桜霞
2022-06-13 14:04:37
19385文字
Public 【twst夢】フライパンは無敵
 

ぶき ぼうぐは そうびをして みに つけるように!

#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主
2020/05/01にpixivに投稿したものの再掲です。





 最近、ナイトレイブンカレッジにおける職場環境は程よい改善が為されていた。それもこれも、異郷から闇の鏡に招かれてこの世界に来てしまったリンという女のおかげである。彼女はユウという女子と共にこの世界にやって来たが、お互い、ここに来るまで赤の他人であったらしい。
 ユウは学園長の取り計らいで入学式に闖入してきたモンスター、グリムと共に二人一組という扱いで生徒として学園に迎え入れられたが、リンはそうではなかった。入学式においてはこの学園の制服を着せられていたが、翌週辺りにはジャケットを脱ぎ捨てて学園の事務員として働いていたのだ。
 これがまあ有能で、良く気が付くし頭も回る。地頭がいいのか、基盤の概念から違うだろう世界へも、変に意固地にならず、柔軟に対応している。
 つまりは仕事ができる人間だった。最初の十日ほどはこちらが指示を出すことも多かったが、二週間も経てば彼女はブラウニーに例えられるほどの仕事っぷりを披露した。
 おかげで、教員は本業に対してこれまで以上に時間を割けるようになったし、他の職員も帰宅時間を早めることができるようになっていた。

 クルーウェルも、その恩恵に預かっている内のひとりだ。

 学園内のとある一角に用意された喫煙スペースで、クルーウェルはぷかりと紫煙を吐いた。
 少し前まではやんちゃな仔犬共の世話のためにこうして一服する時間を確保することも難しかったが、人が───それも結構優秀な───ひとり増えるだけで、随分な変わりようである。
 劇的な変化をもたらしたわけでも、仕事が数段楽になったわけでもない。リンは魔力の無い人間なので、魔法を使ったわけでは決して無い。クルーウェルは仕事ができ、不慣れ故に生じるミスを未然に防ごうと健気に働くリンのことを、その利便性も含めて気に入っていた。ただいくつかの要素を除いて。
 
 ───あれで、見た目がもう少し年相応ならな……
 
 そう、ただ、クルーウェルには、ほんの少しだけ、彼女の優秀さ故に目を瞑って口を出してこなかったリンの気に入らない点が幾つかある。
 その筆頭が見た目だ。クルーウェルはファッションに対しては譲れないこだわりがあった。他人の身だしなみをどうこう言うつもりは無いが、見ていてフラストレーションは多少なりとも溜まっていく。
 この世界に身一つで連れて来られてしまったせいか、リンは化粧をしなかった。数ヶ月前まで物置代わりの廃墟だったオンボロ寮に住んでいるせいか、それとも慣れない土地での生活故か、彼女の肌はしばらく荒れていた。身に着けているスラックスやシャツも繰り返し洗ってどうにか清潔感を保ててはいるが、既にくたびれ始めている。
 最近ようやく基礎化粧品を整えられたのか、学園に来てすぐの頃よりは大分マシにはなったが、それでもメーキャップ化粧品に手を出す余裕は無いのだろう。リンは相変わらず、くたびれたシャツとスラックス、何枚も布を重ねた重そうなショール、薄汚れた革靴、そしてすっぴんの顔で働いていた。最近は髪も伸びてきて、見ていて鬱陶しい。
 
 ───まるで学生だ。
 
 クルーウェルはリンを見るたびに顰め面しくなる己の表情をどうにかして引き締め、できるだけその苛立ちを表に出さないようにしていた。何故ならその状況は彼女の無精が引き起こしたわけではなく、リンの力ではどうしようもない環境要因によって作り出されたものであるからだ。
 
 ───そりゃ、私はまだ社会に出て数年ですけどね
 
 いつだったかに、リンはそれまでクルーウェルが見たことも無いような、生気の抜け落ちて、この世全ての絶望や怨念などなどを煮詰めたような瞳の色をさせ、地を這うような声でぽろりと零したことがある。
 
 ───どっかのクソシステムがこんなバグ引き起こさなかったら、もっとバリバリ仕事して、好きなだけ稼いで、好きな格好してましたよ
 
 職場も上司も選び放題だったわ、と続けられたそれは、言外に、この世界ではリンのみぞ知る、彼女本来の実力や能力への強かな矜持や自負が含まれていた。クルーウェルはイラっとしたが、彼女が不平不満らしきものを口にしたのは後にも先のもその時だけだったので、特に何も言わなかった。それに、彼女の言葉は、真実、正しいものではあった。
 しかし、同列には存在しない───特に目下の───他者を己の統制下に置くことが至極当然であるクルーウェルにとって、リンの、その決して折れない矜持こそ、凪いだ水面に波紋が立つような不愉快さをもたらしていた。
 敬意はある。礼儀も払う。気配りさえする。仔犬たちのように、ただ生意気なだけでも、こちらを小馬鹿にしているわけでも、変に擦れている訳でも、斜に構えている訳でもない。ただ、折れない強さが、膝を着いて屈服しない質素で慎ましやかな気高さがそこにある。
 
