人の噂も七十五日という諺がある一方で、現代社会においてのサイクルは相当に短くなっている。きっと直接関係のない人間であれば、一週間もすれば話題に触れない限り思い出す機会もないだろう。そのくせ、騒ぎ立てられる間の当人の苦労は今の方がずっと多いのだけれど。
食事会に着飾ったレイシオが出席した話題がインターネット上を駆け巡り下火になった頃合いを見計らって、スクリューガムは改めて彼女への礼と見返りの打診をメッセージで送った。既読のフラグは早々に立ったものの、返信が届いたのは五時間と三十一分十二秒が経過してからである。
彼女は物品は不要だとまず示した。それからむしろこちらの方が余程贅沢な要求にも思えるがと前置きした上で、彼女はスクリューガムの時間を要求してくる。
レイシオ曰く、小市民は研究や実験に成果を求められ、更にその成果は社会的な貢献を必要としている。もちろん、要求を満たせるだろう候補から最も自分の関心と合致するものを選択しているが、それが今一番したい研究かと問われれば否と答える他にない。
そんな中スクリューガムの誘いに応じ、階差宇宙の研究の方針や解析結果を見るうちに、自身も自分本位の研究に没頭したくなってしまった。早いうちにガス抜きをしたいので、それに付き合ってくれないか。そう、彼女は矢継ぎ早にメッセージを送りつけてくる。
期間は彼女が費やした時間と同じだけ。ピノコニーの一日と、大学付近の数時間と当日を合わせれば二日程度になるだろう。これは労働換算で、一日八時間を超えて浪費はさせないと彼女は雇用主めいた事を言ってくる。
ご協力いただいた分を思えば不足があるとひとまず一日追加の提案をすれば、君に余裕があるのならと返ってきた。物事には常に優先順位というものがあって、どれを実行に移すかは最終的にはスクリューガムの裁量によるところである。
そんな話をわざわざ彼女にするつもりもなかったので、OKと記されたスタンプを選んで送信した。スクリューガムの返信方法に合わせたのかレイシオから感謝を示すスタンプが返ってきた後に、具体的な日程の相談が送られてくる。
それによるとスクリューガムが合流する少し前からレイシオは休みを取って作業を始めるらしい。その時点から関わりたいと希望したものの、凡人には天才を迎えるための準備が必要なのだと突っぱねられてしまった。
臨時の研究所であるホテルの客室はスクリューガムが手配した。足の爪先までどっぷりと研究に浸かるために、寝室と作業場所になるリビングを隔てたくないレイシオが希望してジュニアスイートを選択している。
既に彼女が二日間過ごしているはずの部屋に向かう前に、スクリューガムはホテルの近くのパティスリーを訪れた。それから物思いに耽っていても気軽に摘まめるクッキーを購入し、時間通りに客室の呼び鈴を鳴らす。
一度目の呼び出しは彼女の耳には届かなかったようで、部屋の中からそれらしい物音は聞こえなかった。もう一度鳴らそうと思った矢先に、ぱたんとスリッパが毛足の長い絨毯を踏みしめる音が聞こえてくる。単純に切りが悪くて立ち上がれなかったのか、予定時間を過ぎている事に気がついたかしたのだろう。
「すまない、待たせただろう」
「こんにちは、レイシオさん。お気になさらないでください」
勢いよく扉が開いて、チノパンツとハイネックのニット姿のレイシオがスクリューガムを出迎えた。そのまま挨拶もしないでスクリューガムを迎え入れたかと思うと、彼女は軽やかに踵を返す。
「ちょうど君の意見を訊きたいところだったんだ。そのくせ待ち人の来訪を聞き逃してしまうとは」
思った以上に夢中になってしまっていると、スクリューガムがついてきていると少しも疑わずに進んでいたレイシオが一瞬だけ振り向いて苦笑してみせる。スクリューガムはその瞬間に得られる情報を片っ端から掻き集めて長期保存用のストレージに書き込んでから、随分と品性に欠ける行いをしていると判断した。そう思うのであれば適切なラインまで過剰な情報を削除するべきだったが、極々単純なコマンドを実行するつもりにどうしてもなれない。
立ち入った客室はレイシオの手によって、臨時の研究室に作り変えられていた。有機生命体の活動と光量は強く結びついていることもあり、彼女が持ち込んだらしい白色のライトが室内をオフィスと違わぬまばゆさで照らしている。優雅なローテーブルは端に寄せられて、空いた空間には数人で運び込んだはずの演算装置が鎮座していた。
その中でもスクリューガムの目を一際引いたのは、四方の壁と床の一部に設定されていた電子スクリーンだった。彼女が手ずから綴ったであろう方程式やメモで埋め尽くされたそれは、彼女の頭の中の一部がそのまま転写された結果だと表現しても差し支えない。
途中で別の有力な案が浮かんだのか筆が止まって遺棄された思考の痕跡を見つけて、自身の感情を司る処理が多大な処理を始めたのに気がついた。大概の無機生命体はこの負荷の掛かり方を感動と表現する。
結論まで辿り着くかも怪しい思いつきと検証、棄却を繰り返した履歴の数々。今まで彼女が見せようともしてくれなかったものが、スクリューガムの前に形となって立ち現れていた。
「こういう粗野な研究室は初めてか? スクリューガムさん」
「肯定:実に刺激的です」
少々挑発的に響いた問いかけに、スクリューガムは嘘偽りのない答えを選ぶ。それはよかった、と口角を上げる彼女の声に自虐的な響きはなかった。
今の自分が分かれば良いと思っている節のある崩れて断片的になった彼女の筆跡の隙間に、膨大な情報量が見え隠れする。飾らぬ彼女の遊び場に足を踏み入れる事を許された事実に高揚しながら、スクリューガムはこれからの三日間に期待を膨らまさずにはいられなかった。
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