桐子
2025-01-26 23:00:04
3258文字
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美しい傷②(父水♀)


家族旅行の帰り、うとうとしていた水木は、激しい衝撃を感じて目を覚ました。
「あ、あ……!」
割れたフロントガラスの向こうに、トラックらしきものが見える。水木の両親は血を流してエアバッグにぐったりともたれかかっていた。水木は呆然としたまま叫んだ。
「お父さん……!お母さん……!」
二人は頭から大量の血を流しており、意識がないようだった。水木も左耳からだらだらと血が流れて止まらない。
「だ、れか……たすけて……
とにかく車の外に出なくては。震える手でシートベルトを外したが、ドアに強い力がかかってフレームが歪んでおり、開かなくなっていた。
「みずき……
「お父さん!」
父親が目を覚ましてくれた。よかった、と水木が安心したその時だった。車が突然火に包まれたのだ。あとで知ったが、ガソリンが漏れており、そこにぶつかった衝撃で引火したらしかった。両親のいる前方座席は、みるみるうちに燃えていく。
「やだ!お父さん!お母さん!」
水木は必死にドアを開けようとしたが、開かなかった。火はますます強くなり、熱風と煙が押し寄せてきた。
「あ、熱い……!」
炎の熱さで母親も目を覚まし、惨状に悲鳴を上げた。
「お父さん、お母さん、早く出よう!」
「駄目だ……足が……
ハッと彼らの足元を見ると、二人の足は車のフレームに挟まれて動けなくなってしまっていた。
「やだ、やだよ!お父さん!お母さん!」
水木は半狂乱になって叫んだが、両親はただ苦しげな声を上げるばかりだ。
「早く、外に……でるんだ……
「開かないの!ドアが壊れてて」
炎がじりじりと肌を焼いていく。このまま三人とも焼け死ぬのは時間の問題だ。今日は楽しい旅行の帰りだったのに、どうしてこんなことに? 悪夢なら早く覚めてほしい。
水木が泣いていると、母親が体をねじり、割れかけた後部座席の窓ガラスを叩いた。それこそ半狂乱で、自分の手から血を流しながら叩きつけた。そしてとうとう、窓ガラスを叩き割ってしまった。破片が水木の上に降ってくる。母親の白い手から真っ赤な血が流れていた。震える手が外をさした。
「あなた……なら、出られるから……
「無理だよ!できない!」
「いいから……!お父さんとお母さんはもう駄目だ……お前だけでも……!」
父親も割れた窓ガラスを拳で叩いて訴えた。
「頼む、外に出ろ……水木……!」
両親の声には悲壮な覚悟がこもっていた。火はさらに強まっている。迷っている時間はなかった。水木は無理やり窓ガラスの隙間から、燃える車の外へ転がり出た。飛び出したガラス片で左目が切れ、血が目の中に入ってきたがそんなことかまわなかった。
「お父さん!お母さん!」
振り返ると、すでに運転席と助手席は炎に包まれていた。水木は車に駆け寄ったが、その途端、ボッと炎が服に燃え移り、左肩のあたりが燃え上がった。
「あああ!!」
「危ない!」
誰かが濡れたタオルらしき布をかぶせてくれて、火はすぐに消し止められた。
「君、早くこっちへ! 引火するぞ」
遠巻きに事故を見ていたほかの運転者たちが、車外に飛び出した水木を引きずって安全な所へ連れていってくれた。だが、水木はその手を振り払った。
「お父さん!お母さん!」
炎に包まれ、倒れたまま動かない両親に向かって叫んだ。
「離して!お父さんとお母さんを助けないと!」
もう無理だ、と誰かの声がしたが、水木は車に向かって駆けだそうとした。二人の断末魔が聞こえてくる。水木は泣き叫んだが、誰も聞いてくれなかった。そのうちに救急車や消防がやっと到着した。水木は彼らに引きはがされ、無理やり救急車に乗せられた。

結局、事故を起こしたトラックの運転手も、両親も、みな焼け死んだ。一瞬の出来事だった。居眠りをしていたトラックが対向車線をはみ出て、そのまま水木たちの乗る車にぶつかってきたのだ。運転手は真面目な男だったが、過剰労働で疲れ切っており、そのせいで居眠りを起こしたのだろうと言われていた。


