つまるところ血鬼術とは(7)

社会人の一人暮らしって創作するだけの余裕をなかなか生み出せない

 木々が薙ぎ倒される。
 まるで獣が噛みちぎったかのような斬撃に、異形の手足が吹き飛ばされる。

「───ぶっ殺してやる、塵が!!」

 猪が、猛る。





 思わず呆気に取られてポカンとしてしまった呪術師達とは裏腹に、炭治郎はみるみるその表情を明るくさせた。
「伊之助!!」
「ん!?」
 びた、と猪頭の動きが止まる。
「良かった!! 生きてたんだな、伊之助!! 怪我はないか、心配したんだぞ!!」
…………紋次郎か!!」
「炭治郎だ!!」
「なんでこんなところにいやがるんだ!!!」
 どこを向いているか分からない猪の目が吊り上がった、ように見える。
「ここはアレ、アレだぞ、アレ……来るようなところじゃねえ!!」
「伊之助を探しに来たんだ!!」
 怪我はないんだな!? と迫る炭治郎に、伊之助は尚もなんで来たんだとボロボロの刀を振り回した。
 その様子を、呪術高専の生徒達は半ばポカンとして見つめていた。
「ハハッ、ほんとにイノシシじゃん」
「マジかよ……
「ふつーにキモイんだけど……
 気の抜けたように笑う虎杖とは対照的に、伏黒は眉間に皺を寄せ、釘崎は顔を歪めた。
……とにかく、あれが本人なら、合流はできた。撤退だ」
「っし、」
 とにもかくにも百万語を飲み込んだ伏黒の言葉に、虎杖は気を引き締め直し、改めて周囲を探った。
 伊之助が放った斬撃の後、斬り刻まれた筈の異形達は軒並み消えていた。これが消滅という意味でなら良かったが、あのヒトの形をした異形が呪霊ならば、伊之助の攻撃で消滅することは有り得ない。呪霊は呪力でしか祓えないからだ。伊之助にそれだけの呪力はないことは一目で見て取れる。
 戦力が増えたから木々の影に隠れて機会を窺っているのか、それとも───

 音もなく、するり、と。
 鋼鉄の糸が、空を伝う。

「下がれ」
 瞬間、学生達は全員が反射的に飛び退った。唯一踏み込んだ富岡の抜き身が瞬き一つ、白く光る。

 ───水の呼吸、拾壱ノ型

 富岡は動かなかった。
 正確には、動かなかったように、見えた。

 ───凪

「!」
 伏黒は目を見開いた。寸前まで気付けなかった殺意が、敵意が、攻撃の気配が、全て断ち切られている。
 本能で感じ取って反射的に動いた体がうっかり固まってしまうぐらい、彼の動きは静かだった。全く動いていないように見えるほど、無駄のない動き。
 五条に鍛えられ、普段から非日常に身を置いている伏黒や、体術だけなら群を抜いている虎杖でさえもおそらく追えなかった。
 これが鬼殺隊。伏黒は目元を険しくさせた。
 この鬼殺隊が、戦国の御世から倒せていない鬼、鬼舞辻無惨。余程の化け物か、或いは。
「っ……走れ!!」
 主人の声に答えて、玉犬がいの一番に走り出した。伊之助が「なんだ!?」目を剥いたらしいが、炭治郎が「行くぞ!!」腕を取って玉犬に続く。釘崎と虎杖も駆け出した。
 雑念を振り払うかのように、伏黒も踵を返して走り出した。殿は富岡が務める。
 攻撃はされたが、仕掛けてきた異形らしき姿はどこにも見えなかった。
「なんだこいつは!! なんだお前らは!!」
「呪術高専の方達だ!! えーっと伊之助の後ろを走っているのが」
「呑気に自己紹介してる場合か!! 攻撃されてんだぞ!!」
「富岡さんスゲェな!! さっきからなんかしてくれてんのは分かるけど何してんのか全然分からん!!」
「走るのに集中しろ!!」
「炭治郎!!」
「はい!!」
 富岡に応えた炭治郎が抜刀する。すぅ、という音が近くを走る伏黒たちの耳にも届いた。
 呼吸の音だ。この距離で、ここまではっきり聞こえるほど空気の流れを感じる程となると、凄まじい肺活量ということになる。
 信じられない思いで、伏黒は炭治郎を見やった。炭治郎は、ぐ、と姿勢を低くして、目一杯踏み込んだ足を、爆発させるかのように蹴って跳躍した。
 どん、という音が遅れてやってくる。あ、ちょっと善逸の構えに似てる、と虎杖は埒外なことを思った。
 跳躍した姿勢はそのままに、炭治郎は駆けた。鍛えられた体幹でしっかりと体を支え、次々と迫り来る血鬼術の気配を正確に切り刻んでいく。
 勢い余って回転してしまっても、その勢いを殺さずに、寧ろ増して斬撃に乗せる。

 ───水の呼吸、拾ノ型 生生流転!

