千代里
2025-01-27 13:35:25
10610文字
Public リーブラ14話
 

リーブラの針は問う・14話・その36


「オデット、大丈夫だろうか」
「ノエ。その発言は先ほども言っていたぞ」
「俺も同じことを何遍も言ってるが、ヤルマルがついているんだ。そうそう滅多なことにはならないだろうし、具合が悪くなれば俺たちに連絡してくるだろ」
 オランローやルーシャンとのこのやり取りも、彼の言う通りすでに数えて五度目となっている。密かに回数を数えていたオランローは、ノエの変わらない様子に嘆息する。もっとも、それは呆れからというより、いつも通りのやりとりに対する相槌のようなものであった。
「ヤルマルなら滅多なことはないだろうが、あいつの作る薬は舌に何時間も味が残る。おかげで、暫く食べ物がまずくて大変だった」
「それは、ヴィエラ族に伝わる薬?」
「そういうことらしい。最近も一度飲んだが、味は変わらなかったな」
 興味ありげなサルヒに、安易に口にするなという意味も込めて警告する。あれは、興味半分で口にしていい味ではない。薬自体の効果は確かな者だが、その後の食欲が減退してしまう。
「オデットは、ヒューイさんの苦い薬もちゃんと飲んでいたから、必要ならヤルマルさんの薬もちゃんと飲んでいるはずだよ」
「ノエ。あんたもあんたで着眼点が少しずれている」
 とはいえ、それで終わらない心配の言葉が少しでも途切れるなら、口にした甲斐はあったのだろう。薄曇りの下、決められた順回路をチョコボに走らせながら、オランローはノエの横顔を何とは無しに見つめていた。
 騎士が行っている、町周辺の定例巡回任務。それを傭兵であるノエたちに頼みたいと依頼されたのは、イレーナと別れて二日ほど経った頃のことだった。
 オランローの指摘が効いたのか、傭兵も労働力として使う覚悟を決めたピヌヌが、一同に巡回任務の一部を任せたいと早速正式な契約書と共に宿にやってきたのだ。
 ピヌヌは、見た目こそララフェル族らしい愛らしい面差しをしているが、さすが一隊を率いる女隊長というだけあって、一筋縄ではいかない人物だった。
 ピヌヌが最初に示した依頼の報酬は、相場から見ればかなり安かった。だが、ここは冒険者ギルドのような仕事斡旋の窓口もない土地だ。まとまった仕事があるだけありがたいと考えられなくもない、とピヌヌは主張した。そのときの彼女の眼光の鋭さと言ったら、まるで抜け目ない商人のようだった。
 大人しく彼女の依頼に頷こうとしかけたノエに待ったをかけたのがルーシャンだ。彼は契約書の内容を確認した上で辛抱強く報酬の交渉を重ねた。そして、宿の一部料金の負担を騎士団が肩代わりすることで、騎士団と契約成立となったのだ。
 なお、ノエやオランローでは彼女とルーシャンの話術には到底敵いそうもなく、二人は大人しく部屋の隅に座って大人の交渉術を傍聴していたのだった。
「ったく。こんなことなら、もう少しあの女隊長さんに吹っかけておけばよかったな」
 そうぼやいたのは、襟巻きに首を埋めたルーシャンだった。おりしも、一陣の冷たい風が通っていくところだった。
「あの時は交渉していただきありがとうございました。仕事を探すために一軒一軒訪問する必要もなく、毎晩報酬ももらえて助かっています。依頼の難易度もさほど高くはない方ですから」
「待ってりゃ依頼の方からやってくるっていうのは、たしかに素晴らしいことだけどよ。ただ、こう毎日寒空の下でチョコボにゆられるのも、なかなかきついものがあるぞ」
「どこかで路銀は稼ぐ必要があったんだ。ぼやいていても仕方あるまい」
「年寄りをねぎらってくれよ、オランロー」
「オレの知る年寄りは、飛んでいるヴァルチャーを三羽まとめて魔法で串刺しにするようなことはしない」
 ルーシャンの軽口に応じつつ、オランローは周囲へと視線を巡らせる。
 雑談をしてはいるが、今の彼らは巡回任務の真っ最中だ。町の防壁を入念にぐるっと周回するだけの簡単な内容であるが、魔物の接近の痕跡がないか、不審な足跡がないかなど、彼らの気にするべきところは多い。
 夜間の哨戒任務は任されていないため、暗がりの中を彷徨う必要はなかったのが、せめてもの幸いだ。夜の冷え込みは昼のそれよりも激しく、ノエとしてもできれば室内で暖炉にあたっていたかった。
