【少陰】畢生道中膝栗毛

※少年陰陽師二次創作(後々大量クロスオーバー予定) 
※オリキャラが主人公です 二人に増えました
※じい様と昌浩と藤花と神将がちょっと出ます
※いろんな作品と微クロスオーバーし始めてる
※キャラ崩壊しとるかも
※続く予定

 数日後。
 冴美の傷はほとんど塞がった。熱が引き、痛みが消えてからは、動けるようになるまで、そう時間はかからなかった。
「見た目はだいぶ綺麗になってきてるわ。良かった……
「藤花たちのおかげだな。ありがとうございます、ほんとに」
 一生懸命に冴美の怪我の手当をしていた藤花は、嬉しそうにはにかんだ。
 さて、少しなら背中を丸められるようになり、体を捻ることができるようになった冴美は、布団から出て歩き回ることができるようになっていた。腕を動かしても、背中の傷が痛むということもなくなった。
 しかし、まだ鎧武者の騒動が解決していないこと、そして冴美の体力がまだ完璧に戻っていないことから、晴明が「まだしばらく滞在なさるがよろしい」好々爺らしく、ニコーッ! と微笑んで言ったので、安倍家一同及び冴美は、承知しましたと今しばらくこの生活を続けることになったのだった。
 動けるようになった冴美は、積極的に家の細々としたことを手伝った。
「冴美さん、そこの甕を取ってもらえる」
「はい!」
「お水を汲んできてほしいのだけど」
「はい!」
「あとは薪ね、頼めるかしら」
「はい! やってきます!」
 それはもう、積極的に手伝った。
 晴明や吉昌が、そこまでするのか、とちょっと驚いて瞠目するくらい、冴美は露樹や藤花の言うことをよく聞いた。水を汲んだら重いだろうし、冴美の手は斧など持ったことがないような柔らかさだったのに、冴美は嫌な顔ひとつせず、一つ一つの仕事を精一杯に頑張った。
 露樹とて、はじめは客人として扱うつもりだったが、冴美が申し訳なさそうに「据わりが悪くて。何かさせてください」と頭を下げたので、それならば仕方ないと、藤花に教えることは少しだけ憚られた力仕事を主に冴美に任せることにした。冴美は喜んで家の仕事を手伝った。
 冴美は露樹や藤花より背が高かったので、高いところの掃除も主に冴美が担当することになった。
 冴美は初め、教えられた通りに、掃除用の手ぬぐいで妻戸の上だったり、格子の上だったりを吹いていたが、ある時ふと思い立って、薪割りの時に出た細長い木の破片にくるっと布を巻いた。そして、巻いた布で妻戸の上を、つーッとなぞる。
「おお」
 チラッと見ると、自分でなぞったときよりも段違いに汚れが着いていた。どんな差があるのか分からないが、ほんの少し楽になったので、今までと同じ時間で他の部屋のぶんも掃除できるようになった。
…………
 これは、使えるのでは?
 同じ要領で、冴美はあるものを作ることにした。