 凄まじい水龍は、鋼の糸をも断ち切って見せた。
「油断するな、まだ来るぞ!」
 富岡が叱声を飛ばす。
「っ、はい!!」
 炭治郎の息は上がりかけていたが、それでも彼は気丈に腹の底から声を張り上げた。かと思えば伊之助が前に出て、「うおりゃああああ!!!!」ギザついた斬撃を竜巻のように巻き起こす。
 ひら、と千切れた糸が舞った。
「ん、」
 その先にあるものを、虎杖の視線が捉える。
 蜘蛛だ。見たことのない柄をしている、白い蜘蛛。暗い領域、良好ではない視界の中、やけに目立つその柄は、ふわふわと舞って、玉犬の背中に落ちそうだった。
 不意に、虎杖は思った。

 ───蜘蛛って、噛むっけ。

 玉犬は式神で、犬じゃねえという伏黒の不機嫌そうな声が脳裏に思い返される。
 ただの犬ではないのだ。呪霊を喰うような式神だ。蜘蛛に噛まれたぐらい、どうってことはないはずだ。

 ───いや

 ここは呪霊の生得領域。明らかな敵意をもって張り巡らされた攻撃、おそらくは糸状のもの。その先にくっついていたらしい、蜘蛛。
 そんな蜘蛛が、普通の蜘蛛であるはずがない。
「っ、」
「虎杖!?」
 それまでペースを守っていた虎杖が突如最前線に突っ込んだ。勢い余ってゴロゴロ転がった虎杖に、誰もがギョッと目を剥いた。
「っててて……
「悠仁!! 大丈夫か!? いや急にどうしたんだ!?」
「何やってんだ、バカ」
「いや、蜘蛛が」
「クモ?」
 プラン、とぶら下げられた虎杖の手に、白い蜘蛛が一匹、ピッタリと張り付いている。
 そしてその張り付かれた虎杖の手の一部は、紫色にぼこりと腫れていた。
……この蜘蛛の模様、さっきの奴らの顔にも……
 伏黒がぽつりとぼやく。なるほどね、と一つ頷き、釘崎は五寸釘と金槌を取り出した。
「少なくとも、追手は撒けそうね」
…………
 虎杖は慎重に、そうっと蜘蛛を自分の手から引き剥がした。