「そういえば、ルーシャンさん。今日の帰りのお使いについて、頼みたいことがあるのですが」
「ああ、それなら俺とサルヒで行っておく。若人はオデットが気になって仕方ない。だろ?」
……すみませんが、お願いしていいですか」
「四人揃って首並べて行くことでもなし。いいってことさ」
 ルーシャンが言っているお使いは、宿の主人に頼まれた薬の備蓄の買い出しのことだ。
 病に臥したオデットを休ませるため、長く部屋を取ることになる迷惑料も兼ねて、二つ返事で引き受けたのである。
「ノエの話では、ヒューイという男は町で診療所と薬舗を経営している錬金術師なのだろう。朝から一体どこに行っているんだろうな」
「前に訪れた時は、夜遅くまで出掛けて帰ってきたばかりで、休んでいたという話でしたが……
 オランローの指摘通り、一介の錬金術師にしがないヒューイの家は、ノエたちが訪問した時はもぬけの殻であった。前回のように奥の家で休んでいたわけでもなく、本当に不在だったようなので出直すこととなったのである。
 本来なら、任務のために町の外に出る途中で薬を分けてもらうつもりだったのだが、彼が不在だったために、後回しにしなければならなくなったのだ。
「今日は、できればオデットの分の薬も分けてもらえたらと思っていたんです。ルーシャンさん、もしヒューイさんが在宅でしたら、それもお願いできますか」
「ああ。だが……どうだろうな。今日は俺たちの帰りも遅くなるかもしれないぞ」
 不意に、ルーシャンの声に固さが混じる。
 今まで哨戒のために警戒はしていても、程よい緊張感に留めていた声音が、不意に鋭さを混ぜる。その理由を、数秒遅れてノエも悟る。
……あれは」
 魔物ではない。賊が現れたわけでもない。ノエの目に映ったのは、かすかに雪原に残る足跡だった。
 くっきりと刻むような痕跡としてではなくて、まるで意図的に隠そうとしたかのように、雪に刻まれた足跡の上には薄く雪がのせられている。そのせいで、足跡そのものの輪郭がぼけており、遠目には発見しづらいものになっていた。
「足跡ができてから雪が積もった……という可能性もありそうですが、どうでしょうか」
「周りの雪の積もり方と少し差がある。ノエの言う通り、あれは意図的に隠そうとした痕跡」
 ノエの質問に応じるサルヒ。背が低い彼女はチョコボも小さく、おかげでノエよりも地面に近い目線で足跡を観察できているようだ。
「猟師の類の可能性もあるだろうが、さてな」
 足跡を目で追うと、それは斜面から続く林へと向かっていた。
 ノエたちは無言で視線を合わせ、それぞれ首肯を返す。この度、任された依頼は外壁周辺の哨戒任務だ。不審な足跡を発見したのなら、その追跡も任務の中に含まれている。
 チョコボを林に入る手前の木に待機させ、一行は徒歩で足跡を追いかけ始めた。木々の多い林では、チョコボに乗っていては足跡を見失ってしまうかもしれないからだ。
「足跡は一人分だけですね」
「だったら、近辺の畑の様子を見に行った農夫、という線は薄そう」
「はい、サルヒさんの言う通りだと思います。その場合なら、もう二、三人分の足跡があるはずですから」
 そもそも、林の中に農地があるとは思えない。畑があるとしたら、もう少し開けた区画だろう。
 足跡に迷いはなく、真っ直ぐにある場所を目指して進んでいるのが分かる。ならば、この不審な足跡の主は誰で、どこに向かおうとしているのか。
……まさか、異端者だろうか)
 まさか、と心の中で呟く一方で、ありそうな話だと思う自分がいる。
 ノエの脳裏には、数日前に自分たちが相対した、異端者の男たちが浮かび上がっていた。実際に剣を交えたのは、彼らと共に姿を見せた魔物だが、あれらは竜に操られていたようだった。
……異端者、かもな」
 後ろから聞こえるルーシャンの呟き。彼も、ノエと同じ結論に至っているようだ。まるで、それを見越していたかのように、大気を震わせる振動がノエの耳を打つ。
――――!」
 刹那、ノエは一度足を止めた。
 微かな空気の振動。しかし、それはノエにとっても聞き覚えのあるものだ。
……竜の咆哮?」
「だな。先日のランドンの声と似ていた」
 サルヒとオランローの短い応酬。そのやりとりに、既に答えはあった。
