【なに清】三月

※大量クロスオーバー
※大量地雷生産機です。爆散しない人だけ読んでください。

【登場人物】
片岡桜:見かけによらず力持ち。
一ノ瀬千里(ノルンノネット):人付き合い無理なタイプ。
太宰治(文スト):清涼学園名物(?)教師。
土方歳三:ワーカホリックじゃないのにワーカホリック。何故かこの人だけ労働環境がブラック。
ミサキ(大正メビウスライン):出自など諸々全て不明。でも料理は上手い。


 こんなに暑かったっけ、と一ノ瀬千里は大きなため息をついた。歩みは止めずに上着の袖をまくり上げ、大きな荷物を背負い直す。
 春休みに入ってすぐ、逃げだすように出てきた場所であるのに、たかだか一週間ぶりにその古い木造の門構えを視界に入れた瞬間、千里は肩の力を抜いた。
 帰ってきた。大きく息を吐き出して、そう思っていることにうんざりする。
 だって学校は苦手だ。集団行動を強要するこの国の教育カリキュラムは千里の最も苦手とするところであった。端的に言って、人付き合いが嫌いだ。苦手ではない。嫌いなのだ。最早人が怖い。
 とは言え、久々に会った両親は何かと千里の交友関係を心配しているようだった。実家に帰省して数日は学校関係者と会わなくても良い事に安堵して幸福なども感じていたが、更に数日経つと逆に息苦しくなってくる。
 四畳半しかない狭い部屋がたかが数日離れただけでも懐かしかった。千里は再び逃げるようにして実家から飛び出して、清涼学園寮へと戻ってきた。
 どこへ行っても逃げてばかりである。しかし立ち向かう勇気などない。結局教室の隅で何もせずにいるのが一番楽だし傷つかないのだと千里は身をもって知っていたし、それ以外の事などしたくもなかったのだ。
 顔見知りになった守衛の中年男性が、人の好い笑顔を浮かべて「おかえり」と言ってくれる。ただいま、と蚊の鳴くような声で返すと、彼は嬉しそうに笑みを深めた。
 本当はただいまと言うだけでも随分と精神力を必要とする。それでもなんとかその言葉を口にしなければ、彼は少しだけ悲しそうに眉を下げる。結局罪悪感に負けて、千里はいつも「ただいま」と返していた。
 門を潜り、昇降口のような広い玄関に上がる。寮に所属する生徒用の下駄箱がずらりと並んでいるのだ。そのうちの一つ、小さな箱の扉に、千里はポケットから取り出したカードをかざした。
 ぴぴ、と電子音を立てて、緑色のランプが点滅する。次いで、ガチャリと錠の上がる音が響いた。
 生徒の入寮、出寮時間を把握するカードシステムである。カードがなければ下駄箱を開けることができず、そして部屋の鍵を下駄箱にしまっていかなければ延々とブザーが鳴り響く。
 門限時刻と同時にカードシステムが使用不可となるため、部屋に戻りたい生徒は玄関の隣に誂えられている管理人室へ使用許可を請わなければならない。
 寮の管理人が第三者であればもう少し門限破りの生徒も増えたかもしれないが、残念ながらこの寮の管理人は誰あろう太宰治教諭である。
 普段からふざけた態度のため、授業は授業と受け取られず、少しでも見目が整っている女子生徒がいれば「一緒に自殺しないか」とナンパするような頭のおかしい教員だ。
 しかし新年度、寮に入る新入生に向けて先輩が開くレクリエーションで、必ず伝えられることがある。
 曰く、「太宰治国語教諭の罰則は、決して受けてはならない」と。
 具体的に何があったのかは、もはや確証のある実話としては残っていない。尾ひれはひれがついた噂話はごくたまに耳にするものの、眉唾物として本気にしない生徒も多いだろう。
 ただ生徒に自殺を堂々と誘っているにも関わらず、その授業内容がふざけたものだと羞恥されているにも関わらず、彼は未だ教職員と言う職を失ってはいない。モンスターペアレンツやアンチ、過度な誹謗中傷を好む輩が一定数台頭するようになった昨今でも、安定して不動なのだ。つまり、まったく隙が無い。
 得も言われぬ恐ろしさを感じる存在にまつわる忠告を敢えて破ることもないだろう。特に千里は波風が立たない生活を切実に望んでいる。本当に。心の底から。
 だと言うのに。
