることに驚きなんだよ」
ロウヒはそう言いながら拾った種火をカゴに入れる。
「まあね。本当はもう一人いるんだけど、今回は伊織に強くなってほしいからね」
「ムッコが言うならロウヒは何も言わないんだぁよ」
ギザ歯を見せながらロウヒが大きく頷く。
「ありがとうロウヒ。伊織~いる?」
扉に向かって立香が大声をあげると、ほどなくして扉が横にスライドした。ストームボーダーの廊下から続くには似つかわしくない部屋の内装は和。伊織がかつて暮らしていた江戸の長屋を模したものだ。興味深そうに立香の背後からロウヒが顔を覗かせる。
「マスターか。どうした? くえすととやらか? それと」
「モイ! ロウヒだぁよ」
伊織の視線を受けてロウヒが立香の隣に並ぶ。
「ロウヒ殿。俺は宮本伊織。よろしく頼む」
一礼した伊織にロウヒはどう返せばいいか分からず助けを求めるように立香を見る。
「日本式の挨拶みたいなものだから。ロウヒも同じようにしたらいいよ」
「わかった。こっちこそよろしくなんだよ、伊織」
「顔合わせ終わったみたいだね。今日はクエストじゃなくて伊織にこれを持ってきたんだ」
腰に差した刀に手を置いた伊織に立香が緩く首を左右に振った。一歩横にずれた立香の背後には台車とカゴいっぱいに入った種火。思わず伊織の頬が引きつる。
「マスター、一つ良いか?」
「なに?」
「その量は俺一人用か?」
伊織の指す種火の量は霊基再臨に使う量をはるかに超えている。そもそもこれ以上種火を使う必要のないレベルに達している伊織が疑問を持つのはもっともだ。
「そうだよ」
あっさりと肯定する立香の手には聖杯。ますます理解ができずに伊織は聖杯を凝視する。
「伊織にはさらに強くなってほしいからね」
屈託なく笑う少年に伊織は何も云えなくなってしまう。強くなると聞いて真っ先に浮かんだのは黒い三つ編みの後姿。セイバーの隣に並ぶことができるのなら断る理由などない。
「そういうことなら甘んじて受けよう」
伊織は聖杯と種火を受け取った。
「じゃあ、追加で種火を集めてくるから伊織は食べてて! 行くよロウヒ」
「まだあるのか!?」
伊織が止める間もなく立香が長屋を出て行った。残された伊織は運ばれてきた大量の種火を前に頭を掻いて腹をくくった。
「これも強くなるため」
セイバーの隣に並び立つためだと自分に云い聞かせて伊織は種火に手を伸ばした。
腰まである長い三つ編みを揺らして足取り軽くストームボーダー内の廊下を駆けるセイバーは伊織の部屋の前で止まると大きく息を吸いこんだ。かつて彼と共に住んでいた長屋にそっくりな部屋に入るだけなのに緊張するのはなかなか慣れない。
「イオリ~?」
大声で部屋の主の名を呼んでみるが、返事がない。今日はシュミレーター室の使用もカルデアのマスターとのクエストもないはずだ。セイバーは首を傾けた。食堂だろうか、いや。ここに来るまでにすれ違っていない。
「イオリ?」
もう一度名を呼んだ。今度はどこか不安そうな響きを含んでいることに本人は気付いていない。
「あとで怒られるやもしれぬが、万が一ということがある」
伊織も自分と同じサーヴァントであるのは解っているはずなのに、彼が倒れている姿を想像してセイバーの表情が暗くなった。
「……っ」
いつもなら少し間を空けて伊織の方から扉を開けて「どうしたセイバー?」と柔らかく目元を緩めて部屋に招いてくれるのに。唇を噛んだセイバーは意を決して扉を開けた。
「イオリ!」
勢いよく開けた扉の先に見えるのは見慣れた長屋の室内。土間があり、畳の上ではあぐらをかいた伊織が仏像を彫っている背中が普段セイバーが見ている姿だった。けれど、今は。
「イ、イオリー!?」
