たっぷり開拓の力を蓄えて無事オンパロスを離れ、星穹列車は次の開拓先を選定するまでの期間に入っている。自由な時間を持てるようになって早々、星はレイシオに連絡を入れた。オンパロスに旅立つ前に連絡を入れなかったせいで、界域アンカーを使ってようやく外部に連絡が取れるようになった段階でしこたま怒られた反省を活かしての事である。
とんとん拍子に逢瀬の日程が決まったのはタイミングが良かったと言うよりも、レイシオが多少無理してでも都合を合わせてくれたからだろう。どうやら彼はちょうど仙舟にいるらしく、借りている宿を訪ねてくれれば良いとのことだった。
「元気にしてた?」
「おかげさまで眠れぬ夜もあったが概ねは」
伝えられた番号の部屋の呼び鈴を鳴らすと、レイシオがすぐに出迎えてくれる。法的にはともかくまだ社会的には子供扱いされがちな外見年齢の女を部屋に入れるのは外聞が悪いと思っているらしく、玄関で挨拶をしようとした星をレイシオはさっさと引き入れて扉を閉めた。
「わ」
そのまま廊下を進もうとしたところ、ひょいと抱き上げられたのでびっくりしてしまう。もちろん彼の筋肉は飾りではないし、そうでなくても成人男性であれば星の体など簡単に持ち上げられるはずである。ただ、彼がそういう形で星の行動を制限してきたことは一度もなかったのだ。
「え、何?」
「少し黙っていろ」
喧しいと言われたのかと思ったが、つかつかと歩き出したせいで伝わってくる振動に舌を気にしているのだと気がついた。さすがに星も自分の舌は噛みたくはなかったので、彼の忠告に従って口を閉ざすことにする。
彼の意図を把握しきる前にぽんと自身の体がベッドに押し込められて、星はやっぱり目を丸くしてしまった。自分達の関係は順調でそういうこともするにはするのだけれど、彼の妙な矜恃のせいで星は彼とベッドを使うときに背中を付けたことは今までなかったのだ。
「口を開けてくれ」
星の不在を受けて何か思うことがあったのかと思いながらレイシオが望むままに口をあんぐりと開けてやったが、彼が星の上に覆い被さってくることはなかった。恋人が二人揃ってベッドにいて口を開けてやる事なんてディープキスくらいのはずなのに、彼は手慣れた仕草で水色の人工ラテックスの手袋を装着している。ぱちん、とラテックスが彼の手首を叩く音を聞きながら、どうにも様子がおかしいなとようやく気づく。
「歯は揃っているな。並びも悪くない……右下の第二大臼歯にCO」
「むひば?」
「初期段階だな。今のうちに一度歯医者に行け」
はあい、と返事をすると下の歯を診るのに満足したのか上を向くように指示される。同じように上の歯も確認されて、怪しい所がもう一カ所あったらしい。
「舌は問題ない。口内に腫れもなし」
口内のあちこちを確かめていった指が離れて、星の唾液で汚れた手袋をくるりと返しながらレイシオが脱ぎ捨てる。今度は手指に消毒液をすり込んだと思うと瞼をそっと押し上げながら光を当てられて、角膜の様子を確認された。どうやら傷の類はなかったらしい。
次は頭に傷跡はないか、耳の形は以前と同じか、ブーツどころか靴下まで脱がされて手足の指の数は揃っているか、主要な骨に異常はないか等々。それはもうたっぷり時間をかけて調べ倒された。
最初はコメントを返したりもしていたのだけれど、健康診断のリアクションなどどうしても限りがある。最後はされるがままに、レイシオの検診の結果を聞くだけになってしまっていた。
下心の一切感じられない指先が首の腫れの有無を確認したのを最後に星から離れていく。それでようやく満足したのか、レイシオは星をベッドから起き上がらせて深々と息を吐きながら先ほどまで確実に彼の患者だった女を抱きしめた。
力加減は少々いきすぎていて、息苦しさを感じないと言うと嘘になってしまう。肺を押さえつけられるような感触に不満を申し立てても良かったが、彼の体温を感じたのはオンパロスに行く数週間前が最後だったのだ。そう思うと手放しがたく感じられて、自身の体には少々我慢してもらうことにする。
「寂しかった?」
「……生きた心地がしなかった」
星の問いかけに腕の力が更に強まったかと思えばなんだか弱々しい自白があって、正直びっくりしてしまった。え、と喉から漏れた音にレイシオが意識を寄せるのが分かる。
「最初私の事を見捨てたじゃん!」
あの時の事は正直大分記憶が曖昧なのだけれど、石膏頭を被った彼はスキャラカバズを前にして踵を返して帰って行ったはずだった。もちろん、ふらりとあそこに立ち入っただけのレイシオにあんなでっかい蟲と命のやりとりをする義務なんて欠片もなかったのだけれど、星を見捨てたのは事実である。
レイシオは星にあれこれとものを教えてくれるが、そういうスパルタなところだってあるのだ。オンパロスだって自分で飛び込んでだのだから、最終的には自己責任だと片付けられるものとばかり思っていた。
「あの時は君が海の物とも山の物ともつかなかった」
「今はついてるんだ?」
私はついていないけど、と付け加えた言葉に彼をからかう意図はなかった。今だってどこで自分が作られたのかも知らないし、どういう役割を期待されたのかも分からないままなのだ。
「…………」
「そこ黙るとこ?」
彼の反応はいくつか予想していたが、そのいずれにも当てはまらない難しい顔をしてレイシオは星を見下ろしていた。初対面の相手と恋人では扱いが違って当然ではあるけれど、だからと言ってかつての自分の判断に全く思うところがない訳ではないと言った状況だろうか。