 ───いっそどこぞの箱入り娘のように我儘で高慢ちきな性格であればまだこちらもすっぱりと見切りをつけて徹底的に上から躾けてやれるのに。
 
 そうしたら、頭のてっぺんから手足の爪先まで、好きなようにいろいろ弄り回せる。一度気になり始めたら、特にファッションの事となると、クルーウェルの思考は止まらなかった。リンに似合う服やブランドが浮かんでは消え、浮かんでは消える。
 クルーウェルはシガレットホルダーを吸った。一息に吐き出された紫煙がゆらゆらと漂って、開け放たれた窓から外に消えて行く。
 はて、どこぞにアレを釣れそうな餌は転がっていないかと外をなんとはなしに眺めても、見慣れた風景が広がっているだけだ。
「おっ」
「ン?」
 人気の無かった喫煙スペースに、ふと聞き覚えのある声が木霊した。
 クルーウェルがそちらを顧みると、休憩に散歩でもしていたのか、手にマグカップを持ったリンがこちらを物珍しそうに覗き込んでいた。
「この世界にも煙管があるんですか」
 噂をすればなんとやらだ。クルーウェルは「きせる、」と片眉を跳ねさせた。何とも耳馴染みの無い言葉だった。
「違いますか。シガレットホルダー?」
「その通りだが」
「立派なコートが無いのと逆光で、まるで別人ですよ」
 リンはふらっと喫煙スペースに足を踏み入れた。すん、と鼻を鳴らし、煙の匂いを嗅ぐ。
「ヤニ臭くは無いですね」
「これはタバコじゃないからな」
 薬草や香草の類をブレンドして巻紙で包んだものだ。クルーウェルは材料をつらつらと諳んじて見せたが、リンは「んあー……?」と小首を傾げ、イマイチな反応を見せた。
「あー……錬金術の教科書かなんかで見たかな、三番目と六番目に仰ったヤツは」
「ほう? ユウに見せてもらったのか?」
 ところがそうでもないようだ。クルーウェルは小さく目を丸くした。
「期末試験のときに、少し。なんでしたっけ、声色を変えたり髪の色を変えたり、瞳の色を変えたりするやつでしたかね」
「Good Girl! 正解だ、よく覚えているな」
「あら、レディと仰ってほしいわ」
「それは失礼」
 おどけて言うリンに、クルーウェルは目を据わらせて口端を吊り上げた。詫びと言ってはなんだが、とシガレットホルダーの吸い口をてきとうに拭って、リンの方に差し出す。
「あら、宜しいんで?」
 リンは目を瞬かせた。その反応に、クルーウェルは「吸うのか」と表には出さないまでも内心で呟く程度には驚いた。そのまま差し出していると、リンは「ゴチになりまーす」とあっさりそれを受け取った。
 慣れた仕草だった。細い指先がホルダーを下から支え、小さな口が控えめに吸い口へ添えられる。伏せられた瞼の先にある睫毛は長く、翳った瞳の先にある光が惜しい。
 じじ、と巻紙の先が赤く染まる。かと思えば、リンは流れるように外へ紫煙を吐き出していた。
「ハー……、スッキリ成分が強めですね」
 とは言え、滲み出る学生感は否めない。クルーウェルは睥睨する心持ちでリンのことを見やった。

 もっと様になる格好があるはずなのに、目の前の人間がそれを身に纏っていないことがこうも苛立つとは。

……大抵の奴は咳込む」
「でしょうねえ」
 もう一口吸って、リンは袖で吸い口を拭うと、クルーウェルにそれを差し出した。ぷかりと綺麗な輪っかの形で吐き出された紫煙はすぐに掻き消えた。
 器用なことをするものだ。シガレットホルダーを受け取ったクルーウェルは、躊躇わずにそれを吸いこんだ。
「意外だな。嗜好品の類に手が出せるほど余裕は無いだろうに」
「元々そんなに吸いませんよ。月一に一本あるかねえか。こっちに来てからは禁酒禁煙、健康的な生活を送らせてもらってますよ」
「それにしては手慣れている」
「へっ、」
 リンは片頬を吊り上げて笑った。きっと元の世界ではそれなりに楽しんでいたのだろう。クルーウェルは余計とは自覚しつつも、リンの嫌味への意趣返しのつもりで一言付け足した。
「学生にしては、だがな」
「ぜってー服のせいだわ」
 言外に学生にしか見えん、と吐き出したクルーウェルに、リンは半眼になって返した。
「あとは化粧だな……、くそ、若く見えますね(笑)なんて今一番言われたく無い歳だよ……
 苦々しく言うリンに、自覚はあったようで何よりだとクルーウェルは内心で独り言ちた。極稀に「学生だと勘違いされた」と喜ぶ女性がいるらしいが、それは年相応に身だしなみを整えていないからであって、決してその若々しさを指摘された訳ではないのだ。リンの年は確か二十三か四そこらであったはずなので猶更だろう。
「整えろ。時間はあるだろう」
 クルーウェルが喋るごとに、ふわふわと紫煙が形を変える。リンは眉を寄せ、むつかしい顔をした。
「麓の街にショップがあるんでしょ? 行きたいんすけど、足が無いんで……どうしたもんか」
 確かに、カレッジから麓の村まで徒歩では一時間以上かかってしまう。大抵、箒か魔導車で移動するのだが、リンが扱えるはずもない。
 クルーウェルは、気紛れを起こすことにした。
「出してやろうか?」
「エッまじ」
「週末、宿直でな。買い物に行くついでに乗せていってやる」
 リンはそわりと腰を浮かせた。
 カレッジの教職員には、専用の寮が用意されていた。全寮制の学園であるため、基本的に教職員も、何かあった時のために学園で過ごす最低日数が定められているのだ。
 しかし、魔法の鏡を使えば離れた場所からでも通勤は可能ではある。クルーウェルは普段、学園から少し離れた場所にある部屋に住んでいた。単純に、魔法の鏡よりも魔導車の方がコスパがいいからだ。時空転送魔法に類するものがかけられている魔法の鏡は、魔法の難易度や危険性故に、それこそ中規模以上の一組織でなければ手を出せない代物である。
「アッでも、いいんですか?」
「何が」
 いろいろ思案を巡らせていたらしいリンが、はたとこちらに向き直る。
「だって先生、彼女さんとかいそう」
 クルーウェルはすぱー、と紫煙を吐き出した。
「相手には事欠かんのだがな」
「アッそう」リンは半笑いで言った。「それじゃ遠慮なく」
「よし」
 クルーウェルはにやりと口端を吊り上げた。
 