「先だっての魔物も、異端者も、全て竜に繋がっているものだろ。だというのに、俺たちが実際に出会したのは、ノエとイレーナが倒した飛竜たちだけだ。ってことは」
「なら、今の咆哮の主が諸悪の根源……とまではいかずとも、異端者と深い繋がりを持っている個体か?」
「本当にそうかは分からないがな、オランロー。だが、異端者曰く、ゲルダの母竜はあちらさんに与しているらしい」
「ランドンみたいに、異端者たちに騙されているだけならよいのですが。……ゲルダさんがあそこまで慕っているものを、ただ竜だからというだけで一方的に排するのは、僕は避けたいです」
 ノエの言葉に対して、ルーシャンの返事はなかった。その沈黙こそが「そいつは難しいだろうな」と言っているも同義だった。
 実際、もしゲルダの母竜が先の咆哮の主だったとして。彼女が異端者たちに何らかの理由で協力していたとして。
 ゲルダが彼女と再会したところで、人々は母竜の存在を許すだろうか。恐らくは、これまで何度か魔物をけしかけ、人々に傷を負わせ、あるいは命を奪った元凶を許してくれるとは思えない。
(ゲルダさんが前に話していたみたいに、ゲルダさんもその母親も一緒に弾圧されるような結果にならないよう、彼女たちをどうにか安全な所で引き合わせたいんだけれど)
 ともあれ、今はまだ母娘の再会の時ではないようだ。咆哮が二度聞こえることはなく、ノエは再び追跡を開始する。
 いくつかの坂道を登り、時に木々の隙間を縫うように進んだ、その先。
「ここが、目的地……?」
 ノエの後ろに続いたサルヒが、思わずといった様子でその場所を覗き込んだ。
 そこにあったは、どこにでもありそうなありふれた丘の一角――斜面を形成する岩盤をくり抜くように作られた洞穴だった。
 自然が作り上げた穴の奥には、誰かが使用としたと思しき焚き火の跡がある。落ち葉や砂礫が退かされている様子からも、誰かがここで寝泊まりしたのだろうことは明白だ。
 洞穴はすぐに行き止まりにぶつかるような小さなものであり、野営の痕跡以外には目立ったものは何も見当たらない。もし足跡が続いていなかったら、旅人の野営跡として気にすることもなかっただろう。
「誰かが宿泊した跡か?」
「そうかもしれない。だけど……ここには、それしかない。それに、もう立ち去った後のよう」
 サルヒは焚き火に近づき、燃え残った木々の様子をじっと眺める。燃え滓からはとうの昔に熱は去ったようで、黒ずんで炭化した木々が煤けた表面を晒しているばかりだ。
「ですが、その割には足跡が新しくはありませんでしたか。あの足跡がついてから、焚き火をしてどこかに去ったのだとしたら、焚き火はもう少し熱を持っているものだと思います」
 無論、クルザスの気候によって焚き火に残る熱があっという間にさらわれたとも考えられる。念のため、洞窟から顔を出したノエは周囲を見渡し、
……洞窟の中から外に向かう足跡があります。ここで野営をして、次の目的地に向かったのでしょうか」
「だったら、そっちを追うか?」
「オランロー、それにノエも。ちょっと待って」
 新たな追跡を始めようとした若者二人を片手で押し留め、サルヒ一人が足跡を追っていく。彼女の特徴的な鉄紺色の髪が、指先ほどに小さく見えるようになった頃、彼女の動きが止まった。
「何かあったのでしょうか」
「ああ。……多分、サルヒは気が付いたんだろ」
 答えたのは、これまで洞窟の中であちらこちらを見渡していたルーシャンだった。彼は、突き当たりにある岩壁に手を置き、まるで何かを探るようにゆっくりと指先で岩を撫でている。
「気が付いた、というのは?」
「ノエ。あの足跡は、止め足をしていた」
 答えてくれたのは、戻ってきたサルヒだった。
「止め足といいますと、たまに獣がやっている、あれですか」
 瞳を瞬かせるノエに、サルヒは「そう。足跡を誤魔化す方法」と説明を付け足す。
「途中まで足跡をつけた後、一度自分がつけた足跡を辿るようにして戻り、茂みのような足跡が見えにくい場所に逃げ込む方法だな。このやり方で、獣が猟師や捕食者を誤魔化しているのを何度か見た」
「時間が経って、雪が積もって足跡がうっすらと掻き消えてた……と見せかけるために、途中で足跡を消していた。でも、多分足跡の主はここに戻ってきている」
