彌夜
2025-01-26 20:21:52
4452文字
Public 景丹
 

山査子は恋の褥の帷になるか

閲覧ありがとう御座います。拙作は景元×丹恒🦁🍁です。時間軸不明、捏造ばかりなので苦手な方はご遠慮ください。生け垣を口実にキスしているだけ。
垣根に髪を絡ますのは🦁の方で、🦁の髪を切るのは断固拒む🍁という図にいつも夢を見ています。生け垣に使用した山査子は別名や雷についての逸話もあるので、すごく楽しかったです。

注意事項をご確認の上、お楽しみ頂けますと幸いです。

【山査子は恋の褥の帷になるか】



「すまないね
「構わないが、動かないでくれ。解き辛い」

間近で憂う美丈夫の吐息は、惑わしの薫風。くすぐったがる振りをして、顔を近づけたくなる引力を、丹恒は無理矢理引き剥がす。そうだ、今は優先すべき事があるのだから。
表向きは閉鎖済みの洞天へ二人は訪れていた。数百年前までは賑わっていたであろう集落も、度重なる反乱の拠点とされ、見る影なく荒れ果てている。人がいないのは確認済みだ。だが、山河はありのまま。自然まで死に絶えたわけではないのだ。寧ろ管理の手から離れた所為か独自の生態系を築いていたりもする。羅浮は大いなる老樹の福音か、変異種が現れやすい。時折雲騎軍が見回る理由もそれだ。今回建木復活の影響が各地に及んでいないか、景元は己の目で確かめるのを決め、丁度羽を休めていた丹恒が同行することとなった。列車への申請は生物学者の資格を持つ丹恒の知見を求めるとあったが、建前だとは誰の目にも明らかである。
何はともあれ。探索は順調だった。倒壊した廃屋に人が住んでいる痕跡がないか確認しつつ元々生息する原生種の他に希少なサンプルをいくつか採取し、検査キットで結果がすぐに出ないものを転送しながら、ぽつぽつ会話を重ねる二人の空気は穏やかそのもの。稀に沈黙が横切ろうと気まずさはなかった。話上手な景元は傾聴にも長け、慎重に音を選ぶ小雨じみた丹恒の言葉を一滴も漏らさず受け止めようとするから、話しやすいのが最大の理由だろう。再会時とは大違いだ。あれはお互い切羽詰まっていたので仕方ない。そもそも、丹恒としては追放前から景元へ向ける感情も、関わり方も変えていないつもりだった。仲間達から景元にだけは全く遠慮しないと揶揄われても反応に困るし、寧ろ丹恒として接しようと己を御する男には感謝と敬愛が先に立つ。
本当は。遠い縁を飛び越え逢瀬を交わす間柄と収まるなんて露にも思わなかった。況してや、身を委ねるようになるとは。

(特別扱い、なんて。していなかった筈だ)

そう首を傾げながら、朽ちた庭園を出たのが運の尽き。割れた石灯籠を避け、玉砂利の小路から木戸を抜けようとした所で、悪戯好きなつむじ風に遊ばれた。反射的に袖で目を覆う。だから予想だにしなかったのだ。激しく翻る羽織りが荒れ放題の垣根に刺さらぬよう、背後へ控えていた男が庇い、代わりに囚われるなんて。

話は冒頭に戻る。

「もう一度言うが。藪に貴方が髪を絡ませるより衣服の方がましなんだ。もし破いても替えがあるし、縫えば良い」
「裁縫できるのかい?」
「簡単には。そうじゃない、論点をずらすな。ああもう。貴方がこんな愚行を犯すとは。御髪がふわふわなのだから、俺よりそちらへ気を遣うべきだ」
「褒めるのと貶すのを同時に行うとは器用だね。ふふ、諦めたまえ。つい動いてしまったのだから」
「笑うな。じっとしていてくれ」
「仰せのままにしたいが、なかなか難しい」
「戦場で機を窺うより容易いだろ」

