【なに清】二月

※大量地雷生産機です。爆散しない人だけ読んでください。

【登場人物】
片岡桜:ほとんど毎日道場に通っている。
藤原彰子:天真爛漫なお嬢様。何をやっても嫌味にならない。
藤原章子:彰子とそっくりの異母妹。ちょっと引っ込み思案で大人しくて物静かな性格。
安倍昌浩:両親が海外で仕事をしているため、祖父が運営しているアパートに住んでいる。
騰蛇:アパートに住んでいる学生。
勾陣:アパートに住んでいる学生。
太陰:アパートに住んでいる小学生。
玄武:アパートに住んでいる小学生。

 二月


 日本のどこかの地方の方言に、しばれる、という言葉があるらしい。
 つくづく日本語というのは人の体感を細やかに丁寧にそして限りなく正確な精密さで表現することに長けている。白い息を吐き出しながら、桜は体を一度大きく震わせた。
 昨晩からの、この度を越えた冷える感覚はもしかして、と当たりをつけていたが、まさか本当に降るとは。
 音もなく宙を舞う白いふわふわとした、俗に雪と呼ばれるそれを見ていると、この世から全て音が消えたのではないかと錯覚する。
 視界のほとんどを、白が埋め尽くす。桜は思わず目の前の空間を食い入るように見つめて、どこかへ吸い込まれてしまいそうな感覚にくらりとめまいを覚えた。
「!」
 不意に、ダウンジャケットのポケットが震えて、桜の手に振動を伝えた。
 冷えて固まった手をどうにか動かしてスマートフォンを取り出し、ロックを解除する。画面を耳に当てるとひやりとしたものが伝わって、火傷しそうだった。
「もしもし」
 直前に見た画面には騰蛇という文字に淡く加工された勾陣の後姿が映っていた。先ほどもうすぐ着くと連絡を入れたはずだが、どうしたのだろう。
『桜?』
 こっそりと、囁くように確認されて、桜は思わず立ち止まった。
『私よ、彰子』
 くすくすと忍び笑いが聞こえる。歩みを再開させた桜は少々驚いて、ようやく「どうした」と一言を絞り出した。
『あのね、騰蛇が、桜がもうすぐ帰ってくるって言うから、見せてって言ってね、勝手に電話したの』
「そうか」
 一昔前では財閥と呼ばれ、現在大手総合企業としてその名を馳せる「FUJIWARAコーポレーション」の令嬢、つまりは社長のご息女、藤原彰子は、実に楽しそうに、潜めた声で続けた。
 遠くで「勾、俺のスマホ、どこにやった」「さぁ、知らんな」「おい、しらばっくれるな。彰子に聞けば……彰子?」といった会話が聞こえる。
『そう、えっと、今日、私だけじゃなくて、章子もいるの』
「誰だ」
『私の異母姉妹なの。双子みたいにそっくりなのよ』
「ほう」
『あの……一緒でも、いいかしら。あの、是非、桜に紹介したいと思って』
「構わん」
『本当? ありがとう!』
 彰子の声が弾む。心の底から喜んでいるらしい言葉に、桜も自然と足が軽くなった。
『じゃぁ、昌浩と、太陰と、玄武と、えと、皆、皆で、待ってるわね!』
「うん」
『気をつけて、帰ってきてね!』
「うん」
 音を立てて通話が切れる。スマホを取り出す前より自由を失った手は、うっすらと赤く染まっていた。


