ゑ/圓堂
2023-08-16 18:31:51
5312文字
Public 月詠サーバー(満月本丸)
 

【刀剣乱舞】黄昏供養【笹貫×創作男審神者】

笹貫×46歳人たらしおじさん審神者の刀さに♂。主を亡くしたり、問題起こして追い出されたり、先天性の異常を抱えて顕現した刀剣男士を引き取ってる満月本丸《みちづきほんまる》という本丸のお話です。みちさんが鬱々とした気持ちで墓参りに行って、帰って来てから笹ぴによしよししてもらう話。みちさんが普段絶対他人には見せない根底の部分を笹ぴにだけは見せちゃうというラブ。ジメジメはしとりますが。

熊蝉が一斉に喚きたてている。
目に沁みるほどの果てしない青空と濃緑の木立のコントラストの中、僕は合掌していた手を解き立ち上がった。目の前の、つい先程水を被ったはずの墓石の表面は既に乾き始めている。僕自身の身体に纏わりつく汗も、露出した素肌の部分は太陽の熱波に炙られて蒸発しきっている。

「もういいのか?」
「ああ、うん。ごめんね、いつも付き合わせちゃって」

背後の声に振り向いて答えると、声の主――乃木くんは太く短い髪の毛をかき混ぜながら顔をしかめた。

「だぁから、これも仕事だって言ってんだろうが。毎年このやり取りする気か?」
「あはは、駄目かい?せっかくだから恒例行事にしようと思って」
「要らねぇよンなもん」

呆れた顔で肩を竦める乃木くんに僕は精一杯笑ってみせる。
――上手く笑えているだろうか。今の僕には少し自信がない。

「じゃあもう一つ恒例のかき氷も無しにするかい?」
「そいつぁまた別の話だろう。あれが無きゃやってらんねェよ」

僕が墓前から離れたのを見るや否や、乃木くんはさっさと毎年通っている喫茶店へ向かおうと大股で歩き始めた。小さな霊園の狭い通路の上の彼は酷く窮屈そうに見えて、少しだけ僕の心は愉快さを取り戻す。



審神者となって現世に別れを告げてからも、うちの本丸を担当してくれている政府の審神者統括官の乃木くんに同行してもらって、毎年八月の盆供養の一環である墓参りには必ず訪れている。墓の中には顔も名前も知らぬ先祖達と、小さな神社の神主をしていた祖父、その配偶者の祖母、そして僕の両親が眠っている。最後に墓に入ったのは母で、大病を患った後僕が審神者になる少し前に亡くなった。
父の事は写真でしか見た事がない。祖父母や母の話では快活で誠実な、正義感の強い男だったらしい。彼は僕が生まれてすぐ、事故でこの世を去ったとの事だった。
生まれたばかりの僕を抱えて一人残された母は、いくら祖父母の助けがあったとしても、やはり苦労したと思う。それでも僕がいっぱしの社会人として一人でやっていけるまで育ててくれたのだから、母の功績は計り知れないし、それについては僕も心から感謝をしている。
そう、そのつもりだ。

――疲れてんな」
「えっ」

山脈のように盛られた宇治金時に身体をぐんぐん冷やされて、そろそろ店内の冷房がうすら寒く感じられてきた頃、唐突に突き付けられた乃木くんの一言に僕は面食らった。乃木くんは彼の図体をもってしたら少々小さく見える檸檬のかき氷の器をさっさと空にして、僕の顔を検分するかのように、強面の顔で覗き込んでいる。

「何だ、自覚なしか?」
「うん、僕はそんな事ないと思ってるけど……暑かったからじゃないかな。年々現世は酷くなってるし」

僕は努めて明るい声で答え、若干崩れかけてきている甘い氷を口に含んだ。きんとした冷気が口内から喉へと突き抜ける。早く食べてしまわないと、美味しいと思える時間が終わってしまいそうだ。そうとは解っていても、僕の右手はいたずらにスプーンを弄ぶばかりだった。

「確かになァ。サーバー内の気温に慣れちまうと堪えるわな」
「あれって本当にちゃんと管理されてるの?たまにえらく暑かったり寒かったりするけど」
「毎年一定の温度だとリアリティが無くなっちまって、それはそれで良くないらしいぜ。つっても暑すぎるのは勘弁だけどな」
「それならいっその事現世と同じでもいい気がするけどなぁ」

ぼやく僕に、そうなって一番困るのはあんただろうが、と乃木くんは呆れた声を上げながら煙草に火を点ける。たなびく煙が空調の気流に乗って鼻先を掠め、僕も無性に煙草が吸いたくなった。
僕は乃木くんにかき氷の残りを押し付けると、おい無茶を言うなと喚きたてる彼を尻目に手提げ鞄の中から煙草入れを取り出していそいそと一服点けた。



