くこ
2025-01-27 22:50:45
8673文字
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執事(王最)続きのVSバージョン

蛇足
ほのぼののまま終わりたい方にはおすすめしない、かもしれない



もう、だめかもしれない。

内心の動揺は、それはひどいものであったが、王馬はおくびにも出さない。だが、手のひらには冷や汗をかいているし、指先が冷たい。
意識せずとも勝手に貼りついている薄笑いが、奥からガラガラと崩れ落ちそうになる。喉が渇いた。
己の予想を超えてくることは、つまらなくない。けして、つまらなくない。それは、そのとおりだ。望んですらいる。しかし、だから、これは、つまり、王馬自身にとっても、不覚の事態。
握りしめたこぶしが、ぎち、と、音を立てた。




はたして王馬は、きっちりと丸々一週間後に、帰ってきた。ご丁寧に、朝、出かけた時間とほとんど変わらぬ時刻、聞き慣れた声が帰宅を告げた。

「おかえり、王馬くん」

てっきり玄関までの出迎えは無いと思っていたが、最原は、糊のきいたシャツを着て、ドアを開けてくれた。顔も眠そうではないし、髪の毛も整えられている。
ふむ、と、笑顔のままで、王馬はその姿を眺める。その視線に気が付いているのか、いないのか、最原は特に王馬の様子には取り合わず、「朝ごはんは?」と問いかけた。

「食べてない。空港からすぐ来ちゃったから」
「そっか。よかった。じゃあ、一緒に食べられるね」

王馬の回答に最原がそう言うので、王馬は機嫌をよくする。冷蔵庫には何が残っているだろう? 荷物を置いて、すぐさま台所へと向かおうとした王馬を見て、最原がくすりと笑った。気付いた王馬が、振り返る。
その紫の目を見て、最原が、もう一度、微笑んだ。

「なんでもないよ。先に、手、洗ってくれば?」

調理するにしても手洗いは必要なので、ツッコミはひとまず引っ込めて、洗面所へと向かう。
なんだ? 水と石鹸で手を洗いながら、王馬は思案する。
違和感がある。いや、それよりももっと、冷たい何かだ。蛇口を閉め、タオルでしずくを拭いながら、台所へ戻ることを、少し、躊躇する。このまま、ノープランで挑んではいけない。そんな気がしていた。
鏡の中の己を見る。いつもの顔。しかし、口角が少し下がっているか。ぐい、と、人差し指で無理やり押し上げた。




なるほど、違和感の正体のひとつは、これか。
手を洗った王馬が洗面所から戻ると、食卓には、すでに朝食が並べられていた。
味噌汁、白米、卵焼き、小松菜のお浸し、塩鮭、お漬物。王馬も作ったことのある、和食のラインナップ。ぴり、と、こめかみが引きつった。一瞬の遅れで気取られてしまう、それは王馬のプライドが許さない。コンマ数秒で、王馬は頭を切り替える。

「うわー! なにこれ! 最原ちゃんが作ったの? すごいじゃん! 血の味がしそう!」
「失礼だな……

指は切ってないよ、と、最原が律儀に突っ込む。その返答に、王馬は内心でほっとしたのだが、もちろん、見た目には出さない。じょーだんじょーだん!言いながら、席に着く。コップには、温かい緑茶が入っていた。
いただきます、二人であいさつをして、箸を手に取る。最原が、王馬の反応を見ている、それを認識しながら、口に運んだ。

……おいしい」

王馬がつぶやくと、最原が破顔した。よかった、と言うと、最原も朝食に手を付け始める。
王馬は、素直に驚いていた。最原もとっくに気が付いていたと思うが、彼を台所に立たせないようになってから、もう、数か月が過ぎていた。まずくはないが、けして深い味はせず、そのくせ手つきが危なっかしくて、王馬はすぐさま彼の料理を禁じることを決意した。栄養バランスと味と、本業顔負けのクオリティで手厚く奉仕すれば、必ず楽な方に転がるであろう、という自信があった。そして実際、そうなっていた。

そうなっていた、はずだ。

帰ってきてからの違和感を、王馬はまた、探し始める。これはおそらく、始まりだ。探偵からの挑戦状に違いない。王馬の勘が告げる。
無言でもぐもぐと食事をする王馬を、最原が見ている。視線がぶつかると、目の前の男は、美しく笑った。