 冴美は、薪割りをした時に出た細い木片を小刀で滑らかな手触りにした棒と、割いた手ぬぐい、短い紐を用意した。
 細長くなった手ぬぐいを、紐で棒にくくりつける。持ち手の棒部分を持って、冴美は高いところをぱたぱたと叩いた。ふわふわ舞った埃が陽射しにきらきらと光る。
「これなら露樹さんと藤花でも届きますかね」
「まぁー、すごいわね、藤井さん」
 冴美が作ったのは、現代で言う、ハタキである。ちょっとだけ気分の良くなった冴美は、てれてれいそいそしながら作り方を説明した。
「いやいや……汚れたら洗ってもいいですし、古い布に変えるのもありです。ここを紐で括ってるだけなので」
「あら、これなら私にも作れそうだわ」
「すごい。冴美、物知りなのね」
 この頃になると冴美は、藤花や昌浩とは、名前で呼び合う仲になっていた。
 一方で、依然として、鎧武者は見つからない。
 日の出前に起き出して、露樹を手伝って朝餉の支度や家の周りの雑事を片付ける。吉昌や昌浩が出仕するのを見送って、家の掃除をしたり、庭の片付けをしたり。日が暮れてくると夕餉の準備を手伝って、吉昌達が帰ってきたら食事をして、日が沈んだら少しだけ昌浩や藤花と話し、油が勿体ないので早々に床に就く。
 はじめのうちは冴美も指折り日を数えていたが、同じ国とは言え時代が1000年も変われば別世界である。
 生活習慣は違うし、文化も、価値基準も違う。視界に映る全てが、冴美にとっては新しい世界で。
 いつの間にか、掌の、指の付け根の部分は、皮が固く、分厚くなっていた。
……
 じわりと、摩擦の熱が残って、存在を主張する。
……いたくない、いたくない……
 大丈夫、これくらい、大丈夫。言い聞かせて、斧の柄を握り直す。
 背中を斬られたときの、思い出したくもない、身体の芯がどこぞにヒュッと落ちてしまうような恐怖に比べれば。なんてことないんだ、こんなことは。
 冴美は、意識して深い呼吸を繰り返した。井戸から水を汲み、斧を振り上げて薪を割る。噎せながら火を起こし、息切れしながら床を拭いた。
 肉刺が潰れて痛かったり、生活習慣の違いで苦労したりしたときもあったが、背中の傷より痛くない、死ぬよりはマシだろうと、冴美は必死に自分で自分に言い聞かせ、歯を食いしばって、なんとか顔を上げ続けた。
「ただ今帰りましたあ」
 日も沈む頃。
 遠くから、昌浩の声が響いてくる。冴美は庭伝いにひょこっと玄関部分へ顔を出した。
「おかえり、昌浩」
「ただいま、冴美。って、うわ、またなんか新しいの作ってる……
 苦笑する昌浩に、冴美は手に持っていたものをちょっと掲げてみせた。
「これか? 箒だぜ」
「ほーき」
「いい感じの棒が落ちてたからな。いい感じの長さの枝を集めて、紐で括ってみた」
「へえー。それで何するの?」
「落ち葉とか集められるぜ」
 ほお、と昌浩が感心する素振りを見せてくれる。冴美はちょっとだけソワッとしたが、それ以上箒について何か言うのは堪えることにした。
「今日の夕餉、確か昌浩の好きなやつだぜ」
「お、ほんと? やったぜ」
 とたとた、軽快な足音を立てて昌浩が邸の中へ上がっていく。昌浩を見送って、冴美はまた庭へ戻った。冴美にとってすごく広い庭は、なんだかんだ言って落ち葉や枯れ草などがそれなりに溜まっていた。