畳の上で伊織がうつ伏せで倒れていた。伸ばされた手の先には転がった種火。セイバーは慌てて伊織の傍まで駆け寄った。身体を揺らして何度が呼びかけてみるが、伊織は青い顔で苦し気に呻き声をあげている。
「い、いったい何が。敵襲? いや、イオリが敵に後れを取るとは思えぬ。病の類か?」
サーヴァントである彼が? いくつも浮かぶ可能性と疑問を否定していく。否定しながらセイバーの目に涙が溜まっていく。いやだ、いやだ。せっかく再会したというのに、伊織とまた離れるのは二度といやだ。
「……イオリっ」
消え入りそうな声で名前を呼んだセイバーの頬を涙が伝う。雫が伊織の手に落ちて流れていく。どうしたら良いのか解からずセイバーは伊織の手を握りながら扉と伊織を交互に見ていた。そんな時。
「伊織~。追加で種火を持ってきたよ」
カルデアのマスターである立香の声がした。
「カルデアのマスター!」
彼なら伊織を助けられるかもしれないとセイバーは扉を開けた。
「わっ、タ、タケル!? どうしたの?」
「カルデアのマスター、イオリが! イオリが……っ」
動揺しているセイバーが立香の腕を強く引く。
「なに、なに? タケル、落ち着いて」
「なんだ、なんだ? ん、泣いていたのか?」
腕を掴まれて困惑している立香の後ろからロウヒが顔を覗かせる。ロウヒはセイバーを見るなり赤くなっている目元に気付いた。
「え、そうなの? ほんとだ。大丈夫?」
ロウヒの指摘に立香がタケルを見る。たしかに先ほどまで泣いていたのか、目元が赤くなっていた。
「なっ、泣いてなどおらぬ! それよりもイオリが」
指摘されたセイバーが顔を赤くして腕で顔を隠したのも一瞬で、すぐに畳の上で倒れている伊織の傍に近づいて助けを求めるように立香を見上げた。
「い、伊織!? どうしたの? さっき会った時は何ともなかったのに」
「私が部屋を訪れた時にはうつ伏せで倒れていたのだ。青い顔でずっと呻き声をあげていて……」
語尾が小さくなり、涙目になっていくセイバーを安心させるように立香が相手の両肩に手を置いた。
「大丈夫だよ、タケル。こういうときのために医者がいるんだ」
「イシャ?」
涙目のまま首を傾けるセイバーに立香は力強く頷くと大きく息を吸いこんだ。疑問符を浮かべているロウヒとセイバーをよそに立香が大声をあげた。
「アスクレピオス先生~! 急患です!」
立香の声が長屋に響く。けれど、広いストームボーダーの中で声を張り上げたところで相手に届くはずがない。
「ムッコ~。いくらサーヴァントとはいえ、呼んだところですぐに来るはずが……」
「急患か!? 診せろ」
呼んですぐアスクレピオスが現れた。急患と聞いて期待しているのだろう。深くフードを被り、マスクを着けているのにも関わらずこちらにも分かるくらい声が弾んでいる。呆れ顔をしていたロウヒは突然現れたアスクレピオスを見て目を丸くしている。
「あ。先生来た」
「わー!? どこから現れたのだきみ」
「び、びっくりしたんだぁよ」
驚いているロウヒとセイバーと違い、アスクレピオスに信頼を置いている立香の表情は明るい。
「マスター。急患は?」
「ああ。伊織なんだ。タケルが言うには部屋を訪れた時には倒れてたみたいで」
セイバーを押しのけたアスクレピオスはうめき声をあげている伊織の傍で片膝をついて診察を始めた。呼吸、脈、熱に異常がないかを確かめているアスクレピオスの周りをセイバーがそわそわしながら眺めている。
「イオリは無事か? すぐに治るのか?」
うろちょろしているセイバーを無視していたアスクレピオスの眉が次第に吊り上がっていく。特に異常がなかったのか、アスクレピオスは迷いなく伊織の衿に手をかけた。
「なっ、きみ、何を!?」
「……マスター。今すぐこの愚、家族ではないな。相棒か? なんでもいい。その身内の動きを封じろ。診察の邪魔だ」