 ───こいつは必ず礼をする。
 
 たとえその相手がリンにとって多少不快な存在でも、礼を失することはない。そういう女であることは、クルーウェルだけではなく、この学園に在籍する教職員のほとんどが認めていた。
 クルーウェルはずい、と身を乗り出した。押されるようにして、リンは瞬きながら顎を引いた。
「その代わり、買い物の半分は俺に付き合ってもらうぞ」
 リンは小首を傾げた。荷物持ちかな、と推察しているのが手に取るように分かる。やがてリンは軽く敬礼した。
「かしこまり」
「決まりだ。迎えに行く」
「はーい。お待ちしてます!」
 リンは整った笑顔を見せると、長居をするつもりは無いのか、さっさと喫煙スペースを後にした。
 
 
 
 
 
 リンさん、話があるんです、とユウが折り入って言うものだから、リンは思わず「はい」と居住まいを正してぱたぱたと自室に駆けて行ったユウが戻ってくるのを待った。
 いつもの食事の後だった。今日はいろいろな野菜が中途半端に余っていたので、豚汁に手を出した。グリムはシチューか? と首を傾げていた。
 キッチンスペースに戻ってきたユウが手にしていたのは、学校から配布されたプリントだった。
「これが冬季休暇のお知らせと課題一覧で、こっちが麓の街についての簡単な案内、それとこれが、麓の街に行くための許可証です。生徒は全員、保護者のサインをもらってないといけないみたいで」
 本来ならば、入学前に一通り揃えなくてはならない書類の内に入るものだ。麓の街へのお出かけは、期末試験も終わった冬季のホリデー目前で解禁されるのが通例らしい。リンもふんわりと話には聞いていたので、あぁあれか、と掌を拳でぽん、と叩いた。
「ホグズミード的な?」
「そんな感じです」
「私のサインでいいの?」
「お願いします」
 ユウがぺこりと頭を下げる。
 きっと自称優しい学園長が書類だけ融通してくれたのだろう。街についての案内にざっと目を通したリンは、冷蔵庫に上手く吊るしてあるボールペンを手に取った。
「へいよ。でも一人で行動するのはなるべく避けてね。スマホも無いし」
 リン、とサインをし、ユウに返す。ユウは有難くそれを頂戴した。
「じゃ、出かけるときは言ってね。お小遣いあげるし」
「えっ、いや、そんな!」
 ユウは反射的に顔を上げ、ばたばたと手を振った。申し訳ないというオーラが全身から溢れ出ている。
「まぁ、確かに私はユウの保護者ではないけどさ、それぐらい、いいよ。お給料上がったし、この前のアメニティとかユウの分の基礎化粧品とかは、給料上がるし、と思ってこれまで貯めてたやつ使っただけだから」
 なんてことは無い、というリンに、ユウは困ったように眉を寄せ、何度か口を開閉させた。そうしてぎこちなく目を伏せると、きゅむりと口を噤んでしまう。
……
…………
「オレ様は小遣いほしいんだゾ」
「グリムは黙ってて」
 即座にぴしゃりと言い渡され、なんだと!? と牙を剥こうとしたグリムはユウの眼光の鋭さに思わずたじろぎ、そのまま口を閉じてしまった。
…………
……
 きっと、いろいろと考えて、言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡ってるんだろうなあとリンはゆっくりとユウを待つことにした。
 ユウの立場のことを考えれば、リンだって「そこまでしてもらうわけにはいかない」と言うだろう。生活のことを半分以上世話になって、食費は稼いでもらって。家事は分担しているし積極的に手伝っているとは言え、ユウが学生であることを見守っていてくれるリンに、さらにお小遣いまで、とは言いにくい。これまで共に過ごせた数ヶ月間で、ユウはその辺りの分別が歳の割にきっちりしているこどもであるというのを、リンはきちんと把握していた。きっと親御さんの教育の賜物だろうなあと思う。
…………でも、わたし。リンさんだって、買い物、できてないのに」
 ようやく、ぽつりぽつりと零れた言葉は、リンがそおっと耳を寄せないと聞こえないほどのか細さだった。俯いてしまっているのでその表情は伺い知れないが、伸びた前髪の隙間から、なんとなく眉間に皺が寄っているんだろうことが分かる。
……闇の鏡のこととかさ、黒い馬車のこととかさ……時空転送魔法とか、キーワードはいろいろあるから、私もいろいろ、本とか読んだり調べたりしたんだけど」
「へ、」
 唐突に始まった話に、ユウは思わず顔を上げた。リンはそれを見てにっこりと笑った。
「結局は学園長が言ってたこと以上のことは分かんなくてさ。いや、分かりそうだったんだけど専門的な領域に入るからちょっと難しいっていうか。だから、これは長期戦になるなと、腹を括ることにしたわけですよ」
…………
