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夢篠
2025-01-24 07:00:00
5461文字
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今が「その時」
感情の手綱を握った子が大火傷の小頭を看病する話
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
幼い頃の記憶の一番初め、私の根底に原点として埋め込まれているのはとても厳しい顔をした養父の姿だった。
「良いか、
ナマエ
。忍びたる者決して感情を乱してはならぬ。徒に感情を乱す事は即ち死と思え」
養父はとても厳しい顔をしていた。私はそんな養父の顔が怖かったけれど、怖れを殺して頷いた。私が二つか三つの時の記憶だったような、そんな気がする。
私は里で生まれ、忍びになる事を当然の宿命と定められた。父母も忍び、恐らく父母の父母らも忍びだろう。皆早くに亡くしてしまったので今更聞いても仕方は無いが。
母は私をこの世に生み落とすのと引き換えに命を落としてしまった。実父は私が物心付くより前に忍務で部下を庇い、その生命を散らした。まあ、そんな事は何処にでもある、良くある話だ。女が子を産む時に死んでしまう事も、強き者が弱き者を守らねばならぬ事も。だがいつもは厳しい養父も私の実父母の話をする時は二人の事を良く褒めてくださった。私の父母は良き父、良き母、良き忍びだったのだぞ、と。
「だから
ナマエ
も必ずや良き忍びとなり、お前の父母らのように主人に仕えその恩に報いるのだ」
養父の話はいつもこう締め括られた。それを聞いて私は思った物だった。私が父母らのようになれるかは分からないが兎も角、良き忍びにはならねばならぬと。だから私は私の感情を決して表には出さぬよう手綱を付けたのだ。
どんなに厳しくて逃げ出したくなるような訓練も、私は握った手綱を離さないように必死で縋り付いた。今なら分かるけれど、あの時の私は良き忍びにならなければ、父母らの価値を証明出来なくなってしまうような気がしていたのだろう。だからこそどんな場面でだって感情を揺らさぬように努めた。敵方にどんなに惨い事をしても、どんな苛みを受けようとも、どんな傷を負おうとも、たとえ誰を喪おうとも。
気付けば養父に引き取られてから十年と少しが過ぎ、あれだけ良くしてくれた養父は骨の欠片となり物も言わなくなってしまった。私は言い付け通り感情を揺らさぬまま石を積み、申し訳程度の養父の墓を拵えた。石を幾つか積んだだけのそれはとても小さくて、あの人は上背はあった筈なのに、随分と小さくなってしまったのだなあ、と感じた。
里ではまだ、私は若輩で漸く単独での忍務を任されていた頃だった。だが私のような境遇の者など他にも大勢いるものだ。死んでしまったものは仕方が無い。これからは独りで生きて行くのだと養父の墓とも言えぬ墓に背を向けた時だった。
「おや、
ナマエ
か」
「っ、」
咄嗟に平伏する事が出来た。目の前にいたのは小頭だった。感情を乱すなと言われても、緊張するものはする。小頭は苦笑したように息を零してから「楽にしろ」と仰られた。
「
……
は、」
楽にしろ、と言われたが、早々態度を改める事など出来る訳が無い。少し迷って僅かばかり頭を上げると「楽にしろと言っているんだ」と今度はあからさまに笑われた。
「で、では失礼して
……
」
ゆっくりと頭を上げると小頭は少し困ったように微笑んでいた。その顔は本当に自然な表情に見えた。強い方は私のように「手綱」を握らなくとも良いのだな、と感じた。
「父御は残念だったな」
一瞬何を言われているのか分からなくて瞠目してしまった私に小頭は「私もお前の父御には世話になった」と嘘か本当か分からない事を呟かれた。
「
…………
忍びなら、当然の事です。養父も、覚悟は出来ていたでしょう。私も、いつかこの日が来る事は分かっていました」
必死に「手綱」に縋り付いた。幼き頃の最初の記憶が細切れに頭の中で繰り返される。養父の怖い顔、父母らの話。良い忍び。感情を乱してはならぬ、ならぬ、ならぬ。決して感情を、乱しては。
手の中でぴり、と痛みが走って途端に冷静になった。息を大きく吸って吐いたら、込み上げて来た物は少しずつ何処かに落ちて行った。
「
……
?流血してるじゃないか」
不意に手を取られて意図せず肩が跳ねた。小頭が怪訝そうな顔で私の手の内を見ている。さっきの痛みはこれだったのか。握り締めた拳の中で爪が肉を割ったらしい。