マスク越しだが、診察を邪魔されて苛立っているアスクレピオスに立香は苦笑いしてセイバーの両肩を掴んで引き離した。
「タケル。アスクレピオス先生が今診察中だから少し静かにしよう」
「しかし、彼がイオリの着物を脱がそうとしていたのだぞ!?」
「腹の触診に必要なだけだ」
セイバーを無視してアスクレピオスは衿を開いて腹に触れた。眉を寄せて伊織の口元に顔を近づけた途端、セイバーが「わぁー! 近いぞきみ!」と大声を上げる。
「ガンド使うか?」
再び診察の邪魔をされたアスクレピオスが怒る前にロウヒが立香へ提案する。
「それはやめてあげて」
「分かった」
首を左右に振った立香にロウヒがガンドを打とうと上げていた手を下ろした。伊織の口元で匂いを嗅いだアスクレピオスの表情が急につまらなそうに冷めていく。
「……なんだつまらん」
ため息と共にアスクレピオスは立ち上がった。
「アスクレピオス先生、何か解ったの?」
診察結果を期待に満ちた目で見てくる立香とセイバーにアスクレピオスは肩をすくめた。
「宮本伊織の口からアンモニア臭がした」
「アンモニア?」
「ああ。それに混じって微かにリコリスの匂いが混じっていた」
「ん? うーむ?」
断片的でさらに聞き慣れない単語にセイバーが両人差し指をこめかみに当てて体を傾け始めた。同じく解からない立香も疑問符を浮かべている。
「あ」
一人心当たりがあったのか、ロウヒが声を上げた。セイバーと立香からの視線を集める。
「心当たりでもあるのロウヒ?」
「たぶんそれはサルミアッキなんだぁよ」
「サルミアッキ……」
得意げに胸を張ってみせるロウヒとは対照的に立香が額を押さえて天井を仰いだ。どうやらいつの間にか種火にサルミアッキを混ぜ込んでいたらしい。しかもご丁寧に魔術でサルミアッキを種火に見えるように変えていたようだ。
「一つ聞くけど、なんでそんなことしたの?」
「種火ばかりだと飽きるんだよ! だからこのロウヒが味を変えてやろうと飴ちゃんをいくつか入れておいたんだぁよ」
立香の問いに「ふふん」とロウヒがドヤ顔を見せる。本来は黒い飴のサルミアッキだが、今はロウヒの魔術で種火と見分けがつかなくなっている。つまり、
「ロシアンルーレット式だな」
意図を汲んだアスクレピオスがカゴいっぱいに入った種火を見ながらぽそりとこぼした。
「もはや罰ゲームの類……」
苦笑している立香の袖をセイバーが掴んだ。
「カルデアのマスター、サルミアッキとは何なのだ?」
聞き慣れない単語にセイバーは疑問を口にする。それが伊織が倒れた原因なら知りたいと琥珀色の目で訴えられた立香はちらりとロウヒを見た。
「ロウヒの故郷でよく食べられる飴のことだよ」
「世界一まずい飴で有名だな」
「わー! せっかく濁したのになんで直球で付け加えるんですかアスクレピオス先生!」
自分の期待していた珍しい症例でなかったことに不満そうなアスクレピオスが口を出した。
「世界一まずい飴? そんなことないんだよ」
憤慨しているロウヒを押しのけてセイバーがアスクレピオスに詰め寄る。
「そのサルミアッキを食べた故、イオリは倒れたときみは云いたいのか?」
「ああ。正確には種火と間違って一気に摂取したためだろうな。命には別状もない上に珍しい症例でもない」
アスクレピオスが心底つまらなそうに息をつく。
「アメを食べたせい……」
安堵したのか、セイバーは脱力して座り込んだ。涙ぐんだセイバーは袖で目元を何度もこすり、頬を膨らませた。
「まったく、アメを食べたくらいで倒れるなど情けない! だいたいあれだけ修業をしているにも関わらず味覚は鍛えられなかったのだな!」
笑い声を上げて伊織の肩を軽く叩いているセイバーに次第に伊織の眉間に皺が寄ってくる。
「う~ん、やめろ、セイバー……」
「イオリ! ようやく起きたのか?」