 夕餉を終えると、辺りはすっかり暗くなっていた。
 昌浩の部屋で藤花達とゆっくりしながら、冴美はぽけらっと呟いた。
「最近、日が沈むのが早いなぁ」
「もうすぐ冬だからね」
「道理で最近、朝晩冷えるはずだぜ……
 井戸水も日に日に冷たくなっている気がする。冴美は裾の中で手を擦り合わせた。
「冴美の時代も、冬は寒いんだね」
「そりゃ寒いよ……?」
「未来でも変わらないことってあるのね」
「そりゃ……そうだね……?」
 季節が移り変わるのは日本が地球の北半球に位置していて、地球が自転しながら太陽の周りを公転しているからであって……と地理の知識が一瞬にして冴美の脳裏を駆け抜けたが、冴美は口を噤んで何も言わないことにした。
「昌浩は、今日は夜警には行かねえ感じか?」
「あー、うん、そうだね。今日は休みかな……
「わかった、じゃあ妻戸とか閉めちまうぜ」
「うん、ありがとう」
……ねえ、昌浩」
 うん? 昌浩が顔を上げる。藤花は考え考え、言葉を選んでいる風情だった。
「鎧武者の妖は、もう出てこないのかしら……
……うーん……そうだといいんだけど……
 苦い顔をして、昌浩が腕を組み、首を捻る。
「相変わらず、何も情報無し、か」
「噂はたくさんあるんだけど……今日聞いたやつは、今までのやつとそんなに変わらなさそうだったし。また明日聞き込みかな……
「そう……
…………
…………
 部屋に、ほんの少し、微妙な空気が漂った。
 昌浩の視線が、ちょっとだけ彷徨う。藤花も、何か言葉を探しているらしい。
……なあ、昌浩」
「、なに?」
「うちさ、そういや、陰陽寮とか、昌浩が出仕してるとこがどんなとこなのか、あんまり知らねえなって思って。内裏、って言うんだろ?」
「え、あー、そう、ええと、正しくは大内裏だね。内裏は帝がおわしますところだから……
「あ、そうなのか。なるほどなるほど」
「えーと、内裏の周りにたくさん建物があって……俺が出仕してる陰陽寮も、そのうちのひとつ」
「他にはどんな寮があるんだ?」
「寮。寮だと、図書寮とか……?」
「ずしょ」
「こういう字を書くのよ」
 藤花が指で床をなぞって形を示してくれる。
……としょ?」
「ず、しょ」
 へえー、と冴美は目を瞬かせた。
「冴美の時代だと、としょって読むの?」
「いや、でも確かに『ずしょ』とも読めるな……
「千年先の未来でも同じ文字使ってるの?」
「おう! 漢字と、ひらがなと、カタカナな。たまに外国……えーっと、中国以外……あーっと、今って確か……唐? 隋?」
「ずい?」
 昌浩と藤花が顔を見合わせる。冴美は察した。
……唐の国以外の国の文字も使うぜ!」
 へーっ、昌浩と藤花が目を丸くして感嘆する。
「図書寮って、何をするんだ?」
「えーっと、紙とか筆とか……あとは書物の管理とか。俺もよく行くところなんだよね」
「紙とか筆は、そりゃ仕事でいるよなあー」
「そう、暦作ったりするのに使うし……
「あ、へえ、暦を作ってるんだ、陰陽寮って」
「他にもいろいろ……刻限を管理したり、星を見たり。内裏の儀式の手伝いをしたり……
 へーっ、今度は冴美が目を丸くする番だった。
「冴美のところには、陰陽寮はないの?」
「少なくともうちは聞いたことないなぁ」
「そ、そうか……なくなるのか、1000年先には……
「でも、天体観測……星を見る仕事はあるぞ。国……政治……うーん、内裏みたいなところでやるんじゃなくて……普通の……物を売ったり買ったり作ったりするような仕事と同じような感じだけど」
「なくなって……ない……?」
「だな!」
 よ、よかった、なんかよくわかんないけど、と昌浩が胸を撫で下ろす。そりゃあ自分の仕事が未来にはなくなる仕事になると聞かされるのはあんまりいい気分じゃないよな、と冴美はちょっとだけ反省した。
「でも、陰陽師はきっと、未来でも必要とされてるでしょう? 妖とかもいるんでしょうし……
「うーん……うちは、妖とは出会ったことない……というかこの間の鎧武者が初めてだったんだけど」
「え、そうなの」
 まあ意外、と昌浩と藤花が同じように驚いて、顔を見合せ、また冴美に視線を戻す。冴美は、そんなふたりを可愛いなと思いながら、うん、と頷いた。
「でも、陰陽師は、いるよ。すっげー奴なんだ。うち、そいつのおかげで、たぶん、今、こうして元気でいられるんだと思う」
……
……そっか……
「だから、そいつにちゃんと礼を言うためにも、そろそろ帰る方法を探すか考えなきゃしないとな。昌浩も、何かわかったら教えてくれると、嬉しい」
…………うん。わかった」
「ありがとう」
 昌浩は、ほんの少し困ったように眉を寄せていた。彼は心配させたくないからか、藤花や冴美に夜警のことや、鎧武者のことなどを、あんまり話さなかったし、話題として避けているようだった。
「昌浩。私にも、話してね」
「え……、あ、うん……
 ぽりぽり、頬を指でかく昌浩。冴美は「そろそろ寝るか」と藤花を促し、連れ立って昌浩の部屋を後にした。