ひとつ、ひとつ、ていねいに、はがされていく感覚がする。
それなりの時間をかけて積み重ねてきたものを、ひっくり返されてしまう。
その緊張感を、王馬は、嫌いではない。嫌いではないのだが、今回ばかりは、毛色が違う。




朝食を準備していた最原は、夜、王馬より先に仕事から帰ってきていた。厳密に言えば、王馬が「下調べしていた」時刻より、早くに帰ってきていた。そして、夕食も準備されていた。当然のように、お風呂掃除も済まされていて、「お風呂にする? ごはんにする?」などと聞いてきたものだから、乱暴に口で口をふさいでやった。上げられた声音は、不満を訴えていたが、嬉しそうでもあった。
お望みどおりに抱きつぶしてやっても良かったのだが、ぐっと押し留め、風呂に入った。時間が合うときは、なんとなくいつも一緒に入っていたので、今日もそうした。少し調子の外れた鼻歌をうたう最原は、ご機嫌であった。

髪の毛のシャンプーを洗い流しながら、王馬は考える。否、考えるまでもないことだ。朝食だけであれば偶然で片付けられもしたが、夜にまでこうなっていては、もう、決定打だ。だから問題は、なぜなのか、ではなく、どうするか、と置くべきだ。ぎゅ、と片手で髪の毛を絞る。
反撃は、早ければ早いほどいい。そのまま主導権を握られるわけには、いかない。いかない、のだが、第一手を決めかねる。不必要に情報を与えないことが最善であると、よく、理解している。不本意だが、それを理解する最原だからこそ、こうして一緒にいるわけで。

かぶりを振った。水滴が舞う。
らしくなく、思考が散在している。付き合う直前のことを思い出す。レースは、嫌いではない。ハードモードのゲームも、望むところだ。
逆手に取られている、と、感じるのは、自分にもうしろめたさがあった、ということか。そんなはずはない。そんなはずはなかった。

先に湯船につかっていた最原の後ろに、体を滑り込ませる。肩冷えてるよ、最原がお湯をすくって、体にかけてくれる。
しっとりと温かい彼の肩に唇を当て、抱きすくめることで、ひとまず、その場は置いておいた。

夕食も、しっかりとおいしかった。おそらく、調理中に味見をすることを覚えたに違いない。あと、計量器も使うようになったのだと思う。野菜を炒めたあと、一度皿に上げて、水分が出すぎないようにもするようになったはずだ。
しかし、最原が、そのように料理をするとは、どう考えてもおかしい。何も言ってこないのも、はっきり言って、不気味である。王馬が焦れるのを、待っているのか。我慢強くあるはずの王馬は、歯噛みする。均衡を、崩すべきか、否か。試されている気がする。王馬は常に試す側であるはずなのに、これは、頂けない。




ひとつの埃も落ちていないフローリングに、王馬は、スリッパを脱ぎ捨てた。
きちんと洗濯されていた寝間着で、ベッドに乗る。横にはすでに、うつ伏せで本を読んでいる最原が転がっている。王馬がベッドに乗ったせいで、ふわふわのマットレスが揺れたが、特に読書に差支えは無いようだ。気にせず、ページをめくる音がする。

薄暗いベッドでは目が悪くなりそう、と、王馬は何度も思っていたが、特にそれを指摘することは無い。なぜならば、最原の視力が下がることは、王馬にとってはどうでもいい――どころか、好都合ですらあるからだ。だから、指摘しない。同じようなことは、ほかにも、いくつもある。それを最原が認識しているかどうかは、わからない。

横にいる王馬のことなど、まるで気にも留めず、探偵は本を読み続けている。当然ながら、一週間前とは異なるタイトル。この世が本であふれていてよかったね、と、どうでもいいことを考える。
口に手を当てて、逡巡する。
いつからそんなに、弱くなったのか。あるいは、はじめから、か。

隣にある頭を見下ろしながら、一房、髪を手のひらに乗せる。癖のない黒髪が、さら、と王馬の指をすべっていった。
以前であれば、王馬が手を伸ばした時点で、最原に警戒されていたはずだ。それが今や、髪の毛をすくったとしても、ろくな反応をしないまで来ている。とはいえ、物思いに耽っているときなどは、呼んでも引っ張っても何をしても、まったく反応を示さないことはあったが……
手持ち無沙汰に最原の髪をいじりながら、とりとめのないことを考える。違う。こんなことを考えている場合では、ないのに。無意識に避けている。そのことへ考えを及ばせることを。恐れている、きっと、これは恐怖だ。王馬は、己の中に広がる感情を、つとめて冷静に分析しようとする。