景元ひとりならこんな初歩的なミスをしなかっただろう。生け垣で身動きを封じられるのに甘んじたのは、ひとえに丹恒へ棘が刺さるのを嫌ったからだ。言及されずともそれくらい丹恒にだってわかる。普段護衛として立ち回り生傷が絶えないから今更、という不満と、それを上回る腹の中で蝶が舞うような心地に緩みかける口角をきゅっと引き締めた。
ひとを愛するとは厄介だ。こんなささやかな事で、疑いよう無い愛情の深さを思い知らせてくるのだから。もっと救いようがないのは、その心を貪るのが嫌ではなく、寧ろ、与えられる以上のものを返したくなる理性の脆さだ。朴念仁な丹恒がどれだけ景元を大切にしたいのだと示せているかは、甚だ怪しいが。
嘆息しながらも指の先まで神経を研ぎ澄ませる。獅子の異名に相応しく、緩く波打つ銀のたてがみは量が多いのだ。結い上げているのも凶と出た。剪定されず伸びっぱなしの細い枝やぎざぎざの葉がまるで救いを求め、貴人を磔にしたようで丹恒はとても気に食わない。

例え彼が赦しても。一筋たりとも損なわれるのが嫌なのは、傲岸な龍の性なのだろうな)

これは俗に言う独占欲に近いのかもしれない。
いつからか芽吹いた感情の鮮やかさに驚きつつ、蜘蛛の糸より繊細な一束一束を傷つけぬよう、慎重に景元の艷やかな髪を解いていく。息を止め、瞬きさえせず。混じり気のない銀は陽の光に照らされ透き通る。視認性が悪いそれを間違っても引っ張らぬよう、途中で断ち切らぬよう、細心の注意で摘む丹恒の額へ滅多になく汗が滲む。つま先立ちとなり、抱き着くようにして上体を景元へ預けているのに、体を支配しているのは極度の緊張状態。つ、と垂れそうな水滴を拭ったのは、それまでじっとしていた男だ。
柔らかな声が最も単純な方法を提示する。

「丹恒。鋏でも仕込みナイフでもいい、刃物を持っているだろう?後は切っておくれ」
「いやだ」
「丹恒聞き分けが良くないな。いつまでもこうしているわけにはいかないだろう」
「いやだ、断る」
「同じ立場だったら、君は自分の髪を断つのを躊躇わないのに」
「貴方の髪が俺は好きなんだ。だから、乱暴な手段を選びたくない」
「私の方がもっと好んでいるよ。自分を棚上げにするのは悪い癖だね」
「その言葉、そのまま返す」
「君の愛は相変わらず手厳しい」

ぽんぽん、と背中を抱く景元のてのひらは窘めるよう。だが頑として譲るつもりはなかった。半ば意地だ。この男が本当に気にしているのは無為な時間ではない。尖った葉や強靭な蔓から銀髪を逃がそうとする丹恒の指が傷まないかを慮っているのだ。確かに長命種特有の元の遺伝子図面へ回帰する力は凄まじい。短くしても、すぐさま元の長さへ戻るだろう。だからと言って、目の前で無造作に切られたりしたら、ふわふわのたてがみを密かに好む丹恒の逆鱗に触れる。冷静でいる為にも、どうしたってきちんと解ききりたいのだ。

(とんだ我儘だな。そしてその駄々を拒まれないのも、俺は知っているんだ)

甘やかされていると感じる度、腹中の蝶が羽ばたきを繰り返す。このむず痒さを恋と評した国の感性には脱帽するが、今することではない。
黙々と作業する丹恒に、一度決めたら覆さないと知っている景元の息が、ふわり頭頂部を掠める。むずかる子供を扱いあぐねる仕草で、ますます躍起に駆り立てられてしまう。

続く無言に、遠くの鳥が鳴き交わす。

天中から差す光りはゆっくり傾いでいった。日差しを受ける藪の緑の濃さが色合いを変え、翳りを帯びる鋸葉に囚われた美しい髪は、山査子の白い花弁を思わせる。
たっぷり時間をかけて獅子の絹糸を無事救出した丹恒は、安堵で肩の力を抜く。幸い目立った荒れ方をしていない。良かった。一纏めにして前へ流させ、ゆるく結わえようとする丹恒に、奮闘を見守った男もたおやかに微笑む。