 翌日、冴美は、家事を一通り終えると、晴明の部屋を訪った。
「これは、どうされましたかな」
「すいません。少しの間、大丈夫ですか?」
「はい、どうぞ」
 何か書き物をしていたらしい晴明が向き直ってくれる。ここ数日の暮らしで随分慣れた正座をして、冴美は少し遠慮がちに口を開いた。
「これだけお世話になっている身で厚かましいのは重々承知ですが、ひとつお願いがありまして」
「ほう。なんでしょう」
「えーっと、塗籠……? に、本……ええと、冊子……、あ、書物! 書物があると思うんですが!」
「ああ、はい。あれがどうかしましたかな」
「宜しければ、読ませて頂きたいんですけど……
「ほう」
 意外な申し出に、晴明は素直に驚いた。
「それはまた、どうして」
「いや、ちょっと。……専門家に任せた方がいいのも、分かってはいるんですが」
 冴美は、少しだけ肩に手を添えた。背中の傷はふさがったが、痕はまだ残っている。
「専門家に、任せるのは、自分が勉強しない理由にしちゃいけないよな、と」
……ほう」
 好々爺の目元の皺が、深くなる。
「左様ですか。いや、さようならば、どうぞご自由になさってください。分からないことなどあれば、昌浩にでもお聞きくだされば、それはもう分かりやすく解説をしてくれることでしょう」
「そうなんですね! ありがとうございます!」
 嬉しそうに元気よく飛び出て行った冴美を見送り、再び文机に向き直りながら、晴明の眼裏には「また勝手なこと言いやがってこの狸……!」とギリギリする昌浩の姿が鮮明に映るようだった。


 一方、自分が昌浩へのある種のテスト代わりとされていることに全く気が付いていない冴美は、意気揚々と塗籠へ向かい、積み上げられた本の山から、まずは取り敢えず目に付いたものを手に取った。
「───」
 手に取って表紙をめくった瞬間、冴美は音を立てて固まった。何せ千年前の文字である。高校の古文や漢文のように、現代で使われている文字に変換されているはずもない。
 冴美を出迎えたのは現代で言うところの所謂「達筆」というやつであった。綺麗すぎて、却って現代の、特に大半の若者には読めない、という。
 しかし、文字が読めませんでした、で諦めるわけにもいかない。大きく形は変わらないのだから、きっと漢字の資料なら、と別の冊子に手を出したところ。
…………あれ?」
 意外や意外、結構するすると、つっかえることなく、言葉の意味や記されている内容が頭に入ってくる。
「古文こんなに得意だったっけ……? 苦手ではなかったけど……

 ───ま、読めるからいっか!