 通常の旅人や町人ではあり得ない足跡の消し方に、焚き火の始末する時間とずれた足跡の痕跡。
 怪しいと思えるが、この洞穴の一角にこれでもかと集合している。これで、何もないと言われる方がむしろ不自然だ。
「しかし、それらしい不審な物は見当たらないぞ。何か暗号でも残しているのか、それとも……
――ああ、あったあった。多分こいつだな」
 オランローが何気なしに手をついた、洞窟の岩壁。ちょうどその隣で、ルーシャンは今まで壁を撫でていた手をぴたりと止める。
「ルーシャンさん。何かあったのですか?」
「ああ。この突き当たり、ただの行き止まりに見えるが、どうやら違うようだ。この突き当たり一帯に、何か目眩しのような魔法をかけている。魔力の痕跡が残っているから、間違いないだろう」
 ルーシャンに言われて、ノエは彼が手を当てている近くの岩壁に近寄る。
 薄暗い岩の壁は、自然にできた洞穴の一部に見える。だが、手で触れたその瞬間、言葉にできないわずかな引っかかりを覚えた。
 指から伝わる質感は、岩の壁そのものだ。なのに、まるで毛先を引っ張られているような、ささやかな違和感が指先から伝わってくるのだ。
 それに、ノエは壁に触れているはずなのに、わずかな空気のゆらめきを指先から感じ取っていた。壁をすり抜けて流れ込んできたのとも違う、その先に空間があると分かる流れだ。
……確かに、不自然な部分がありますね。この行き止まりに見せかけた何かを解呪する方法は、ないでしょうか」
「そいつなら、この魔道士様にお任せあれってな」
 岩壁に手をつけ、ルーシャンは目を伏せる。ふぅ、とひとつ呼吸を置いて、
――その身を覆いしまやかしの衣よ。解け、剥がれ、暴かれよ。ディスペル」
 意識を集中させるための詠唱と共に、淡い光が走る。
 瞬間、そこにあったはずの岩壁が光と共に消え失せ、先へと続く空洞を露わにした。空間を通り抜ける風が、ノエの髪を揺らしていく。
「先ほどの壁がまやかしだったなら、魔法を解かずとも通り抜けることができたんじゃないか」
 自分の髪をなぶる風に、後ろに流れた赤毛を抑えつつオランローが問う。それは、ノエも疑問に思っていたことだったが、
「風が通り抜ける感覚、岩に触れたときの細かい質感。それら全てを全く知覚できていなかったって線は薄そうだから、行き止まりの壁自体も魔法で作っていたんだろうな。さしずめ、半透明の壁ってとことか?」
 先ほどのまやかしの説明をしつつ、ルーシャンは一歩奥へと足を踏み入れる。
「気流が極力こちらに向かって流れてこないよう、周囲の岩壁に魔紋でも刻んでいそうだな。ほら、あれだ」
 話しつつ、ルーシャンはランタンを掲げて暗い洞穴の内部を照らし上げる。彼の言う通り、そこにはノエでは解読できない魔法陣が刻まれていた。
「旦那様が解呪魔法を使ったなら、術者に気付かれるのではありませんか」
「いんや、その心配はなさそうだ。その手の警告を伝えるような魔紋が見当たらない。あっちは風属性の気流を操るもの。こっちは、光の屈折の調整か。解呪した瞬間、使い魔が動いた気配もなかったからな」
 なんて事のないように言ってのけるルーシャンに、ノエは改めて彼の知識の深さに脱帽する。
 ノエも魔法はいくつか習得しているが、それはあくまで体感として使用できる範疇であり、知識として身につけているわけではない。魔紋を見て、どの魔紋がどんな効果があるかを瞬時に言い当てるなど、今のノエには到底不可能な所業だ。
「それで、ノエ。あんたはこの後どうする。どこまで続いているか、先が見えないが、この先を調べてみるか」
「僕らの任務には、不審なものを調べることも含まれている。不審の塊のようなものを見て、調べないという選択肢はない……ってことでいいかな」
「そうなるだろうな。調べなかったら、あの隊長に叱られそうだ」
 オランローはピヌヌが目を釣り上げる様を想像し、ふっと口元を緩める。
「では、僕が戦闘を行きます。サルヒさんはしんがりを。オランローとルーシャンさんは中央で付近の警戒をお願いします」
「了解。なるべく早く、出口なり、怪しげな場所なりが見つかりゃいいんだが」
 ルーシャンの言う通り、洞穴の探索は時間感覚が狂いやすい。