 ユウは何度か目を瞬かせた。リンが言っているのは、自分達が元の世界に帰るための方法についてのことだろうというのは分かる。呆けるユウに、リンはゆっくりと言葉を連ねた。
「だからね。少ない物資でやりくりするのはやめようと思う。長期戦に必要なのは一に物資、二に兵站、三四が食料、五に心持ち」
「、な、なん、はい?」
 いや聞き取れたしなんとなく意味は分かるけれども。ユウはまじまじとリンを見つめた。リンは顰め面しい顔をして腕を組むなどしている。
「というわけで、私は今週末、麓の街に買い物に行きます」
「えっ」
「そこで冬支度をできるだけ整えます。さすがにこのままでは冬を越せずに死んでしまいます」
「えっ、あっ、はい」
 ユウには冬用の制服やセーターが支給されるが、リンはそうはいかない。必要なものはすべて自分で賄わなければならなかった。
 私の稼いだ金なのですまんな、とリンは片手を挙げた。ユウはどうぞどうぞと心底から言った。
 どうかそのままリンのために使ってほしい。毎月の食費や心配りだけでユウは救われているのだ。しかもリンは時たま勉強の面倒まで見てくれる。教科書や参考問題集の解説への理解力がユウとは比べ物にならないことに終始驚いていると、「大学を乗り越えたらいずれこうなる」となんでもない顔で言ってのけていた。これは寧ろ家庭教師代をユウの方が払わなければならないのではと思ったほどだ。それなのにリンは小遣いを用意するという。ユウは文字通り歯噛みした。
 リンのことだから決して無理を押して働いているわけではないのだと思う。懐に学生へ小遣いを渡せるくらいの余裕があるというのも嘘では無いのだろう。確かにもうすぐ月末だし、ユウのような学生が街に降りられるのはリンの給料日の後だ。
 しかし、それはそれ、これはこれなのである。リンの方が社会人であるため保護者のような立ち位置になっているが、リンとユウはそもそも血の繋がりがあるわけでもなんでもない。災害のような緊急事態故に、互いに手と手を取り合っているだけだ。ユウの感覚からしてみれば、リンに支えられている色が強めなのだが。
 だからユウは、これ以上リンに負担をかけたくなかった。貰えるものは貰っておけとグリムは言うが、ユウはとてもそんな風には思えなかった。
「まあ、ユウの考えてることはなんとなーく、あたりはつくけどさ」
「う、……だって……
「うんうん、分かる分かる。私だってユウの立場だったら同じこと言うもん……でもさ。さっきも言った通り、長期戦なわけだよ」
……帰るまでが、ってことですか?」
「そう」
 リンは大きく頷いた。
「だからそれなりに根を張って暮らしてかないと、暴風とか起こっちまったら倒れるわけよ。帰る前に死んでしまいます」
「あ」
 だから先程、リンは物資だの兵站だのと言ったのか、とユウはようやく得心がいった。
「そういうわけで、ユウさんはユウさんで、必要なものがあったら、最低限の文化的生活が送れるように自分で整えて頂きたい」
 私はユウさんではないのでそこらへんはできません、とリンが諸手を顔の横に置いた。
「お金はね。いいんですよ。奢られることもまた勉強」
「そんな……
 眉を寄せるユウを、リンは遮った。
「ユウは普段からめちゃくちゃ手伝ってくれてるし、ユウのお陰で私もしっかりしなきゃな、って思えてるところあるし。きっと、ユウが私に申し訳ないと思ってるのと同じくらい、私もユウにありがとうって思ってるから」
「───」
 ユウは息を呑んだ。穏やかに微笑んでいたリンは、ふと、あくどい笑みを浮かべた。
「社会人になるとね。謝礼という、便利な言葉を使えるようになるんですよ。ふっふっふ」
「、え」
 リンの纏う雰囲気に、ユウはどこか毒気を抜かれた気分になった。
「ま、そういうわけだからさ。頑張ってるご褒美に、そしてこれから二人と一匹で頑張ってくための投資に、お金を使いましょう!」
……
「おう!!」
 どうやらお小遣いが貰えるらしいことだけは理解した様子のグリムが嬉しそうに拳を突き上げる。ユウは一度、ぎゅ、と顔の中央に皺を寄せたが、結局はリンの言葉に「はい、」と項垂れるようにして頷いた。
「分かりました。……でも、リンさん優先で」
「ありゃ。……はあい、了解でーす」
 そこだけは譲らない姿勢を見せたユウに、リンは大人しく従った。
「それで、いつもの面子で行くの?」
「はい。その……服とか、買いに行こうって話になって。話を聞いてたトレイ先輩もついて来てくれることになって……その後、ちょっとだけお話しました」
 エース、デュースと別れ、トレイとグリムの二人と一匹になったとき、リンさんに釘を刺されたんですよねと おもむろに声をかけたのだ。トレイはそのときのことを思い出したのか、どこか遠い目になって「まあな……」とぼやいていた。
 