 元来活字中毒の気があり、本を読みながら歩いて電柱やら通行人やらを避けるのを得意としていた冴美は、いそいそと情報の海に飛び込んだ。
 当時の書物や情報は、ほとんどが漢字のみで構成されている。昌浩や藤花の時代になって、漢字かな混じりの物語や随筆が登場するようになった。仕事で使うお堅い文書は漢字で、女性が主に使うのは仮名、という棲み分けがなんとなくあったようで、冴美が手に取った書物も例に漏れず、いわゆる漢文で構成されていた。
 しかし、安倍邸の塗籠にある資料は、大抵が若かりし頃の晴明による書き写しである。晴明が個人的にまとめたものもある。ごく稀にかな混じりの文章が挟まると、冴美は途端に首を傾げることになった。
……読めるのと……読めねえのがあるな……?」
 なんでだろう、と首を傾げても、理由は分からないし、推測もし難い。冴美はひとまず書いてある内容を知りたかったので、冬に向けて繕いものをしている藤花に聞くことにした。
「藤花、お邪魔しても平気か?」
「ええ、勿論よ。どうかしたの?」
「藤花にちょっと聞きたいことあって……
 これなんて読むの、と指された箇所を、藤花はスラスラと読み上げた。
「へー……すげえや、うちには長い線がぐねぐねしているようにしか見えない」
「あら、そうなの? 冴美は漢字ができるから、仮名文字もできるのだと思ってたわ」
「や、できるけど、未来だとここまで文字と文字を繋げないんだよな……一文字ずつ区切って書くんだよ」
「まあ、そうなの。私達の間だと、こういうふうに繋げて書く方が良いとされているのよ」
「そうみてえだな……ありがとな、藤花。助かった」
「どういたしまして」
 分からないことがあれば、またいつでも聞きに来てね。
 優しく微笑む藤花に、冴美はなぜだかほろりと光るものが目尻から零れそうになった。人の優しさが心に沁みる。冴美は、自分がまだなんとか平気でいられるのは、絶対に昌浩や藤花のおかげだよなぁ、と少しだけ鼻を啜った。
「藤花さん、ちょっといいかしら」
 冴美がしんみりしていると、露樹が顔を出した。露樹さま、と藤花が会釈するのに倣って、冴美もぺこりと頭を下げる。
「まあ、お勉強なさっていたの?」
「あ、はい。何もしないよりはマシかと思いまして」
 そうなの、と露樹が少し目を丸くして瞬く。
「ところで、何かございましたか?」
「あ、手伝い要ります?」
 用向きを訊ねる藤花に、冴美が書物を閉じて腰を浮かす。露樹は瞬いて、ああそうそう、と相好を崩した。
「市までお使いをね、お願いしようかしらと思って」
「かしこまりました」
「冴美さんも一緒なら、少し重いものを頼んでもいいかしら」
「はい! お任せ下さい!」
 力瘤を作って、はりきって返事をする冴美。藤花は繕いものを、冴美は書物を片付けて、後に合流することになった。
「今日は雲行きが怪しいから、なるべく急いでね」
「はーい!」
 ぱたぱたと急ぎ足で塗籠に書物を戻す際、あ、と冴美は思わず声を上げた。

 そういや、うち、件の鎧武者から匿われている体で安倍邸に居候しているのだった、と。

 冴美の中に、真昼間から妖が出てくるイメージはなかったが、念の為、晴明には申し伝えていた方がいいだろう。冴美は再び晴明の部屋を訪れようとして、「藤井殿」「アッハイ!!」塗籠を出た途端、晴明本人に出くわして、びっくりして反射的に肩どころか全身を跳ねさせてしまった。晴明はきょとんとして、何度か目を瞬かせた。
「これは、驚かせてしまいましたな」
「あ、イエ、ハイ……、あっ、えっと、何か御用でしたか」
 実は露樹さんにお使いを頼まれて、と言いそうになるのを堪えて、冴美はまず晴明の用向きを聞いた。
「いえ、先程露木殿に市まで使いを頼まれたかと」
「あ、ハイ!」話が早いな、と冴美は内心驚いた。もしかすると、露樹が先に話を通していたのかもしれないと思い直して、「うちも、その件で晴明さんに聞いておきたくて……」話を続けることにする。
「鎧武者って、昼間には出ない……ですよね?」
「おそらくは」
 晴明は鷹揚に頷いた。ほ、と冴美が胸を撫で下ろす。
「ですが、念の為、我が式神を護衛に付けさせます。万が一の際は姿を顕しますので、あまり驚かれぬように」
「はい、分かりました。何から何まで、ありがとうございます」
 ぺこー、と頭を下げる冴美に、晴明もお気になさらずと笑みを深める。
 晴明と別れて藤花の部屋に戻る道すがら、そう言えば、と冴美は日本史の資料集に載っていた晴明伝説を描いた絵巻き物のひとつを思い出した。ついでに、式神にまつわる晴明の逸話も。
 曰く、晴明の奥方が異形のものをひどくおそれるので、一条戻橋の袂に式神を控えさせていたという。
 あの安倍晴明なのだから、式神のひとりやふたり、居てもおかしくないか。ホントに葉常とか罔象とかいうのかしらん、と冴美はちょっとだけソワッとしたが、深く言及するのは避けることにした。