差し伸べた手を、はたき落とされることなど、初めてではない。なんなら、そちらの方が多いくらいだ。だから、そのことは、問題ではない。
問題なんて、無いはずだ。

明日も、彼は、朝食を作るのだろうか。
王馬より早く起きて、まるで真っ当な社会人のように身綺麗にして、王馬の手を離し、柔らかな声で出発を告げるのだろうか。
それは、なんという地獄なのだろう。

言葉を、考える。
何をどう、切り出せばいいのか。パターンをシミュレートする。こう言えば、ああ返すだろう。ああ言えば、こう返ってくるかもしれない。あれに言及すれば、簡単には反論できない。ああだこうだ。しかし、自分が最も恐れている結果を、100%回避する手段が、思いつかない。少しハンドルを傾ければ、あっというまに転げ落ちる気がした。

一枚、一枚、そうっと、その重みにすら気が付かないように、慎重に包み込んでいったのに。一枚、一枚、痛みなど少しも感じさせないよう、その羽を、もいでいったのに。
どうして、王馬の腕の中から、すり抜けようとするのか。
いっそ、閉じ込めてしまえば、簡単なことだろう。だけれども、王馬の矜持が、それをさせない。強制された忠誠に、何の意味があるだろう。服従は、自らが望み、喜んで差し出されるものでなくてはならない。涙を流し、どうぞ貰ってくださいと、懇願されて、初めて価値があるものと言える。他の何を差し置いても、あなたに仕えることこそが至高の望みであると、心の底から信じていなければならない。

手のひらに乗せた髪の毛を、すう、と、梳く。指に絡むことは無い。

あなたは、簡単に、それを手放してしまえるのか。
ならば早く、その斧を、首に振り下ろしてくれないか。

前提の説明なくゲームを始めるのは、王馬小吉の攻略に適っている。それほどに理解が進んでいることが、喜ばしくもあるし、腹立たしくもある。
制限時間も、わからない。何点先取かも、わからない。何試合あるのかもわからないし、何が反則かもわからない。情報を揃えるためには、ヒントも足りない。

ただ、あるのは、純然たる事実。
最原が、王馬がいなくとも、王馬がいるときと同じ程度の生活水準を、手に入れられるということ。
そしてそれを、王馬に、真正面から突きつけてきていること、だ。

ぐ、と指に力を入れた。髪の毛が引かれ、最原が視線を上げる。痛みは無いが、いぶかしげに振り返った。その口に噛み付く。探偵は目を見開いたが、黙って受け入れた。それどころか、最原から舌を入れてくる。その挑戦に応じる。粘膜が溶け合って、水音を立てた。キスをするのも、一週間ぶりだ。王馬は、最原からはわからない程度に、片目を細めた。
浮気なんてしないよ、という言葉の通り、浮気などしていないことは、知っている。高校の旧友とは、あいかわらず何人かと会っていたが、到底、そういうたぐいのものではない。
ぐ、と、顎をさらに近づけて、口内の奥まで舌で犯す。最原の甘い吐息が漏れた。歯の裏を刺激してやると、彼の肩が跳ねる。読んでいた本は、最原の手から離れ、閉じられてしまっていた。本を折らないように、王馬が、少し二人の体から遠い場所へと移動させる。その手を戻すついでに、最原の後頭部に置いて、さらに口づけを深くした。
息継ぎがへたな最原は、すぐにあえぐ。うるんできた瞳に、王馬の背中を凶暴な慄きが走る。

顔の角度を変えて、最原が息をつけるようにしてやる。その隙を見計らって、最原が、口を開いた。

「なにか、言いたいことが、あるんじゃないの?」

ここで、その切っ先を差し出すのか。
弧を描いた己の口角が、ゆるく下がっていくのを、感じる。下がり切るまえに、なんとか、持ち直す。

……オレからは、ないよ」
「ふーん……そう」

絞り出した返答が、あまりにもつまらなくて、自己嫌悪に陥る。
最原の目は、王馬を真っ直ぐに捉えている。高校の時から、変わらない。人を射抜く目だ。その視線が欲しくて、あらゆる手管を弄した。それは今でも、か。