目を覚まして身体を起こした伊織はまだ本調子ではないのか、額を押さえて項垂れている。起きた伊織にセイバーの表情が輝き、声が弾んだ。
「僕はもう行く。次はもう少し面白味のある症例の時に呼べ。お大事に」
「あ、うん。ありがとう、アスクレピオス先生」
長屋を出て行くアスクレピオスを見送った立香が再び伊織とセイバーに視線を送る。
「セイバー」
「なんだ?」
額を押さえていた伊織がセイバーを呼ぶ声が低い。
「全部聞こえていたぞ」
「は、な!? 全部!?」
セイバーが動揺して伊織から離れようとした。すぐに伊織がセイバーの手首を掴む。
「離せイオリ!」
「ずいぶんな言いぐさだな。飴を食べたくらいで、だったか」
「あ、そこからか」
伊織の云う〝全部〟とは自分が意識を取り戻したところからだった気付いてセイバーはそっと息をつく。
「他になにか云っていたのか?」
「いいや! 全然! 何も云ってはおらぬ!」
力強く否定するセイバーに立香とロウヒが互いに耳打ちし始めた。
「よく言うよ。伊織が倒れて泣いていたのに」
「あれは照れ隠しというやつなんだぁよ」
「わー! そこ二人、ばらすなー!」
慌てたセイバーが立香とロウヒの口を塞ごうと立ち上がろうとしたが、伊織に手首を掴まれて動きを止めた。
「セイバー、泣いていたのか?」
「泣いてなどおらぬ! きみの前で泣くはずがないだろう!」
図星を指されたセイバーは顔を真っ赤にしている。
「セイバー」
「な、なんだ?」
呼ばれて素直に見上げてくるセイバーの顔は赤いままで伊織の次の言葉を待っている。どこか期待しているように見えるのは立香の気のせいだろうか。
「飴を食べたくらいで倒れるとは情けない、と云っていたな」
「う、うむ」
「では、試してみるか?」
きょとんとしてるセイバーに対して伊織の目は座っている。すぐにセイバーは意味を理解したのか、抵抗し始めた。
「断る! 離せ、イオリ!」
「大人しくしろセイバー。食べるのは好きだろう?」
「食べるのは好きだが、きみが倒れるほどの味なのだろう!? 絶対に食べぬ!」
伊織とセイバーは見た目に反して筋力差がある。それもセイバーの方が筋力は上。長く続けば負けるのは伊織の方。力いっぱいセイバーが伊織の手を振りほどいた。
「マスター、力を貸してくれ」
「な!? 卑怯だぞきみ!」
迷いなく自分たちのマスターへバックアップを要求する伊織にセイバーが目を丸くする。
「おまえに飴を食べさせるためだ!」
「そんな凛々しい顔で云うことではないぞ!?」
「OK! 任せて!」
面白いことには前のめりで参加する立香はウインクしながら親指を立てた。
「カルデアのマスターも乗るな!」
「さて、セイバー。これで力は互角だ。抵抗は諦めろ」
「くっ、離せ!」
伊織の手にはロウヒからもらった黒い粒。セイバーが逃亡を図ろうとするも、立香のバックアップを受けている伊織の手は解けない。悔しそうに見上げてくるセイバーを伊織はジッと見下ろした。彼の目にはどう映っているのだろうか、と傍観者に徹している立香とロウヒが目配せをする。
「セイバー、いいか?」
「絶対にいやだ!」
顔を近づけて聞いてくる伊織にセイバーがぷい、と顔をそむける。
「言い方がなんだか怪しく聞こえるんだぁよ」
「顔を赤くしてるタケルの表情も相まってなんだか同意を求めてるみたいだよね」
「茶化さないでくれるか、マスター」
ひそひそと言い合う立香とロウヒに伊織が頬を引きつらせる。二人に気を取られた伊織の手から一瞬力が抜けた。その隙にセイバーが手を振り解いて伊織から離れた。
「ふっふっふ! 集中力が足りないなイオリ。もう一度私を捉えることなど今のイオリにはできまい!」