「おお、娘にそっくりじゃのう」
両親の葬儀に現れたのは、祖父だという見知らぬ老人だった。父は若くして両親を亡くして天涯孤独だと聞いていたし、母からは祖父母の話を聞いたことがなかったので、親族など一人もいないと思っていた。
「傷はあるがきれいな顔だちをしておる」
祖父の笑みに、水木はいやなものを感じた。値踏みされるような嫌な視線だった。
「儂は龍賀時貞。お前は儂が引き取ってやろう。安心せよ。衣食住に不自由はさせん」
嫌だったが、両親の庇護のない中学生がどうして一人で暮らしていけるだろう。水木は生前よりずっと軽くなってしまった両親とともに、祖父の家へ引き取られた。
屋敷は広大で、人相の悪い男たちが出入りしていた。彼らはいわゆるヤクザだった。
「龍賀家は関東一とうたわれる組織なんじゃ。お前の母はこの家を嫌って出ていったが、お前は儂の可愛い孫娘じゃ。大事にしてやろうなあ」
肩を抱いてくる時貞の声は、じっとりと湿っていた。水木はぞっとしたが、逆らうことはできなかった。母は家ではなく、祖父のことも嫌っていたのだろう。
水木には、龍賀の孫娘としてふさわしい教養を身につけるため、家庭教師たちがつけられた。つらかったが、従姉妹にあたる年下の沙代とは仲良くなった。彼女もまた龍賀の家に囚われた娘だった。自分のことを「お姉さま」と慕ってくれる沙代のためにも強くならなければならない。
数年もすると、水木の体は女らしく丸みを帯びていったが、それに反発するように髪をばっさりと切り、口調も男のようなそれに変えてしまった。水木の変貌に、祖父も家庭教師たちもいい顔をしなかったが、沙代だけは「かっこいい」と褒めてくれた。そして、どれほど時貞に「傷を治せ」と言われても、頑なに傷を消そうとしなかった。
この傷は、父と母が水木を守った証なのだから。

「お前の結婚相手が決まったぞ」

大学生になっていた水木は、突然の祖父の言葉に耳を疑った。
「結婚ですか? 俺はまだ学生です。もっと勉強させてください」
そう言うのが精一杯だった。だが、時貞は聞き入れてくれなかった。
「これは決定事項じゃ」
そのために水木を育ててきたのだと時貞は言った。水木は唇を噛んだ。どれほど反発したところで、祖父には逆らえないとよく知っていたからだ。
「相手は?」
「お主も知っておるじゃろう。幽霊組を」
またしても、水木は耳を疑った。
幽霊組といえば、つい数年前まで龍賀組と激しい抗争を展開していたヤクザの一派だ。巨大な龍賀組に手痛い打撃を与え、時貞たちを危ないところまで追い詰めたという。
「お互い、痛手を負ったからの。ここは婚姻という手段で手打ちにすることになったんじゃ。水木、お前は幽霊組の親分と結婚せよ」
「そんな……
組織には意図的にかかわらないようにしている水木だって知っている。もとはといえば、龍賀のヒットマンが幽霊組の親分の妻を誘拐して殺したことがきっかけで、激しい抗争が始まったのだ。そして、幽霊組は身内の仇をとるため、龍賀に牙をむいた。そんな所へ、和平のためとはいえ嫁ぐなんて――――殺されてもおかしくはない。
「さすがのわしも、今はあやつらと争うつもりはない。こちらが力をつけるまで、水木、お前が時を稼ぐのじゃ。その身体で親分を篭絡してきてもよいぞ」
……
黙っていると、時貞はにやにやと嫌な笑みを浮かべた。
「それとも、お前の代わりに沙代を嫁がせるか。沙代はちと若いが、篭絡するというならあやつの方が向いておるやもしれん」
「沙代ちゃんはまだ十六だ」
「だからお前が嫁に行くんじゃ」
時貞は水木の顎を掴み、上を向かせた。
「お前はこういうときのために育ててきた。龍賀の役に立ってこい」
水木は時貞の手を払いのけた。
……わかりました」
まだ幼い沙代を、そんな家に嫁がせるわけにはいかない。
「それでよい」
時貞は満足そうに笑った。