 呪力が、爆ぜる。





「っ───!!!」
 体のいっとう深い場所から、針の筵が表皮を突き破った。形容し難い音と共に、衝撃と熱、迫り上がる血で詰まった喉が過去の苦しみを連れてくる。
「累!!」
 ゴホゴホと咳き込んで血を吐く小さな体を、美しいたおやかな女が白い顔を青く染めてかき抱いた。累の『母』なれば、これぐらいのことはしなくてはならない。
「累、るい、何があったの、累!!」
 悲鳴はまるで叱声だった。不安で揺れているのを冷めた心地で傍観しているのと同時に、体は徐々に回復していった。
 蜘蛛が一匹、攻撃を受けた。その攻撃が、繋がりを辿って累に、そして他の蜘蛛にまで及んだのだ。侵入者たちを攻撃していたのは、気まぐれに手慰みのつもりで糸を伸ばした累故に。
 累は自分の体の中を探った。すっかり完治してしまったが、これは太陽の熱を帯びた刀で斬られる時の感触とは違い、どこか自分たちに近い、負の力によるもの。つまりは呪力だ。
……大丈夫だよ、母さん。でも……逃げられてしまった」
 領域とその他を分断する結界を、何者かがすり抜けた気配が伝わってくる。累は追跡の指示を出さなかった。傷ついた者たちを回収し、しかし日輪刀で傷つけられた体はもう戻らない上に衰弱していくだけなので、呪霊と混ぜるように伝えると、母は「わかったわ」と小さく一言置いて、そそくさと部屋を後にした。
「呪術師…………厄介だな」
 蜘蛛の毒で操ることができなかった。繋がりを辿られて術者本人にまで攻撃を届けにくる。鬼殺隊には不可能な手段だ。
 おそらくは。攫おうとした鬼殺隊士を探すために、他の鬼殺隊士と呪術師が揃ってこの領域に侵入したのだ。合流後すぐに領域から逃げようとしたことを鑑みると、今回は救出だけが目的で、この領域の調査・討伐ではないらしい。
……みんなを強くしなきゃ……
 居所は知れた。呪術師はどうか分からないが、鬼殺隊は必ず累の首を斬りにやってくる。鬼殺隊の執念深さ、その異常さは、鬼なら誰もが知っている。だから累は、本当なら逃げなければならない。
 けれども累はこの領域の主だ。領域の中に形成された村の、実質的な長だ。何故なら累が村の中で一番強い。
 大きくなってしまったこの領域ごと逃げるのは時間がかかる。そして夜にしか移動できない自分たちは、大した距離を稼ぐことなどできはしない。移住先に先住者がいれば縄張り争いになる。鬼殺隊、そしてろくに対抗策が練られていない呪術師たちを相手取るのに、そんなことはしていられない。
 それなら、村の皆を強くする方がよほど効率がいい。うまくいって呪術師を捉えることができれば、あの方も悪い顔はしないだろう。
 皆を強くするのは簡単だ。己の中に流れるあの方の血を分与えればいい。体が耐えられるぎりぎりまで。
 しかしそれには累の血の中に含まれる毒素が足りない。だから無惨に血を請わなければならないが、さて。
……他の役立たずを殺して、手土産にすればいいかな……
 累は下弦の伍だ。まずは下弦の陸を殺そう。そして肆を殺して入れ替わる。そうしたらもっとみんなに血を分けることができる。
……あ、でも」
 ふと、累は瞬いた。
 勝手に押しかけて勝手に喋り倒して勝手に女を一人攫って行った男が、そういえば何か言っていた。
 確か、もうすぐ呪術師が探りを入れに来るかもしれないからそれをあの方への手土産にしようと思う、と。
 喰えないのは残念だが、と。血を頭から被ったような男は確か、やかましくそんなことを言っていた。
……あいつと土産が被るのはいやだな……
 累は珍しく、眉間に皺を寄せた。





 ◆





 ゼエハア言いながらも、皆が揃って───正確には猪頭のよく分からない人間が一人増えて───領域から出てきたので、伊地知は心底から安堵の息を零し、目元を柔らかくさせた。
「お疲れ様です、皆さん。お怪我はありませんか」
「こいつ」
「毒系なんで、大丈夫でしょうけど」
 釘崎と伏黒が雑に虎杖を前に出す。当の本人はケロッとして、走ったから腹が減ったなあという顔をしていた。
「では、念のため家入さんに診てもらいましょう」
「あ、あの、」
 炭治郎が手を挙げる。
「どうかされましたか。あ、嘴平伊之助くんの状態は如何ですか」
「腹減ったぜ!!! おい、衣のついたアレ寄越せ」
「えっ」
「こら!! 伊之助!! 失礼だろう!!」
 伊之助を叱った炭治郎は、すぐに伊地知に向き直って「すみません」と頭を下げた。
「あ、あぁいえ、そんな」
「それで、あの。呪霊は、もう追ってこないんでしょうか」
「あぁ。ハイ、大丈夫なはずですよ」
「そうなんですか……?」
 言葉尻だけ聞けば不安だが、伊地知から不安や動揺の匂いはしなかった。どこか慣れている気配も伝わってくる。
「今回のように特定の場所に生得領域……縄張りのようなものを展開している呪霊は、基本的にその縄張りから出てくることはありません。移動をすることはままありますが、一度出ることができさえすれば、後は大丈夫です。もし不安でしたら、後で残穢を祓っておきますので」
「ざん……? えっと、ありがとうございます」
「それでは皆さん、一度山を降りましょう。日が沈んでしまいましたので、気をつけて」
 伊地知の号令で、一同は下山の途を辿った。





 ◆





 読み込んだ手元の資料を滑っていた七海の視線がふと止まる。
……『万世極楽教』…………
 なんでも、全ての痛み辛み嫉み悩み苦しみを、教祖が救ってくれるのだとか。
 よろずの世が極楽である宗教。なるほど。七海は資料を元の場所に戻した。

 極楽は、この世でないから極楽なのだ。

 五条に「ちょっと言って調べてきてよ!」といつものように振られた七海は、心底から嫌だなと思いながらも、結局は補助監督の車で所定の場所へと向かったのだった。