得意げに腕を組んで伊織を挑発するセイバーは捕まらなければ飴を食べずに済むと、慢心している。逃亡を図ろうとするセイバーが扉へ向かおうとした矢先。
「ほい、ガンド」
ロウヒが指先でセイバーを指した。
「なっ!? 身体が動かぬ!」
ガンドによって身体の自由を奪われたセイバーが恨めしそうにロウヒを見る。
「さっきから聞いていればロウヒの作ったサルミアッキを食べたくないとは失礼なんだよ! そんなに言うならトントゥに変えてやるんだぁよ!」
「とんとぅ?」
伊織とセイバーが同時に首を傾ける。
「ロウヒ、今二人をトントゥにするって言った!?」
なぜかテンションが上がっている立香の声が弾んでいる。
「なんでムッコが喜ぶんだ?」
「だって二人のトントゥ化した姿見たいじゃん!」
少年のように瞳を輝かせる立香に「えぇ……」とロウヒが脱力しながら呆れ顔を向けてくる。そんな中で好機だと云わんばかり伊織がセイバーの両肩を掴んだ。
「セイバー」
「わっ! なんだイオリ。びっくりするではな、い……か」
視線が伊織の手元へ向く。彼の手にはサルミアッキが一粒。身体は未だロウヒのガンドで動かず。それらが意味するものを悟ったセイバーの頬が引きつる。
「待てイオリ。やめろ」
「往生際が悪いぞセイバー。そうだな、俺の手から食べさせられるのと、口移しどちらがいい?」
突き出された二択にセイバーが何度か目をしばたたかせる。今の云い方ではいわゆる〝あーん〟と〝口移し〟になるのだが、彼は気付いているのだろうか。
「なにを云いだすのだきみは!」
顔を真っ赤にしているセイバーはどこか嬉しそうで言動と表情が合っていない。
「いや、タケル。嬉しそう嬉しそう」
まんざらでもない反応を見せるセイバーに立香がツッコミを入れた。隣でやり取りを眺めていたロウヒが腕を組んで頷いている。
「なかなか大胆な選択肢なんだよ。ムッコもオレの嫁を娶る時はあれくらいやるといいんだぁよ!」
「あ、ははは……。さ、ロウヒ。あとは二人の問題だから俺たちは出て行こうか。二人のトントゥ化の相談もしたいし」
頬を引きつらせたマスターが話題を変えてロウヒを連れて出て行こうとする。
「ムッコの本音はそっちなんだぁよ」
「え~。そんなことないよ。ほらほら、行こうロウヒ」
扉を開けた立香の背にセイバーの抗議の声が聞こえる。一度だけ振り向いた立香が二人に親指を立てた。
「じゃあ、頑張って!」
「頑張るとは?」
意味深な発言に伊織が疑問符を浮かべる。
「だってその種火にはまだサルミアッキが混じっているから、どの種火がサルミアッキか分からないんだよ」
ここまで言って意味を理解出来ない伊織ではない。嫌な予感に頬を引きつらせた。
「まさか、これを食べ進めるとあの飴に当たる可能性が?」
「伊織、強くなりたいんでしょ? なら、タケルと一緒に強くならないとね!」
「……ああ」
笑みを向けてくる少年は伊織の胸の内を理解しているのか、そう言い残して手を振ると足早に長屋から出て行った。
廊下まで聞こえるセイバーの悲鳴を背に立香の足は軽い。
「トントゥ化楽しみだな~」
「やるとは言ってないんだぁよ。そんなに残念そうな顔をしたってダメなんだよ」
眉を下げて捨てられた子犬のような表情をする立香にロウヒがジト目で返す。カルデア内で呪いを使えば怒られるのは自分だと理解しているロウヒはなかなか首を縦に振ろうとしない。
「そこをなんとか!」
「……条件付きなら考えてやるんだぁよ」
両手を合わせて強請ってくる立香は引こうとしない。根負けしそうなロウヒは深くため息をついた。
ガンドが解けたセイバーからの反撃にあった伊織は再びサルミアッキを食べる羽目になっていた。そうして互いに煽り合った結果、ロシアンルーレットと化した種火が空になるまで二人の攻防は続いていた。