「じゃあ、僕から言おうかな」

頭の後ろから足のつま先まで、ざっ、と、血が引いた。
これは、死刑宣告、か。

「僕のこと、本当に信用してくれてないよね」
……
「試したがるのは、今に始まったことじゃないけど」

まずい。口角が、完全に下りてしまった。下げることの方が難しいそれを、もういちど上げるちからが、無い。
それを、脱がないでくれ。着せた枷を、肩を押さえて、必死になって繋ぎ止める。最原の首の後ろにかかった王馬の指が、ふるえた。

…………

言葉に詰まる。何も出ない。平時であれば、何の努力も必要とせず、湯水のように出てくるそれらが、今は、どこを探しても出てこない。
だって、何を、言えばいい。何をすれば、引き止められるのだろう。これは、王馬の策略が暴かれた時点で、ゲームオーバーになる代物だ。こうして探偵の追求を受けている時点で、負けが確定している。だから、それをいつ突きつけられるのかと、戦々恐々としていたのだし。

すがるように、王馬の指が、最原の髪の毛に触れる。後頭部に差し入れられたそれを、払い除けることもせず、最原は王馬を見つめる。その目を、王馬は、見返すことができない。
逆の手が、ぎゅうとこぶしを握って、白くなる。爪が、手のひらに食い込んだ。今日、何度したかわからない、それ。もはや、動揺を隠すなんてことは、できそうにもなかった。だってこれは、クライマックスだ。断罪のシーンである。表面だけを取り繕ったところで、大逆転劇を望むなんていう、ご都合主義には届かない。

「まったく、とんでもない献身だと、本当に思うよ。キミは、とても優秀な執事になれると思う。
 ……でも、僕は、執事を雇っているつもりは無い」

王馬の喉元を、重く、冷たいものが、すり抜けていく。喉が、乾いた。
はく、と、動いた唇は、音を紡がなかった。でも、何か、ここで何か言わなければ、本当に、終わってしまうのではないか。でも、ここで何かを言ったとしても、もう、だめなのかもしれない。
簡単に諦めるのは、しょうに、合わない。最原に触れることを許されている手のひらを頼りに、重い口を開く。

「最原ちゃんって、潔癖症? ふつう、そんなの、放っておくでしょ」
「どうかな……べつに、高尚ぶるつもりはないけど」
「みんなもっと、うまくやるもんだよ」




ふ、と、最原が笑う。絵画のように、美しい笑みだった。




……”ふつう”? ”みんな”? 王馬くんにしては、つまらないことを言うんだね」




王馬のこめかみに、青筋が浮かび上がる。一瞬で消えた表情を、もちろん、探偵は見逃さない。王馬は、すぐさま笑顔を取り繕うことも出来たが、今さら意味がないと悟り、それをやめた。
たしかにそうだ。それはそうだ。最初に凡庸な型にはめ込んだのは、まぎれもなく王馬自身。笑えないのは、図星だからだ。だから、今こそ、笑わなければならない。偽物の笑顔ではなく、本物の、そう、笑顔とは、噛みつく前の顔のことだ。

「それで、探偵サンは満足なわけ? いたいけで献身的な純真無垢のオレをいたぶって、楽しい?」
……

首を切るならさっさとしろ、と、王馬が吐き捨てる。ぱちくり、と、最原がアーモンド形の瞳をまばたかせた。

「なんで僕が王馬くんをいじめてることになってるの?」
「いや、なるだろ! いま! まさに! 現在進行形で!」

ぺろ、と、最原が舌を出した。確信犯だ。

「仕返しだよ。僕だってつらかったんだから」

つらかった?と、眉をひそめる王馬に、最原がこくりと頷く。
すっごいつらかった、と、最原は同じ言葉を重ねた。文脈から外れるその言葉に、どういうことだと、王馬の目が問う。