 平安時代、洛内における物の売買は、都の南、七条通に設けられた二つの市場で行われていた。現代でいうところの、京都駅付近である。二十一世紀では千本通としてその姿を残す朱雀大路を挟んで東西に設けられていたため、そのまま東市、西市と称されている。それぞれの市には市司が置かれ、公的に市場を管理していた。市では錦、綾、絹、綿、染物などの衣服に使えるようなものから、油、土器など日常生活用の雑貨、干物などの保存食材、牛までもが売買されていた。この時代の市は毎日開かれているものではなく、定められた日に人々が簡素な柱を建て、屋根を被せ、棚を置いたり、地面に商品を直に置いたりして商売を行なっていた。
「牛までいるのか……
 よく見えないながらもシルエットからハッキリと分かるその姿と特有の獣臭さに、冴美はきゅっと目を眇めた。
「冴美の時代では、牛は売られていないの?」
「普通には売ってないかな……
「まあ、じゃあ移動はどうするの? 車とか」
「くるま」
 冴美の脳内を、ちょっと懐かしささえ感じる四角い鉄の車やバスがぶおーんと横切った。未来の車は牛ではなくてガソリンや電気などで動くのだということを説明しかけた冴美の脳裏に、これまた日本史の資料集で見かけた絵巻物が思い浮かぶ。確かこの時代は牛に小さな部屋を引かせて、その中にやんごとなき身分の人を乗せて移動していたのだった。牛車というものだったか、となんとか思い出す。
「冴美の時代に車はないの? 網代車とか」
……ない…………
「まあ」
「代わりに鉄の塊がものすごい速さで走ってる」
「てつ?」
……刃物とかに使う金属のこと」
「きんぞく」
 そうか、この時代、鉄ですら珍しい物の類に入るのか。刀は確か平安より以前からあったはずだけど、藤花には縁がなさそうだしな……。冴美は現代が如何に物に溢れて世情に流通しているかをまざまざと痛感した。
「ところで、冴美、視界は大丈夫? 今のところ、きちんと歩けているようだけど……
「うん、大丈夫。めっちゃボヤけてるけど」
 冴美にとっての必需品である眼鏡が平安時代においては珍しい存在であることは、この時代に疎い冴美でも分かる。変に絡まれても面倒なので、冴美は眼鏡を外して藤花の後についていくようにして歩いていた。
……すごく険しい顔になってるけど……
「んー、こう、焦点を……いや、ちゃんと見ようとするとこうなっちまうというか。ごめんな、人相悪くて」
「ううん、冴美がどこか痛むとか、そういうのでなければいいの。良かった」
……痛むことはねえから大丈夫だよ……ありがとな……
 藤花の優しさがじんわり心に沁みていく。冴美は買った物を預かりながら、そういえば、と背中の傷に意識を向けた。鏡などで確認したわけでもないので、傷がどのようになっているかは分からない。もうすっかり痛まなくなって、今まで通りに動かすのに全く支障が無いのは分かる。加えて、ここまで歩いても、あまり体力の衰えを感じない。
 家事労働がいいリハビリになったのだろう。痕が残っていたとしても、命あってのなんとやらである。冴美はちょっとだけ前向きな気持ちになりながら、肩に干物を担ぎ、小脇に甕を抱えた。甕の中には酒が入っている。露樹から頼まれたこの時代の調味料だった。
「お魚の干物を幾つか、果物、お酒、塩を少し、針と糸と、絹を少し……うん、これで全てかしら」
「りょーかい。西の方には行かなくていいのか?」
「ええ、あちらは少し……ええと、こちらの市の方が栄えていて、物も多いの。西の市にしかないものはないから……今日はこれでおしまい」
「分かった。じゃ、日が暮れないうちに帰ろうぜ」
「そうね。のんびりしていたら黄昏刻になってしまうし」
 夕暮れ時。日が沈み始めて、東の空に夜の帳が下りる訪れ始める頃。陽と陰が混ざり合って、ものの境界線が曖昧になる時間のこと。逢魔刻とも言う。
……そうだな。今日は曇ってるから、暗くなるのが早そうだし。急ごう」
「ええ」
 頷いて、堀川を超える。西洞院通を北にまっすぐ進めば、安倍邸だ。行きは藤花が市の説明をしながらの道程だったので短く感じたが、二人とも急いで歩くとなると会話も減る。なんとはなしに冴美が感じていた気まずい空気を、ごろごろという遠雷が掻き消した。二人揃って振り返り、遠くの空でひらりと駆ける白刃を目の当たりにする。
……マジで急いだ方が良さそうだな」
「そうね、」
 藤花が着物の裾をたくし上げる。片手で絹と塩は持てぬだろうと、冴美は狩衣の懐にいくらか物をしまうと、藤花から絹を受け取った。
 七条通から一条通まで、普通に歩いたら一時間はかかる距離だ。冴美にとっては走れない距離ではないが、果たして藤花はどうだろうか。
「藤花、いざとなったら走れるか?」
「あ、あんまり……!」
 ですよね! 冴美は内心で大声を上げた。藤花をはじめとした安倍邸の人たちが気さくで優しいのでうっかり忘れがちだが、藤花たちは立派な貴族で、特に彼女はお嬢様である。外を走るなんて滅多にどころか、絶対しないに違いなかった。
 ごろごろ、音が次第に大きく、近付いてくる。
 いざとなったらどこかで雨宿りした方がいいのでは、と冴美は辺りをキョロキョロと見渡したが、視界に入るのは立派な塀ばかり。軒先を借りられそうな邸や家は見当たらない。
 雷はまずい。この辺りは高い建物がないので、下手をすれば人間に直撃してしまうかもしれない。雷に撃たれた人間は下手をすれば死んでしまう程度の知識しかないい冴美は、甕と脇の間に絹を挟むと、空いた片手で藤花の手を取って歩く早さを上げた。あんまり全速を出しては藤花の足がもつれてこけてしまうかもしれないので、ほんの少しだけ歩幅を大きくする。ごろごろ、ごろごろ、二人の背中を、遠雷が追い立てる。
…………!」
「え!? なんて!?」
 藤花が何か言った、後方を振り返ろうとした冴美の視界が、───白く、爆ぜた。