夕刻、本丸へと帰り着くと辺り一面に切り絵のような風景が広がっていた。熟した柿のような色の上にくっきりと刻み付けるような影が浮き立ち、美しいというより最早ぞっとするような景観であった。
やはり此処は現世ではないのだ――そう自覚させられる。視覚だけではない。剥き出しの皮膚に触れるそよ風も、夏らしいとはいえ現世のような灼熱ではなく、半ば夜の涼やかな空気が見え隠れし始めている。深く鼻から空気を吸い込めば、混じり気のない土と草木と夕餉の匂いだけが嗅覚に触れる。現世とは、何もかもが決定的にどこか違っている。それらを五感が機敏に感じ取る。

そう、僕は現世を捨てたのだ。自らの意思を以て現世と現世で得た物を全て捨てて此処へ来たのだ。
だから、もう。

その時、ざり、と砂を踏むような音が聞こえた気がした。僕は弾かれたように我に返ると、咄嗟に小走りになって母屋の裏手へと逃げ込んだ。陽の当たらぬそこは既にひやりと冷気すら立ち込めていて、僕は一旦そこで呼吸を整えた。
毎年こうである。審神者になって早幾年、ちっとも僕は進歩しない。
通常、審神者である僕の現世への外出には護衛となる刀剣男士の同行が必須となる。だが今回のような墓参りは例外として刀剣男士を同行させる事が出来ない。真名が判ってしまう一因となるからだ。全員がそうであるとは限らないが、刀剣の付喪神という存在である以上彼らに真名を知られてはいけない。時の政府が定めた規程でもあるが、僕とて元は歴史を教える者であり、また神職との関わりもあったためそのルールがどういう意味を持っているかは理解している。
だから僕が主を務めるこの本丸の刀剣男士達は、誰も現世で墓石に向き合う時の僕を知らない。それでいい。今までもこれからも、僕はその姿を、その顔を彼らに見せたくなどない。きっと――酷い有様だからだ。

そろりと、盗みにでも入るかのように足を忍ばせて僕は母屋をぐるりと迂回し、自室へと向かった。毎年こうやって彼らの目に触れぬよう玄関を上がらず帰宅し、部屋で感情の整理を付けてからやっと皆の前に姿を見せる。恐らく彼らも僕に対する違和感にはとっくに気付いているだろう。しかし未だにその事について踏み込む者はいない。気を遣わせているかもしれなく、申し訳なさを感じない訳では決して無かったが、それよりも触れて欲しくないという気持ちの方がいつだって勝っていた。
現世で関わっていた人達の前でも、本丸の刀剣男士達の前でも、あのぶっきらぼうだが気遣いの出来る政府の担当官の前でも、いつだって僕は『彼らがそうであって欲しいと望んでいる自分』でありたいのだ。息子だから。長男だから。大人だから。そう自分に言い聞かせて、感謝はあれど実のところは大して愛着も情も湧かない両親や先祖の供養に時間を割いている自分を、そんな自分への自己嫌悪に塗れて他人にはとても見せられない表情をしているであろう自分を、絶対に見られたくないのだ。
見られたくなかったのに。


「あ、おかえり」

自室の前の沓脱石に草履を揃え逃げ込むように障子戸を開けると、部屋の中は既に無人では無かった。
畳に寝転がっていたらしい彼は軽やかな動きで上体を起こすと、僕の方に鮮やかな珊瑚礁の海のような瞳を向けた。

どこまでも深く底の知れぬ碧。
きっと一番会いたくなかった筈のその色に、僕の虚勢はいとも容易く瓦解した。

僕は障子戸を閉める事も忘れて、その懐へと飛び込んだ。わ、と短く一驚の声を上げた彼はしかし、畳に付いていた手の内の片方で僕を易々と受け止めた。そして、何故此処に居るのかも訊く事さえ出来ずに肩口に顔を埋める僕の背を、まるでぐずる幼子をあやすように静かに撫でる。
笹貫、と胸の内で彼の名を呼んだ。この本丸に受け入れてからやっと一年が経とうとしているが、もう随分と長く一緒にいるような気がしてならない。それほどに笹貫の存在は僕の中で際限なく膨れ上がっている、今も尚。
深呼吸をすると、彼が纏う香りが鼻腔を満たす。いつか現世で君に合いそうだと買ってあげた香水と、彼自身の匂いが混ざり合って僕を酔わせる。
目を閉じると聴覚が鋭敏になり、現世では滅多と聞かなくなった蜩の澄んだ声が洪水のように耳の奥へとなだれ込んできた。やがてそこに笹貫の規則正しい心音が重なる。

血液が全身を巡る音。
生きているという証。
彼の鼓動を聞く度に、元は刀剣だとは俄かに信じ難いほどに、人間である僕と何一つ変わらぬ生命活動を感じて不思議な心持になる。