……一週間、長かった」

王馬の企みはしっかり成功していたのだと、最原が教える。王馬の髪の毛が揺れた。




そう、純粋に、一週間は長かった。おいしいコーヒーが家で飲めないことよりも、フローリングの床がざらつくことよりも、食事が味気ないことよりも、何よりも、そのぬくもりが隣に存在しないことが、一番にしんどかったのだ。
一般的には、けして長くはない期間であるが、最原にとっては、とても長い時間だった。だから、非常に腹が立った。存在だけでじゅうぶんなのに、それ以上の依存を加速させてこようとする疑り深い恋人に、いっちょお灸をすえてやろう、と、考えたわけだ。

王馬に堕落させられていた最原が、ひとりではまともに家事が出来ないと踏み、いっそう、自身への依存を強くすると予測していた。
最原も、元来は、どちらかといえば、それでよしとする側の人間だ。だから、王馬がいなくなるまでは、納得のいかない思いを抱えながらも、そのままにしていた。それで王馬がしあわせそうに見えたから、そしてそれが本当のしあわせなのであれば、それでも、よかったのかもしれない。

人を依存させるために必要なのは、快の繰り返しより、苦痛の緩和であるという。王馬はそれを、生活の快適さと定義したようだが、実際のところ、それよりも重要な存在があった。
王馬の画策を知り、彼が依存の軸をそこに置いていると知り、まるで最原の好意を信じていないように思えて、大変に腹が立ったのである。
しかし、王馬が軸を家事に置いていたのであれば、そこを覆せばいいと考え、実行に至った。効果は、ごらんのとおりである。

「捨てられると思った?」

最原が、首をかしげて王馬を見る。ぎし、と、王馬の笑みが歪んだ。
なら成功だな、と、最原がほとんど独り言のようにつぶやく。そこで初めて、王馬は指から力を抜いた。手のひらに、白く爪痕が残っている。

捨てられると、思った。
何の助力も要らないと、宣言されたようなものなのだから、それは、貴様はもう不要であると、突き付けられたようなものだった。だからずっと、心臓が早鐘を打っていた。最原が己より先に家事をこなすたびに、死刑台の階段を一歩、のぼらされている心地がした。その縄が、いつ自身の首にかかるのか、そのことばかりが気になっていた。付け入るところの無い現実を、どう受け止めればいいのかわからずに、得意の弁舌すら振るえなかった。

ちがうの、と、こぼれ出た声は、己が思うよりもずっと、情けなかった。腹立たしいが、それが罰だというのであれば、王馬は、甘んじてそれを受け入れなければならないのだろう。
答えの代わりに、最原が体を寄せてくる。唇が重なり、王馬は間近で彼の顔を見る。また、美しく笑う彼が、そこにいた。




「裏にいたのは東条ちゃんかぁ……それは……なるほどね……

ネタバラシをされれば、これ以上ないほどの納得感。produced by 東条。
最原ひとりで、たかだか一週間で、これほどの成長を遂げられるわけはなかったのだ。彼は、本物に師事し、一週間みっちり、修行していた。たしかに、報告では、東条とも会っている様子が記されていた。その中身が、メイド修行だったとは、書かれていなかったが。

「疲れたから、もうあんまりやりたくないけどね」
「一週間でも、よくできたと思うよ……

この件に関して、率直な感想しか出てこない王馬は、はあ、と、ため息をついた。

だって、王馬が家事を軸にしようと考えたのは、少なからず、この探偵のズボラさにある。放っておけば携帯食料ばかりを食べているし、好きであるはずのコーヒーだって、粉の量すらテキトーに入れる。少しくらいゴミが溜まっていても気にしないし、お風呂にお湯をためなくても何も感じない。そういう最原であったからこそ、一度楽になった生活を手放せないだろう、と考えていた。
期限を切ったことがキミの敗因だったかもね、と、悪びれもせずに最原が言う。

もう寝ようかとも思っていたが、なんだかんだで、二人とも目が冴えてしまっていた。喉がカラカラだったので、何か飲み物でも取りに行くか、と、王馬がベッドから足を下ろす。あ、と、最原が声を出した。

「なに?」
……コーヒー、入れてほしいな、って」

寝る前にカフェインを取るのは、あまり、良くないのではないか。王馬の言わんとすることを読み取った最原が、それでも、と、恥ずかしそうに枕へ口元をうずめた。

「コーヒーだけは……キミのじゃないと、もう飲めない」

ぼそぼそ、最原からささやかれた言葉に、くらくらする。
仰せのままに、答えると、王馬は台所へと姿を消した。