 音を立ててスムーズに管理人室の扉が開かれた。
「やァ一ノ瀬君!! 今日も絶好の自殺日和だね!!」
「消えてください」
 にこやかに現れた太宰にうっかり本音を口走ってしまった千里である。
 背を向けようとすると、「まあまあまあまあ」と肩に腕が回された。
「帰省から帰ッてきた生徒には帰寮届を書いてもらわなくちゃぁ。後で提出するのも僕が面倒だし、今ここで書いて行き給えよ、君」
………………
 千里は憚ることなく盛大に、あからさまに嫌そうにため息をついた。しかし太宰はこの程度でへこたれるような人間ではない。千里は仕方なく促されるまま管理人室につま先を向けた。
 この太宰治という人物については、振り回される方が余程楽だとこの一年で諦めているのだ。
「ところで君、昼食がまだだろう」
「だからなんですか関わらないでください」
 千里は咄嗟に顔が強張ったのを隠すように俯いた。差し出された書類に、使い慣れないボールペンをへたくそに掴み、字が震えないように集中しているかのように振る舞う。
 何故かこの人には何でもお見通しなのだ。それに、逆らってしまった後にどうなるか分からないから怖い。
 太宰はお構いなしに続けた。
「我らが料理長が今日は手の込んだ昼食を作るとかで、僕たちもまだなンだ。良かッたら一緒にどうだい」
……
 うぐ、と千里の眉がきつく寄せられた。清涼学園寮の食事事情一切を取り仕切る通称ミサキの料理は、味が良い。千里も寮の食事は気に入っていた。
 ミサキは食材や調理方法などにとことんまで拘る男だ。予算の許す限り上質な食材を取り寄せ、その良さを最大限活かして生徒に提供している。
 その自信があるからか、大抵の生徒が「美味しい」と感想を伝えても、「当たり前だろうが」と逆に不機嫌になるのが玉に瑕だ。千里は、ミサキ自身はともかくとして、彼の提供する昼食には大きく興味を抱いた。
 電車の乗り継ぎやバスへの乗り換えなどで昼食を食べ損ねているのは事実だった。朝早い出立だったため少ない朝食を急いで掻き込んだにも関わらず時刻は既に一時半を過ぎている。
 空きっ腹の虫が、か細く鳴いた気がした。太宰に聞こえたのではないかと咄嗟に視線を走らせるが、彼はにこにこと変わりない笑みを浮かべているだけである。
………
 帰寮初めての食事が太宰と二人っきりとか、嫌だな。
 ミサキの料理より太宰という人物に対する恐怖の方が勝った千里は、必死に思考回路を巡らせて、昼食を一緒にするための条件を付けることにした。
「ちらし寿司なら行きます」
 太宰が瞬く。
 手の込んだ料理とは言え、三月も中旬を過ぎた。しかも寮を利用している女子生徒は少ない。ミサキは季節を意識した料理が好きで、旬の食材もよく使うが、さすがに今日の昼食がピンポイントでちらし寿司ということはないだろう。
 そんな千里の予想は太宰の満面の笑みと共に斬って捨てられ、粉々に破壊された。
「それは良かッた! 今日の昼食はちらし寿司だよ、一ノ瀬君」
……………嘘でしょう……
「残念乍ら本当だとも。さァ荷物を置いて手を洗ッてうがいをしておいで。もうすぐ完成する頃だろう。食べごろに行かなければ怒るからね、彼は」
 そう言って鼻歌を歌いながら、太宰は管理人室から颯爽と出て行った。千里は必要事項を記入した書類をそのままにして、荷物を持ち直す。
 諦めよう。ここで行かなかったらしつこいし何よりミサキに無理矢理部屋の扉をこじ開けられて食事をさせるために小脇に抱えられて寮を移動するのは嫌だった。
 ため息が後から後から吐き出される。千里は荷物分以上に重くなった体を引きずって自分の部屋へ向かった。





    ◆     ◆     ◆





 神出鬼没なあの管理人の事だ、時間になればいるだろう、と特に細かく考えていなかったミサキは、やはりな、と食堂の方を見てひとり内心で頷いた。
 生徒がいないため、がらんとした食堂に並ぶ長いテーブルと椅子の一つに腰かけた太宰が、いつもの何を考えているか分からない笑みを浮かべている。
 人数分の取り皿を用意するために、ミサキは食器類が納められている引き戸を開けた。さて、四枚揃いの春らしい器があったはずだが。「料理長殿」太宰の声に、ミサキは思わず手を止めた。