普段はどちらかといえば饒舌な質である笹貫だが、時として相手の感情を細やかに感じ取って口を噤む事がある。丁度今のように。
若々しく、どことなく少年のようなあどけなさの垣間見える顔立ちや言動によって、ついかつての教え子達のような接し方をしてしまう事の多い彼だが、こうして身を預けているとその存在の大きさを痛感する。小柄な方とはいえ成人男性である僕をあっさり包んでしまう広く逞しい胸や、ゆったりと背を撫でる大きな掌や、何より僕の内面に渦巻いている清濁全てを見通しているかのような佇まい、その全てが、四十六年生きてきた僕なんかよりもずっと遥かに長い歳月を在り続けた存在なのだと思い知らせてくる。僕とは決定的に違う存在なのだと、そんな事は解りきっていても。

僕のこれまでの人生の中で誰よりも近い距離で触れ合っているのに。
それなのに、こんなにも遠い。

嗚呼、厭だな。
初めて自分以外の存在にこんなにも心を許しているというのに。
もっと、誰よりも、いっそ自分と重なり合うほどに近いところに居たいのに。



否。

……嫌だな」
「そ?」

思わず喉の奥から漏れ出た感情に、笹貫はただ一言そう返すだけだった。何が、でも、何故か、でもないその返答が、彼に僕の内側に秘めた所懐が筒抜けている事を暗に示している。

「解っているんだ、綺麗に生きられる訳がないのなんて。でもやめられない。……一体誰の顔色を窺ってるんだろう僕は」

一呼吸置くために言葉を区切ったが、笹貫は黙ったままだった。
彼の穏やかな生命の音が優しい。僕は無性に泣きたい気持ちになった。

「あまつさえ、取り繕わない自分を君にだけは晒してしまっている。全く嫌になるよ」

残った心情を吐き捨てるように口にして、僕は深く溜息を吐いた。
今日、この瞬間まで誰にも打ち明けた事の無かった僕の本心だった。
物心ついた時から何となく、周囲が自分にどういう人間性を求めているのかを感じ取り、それに逆らわないよう僕は生きてきた。何故そうしてきたのか、はっきりとした理由は持ち合わせてはいないが、きっと答えはシンプルだ。失望されたくない、それだけだ。
それは審神者になった今も変わっていない。いや、更に顕著になっているようにも思う。現世にいた頃よりもずっと僕は刀剣男士達からネガティブな感情を向けられる事を恐れている。それは『訳あって顕現した本丸に居られなかった刀剣男士を引き取る』という役割を持つこの本丸の主だから、というだけではない。
僕をただの、今代の主としてのみ接してくれる刀剣男士達との生活が何よりも幸福なのだ。
だからこそ、彼らの前ではより体裁を保っていたいと要らぬ見栄を張ってしまう。
それなのに。

沈黙を保ったままの笹貫が不意にその身を更に起こし、両腕で確と僕の身体を抱き込んだ。僕よりも高い体温が互いの纏う布越しにも伝わってくる。汗の滲んだ衣服が触れ合い、いつもならこの時期のこのようなスキンシップは辟易してしまうのだが、今日だけは不快感など微塵も感じなかった。
少しの間されるがままに身を預けていたが、やがて僕はその腕の中で起き直り笹貫の顔を見上げた。僕の動きに彼も僕の顔を覗き込む。
まるで絵に描いたような美しい顔には、恍惚とした愉悦の色がありありと滲んでいた。その理由を僕は心驕ながら察している。笹貫にとって僕が彼にだけ無様な姿を自主的に露わにするというのは、僕が生きてきた中で全てにおいて唯一の存在が己である事を象徴している。それが笹貫にのみ許された特権であり、彼にとって何物にも代えがたい至福なのだ。
そして、彼をそう位置づけたのは、外ならぬ僕自身だ。
全く。

……君って本当にどうしようもないな」
「そうだよ。オレも、みちさんもね」

最もどうしようもない自分自身を棚に上げて笹貫を揶揄する僕を、笹貫は慈しみを滲ませて笑った。
彼の碧い眼に映った僕の顔は荒んだ笑顔を貼り付けている。酷い顔だ。

……そうだね。君の言う通り」

僕は観念して再び笹貫の胸に顔を埋めた。畳についていた手を広々とした背中に回して、縋るように抱き締める。先程よりも少しばかり、彼との距離が近くなったような気がした。
僕を抱く笹貫の腕の隙間からそっと外の景色を窺う。どうやら日没が過ぎ、空は連なる屋根の向こう側が僅かに紅蓮に焼けているのみだった。黄昏時である。

頭上に降り注ぐ笹貫の甘やかな言葉が胸の奥底に溜まった澱を溶かしていくような心地で、僕は再び目を閉じた。