「あ、いえ、これは、」
「気を付けろ。お前は里の大切な忍びだろう」
「い、いえ、そんな、だ、大丈夫なので!」
慌てて手を引こうとするのに小頭に握られた手首が抜けない。別段強い力で握られている訳でもないのに。小頭は苦笑すると持っていた手拭いを二つに裂いた。もうそれだけで私は養父の教えを一年分は破ってしまったと思う。
「
……
父御の教えも良いが、私は
ナマエ
の笑った顔も好きだからな」
小頭が簡易の止血をして下さった手には白い布がくるくると器用に巻かれていた。この下にあるのは掃いて捨てる程存在する忍びの放って置いても治る傷だ。その上に巻かれた白い布。
感情の手綱を今一度強く握ろうと思った。私は「この人」のために良き忍びになるのだと。誰が何と言おうとも、この人のために生き、この人のために死にたい。そう思った。
明確な目標が出来てからは、感情の手綱を握る事が更に容易になったような気がしていた。敵方にどんなに惨い事をしても、どんな苛みを受けようとも、どんな傷を負おうとも、たとえ誰を喪おうとも。私は呼吸も声も空気も揺らす事は無くなった。
順調に独りで任される忍務も増え、里でも一人前として認められる事も増えた。同じ年頃の者たちの中にちらほら烏帽子を被る者が出てきた頃だった。
小頭が大火傷を負って瀕死の身となったのは。
夜明けに大きな足音と人の声が聞こえて目が醒めた。不穏な気配が沢山して、侵入者かと思って耳を澄ませて愕然とした。大人たちが最近ずっと戦勤めをしていたのは知っていたけれど、まさかそんな。
当然の事ながら小頭の部屋は人払いがされ、私のような何の役にも立たぬ者は近寄れもしなかった。いつも私を指南して下さる大人たちの顔が険しい事が小頭の容態が酷く良くないのだと私に教えた。
必死に「手綱」を握った。幼き頃の最初の記憶を細切れに頭の中で繰り返す。養父の怖い顔、嫌だ
、父母らの話。死なないで、良い忍び。どうしよう、感情を乱して、どうしたら、はならぬ、ならぬ、ならぬ。決して感情を、乱しては。
「っ!」
ぎゅう、と手を握った。手綱を握るのだ。感情を乱してはならぬ。こんな矮小な私でも、役に立つ事だけを考えるのだ。小頭のために生きて死ぬのだと決めたのだからと自分に言い聞かせ、私がまず向かったのは生家だった。
養父に昔聞いた事があった。私の母の母は薬を得意としていたと。ならばきっと、何か小頭の役に立つ物がある筈なのだ。
無我夢中で家中を引っ掻き回し、朝日が広がる頃に引っ張り出せたのが一冊の書き付けであった。薬草について詳細に書き付けてあったそれには、忍びとしてある程度訓練を受けた私ですら知らぬ物が沢山載っていた。その中から火傷に効く物、痛みに効く物、化膿に効く物、その他ありとあらゆる役立ちそうな物を、私は愚かな事に一人きりで探した。後から考えたら里の者にも手伝って貰えば良かったのに、きっと手綱を離してしまっていたのだろう。兎も角、一日中薬草を探し回った泥だらけの汚い姿で何とか両手いっぱい薬草を持って来た私に大人たちはとても優しかった気がする。
忍務は暫く無くなり、私たちの至上の命令は小頭を生かす事となっていた。
だから私は毎日山に入った。必要ならもっと遠くの山にだって行った。爪の中に石が入って爪が割れたって構わなかった。必ず「あの方」を生かすのだとそればかり思っていた。
なので手綱もちゃんと握った。だって、もし私が手綱を離してしまうとなったら、それは、「とても悪い事」が起きた時だけの気がしたから。
幸い、大人たちの的確な初期対応のお陰で小頭は何とか一度は意識を回復させた。だがここからが勝負なんて事は私でも分かり切っていた。
この頃には流石に忍びの里としての機能を維持しなければならないため、大人たちは忍務へと戻され、代わりに私たちやそれより少し歳若の者たちが看病に駆り出される事が多くなった。
だが皆小頭の姿を一目見て、怖気付いたように部屋から出て来るのだ。「俺はあの姿が恐ろしい。まるで化け物だ」と言う声を幾度か聞いた。下らないのでそう言う奴が看病の当番だった時は必ず代役を申し出た。ある程度それを繰り返していたらいつの間にか小頭の看病は私と、私より少し下の尊奈門が主に引き受ける事になっていた。
尊奈門は良く働いた。きっと私より、色々な事に良く気付いていたと思う。そしてそれ故に彼が罪悪感を覚えている事に私は気付いた。気付いたけれど気の利いた事も言えず、いつも当たり障りのない話をした。