 ───頼りにしてます、トレイ先輩。
 ───あぁ、任せろ。
 
 二人が交わした言葉は少なかったが、トレイは、いつも通り、後輩の面倒を見る頼れる先輩の顔をして、にかりと笑って見せてくれた。だからユウもすっかり安心して、よろしくお願いしますと頭を下げられた。
「そうか、トレイがいるなら安心だ。よろしくって私が言ってたって、伝えておいてくれ」
「分かりました」
 リンの、わざとらしいくらい綺麗に整った微笑みに、ユウは堪え切れず、くふくふと忍び笑いを零した。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 
 
 
 来客を知らせるブザーが鳴る。早めの昼食を用意していたリンは、あらもういらっしゃった、と慌てて鍋の火を止めた。時計の針はまだ九時を回って少し経った頃で止まっていた。
「こんちゃーっす!」
「邪魔するぞ」
 階段を降りようとしていたリンの足がぴたりと止まる。この声はエースとデュースだ。リンは小走りで移動した。
「あ、リンさん!! お邪魔してまーす!!」
「お邪魔します、リンさん」
 談話室に入ろうとする二人の後ろで、ユウが目を白黒させている。「はあ、いらっしゃい、」とリンも目を丸くして二人の後に続いた。
「二人とも、何しに来たの?」
 ユウの様子からすると、どうやら前もって連絡が無かったらしい。エースとデュースは何やらがちゃがちゃと談話室にいろいろ広げ始めた。
「何って、錬金術の課題」
「どうせお前ら行き詰ってるだろうと思ってな! 助けに来てやったというわけだ!」
「そんなこと言って、行き詰ってるのは二人の方でしょ」
 エースとデュースは揃って顔ごと視線を背けた。
「そんなわけねえだろ!」
「あぁまったくだ! 失礼なやつだな!」
 声音だけは一丁前に明るい。リンは苦笑した。ユウはもぉー、と唸って顔の半分を手で覆った。
「それでリンさん、これ、俺達から」
「ん?」
 がさがさとエースが何かを取り出す。この世界におけるジップロックのようなものに入れられていたのは、余り物らしい野菜や鶏肉だった。
「これ、ハーツラビュルで後は捨てるだけになってたやつ」
「どうか昼食を御恵みください!!!」
「ふふっ、」
 デュースが勢いよく頭を下げる。リンは思わず肩を揺らして噴き出した。ユウが眦を吊り上げる。余り野菜を手土産に、しかも昼食をたかるだなんて、リドルに知られたら叱られるだけでは済まない。
「結局それが本命なんじゃん!!」
「ちょおま、マジ課題だって!! あんなん誰かと一緒じゃなきゃどうにもなんねーじゃん!!」
「授業だっていつも二人一組じゃないか!!」
「リンさん今日はお出かけだから!! ご飯作れないの!!」
「ええーーーーっ!!」
「わはは!!」
 エースとデュースが揃って愕然とした顔になる。リンはたまらず、声を上げて笑った。
「いいよ、冷めても美味しいやつ、作っといてあげる」
「リンさん!?」
「ィヨッッシャ」
「あざっス!!!」
 デュースがばっと音を立てて勢い良く頭を下げる。リンは唇を噛んでそれ以上笑ってしまいそうになるのをどうにか堪えた。
「勉強、頑張ってね」
「ハイ!!」
「うぃーっす!!」
 エースから材料を受け取り、リンはすぐにキッチンエリアへ移動した。背後から、「手土産に余り野菜なんてありえない!!」とユウが二人を叱っている声が届く。確かにその通りなので、リンは小さく苦笑した。
 手渡された野菜は主にピーマンや玉ねぎ、にんじんの使いさしだった。きっと一度に上手く使い切ることができなかったのだろう。よくあるよくある、とリンはそれらをすべてみじん切りにした。鶏肉も様々な部位が混ざっている様子だったが、全て細かく切り刻む。
 とりあえず湯を沸かしていた鍋をどかし、フライパンに油を敷いて鶏肉を炒め、火が通ったら野菜、今朝炊いておいた米も放り込む。じゅわじゅわと具材が焼ける音を聞きながら、オイスターソースとケチャップを目分量で入れ、切るように混ぜる。
 ものの十数分で、チキンライスの完成だ。このままでもいいが、リンはそれらを皿に移すと、卵をボウルに割ってかき混ぜた。
 すぐに食べられるのならふわとろにするのだが、あれは暖かいうちに食べなければ美味しくない類のものだ。今回は薄めにさっと焼き上げて、チキンライスを乗せると、リンは器用にフライパンを操って綺麗な楕円にそれを包んだ。
 完成したオムライスを冷蔵庫に入れて、リンはよしと一息ついた。時刻は十時を少し過ぎようかというところ。来客用のブザーが鳴る気配はまだない。
 
 ───暇潰しに、錬金術の課題がどんなものか、横で見ていようかしら。
 
 ついでに茶でも持って行こうかな。談話室には暖炉があるとはいえ、それなりに冷える。リンはやかんに水を入れて火をかけた。その間にマグカップを用意し、ティーバッグを放り込む。
 湯が沸くのを待っていると、「リンさん!」階段からひょこりとユウが顔を出した。
「ん? なに」
「クルーウェル先生がリンさんに用事だっていらっしゃったんですけど……
「ありゃ、ブザー鳴った? 気付かなかった」
 やかんがしゅんしゅん言っているからかもしれない。リンは「後でお茶に使ってね」と言い置くと、火を止めて階下に移動した。
……えっ、リンさん、もしかして今日のお出かけって、」
「ん? あれ? 言ってなかったっけ。麓の街まで車出してもらうの」
「、」
 リンの言葉に、ユウは思わずひゅっと息を止めた。
 
 ───あのクルーウェル先生に。車を。つまりは送り迎えを。ドライバーをしてもらうと。リンさんが。
 
「───はっ!?」
 リンは財布をポケットに突っ込むと、衝撃を受けて固まっているユウを他所に、玄関に上がったところで待っていたクルーウェルへ朗らかに声をかけた。
「こんにちは、今日はお世話になります」
「あぁ。待たせたか?」
「まったく。それじゃあユウ、オムライスが冷蔵庫の中にあるから、悪いけどスープとサラダはてきとうに……ユウ? 聞いてる?」
 リンはユウの前でひらひらと手を振った。ユウは無言でがくがくと何度も頷いた。
「だ、大丈夫か……?」
「だい、だ、あい、や、はい、大丈夫です、はい。オムライスですね、はい、ありがとうございます」
「じゃあ、行って来るね」
「はい、行ってらっしゃい」
 ドアを開けたのはクルーウェルだった。どうもと言いつつリンが先に出て、クルーウェルが「戸締まりはしっかりしろよ」と言い置いてドアを閉める。
「は、はい……
 ユウの返事は、ドアの閉まる音に相殺された。
 
 
 
 
 