 体調を崩しているオデットのこともある。夜をここで過ごすなどということにならないようにと己を戒め、ノエはランタンを掲げて前へと進んだ。
 
 *
 
 幸い、洞穴はほぼ真っ直ぐの一本道であり、迷うような要素は何もなかった。
 魔物が出没する気配もなく、見かけた生き物はせいぜいが蝙蝠や蜥蜴といったところか。脅威もないし、道が分かれることもない。
 おかげで探索は順調に進み、体感として三十分もしないうちにノエは洞穴の出口と思しき光を見つけ出せた。
「出口が見えました。風は、あそこから通ってきているみたいですよ」
「それに、単なる出口ってわけでもなさそうだな。ほら、あの辺りを見てみろ」
 ルーシャンが示す通り、出口付近には明らかに人工的に設置されたと思しきカンテラがあった。岩壁に押し込んだ杭にぶらさげたカンテラは、この洞窟を行く者の目印の役割も果たしているといったところか。
「ということは、この道を人間が利用しているということだな。しかも、おそらくは一人二人というわけではなさそうだ」
 言いつつ、出口近くの明かりにより、見えやすくなった地面を見下ろすオランロー。
 足元の砂礫には、先だってと同じように足跡が残っていたが、それは一つや二つではない。小柄な足跡が多いように見受けられるが、複数の人間がこの先にいるのは間違いない。
「では、外に出ますね」
 後ろに控える面々に確認をとり、ノエは光の向こうへと足を踏み出す。洞窟の中からも見えていた雪原に踏み入れ、数歩進んだ先でノエは目を眇めた。
……あれは、集落?」
 洞穴の出口は一段高い丘へと続いていたようだ。やや高所となっているそこは見晴らしがよく、周辺の地形がよく分かる。
 まばらに生えた木々。その先には、建物と思しき影が点々と見える。
 洞穴からの距離はさほど遠くない。煙突がある家からは、ゆるりと煙が立ち昇っていることすら視認できる。煙突の煙があるということは、そこで人が暮らしている証拠でもある。
「村があるみたいだな」
「隠された洞穴の向こうにあったのは、謎の集落……ねえ」
「ただの農村だと思う?」
 意味ありげに呟くルーシャン。続けてサルヒからの質問に、ノエは眉を寄せてゆっくりと首を横に振る。単なる農村の通り道ならば、あそこまで巧妙に洞穴を隠す必要はないはずだ。
「何か理由があって、通路を隠していたのは間違いないと思う。なるべく人々を刺激しない形で、聞き込みができたらいいのだけれど」
「洞穴の仕掛けを解いてここまでやってきた時点で怪しまれるのは避けられないだろうけれどな。とりあえず、もう少し近づいてみよう。ここに突っ立ってても仕方ないだろ」
 ルーシャンに促されて、ノエたちは更に農村へと近付く。
 接近するにつれて、ノエは村にある建物のうち、半分ほどは修繕されているが、半分ほどは壊れた建物が混ざっていることに気がついた。修繕された建物も、石組みを組み直すではなく、廃材を寄せ集めて穴を塞ぐといった応急処置だけがされているだけだ。
「魔物や竜の襲撃を受けて崩壊した農村に、誰かが勝手に住み着いたといったところか」
 オランローの言う通りだろうと、ノエも頷く。
 話しているうちに、村の入り口である門と思しき木組みが建てられた場所に辿りついたものの、ノエたちを待っていたのは無人の村だけだった。
……歓迎の気配はなさそうだな」
「そもそも人がいるんだろうか。道を歩いている人が、一人もいない」
「だけど、煙突からは煙が上がってる。だから、誰かはいるはず……多分」
 ノエたちの接近に気がついて、家へと引っ込んでしまったのだろうか。通り道として使われていたらしい踏み固められた道には、人の影すらさしていない。がらんとした村は、まさに廃村のような顔でノエたちを迎えていた。
 人が極端に少ない村か、あるいは煙は旅人の宿泊の跡で実際は無人の廃村だったのか。ノエがそう思いかけた矢先、
……小さいが、足音がした。建物の中から、こちらを見ている」
 ノエの耳元に顔を寄せ、オランローが低い声で呟く。小さく息を呑んだ刹那、
「顔に出すな。ゆっくりと視線だけを右の建物に向けろ。白い雨戸の影だ」
 寂れてしまい、白というより灰色に褪せた雨戸の影。視線だけをそちらに動かすと、確かに人の気配がある。