 門を通り抜け、短い石畳を越える。木枠に硝子の引き戸を横に開け、ただいまと声を張った。
 数拍置いて、「おかえりなさい!」と声がかかる。踵を返して靴を揃えていた桜は、おぉ、と生返事をした。
 くんくん、と桜の鼻が甘い匂いを捉える。
「ぜんざいか」
「!」
 ぱぁ、と目を輝かせた彰子が、ひょっこり出していた顔を引っ込めた。
「騰蛇、桜ったらすごいわ! もう当てちゃった!」
 私が聞こうと思ってたのに! 彰子は心底楽しそうに台所の方へ移動したらしい。手を洗って来い、騰蛇の声がいつもの調子で廊下に響いた。
 荷物を二階の自分の部屋に放り込んで、桜は手洗いうがいもそこそこに、住人の共用スペースであるリビングへ駆け込んでいった。
「おかえり、桜」
「ただいま」
 寒いにも関わらず、オフショルダーのニットを着こなし、その白い肌を惜しみなく晒している勾陣が待っていたと言わんばかりに茶を差し出す。相変わらず不器用になみなみと注がれたそれを啜って、桜は目を細めた。暖かい。
「おかえりー」
 リビングの隣にあるダイニングルームには、大きなテレビが壁際に設置されている。テレビの手前にはラグが敷かれ、それを囲むようにソファが三つ置かれている。声はソファの向こうから聞こえてきた。
「ただいま、」
 言いつつ、桜はソファの背もたれの後ろからラグの方を覗きこんで目を見開いた。朝、アパートを出る時までは見なかった炬燵が意気揚々とそこに鎮座していたのだ。
「騰蛇が出してくれたんだよ、これ」
 もこもこの半纏を着込み、炬燵の机にノートと教科書を広げた昌浩がいいだろうと意地悪く笑う。桜は自分の分の茶飲みを持つと、いそいそと埋まっていない炬燵の一片を占領した。
「あっ、そこ彰子の場所だぞ! ……野々村議員の物真似は古くないか」
「まぁそう固いことを言ってやるな、昌浩」
「モテんぞ」
「もて!? もっ、もてなくてもいいしべつに!!」
「桜は折角のフォローを台無しにするんじゃない」
 まったく、と騰蛇が嘆息する。ごほん、と昌浩はわざとらしく咳払いした。
「こちら、藤原章子さん。彰子の親戚で、俺らと同い年」
「はじめまして、章子です」
「こっちが片岡桜。今年の四月に高二だっけ。俺達の四つ? 三つ? 上の学年。桜も清涼だよ」
 章子が丁寧に頭を下げる。一呼吸遅れて、桜も丁寧に礼を返した。
「おい、誰か、太陰と玄武を呼んできてやれ」
「だってよ」
「俺かよ」
 騰蛇の言葉を桜が見事に流し、昌浩がげんなりと肩を落とした。桜は梃子でも動く気が無いらしい。
「こんな風にすごい理不尽な人だからね、気をつけてね。桜、章子の事いじめんなよ」
「それぐらい選ぶ」
「えっ喧嘩? 買うよ?」
「ほう」
「嘘ですごめんなさい俺太陰と玄武呼んでくる」
 昌浩はあっさりと炬燵から抜け出した。入れ替わるようにして、湯気を立てているぜんざいが入ったお椀を大きなお盆に四つ乗せた彰子がラグに膝を着く。
「はい、お待たせしました」
「先に食べてて」
「ありがとう、昌浩」
 彰子が座るスペースを開けた桜は、早速手を合わせている。教科書とノートを適当に片付けた彰子は、桜が空けてくれたスペースに体を滑り込ませた。
「彰子、今日、いざとなったら教えてくれる高校生の先輩って……
「そう、桜の事よ」
 木匙で掬った汁粉をふうふうと息を吹きかけて冷ましていた桜は、瞬いてその動きを止めた。まじまじと彰子を見やると、彼女は「言ってなかったかしら?」と可愛らしく小首を傾げて見せた。
 聞いていない、と言おうとした桜を遮って、勾陣が言葉を挟む。
「そのぜんざいは彰子からの差し入れだ」
 にっこり! と効果音がつきそうな笑顔を彰子が浮かべる。桜は半眼になりながら木匙を咥えた。甘ったるい小豆の味が舌に染みわたり、飲み下した喉から、胃から、じんわりと暖かいものが体中に広がっていく。
……仕方ない」
「ありがとう、桜!」
「ありがとうございます」
 桜は白くて丸い餅を口の中に放り込み、ゆっくりと咀嚼した。美味い。そして甘い。
 少しして、どたどたと賑やかな足音が近づいてきた。二つが台所の方へまっすぐに進み、一つは「ぜんざいだ~!」と嬉しそうに炬燵に収まる。
「あっ、こたつ!? 昼間にがたがたうるさいと思ったら、こたつ出してたのね!? 教えてくれてもいいじゃない!! すごく寒かったんだから!!」
「いただきます」
「あっ待って、私も食べる!!」
 太陰がいるだけで、その場が一気に喧しく、いや賑やかになる。玄武はさっさとリビングのテーブルに着き、さっそくぜんざいに手を付けたらしかった。
「そうだ、桜」
「ん」
「後で太陰が」
「桜、帰ってきてるの!?」
 勾陣を遮って太陰が立ち上がったらしい、椅子が派手な音を立てる。なんだ、と桜はどうにか壁になっているソファから顔を出そうとして、すぐに諦めた。
「ねぇ桜! 雪は!? 雪、降ってた!?」
「まずおかえりだろう、太陰」
「あっそうね、お帰りなさい! おけいこお疲れさま!」
「ただいま。雪なら降ってた」
「やった!!」
 飛び上がって喜ぶ太陰とは対照的に、えぇえ、と昌浩が瞠目した。本当、と彰子が確認しようとスマホを取り出す。
「積もってはいなかったが」
「帰り、大丈夫? 二人とも」
「いざとなったらお迎えが来るから、大丈夫よ」
「章子は?」
「章子も、おうちの近くまで送ってくれないか頼んでみるわ」
「ありがとう、彰子」
 バスの遅延状況を確認しようとしたらしい章子は、ほっと安堵して微笑んだ。
「ねぇ、後で皆で外に行きましょうよ!」
 雪を見に行こうとはしゃぐ太陰に、玄武が寒いのに外に出たくないと口を尖らせた。太陰はそんなんだから友達できないのよ、と容赦ない言葉を玄武に突き刺していく。
「その前に、今週の宿題は終わったのか、お前たち」
「ぎくっ」
「我はあと漢字ドリルだけだ」
「いまやってまーす」
「やってまーす」
「まーす」
「みかんは?」
 最後の桜の一言に、勾陣は吹き出し、騰蛇はがっくりと肩を落としてため息をついた。
「桜……この場で唯一の現役高校生、正直に答えろ。課題は?」
「誰だそれは」
「ひとじゃない!! お前わかって言っているだろう!!」
「炬燵にみかんがない方が重要だろう」
「じゃぁ取って来い、いつも米を置いてある場所に段ボールひと箱分置いてある」
 騰蛇が青筋を額に浮かべながらリビングの外を力強く指し示した。いつの間にかぜんざいを完食した桜は、無言で寝転がり、肩まで炬燵布団を被った。
「風邪を引くぞ、桜」
「食われた」
「騰蛇ー、これ桜しばらく動かないよー」
 勾陣がくすくすと忍び笑いをこぼしながらも注意する。しかし桜はますます体を縮こまらせて炬燵の中に収容されていく。彰子と章子は顔を見合わせて、たまらずに噴き出した。
 昌浩に続いて、太陰と玄武が諦めろと諭した。騰蛇は小学生二人にまで似たようなことを言われ、何故か虚しいような、釈然としないものを抱えながらリビングを後にしたのだった。