「ありがとう。お礼をしたいのだけど、何がお望みかな?」
「不要だ。元はと言えば俺のいや、風の悪戯だから」

己の責任と口にしかけた言葉を珍しく撤回したのは、庇ってくれた獅子の為。きっと丹恒が自戒すると景元は本心から笑ってくれないだろう。寧ろ、受け入れるほうが喜ぶ筈だ。他人との関わりが薄く過ごしたからと、長旅の傍ら心理を探ってきたのは、先見の明だったか。

学んだことを生かす機会を逃してはならない。そう。素直になってみるタイミングとは、今なのだろう。

景元」
「うん?」
「何でも構わないのか」
「勿論だとも。遠慮なく言いなさい」

ごくり、と喉を落ちる唾は固い。頭に氾濫するのは数多くの言の葉。普段吟味し削ぎ落とすばかりの、ありのままの想いを、一つ位願っても許されるのか。気持ちのまま行動し手のかからない子でなくとも、信頼を損ねないだろうか。男の胸板で俯き、山査子の花房めいた髪を編みながら、恐る恐る丹恒は唇を動かした。
すぐさま返る快諾に、意を決する。

「ならば」

腹の中の蝶が求めるのに従って。顔を上げ、男の蜜に似て甘やかな唇を、白昼堂々掠め獲った。それはほんの刹那。ちゅぷり、やらしく響いた音すら幻と疑うもので。
柔らかな感触に腹部が熱くなった気がする。途方も無く、恥ずかしい。だけど同時に満ち足りるのは、この人への好意の証左だろう。
景元の顔を見ないようまた手許へ視線を戻し、敢えてそっけなく取り繕う。

どうしても礼をと言うなら、これで手打ちにしてくれ」

癖のある髪はなかなか三つ編みに収まらない。早く済ませて距離を取ろうとしても上手くいかず、焦りでますます覚束なくなる。早く、早く。しかし不自然に思われるのも癪だ。不必要だった筈の感情に振り回され、ひとであるのは、こんなにも難しいが不快には程遠い。
懊悩する丹恒の腹の蝶こそ、景元の銀の茂みに捕まったようなものかもしれない。力尽くで破り飛び立っても、見送るだけの優しい垣根に。無論。留まり続けるのは丹恒の意思だけど。

「丹恒、こっちを向いて」

真っ直ぐな背骨を擦る男の片手が離れ、やんわり丹恒の頬を包み込む。促されるまま仰ぐ碧一面に映る笑顔。有無を言わせず徐々に接近する景元の金の瞳には、腑抜けた表情の自分だけ。
そして。

ちゅ、と。

施されるさっき味わったばかりの柔さ。
違うのは、角度を変え、何度も何度も霖雨のように降りしきることだ。
景元との口付けは心地良い。思わずうっとり忘我に浸りかけるも、葉擦れの音色にはっと意識を繋ぎ止める。

「景げ、んっまて、そと、んぷっ」
誰もいないさ」

いつの間にか舌も受け入れていた。長めの、ねっとり上顎をくすぐり、暴いた喉の奥まで探ろうとする接吻。獲物が息絶えるまで弄ぶ肉食獣の残酷さで景元は続ける。

「動いてはいけないよ。折角解いてくれた髪なのに、君が手を離したら、また風に飛ばされ引っかかってしまうからね」

しっかり抑えておいてくれ、と老獪な策士が含み笑う。己の身まで駆け引きに使い、丹恒を動けなくさせる姑息さに卑怯だ、と心中罵りながら、束ねた銀のたてがみを放り出せやしない。できないと織り込み済みなのだ、この男は。
ちゅぷ。ちゅぷ、り。
溢れる濃密な甘さで頭が朦朧とする。混じりあって口の端から垂れた唾液が首筋を濡らすのも、気にならない。棘があるとしてもそれでも構わないのだと、どろどろに蕩かされてしまう。立っていられなくなる四肢を、生け垣を背にしたままの逞しい体が更に抱き寄せ、ぴったり唇を隙間無く重ね合わせた。
自然と貪る舌に自分からも舌を絡め、丹恒は調査の続行は後回しにしようと諦める。最初から名目だとしてもきちんとこなしたかった。けれど。仕方ないではないか、丹恒がたてがみを握っていないと、また毛並みを蔓草に乱させる気かとこの銀獅子が言うのだから。



(特別扱いと、笑えばいい)