「で、どうするよ若人。もう少し調べてみるか」
「住民たちを刺激するのは、僕としては本意ではないのですが……気に掛かってしまいますね」
「異端者の隠れ家の可能性もあるからな」
 ノエが思考の端に巡らせた仮定を、ルーシャンも口にする。
 もし異端者がここに隠れ住んでいるのなら、依頼を託したピヌヌに報告する必要がある。
 とはいえ、ここの住人が異端者たちとは限らない。一方的に決めつけてしまっては、言いがかりのような異端審問を行う教会の者たちと変わらなくなってしまう。
 中に入り、家々の扉を叩いてみるか。それとも、このまま踵を返して騎士団に調査を任せるか。
 その二択でノエが揺れ動いた時だった。
 ガチャ、とドアノブが開く音。蝶番の軋みと、空気の揺れる気配。
 それと共に姿を見せたのは。
「お、お前たち! 急にでてきやがって、一体どこの誰だっ!」
 威勢のいい言葉に驚くも、飛び出てきたのはノエたちよりもずっと小さな影――エレゼン族の少年だった。
 まだ声変わりする前の特徴的な高い声のせいか、それともかすかな震えのせいか。言葉とは裏腹に、ノエはつい微笑ましさのようなものを感じていた。片手には棒のようなものを握っているが、どう見てもそれは玩具の木剣だ。
 少年の後ろには、彼よりも幼い少女がおずおずと姿を見せている。こちらを見つめる視線は、怯えの一色に染まっていた。よく見れば、少年の顔にもかすかに恐怖のそれが見て取れる。
「えっと……僕たちは君に危害を加えるつもりで来たわけではありません。ただ、少し話を聞かせてほしくて」
「ふん、お前の言うことなんか聞くもんか。母ちゃんには指一本触れさせないからな!」
 外に飛び出てきた少年は、勢いよく一同に木剣を突きつけようとした――らしい。
 だが、少年の手には隠し用のない震えが走っており、威勢よく振り下ろした弾みで木剣が指から滑り落ち、雪の中にぼすっと墜落する。
 あっ、と声をあげる少年。それを横目に、ノエは視線で「どうしますか」と一同に問う。
 かえってきたのは、無言の瞑目と横に振られた首だけだった。続けて向けられた視線の意味を察して、ノエは苦笑する。
(確かに、この中で彼から話を聞きだすなら、僕が適任か)
 オランローやサルヒは、イシュガルドでは見慣れないアウラ族独特の鱗や角のせちで警戒させてしまうし、ルーシャンは少年から歳が離れすぎているので異なる理由で不安を煽る可能性が高い。そうなると、人当たりのいいノエが最も聞き込み役に適している、というわけだ。
「えっと……すみません。少しいいでしょうか」
「な、なんだよ。やるってのか!」
「喧嘩をするつもりはありません。僕たちは、ここに住んでいる人たちから話を聞きたいのです。どなたか、大人の方を紹介してもらえませんか」
「ふん。よそ者とはなるべく話をするなってせんせーは言ってたから、俺は何も話さないぞ。他のやつだって、お前らに話すことなんざないって言うはずだ」
「先生という方がいるんですね」
 語るに落ちたと、少年も理解したのだろう。顔を真っ赤にして、精一杯の怖い顔を作ってノエを睨んでいる。怯まずに、ノエは膝を折ったまま話を続ける。
「その先生さんに、僕たちを会わせてもらえませんか」
……
 少年は口を結んだままだったが、ノエの質問を聞いた瞬間、わずかに視線が泳いだ。それは、少年が出てきた家に向けられている。無意識に向けられた視線の意味を読み違えてなければ、そこに話題の人である先生がいるのだろう。
「無理を言ってすみません。君が先生を知っているのなら、その人を呼んできてもらうことはできますか」
「そ、そんなこと、するわけねえだろ! どこの誰とも知らねえやつに――
「それには及びませんよ、ノエさん」
 会話の中途に、差し込まれた、まるで川を流れる清水のような落ち着いた声。顔を上げたノエは、目を大きく見開く。開かれた扉から出てきた、白いローブを着た人物。その人は、
「ヒューイさん、あなたが一体どうしてここに……?!」
 シュガーグレイヴの錬金術師でありゲルダの元主治医でもある男。眼鏡をかけ、柔和な笑みを浮かべた青年が、ノエたちを見つめていた。
 
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