 麓の街までは、車を使えばニ十分程度だ。周囲に広がる高低差の無い森や緩やかな丘陵はヨーロッパって感じだな、とリンは窓の外に流れる風景を楽しんだ。
 よく考えなくても、リンはこの世界にある小さな箱庭しか知らないのだ。ナイトレイブンカレッジから外に出たことは───珊瑚の海を除けば───一度も無い。
 世界は広い。発達したネットワークや移動手段のおかげで世界は狭く、小さくなったが、一生をかけても知ることができない物事はごろごろある。リンはこの世界に来てしまったことに文句は言うが、恨んでいるわけではなかった。
「あ、そう言えば」
「なんだ」
「麓の街には鏡を使っていけないんですか?」
 珊瑚の海にも行けるのだから、麓の街くらい余裕で射程範囲内(?)だろうというリンの予測は、そもそも根本から間違っていた。
「無理だな。あの街は鏡を置けるほど大きくは無い」
……と、仰いますと?」
「鏡は門だ」
 クルーウェルはちらりとリンを見やった。リンは少しだけ思案する素振りを見せた。
……行きたい場所に鏡が都度顕れるのではなく、常時固定でそこに置いてある、と」
「その通り。行き来するには入り口と出口が必要だからな」
 やはり賢い女だ、とクルーウェルは満更でも無さそうに口端を緩ませた。
「闇の鏡は世界各国、大小さまざまな街に繋がっているから、基本的にどこへでも行くことはできる。全てではないがな」
 ただし、学園に安置されている『闇の鏡』からならば、それこそどこにでも行ける。麓の街へも、他の学園へも、願えばどこへだって連れて行ってくれるのが闇の鏡だ。その場合は何も無い空間から突然人間が飛び出てくるように見えるのだが、利用者が一定時間内に同じ場所へ戻ってくれば、鏡の方から姿を顕す仕掛けになっている。
「あれですか、防犯も兼ねて利用者を制限してるとか、他の鏡は闇の鏡ほど万能ではないとか」
「Good」
 リンの予想通りだった。文字通りどこにでも行けるのは闇の鏡だけだ。
 時空転送魔法がかけられている鏡は通常、二つで一組セットになっている。鏡同士を時空転送魔法で繋げているからこそ、「境界さえ飛び越えてしまえばそこは別世界」が成り立つのだ。各国主要都市には学園に繋がる鏡が設置されていた。
 しかし、ただそこに置いておくだけでは窃盗などの犯罪にも悪用される。そのため、鏡にはそれらを妨げたり退けたりする魔法がいくつもかけられていた。
「闇の鏡のようなアイテムを作れないのは何故か分かるか?」
「ええ? なんか授業みたいになってきたな」
「正解だったらご褒美をやろう」
「お気持ちだけで結構です。んー……、魔法をかけすぎると鏡の方が耐えられなくなるから、とか」
「Excellent」
「ヨッシャア」
 リンの脳裏には所有者の不幸の身代わりとなって割れたりするお守りや石などが思い浮かんでいた。何かの力を受け止めすぎた物はいずれ壊れる、という考え方はこの世界でも変わらないらしい。何事にも限界はあるってことね、とリンは緩く拳を握った。
「鏡を使っても良かったが、どうせアレの方が先に帰るだろうからな。今回は車だ」
「魔導車でしたっけ。動力ってやっぱり魔法石?」
「そうだ。そしてこの辺りから街に入る」
「おー……
 街はそれなりに賑わっていた。人通りも少なくなく、車も増えてくる。リンは街を飛び交う魔法らしきものや不思議アイテム、ひとりでに動く人形に、文字が躍る看板を物珍しそうに眺めた。広告に映っているモデルらしき人物は通行人を引き留めて何やら楽しそうにお喋りに興じていた。
 クルーウェルは人気の少ない路地裏に車を停めると、リンを降ろした。
「さっきの大通りを渡ればショッピングモールだ。安い店が中に入ってる」
「ありがとうございます」
「俺は車を停めてくる。終わったら外で待っていろ」
「了解です」
 クルーウェルを見送って、リンはなるべくきょろきょろしないように努めながらショッピングモールに足を踏み入れた。入ってすぐに館内地図が浮いているので、なんとなく安そうな店を探す。ロゴの簡素さとチープさで二つ、三つ店をピックアップしたリンは、すぐに移動した。さすがにシャツとスラックスだけでは寒い。動いて体を暖めなければ。
 インナーの類はサムの店でも買える。まずは値段を確認するため店をウロウロしたリンは、一番広い店のわりに商品単価が一番安い店を選んだ。日本で言うしまむらのような店なのだろうか。置いてある服の傾向はユニクロやGU色が強く、あまり華美なものを好まないリンは店を気に入った。安いし。
 タートルネックやスキニージーンズ、スニーカー、そして暖かそうなアウターやパーカーを一通り買い揃えると、リンはすぐにそれらに着替えた。カジュアル色が強めだが、リンの職場にはオフィスカジュアルの指定は無い。
「あーったけえー……
 ちょうどホリデー前のバーゲンセールをやっていたので、予想よりもずっと安く必要分を購入できた。浮いたお金でココアを買い、体の中からあったまる。数十分前までなら凍えていそうな空気の中、リンはぽけぽけとクルーウェルを待っていた。
「大分マシになったな」
「うぉ、」
 リンはびくりと肩を跳ねさせた。いつの間にか傍にいたクルーウェルが、じろじろとリンを上から下まで検分するように眺めている。
……ジェンダーレスなのはお前の趣味か?」
「好きなように選んでたら大体こうなるんですよね……
「ふむ。………………
…………先生? ……ミスター?」
……………………
 
 ───おや? クルーウェル先生の 様子が……
 
 クルーウェルは黙りこくったまま何も言わない。言わないが、何かいろいろ思考を巡らせているのだろうことぐらい、見れば分かる。リンは言葉にはできない何かを察して、Bボタンを連続で押す心持ちでばたばたと激しく手を振った。
「クルーウェルさん!! 起きて!! 寝ないで!! 何に進化するんですか!?」
「、はっ? 進化?」
 ぱちくりと目を瞬かせたクルーウェルに、リンはほっと胸を撫で下ろした。
「良かった、キャンセルできた」
「何を言ってるんだお前は」
「いやだって、急に黙るから。どうしたんです」
「あぁ、これからのことを少しな」
 クルーウェルの言葉に、リンは得心がいったように頷いた。
「お買い物ですよね、付き合いますよ」
 元々そういう約束だ。車を出してもらう代わりに、リンがクルーウェルの買い物か何かに付き合うと。荷物持ちか食材選びか、まぁそんなところだろうと勝手に思っているリンに、クルーウェルはにっこりと笑った。
「二言は無いな?」
「、」
 
 ───おやぁ、この笑みはあれだぞ、何かしら企んでる奴のする笑みだぞう。
 
 リンは思わずまじまじとクルーウェルを見やった。クルーウェルは微笑んだまま、すう、と目元を鋭くさせた。リンはきゅ、と口をすぼめた。
「無いな?」
「ハイ」
「ついて来い」
「ハイ」
 クルーウェルは上機嫌で毛皮のたっぷりとしたコートを翻した。これはどうやら荷物持ち程度のアレじゃねえぞと、リンはようやく察したのだった。
 