「お皿は一枚増やした方がいい」
……そうかい」
 料理を始める時分に「もう少し量を増やした方がいいと思うな」とわざわざ言いに来たのには訳があったらしい。どうやらこれからミサキが知るよりも多くひとが来るようだ。
 最初に予定していたのは、自分と、太宰、それから後で来る予定の人物。加えて、料理開始直前に聞いた、今日帰寮する千里の分だ。
 さて、もう一人とは。
 首を傾げたミサキは、不意に響いた食堂の引き戸の音に、はたと思考回路を止めた。引き戸の開け方からして、千里でも、自分が予想している人物でもない。
「おっ」食堂の方を覗いたミサキは、小さく瞠目した。「こりゃまた、珍しい」揶揄うように言うと、相手の眉間に小さく皺が寄る。
「土方センセーじゃねぇか。どうした、いつもコンビニ弁当の男が」
「うるせぇな
「彼、昨日から学校に缶詰で菓子パンぐらいしか食べてないんだよ」
 可哀想に、と太宰が額に手を当てた。
「この時期は入学手続きやら何やらで大変だからね。国木田君でさえきちんと休養を取っているというのに」
「どっかの誰かが仕事してくれりゃぁ俺も帰れるはずなんだがな……!」
 青筋を額に浮かべた土方はしかし、それ以上怒る気力すらないようだった。ため息をついて、ミサキに向き直る。
「悪いが、なんかあるか」
「あぁ、とっておきがな。もう少し待ってろ」
 有難い。疲労の色を隠しきれない土方が、椅子に腰かけて、長い息をついて瞑目した。
 間を置かず、から、と小さな音を立てて、食堂の引き戸が開けられた。直後、足を踏み入れた千里はヒッと小さく息を呑んだ。
 聞いていない。中等部にまでその名を轟かす鬼教師土方歳三もいるなんて聞いてない。千里は百万語を込めた憎悪と絶望の視線を太宰に叩きつけた。しかし太宰はどこ吹く風でさァ座り給えと自分の横を指す。
 千里はなるべく土方を視界に入れないように席に座った。おかえり、とミサキが声をかけてくれたのにただいまと返して以降は、ただじっと俯くことにする。
 すわこの地獄のような時間がどれくらい続くのか憂鬱を通り越して泣きだしそうな心境になった千里だったが、ミサキがスマホを操作しながらすぐに料理を出すと言ったので、ちらし寿司の事を考えて現実で自分を取り囲む現状から全力で逃避することにした。
「あぁ、裏に回って、たぶんそこだ、インターホンがあるだろう」
 けたたましくブザーが静寂をびりびりと破り捨てる。千里は驚いて座ったままびくりと体を跳ねさせた。
「はいはい」
 食材を仕入れるのに便利だとかで、厨房はすぐ外に出られるように扉が設置されている。ミサキはそこから誰かを招き入れたらしかった。
「よく来たな。飯はまだか?」
「まだ」
「そうか、食ってけ」
「有難く」
「ついでに持っていってくれ」
「うん」
 普段は厨房の奥の会話など聞こえないが、食堂がひどく静かだからか、千里の耳にも会話が届く。一体誰が来たのだろう。おそらく自分の知らないひとだ。
 また知らない人が増えるのか。千里は今日は厄日だ、とこの発端を作った太宰に呪詛を吹っかけた。心の中で。
 大きな檜の寿司桶を抱え、すらりとした、瞳の鋭い女性が厨房から顔を出す。寿司桶には蓋がされており、その上には人数分の皿と箸が乗せられていた。
「やァ片岡君、珍しい格好だね」
「どうも」
 片岡と呼ばれたそのひとの姿は確かに珍しいものだった。黒の着物に、袴。首を覆う、七分丈の、こちらも黒いインナー。何か武道でもしているひとなのだろうか。しかしこれまた表情のわかりにくい人物である。
 千里は早々に関わりを持たないようにしようと身を小さくした。
……片岡?」
 意識が飛びかけていたらしい土方がきゅ、と目をすぼめて桜をまじまじと見つめた。寿司桶を中央に置いた桜は、土方の白を通り越して土気色の顔に何を思ったか、おもむろに口を開いた。
「わさし びきそ つたごや めもぜ ひみね いはねみ」
……あ?」
「ぐあれ とりろ りぱのく ひぐも うぶえ かおぐに らろれ ぺすも みはぱぷ」