「
ナマエ
さんは、どうして泣かないのです」
尊奈門がある日躊躇いがちに問うた。責める口調ではなかった。ただ純粋に問われたのだと感じた。
「私は、恐ろしいのです。だって小頭がもし、」
その後の言葉を尊奈門は口にしなかった。きっと出来なかったのだろう。そして私にとっても、それは彼の問いに対する答えだった。
「私は、感情の手綱を握って生きてきたから多分、『それ相応の事』が起きないと、手綱は離さないし、それに、『それ』は今じゃない、から」
努めて冷静に、努めて普段通りに。この声を小頭はきっと聞いている。小頭に絶望など与えてはいけない。私は普段通り。小頭も助かる。
それは多分、私がずっと自分に言い聞かせ続けていた事だ。
何度も何度も包帯を取り替えた。何度も何度も濡れた手拭いでその大きな身体の膿を清めた。想像も出来ない程の痛みに呻く小頭に薬湯を煎じ、尊奈門とは共に薬草を探しに行った。
そして季節が何度か変わった頃、小頭は少しだけ意識を保っていられるようになった。
「
ナマエ
、世話を掛けるな」
引き攣れた口で笑った小頭にうっかり手綱を離しそうになって、また手を握り締めた。まだ、『その』時じゃない。小頭は何か言いたげに見えたが何も言わずそのまま意識を失った。
小頭は快方と悪化を繰り返しながら少しずつ、回復しているように見えた。季節がもう少しで二周しようかという頃には少なくとも、生命への危険は無くなった。それは即ち、私ももう、忍務に戻らねばならぬという事だ。
今までは小頭の看病という名目で、忍務をかなり絞られていた。だからこそ、全力で小頭のために出来る事をした。そしてそれは、誤解を招くような言い方だが、私の中ではとても「幸せな事」だったのではないかと思う。だって私は、小頭のために生きて死にたかったのだから。
兎も角、想定よりもやや早く私は命を受け、翌昼より忍務に就く事となった。小頭も最近は目を覚ましておられる事が多いから、明朝挨拶に行こう。そう思って眠りに就いてそして、夢を見た。それは何だかとても幸せで、とても暖かな夢だった。
目が覚めて身支度をして、それから鏡を見返す。まだ手綱は握れていた。その事を久し振りに養父に報告したかった。あなたの養娘はいついかなる時も手綱を離しませんでした、と。落ち着いたら、墓参りに行こうと決めた。
ゆっくりと廊下を歩き、小頭の部屋へ向かう。部屋の前で座し、訪いの挨拶をする。すぐに返事があった。少し違和感を覚えた。小頭の声が、いつもと少し、違う気がして。
「失礼いたします、小頭。本日より私は忍務に、ふっ、き
……
」
「
……
ああ、
ナマエ
。聞いている。今まで御苦労」
言葉が出ない。喉が、詰まって。感情が沸騰したようだった。だって、小頭が、身体を起こして。
「漸く、身体を起こせるようになった。
ナマエ
たちの看病の賜物だな」
小頭が何か言われている。でも、何、だ?何、を言わ、れて。も、わから、な。思考が真っ白に飛んだ。感情、みだしては。
「え、あ、な、泣くんじゃない
……
!」
最初に理解できるようになったのは小頭の困ったようなその言葉と、子供みたいに大泣きする私の泣き声だった。どうやら私は手綱を離してしまったようだ、と頭では認識出来た。だが感情が止まらないのだ。後から後から涙が頬を伝って来るのが分かる。
全身の血が駆け巡るように安堵を伝えている。良かった。本当に、よかった。小頭が助かって、本当によかった。小頭のために出来る事があって本当によかった。
声を上げ煩く泣き喚く私に小頭は焦ったように眉を寄せて、それからとても優しく微笑んでゆっくりと私に手を伸ばした。揺れた指先に、慌てて小頭を支えるために近付く。小頭の硬い指先が私の頬を撫でた。
「ほら、泣くな。重病人の私が初めて起き上がったんだぞ。笑いなさい」
「う、え、ふ、っむ、むり、です
……
ぅっ!」
「ははは。こんな所見られたら、私が尊奈門や皆に怒られてしまうだろう」
「
……
おこら、れてくださ、い!っ、みなが、どれだけ、どれ、だけ心配したか
……
っ!」
みっともない泣き顔でついに手綱を離してしまった私を、小頭は叱らなかった。まだ強張ってぎこちない手でゆっくりと私の髪を撫で、そして
「今帰った」
そっと耳許で囁いてくださった。そうしたらもう、感情は何処かへと走り去ってしまったようで、私に掴める手綱など欠片も残ってはいなかった。
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