今回、夫が急に倒れてパニックになりながらも、私たち家族はできるだけのことをしました。でも、もっと知識があれば違う結果があったかもしれないという悔いがふと込み上げてきてしまうのも事実です。
今後は定期的に救急救命の講習に参加して、万が一必要になった時に臆することなく対処できるようになりたいです。
そんな考えを持つに至った当日の出来事について、記憶が薄れてしまわないうちに書き記します。
【2024.12.31】
大晦日の夫は、直前までいつも通りの様子でした。朝から夕方まで掃除や片付けをしたり夜のご馳走の準備を私と一緒にしていました。
「(鍋の中の)鶏団子半分皿によそって」
と私が頼むと
「鍋にいれとかないの?」
みたいな返事があったと思います。
「多すぎて他の具材入らないから」
というと団子を半分鍋から出してくれました。
「このくらい?」
「うん」
最後に交わしたのはそんなありふれた日常での会話そのものでした。
夫は鍋をリビングのテーブルに運び、ソファに座りました。
《19:40》
夫と娘、実家から来ていた私の両親が乾杯をしていました。それを私はキッチンカウンターの中からみていました。
そして目を離すと、夫が食事を始める前に調味料か何かを取りに来ようとソファから立ち上がったようです。二、三歩進んでからドタっと足を踏み鳴らしました。驚いた両親の「わぁっ」という声で私は顔を上げました。その刹那、彼は尻もちをつきそのまま後ろへ倒れ、壁とソファ側面に肩から上を預けるようにして意識を失いました。私はキッチンカウンターから飛び出して駆け寄り、とにかく気道の確保と思ってソファを動かし頭が床につくようにしました。もっと顎を上げたいけど頭が壁ぎりぎりで上がらない。身体も重くてびくともしない。それ以上動かすのを諦めて大声で呼びかけますが応答はありません。白目を剥いて呼吸がおかしくなっているのですぐ「救急車!」と叫ぶと娘は既にスマホを握りしめており、119に通報。
着衣を緩めたり邪魔なものを取り外したりながら夫への声かけを続け、救急に説明している娘に向かって「イビキのような音がする」「泡を吹いている」と状況を伝えました。パニックで心臓が破裂しそうなほどドキドキしていました。そんな中で娘から呼吸の有無を確認するよう指示がありました。
ついこのあいだ山岳会の講習で呼吸や脈の確認方法を学んだばかりでした。まず自分の頬を夫の口元に近づけ、息を感じるか確認するもわからない。脈も突然位置がわからなくなり、触りまくるが何も感じない。胸に耳をくっつけても心音があるかわからない。「わからない!」と叫びました。
あるはずだと思っているのに『ない』。確信が持てない。要救護者が心肺停止という状態を経験したことがないからわからないのです。
今思えば心停止しているから、どれも『ない』で合っていたのですが、私自身の心音が爆音で頭の中に響いており、『パニックの最中で感じ取れていないだけかもしれない』という疑念が湧いて判断ができませんでした。動いていないわけがないというバイアスが働いていたということです。
しかし119の電話口の方は状況を察してくださり、心臓マッサージの指示が出ました。
やるのは私しかいない。
10年近くも前に会社の救命講習でダミー人形で体験をさせてもらったことを必死に思い返して開始し、搬送時の動線確保を両親に指示しました。前にTwitterで流れてきた、家族が救急搬送された体験談のポスト内容を思い出したからです。これで、いつでも家から最短で運びだせる状態になりました。
マッサージをしながら、『これは正しいやり方なのか?』『もし心停止してないのにマッサージしていて悪影響だったらどうしよう』という迷いがずっと頭の中にあって、正しくできていたとはいえません。
しかも時々口が開くので息が戻ったのかと思いました。後からわかったことですが、これは下顎呼吸といって、死期が迫った時に最後の力を振り絞って行われる呼吸でした。
しかし私は意識が戻ったのかもと思ってしまい、圧迫を一旦止めて顔を叩きながら言葉をかけ続けました。
「パパ大丈夫だよ!すぐ助けに来るからね」と。(安心させる声かけをするのも山岳会で習っていました。そして耳は最後まで生きている、というのでこれができて本当に良かった。)
しかしながら、胸骨圧迫の手を止めた私に向かって娘が「意識ないなら止めないで」と言うのですぐ再開。娘はドラマなどからそういった知識を得ていて、咄嗟に私に教えてくれていたのです。
倒れてから5分強という速さで救急隊が到着し、掃き出し窓から駆け込んできました。すぐにAEDが取り付けられたため、やはり心停止していたと確信しました。ここではじめて助からないかも、と思いました。
AEDでも戻らず、心臓マッサージの装置をつけられました。
この間に娘が夫の保険証が入った財布を取ってきてくれました。