 
 
 
 
 リンが連れて来られたのは一目で高級と分かるブティックだった。リンの持っていた荷物がスタッフに預けられたかと思えば、リンはあれよという間にメイクされ、着替えさせられた。
「え、いや、あの」
「髪は今度ポムフィオーレの生徒に任せる。なに、腕はいい。練習台になってやれ」
「は? いやいや、そういうことでなくて」
 どうやらBボタン連打によるキャンセルは失敗していたらしい。リンはスタッフの圧に押されて動けないまま、どういうことですかと何とかクルーウェルに声をかけた。彼はリンから少し離れた場所でスタッフと何やら話し込んでいるようで、こちらには背中を向けていた。聞く耳どころか取り付く島すら無い。畜生、とリンは奥歯を噛み締めた。
「力を抜いて」
「アッハイ」
「目を閉じてください」
「ハイ」
 スタッフは目を見開いき、口元を綺麗に笑みの形にしていた。一言で表すならば怖い。何もかもがおそろしい。リンは逆らうことを早々に諦めて大人しくスタッフたちの言う事に従った。
「はい、宜しいですよ」
 しばらくして、ようやくお許しが出る。リンはぱちりと目を開けて、鏡に映った自分に瞠目した。
  よそおって化ける、とはよく言ったものだ。まるで別人のようになった自分の顔に、リンは興奮するでも、感動するでもなく。ゆっくりと、震える息を吐き出した。
 数ヶ月前には毎日のように見ていた顔だ。化粧をした余所行きの顔。子どもっぽくない、垢抜けて、若々しい顔だ。リンは久々に相まみえた自分自身に、思いもよらず安堵していた。
「見違えたな」
 鏡越しに、傍に立ったクルーウェルと視線が合う。リンは困惑を隠しきれず、何と言ったものか、口を開閉させた。その様子を見て、クルーウェルはますます機嫌を良くしていった。
「何故、という顔をしているな。聞きたいか?」
「はぁ……聞かせてもらえるんですか」
「お前はそういうところが可愛くないな」
「えっなに、急にディスられた」
 それきりクルーウェルは口を噤んだ。代わりに、目が口ほどに物を言う。聞け、とその双眸がこれでもかと語っていた。
……おしえてくださいセンセー、どうしてこんなことになってるんでしょーか」
……
 じろりとクルーウェルがリンを睨めつける。リンはそっと視線を逸らしてあらぬところを見やった。
 仕方がない、とクルーウェルは嘆息した。
「端的に言えば、職場環境における精神衛生を良好に保つためだ」
「えっなにて?」
 リンは思わずクルーウェルの方に顔ごと視線を向けた。クルーウェルも同じようにリンへと向き直る。整った美麗な顔立ちが、少し動けば触れられる程の近い所にあって、リンは思わず息を止めた。
「今はまだマシだが、お前の格好は見ていてフラストレーションが溜まる」
「、……それは……
「分かっている、お前のせいではない」
 クルーウェルはリンのメイクの出来を確認するため折っていた腰を元に戻した。
「安心しろ、経費で落とす」
「何言ってんだアンタ」
 いや本当に何を言ってるんだ? ぎょっとして身を引くリンに、クルーウェルは静かに言った。
「浮いた分はユウに回してやれ」
「、」
 元よりそのつもりであったとは言え、リンはうっかり言葉を失った。
……………………それじゃ、……有難く」
 ぽそぽそとしたリンの返事を聞いたクルーウェルが笑みを深める。リンは居心地悪そうにしたが、クルーウェルは胸中に広がる満足感を存分に味わっていた。普段は決して折れず、しなやかな柳のように全てを受け流すリンが、自らぽきりと折れたのだ。今この瞬間、リンはクルーウェルの掌の上だった。
 ぱちん、とクルーウェルの指先が小気味良い音を立てる。
 さっさと帰りたいなぁと思い始めていたリンは、それまで少し離れていた場所に控えていたスタッフが衣服を持って戻ってきたことに、文字通り動きを止めた。
「言うことを聞けるいい子にはご褒美をやろう」
「えっ」
「こちらです、どうぞ」
 有無を言わせないやんわりとしたスタッフの雰囲気に呑まれたリンは、「ハイ……」すごすごとスタッフ達の後について行った。
 
 
 
 
 
 精神的にくったくたになり、表向きにきっらきらのぴっかぴかになったリンはどこかぐったりとして車の助手席に深く座り込んだ。
「付き合えってこういうことだったんか……
 クルーウェルはとてもご満悦だ。ハンドルを握る横顔が今にも歌を口ずさみそうである。
 リンは気付かれないように溜息をついた。
 クルーウェルが他者を支配したいタイプの人間であることは重々承知していたが、まさか自分にまでその手が伸びてくるとは思わなかったのだ。普段、クルーウェルの相手をしているらしい女性(もしくは男性)達(おそらく)は大変だな、とリンは思った。
 
 ───いや好きで相手してるんだろうし、別に当人たちがそれでいいならそれで……
 
 リンはすぐに他者への心配をやめて、自分の心配をすることにした。
 今回限りで終わってくれればリンとしては有難いことこの上ないのだが、クルーウェルの様子を見ていると、どうもそういう気配が無い。
 