「───!!」

 咆哮が、轟く。地揺れのような音が、後から振動を伝えてくる。
 どさ、と片腕を引っ張られた。視界がチカチカしていて、よく分からない。藤花の手が逸れそうだった。力を入れ直し、「ふじか、」なんとか声を張り上げるも、耳の中でこもってよく分からない。重みに引きずられて、膝が硬いものに当たる。数拍遅れて、地面だと理解する。
 何度もぎゅっと力を込めて瞬きを繰り返し、頭を振って、なんとか視界を取り戻そうとするも、よく見えない。音もこもって、よく聞こえない。
……!! ………………!!」
 藤花の、声。名を、呼ばれている。
「冴美……! 逃げない、と……!!」
「───」
 は、と息を呑む。
 音を立てて、世界の色が帰ってきた。目の前に、ぼんやりとした、藤花の姿。
 その向こうに、短刀を咥えた、骨の異形。
 冴美の目が見開く。誰かが何かを叫んでいる。

 ───逃げないと。

 ───藤花、守らないと。

 脳裏で、一つの景色が像を結ぶ。異形の短刀が不気味に光る。
 瞬間、冴美は、一歩を踏み出した。



 うわあ!! と言う悲鳴と、どさどさ、がつん、ごとん、という賑やかな音に、露樹は思わず繕い物の手を止めた。門の方かしら、と様子を見に行くと、階に寝転がって、廊に頭を打つような形で、冴美が目を回している。その上で、藤花がううんと呻いている。
「あらまあ」
 伊達に吉昌の幼馴染をやっていたわけではない露樹は、テキパキと藤花と冴美を起こし、甕や絹、塩を避難させ、冴美の頭や藤花の手足に大きな怪我がないことを確認した。
「二人とも。おかえりなさい」
 ぱちくり。二人は揃って瞬き、顔を見合わせ。
「ただいま、帰りました……?」
 二人揃って、キョトンとしたまま、弱冠首を傾げながら、帰宅の挨拶をしたのだった。