それを受け取り「大丈夫!」と家族に声をかけて、私は救急車に乗り込みました。
《20:00》
病院に到着しました。倒れてから20分が経過していたことになります。
娘にタクシーで来るよう病院名をメールしました。
受付で手続きを済ませて待合室で待っているとすぐに到着しました。タクシーの運転手が救急の入口を知ってるベテランということが幸いしました。感謝です。
《20:20すぎ》
ドクターの元に呼ばれました。モニターひとつ置かれた小さな部屋でCTの画像を見せられながら、心停止で搬送されてきて、これ以上の処置でも蘇生は困難と判断しましたと告げられました。
現実味がない現実を、直視する隙もないまま押しつけられた感じで、まったく感情が追いついてこない。私も娘も黙って頷いていただけでした。
それからドクターに連れられて夫が寝かせられた処置室に移動しました。20:27、死亡確認がおこなわれます。もう生き返らないことが確定して、私たちは強制的に現実と向き合うことになります。世界が変わってしまった瞬間でした。
哀しみの世界の中に突然放り出されて、何がどうなってしまったのかわからない。まだドラマの中にいるみたいに信じられない。
けれど、私たちは生きているし生きていかなければならない。
世界からパパがいなくなってしまっても、私たちが私たちであることは変わらない、ということをふたりで確認し合いました。未来への向き合い方が娘も同じであったことに心底救われました。
その後、霊安室の前で警察の事情聴取が行われました。自宅から心肺停止で搬送されたため、事件性があるかないかを調査する必要があるのです。それが終わり病院から帰宅するとそのまま刑事さんによる自宅調査へと続きます。現場検証のほか口座の収支記録や保険証券のチェックなどもされます。警察の皆さんは終始わたしたち家族に気を遣ってくださいました。右も左もわからない私たちに今後の流れについても丁寧に説明してくださいました。
事件性が無いと判断され、すべて終わったのは深夜でした。
その日は娘と同じ布団に入り、くっついて眠りました。朝がきても夫のいない世界なのだと思うと苦しくてつらい夜でした。それでも3時間は眠れたので、自分のタフさに自分で助けられました。朝がやってくると、今日やるべきことしっかりやろうという気が湧いてきました。
これがわたしたち親子の忘れられない1日のお話です。
みなさんも機会があれば救命救急の講習に参加してみてください。自治体の防災センターなどで実施していると思います。
大切な人が倒れてしまったその時に、自分の手で救える確率が上がるはずです。
***
すこし話は変わりますが、私たち親子がすぐに前を向こうと思えた大きな理由に『せめてもの救い』がたくさんあったことがあります。
私のツイで見たことある方もいると思いますが、夫は部屋にいる時間が多いひとでした。そもそも寝るのも自分の部屋だし、昼間でも趣味や昼寝で何時間も引きこもっているのが常でした。
平日で仕事に行っているかと思いきや(家族が寝てるうちに出てくので2階が静かならそう思ってしまう)、昼下がりに2階から降りてきて驚いたことも一度や二度ではありません。
また、部屋からあまりにも出てこないのでドアを叩いて「パパ!?生きてんの!?」と生存確認したことも何度かあります。喘息の発作で救急車を呼んだことがあるので割と本気で心配してのことです。
そんな人が、最期は家の手伝いをたくさんしたあと、家族みんなが揃っている場で、大晦日の楽しい乾杯の記憶を抱えたまま、全く苦しむこともなく眠るように逝ったのです。それは、とても大きな『せめてもの救い』でした。
他にもいろんな『せめてもの救い』がありました。
あ!その日、ピザを道路に落とした悲しみのツイをしたの見た方いますかね。ピザ程度ではこの最悪な厄を回避できなかったという皮肉が残りましたがそんなのはどうでもよくてですね、この悲しいピザの話をいつもの私なら夫にしちゃうんですが、あの後しなかったんです。悲しい話を最後にしなくてよかったなって思ったのも『せめてもの救い』です。
そんな『せめてもの救い』の集合体と『周りへの感謝』を胸に、前を向くことができています。
もちろん後悔もあるけれど、それは言ってもしょうがないので言わないと決めました。
***
ありふれた日常を大切にしていきましょう。
また、大切なひとに対して、朝送り出す時とか心がクサクサしてしまう時、ていうか、いつもいつでも、できるだけ『何があっても後悔しない言動』を頑張るのはるまじでマジでほんとにほんっとうに大事です。
明日の朝、会えないかもしれないです。
人は何があるかわからないから。
ソースは私。
気が向いたらまた続きを書きます。
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