 ───どっちつかずのことを延々考えてもな……
 
 リンはひとまず、礼を言うことにした。言ったら負けだと分かってはいたが、リンは物を頂いて礼を言わないような厚顔無恥の女にはなりたくなかった。
「ミスター」
「ん?」
「今日はいろいろ、ありがとうございました」
 来月に調達しようと思っていたメーキャップ化粧品分の金銭が浮いたことは確かだ。その分、ユウに渡す小遣いを増やせる。衣服の件についてはクルーウェルが勝手にしたことなので、リンは考えないことにした。
 クルーウェルは、ふ、とそれはもう艶やかに笑んだ。
「体で払え」
「はーい頑張って働きマース」
 ばっさり切って捨てたリンに、クルーウェルは喉の奥を鳴らして笑った。
「甘やかしてやるぞ」
「間に合ってマース」
 リンは流れるような仕草で中指を立てた。気に入ったのか、機嫌がいいのか、はたまた冗談だったのか、クルーウェルは肩を揺らした。
「やめろやめろ、捩じ伏せたくなる」
 これ見よがしに溜息をついたリンは、それっきりクルーウェルから顔ごと視線を逸らして外を見つめた。その反抗的な態度でさえも、今のクルーウェルにとっては虚勢に見えるし、なんなら甘噛み程度にじゃれつかれている気分になる。
 物を与えて支配することの充足感たるや。クルーウェルはどちらかと言うと先に鞭を与えて背反する心をぽっきり折ってから相手を手中に収め、後に飴を与えていくタイプだと自負していたが、たまにはこういうのもいいかもしれない。
「案外、相性はいいと思うが?」
「言葉だけ聞くとセンスねぇナンパなのに顔がいいだけでこれとは……
「男が服を贈る意味は知っているだろう。それとも教え てほしいのか?」
「結構でーす。服とメイク貢いだくらいで彼氏面すんのやめてくださーい」
「ははは!!」
 クルーウェルは機嫌良く笑った。口ではそう言っていても、どうせ明日からは今まで以上に従順に働いてくれるはずだ。リンが返せるものなど、先程も言ったように身一つしか無いのだから。そしてクルーウェルのこの予測は、確かに外れてはいなかった。
 
 
 
 
 
 夕暮れに差し掛かる頃にオンボロ寮へ「ただいまあ」と戻ってきたリンは、抱えきれないぐらいの荷物と一緒だった。文字通り見違えたリンに、扉を開けて出迎えたユウは目を見開いて「ウワーーーッ!!」と大声を上げた。玄関先に響いたその声を聞きつけて、どうせなら夕飯もご相伴に預かろうとしていたエースとデュースが談話室から顔を出す。一番下にグリムがひょこりと頭を飛び出させた。
「ウォゥワリンさん!?」
「ウワすっげーーー美人がいる!! 誰!? リンさん!? ウオーーー!!!」
「エッあれリンなのか!? 誰かと思ったんだゾ!!」
 そしてびしばきと音を立てて固まった。目を剥いて歓声を上げる二人と一匹に、リンはちょっとだけ気分が乗った。
「そう……これが私の真の姿ッ!!」
「アッこのノリはリンさんだ、おかえりなさい」
「ユウは一体なにで私を私だと判断してるの?」
 衝撃から立ち直って滑らかに動き出したユウに、リンは思わず真顔になってしまった。それを真正面から受け止めたユウは「ウワ美人」と鳴いた。
「いやすげえよ、びっくりした……あれ? でも出かけるときにメイクしてたっけ?」
「してない。出かけた先でやってもらったの」
 ユウはいくつかの紙袋の中を覗き込んだ。ふんわりと丁寧に畳まれた服が澄まし顔でそこに居る。
「随分買いましたね……
「あぁうん……これは私が買ったんだけど、そっちは全部経費だってよ……
「えっ」
 三人が揃って固まった。そうそれが正しい反応よね、とリンはどこか遠い目になった。グリムはけーひ? と首を傾げている。
「今日車出してくれたひとがね、すげー理屈ぶっ飛ばして来てね……断れなかったよね……
「えっと……確か、クルーウェル先生だったっけ、一緒に行ったの……
「あの後、ユウ、しばらく放心してましたよ」
「あいつに運転手させるなんて、さすがリンなんだゾ!」
「いや……利害が……一致……エゥン分からん……
 リンはぎゅむりと顔を歪めたが、悩んでいても埒が明かない。悪いけど、とリンは嘆息しながら言った。
「これ、部屋まで運ぶの、手伝って」
「いーっすよ!」
「分かりました」
「オレ様、案内してやる。こっちだゾ!」
 グリムが率先して階段を上がって行く。エースとデュースは待てよと声を上げ、慌ててグリムの後を追った。ユウも、リンと一緒に後に続く。
「あ、それ割れ物が入ってるから」
「ワレモノ? ……あ、」
 リンに言われて紙袋を覗き込んだユウは、目を丸くした。綺麗な装飾の施された瓶やケースは、メイクアップ用の化粧品の数々だ。
……
 じい、っとそれを見つめてしまったユウに、リンは優しく微笑んだ。
「あとで、ユウもやってみよっか」
「!」
 ぱ、と顔を上げたユウは、すぐにこくこくと頷いた。
「リンさん、荷物、ベッドの上に置いておきました」
「ありがと」
「あれ? どったの、ユウ。にやにやしちゃってえ、なんかいい事でもあった?」
 揶揄うように言ったエースに、ユウはちょっとだけ間を空けて、にいんまりと笑って見せた。
「秘密ーっ!」
「あんだと!?」
 ぐわりと身を乗り出したエースの脇をするりとすり抜けて、ユウはリンの部屋へ駆けこんだ。ただそこにあるだけだったドレッサーに、そっと紙袋を置き、その中を覗き込む。
 西日に照らされて茜色が少し入っているそれらは、やはりユウには、とてもキラキラして見えた。
 
 ───私も、リンさんみたいになれるかな。
 
 考えるだけで、頬が緩んでしまう。唇を食んで堪えても、やっぱりにやにやしてしまう。
 向こうの方で、夕飯の話で盛り上がっている気配がする。間延びした声がユウを呼んだ。
「はぁーい!!」
 ユウは声を張り上げて、ふわふわと軽い心のまま、リンの部屋を後にした。
 
 
 
 
 
 To be Continued...?