長屋の畳の上にうつ伏せで倒れているのは伊織とセイバー。カゴの中は空。ただ種火を摂取するだけのはずが余計な体力を使ったせいで二人ともうつ伏せのまま息が上がっていた。
「ふ、ふふ。はははは」
突然うつ伏せになっていたセイバーが笑い出す。
「どうしたんだセイバー。急に笑い出して」
ひとしきり笑ったセイバーが仰向けになって天井を見つめた。
「いや。キルケーといい、マジョと関わると本当にロクな目に遭わぬな、と思っていた」
伊織がピグレットになったことを楽しそうに、そして懐かしむように語るセイバーの横顔を伊織は見つめてただ一言「そうか」とだけ返す。
「うむ! 本当にきみといると楽しいな」
天井を見つめて双眸を細めたセイバーがゴロリと横になって伊織に微笑んだ。
「そうだな」
仰向けになった伊織が目を閉じた。江戸での聖杯戦争に参加していた時の記憶はないが、楽しそうに語るセイバーを見ていると、今自分がセイバーと共に過ごして感じていることと同じ感情を抱いていたのだろうと思う。
「……イオリ」
少しの沈黙の後、セイバーが呼んだ。目を開けてセイバーの方を見ると、相手は何か云いたげに目で訴えていた。揺れる琥珀色の瞳は微かに潤んでおり、今にも泣きそうだ。
「どうした?」
柔らかい声音で問えば、一度下唇を軽く噛んでセイバーは意を決したように口を開いた。
「きみは強くなりたいのか?」
去り際にマスターが云い残した言の葉が気になっているようだ。カルデアに所属している身として強くなりたいと思うのは当然だと思うが、自分が強くなりたいと願うことにセイバーは不安を覚えているように見える。
「ああ」
短く肯定するとさらにセイバーの表情に陰りが指す。横になっているセイバーが身体を縮こまらせた。
「……きみ、は、強さを」
「セイバー」
絞り出すように云うセイバーの声に伊織は自分の声を被せた。言の葉を切ってセイバーが静かに伊織を見つめる。
「俺が強さを求めるのはおまえの隣に立つためだ」
「え?」
意外だったのだろう。セイバーが勢いよく身体を起こした。琥珀色の瞳を大きく見開きこちらを凝視している。
「意外か?」
揺れている瞳をまっすぐ見据えながら伊織は手を伸ばした。なぜセイバーが今にも泣き出しそうな顔をするのか解からないが、指先で頬に触れると、セイバーは息を呑んだ。
「おまえの背中を見ているのではなく、俺はおまえの隣に立ち剣を振るいたいと思った。だからそのために俺は強さを……セイバー?」
言の葉を紡いでいた伊織は目を丸くする。頬に触れている伊織の手に自分の手を重ねたセイバーの双眸から雫がこぼれた。それは伊織の手を濡らす。
「どうしたんだ!?」
慌てた伊織にセイバーは何度も首を左右に振り、伊織の手をギュッと握った。
「……っ、うん。だが、私の手を振り解けぬようであればまだまだ先は長いな」
涙声でニッ、と笑うセイバーがわざと握る手に力を込めた。手を動かそうにもびくともしない相手に伊織は苦笑する。マスターのバックアップなしにはまだ筋力でもセイバーに敵わない。
「そうだな。精進するとしよう」
肩をすくめる伊織を見下ろしていたセイバーは袖で涙を拭うと、もう一度仰向けになった。
「イオリ」
「ん?」
名を呼んでセイバーが手を伸ばしてくる。その手を握れば嬉しそうに微笑んで天井を見た。
「このような未来があるのなら、あの時の私の選択は……いや、違うな。そうではない。何であれ、私はきみとまた共に在ることが嬉しいらしい」
「そうか」
「うむ!」
言の葉の裏にある感情を知りたいとは思うが、深くは聞かない。聞いたところで云う人ではないのをよく知っているから。伊織は短く返すと同じく天井を見つめて目を閉じた。
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