「良かッたね土方先生、レベルマックス、最強装備で復活に加えて福引券もゲットできたじゃないか」
「復活の呪文か……
「教会に行くか」
「行かねぇよ、まだ死んでねぇ」
 差し出された取り皿と箸を受け取りながら、土方は力の入っていない反抗を口にした。まったくもって説得力がない。
 てきぱきと皿と箸を配り終えた桜が蓋を取る。おぉ! と太宰が感嘆した。見事に彩られたちらし寿司が顔を出す。たまごの黄色、レンコンの白、イクラの赤、がきらびやかに散らされていた。
「ちょいと失礼」
 ミサキが最後の仕上げと言わんばかりに三つ葉を散らした。緑が彩を引き締めて、食欲を更に刺激する。ふわり、出汁の好い香りが鼻腔をくすぐった。
「鯛」
「おう、正解。いいのを譲ってもらってな」
 食い気味でミサキが運んできた椀の中身を見ようとする桜に、ミサキは苦笑した。彼女は寮を利用しているわけではないが、ごくまれに食事を振るまってやることがある。見た目に寄らずよく食べる彼女の食べっぷりをミサキは憎からず思っていた。
「さ、召し上がれ」
 最後に梅干しとしゃもじをふたつ置いて、ミサキも椅子に腰を降ろした。
「いただきます」
 大小さまざまないただきますの後、真っ先にちらし寿司に手を伸ばしたのは太宰だ。千里も手早く昼食を終わらせて部屋に戻ろうと、先に取り皿にちらし寿司をよそう。
 桜と土方は、吸い物を堪能した。刻まれた柚子が彩を添えて、暖かい出汁の味が体に染みわたる。鯛の独特の香りに、土方は目を細めた。疲れが癒され、回復するとはこういうことを言うのだろう。
 ちらし寿司にしゃもじを入れた桜は瞠目した。焼かれた鯛の白身がほぐされてところどころに混ぜ込まれている。少しだけ冷めた酢飯はそれでもしっかりと味がついており、酢漬けにされていたらしいレンコンを三つ葉の香りが中和した。
「んまい」
「あぁ、美味いな」
「そりゃそうだろうな」
 自慢気にミサキが頷く。最早定番のやり取りだ。土方一人が淡く苦笑して、吸い物で口を湿らせた。
「この梅干しは? 随分でかいが」
「あぁ、さっき持ってきてもらったんだ」
「持ってきた」
 桜が片頬を膨らませる。もごもごと動くそれに土方は栗鼠を思い浮かべた。
「お前が?」
 ごくん、と音を立てて桜が口の中にあるものを飲み込む。
「お師匠から。梅酒も」
「貰った鯛にもなんだかんだそのお師匠が関わってんだよな」
……相変わらずお前の師匠は顔が広いな
「梅は花が盛りだろう? 実はもう少し後じゃないのかい」
「去年の」
「嗚呼、成程」
「ちょっと甘い」
 ミサキが小皿に取り分けたそれを、千里の方へさりげなく押しやった。千里は黙って受け取って、見た目だけで口の中が酸っぱくなるそれに箸を入れた。
 種が大きいのか、上手く分けられない。小さくなってしまったそれをおそるおそる口に入れて、咀嚼する。
 確かに、少しだけ、甘みが足されている、……のかも、しれない。
 味覚にそれほど明るくない千里は首を傾げて、わかりやすいちらし寿司と吸い物を食べることにした。鯛の吸い物は言葉で言い表すには難しい不思議な味がしたが、美味ではあった。
 結局米粒ひとつ残さず綺麗に食べきった四人は、ミサキが淹れた茶を手に食休みと洒落込んだ。ミサキは洗い物をするために厨房に戻っている。千里は一重に逃げられなかったのだ。
「片岡君は今日は何故その恰好を?」
「稽古」
「剣道部だッけ」
「槍術」
「へぇー、多芸だねぇ」
「のんびりしてていいのか? 昼からもあるんだろう」
「うん」
 時刻は三時になろうかとしていた。「まあそう急ぐなよ」厨房でミサキが声を張る。
「桜餅がある」
「まだ桜には早いだろう」
 太宰が笑ったが、桜は茶を入れ直すと居座る姿勢を見せた。
「土方先生と一ノ瀬君も食べて往くと良い」
……
……
 千里はうっかり土方と視線をかち合わせてしまったが、その双眸に宿るのが諦念だったことから、このひとも太宰に振り回されているのかと、同情のような、親近感のようなものを覚えた。
 そしておそらく自分に拒否権はない。いやあるにはあるが、行使した後が面倒くさい。千里も諦めて、椅子に深く座り直したのだった。