「確かにオンパロスは滅びかけてたから大変だったけど、ヤリーロⅥだって似たようなものだったし、羅浮でも絶滅大君とやり合う羽目になったし、ピノコニーはレイシオだって細かいところまで知ってるでしょ? それに開拓じゃなくてもどたばたすることは多いんだから、そのたびに心配してたらレイシオが疲れると思う」
レイシオの背中に腕を回してやりながら、宥めるように彼の善意は徒労にしかならないと星は伝えてやる。軽薄に響いたかもしれないそれに、彼は一定の理解を示してくれた。
「それでも君は僕の思い人なんだ。それが前触れもなく音信不通になって、ようやく通じたと思ったら僕に似た服装の自律型兵器の写真を大量に送りつけて来る始末だ。その上、世界が滅び掛かっているなんて言いながら、食べ歩きの写真しか送ってこない状況でどうやって平静を保っていろと?」
界域アンカーが全く足りずにレイシオどころか列車にもメッセージが送れない頃から、星は彼に写真を送りつけていたのだ。オンパロスで右も左も分からなかった頃に彼を思い起こす服装や意匠などを見つけてはスマートフォンに納めて、届かないと知りながらも彼のトークに画像をアップロードしようとしていた。
無事列車と連絡がつけば列車のネットワークを経由して、外界とも通信が可能になる。なんて事を当然ながら星は知らなかった。そのため送信キャンセルをしていなかった画像がネットワークが回復した途端一斉送信されてしまい、有象無象の画像が彼の端末に送りつけられる結果となったのだ。
「近況を伝えろって言われたから」
「それはそうだが……」
レイシオの不満が混ざる反応を受けて、もしかしたらもっとタイタンの話や問題点を共有した方がよかったのかもしれないと今更ながらに思う。けれど、彼が主体的に首を突っ込まなかったのは、星が助けを求めなかったからではないだろうか。
もちろん、船頭多くして船山に上るなんて状態に陥るのを避ける意図もあったのだけれど、彼がしっかりと連携を取るつもりになっていたのならうまく調整もしてくれただろう。そうしていれば別の選択肢も生まれていたのかもしれない。その全てはオンパロスを無事に出てきた今となっては仮定でしか話せなくなってしまったが。
「ごめんね」
もどかしい思いをさせただろう。それでもそういう不満をはっきりと表明しないのは、彼なりに星穹列車の命運に自分は関わらないと決めたからでもあるのだろう。ピノコニーの一件で自分達が一つの勢力であることは理解できたし、レイシオもそういうものに関わる一人であると知った。
自分達のようなルールの外からやってくるような人種はともかく、そうでない者が個人の思いでそういう枠を超越するのは気軽にできる事ではない。当然するという観点に絞ればとても簡単な行為なのだけれど、その手の決断は人の未来に多大な影響を与えてしまう。
「でも、多分これが最後にはならないと思う。ナナシビトってそういう生き物だから」
アキヴィリ亡き後も止まらなかった集団が、今更どうして変われるだろうか。もちろん他の目的を見つけ列車を降りる日が来る可能性は星だって否定しないが、個人はともかくナナシビトである星穹列車に加わる者がその精神を失う事などないはずだ。
「僕の周りの人間はそんな手合いばかりか」
呆れたような溜め息の後に、諦めの混ざる言葉がレイシオから落ちてくる。彼の交流関係を星はほとんど知らないが、ちょうど条件に一致しそうな人物がピンポイントで存在した。
「……アベンチュリン?」
「君がいなかった間に派手に失血して輸血した」
「私の方が全然無事だよ」
「それは何より」
カンパニーの労働環境は一体どうなっているのだろうかとトパーズが心配になってしまったが、思考を読まれたのかアベンチュリンが勝手に危うくしているだけだとレイシオが吐き捨てる。最近はメッセージのやりとりが主になっていてそちらの印象に引っ張られていたものの、レイシオの主張が嘘とは思えない行動で星達を引っかき回したのも確かなのだ。
話したいことが大体話し終わったのか、レイシオは閉ざした口を再び開こうとしなかった。二人の間に沈黙の帳が下りているうちに、星は腕と背を伸ばしてレイシオの頭を撫でてやる。風呂に入った後なのか、指の股を擽る髪には整髪剤の感触がしなかった。今は角度の問題でうまく覗えないが、いつもの目尻の紅もなかったような気がする。
しばらく彼の頭を撫でていると、レイシオの頬が星の肩口にすり寄せられる。そうすれば腕を無理に上げる必要もなくなって、自身のこめかみを彼の頭に当てながら星はゆっくりと瞼を落とした。
「君達がまた開拓の旅に出る前には伝えてほしい」
これが最後かもしれないと思って君と過ごそう、とレイシオがほとんど喉を震わせずにまるで本位ではないとばかりに囁いてくる。
「旅を終えたらすぐに教えてくれ。こうやって、君の無事を喜びたい」
「また体のチェックしてくれるの?」
「そうだな。旅の内容によっては」
長旅の後はちゃんと検査をした方が良い。そう、なんだか優しく響くレイシオの声に目を細めて、その時はお願いしようかな、なんて星は答える。それからぐりぐりと彼の頭に額を擦り付けると甘えるにはさすがに強すぎると不審に思ったのか、彼が少し肩口から顔を上げて星を窺った。
やっぱり色のついていない瞼にそっと唇を落としてやれば、更に面が上げられたかと思えばかすかに口元が動く。その控えめな動きに誘われて笑みを作ってしまいながら、星は彼の唇に自らのそれを押しつけた。
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